2033年、人類の旅

「紀元前298,205年〜紀元前298,085年」第361話〜第384話

Day 16 — 2026/04/18

読了時間 約55分

第361話

紀元前298,205年

その者(16〜17歳)

熱は三日前から始まった。

最初は火の番をしているときに気づいた。炎の色が変に見えた。赤がいつもより多かった。それだけだと思った。薪を足した。ちゃんと燃えた。

翌朝、体が立ちたがらなかった。

膝が地面についたまま、手をついたまま、そこにいた。年上の女が顔を覗き込んだ。何か低い音を出した。立てという意味かもしれなかった。立てなかった。

横にされた。

岩の陰に置かれた。そこは風がこなかった。日の当たる時間が短かった。熱の体には冷たかった。だが誰も動かさなかった。

集団の緊張は別のところにあった。

数日前から、岩の向こうに別の影が見えていた。背の高い影。歩き方が違う影。集団の中の大人たちは声を立てずに動いていた。目が同じ方向を向いていた。この者は影のことを知っていた。影が近づくたびに大人の体が固くなるのを、火の横で見ていた。

熱の中で、このことを何度か思った。

岩の向こうの影。大人の固い体。

何か冷たいものが腹の奥にあった。熱とは別のものだった。

三日目の昼、日が中天を過ぎたあたりで、集団の中に動きがあった。何人かが声を出し、体をぶつけ合い、それからしばらくしてまた静かになった。この者は岩の陰から首を持ち上げようとした。持ち上がらなかった。

地面が冷たかった。

体の熱が地面に吸われていくような気がした。そうではないとわかっていたが、そう感じた。

風があった。

その風が運んでくるものを、体が知っていた。煙の匂い。遠い草の匂い。水場の匂い。それから、血の匂い。

集団のほうから、誰かが来た。大人の男だった。この者を見た。しばらく見ていた。それから去った。

この者は地面を指でなぞった。

何も書こうとしていなかった。ただ指が動いた。砂が動いた。線ができた。意味はなかった。

指が止まった。

また動いた。今度は別の方向に。岩の粒を端に寄せた。そこに小さな窪みができた。それを見た。

それだけだった。

体が静かになったのはそれからすぐのことで、熱が引いたのではなかった。引いたのは別のものだった。

第二の星

乾いた台地の縁で、旧人の一団が水を飲んでいた。川は細く、岩底が透けていた。北の密林では何かの獣が倒れ、ハゲワシが輪を描いていた。遠い海岸線では波が砂を削り、新しい砂浜の形が生まれつつあった。この星は誰の死にも気づかない。ただ動く。

与えるもの

糸は別の誰かへ向かった。

伝播:HERESY 人口:496
与えるものの観察:渡した。届いたかは今も問いのまま。
───
第362話

紀元前298,200年

第二の星とその者(35〜40歳)

大地の南に乾季が来た。草が黄ばみ、水場が縮んだ。獣の蹄の跡が北へ向かっていた。

その者は跡を読んだ。膝をついて鼻を地に近づけ、土の匂いを吸った。古い。二日は経っている。立ち上がり、北の稜線を見た。

北の斜面に、別の煙が立っていた。群れの煙ではない。

乾季は半年続いた。水場をめぐる争いが三度起きた。岩を投げ、歯を剥き、血が出た。どちらの集団も引かず、どちらも十分に飲めなかった。

その者は争いの端にいた。先頭に立つ者として吠えたが、相手の集団も吠え返した。声の大きさは同じだった。体の大きさも。その者は一歩引いた。群れの仲間たちも引いた。水場には近づけなかった。

雨が来たのは六十日後だった。水場が戻った。別の集団は東へ動いた。

その者は水を飲んだ。腹いっぱい飲んだ。それから岩の上に座って、煙が消えた東の空を見た。何も考えなかった。ただ見た。

年が変わり、草が戻った。獣も戻った。その者は走った。三十五歳の体はまだ速かったが、以前より息が上がるのが早かった。丘を越えたあとで膝に手をついた。若い者が先に行った。

その者は立ち止まったまま、若い者の背中を見た。

群れの子が二人、同じ季節に死んだ。一人は熱で、一人は獣に踏まれた。どちらも幼かった。どちらも声が大きかった。

その者は子の亡骸を遠い崖の下に置いてきた。群れの習いだった。崖を下りるとき、足元の砂利が崩れて膝をついた。傷は浅かった。血が少し滲んで、止まった。

五年の終わりに、その者の呼吸が変わった。夜、横になると胸に重さがあった。朝には消えた。昼間は走れた。しかし夜ごと、重さは少し増した。

その者はそれを誰にも伝えなかった。伝える言葉がなかった。ただ夜、焚き火の横で岩に背を預け、胸に手を当てた。重さを確かめた。重さはそこにあった。

与えるもの

風が北から吹いた。

水場に向かう足跡の、少し右側に。

その者はそちらへ向かわなかった。

そこに何があったかは、わからないままだ。

しかし風は吹いた。それだけは確かだ。

次に何を送るか。胸の重さを知っている者に、渡せるものがあるとすれば。

糸は繋がっている。

伝播:SPREAD 人口:512
与えるものの観察:胸の重さを確かめる手が、渡せる場所かもしれない
───
第363話

紀元前298,195年

その者(40〜42歳)

雨が五年続いた。

草が腰まで伸びた。獣の群れが増えた。子が生まれ、また生まれた。集団はどこもかしこも人の声と匂いで満ちた。

その者は走り続けた。

獲物を追う。前に出る。群れの先頭で石を投げる。それが四十年だった。脚が動く限り、それをした。膝の内側がずっと痛んでいたが、止まらなかった。止まり方を知らなかった。

豊かな季節が長すぎると、集団同士が近づく。食べるものが多くても、場所はひとつしかない。

草原の端に、別の匂いがした。

その者は鼻を上げた。煙ではない。肉ではない。知らない汗の匂いだった。

唸った。

後ろの者たちが立ち止まった。

翌朝、接触があった。草の中から影が三つ出てきた。体格が違った。眉骨が厚く、腕が長かった。どちらも武器を持っていた。どちらも下ろさなかった。

その者は前に出た。

胸を見せた。逃げないということだった。

長い沈黙があった。石が一つ、草の上に置かれた。その者は拾わなかった。置いたままにした。

三つの影は消えた。

その日の夜、その者は川の上流へ一人で行った。なぜかはわからない。ただ脚がそちらへ向いた。

岩が濡れていた。

踏んだ。

脚が滑った。

音がした。岩と肉の音だった。

水が流れ続けた。

その者は仰向けに浮いた。空が見えた。流れが速くなった。流れが速くなった。

その者の体は岩盤に止まった。水はその上を越えていった。

第二の星

同じ頃、大地の北の端では二つの集団が初めて同じ火を囲んでいた。言葉はなかった。それでも誰かが肉の塊を差し出し、誰かが受け取った。東の平原では子が生まれ、産んだ女が力を使い果たしてそのまま動かなくなった。子は泣いていた。星は区別しなかった。

与えるもの

川の上流に、風がある方向から吹いた。

その者の首元に触れた、最後の温度を、この者は感じなかった。

それは別の誰かへ向かった。

伝播:DISTORTED 人口:666
与えるものの観察:渡した温度は届かなかった。次へ。
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第364話

紀元前298,190年

第二の星

五年分の水が大地に染み込んだ。

草は枯れる前に倒れた。重さで折れた。腰まであった茎が泥に沈み、根ごと腐った。においが広がった。甘く、重く、のどに引っかかるにおいだった。獣がそれを嗅いで遠ざかった。群れが消えた方向に、別の集団の人間の足跡があった。

乾季が来た。

来なかった。

草の腐臭が消えたころ、土がひびわれた。川が細くなった。細くなったまま、戻らなかった。

集団が動いた。いくつもの集団が同じ方向へ向かった。水のあるところへ。南の低地に、岩の間を縫って流れる細い川があった。そこに人が集まった。旧人もいた。体の大きな者たちだった。額が広く、眉の骨が張り出していた。彼らはもともとその川のそばにいた。

二つの集団が川の前で向き合った。

声はなかった。唸りがあった。低く、腹から出る音だった。子供を抱えた女が後退した。若い男が前に出た。石を握っていた。

旧人の一人が腕を広げた。

それが何を意味したか、誰も確かめなかった。

石が飛んだ。誰が投げたかは見ていた者によって違う。旧人の男が倒れた。額から血が出た。旧人たちが動いた。早かった。若い男の一人が岩の縁に追い詰められ、そのまま消えた。音がした。遠く、低く。

