紀元前298,445年
丘の斜面を、跪いて嗅いだ。
土が湿っている。昨夜の雨ではない。もっと深いところから来ている。岩の割れ目から染み出す水のにおい、あの冷たさ。舌より先に鼻が思い出す。
立ち上がって、斜面を下りた。
夏が来て、集団は大きくなっていた。腹の大きな女が三人いた。男たちは肩を張って歩き、縄張りを意識した声を出した。食物は余っていたが、余るほど争いの種になった。誰がどこで眠るか。誰がどの女の近くにいるか。それだけのことで唸り声が上がり、石が飛んだ。
その者はそういう争いから離れていた。
足の裏で地面を読む。草の倒れ方、糞の新しさ、踏み跡の深さ。獲物の通り道は移動のたびに変わる。新しい野営地に来て、その者はまだ地形を覚え切れていなかった。北の稜線、東の崖、南の茂み。体に刻まれた地図を作り直している最中だった。
斜面を下り切ったところに、岩が集まっていた。
苔が厚い。水が長くそこにあった証拠だ。その者は岩と岩の隙間に手を入れた。冷たかった。指先が濡れた。
水場を見つけたのだ。
集団に戻る前に、その者はしばらくそこにいた。冷たさが手首まで上がってくる。飲んだ。額をつけた。岩が頬を押し返した。
夕方、野営地で争いがあった。
二人の男が取っ組み合った。長く続いた豊穣が二人を膨らませていた。食物でも女でもなく、もはや理由もなかった。ただ互いの存在が耐えられなかった。
その者は離れたところから見ていた。
一人が倒れた。立ち上がれなかった。頭を岩で打ったのだ。仲間が引き寄せた。痙攣した。夜の間に止まった。
朝、穴を掘った。
その者も掘った。土が固かった。爪に黒いものが詰まった。
埋めた。押さえた。立った。
その者は水場の方角を振り返った。北東の稜線の向こう。覚えた。体の中に刻んだ。あそこに水がある。何があっても、あそこに行けば水がある。
それだけのことを、胸の奥でもう一度、繰り返した。
丘の上の野営地で、煙が上がっている。
乾いた高台は水から遠いが、川の増水は届かない。集団はそこで日を重ねた。腹の大きな女たちが次々に産んだ。半数は声を上げずに終わったが、残りは泣き続けた。その声が丘の下まで届いた夜があった。
大地はこの季節、草を盛り上げた。根を張り、実をつけ、虫を呼んだ。獣が草を食み、草を食む獣を別の獣が待った。連鎖は静かに動いていた。
ただ、集団の中では別の動きがあった。
人が増えると、音が増えた。声が重なり、空間が狭くなった。誰かが誰かの前に立つだけで、空気が変わった。この緊張は草原の縁で起きる獣同士の緊張と形が似ていた。縄張りがあり、優位がある。しかし獣は決着がつけば次へ進む。この集団のそれは、夜になっても続いた。
岩で打たれた男は土の下に入った。
その夜、星がひとつ流れた。誰も見ていなかった。
東の台地では別の集団が同じ夜を過ごしていた。火を囲み、子をあやし、眠れない者が空を見ていた。距離は遠く、声は届かなかった。しかし彼らも水場を探していた。その夜も、水場を。
岩の隙間に光を落とした。
冷たさが指先まで届いた。その者は飲んだ。
飲んだ。それだけか。しかし、あの冷たさを体が覚えた。あの方角を体が覚えた。次に渡すなら、渡す先を変えてみるべきか。それとも、覚えることそのものが、すでに何かを変えているのか。