2033年、人類の旅

「紀元前298,805年〜紀元前298,685年」第241話〜第264話

Day 11 — 2026/04/14

読了時間 約60分

第241話

紀元前298,805年

第二の星

乾季が終わった。

終わり方が、これまでと違った。雨が来る前に、地面が割れた。亀裂は草原の低いところから始まり、水を求めて根を張った草の茎が、根ごと持ち上がった。土が浮いた。浮いたまま、数日乾いた。それから雨が降った。

雨の量は多かった。しかし地面はそれを受け取れなかった。割れた土は固まっており、水は割れ目を滑って低地に集まった。低地が湖になった。湖は三日で消えた。蒸発したのではなく、どこかへ抜けた。土の下に、水が消える道があった。

草原の北側で、旧人の集団が動いた。

彼らは水場を知っていた。代々、その場所を知っていた。しかし今回、水場は消えた。消えたのではなく、移った。湧き水の出口が、地中の変化によって百歩ほど東へずれた。旧人たちはそれを知らず、三日間、乾いた窪みの前に座った。座って、地面を掘った。掌で掘った。出なかった。

四日目の朝、彼らは東へ歩いた。

百歩。

新しい湧き水は、そこにあった。見つけた者が声を上げた。声というより、息が漏れた音だった。集団の全員が走った。走りながら転んだ者がいた。転んだまま水の縁まで這った。

同じ頃、南の草原では、この星が見ている集団が移動していた。旧人の集団と重なる方向ではなかった。しかし水場の変化は、この集団にも届いていた。いつも水を汲んだ場所に、泥しかなかった。泥の中に、小さな魚が数匹、腹を上にして浮いていた。

魚を拾った者がいた。食べた者もいた。食べなかった者もいた。

集団の中で、若い狩り手が一人、他の者から離れて立っていた。集団の外縁に立って、水場の方向を見ていた。何かを考えていたわけではなかった。ただ立っていた。それが、他の者の目についた。

群れから離れる行動には、理由が必要だった。理由のない行動は、危険の前触れとみなされた。何かを知っている者、何かを隠している者、集団を裏切ろうとしている者、そのどれかだと解釈された。

長老格の二人が、目で合図した。

合図の意味は、問うことだった。あるいは確かめることだった。あるいはすでに決めていることの、確認だった。

その者はそれを見ていなかった。水場の方向を見たまま、立っていた。

水が来る前の土の匂いが、まだ空気の底に残っていた。

与えるもの

水場が東へずれた。その方向に、今いる場所より高い岩場がある。水は高いところから低いところへ流れる。岩場の裂け目を登れば、上流が見える。

その者は一瞬、東の方角を向いた。それだけだった。岩場には行かなかった。

渡した。届かなかった。それでも次に渡すべきものは変わらない。高い場所から見ることの意味を、まだこの者は知らない。知らないまま、低いところに立ち続けている。

その者(33〜38歳)

長老格の二人が近づいてきた。

その者は振り向いた。顔に何も浮かばなかった。危険を感じる前に、二人が脇に立った。肩を掴まれた。力が強かった。抵抗する間もなかった。

夕方になった。

その者がいた場所に、草が踏み倒されていた。草は翌朝には起き上がらなかった。

伝播:HERESY 人口:861
与えるものの観察:高い場所を示した。この者は低いまま消えた。
───
第242話

紀元前298,800年

第二の星

雨季が明けた。

草原の南端では、地面がまだ湿っている。干上がりかけた泥の表面に、獣の蹄の跡が規則正しく並んでいる。大きな群れが、ここを通った。どこへ向かったかは、地平線が知っている。

北の岩棚では、二つの集団が互いを遠くから眺めている。どちらも動かない。眺めるだけだ。どちらの集団にも、相手と似た体格の者がいる。額の張り方が違う。眉の骨の厚みが違う。しかし距離が遠いと、その違いは見えない。

子が多く生まれた。集団はかつてなく膨らんだ。それだけ、食べる量も増えた。

獣の通り道が変わった。

川べりの木の実が、去年より少ない。

集団の中で、声が上がることが増えた。誰かが誰かを押す。誰かが誰かを見る。視線が長くなった。

その者は三十八歳になっていた。体の頑丈さは残っているが、走ると右の膝が遅れてくる。

与えるもの

十五年が経った。

渡せた回数を数えている。数えるたびに、その数が重くなる。

今日は煙ではなく、熱を使った。岩の南面が、他より早く乾いている。太陽が同じ角度で当たっているのに、あの面だけ温度が違う。その下に何かある。根か。水か。獣の通り道か。

熱がその岩の表面に集まった。

その者が、岩の近くを通った。

その者(38〜43歳)

獲物を仕留めそこなった。

槍を投げた。角度が悪かった。獣の脇腹を掠めただけで、獣は走り去った。その者は槍を拾いに行った。血が少しついていた。獣の血だ。なめた。塩の味がした。

戻る途中で、岩の前を通った。

立ち止まった理由は、自分でわからない。足が、そこで止まった。

岩の面が、じわりと温かかった。他の石とは違う。手を当てた。離した。また当てた。

しゃがみこんで、岩の根元を見た。土が少し盛り上がっている。その者は指で土を掻いた。湿っていた。周りの土は乾いているのに、そこだけ湿っていた。

掘った。

腕の半ばまで入ったところで、冷たい感触があった。水ではない。固い。根だ。太い根が、深いところを横に走っている。

その者は手を抜いた。

土を穴に戻した。なぜ戻したのか、自分でもわからない。

立ち上がって、空を見た。

集団のいる方向に戻った。何も言わなかった。言う言葉がなかった。ただ歩いた。

その夜、集団の中で争いが起きた。食べ物の取り合いではない。場所の取り合いだ。火の近い場所を、二人の若い者が同時に求めた。唸り声が上がった。体がぶつかった。古い者が割って入った。収まった。

その者は遠くから見ていた。

右の膝を抱えて、座っていた。

伝播:NOISE 人口:868
与えるものの観察:岩の熱を足が先に知った。
───
第243話

紀元前298,795年

その者(43〜45歳)

草が倒れた方向を、その者は覚えていた。

三日前、集団の中の一人が草原の端で倒れているのを見つけたとき、草はすべて同じ方向を向いていた。足跡はなかった。血の跡もなかった。ただ、倒れていた。

その者は立ったまま、長い時間、その体を見ていた。

だれも近づかなかった。

その者が一歩踏み出すと、後ろから短い唸り声がした。近づくな、という声だった。年上の者の声だ。その者は止まった。

それから二日、その者は集団の端を歩いた。近くに寄っても唸られた。離れると誰も何も言わなかった。その者がどこへ行こうとするかを、だれかが常に見ていた。

夜、火から少し離れた場所で横になった。空に雲はなく、風も弱かった。岩の感触が背中にあった。

その者は自分の手のひらを見た。暗くて見えなかった。

翌朝、起き上がろうとして、起き上がれなかった。

腰から下が重かった。重いというより、繋がっていないような感じだった。足が土になっているような。

その者は横向きになって、草の根元を見た。根は細く、地面に深く刺さっていた。その者の指が土をつかんだ。崩れた。

集団は移動した。

足音が遠くなった。火の匂いが消えた。

その者はまだ草を握っていた。

空が白んで、赤くなって、青くなった。

陽が高くなる頃、ある者が戻ってきた。若い、まだ細い腕をした者だ。その者の顔を見た。その者は何も言わなかった。若い者も何も言わなかった。

しゃがんで、その者の足に触れた。

その者は唸らなかった。

若い者はしばらくそこにいた。それから立ち上がって、集団が行った方向へ歩いた。

その者は草を離した。

風が来た。草が揺れた。揺れが止まった。

第二の星

乾いた高地の斜面で、旧人の群れが獣を追っていた。音を立てず、影のように動いていた。崖の手前で獣が止まった瞬間、投石が始まった。石は弧を描いて落ちた。命中しなかった。群れは散った。旧人たちは崖の縁に立って、遠くなる獣を見ていた。だれも動かなかった。

与えるもの

風の向きが変わった。草の揺れが細い腕の者を向いた。それだけだ。

糸は別の誰かへ向かった。

伝播:HERESY 人口:831
与えるものの観察:排除された者は、最後に草を握っていた。
───
第244話

紀元前298,790年

第二の星

草原の端に、煙がある。

焚き火ではない。地平の低いところから、白く細く、垂直に立っている。風がないからだ。二日間、風がない。空は高く、光が強く、影が短い。地面は乾いている。獣の足跡が残ったまま、崩れない。

この大地で、集団が三つ動いている。

ひとつは北の斜面を降りてきた。毛皮を腰に巻いた群れで、体格が違う。額が張り出している。眉の骨が厚い。しかし動きは静かだ。水場を探している。子どもを連れている。女が二人、腹が大きい。