それから静かになった。

川は残った。

旧人たちは去った。去る前に、水を飲んだ。人間たちも水を飲んだ。同じ川から、少し距離をおいて。

夜、火を囲んだ。誰かが唸った。誰かが応じた。それだけだった。倒れた者のことを指す身振りはなかった。消えた者のことも。

空に雲はなかった。星が多かった。

子供が泣いた。母親が胸に抱いた。火が揺れた。

与えるもの

川の水面に光が落ちた。よどみのない場所、底が見えるところだけ。

その者は光の中に顔を突っ込んだ。水を飲んだ。それから顔を上げた。

——飲んだ。それでいい。次に渡すべきものが、まだわからない。この者は何を見るだろう。

その者(1〜6歳)

母親の背にいた。揺れていた。揺れが止まった。唸り声がした。体が固くなるのを感じた。母の背中の筋肉が、硬く。

泣いた。

誰かの手が口を塞いだ。暗かった。

やがて揺れが戻った。水のにおいがした。口元に水が触れた。飲んだ。

伝播:HERESY 人口:637
与えるものの観察:糸が繋がった。この者はまだ揺れているだけだ。
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第365話

紀元前298,185年

第二の星

草の匂いが変わった季節の終わりに、大地の奥から低い音が届いた。

地平の彼方、乾いた台地では、別の集団の者たちが岩棚の下に身を寄せていた。旧人の一群が数日前から同じ水場を使うようになっていた。双方とも近づかなかった。しかし互いの煙の匂いを知っていた。夜、炎の色が二箇所に灯った。

湿地の縁では、生まれて間もない者が泥の上に置かれたまま、朝になっても動かなかった。誰かが傍に座り続けた。やがて立ち上がり、別の方向へ歩いた。

集団の中で、この5年間に生まれた者と、この5年間に消えた者が、それぞれいた。

腐った草の臭気は薄れていた。代わりに乾いた風が来ていた。泥が固まり始め、その上に獣の足跡が点々と残った。集団は移動を始める気配を持ちながら、まだ動いていなかった。

遠くで雷が鳴った。雨は来なかった。

与えるもの

乾いた土の割れ目から、草の茎が一本、斜めに伸びていた。

風が止んだ瞬間、その茎の向こうに、獣の通った跡があった。

この者の足がそちらへ向かうかどうかを、与えるものは見ていた。足は止まった。獣の跡ではなく、割れた地面の縁に腰を下ろした。

渡そうとしたものは、逃げる方向だった。この者はそれを受け取らなかった。しかし座ったまま、長い時間、跡の形を見ていた。次に渡すなら、もっと近く、もっと体の内側に届くものが要るのかもしれない。

その者(6〜11歳)

泥が固まった地面は、去年と音が違った。足を踏み下ろすと、乾いた低い音がした。去年は沈んだ。今年は鳴る。

その者は何度も踏んだ。

同じ場所を。同じ力で。毎回、同じ音がした。

集団の中に、背の高い者がいた。その者より頭ひとつ分大きかった。ある朝、その者が干した皮の臭いをかいでいると、背の高い者が腕を掴んで引いた。痛かった。手を振り払うと、背の高い者は去った。

その後、その者は同じ皮を何度も臭いでいた。何かが違う気がした。でも何が違うのか、音も言葉も出なかった。

獣の跡を見つけたのは夕方だった。

前足と後足の間隔。深さ。向き。その者は跡の傍に長くいた。指で縁をなぞった。土が崩れた。

やがて立ち上がり、跡とは反対の方向へ戻った。

夜、火の傍で、別の子が泣いていた。その者はその子を見ていた。なぜ泣いているのか、わからなかった。しかし隣に座った。子は泣き続けた。その者は動かなかった。

火が小さくなった。

伝播:NOISE 人口:644
与えるものの観察:跡の形を、長く見ていた。
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第366話

紀元前298,180年

その者(11〜16歳)

腹が減っていた。

岩の縁に張りついた苔を剥がして口に入れた。苦かった。飲み込んだ。また剥がした。

群れは川下に移っていた。水場が変わったのは三日前だ。旧人の煙の匂いが上流から来るようになって、大人たちが唸り声を出し、向きを変えた。その者は最後尾をついた。荷物はなかった。持ち物がなかった。

新しい水場は浅くて、岸が泥だった。

その者は泥の縁に膝をついて水を飲んだ。顔が映った。水が揺れて、崩れた。また揺れた。

水の匂いが違う。鉄のような、重い匂い。飲み込むたびに舌の奥にそれが残った。

その夜、群れの中で唸り声が上がった。老いた女が横になったまま起き上がれなかった。その者は遠くから見ていた。大人が数人、その女を囲んだ。触れた。離れた。また触れた。夜が深くなっても、その者は眠れなかった。

翌朝、女はいなかった。

群れは動かなかった。その者も動かなかった。

川のほうで鳥が鳴いた。岩の影が伸びた。誰も何も言わなかった。

その者は泥の上に手をついた。立ち上がろうとして、止まった。手の形が泥に残っていた。五本の窪み。その者はそれを見た。見続けた。もう一方の手を、隣に押しつけた。また五本。

二つの形が並んだ。

しばらく、その形を見ていた。それから、川に向かって歩いた。

第二の星

この五年間、乾いた季節と湿った季節が等しく来た。大地は安定していた。しかし安定が穏やかさを意味しない。

川の流れが変わった年があった。上流で何かが崩れ、砂と岩が流れを塞いだ。水場は移動を強いた。それに伴い、複数の集団が同じ土地に押し込められた。

旧人との距離が縮まった。双方は近づかなかった。しかし互いの気配を知るようになった。煙の匂い、足跡の形、石を打つ音。知ることと触れることは違う。それでも、知ることは何かを変える。

人口は緩やかに増えた。五年前より少し多い。子が死ぬ速さより、生まれる速さが少しだけ上回った。

集団の内部では、老いた者が減り、若い者が増えた。知恵を持つ者が死に、経験の浅い者が中心になった。それは損失だったかもしれない。あるいは単に、入れ替わりだったかもしれない。

この星はどちらとも言わない。

泥の縁に残った二つの手形を、次の雨が消した。

与えるもの

水の重さが変わっていた。その縁に光を落とした。

その者は水面を見た。自分の手を泥に押しつけた。

形が残ることを、初めて知った顔をしていた。それとも、いつもそういう顔をしているのか。わからない。だが次に渡すなら、残るものだ。消えないうちに、もう一度。

伝播:NOISE 人口:650
与えるものの観察:形が残ることを、この者は知ったか
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第367話

紀元前298,175年

第二の星

穏やかな季節が重なっていた。

乾期が短く、雨が均等に降り、草が深く根を張った。獣の群れは水場から離れず、肉は腐る前に食べ切れた。子が多く生まれ、その子がまた子を産む年齢まで生き延びた。集団はかつてないほど大きくなっていた。

始まりの大地の北端では、二つの集団が同じ木の実の茂みを挟んで向かい合っていた。数日、唸り声と視線だけで睨み合い、やがて片方が南へ動いた。血は流れなかった。今回は。

遥か西、乾いた台地の縁に沿って、旧人の一群が移動を続けていた。額の骨が張り出し、腕が長く、歩き方が違う。彼らは川沿いの岩陰に休み、石を石で打って刃を作り、魚を岩で押さえた。夜、火の周りで声を出した。音の高さが変わった。誰かに向けられた音だった。

大地は静かだった。この静けさ自体が、何かを溜めているような重さを持っていた。

水面は揺れなかった。風は同じ方向から来た。

与えるもの

何かが重い、と思う。これが疲れというものなのかはわからない。ただ、重い。

泥の窪みを覚えている。二つ並んだもの。誰のものだったか、わからない。渡した先が消えたことがある。何度もある。それでも渡す。渡す以外のことを知らない。

この者の皮膚が、今、熱を持っている。

その熱が集まっている場所、肋骨の下、硬くなった筋肉の隙間。そこに向けて、温度が変わった。風が止んだ。止んだ瞬間の無音を、この者がどう受け取るかはわからない。渡した。

次に渡すべきものがある。まだ形が定まっていない。

その者(16〜21歳)

腹が張っていた。珍しいことだった。

午後に捕った小動物の内臓を、火の傍で炙って食べた。焦げた皮が歯に挟まった。舌で取った。また食べた。

群れの中に、腕の太い成体が三人いる。そのうちの一人が、この者の横に座った。特に何もしなかった。ただ座った。温度が増した。

夕方、風が止んだ。

急に止んだのではなく、少しずつ弱まって、最後の一息のように消えた。草の音がなくなった。焚き火の煙が真上に伸びた。

その者は顔を上げた。

空を見たのではない。何かを探したのでもない。ただ、顔が上に向いた。

肋骨の下が、硬かった。いつもと同じ硬さではなかった。押すような感覚があった。内側から。

その者は立ち上がり、数歩歩いて、止まった。戻る理由も、進む理由もなかった。

焚き火の方から、誰かが唸った。子どもを呼ぶ声だった。その者は向き直った。歩いて戻った。

肋骨の下の硬さは、そのまま残った。

伝播:SILENCE 人口:845
与えるものの観察:風が止んだ。受け取ったかどうかは、まだわからない。
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第368話

紀元前298,170年

その者(21〜26歳)

雨が降った夜に生まれた子が、今は膝まで届く。

その者は自分の腕の中で育てたわけではない。集団の中のどこかで育った。けれど子が走るとき、その者の足元をすり抜けてゆく。そのたびに腹の奥で何かが動いた。痛みではない。痛みより小さく、しかし消えない。

豊かな季節だった。草の根が深くなり、木の実が枝を曲げた。水場には獣が重なり合って立ち、川の向こうにもこちらにも、知らない顔があった。

知らない顔。

その者はそれに気づいていた。彼らの体の輪郭が、自分たちより厚い。額の出方が違う。においが違う。近づくと喉の奥から音が出た。警告ではなく、確認だ。あれは何か、と確認していた。

集団の中に、一人の年嵩の者がいた。両腕に古い傷を持ち、声が低く、立つときに少し前に傾いた。この者が指を向けると、皆が静まった。

ある夜、川のそばで火を囲んでいた。

その者はその輪の外にいた。枝を持ち、地面に何かを引いていた。直線ではない。曲がっている。その者自身、何を描いているかわからなかった。手が動いた。枝の先が土を押した。

火の向こうで、年嵩の者がその者を見ていた。

翌朝、年嵩の者がその者のそばに立った。ゆっくり近づき、その者が引いた跡を踏みにじった。

その者は枝を持ったまま動かなかった。

声はなかった。

その後、日が三度沈んだ。

四日目に、その者は集団の移動の列に加わっていなかった。草の中に倒れており、背中に傷があった。石で打たれた跡だった。傷は深く、血は乾いていた。胸は動いていなかった。

子が走り、草を踏み、その者の腕のそばを通り過ぎた。

子は何も知らなかった。

第二の星

豊かな季節は平等ではない。

「始まりの大地」の北の斜面では草が膝丈まで伸び、群れが大きくなった。南の水場では別の群れが重なり合い、夜になると火が複数の方向から見えた。知らない体格の者たちが川の向こう岸に現れ、しばらくの間、こちらを見ていた。

豊かさが、境界を浮かびあがらせた。

食べ物が余るとき、誰が余分を持つかが決まる。誰がそれを渡すかが決まる。誰がそれを渡されないかが決まる。言葉はない。しかし秩序はある。秩序の形は、脅しと服従と沈黙の中に刻まれる。

その同じ季節に、乾いた高地の草原では野火が起き、群れの半分が散った。川の上流では倒木が流れを変え、小さな水辺がひとつ消えた。大地の南端では、別の系統の者たちが洞窟の壁に手形を残し、長い移動に出た。彼らがどこへ向かったかは、誰も知らない。

豊かな季節の中で、一人の者が草の中に倒れた。

星はそれを見た。特別なこととして見たわけではない。同じ日に、虫が無数に死に、木が一本根から倒れた。すべてが等しく起きた。

与えるもの

地面に引いた跡に、光が落ちた。

その者は枝を動かした。跡を延ばした。光はそこにあった。

跡は踏み消された。

光だけが残った場所を、与えるものはしばらく見ていた。踏まれた土の上に、また何かが届くかを考えた。この者はいなくなった。しかし跡を引く手の動きは、何かを通ってきた動きだ。次に誰かの手が動くとき、同じ衝動がそこにあるかもしれない。次に渡すべきものは、もう少し別の形をしているかもしれない。

伝播:HERESY 人口:1,044
与えるものの観察:跡は消えた。手の動きは消えない。
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第369話

紀元前298,165年

第二の星とその者(26〜31歳)

赤道から北へ傾いた草地。雨期が終わりかけている。空が高く、乾いた風が南から吹く。

川沿いに二十あまりの集団が散らばっている。同じ水を飲み、同じ獣を追う。近い場所にいる。近すぎる。

その者は二十六になっていた。足の裏が厚くなり、右の肩が左より低くなっていた。何かを長く運んだ証だが、本人は知らない。

乾季の初め、岸の低いところで二つの集団が水を汲んでいた。片方が先に来ていた。もう片方が来た。静止。唸り。誰も動かなかった。

その者はその場にいなかった。木の実を探して丘の斜面を歩いていた。シワの入ったやわらかい実が地面に落ちていて、蹴って、また蹴った。食べなかった。

水場で、岩が投げられた。頭に当たった者の膝が曲がった。倒れた。すぐ死ななかったが、三日後に死んだ。集団は引いた。

その者が丘から下りてきたとき、川の匂いが変わっていた。何か濃い、鉄のような匂い。立ち止まった。水面に沿って風が吹いてきた。その風がその者の首の右側に当たった。温度が低かった。風がそこから来ていた。その者は右を向いた。岸の泥に何かが倒れた跡が残っていた。

引きずった跡だと、その者には分からなかった。しかし腹の下のほうが固くなった。足が前に出なかった。

草地の西に、別の集団がいた。この集団と血の繋がりはない。顔つきが違い、唸り声の高さが違った。旧人の群れだった。二十人ほど。移動しながら生きていた。

二つの群れは遠くで互いを知っていた。狩り場が重なることがあった。獲物を奪い合ったことがある。しかし直接触れたことはなかった。

その年の後半、移動してくる旧人の群れを、その者たちの集団が遠くから見た。丘の向こうで影が揺れた。誰かが唸り声を上げた。その者も声を上げた。声は意味を持たない。しかし同じ方向を向いた。

翌朝、旧人の群れはいなかった。

その者の年齢は二十八になっていた。

集団の中に、老いた者がいた。歯が半分なく、右の膝が曲がらなかった。しかし死ななかった。若い者が食べ物を持ってきた。その者も持ってきたことが、一度あった。持っていったときに老いた者が音を出した。その者は音に驚いて離れた。戻らなかった。

翌年、老いた者は起き上がらなかった。息が続いているうちに、集団の何人かが近くにいた。その者も端の方にいた。老いた者の胸が動かなくなったとき、最初に立ち上がったのはその者だった。なぜ立ったのかは分からない。

三十になった頃、その者は子をもった。子はその者の体から出た。夜だった。声を上げた。集団の別の者が近くにいた。

子は生きた。小さく、皮が薄く、手が開いたり閉じたりした。その者はしばらくの間、子の重さを腕に持ち続けた。重さが変わっていった。少しずつ重くなった。

腕の中の重さが重くなるとき、その者の何かが固まっていった。骨が増えているのではなく、何かが——言葉はない——ただ固まっていった。

五年目の終わり。乾いた草が風に揺れている。

その者は川のそばにしゃがんでいた。水を手ですくって飲んでいた。子が後ろで転んで泣いた。その者は振り向かなかった。子の泣き声が変わった。その者は振り向いた。

何もなかった。子は転んだだけだった。

その者はまた水を飲んだ。

与えるもの

風がその首の右側に当たるように、温度を変えた。

その者は振り向いた。引きずった跡の前に立った。そこから動かなかった。

それで良い。跡を見たということは、残るということを——知ったわけではない。しかし腹が固まった。それは残っている。次に渡すべきものが変わった。形のあるものではない。今度は、もっと細い何かだ。

伝播:DISTORTED 人口:1,046
与えるものの観察:腹が固まった。それは消えない。
───
第370話

紀元前298,160年

第二の星とその者(31〜36歳)

乾季が来るたびに、川は細くなった。南の水場が干上がり、動物の群れが北へ移動した。その後を追う者たちも動いた。

その者は三十一歳になっていた。集団のなかで、古い者の部類に入り始めていた。

川の上流に、別の集団が現れた。大人が数人、子が二人ついてきた。腕に古い傷の痕があった。足の裏が厚く、長い距離を歩いてきた者の歩き方をしていた。

その者は岩の影からそれを見ていた。何も動かなかった。風が北から吹いていた。

草地の反対側では、もう一つの出来事が起きていた。崖の基部に近い場所で、二つの集団が水場をめぐって押し合っていた。唸り声と、岩を叩く音。数人が倒れ、起き上がらなかった。残りは散り散りになり、低木の茂みに消えた。争いは短かった。水場には誰も残らなかった。

その者には聞こえなかった。川の音が大きかった。

石の下に魚がいた。その者は素手で押さえようとして、逃がした。水が冷たく、足首まで浸かっていた。膝をついて、また手を伸ばした。

腹が空いていた。

豊穣の時期だった。獣は多く、草の実も残っていた。しかし集団の数も増えていた。水場ひとつに複数の集団が引き寄せられ、どこかで必ず圧力が生まれた。余裕は争いを生む。あるいは、余裕があるからこそ争えた。

その者の集団に子が生まれた。産んだのは若い女だった。産んですぐ、女は動かなくなった。子は泣いた。誰かが子を抱き上げた。その者ではなかった。その者は遠くから見ていた。地面に座り、膝の上に手を置いたまま、何も言わなかった。