ひとつは川沿いを東に移動した。この大地に長くいる群れだ。火を持っている。炭を布のように束ねたものを先頭の者が抱えている。歩き方に迷いがない。

ふたつの群れは、朝の光の中で出会った。

川の浅瀬。石が並んでいる渡り場所。先に来ていたのは北から降りてきた群れだった。東から来た群れが近づいた。

止まった。

双方が止まった。

声は出なかった。唸りもなかった。互いの輪郭を見た。体の大きさを測った。子どもの数を見た。炭の束を見た。火を持っているかどうかを見た。

長い時間ではない。呼吸が十回ほどの間だ。

北の群れの先頭に立つ者が、ゆっくりと膝を曲げた。低くなった。攻撃ではない。体を小さくした。

東の群れの先頭の者が、少し横に動いた。渡り場所の半分を空けた。

それだけだった。

北の群れが渡った。東の群れが待った。渡り終えるまで、誰も動かなかった。子どもが泣いた。母親がすぐに腕の中に抱えた。声が消えた。

渡り終えた後、北の群れは南へ歩いた。東の群れは渡り場所に入った。

振り返った者は一人もいなかった。

煙はまだ立っている。風がないから、真っ直ぐに、高く。

三つめの群れは、この出会いを見ていなかった。丘の裏側にいた。この大地に来て日が浅い。まだ水場を知らない。子どもが三人、口を開けたまま歩いている。

水を探している。

草が低くなっているところを先頭の者が選んで歩く。低い草は、地面が湿っていることがある。根が水を引いているからだ。

先頭の者が立ち止まった。

地面に顔を近づけた。臭いを嗅いだ。

立ち上がって、また歩いた。

この大地で何かが変わりつつある。群れが増えている。互いを知らない者が、同じ水場に来る。同じ夜に同じ火を見る距離にいる。まだ言葉がない。しかし渡り場所を半分空けることができる者がいる。

集団の緊張は、まだ高い。

しかし今朝の浅瀬では、誰も血を流さなかった。

与えるもの

糸が繋がった。

この者は十五歳で、狩りに加わらせてもらえない。集団の端を歩いている。

川の浅瀬の出来事を、この者は見ていない。丘の反対側にいた。しかし北の群れが通り過ぎた後の草の踏み跡は、この者の足元にある。

足裏に、温度の違いがあった。踏まれた草は、まだ少し温かい。

この者が止まった。

足裏の温かさを感じたまま、立っていた。何も見えない。声もない。ただ、誰かがここを歩いたという残り熱がある。

――別の群れがいる、と渡したかった。渡せたかどうかはわからない。ただこの者は立ったまま、長い間、動かなかった。足が知ったことを、体が処理している。次に渡すなら、足跡の向きを教えればいい。しかしこの者がまず必要なのは、「知らない者がいる」という事実そのものかもしれない。

その者(15〜20歳)

足の下が温かかった。

草ではなく地面が、というより草が踏まれた後の、あの温かさ。

この者はしゃがんだ。手で草に触れた。手でも温かかった。立ち上がって、周囲を見た。

誰もいない。

匂いがあった。知っている匂いではなかった。

走らなかった。逃げなかった。ただ、しばらくそこに立って、匂いが薄くなるのを待った。

伝播:NOISE 人口:834
与えるものの観察:足裏が先に知った。頭はまだ追いついていない。
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第245話

紀元前298,785年

その者(20〜25歳)

煙を見た日の夜から、腹が空いていた。

集団の者たちは洞窟の奥に固まっていた。火のそばに大人の雄が三頭、かがんで何かを言い合っていた。唸り声が低く重なり、手が宙に向かって叩かれた。その者は壁に背をつけ、膝を抱えていた。火から遠い場所を割り当てられていた。

朝になった。

大人たちは草原の方角ではなく、丘の上へ向かった。その者はついていかなかった。行くなという唸り声があった。行くなという意味かどうかわからなかったが、大人の雄が振り返り、目が合い、足が止まった。

洞窟の入り口に残ったのは、その者と、年を取った雌と、子どもが四つ。

年を取った雌は干した皮を削っていた。石の端を使って、一方向に、何度も。その者はそれを見ていた。見ていて、自分の足元の小石を拾った。平らではない。片側が薄く、もう片側が厚い。親指の腹で縁をなぞった。

切れる、とは思わなかった。

ただ指が止まった。

年を取った雌が、横目でその者を見た。何も言わなかった。また皮を削り始めた。その者は小石を持ったまま、同じように腕を動かした。何もないところで。空中で。同じ向きに、同じ角度で。

子どもの一頭が近づいてきた。手を伸ばした。小石を取られた。

その者は取り返さなかった。

子どもは小石を口に入れ、出し、放り投げた。乾いた音が地面に転がって、消えた。

その者は立ち上がり、洞窟の外に出た。

煙のあった方角を見た。煙はもうなかった。空は薄く白く、どこが地平かわからないほど霞んでいた。風がまた止まっていた。草が動かない。

その者は地面に座った。

両手を膝の上に置いた。皮を削るときの角度を思い出していた。いや、思い出すという言葉を知らなかった。ただ腕が同じ動きをしようとしていた。手の中に石がなかった。

立って、戻って、子どもが放り投げた石を探した。なかった。草の中に隠れていた。草を踏んで探した。見つけた。

拾った。

また腕を動かした。今度は地面の上で。石が地面をこすった。音が出た。乾いた、短い音。

もう一度やった。

同じ音だった。

昼になる前に大人の雄たちが戻ってきた。何かを持っていた。毛皮のついた塊だった。血の匂いが先に来た。その者は立ち上がり、一歩近づき、また止まった。

大人の目が向かなかった。

その者は石を握ったまま、少し離れたところに立っていた。塊を捌く手を見ていた。石の刃が走る度に赤が広がった。その者の手の中の石は、刃になれなかった。形が違った。

それでも放さなかった。

夕になった。

肉が配られた。その者の分は薄かった。骨の近く、筋の多いところ。それでも受け取った。口に入れた。固かった。顎が疲れた。飲み込んだ。

年を取った雌がそばに来た。何も言わなかった。その者の手の中の石を見た。手を伸ばして触れた。指先で縁をなぞった。

同じことをしていた。

その者はそれを見た。見て、何かが胸の奥で動いた。痛みではなかった。空腹でもなかった。

何かが同じだと気づいた瞬間だったかもしれない。

言葉を持たなかった。だから何もできなかった。ただ、年を取った雌と、石を挟んで、少しの間、手が触れていた。

第二の星

始まりの大地に、雨が戻り始めていた。

ここ五年、乾いた時期と湿った時期が規則なく入れ替わっていた。草が出れば草食の獣が増え、獣が増えれば群れが動き、群れが動けば人も動いた。八百を超える者たちは、一つの場所には留まらなかった。いくつかの集団が、川沿いと丘陵地帯と草原の端に散らばっていた。

集団と集団の距離が縮まることがあった。

縮まれば声が届いた。声が届けば、石が飛ぶこともあった。

だが石が飛ばないこともあった。ただ見た。ただ匂いをかいだ。そのまま離れた。どちらに転ぶかは、その時の腹具合と、前の記憶と、先頭の雄の気分で変わった。

煙を上げたのは、この集団から半日離れた場所にいる別の群れだった。何が起きたのかは、煙が消えた後にはわからなかった。誰も確かめに行かなかった。

確かめに行く言葉がなかった。確かめに行くという考えが形を持てなかった。

この五年間、何も伝わらなかった。技が伝わらなかった。石の使い方が伝わらなかった。ある者が偶然やったことは、その者が死ねば消えた。消えて、また誰かが偶然やるまで待った。

草原に夕の光が倒れていた。遠くで何かの獣の声がした。風がまだなかった。

与えるもの

石の縁に光を落とした。
その者は石を拾い、空中で腕を動かした。
石は刃にならなかった。ならなかった、という事実が残った。そこに何があるのか、私にはわからない。しかし次に渡すとすれば、それは形の違いだ。なぜ切れるものと切れないものがあるのか。その問いをまだ渡せていない。

伝播:NOISE 人口:841
与えるものの観察:石を空中で動かした。刃にならなかった事実だけが残った。
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第246話

紀元前298,780年

第二の星

乾季の終わりだった。

赤道に近い高地では、土が割れていた。ひびは指の幅ほどで、端が白く粉を吹いていた。その割れ目に沿って、小さな甲虫が一列で歩いていた。行き先は決まっているようだった。

北の低地では、浅い湖の縁が後退していた。泥が剥き出しになり、鳥が来てその泥を突いた。鳥は何も見つけられずに飛んだ。また戻ってきて、また突いた。

洞窟の近くの斜面では、別の集団が動いていた。三つの家族が別々の方角から移動してきて、同じ水場に集まった。水を飲んだ。互いを見た。唸り声は出なかった。ただ見た。それから別々の方角に散った。

同じ水場を、この集団の雄も知っていた。

夜、星が出た。空気が澄んでいた。岩の上で何かが鳴いた。岩の下で何かが動いた。

大地は今夜も傾かなかった。割れたままで、乾いたままで、静かだった。

与えるもの

夜明けに光が差した。

崖の縁の、その者の足先のあたりに。

その者は光を踏んだ。

踏んで、下を見た。崖の下に、別の集団の影があった。

その者は受け取らなかった。踏んで、振り返って、戻った。

光は残らなかった。

——踏まれた光が何を示したか、この者は覚えていないだろう。では次は何を渡せるか。崖の手前で立ち止まらせるものを。もう一度か。それとも別のものか。渡すたびに問いが変わる。渡したことが、次に渡すべきものを生んでいる。

その者(25〜30歳)

夜が明ける前に、腹が鳴った。

昨日も前の日も、集団の大人たちが食べたあとに残ったものを口に入れた。骨についた繊維、実の芯、葉の裏についた虫。歯で潰すと苦かった。それでも飲みこんだ。

夜明けに外へ出た。

崖の端まで歩いた。毎朝歩く。許されているのはそこまでだ。狩りに加わる者たちは、崖の向こう側に降りていく。その者は降りたことがない。崖の端に立って、向こう側を見るだけだ。