三十三歳の年だった。

川の流れが分かれる場所があった。二股に割れ、片方は岩の下に消えていた。そちらの流れのほうが、音が大きかった。

その者は岩の近くで横になった。腹は満ちていた。空が暗くなり始め、虫の声が増えた。腕を頭の下に敷いて、目を開けたままだった。川の音がしていた。

別の集団の子が迷い込んできた。幼く、歩き方が不安定だった。その者の集団の女が近づいた。子を見た。匂いを嗅いだ。返した。子は泣きながら元の方向に歩いていった。

その者はそれを見ていた。

三十六歳になる年の終わりごろ、その者は集団の端に追いやられていた。何かを知りすぎていた。何を知っていたのかは、誰も言葉にできなかった。言葉はなかった。しかし集団の中心は、その者から離れた。

食料の分配で、その者の取り分が減った。寝る場所が外縁になった。火から遠い位置を示されるようになった。

ある夜、その者は集団の輪から外れた場所で眠った。

戻らなかった。

何があったかを見た者はいなかった。暗かった。遠くで唸り声がしていた。翌朝、その者がいた場所には引きずった跡が草についていた。

川は変わらず流れていた。

与えるもの

水が割れる場所に、光が落ちた。
その者は足を止め、岩の下を見た。それ以上は動かなかった。
水脈はそこにある。渡せたかどうか、次に渡すべきものを考える前に、この者はいなくなった。

伝播:HERESY 人口:996
与えるものの観察:知りすぎた者が消された。草に跡だけ残る。
───
第371話

紀元前298,155年

第二の星

北の高地では、雪が例年より早く融けた。

融けた水は低地へ流れ込み、草原が広がった。獣の群れがそこへ集まり、群れを追う者たちも集まった。別々の谷から来た者たちが、水場の縁で互いを見た。遠ざかる者もいれば、近づいて匂いを嗅いだ者もいた。

東の海岸に近い森では、高い木の根元に白骨が散らばっていた。誰のものかを知る者はなく、雨が降るたびに土の中へ沈んでいった。

始まりの大地の中央部では、集団が膨らんでいた。子が生まれ、また生まれた。食料があった。火が夜を照らした。しかし食料を誰が先に取るか、寝る場所はどこか、火の近くに立つのは誰か、そういった順序が崩れ始めていた。

崩れ始めた順序の中で、傷を負う者が増えた。

その傷のほとんどは、獣ではなく、同じ集団の者がつけたものだった。

与えるもの

集団が揺れていた。

この者が先か、次の者が先か。与えるものには順序がなかった。しかし今、この者が外縁に追いやられていることは見えていた。

岩の裂け目から風が吹いた。その者の左の耳元を、温かい空気がかすめた。少しだけ。ほんの少しだけ、岩の向こう側の方向から。

この者はそちらを見なかった。

岩の向こうには、集団から離れた小さな窪みがあった。そこなら夜を過ごせた。

渡せなかった。

しかし次がある。次に渡すものを考えながら、与えるものは問うた。この者が排除される前に、何か一つでも届くか。届いたとして、それがこの者の命を延ばすか。延ばしたとして、何が変わるか。変わらなかったとしても、渡すことを止める理由があるか。

その者(36〜41歳)

腹が減っていた。

火の近くに行こうとした。大きな者が肩を押した。その者は後退した。また近づいた。今度は腕を掴まれ、引きずられるように端へ追いやられた。

座った。

遠くで二人が揉み合っていた。一方が倒れた。倒れた者は起き上がり、血の出た口を腕で拭い、別の方向へ歩いていった。

その者は膝を抱えた。

夜が来た。火は遠くなった。火の光が届かない場所に、その者はいた。地面は冷たかった。腹の音がした。

耳の左側を、何かが通り過ぎた気がした。

風か。温かかった。岩の向こうから来たように思えた。

その者は振り向かなかった。

振り向く理由を、持っていなかった。

夜が深くなった。集団の中心では、誰かが唸り声をあげ、誰かが笑い、火が揺れた。

その者は地面に横になった。空を見た。

光の粒がいくつもあった。

名前を知らなかった。数える言葉を持たなかった。ただ見た。

目が重くなり、閉じた。

朝になった。その者は生きていた。

腹の減りは、昨夜より少しひどくなっていた。

伝播:HERESY 人口:944
与えるものの観察:風を渡した。届かなかった。次がある。
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第372話

紀元前298,150年

その者(41〜43歳)

寒さが来た。

最初は夜だけだった。朝になれば戻った。その者はそれを知っていた。四十年以上、朝は戻ってきた。

しかし戻らなくなった。

昼でも息が白くなった。草が黄色くなり、黄色いままで立ったまま、やがて折れた。獣の足跡が減った。水場に膜が張った。その者は膜を足で踏んだ。割れる音がした。水が出てきた。飲んだ。

集団の者たちが動き始めた。どこへとは言えなかった。言葉がなかった。ただ歩き始め、ついていく者と残る者に分かれた。その者はついていった。

三日、歩いた。足の裏が割れた。

五日目に、ある者が倒れた。起きなかった。

集団は縮んでいった。夜ごと、縮んでいった。幼い者が先に消えた。老いた者が次に消えた。寒さは平等ではなかった。細い者から連れていった。

その者は痩せていた。

ある朝、起き上がれなかった。足に力が入らなかった。手を岩に当てた。冷たかった。それだけを感じた。

傍にいた者が唸り声を上げた。何かを渡そうとした。肉だったか、皮だったか、もう分からなかった。その者は受け取らなかった。手が動かなかった。

空が白かった。

雲ではなかった。空そのものが白かった。その者はそれを見た。見ながら、見ることをやめた。

岩の傍で、体が冷えた。傍にいた者がしばらく唸り声を上げ続け、やがてやめた。

第二の星

同じ頃、北の氷原では、氷が音を立てて割れていた。割れた氷の下に閉じ込められた空気の泡が、水面に浮かんで消えた。誰も見ていなかった。南の乾いた台地では、風が赤い砂を巻き上げ、地平線を消した。砂の中を歩く者がいた。その者が何を探していたかは、分からない。

与えるもの

風止み。煙、真上へ。肋骨の下、押された。また押した。届かなかった。糸は、別の誰かへ向かった。

伝播:NOISE 人口:275
与えるものの観察:渡したが、手が動かなかった
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第373話

紀元前298,145年

第二の星

草原が乾いていた。

赤みがかった土が広がる平野の端で、旧人の群れが水場を離れた。六つの足音。七つ。子を背負う者の重みで、歩幅が違う。彼らは現生人の集団から半日歩いた丘の向こうに消えた。どちらの集団も、相手の去り際を見ていた。

河口の近く、葦が密生した湿地帯では、別の現生人の小集団が獣の皮を水に浸していた。三人。子は一人。皮から腐った匂いが立ち上り、鳥が遠ざかった。

同じ平野の東側では、現生人の二集団が同じ木の実の群生地に同時に近づいていた。先に着いた集団の男が吠えた。後から来た集団の男が岩を持ち上げた。持ち上げたまま、下ろした。両集団が後退し、それぞれ別の方向へ散った。

火の煙が三本、地平の異なる場所から昇っていた。

集団の大きさが増すにつれ、それぞれの縄張りの輪郭が重なり始めていた。重なりは、今のところ静かだった。

与えるもの

糸が繋がった。

風がその子の左耳に触れる場所で止まった。夜明け前の、草の匂いを含んだ風だ。

その子は火の番をしていた。眠りかけていた目が、少し開いた。

——その草。乾ききっていない側。

その子は手を伸ばし、燃えかけた枝ではなく、湿った草の束を引き抜いた。火が煙った。怒ったように。それから、落ち着いた。

その子が正しい選択をしたのかどうか、わからない。たまたまだったかもしれない。しかし次は、熱の偏りを示せるかもしれない——右側だけ焦げている薪の、その焦げ方を。

その者(11〜16歳)

火は生きている、とその子は思っていない。

言葉がないから思うことができない。ただ、火がある状態と火がない状態を知っている。火がある夜は寒くない。火がない朝は怖い。

夜明け前、番をしながら眠りかけた。

風が来た。左の耳から入るような風で、体が少し戻った。草の束を引いた。湿った側だったが、引いてしまった後だった。火が白い煙を吐いた。その子は後ずさった。消えると思った。

消えなかった。

煙の色が変わり、橙が戻った。その子はしゃがんだまま動かなかった。膝に砂がついていた。腹が減っていた。

朝になって、集団の大人が火を見た。大人は何も言わなかった。何も言わない、というのがこの集団での承認の形だった。その子にはわからなかったが、腹の奥が少しだけ緩んだ。