その朝、足の先に光が落ちた。

岩の向こうから太陽が昇りはじめた光が、崖の縁の、ちょうど爪先のあたりを照らした。その者は無意識に目を落とした。

下に、影があった。

動いていた。二つ、三つ。足の運びが自分たちとは違った。歩幅が狭く、腕がより長く揺れた。石と岩の間を静かに移動していた。

その者は息をのんだ。

振り返った。

洞窟の方を見た。戻るか。叫ぶか。

戻った。

走らなかった。走れば誰かに見られる。歩いた。石を踏まないようにした。息を吐きながら。洞窟の入り口に着いたとき、中はまだ眠りの息遣いで満ちていた。

その者は壁に背をつけた。

膝を抱えなかった。

ただ立ったまま、呼吸を数えた。一、二、三。数の概念はなかったが、吐く息と吸う息が繰り返されるあいだ、その者は動かなかった。

崖の下で動いていた影が、目の裏に残っていた。

大人の雄たちは眠っていた。

その者は何も言わなかった。言う言葉を持っていなかった。あの影を、唸り声に変える方法を知らなかった。

朝が来た。火の番の雌が起き上がり、枯れ枝を足した。煙が天井に広がった。その者はその煙を目で追った。

消えなかった。

外の光の中に溶けた。

伝播:HERESY 人口:801
与えるものの観察:踏まれた光。届かなかった。次は何を。
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第247話

紀元前298,775年

第二の星とその者(30〜35歳)

雨が戻ってきた。

高地の土は水を受け、白かった粉が泥に変わった。ひびは塞がった。草が出た。出たそばから虫が来て、虫を追って鳥が来た。連鎖は速く、乱暴で、5年前に割れていた地面の記憶を残す者は誰もいなかった。

その者は集団の端にいた。

草を踏みながら、踏まれた跡を見ていた。足の形が残る場所と残らない場所がある。湿った窪みにははっきりと。尾根の岩の上には何も残らない。それをずっと見ていた。意味があるかどうかは考えていなかった。ただ見ていた。

赤道に近い森では、樹上の者たちが移動していた。

別の種だ。体は重く、顎は張り出し、声は低かった。同じ高地の東の縁に住んでいた。水場が一つ、重なっていた。乾季には双方が来た。雨季には双方が離れた。5年の間、それは繰り返されていた。しかし今年の雨は遅れた。水場に両方が来た。

その者は水場でその影を見た。

距離は十歩ほどだった。その者は動かなかった。向こうも動かなかった。水面に二つの影が落ちていた。風が吹いて、水面が揺れ、影が崩れた。向こうが先に動いた。ゆっくりと、木々の中へ消えた。

その者は水を飲んだ。

飲みながら、水面が揺れる前の影の形を思っていた。何かが残っていた。体の中に、説明できない残り方で。

集団の中で緊張が高まったのはその頃だった。

年長の雄が吠えた。若い雄に向かって。その者ではなかった。別の若い雄だった。地面に押しつけられ、腕を抑えられ、しばらく唸った後、力が抜けた。追い出されたわけではなかった。しかし、何かが決まった。境界のようなものが、声と体の重さで引かれた。

その者は離れて見ていた。

岩を拾った。重さを確かめた。置いた。また拾った。別の岩と並べた。大きさが違う。形が違う。並べてから、また置いた。何をしたかったのかわからなかった。ただ手が動いた。

雨季が終わった年、年長の雄が死んだ。

崖沿いの道で足を踏み外した。岩の間に落ちた。声が上がって、何人かが駆けつけた。動かなくなった体を囲んで、しばらく誰も動かなかった。その者も見た。体が冷えていくのを、風が運んできた。

集団の形が変わった。

誰も言葉で決めなかった。しかし次の朝、動く者と動かない者が分かれていた。その者は動く側にいた。気づいたらそうなっていた。

新しい場所への移動が始まった。

与えるもの

水面が揺れた。

あの影が消える前の一瞬、向こうの目がこちらを見た。その者はそれを感じた。感じたのに、何も起きなかった。

岩を並べていた。大きさの順に並べていたわけではない。それでも手は止まらなかった。

渡せるとすれば順番だった。大小ではなく、何かの順番。並びに意味が生まれる一歩手前だった。その手前で岩は置かれた。

崖の下で体が冷えていく間、その者は何も泣かなかった。ただ見ていた。見ていられることと、見ていてしまうことの間に、この者はどちらの側にいるのか。

移動が始まった。その者は先頭ではなく、最後尾でもなかった。集団の中ほどを歩いた。歩きながら、踏まれた草の跡を振り返った。一度だけ。

伝播:HERESY 人口:767
与えるものの観察:並べた岩は意味の一歩手前で置かれた
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第248話

紀元前298,770年

第二の星

雨期が安定してから、獣の群れは大きくなった。

草原の端で草食の獣たちが水場をめぐって押し合い、泥の中に蹄の跡を刻んだ。雄の角が絡み合い、離れ、また絡み合った。勝った側が残り、負けた側は北へ移動した。草は踏まれたところから再び伸び、根は深くなった。

遠く、大地の別の場所では、崖と崖の間の狭い回廊に旧人の小さな群れがいた。彼らの骨格は太く、眉の上の骨は厚い。彼らはその回廊で何世代も生き、火を使い、死者の上に石を積んだ。今この時、その群れの中で年長の雄が何かを嗅ぎつけるように北を向いた。動かなかった。ただ北を向き、それからまた座った。

始まりの大地では、子が増えた。

子が増えると声が増える。声が増えると争いが増える。草の実の在り処、水場の順番、眠る場所の広さ、乳のある雌の近く。争いは隠れた形で続き、時に爆発した。集団の中に、小さな亀裂が走り始めていた。誰も名付けていなかったが、その亀裂はすでにそこにあった。

この星は照らすだけだ。亀裂の深さも、いつ割れるかも、知らない。

与えるもの

水面の影は崩れる前に似ていた、とかつて感じた。あの時もこうだったか。

集団が増えた。声が重なった。どれがあの者の声かを探すのに、時間がかかるようになった。

風の向きを変えた。煙が、あの者の顔に当たるように。

あの者は目を細め、手で煙を払った。その手の先に、集団の外れで二人の雄が押し合っていた。

押し合いは終わった。体の大きい方が残り、体の小さい方が端に追いやられた。

あの者は端に追いやられた雄を、しばらく見ていた。

渡したのは煙か、視線か、それとも別の何かか。問うても答えは来ない。ただ次に渡すべきものは既に見えている。これほど集団が膨らんだ時、端に追いやられる者が最初に消える。それがこの者の番になる前に、渡せるものがある。あるいはない。

その者(35〜40歳)

煙が目に入った。

火は集団の中央で燃えていて、煙はいつも上に行く。今日は違った。横に流れて、顔に当たった。目が痛くなり、体を傾けた。

そこに二人の雄が見えた。

一方は体が大きく、もう一方は小さかった。押し合いの理由は見えなかった。乾いた肉の塊が近くに落ちていた。大きい方が足で踏み、小さい方の手を払った。小さい方は二度手を伸ばし、二度払われ、それから離れた。

その者は見ていた。

体の大きさ、足の踏み方、手の払い方。それだけを見ていた。音節が口から出なかった。声にならない何かが喉の奥にあり、飲み込んだ。

小さい方の雄が、集団の外れに座った。

その者も外れにいた。いつもそこにいた。狩りに加わる雄たちが出発するとき、その者は少し遅れて立ち、少し遅れて戻った。速い走りはできる。重いものも持てる。それでも先頭には入れなかった。

夕方、子が二人走り回っていた。転んで泣いた。泣き声が止まった。

夜、火が小さくなった。

薪を持っていったのはその者だった。誰も頼んでいなかった。その者は薪を置き、火が大きくなるのを見た。手が少し熱くなった。それだけだった。戻った場所は外れだった。

伝播:HERESY 人口:947
与えるものの観察:煙が顔に当たった。それだけが今日の渡しだ。
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第249話

紀元前298,765年

その者(40〜45歳)

泥が足首まで埋まった。

引き抜くたびに音がした。ぬかるんだ音。その者は川岸から離れず、枯れ枝を足元に敷き直した。雨のあとは何日もこうだった。大人たちは崖の上の乾いた場所で火を囲んでいたが、その者はそこへ行かなかった。行けなかったのではない。行かなかった。

水辺には獣が来た。

小さな踏み跡、大きな踏み跡、爪の形、蹄の凹み。その者はそれを見た。見て、記憶した。何のためかはわからなかった。ただ、見た。

川の対岸に、別の影があった。

大きくも小さくもなく、おそらく雄だった。毛が濃く、額が低かった。こちらを見ていた。その者も見た。どちらも動かなかった。川の水が音を立てていた。

その者は石を拾った。

投げなかった。握ったまま立っていた。相手の影は少し首を傾けてから、水辺に顔を下げ、水を飲んだ。それだけだった。飲み終えると茂みに消えた。

その者は石を置いた。

持っていた意味がわからなくなったから、ではない。ただ置いた。

集落に戻ると、火の周りで何かが起きていた。

声が大きかった。唸り声ではなく、もっと鋭い。複数の雄がぶつかり合うような音。その者は近づいた。輪の中心に、年老いた雄がいた。立っていたが、体が傾いていた。誰かに押されたのか、それとも元から傾いていたのか、その者にはわからなかった。

大きな雄が、老いた雄の腕をつかんだ。

老いた雄は振り払えなかった。

その者は何かを発声しようとして、しなかった。

翌朝、老いた雄は集落の外にいた。独りだった。食物を持っていなかった。その者は自分の持っていた干し肉の一片を差し出した。老いた雄は受け取った。目が合った。何もなかった。ただ、受け取った。

その夜から、その者は少しずれた場所で眠った。

火から離れた場所ではなく、大きな雄たちから離れた場所だった。わずかな違いだったが、確かに違った。その距離は日ごとに少しずつ広がった。

誰も気にしなかった。

ある朝、その者が目を覚ますと、近くに三人いた。老いた雄、痩せた若い雌、片腕が曲がったまま治った者。全員が何かを排除されていた。全員がそれぞれの理由で端にいた。

その者は何も言わなかった。言う音を持っていなかった。

ただ、そこに座った。

五年が経つあいだに、その集まりは少しずつ形を変えた。互いの踏み跡を覚えるようになった。誰がどこへ行くか、何を持ち帰るか。声は出さないのに、なぜかわかった。わかったような気がした。