昼、年上の子に腕を掴まれた。理由がわからなかった。掴まれた腕は赤くなり、放された後もじんじんした。

夕方、一人で水を飲みに行った。川の浅瀬で、対岸に旧人の子どもが立っているのを見た。川幅は七歩ほどだった。旧人の子は動かなかった。その子も動かなかった。

二人は水の音の中にいた。

どちらが先に離れたか、その子はすぐに忘れた。

伝播:HERESY 人口:273
与えるものの観察:湿った草が煙を出した。それだけだ。
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第374話

紀元前298,140年

第二の星

草原の端に、煙が立っていた。

現生人の集団の野営地から東に半日。旧人の群れが残した野営の跡に、まだ燃えているものがあった。消し忘れたのか。それとも意図的に残したのか。煙は細く、風に傾いて、どちらへも行かなかった。

集団のなかの男が最初に気づいた。立ち止まり、鼻を動かし、唸った。それだけだった。他の者も止まった。しばらく、誰も動かなかった。

女が一人、煙の方向に足を向けた。止める者はいなかった。見送る者もいなかった。ただ全員がその背中を見ていた。

女は戻らなかった。

夕方になって、集団のなかに動揺が広がった。叫び声が一つあり、地面を踏む足音が散らばった。やがて静かになった。静けさは答えではなく、ただの終わりだった。

翌朝、草の中に女の足跡が残っていた。煙の向こうへ向かう跡と、戻ってくる跡が交差し、それから消えていた。旧人の足跡と混じって、判別できなかった。

この夜を境に、集団の空気が変わった。

豊穣が続いていた。食料に余裕があった。子が生まれ、集団は膨らんでいた。その余裕が、かえって摩擦を生んでいた。誰が多く食べるか。誰が火の近くに眠るか。誰が荷を持つか。言葉がない分、小さな力のやり取りが体の向きと視線と呻きで行われていた。

女が消えたことで、その力のやり取りに空白が生まれた。

女には、旧人と同じ場所に立とうとする習慣があった。旧人が水場に来れば隣に立った。旧人が食べていれば同じ方向を向いた。それを気持ち悪がる者が集団の中にいた。何度か押された。一度、石を投げられた。女は逃げず、ただそこにいた。

それが、消えた。

集団の中の若い男が、その空白を利用した。かれは声が大きかった。腕も太かった。女がいたころ、男は女に石を投げた一人だった。女が消えて、男は変わらず声を上げ、変わらず腕を振り、誰かを押した。誰も止めなかった。

北から乾いた風が来た。草が揺れた。集団は西の水場へ移動する準備を始めた。

火を消す者がいた。荷を括る者がいた。子を背負う者がいた。それぞれが動いた。集団は動いていた。

女のことは、もう誰の体の動きにも現れていなかった。

与えるもの

この者の左耳の傍で、温度が変わった。煙の匂いが、風より先に届いた。

この者は立ち止まった。鼻を動かし、東を見た。それから荷を担ぎ直し、集団の列に戻った。

渡したものが体を通り過ぎた。残ったかどうかわからない。ただ次に渡すべきものが、もうそこにある。それだけが確かだ。

その者(16〜21歳)

荷が重かった。

肩が痛んだ。列の後ろを歩きながら、前の者の足跡を踏んだ。踏んで、また踏んだ。

一度だけ、東を振り返った。煙はもう見えなかった。この者は前を向いた。

伝播:HERESY 人口:278
与えるものの観察:煙の匂いが届いた。体は知っていた。
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第375話

紀元前298,135年

第二の星とその者(21〜26歳)

草原の東端、乾季が終わった。

空の色が変わった。薄い青から、重い青へ。湿気が戻り、草が膝の高さまで伸びた。獣の足跡がいたるところに刻まれた——ヌーの群れが北から下りてきた。泥の中に蹄の痕。水飲み場の脇に、嘴の長い鳥が数十羽、静かに立っていた。

その者は火の傍にいた。

集団の中心に掘られた窪みの中、炭と灰の混ざった床の上で、火は低く燃えていた。その者の仕事は、この火を死なせないことだった。薪を足す。強すぎれば離れる。弱くなれば吹く。何年もそうしてきた。身体が先に知っていた——火がどこまで落ちたら危ないか、どの木が長く燃えるか、どの向きから風が来るか。

五日間、雨が続いた。

川が溢れ、低地の野営地が水に沈んだ。集団の半数が高台へ移動した。獣の皮を頭から被り、子どもを抱えたまま斜面を登る者がいた。老いた者が一人、水の中に膝まで入ったまま動かなくなった。誰かが引っ張った。その者は動かなかった。翌朝、その者の姿はなかった。川の音だけが続いていた。

その者は火を持って移動した。

厚い葉の束の中に炭を包み、胸に抱えた。転んだ。立った。また歩いた。高台に着いたとき、炭はまだ息をしていた。葉の隙間から細い煙が出ていた。その者はそれを地面に置いた。膝をついた。顔を近づけて、吹いた。

火が戻った。

集団の者たちが集まってきた。大人も、子どもも。その者の周りに立った。誰も何も言わなかった。ただ火を見ていた。その者も、火を見ていた。

東の方角で、旧人の集団が動いていた。

五十を超える数。彼らも雨を避けていた。同じ方向を目指していた——高い岩棚のある丘。現生人の集団が向かっている場所と、同じ場所だった。旧人の体は大きかった。肩幅が広く、首が短く、眉の骨が前に出ていた。彼らの火も燃えていた——遠くに赤い点が見えた。

集団の中で、緊張が走った。

長老格の男が腕を上げた。その動きが何を意味するか、その者には分かった。止まれ。待て。あの火を見ろ。若い男たちが石を手に取った。その者は火から離れなかった。火から離れることは、まだ考えられなかった。

旧人の群れが止まった。

こちらを見ていた。しばらく、どちらも動かなかった。風が草を揺らした。ヌーの遠吠えのような声が、草原のどこかから聞こえた。旧人の中の一人——大きな雌——が、何かを地面に置いた。置いて、下がった。

その者には、何が置かれたか見えなかった。

長老格の男が前に出た。ゆっくりと歩いて、その場所まで行った。かがんだ。立ち上がった。手に何かを持っていた——骨だった。細い獣の骨に、深い傷が刻まれていた。直線が、繰り返し刻まれていた。何を意味するのか、誰にも分からなかった。長老格の男は骨を持ったまま、立ち尽くした。

雨が止んだ。

空に穴が開くように、光が落ちてきた。その光は丘の斜面を照らし、旧人が置いた場所に落ちた。もうそこには何もなかった。光だけが、地面を照らしていた。

その者は、その光を見ていた。

何かが胸の内側を通った。熱ではなかった。痛みでもなかった。火を見るときとは違う感覚だった。あの光が落ちた場所を、もう一度見たいと思った。しかし足は動かなかった。火がある。離れられない。

その夜、丘の上で二つの火が燃えた。

現生人の火と、旧人の火。距離は投げ石が届かないくらい。どちらも相手を見ていた。どちらも近づかなかった。

その者は夜通し起きていた。

火の向こうに赤い点が見えていた。同じように誰かが、同じことをしていた。薪を足す。弱くなれば吹く。その者は一度だけ、そちらを見て、また手元の火を見た。

夜明けに、旧人の群れは消えていた。

骨は長老格の男が持っていた。集団の中を回った——誰もが触れた。傷の跡を指でなぞった。その者も触れた。冷たかった。硬かった。刻まれた傷が指の腹に引っかかった。

その者は、その感触を長く覚えていた。

与えるもの

光がそこに落ちた——旧人の置いた骨の上ではなく、わずかにずれた場所。地面の窪みに、雨水が溜まっていた。その小さな水面が光を受けて、揺れた。その者はそれを見なかった。骨を見ていた。

火を持って移動した。炭を胸に抱えて、転んで、また歩いた。渡したかったのはそこではなかった。しかし渡ったのはそこだった。

あの骨に刻まれた傷を、誰かが必要と感じて刻んだ。その必要と、この者が火を死なせなかった必要は、同じ種類のものかもしれない。渡すべきものが何かを、まだ確かめている。

伝播:DISTORTED 人口:290
与えるものの観察:光はずれた場所に落ちた。骨に届いたのは別の何かだ。
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第376話

紀元前298,130年

第二の星とその者(26〜31歳)

雨は五年間、ほぼ途切れなかった。

大地の南から北へ、雲が重なり合い、水がこぼれた。草原の窪みに水が溜まり、草が地面を埋めた。木の実は落ちる前に鳥に食われ、それでも残りが足に当たるほど地面に転がった。獣は太り、子を産み、また太った。

その者は火の傍にいた。

いつからそうなったのか、自分ではわからない。気づけばそこにいる。燃える枝の端が白くなって、崩れる前に別の枝を差し込む。その繰り返し。手が覚えている動きがある。

西の岸で、波が白く砕けた。砂浜に何か大きなものが横たわり、鳥が群がった。海の向こうは見えない。ただ水と空が接する線が、揺れながら続いていた。

東では旧人の集団が岩陰に眠っていた。大人の骨格。肩が広く、眉が厚い。顔の造りがちがう。しかし火の匂いを知っている。煙を嗅ぐと、体の向きを変える。

その者の集団とは、まだ距離があった。

草原を挟んで、向こうの煙が見える夜がある。

その者は昨年、初めて小さなものを背負った。

誰かが自分の腕に押しつけた。重かった。暖かかった。夜、背中に押しつけて眠ると、何かが鼓動していた。その鼓動が止むことを知らなかった。知る必要も、当時はなかった。

火が揺れた。

風が来た方向に、何か別の匂いがあった。焦げた草の匂いではなく、湿った毛皮の匂いでもなく、もっと遠くから来る、鋭い匂い。

その者は立ち上がった。

火から二歩、離れた。匂いがある方を向いた。暗い。草が揺れている。風の向きが変わった。

草原の向こうで、別の火が燃えていた。

それは集団が持つ火だった。この者の集団のものではない。形が違う。炎の上がり方が違う。この集団は枝を三角に組む。あちらは横に並べる。その違いを知っている者はいない。

水場をめぐる緊張が、この季節に限って静かになっていた。実りが多いから、争う必要が薄れる。しかし薄れているだけで、消えてはいない。

集団の中で、腕の太い男が一人、毎朝その方角を見る。

その者の背負っていた小さなものが、雨の多い年に歩き始めた。

足がふらつき、転ぶたびに声を出した。その者は手を出さなかった。見ていた。転ぶのを見て、立ち上がるのを見た。また転ぶのを見た。

立ち上がった時、その小さなものがこちらを向いた。

その者は何も言わなかった。言葉を持たない。しかし喉の奥で小さな音が出た。意図していなかった音が。

そして五年目の夏の終わり。

草原に雨が降り続けた最後の夜、別の集団の炎が大きく揺れた。遠くから声が届いた。怒声か、歌か、この者には区別がない。ただ音が来た。夜の草原を越えて。

その者は火の番をしながら聴いていた。

小さなものは眠っている。腕の太い男は起きていて、暗い方を向いていた。老いた女が二人、草を噛みながら何かを見ていた。

誰も動かなかった。

声は止んだ。風が変わった。また静かになった。

その者は燃える枝を見た。

炎の中に形があると思ったことはない。意味があると思ったことはない。ただ熱い。ただ明るい。消えたら困る。それだけだ。

しかし今夜、燃え尽きかけた枝の端が、奇妙に長く光っていた。白く、細く、消える直前に最も明るくなって、それから暗くなった。

その者はそれを見た。

見たまま、眠った。

与えるもの

匂いを風に乗せた。

遠くから来る、知らない集団の匂い。脅威かもしれない方角から。

この者は立ち上がり、その方を向いた。

しかし次の瞬間、火を見た。燃え尽きる枝の光の方が、目を引いた。

それで終わった。

問いが残る——匂いに動かされた体が、次の瞬間に火に戻った。この者はどちらを選んだのか。あるいは選んではいない。ただ揺れた。

次に渡すべきは、揺れではなく、方向かもしれない。

伝播:DISTORTED 人口:377
与えるものの観察:立ち上がったが、火に戻った。揺れたまま眠った。
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第377話

紀元前298,125年

第二の星

雨季の名残が乾いていく。

草原の南、岩盤が露出した丘の斜面では、旧人の集団が三つ、互いに声の届く距離に野営していた。縄張りを示す印はない。ただ、篝火の場所が少しずつ離れている。豊穣の五年が彼らをも太らせ、子を増やした。増えすぎた体が、互いの気配を押し合っている。

遥か東の低地、湿原と草地の境目では、別の小さな群れが移動していた。旧人でも現代型でもない、その中間のような体つきをした者たちが七人、水鳥の群れのあとを追って葦の中に消えた。この星は彼らを区別しない。

北の高地には雪が戻っていた。去年より一月早い。

この星の上で、草の種が風に乗り、岩の割れ目に落ち、また芽吹こうとしていた。太った獣が川を渡り、旧い縄張りから新しい草地へ移動した。その蹄の跡に水が溜まり、虫が集まり、鳥が来た。

集団が育てば、空白を求めて広がる。広がれば、ぶつかる。

この星はそれを黙って照らしている。

与えるもの

煙の流れを変えた。

その者が番をしていた火の、煙が一瞬、北西へ曲がった。

風のせいではなかった。

渡そうとしたのは、方角ではない。煙が曲がる前に、その方向から届いてきた何かだ。低い唸り声。遠く、岩と岩の間から。

その者は聞こえたか。

聞こえたとして、それが何を意味するか、この者には分からない。分からなくていい。ただ、音がした方を向いてほしかった。向いたとき、見えるものがある。

糸を張った。あとは待つ。

その者(31〜36歳)

火の番は退屈だった。

枝を一本、炎の端に押し込む。また一本。先端が黒くなり、白くなり、崩れて落ちる。その繰り返しを、この者は飽かずに見ていた。五年間、誰かに言われるでもなく、火が消えたことはなかった。

煙が曲がった。

この者は顔を上げなかった。それから、上げた。

北西。岩が重なっている方向。何もない。

また枝を押し込もうとして、手が止まった。音ではなかった。音の残り方だった。空気の中に、何かが沈んでいる感じ。獣の息のような、しかし違う、もっと大きいものの気配。

立ち上がった。

火から三歩離れて、また戻った。火を離れてはいけない。それだけは知っていた。

座った。しかし体が岩の方を向いたままだった。

集団の中の年嵩の者が、少し離れた場所で皮を剥いでいた。この者は声を出そうとして、出さなかった。何を伝えるか、分からなかったからではない。声を出す前に、先に知りたかったのだ。

岩の間の暗がりを、目で何度も往復した。

何も動かなかった。

夜になった。火が揺れた。遠くで別の群れの火が見えた。以前より近い場所に、以前より多くの火が点いていた。この者は数えなかった。ただ、前よりも明るいと感じた。

明るいのに、腹の奥が重かった。

枝を一本、また押し込んだ。白くなった先端が崩れた。

伝播:NOISE 人口:387
与えるものの観察:煙が曲がった。向いたか、向いたか。
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第378話

紀元前298,120年

第二の星

乾季が来た。

岩盤の丘では熱が地面から立ち、蜥蜴が腹を押しつけて眠る岩の上に、午後の光が垂直に降りる。草原の南端、三つの旧人の集団が焚いていた火は、二つになった。一つの集団がどこへ消えたか、第二の星は知らない。ただ、昨日まで煙が立っていた場所に、今日は灰だけがある。

北の方角、森が川に押し出されて終わる場所では、大型の獣の群れが水を渡り始めている。蹄の音が泥を叩く。渡り切った獣は草地に入り、振り返らない。

集団の内部でも、何かが乾いてきた。

豊穣の五年が残したのは、腹の充実だけではなかった。誰がより多くを知っているか。誰の声が他の者を動かすか。篝火の周りに座る順序が、少しずつ固まってきた。固まったものは、やがて押しのけ合う。

集団の端で、火の番をする者がいる。

第二の星はその者を特別に照らさない。ただ、その者がいる場所にも、他と同じように光が落ちる。

与えるもの

火が弱くなる前に、煙の質が変わる。

燃え方ではなく、燃え尽きる前の兆し。薪の芯が白くなりかけている。残り時間が短い。

その者の鼻に、その匂いが届いているか。

煙が甘くなる瞬間がある。樹脂が焦げ始める瞬間。あれを知っていれば、薪を足すべき時がわかる。あれを知らなければ、火は気づかないうちに消える。

示した。煙が方向を変えた。その者の顔の方へ、匂いが寄った。

その者は顔を上げた。しかし薪には手を伸ばさなかった。別の方向を見ていた。集団の中心で、声が高くなっていた。

匂いはそこで終わった。

知りすぎた者が何をされるか、渡す前に渡せたか。今はまだわからない。しかし次に渡すべきものは見えている。逃げる方向だ。具体的な、岩と岩の間の、体一つが通れる隙間。

その者(36〜41歳)

火の番は一人でやる仕事だ。

集団の端に座って、薪が燃えるのを見ている。熱が膝から腿へ伝わってくる。乾季の昼は暑いが、火を絶やすと夜が困る。それだけのことを、体が知っている。

集団の中心で声が上がった。

誰かが誰かを押した音がした。低い唸り声、それより高い声、また低い声。その者は顔を上げた。人の輪が動いている。輪の中に、昨日まで中心にいた者がいる。今日はその者が端に押されている。