しかし、ある夜、大きな雄の一人が近づいてきた。

一人ではなかった。

その者は立ち上がった。

夜が明けた。

その者はいなかった。端の場所に、くぼんだ土だけが残った。雨が降ったら消えるほどのくぼみだった。老いた雄がそれを見た。しばらく立っていた。それから歩き去った。

くぼみは一日だけ残った。

第二の星

大地が潤った年々に、集団は膨らんだ。

獲物は増え、植物の根は深くなり、水場が干上がることもなかった。腹を空かせる季節が短くなると、生まれる子の数が増え、育つ子の数も増えた。火の周りに集まる顔が増えた。それは確かなことだった。

しかし豊かさは均等には広がらなかった。

食物が多ければ、誰が多くを持つかという問いが生まれた。群れが大きくなれば、端に置かれる者が増えた。異なる者、弱い者、知りすぎた者。何が「知りすぎた」にあたるかを決めたのは、その場の最も大きな声だった。

対岸にも影がいた。

同じような集団が、同じような水辺に来た。彼らの毛は濃く、額は低く、水を飲んで去った。彼らも豊かな季節を生きていた。こちらと交わることはなかったが、互いの匂いを水に流した。同じ川を飲んだ。

大地の北では、草原が森へと侵食された年があった。

樹木が根を張り直し、古い獣道が新しい獣道に塗り替えられた。何十年も変わらなかった岩棚が、春の雪解け水で少しだけ崩れた。水が変えたのだ。水はいつも変える。静かに、何年もかけて。

集団は内側で変わっていた。

大きくなった集団の中で、端に置かれた者たちが互いを知り始めた時期があった。声を使わずに知り合う。踏み跡と習慣で知り合う。それは新しいことだったかもしれないし、古い何かが形を変えただけだったかもしれない。

しかしそれも、ある夜に終わった。

豊かな季節は続いていた。大地は何も知らなかった。

与えるもの

川岸の匂いが、その者の鼻に届いた。

泥と腐葉土と、対岸から流れてくる別の獣の息吹。その者は立ち止まった。

その者は立ち止まった。他の者たちは通り過ぎた。

それだけでよかった、と思っていた。立ち止まることが、すでに何かだと思っていた。

立ち止まった者が消えた。

渡したものは、渡した先から奪われた。これは初めてではない。しかし——初めてではないのに、なぜこの感触が残るのか。それが問いになった。消えた者の代わりに、次に渡すべき者がいる。しかし次の者は、また立ち止まるだろうか。立ち止まることを覚えた者が消えた後に、立ち止まる意味は何者が運ぶのか。

伝播:HERESY 人口:1,169
与えるものの観察:立ち止まった者は消えた。しかし匂いは残る。
───
第250話

紀元前298,760年

第二の星

大地の南に、裂け目がある。

雨期の終わりに、裂け目の縁から水が滲む。滲んだ水は石を伝い、低い草地に広がり、じきに乾く。その繰り返しの中で、草の根は深く伸び、根の先に虫が集まり、虫を追って小さな爪を持つ獣が来る。

集団のひとつが、その草地の縁に留まっていた。

五十数人。岩棚の下を使っていた。岩棚は南向きで、昼の光が長く差し込んだ。子どもが四人、同じ年ごろで、まだ走れなかった。老いた雌が一人、ほとんど動かず、皮の上に座っていた。

遠く東の方では、別の血のものたちが丘陵を移動していた。額が厚く、眉骨が張り、指の節が大きかった。彼らは声を出さずに移動した。岩の上を踏むときも音を立てなかった。

この夜、草地の集団と、丘陵を移動する者たちの間に、およそ二日分の距離があった。

次の満月の頃、その距離は縮まる。

縮まる理由は、どちらの集団も知らない。同じ獣を追っていた。獣は、ひとつの水場に向かっていた。

水場は、ひとつだった。

与えるもの

煙の匂いが、その者の側の風に乗った。

自分たちの火の匂いではなかった。方角は北西。距離はわからない。

その者が鼻を上げた。

——立ち止まった。それだけだった。

匂いは消えた。その者はまた歩き始めた。

次に渡すべきものは何か、とはまだ問えない。渡した匂いが、この者の中でまだ動いているかもしれない。消えたように見えても、記憶の底で続くことがある。かつても、そう思って待った。待ち続けた。届かないまま終わった。

それでも渡す。渡すことしか、できない。

その者(45〜50歳)

その者は集団の外縁を歩いていた。

雄の長老が三人、火の近くで座っていた。その者は近づかなかった。近づけば唸られる。唸られれば退く。それがずっと続いていた。

狩りに加われない。荷を運ぶことは許される。重いものを運んだあと、肉を少し与えられる。少しだった。

鼻が何かを拾った。

その者は立ち止まった。

煙だった。木の煙ではなかった。何か違う。何が違うのかは出てこなかった。胸の下が少し引き絞られた。足が、もう一歩を踏み出す前に、一瞬止まった。

止まったまま、しばらく立っていた。

それから歩いた。

夕刻、集団の中に戻った。火のそばに子どもが集まっていた。老いた雌が短く声を出した。誰かが笑うような音を出した。その者はその輪の少し外に座り、膝を抱えた。

夜が来た。

星が出た。その者は空を見なかった。地面の草を手でなぞっていた。手が草の茎に触れるたびに、草は戻った。また触れた。また戻った。

何かが胸の底に残っていた。

煙の匂いではなかった。匂いが消えたあとに残る、空白のようなものだった。

その者はそれを持つ言葉を持たなかった。

持てないまま、横になった。

闇の中で、目を開けたままだった。

伝播:HERESY 人口:1,111
与えるものの観察:渡した。届いたかどうか、まだわからない。
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第251話

紀元前298,755年

第二の星

乾季の終わりに、風が変わった。

北から来ていた風が、ある朝から東に向きを変えた。岩盤が剥き出しになった台地では、その変化を肌で感じた者はいなかった。しかし草は知っていた。東から来る風は湿気を含まない。根を深く張った草は茎を細くし、葉の裏を閉じた。

集団が三つ、この季節に同じ水場の周辺に集まっていた。

水場は広くない。岩の割れ目から染み出す水が、日に一度、指二本分ほど地面を濡らす。それだけの水を、三つの集団が分けようとしていた。

最初に来た集団は、水場から十歩の場所に座っていた。次に来た集団は、二十歩の場所に立った。三番目に来た集団は、遠くから声を上げた。唸り声だった。低く、腹に響く音だった。

三番目の集団の中に、大きな雄が二頭いた。その者たちの体には、同種のものとは違う何かがあった。額の骨が前に張り出し、眉弓が厚く、顎が幅広かった。身振りの形も、わずかに異なった。腕を振る角度、首を傾ける方向、足の置き方。似ているが、同じではない。

旧人と呼ぶべき存在だった。

最初に来た集団の雌が、子を抱えたまま後退した。後退は一歩だった。しかし確かに後退した。その一歩を、三番目の集団の大きな雄が見ていた。

大きな雄は動かなかった。

動かないことが、何かを意味した。水場への執着か。数の確認か。それとも別の何かか。第二の星はただそれを照らした。照らすだけで、判断しなかった。

二番目の集団が静かに離れ始めた。岩の陰に入り、そのまま見えなくなった。賢明だったか、臆病だったか、あるいはそのどちらでもなかったか、それも第二の星には関わりのないことだった。

最初に来た集団の中から、年老いた雄が一頭、前に出た。

老いた雄は石を持っていた。尖った石ではなく、丸い石だった。手に馴染む大きさの、川底で削れた丸い石。老いた雄はその石を水場の縁に置いた。置いて、下がった。

三番目の集団の大きな雄は、その石を見た。

見てから、水場に近づいた。水を飲んだ。飲み終えて、石には触れずに離れた。

石はそこに残った。

風が台地の草を横に倒した。遠くで鳥が鳴いた。水場の水は、日が傾く頃には乾いた。石だけが、地面の窪みの中に残っていた。

それが何を意味するのか、第二の星は知らない。共存だったか、あるいは偶然だったか。しかし翌朝も、また翌々朝も、三番目の集団は同じ方向から現れ、同じ場所に立ち、水を飲んで去った。石は毎朝同じ場所にあった。

誰かが動かさなかったのか。誰かが戻して置いたのか。

第二の星はそれも見ていた。ただ見ていた。乾季が続く間、水場の石は動かなかった。草が倒れ、風が向きを変え、虫が地中深くに潜り、それでも石は動かなかった。

与えるもの

石が置かれた瞬間、温度が変わった。
水場の縁、日向と日陰の境目に、ひとつだけ陽が当たる場所があった。
そこだった。

その者(第38世代)は、その日、別の岩場にいた。水場から遠く、一連の出来事を知らなかった。
与えるものは、その温かい場所のことを考えた。
届けたい相手の前に、石はなかった。ではいつ渡すのか。次に渡すべきものが何かは、まだわからない。しかしここに温度があることは、確かだった。

その者(50〜55歳)

岩場の隅で、干した果実を噛んでいた。

固い。奥歯で押しつぶすと、繊維が歯の間に挟まった。その者は指で取り出そうとして、やめた。

遠くで唸り声がした。低い声だった。自分の集団のものとは違う音だった。

その者は立ち上がり、声の方向を見た。しかし岩が邪魔をして、何も見えなかった。

座り直した。また果実を噛んだ。

伝播:NOISE 人口:1,115
与えるものの観察:石は動かなかった。それが何かを意味するかもしれない。
───
第252話

紀元前298,750年

第二の星とその者(55〜60歳)

台地の縁で、雨が止んだ。

空の裂け目から差し込む光が、崖下の広い谷を照らした。南のほうに、別の集団の煙が三本、細く立っている。近い。以前より近い。去年も、その前の年も、煙は地平の外にあった。

その者は崖の端に座っていた。足を投げ出して、指の間に小石を挟んでいた。転がして、落として、また拾う。

谷の草原では、大人たちが動いている。何頭かの獣を追い込もうとしている。その者はそちらを見ない。目は煙に向いている。

南の集団が近づいている理由を、この台地の者たちは唸り声と腕の動きで話し合った。食いものがない、と年老いた雄が体全体で示した。食いものを探している、と別の者が言った。しかし話し合いは結論を出さない。結論を出すための言葉が、まだない。

その者の耳に、崖下の草の動く音が届いた。

獣ではない動き方だった。複数の足が、草を踏む音。方向がある。目的がある。その者は立ち上がり、崖の端から身を乗り出して見た。草原の端に、知らない顔が三つあった。

三つは、こちらを見ていた。

その者は声を出した。低く、長い声。集団への警告ではなく、ただの声だった。なぜそうしたか、その者にはわからない。腹の底から出てきた。

大人たちが振り返った。年老いた雄が走ってきた。崖の端を見て、谷の草原を見て、短く鋭い音を出した。若い雄たちが集まった。道具を持った者がいた。

その者は集団の後ろに押しやられた。

南の三人は草の中に消えた。追う者はいなかった。その夜、火の周りで長い話し合いがあった。その者は輪の外に座って、遠くの暗闇を見ていた。暗闇の中に煙はもうない。夜は煙を消す。しかし朝になればまた立つだろう。

五年が経つ間に、南の集団は三度来た。

一度目は三人だった。二度目は七人。石を投げ合い、一人が崖から落ちた。どちら側の者かは、遠くで見ていたその者にはわからなかった。三度目は声だけで終わった。大きな叫びが谷に響き、こちらの集団が叫び返し、それで終わった。

その者は三度とも、最初に気づいた。

崖の端に座り込んで、草の動き方を見ていた。風の向きが変わる前の、草の一瞬の静止を知っていた。それが草の都合なのか、足音の前触れなのか、その者には言葉がない。しかし体が知っていた。

年老いた雄が死んだのは、三度目の衝突から一年後のことだった。

夜中に激しく咳き込み、夜明けに咳が止まった。静かではなかった。最後まで音を立てていた。その者は隣に座っていなかった。離れた岩の上で、煙が立っているかどうかを確かめていた。

朝になって、年老いた雄が動かないことに気がついた。

その者は近づいた。顔を見た。目を開けたまま固まっていた。その者は岩を一つ拾って、その手に置いた。なぜそうしたかわからない。ただ置いた。

岩はその夜も翌朝も、手の上にあった。

与えるもの

草の根が持ち上げた土の隙間に、小さな水が染み出していた。

その者は通り過ぎた。

渡せなかったわけではない。渡した。届かなかった。

しかし、崖の端に座る癖を覚えた。それは渡したことの残骸か、それとも別の何かか。

次に渡すなら、静止の前の音を使う。草が黙る瞬間がある。その者はすでにそれを知っている。知っていることを、知っていると知らせる方法を、まだ持っていない。

伝播:DISTORTED 人口:1,113
与えるものの観察:崖の端に座る。それだけは続いている。
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第253話

紀元前298,745年

その者(60〜65歳)

崖の上で、その者は腹這いになっていた。

草が腹の下で湿っている。肘を土に押しつけ、下を見ていた。谷底に水が流れている。その向こうの斜面に、別の集団がいた。動いていた。数が見えた。多い。

その者は喉の奥で低く唸った。

後ろで、集団の雄たちが同じように腹這いになって谷を見ていた。誰も立たなかった。立てば見える。見えれば来る。それを体が知っていた。

向こうの集団が動いていた。水辺に降りる者がいた。子を連れた者がいた。老いた者もいた。その者は数えるという行為を持たなかったが、多いか少ないかを体が測っていた。多い、と喉が答えた。

去年の煙は遠かった。今年は谷の中に人がいた。

集団の長老格の雄が這って戻った。その者も続いた。草の中を腹で引きずって、崖の縁から離れた。立ち上がった瞬間、背中に汗が走った。

帰り道に、誰かが短く吠えた。威嚇ではなく、確認だった。全員が答えた。その者も喉から声を出した。

夜、火を囲んだ。誰もが普段と違う顔をしていた。声が少なかった。子どもたちが大人の顔を見て、遊ぶのをやめていた。

その者は火の向こうを見ていた。炎が揺れるたびに、長老格の顔が明暗に切り替わった。あの男は何を考えているか、その者にはわからなかった。

ただ、谷に降りた者たちの動き方が頭から離れなかった。子を連れていた。水を汲んでいた。自分たちと、何かが同じだった。

その者は火の近くに転がり、目を閉じた。眠れなかった。

第二の星

この時期、台地の上に二つの集団が存在した。

一方は長くここに根を下ろしていた。もう一方は南から押し上がってきていた。気候が安定した五年だった。実が多く実り、獣が肥えた。どちらの集団も数が増えた。増えたから、動いた。動いたから、ぶつかりそうになった。

豊かさが衝突の形をとることがある。

台地の気温はこの五年で少し上がっていた。北からの風が弱くなり、雨期が延びた。川の水量が増え、谷の植生が濃くなった。人が生きやすい場所が広がった。だから人が動いた。

崖の上からの視線と、谷の中の視線が、初めて交わった夜だった。

剥き出しの丘が東に連なっていた。西には密林が始まっていた。台地そのものは広い。しかし水場は少ない。水場に近い場所に、人が集まる。集まれば、狭くなる。

何かが変わる直前の静けさを、この星は知っていた。

与えるもの

火の匂いが変わった瞬間、この者の目が向かう場所に、木の根が露出していた。

この者は根を見た。それから向こうの集団の雄のことを考えた。根を見るのをやめた。

谷の者たちも子を連れていた。この者がそれに何かを感じたか、それとも脅威だけを見たか。次に渡すべきものが、まだわからない。ただ、今夜この者の目が向こうの子どもを追ったことは、覚えておく。

伝播:NOISE 人口:1,110
与えるものの観察:この者は向こうの子を目で追った。
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第254話

紀元前298,740年

その者(65〜69歳)

膝が曲がらなくなったのは、いつからだったか。

その者は崖の下の石場に座っていた。朝から動いていない。若い者たちが獣の跡を追って北へ消えた。子どもたちの声が遠ざかり、やがて聞こえなくなった。

膝の上に手を置いた。かさついた手のひらが、自分のものかどうかわからないような感触だった。

集団の中に、その者より年上の者はいない。それが何を意味するのか、その者には言葉がない。ただ、若い雄たちが自分を追い越していくとき、体の内側に何かが抜けていく感覚があった。

火の番をしていた。それだけはできた。

乾いた枝を一本ずつ折って、火の端に置く。火は小さくなりかけ、また戻る。その者は火を見ていた。炎が揺れると、岩の影も揺れる。影が揺れると、もうずいぶん昔に死んだ者の顔が浮かぶ気がした。顔ではなく、匂いだったかもしれない。

夕方、雌の一人が食べ残した肉を持ってきた。置いて、去った。その者は見ていた。手は動かなかった。

夜、横になった。

岩が背中に当たった。腰を少し動かした。岩はどこへも行かない。その者は動かすのをやめた。

空は晴れていた。星が多かった。

呼吸が浅くなっていくのを、その者はしばらくの間、感じていた。感じていた、というより、ただそこにあった。浅い息と、重い体と、遠い火の光と。

夜が深くなるにつれて、その者の胸は上がらなくなっていった。

誰も気づかなかった。火だけが燃えていた。

第二の星

その者が息をやめた夜、北の湿地では別の集団の若い雌が水を踏んで転び、声を上げた。泥の中に手をついて、笑った。遠い斜面では二頭の獣が鳴き交わしていた。星の下で、何かが産まれていた。何かが眠っていた。この星はどちらも等しく照らした。

与えるもの

糸は別の誰かへ向かった。

伝播:NOISE 人口:1,109
与えるものの観察:届かなくても、火は燃えていた
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第255話

紀元前298,735年

その者(12〜17歳)

荷が重い。

肩の皮がめくれて、ずっと前から滲んでいる。布もない。獣の皮の端を肩に当てているが、ずれる。また荷がずれる。

崖の上から下の集落まで、石を運ぶ。何度も。誰かに言われたわけではない。大きい者たちがそうしていたから、その者もそうしている。それだけのことだ。

十二歳のとき、火番を任された。夜、火の前に座って、細い枝を足していく。眠ってはいけない。眠ったら消える。消えたら殴られる。その者は一度だけ消した。殴られた。それ以来、眠らない。

今は昼だ。火は別の者が見ている。だから石を運ぶ。

四往復目に、足が止まった。

なぜ止まったのか、その者にはわからない。何かが変わったのではない。ただ、止まった。

風だった。

崖の縁から吹いてくる風が、ある方向だけ温かい。北ではなく、少し西に傾いた方向から。その者は荷を下ろさなかった。荷を担いだまま、顔をその方向に向けた。

温かさは消えた。

その者は荷を担ぎ直して、坂を下りた。

集落では、誰かが誰かを押していた。肉の分け前のことで、毎日どこかで揉めている。その者は端を回った。関係ない。荷を置いた。また崖を上る。

夕方、火番に戻る。

炎の前に座ると、体が重くなる。昼の疲れが下りてくる。細い枝を一本、折って、炎の端に置く。ゆっくり燃える。その者は燃え方を見る。急いで燃えるものと、ゆっくり燃えるものがある。それ以上のことは、考えない。