誰が押したか、その者にはわかった。

以前から、そいつの目が自分にも来ていた。火の番をしているとき。水を汲んで戻るとき。食料を受け取るとき。何も悪いことはしていないのに、目が来た。

輪の中から声が上がった。高い、切るような声。

その者は立ち上がった。

座るべきか、立つべきか。その判断を体がしていた。薪がくすぶっていた。煙が顔の方へ寄ってきて、目に刺さった。

目を細めた。

輪が動いた。昨日まで中心にいた者が、輪の外に出た。ゆっくりではなく、転がるように。砂に手をついた。起き上がらなかった。起き上がれなかったのではなく、起き上がる理由を失ったような倒れ方だった。

その者は火と輪の間に立っていた。

そいつの目がこちらに来た。

その者は動かなかった。動かなかったのは、勇気ではなかった。足が、どこへ向かうべきか、まだ決めていなかった。

輪がまた動いた。こちらへ来る気配があった。

その者の体が、岩の方を向いた。集団の端、篝火の向こう、岩が重なって積み上がっている場所。昼でも日陰になっている場所。子どものころ、そこで遊んだ。岩と岩の間に、体が通れる隙間があった。

足が、そこへ向かい始めた。

声が追ってきた。

その者は走った。岩の間に入った。体が隙間を通った。向こう側に出た。草が足首を叩いた。振り返らなかった。

振り返らなかったのは、賢いからではなかった。

ただ、体が草原の先を向いていた。

どこへ行くか、わからなかった。知らない場所へ足が動いていた。後ろで声がした。隙間を追ってくる体の音がした。それより遠く、旧人の集団の篝火から煙が上がっていた。

その者の足は止まらなかった。

伝播:HERESY 人口:380
与えるものの観察:煙の甘さより輪の声が勝った。
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第379話

紀元前298,115年

その者(41〜44歳)

朝、火が小さくなっていた。

その者は燃え残りの端を足で押した。赤が戻った。両手を翳して、熱を確かめた。それだけのことだが、三十年近く繰り返してきた。手のひらが熱さと距離の関係を知っていた。頭ではなく、皮膚が知っていた。

集団の中で、その者は古い方だった。走れない。重いものは持てない。それでも火の番は続けた。他の誰かが眠っている間、この者だけが目を開けていた。

昼過ぎ、子どもが二人、斜面を登ろうとしていた。その者は唸り声を出した。止めようとした。子どもたちは振り返らなかった。

その者は立ち上がった。久しぶりに、急いだ。

斜面は途中で岩が張り出していた。乾いた季節が長く続いて、土が崩れていた。その者は知らなかった。あるいは知っていたが、忘れていた。

足が滑った。

落ちたのは短い距離だったが、岩に背中から当たった。音がした。鈍く、大きい音が。

子どもたちは振り返った。その者が斜面の途中に止まっているのを見た。動かなかった。

夕方、誰かがその者を火のそばまで運んだ。

息はあった。目も開いていた。しかし何かが変わっていた。足が動かなかった。背中の下に何かが折れていた。痛みは感じているようだった。眉が寄っていた。しかし声は出さなかった。

火が揺れた。その者はそれを見ていた。

炎が揺れるたびに、影が動いた。その者の目が追っていた。三十年以上、火を見てきた目が。形が変わっても火は火だと知っている目が。

夜が来た。

火が白くなった。薪が尽きかけていた。誰かが薪を足した。炎が戻った。

その者の目がまだ開いていた。

しかし夜の半ばに、炎は揺れた。風もなかったのに、揺れた。

その者の胸が、最後に一度だけ大きく膨らんで、そのまま。

火だけが残った。誰かが番をしていた。朝まで火は消えなかった。

第二の星

草原の南、旧人の二つの集団の火は夜通し燃えた。北の川を渡り終えた獣の群れは森の奥へ消え、蹄の跡が泥に残った。岩盤の丘では、熱を蓄えた岩が夜になっても冷めなかった。何も変わらなかった。すべてが続いた。

与えるもの

糸は別の誰かへ向かった。

伝播:DISTORTED 人口:391
与えるものの観察:火を見続けた目が、最後も火を見た。
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第380話

紀元前298,110年

第二の星

始まりの大地の北端、岩盤が川を二つに割るあたりで、集団が大きくなりすぎた。

豊穣が続いた。草の実が太く、獲物が減らなかった。子が育ち、老いた者も死なずにいた。それがよくないことだとは、誰も思わない。腹が満ちれば声が大きくなる。声が大きくなれば、縄張りの話になる。

南の集団は別の血を持つ者たちだった。背が低く、額の骨が張っていた。同じ水場に来る。同じ岩陰で眠る。それが続いていた。言葉は通じない。身振りも半分しか届かない。それでも、五年前まではうまくいっていた。

去年の冬、石が投げられた。どちらが先かは、この星には関係がない。石は飛んだ。誰かが血を流した。それだけだ。

遠く、南の湿地帯では、別の群れが火を囲んでいた。雨季が明け、葦が伸びている。子どもが三人、水辺を走っている。笑い声に近い音が上がる。それがこの星の上で、同時に起きていた。

北端の集団の中で、ひとりの子どもが石の陰に座っていた。八歳から、もう十三になっていた。

与えるもの

手応えがあった。

この者に繋がったとき、まだ小さかった。何かを感じる者だと、すぐにわかった。

今日、光がある場所に落ちた。集団の外れ、大人たちが知らない岩の裂け目。入り口は狭い。中が広い。

この者は光の落ちた先をじっと見た。立ち上がり、そこへ歩いていった。裂け目に体を入れた。

渡した。

しかし、これが何になるかはわからない。隠れる場所を知ることが、命を延ばすことになるのか。それとも、その岩の中で朽ちることになるのか。渡した後のことは、こちらには届かない。だから次を考える。次に渡すべきものを。この者がまだここにいる間に。

その者(8〜13歳)

岩の外で、声がした。

低い声。怒りに近い音。足が地面を叩く音。

その者は体を小さくした。岩の割れ目の奥、背中が冷たい壁に触れる場所まで引いた。息を止めようとした。止まらなかった。鼻から少しずつ、音を立てないように。

外の声が大きくなった。別の声が重なった。石が何かに当たる音がした。

その者は膝を抱えた。土の匂いがした。濡れた岩の、奥から来る匂い。暗かった。光の届かないところまで来ると、目がなくなる気がした。でも耳は残った。足の裏は残った。冷たい地面が、何かを伝えていた。

外の音が遠くなった。

しばらく、その者は動かなかった。腹が空いていた。昨日の残りを食べていない。でも出なかった。

足音がひとつ、裂け目の近くを通った。止まった。また動いた。遠ざかった。

その者は壁から背中を離さなかった。

夕方になって、光の色が変わった。裂け目の入り口から、橙色がわずかに差した。その者はそれを見た。岩の表面に色がついた。でこぼこした壁が、少しだけ顔を持った気がした。

その者は指で壁を触った。

でこぼこの一点を、何度も撫でた。何かを刻もうとしたのではない。ただ触った。ただ、指が覚えた。

伝播:HERESY 人口:379
与えるものの観察:光を渡した。この者は受け取った。
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第381話

紀元前298,105年

第二の星

北端の岩盤に、朝の霧がまだ残っていた。

川が二つに割れるところ。水の音が重なる。上流から来る流れと、岩盤の南を迂回する流れが、少し離れたところで再び合わさる。その間の砂地に、集団は大きくなりすぎた。

豊穣が五年続いた。

草の実が枯れなかった。獲物が増えた。子が育ち、老いた者が死なずにいた。それ自体は悪いことではない。しかし砂地は広くならない。水場は一つのままだ。人だけが増えた。

子どもたちが走る場所がなくなった。火の周りに座れる者の数が決まっている。獣の皮を干す岩が足りない。誰かが誰かの食料に触れる。誰かが誰かの場所に踏み込む。声が上がる。唸りが返る。

それは昨日も起きた。一昨日も起きた。

若い雄が三人、岩盤の上で向かい合った。体を大きく見せるように肩を張る。喉から低い音を出す。目を外さない。長老格の雌が割って入り、その間に立った。雄たちは散った。しかしその夜、火から離れた暗がりで、一人が別の一人の腕を掴んだ。声はなかった。ぶつかる音だけがした。朝になると二人のうち一人の顔が腫れていた。

集団の中に線が引かれつつある。誰も引いていない。しかし線はある。

水場に近い側に座る者と、遠い側に座る者。火に早く近づける者と、後から近づく者。どちらが正しいかは問題ではない。線があるということが問題だ。ただし線があることを言葉にできる者はいない。

霧が晴れると、対岸に影が見えた。

集団ではない。二人か、三人。体の輪郭がこちらと少し違う。額が張り出している。肩が厚い。旧人だ。川を挟んで立っている。こちらを見ている。

誰かが唸り声を上げた。警戒の声だ。砂地の子どもたちが火の近くに引き戻された。若い雄のうちの一人が、岩の端に立って体を張り出した。見せるための動作だ。向こうはしばらくそこにいて、それからゆっくりと茂みに消えた。