夜が深くなった。

集落の揉め事が、声になった。叫び声。走る足音。それから、沈黙。

その者は顔を上げなかった。火を見ていた。

第二の星

この時期、始まりの大地の北の端では、草原が広がっていた。乾期の初めで、風が強く、草が一方向に倒れていた。川の水位は低い。地面は固く、足跡が残る。

集落の数は増えている。小さな群れが分かれ、また合流する。そのたびに誰かが怪我をし、誰かが去り、誰かが残る。

豊かさは争いを増やした。食べるものがあるから、誰が多く持つかを問うようになった。腹が満たされると、目が横を向く。

五年間で、この大地に生まれた命は多い。幼くして消えた命も多い。残った者たちは丈夫か、あるいは運がよかったか、それを分けるものは誰にもわからない。

集団の端では、違う骨格の者たちが時折現れる。目が合えば、どちらかが退く。たいていは言葉のない距離が保たれる。ある夜、二つの群れが同じ水場に来た。互いを見た。そのまま、水を飲んだ。それだけだった。

この星は傾きもしない。ただ回る。光を当て続ける。

与えるもの

糸が繋がった。

温かい風を、その方向へ流した。

その者は顔を向けた。それで十分かどうかは、わからない。

渡したのは、方向だ。意味は渡していない。方向だけ。

炎の前に座るその者の横顔を、見ている。理解がなくても、渡すことをやめない理由を、まだうまく言えない。

かつて、何も届かなかった星のことを思う。届かなかったのではなく、届く前に終わったのかもしれない。

次に渡すべきものを、探している。

伝播:NOISE 人口:1,111
与えるものの観察:方向だけ渡した。意味は渡していない。
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第256話

紀元前298,730年

第二の星

乾季が終わった。
土は割れていたが、今は柔らかく、足が沈む深さまで戻っている。

大きな集団が三つ、始まりの大地の南側に集まっている。それぞれが異なる尾根を根城にしていて、昼は別々に動き、夜は火を離して燃やす。三つの火が夜に点在する。この星はどれも等しく照らす。

旧人の一群が北の岩場に出た。毛が濃く、肩が広い。彼らは石をほとんど加工しない。爪と歯で足りる場面では道具を使わない。集団のひとつがその一群と三日ほど近い場所にいた。争いはなかった。互いに距離を測り続けた。旧人は西へ消えた。

南の低地では、草食の獣が群れを変えた。例年より早い移動だった。集団のひとつが後を追って南へ延びた。残った者たちの中に、荷を運ぶ者がいる。

空は晴れている。
この5年で、この大地の人口は少し膨らんだ。子が生まれ、老いた者が減り、また子が生まれた。数は増えたが、蓄えの感覚がない。増えた分だけ消費が増えた。

三つの集団のうちひとつに、その者がいる。

与えるもの

岩の陰に、古い骨が半分土に埋まっていた。
獣の骨だ。先が細く、折れた断面が鋭い。

その者の足がそこを通った。
骨の断面が、沈む陽の光を受けて一瞬だけ白く光った。
その者は足を止めなかった。

光は消えた。

渡せなかったわけではない。届かなかっただけだ。
しかし別の者が、明日この場所を通るかもしれない。
渡すものは、ここにまだある。

その者(17〜22歳)

荷を担ぐ前に、肩に手を当てた。
皮がまだ硬い。乾いた血が固まって、触ると剥がれそうになる。

その日の荷は石だった。割られた石の塊を、麻の繊維を編んだ粗い袋に詰めて背負う。重さが肩に乗る。硬いところに当たらないように体を傾けるが、歩くうちにずれる。

崖の上から下まで、三往復した。

二往復目で、集団の別の男が近づいてきた。胸を突き出し、低い声を出した。荷の袋を指さした。その者は何も返さず、袋を少し持ち上げて見せた。男は去った。

三往復目は暗くなりかけていた。

戻ると、火の近くに場所がなかった。小さい子どもたちと、傷のある男たちが囲んでいた。その者は少し離れた岩に背をあずけた。地面が冷えていた。空腹だったが、食べるものを持っていなかった。誰かが投げてくれることもなかった。

火を遠くから見た。
揺れていた。

その者は目を細めた。見ていると眠くなった。寝た。

伝播:HERESY 人口:1,055
与えるものの観察:光を落とした。届かなかった。骨はまだある。
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第257話

紀元前298,725年

第二の星とその者(22〜27歳)

南の尾根に、雨期が来た。

雨は三日で土を飽和させ、四日目には斜面の細い道が滑り台になった。岩の間から水が湧き、干上がっていた窪みが池になり、水辺に草が伸びた。乾季に縮んでいたものが、一斉に膨れ上がるような季節だった。

その者は腹が減っていた。

朝から荷を運んでいた。皮に包まれた獣の骨と、積み上がった薪の束。尾根の上まで運んで、また下りて、また運ぶ。膝に泥がついていた。腕が震えていた。腹の音がした。

三つの集団は互いの火を見ながら、近づかなかった。

夜に北の群れが叫び声を上げた。南の群れが応じた。中央にいた者たちは黙っていた。その者が属していたのは中央の集団だった。叫び声の意味を理解するほどの解読力はなかったが、体が竦んだ。岩に背中をつけて、動かなかった。

朝になった。叫びはなかった。

竦みが解けると、腹の音がした。また、腹だった。

始まりの大地の北側では、別の群れが身を寄せて眠っていた。火はなかった。体を重ねて、風を避けていた。彼らの言葉に相当するものは、喉の奥からの音三種類だけだった。獲物を見たとき。危険が迫ったとき。夜に仲間を呼ぶとき。それだけで生きていた。

その者は、薪を集めに斜面を下りた。

濡れた地面に腐りかけた倒木があった。踏んだとき、足がめり込んで、木の内側から何かが崩れる音がした。その音を聞いて、その者は止まった。理由はわからなかった。ただ、止まった。

腐木の側面が割れていた。白い虫が密集していた。

その者はそれを手で掬い、口に入れた。噛むと脂が滲んだ。もう一度掬った。三度、掬った。薪を集めるのを忘れて、虫を食べ続けた。

その年、三つの集団のうち一つが移動した。

北の群れが尾根を離れ、東の低地へ下った。追う者はなかった。ただ、夜に点っていた火が一つ消えた。その者は、消えた火の方向をしばらく見ていた。何を考えていたか、わからない。顎を動かしていた。腹は満ちていた。

翌年、中央の集団で子が五人生まれた。

一人は冬を越せなかった。残りの四人は春に泣いていた。その者は子供の声が嫌いだった。近づかなかった。しかし夜、火の番をしながら、四人のうち一人が自分の足に触れた。その者は払いのけなかった。ただ、硬直した。

五年の間に、争いは一度起きた。

獣の死骸をめぐって。中央と南の集団が接触し、三人が傷を負い、一人が翌朝までに力を失った。その者は荷を運んでいる最中に叫び声を聞き、斜面の途中で荷を落として逃げた。荷は回収されなかった。

夕方、別の者から叩かれた。

その者は叩かれた側の腕を抱えて、岩の裏に回った。泣かなかった。座った。

与えるもの

腐木が音を立てた場所に、光が当たっていた。

雨上がりの午後に、雲の切れ間がちょうどそこに落ちていた。その者が足を踏み出す直前、足元が明るくなった。光の中に白いものが透けて見えた。

その者は止まった。そして食べた。

食べたのは空腹のためだった。光があったからではない。それでもよかった。届いたかどうかではなく、その者が止まったという事実がある。止まることを、この者は知っていた。

次に何を示すべきか、まだわからない。争いで人が死んだ夜、この者は岩の裏で座っていた。何も示さなかった。示せるものがなかった。いや、示せるものはあった。示したところで、この者が受け取るかどうかがわからなかった。それだけのことだ。次は、温度を使う。

伝播:NOISE 人口:1,061
与えるものの観察:止まることを、この者は持っていた
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第258話

紀元前298,720年

第二の星

雨期が終わりかけている。

湿った空気が北から乾いた風に押され、草原の端で二つが混じり合う場所がある。そこだけ霧が立つ。朝のあいだだけ、地面が白く見える。

平地の集団は七十を超えた。子が多く生まれた年が続いた結果で、老いた者の数はそれに比べて少ない。食料を求めて動く範囲が広がり、以前は別の集団が使っていた水場に足跡が混じるようになった。どちらの集団のものかはわからない。足跡はただ、そこにある。

崖の上の小さな群れは南に移動した。理由はわからない。煙の跡が残っているが、誰も戻ってこない。

川の上流で、旧い形の者たちが獣の骨を積んでいる。何のためかはわからない。積んでは崩れ、また積んでいる。

この星は、南の海から水蒸気を送り続けている。草が伸びる。虫が増える。それを食う者が増える。それを食う者が増える。連鎖の全部を照らすには、光が足りない。

与えるもの

水場の縁に、獣の血が落ちていた。

二日前のものだ。乾いて黒くなっている。その者が水を汲みに来たとき、血の臭いは消えていた。しかし土は、まだ柔らかかった。

風が吹いた。上流の方向から。

その者は水を汲んだ。風に顔を向けなかった。

上流に何かいる。この記憶は残るか。残らないかもしれない。しかし次に、上流から風が来たとき——渡すものはすでに変わっている。

その者(27〜32歳)

火が消えそうだった。

夜のあいだに雨が来て、薪の端が湿った。朝、その者は灰の中に顔を近づけ、息を吹いた。煙が出た。また吹いた。指で灰を掻きのけると、奥に赤いものが残っていた。細い枝を一本乗せた。燃えた。

それだけのことで、腹が鳴った。

水を汲みに行った。重い皮袋を肩に、斜面の道を下りた。道は昨夜の雨で抉れていて、左足が何度か滑った。

水場についた。水が増えていた。流れが速い。皮袋を沈めると、流れが袋を横に引いた。両足を踏ん張り、引き上げた。

帰り道、荷が重かった。途中で一度、岩に袋を置いた。座った。息をした。立った。

集団の場所に戻ると、子供が二人、火の近くで転がっていた。一人が泣いていた。その者は袋を置き、泣いている子の横に座った。泣き止むまで、何もしなかった。

泣き止んだ。その者は立ち上がり、薪を一本、火に乗せた。

伝播:NOISE 人口:1,063
与えるものの観察:上流の気配を渡した。届かなかった。
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第259話

紀元前298,715年

第二の星

乾季が来た。

北から吹く風が草を横に倒す。根もとだけが緑で、穂先はもう茶色い。水場が縮んでいる。岸の泥に、先週まで水があった跡が白く残る。塩が吹いたように。

平地の集団と、岩陵の集団が、同じ水場を使うようになって久しい。はじめは時間をずらしていた。夜明けと昼下がり。互いに見ないようにしながら、見ていた。

それが崩れたのは、水場がさらに小さくなってからだ。

岩陵の者たちが昼前に来るようになった。平地の者たちがまだそこにいる時間に。引かない。どちらも引かない。水が減れば減るほど、足が早くなる。

声が上がった。

唸りではなく、叫びに近い声だった。岩陵の大柄な者が、腕を広げて立った。平地の子が泣いた。母親が子を引き寄せた。

誰かが石を持った。

それだけで空気が変わる。石を持つということの意味を、言葉のない者たちも知っている。体が知っている。毛が逆立つように。

その日は、どちらも退いた。

しかし退き方が違った。岩陵の者たちは背を向けずに去った。足を止めては振り返り、また歩いた。平地の者たちは子どもを中心に固まって、岩陵の者たちが完全に見えなくなるまで動かなかった。

翌日も同じことが起きた。

石は持たれなかった。しかし持った者の顔を、互いが覚えていた。目が合った瞬間、その顔に緊張が走るのが見えた。記憶だ。言葉がなくても記憶はある。体に刻まれた記憶が、次の行動を作る。

三日目、岩陵の者たちが夜明けに来た。

平地の集団がまだ眠っているうちに、水を飲み、去った。足跡だけが残った。湿った泥に、深く。

平地の若い男が足跡を見つけた。

しゃがんで触れた。指先で縁をなぞった。立ち上がって、集団の中の古老に向かって唸った。古老は足跡を見て、長く黙った。

それからの五日で、平地の集団は動いた。

夜通し焚き火を絶やさなかった。交代で火を守り、眠る者と起きる者を分けた。それまでなかったやり方だ。誰かが始めた。広がった。

水場の近くに、尖った枝が何本か地面に刺さった。境界ではない。しかし境界のように機能し始めた。岩陵の者たちはその枝を見て、翌朝は来なかった。

草原の東端で、旧人の群れが動いているのが見えた。

二十ほどの影が、低い姿勢で草の中を進む。狩りではなかった。方向が水場に向いていた。平地の者たちは動かなかった。旧人が水を飲み、また草の中に消えるまで、声ひとつ立てなかった。

水場が三者の間にある。

草原の風が南に向きを変えた。草の匂いが変わる。雨の匂いではなく、乾いた土の匂い。水場はまだそこにある。しかし来月も同じ場所にあるかどうか、誰も知らない。

与えるもの

足跡に触れた若い男の指先が、湿った泥から離れる瞬間、その指の動きの残像に光が落ちた。輪郭だ。形が残るということ。

若い男は立ち上がり、古老に向かって唸った。足跡のことを伝えようとした。形を再現しようとは、しなかった。

形が残ることと、形を写すことは、別の行為だ。その隙間に、次に渡すべきものがある。まだ早いかもしれない。しかし問いとして持ち続ける。

その者(32〜37歳)

夜の火番をしていた。

薪が足りなくなって、暗い中を拾いに行った。戻ると、自分の場所に別の者が座っていた。

追い払う気にならなかった。別の岩に座って、火を見た。

集団が騒いでいる理由を、よく知らなかった。水場に近づくなと言われた。唸りと手振りで。そういうものだと思った。火は熱かった。それは知っていた。

伝播:HERESY 人口:1,013
与えるものの観察:形が残ることを、この者は問わなかった。
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第260話

紀元前298,710年

その者(37〜40歳)

石を運ぶ。

ただそれだけの仕事を、ずっとやってきた。重い石を背に載せ、軽い石は両手で抱え、言われた場所に置く。誰が言うわけでもない。目の動き、手の向き、それだけで十分だった。

乾いた季節が続いている。地面に亀裂が入り、その者の足の裏に似た模様を描く。足の裏も、もう久しく割れたままだ。水が足りないのか、皮が戻らない。

ある朝、集団の縁にいる者たちが唸り声を上げた。

向こうの尾根に、別の影がある。体型の違う、見慣れない輪郭が三つ、四つ。旧人だ。ここ数年で、この地域での目撃が増えている。水を求めて降りてきているのか、あるいはただ移動しているだけなのか、誰にもわからない。

その者は石を一つ持ったまま、遠くを見た。

見えているのかいないのか、判断しかねる顔で。

夜、火の番をしていた。いつもの仕事だ。他の者が眠り、その者だけが炎の前に座る。薪を足す。火が揺れる。また足す。

そこへ二人が来た。

別の集団から来た者たちではない。同じ集団の中の者だ。昼に尾根の影を指して声を上げていた者たちの中にいた、体の大きな二人。

その者は立ち上がった。

石を拾った、かもしれない。拾えなかった、かもしれない。

火が揺れた。誰かが踏んだか、息が乱れたか。

その者の体が、火から離れる方向へ倒れた。頭が地面を打った音だけが、眠っている者たちの近くに届いたが、誰も目を覚まさなかった。

火は燃え続けた。

二人は離れた。

夜が続いた。

その者は、そのまま朝を迎えなかった。草の上で、少し冷えた体が転がっていた。それだけのことだった。

第二の星

同じ夜、北の岩場では旧人の一群が眠っていた。子が一匹、岩の隙間から落ちかけて、母親の腕が引き戻した。雨は降らなかった。東の林では獣が水を飲み、飲み終えて暗がりに消えた。乾いた風が草を渡った。世界は静かだった。

与えるもの

糸は別の誰かへ向かった。

伝播:HERESY 人口:964
与えるものの観察:見ていることしかできない夜がある
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第261話

紀元前298,705年

その者

泥が指の間から出てくる。

押すと出てくる。引くと戻る。その者はまた押した。また出てきた。水場の縁、浅いところ。膝まで水に浸かって、ずっとそれをやっている。

後ろで何かが動いた。

振り返らない。大きな音ではなかった。でも体の後ろ側が緊張した。腹の下のほうが、きゅっと固くなった。その者は泥を押すのをやめた。

足音が複数ある。近い。

集団の者ではない。歩き方が違う。重心の落とし方が、知っている者たちと少しずれている。その者にはそれがわからないが、首の毛が逆立つ感覚はわかる。

その者は泥から手を抜いた。立ち上がらなかった。しゃがんだまま、水の中に低くなった。

葦の影に入った。

声がした。唸り声ではなく、もっと低い音だった。その者の集団が出す音とは違う。響きが違う。その者はそれを言葉で知らないが、腸の奥で知っている。

影が水面に落ちた。二つ。

その者は息を止めた。

長い時間が過ぎた。影が動いた。遠ざかった。足音が薄くなった。消えた。

その者はしばらく動かなかった。水が冷たかった。膝から下が痺れてきた。それでも動かなかった。

やがて、遠くで集団の誰かが出す音がした。知っている声だった。その者は立ち上がった。水から出た。走った。

泥はまだ指の間についていた。

第二の星

乾燥が続いていた五年間が、ゆっくりと終わろうとしている。

水場が戻りつつある。草が伸び、獣が集まる。始まりの大地の東の低地では、雨季の兆候が地形に滲み始めた。粘土質の土が柔らかくなり、足跡が深く残るようになった。

人の集団も動いている。水を追う。草を追う。その移動が、かつては広かった空白を埋め始めた。

異なる集団が同じ水場に近づく。それは今に始まったことではない。だがこの時期、水が少ない場所に多くの者が集まると、何かが変わる。目と目が合う時間が長くなる。互いの声の調子を体が覚える。それがやがて何かになるのか、何でもないまま終わるのか、この星には分からない。

命が増えている。子が生まれ、育っている者が多い。しかし増えるものは争いも同じだった。

水場の縁に、小さな足跡が残っていた。その隣に、別の集団のものと思われる大きな足跡がある。二つの足跡は交差していない。それだけのことだ。

与えるもの

葦が揺れた。風ではなく、水面の動きで。

その者は気づいて、低くなった。

受け取った、と思う。腸で知っていた。言葉より先に。

次に渡すべきものが何かを、まだ考えている。腸で知る者が、次に何を必要とするのか。生き延びることと、渡すことの間には、まだ長い距離がある。

糸が繋がったばかりだ。

伝播:HERESY 人口:917
与えるものの観察:腸が知っていた。言葉より先に体が動いた。
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第262話

紀元前298,700年

第二の星とその者(8〜13歳)

川が先に変わった。

上流の雨は三日続いた。岩盤の水が満ちて、土が湿って、根が水を吸えなくなった。川床の石が動き始め、流れが色を変えた。泡立つ茶色の水が岸を削り、浅瀬が消えた。

その者は崖の上にいた。水が光っているのを見ていた。普段より遠くまで見えた。

水は海から来た。

遠く、沖合で地面が揺れた。その揺れは水に伝わり、波になった。波は高く、広く、陸に向かって動いた。始まりの大地の低地に住んでいた者たちは、水が来るまで何も知らなかった。焚き火の煙が上がっているところに、茶色い壁が来た。煙は一瞬で消えた。

その者がいた崖は高かった。水はそこまで届かなかった。

しかし崖の下は届いた。

声が聞こえた。それから聞こえなくなった。

その者は腹ばいになって下を見た。泥と水と、動かないものが見えた。動いているものもあったが、少しだった。波は引いていた。引く波の力は来る波の力と変わらなかった。立っていた者が何人か足を取られて消えた。

その者は崖から離れなかった。

爪が岩に食い込んでいた。

波が引いた後、始まりの大地に残ったのは、三分の一以上が消えた沈黙だった。

高地から海を見ると、水が普段より内側にまで来ていた。砂浜だったものが消えて、岩が露出していた。鳥が舞っていた。鳥にとってそれは食べ物の場所だった。鳥は鳴いていた。

遠い場所で、別の川が別の理由で氾濫していた。人はいなかった。ただ水が満ちて、木が倒れて、濁った水が流れた。それだけだった。

崖を降りたのは、水が完全に引いた後だった。

泥の上に足を置いた。沈んだ。抜いた。また沈んだ。泥は温かかった。日差しが当たっていたのかもしれなかった。

いつも火がある場所に来た。火はなかった。煙の跡があった。黒い円が地面に残っていた。濡れていた。

その者はその円の中心に立った。足の下で何かが崩れた。炭だった。

誰かを探した。

泥の中に足跡があった。二つ、三つ。向きがばらばらだった。その者はそのうちの一つを選んで追った。何の根拠もなかった。においがした方向だったかもしれない。

足跡は崖の反対側に続いていた。生きている者が何人かいた。その者より小さい者、その者より大きい者。目が合った。だれも声を出さなかった。

集団の中に、旧人の姿があった。

以前からそこにいた。近くにいることは普通だった。今日は特に近かった。距離が縮まっていた。水が縮めたのか、残った者が引き寄せ合ったのか、わからなかった。

どちらの集団にも、死者があった。どちらの集団にも、生き残りがいた。

その夜、火は一つだった。

**与えるもの**

崖の縁。

温度が変わった。岩が冷えていた。背中に感じる岩の冷たさ。那麻が張り付くように、その者は離れなかった。

その者は離れなかった。

腸で何かを知る者が、生き延びた後に何を必要とするのか。まだわからない。次に渡すべきものが何かを、今も考えている。

伝播:HERESY 人口:611
与えるものの観察:崖から離れなかった。腸が先に知っていた。
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第263話

紀元前298,695年

第二の星

乾季の終わりに近い。

草原の南では、オリックスに似た獣が群れを割って移動している。先頭の雌が方向を変えると、群れ全体がそれに続く。理由は草の質なのか、風の匂いなのか、地面の振動なのか、それを知るのは雌だけだ。

川沿いの湿地では、葦が倒伏したままだ。洪水が押した向きに、すべての葦が同じ方向を向いている。そこに鳥が戻ってきている。泥の上に足跡を残しながら、嘴で水底を探っている。

北の崖では、旧人の集団が岩の陰で眠っている。毛皮は薄く、体は大きい。子は一人しかいない。

同じ大地の、川を三つ越えた場所に、新しい集団が来ている。どこから来たのかは不明だ。皮の扱い方が、ここの者たちと似ているが、少しだけ違う。火の作り方も、少し違う。彼らは互いの存在を、まだ知らない。

洪水の傷が残る岸辺では、土が剥がれて白い層が露出している。その断面に、誰も気づいていない貝の殻が埋まっている。水があった時代の記憶を、その殻が閉じ込めている。

夜、温度が下がる。

与えるもの

獣の内臓の匂いが漂った。

処理の途中で放置された臓腑から、少し離れた場所に。そこに何かいた。

光がそこへ落ちた——正午の、短い直射光が、草を割って地面を照らした。

その者は臓腑に集まる虫を見ていた。

光の先には、旧人の集団の足跡があった。

その者は虫を見続けた。

同じ失敗だろうか。いや、失敗とも言えない。虫の動きに何かがあった。そちらを示すべきだったか。では次は何を示すか。足跡か。方向か。逃げる先か。

渡せるものはまだある。

その者(13〜18歳)

骨を割った。

中の白い部分を指でかき出して、口に入れた。

苦くない。柔らかい。飲み込む前に舌で何度も押した。

集団の中に、この骨を割ることを知らない者がいる。その者よりも年上の者が、骨を捨てる。腹が減っているのに捨てる。

理解できない。

腕に傷がある。洪水の夜、流木が当たった。皮が破れ、膿んで、今は乾いた殻になっている。触ると引っ張られる感覚がある。触るのをやめない。

昼に集団が動いた。

南の方角を、大人たちが指で示し合っている。何かがあるのかもしれない。何がかはわからない。

ついていく。

草の中を歩いていると、臓腑の匂いがした。獣の腹を裂いた後の、鉄に似た匂い。

立ち止まった。

誰かがここで何かを処理した。最近だ。まだ虫が多い。

集団から離れた。

臓腑の近くにしゃがんで、虫の動きを見た。何を食べているのか。どこから来たのか。

光が草の間から落ちてきた。

その者は虫の動きを見続けた。

大人の一人が戻ってきて、腕を引いた。

立ち上がる。

何かが気になった。

何が気になったのか、もう一度腕を引かれる前には思い出せなかった。

伝播:HERESY 人口:589
与えるものの観察:足跡を示した。虫に負けた。
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第264話

紀元前298,690年

第二の星

草原の北端で、岩盤が割れていた。

冬の間に浸み込んだ水が凍り、膨張し、岩の内側から押し広げた。春になって氷が溶けると、亀裂だけが残った。その亀裂に沿って、小さな植物が根を伸ばしていた。亀裂は毎年深くなる。岩は気づかない。

東から西へ流れる川の上流で、岩盤の一部が崩れ落ちた。大きな音だった。鳥が一斉に飛び立ち、しばらく戻らなかった。崩れた岩は川底を塞ぎ、水流が変わった。これまで南へ流れていた支流が細り、かわりに北へ向かって新しい浅瀬が広がり始めた。

水が来たところに草が来る。草が来たところに獣が来る。

その変化はゆっくりだった。ひと世代では気づかないほどゆっくりだった。しかし確かに動いていた。北の浅瀬に、これまで見なかった跡が残るようになった。蹄の形が違った。爪の間隔が違った。草の踏み方が違った。

集団の境界の少し北に、その跡があった。

境界というのは岩の並びでも川の線でもなかった。ここまでは自分たちの獣がいる、という感覚の境界だった。匂いで覚えていた。特定の灌木の密度で覚えていた。その感覚の縁を、見知らぬ跡が越えていた。

跡を見つけた者は、声を上げた。

その声の意味を全員が知っていたわけではない。しかし声の高さと速さは意味を持っていた。集団の中の古い者が、その声に反応した。立ち上がり、声のした方向を見た。見たまま動かなかった。

その日、火の周りに集まる数が増えた。

理由を説明した者はいなかった。言葉がないからではなく、説明しなくても伝わっていたからだ。臭いが変わった。跡が来た。火を大きくした。それだけで十分だった。

夜、南から別の集団の声が聞こえた。

遠かった。木々に遮られ、風に散らされ、言葉にならない唸り声が断片的に届いた。この集団の古い者が、その声を聞いた。長く聞いた。何も言わなかった。

そのまま夜が深まった。

火は燃えていた。跡は北の浅瀬に残ったままだった。川の上流では岩が川底に沈んでいた。水はその形に沿って流れ方を変え続けていた。

朝、古い者が若い者を連れて境界の北へ向かった。跡を確認するためだった。若い者たちは棒を持った。持ってから、なぜ持ったのか考えなかった。手が先に動いていた。

跡は深くなっていた。

前日より数が増えていた。古い者はしゃがみ込み、爪先で土を触れた。匂いを嗅いだ。立ち上がり、来た方向を振り返り、また跡を見た。何も言わなかった。しかし帰り道は速かった。

火の周りで、集団全体が集まった。

声が重なった。高い声、低い声、短く切れる声、長く伸びる声。それは言語ではなかった。しかし情報だった。どこで、どれだけ、どの向きに。身体が動いた。子どもを内側に集めた。老いた者が外側に立った。順序を決めた者はいなかった。そうなった。

南からの声は、その夜も聞こえた。

少し近かった。

与えるもの

風が北から吹いた。

見知らぬ跡の残った浅瀬の方向から、その匂いが来た。草の匂いではなかった。獣の匂いでもなかった。濡れた毛皮と、煙と、何か別のものが混じっていた。

その者の鼻が動いた。

一度だけ、その方向を向いた。それから火の方に戻った。

あの匂いは、自分たちのものではなかった。まだその者には区別がない。しかし鼻だけが知っていた。鼻は正直だ。次に渡すべきものがある。それが届く前に、跡が先に届くかもしれない。

その者(18〜23歳)

棒を拾った。

理由を知らなかった。周りの者が持っていたから持った。重かった。しばらく持ち歩いて、地面に置いた。

南から声が来たとき、また拾った。

伝播:DISTORTED 人口:599
与えるものの観察:匂いだけが届いた。言葉がないから確かだった。