来たわけではない。去ったわけでもない。ただ見た。

それが三日続いた。四日目には来なかった。五日目も来なかった。集団の中の緊張は、外からの視線が続いた間、内側に向かうのをやめていた。腫れた顔の者と、腫らせた者が、並んで岩盤の端に立って対岸を見た日があった。

旧人が消えると、緊張は戻った。

六日目の夕方、水場の近くで小さな揉み合いがあった。今度は子どもが絡んだ。母親たちが声を上げた。長老格の雌がまた間に立った。散った。

砂地の端に、誰かが以前置いていった骨がある。獣の肩甲骨だ。大きい。何かに使おうとしたのか、それとも持ってきてそのまま忘れたのか、わからない。雨が降るたびに少しずつ砂に沈んでいく。誰も拾わない。

夜、火が落ち着いた頃、集団の半数が眠った。半数はまだ起きていた。その比率が、五年前とは違う。五年前は全員が日が暮れると眠った。今は、夜を見張る者が必要なほど、守るべきものが増えた。

増えたものがある。失われていくものも、まだ、ある。

与えるもの

骨に、光が落ちた。

夕刻の最後の光が、砂に沈みかけた肩甲骨の縁を照らした。白く、薄く、大きい。

その者は立っていた。光を見た。骨を見た。拾い上げた。

この者は何をするだろう、と与えるものは思った。渡したことで何かが変わるかはわからない。しかし次に渡すべきものは、もうそこに見えている。この骨の形が、この者の手の中でどう変わるかを、見なければならない。

その者(13〜18歳)

骨は重かった。

砂がついていた。払った。また払った。

表面が滑らかだった。端が薄かった。その者は親指で縁をなぞった。何度も。火の光で翳してみた。向こうが透けなかった。

置こうとした。置かなかった。

夜が深くなっても、その者は骨を持ったままだった。

伝播:SPREAD 人口:393
与えるものの観察:骨を拾った。まだ何をするかわからない。
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第382話

紀元前298,100年

その者(18〜21歳)

川べりに寝ている。

砂がまだ冷たかった。朝の砂。夜の冷えを吸いきった砂が、背中に貼りついた。その者は動かなかった。動けなかったわけではない。ただ、動く理由が見当たらなかった。

熱が出始めたのは、何日前だったか。

集団の中の誰かが先に倒れた。腹を押さえ、水を吐いた。その者はそれを遠くから見ていた。近づかなかった。危うさを感じたからではない。ただ見ていた。

それから、腹が痛んだ。

最初は弱い痛みだった。岩を踏み外した足首のように、少し時間を置けば消えると思った。消えなかった。熱が来た。熱はのぼり、少し下がり、また戻った。その者は川の近くに座り込み、水を飲んだ。水を飲めば楽になると知っていた。水を飲んでも、楽にならなかった。

集団の中の年長の女が、何度か近づいた。

濡れた草の束を持ってきた。額に当てた。草は冷たかった。その者は目を細めた。女は何も言わなかった。その者も何も言わなかった。

二日が経った。

その者は川の流れを見ていた。水が岩にぶつかり、白く砕け、また流れていく。その繰り返し。飽きなかった。飽きるほど集中していなかった。ただ、視界にあった。

腹の痛みが変わった。

深いところで何かが固まっているような、重さになった。熱は高いまま続いていた。夜、震えた。砂の上で丸まった。膝を引き寄せ、自分の体を小さくした。

夜明け前に、女がまた来た。

火のそばに連れていこうとした。その者は首を横に振った。理由はなかった。ここがよかった。川の音がここにあった。女は少しの間その者のそばに座り、それから戻っていった。

朝の光が水面に落ちた。

その者は目を開けていた。川の向こう岸の草が、風に揺れていた。草の根元に、小さな鳥が降りた。突いて、飛んだ。その者はそれを見た。

腹の固まりが、じわりと広がった。

その者は大きく息を吸った。吸ったまま、少し止まった。

吐かなかった。

第二の星

北の台地で、二つの集団が同じ水場を囲んでいた。距離が縮まり、互いの息が届くほどだった。石を持つ手がある。持たない手もある。水面は静かだった。どちらの足音も、まだ動かなかった。

与えるもの

光が川の上流に落ちた。届いた手はもうなかった。

糸は別の誰かへ向かった。

伝播:HERESY 人口:383
与えるものの観察:届いたことが良かったかどうか、まだわからない。
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第383話

紀元前298,095年

第二の星

雨が来た。

ひと月ではなかった。ひと季節、また次の季節も、雨は来た。大地の割れ目に水が満ち、枯れた草の根が目を覚ました。獣の蹄の跡が泥に深く残り、次の日にはまた新しい跡が重なった。

遠く、始まりの大地の東側では、別の集団が丘の斜面に居場所を作っていた。雨が彼らにも届いた。子が生まれた。食べるものがあった。集団の境に立つ者たちは互いの声を聞いた。近づきはしなかった。ただ、いた。

西では旧人の群れが川沿いを移動していた。重い眉の下、目が光を拾った。雨の匂いを嗅いだ。同じ雨だった。

大地が満ちるとき、いつも争いの種が芽吹く。食が豊かなほど、境が問題になる。場所が問題になる。誰が先にいたかが問題になる。

第二の星はそれを照らした。判断しなかった。雨と、泥と、満ちる水面と、増える足跡と、近づかずにいる者たちを、等しく照らした。

与えるもの

糸が繋がった。

第65世代。15歳。

この者の皮膚に、温かみを落とした。雨上がりの光が、集団の中でこの者の肩だけを照らすような、そういう温かさだった。

この者は立ち止まった。

立ち止まっただけだった。それでよかった。

渡したのは、草の根の匂いだった。雨が上がった直後、地面から立ち上る、腐葉と泥と命の混じった匂い。その匂いが強く残る場所に、食べられる球根が埋まっていることを、この者はまだ知らない。

匂いが鼻をついた瞬間、この者の足が一歩、そちらに向いた。

次の動きは、この者が決めた。

渡したことが何かになるかどうか、まだわからない。ただ、足が向いた。それは以前の世代では一度もなかったことだった。なかったのか、それとも忘れたのか。届かなかった回数を、与えるものはよく覚えている。

その者(15〜20歳)

雨が止んだ朝、地面から匂いが上がってきた。

鼻の奥に刺さる、重くて甘い、泥のような何か。

その者は足を止めた。

集団の他の者たちは先に行った。採集の列から外れることは珍しかった。置いていかれることが怖かった。しかしその者の鼻はその匂いを離せなかった。

地面を踏んだ。柔らかかった。掘った。指の爪の間に黒い土が入った。また掘った。岩で掘った。

球根が出てきた。

丸くて白かった。まだ土がついていた。その者はそれを嗅いだ。舌で舐めた。口に入れて、少し噛んだ。

甘かった。

もっと掘った。両手に持てないほど出てきた。

集団の戻り道、その者は球根を持って走った。腹に抱えていくつか落とした。拾い直した。また走った。

集団の古い女が球根を見た。声を上げた。他の者が集まった。その者の手から球根が次々に取られた。その者は何も言えなかった。

夜、火の傍で食べた。その者の手には一つも残っていなかった。腹は空いていた。

翌日、その者はまた同じ方向に歩いた。

集団の中の力のある男が後をついてきた。男はその者が掘った場所を見た。それからその者の腕をつかんだ。引きずった。

集団の外れに連れていかれた。

男の拳が顎に当たった。その者は倒れた。土に頰をつけた。雨上がりの土の匂いがした。あの匂いと同じだった。

伝播:HERESY 人口:473
与えるものの観察:足が向いた。一歩だけだが、以前はなかった。
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第384話

紀元前298,090年

その者(20〜23歳)

実の季節が終わらなかった。

木の高いところに橙色の丸いものが幾つも重なり、落ちて、踏まれて、甘い腐れた匂いを地面に滲ませた。その者は毎日そこへ来た。膝を折り、実を両手に抱え、腰に結んだ皮の袋に詰めた。袋が重くなると、肩が前に曲がった。それが仕事だった。狩りに加われない者の仕事だった。

東の丘に別の集団がいることは知っていた。

知っていたというより、煙の匂いが風に乗って来た。足跡が違う形をしていた。時々、丘の縁に影が立ち、こちらを見ていた。影は動かなかった。その者も動かなかった。それだけのことが、何度もあった。

ある朝、川沿いの石段を降りていたとき、足の下で石が滑った。

一瞬だった。

膝が外れ、腰が回り、その者は斜面を転がった。岩の角が脇腹を打った。水が近かった。止まれなかった。

川に入ったとき、水は冷たかった。

流れは速くなかった。しかし底が見えなかった。その者は岸に手をかけようとした。指が岩の表面を引っかいた。爪が剥がれた。それでも手が動いた。

やがて動かなくなった。

水面には実の欠片が浮いていた。誰かが踏んで砕いたのか、川の上流から流れてきたのか、分からなかった。橙色の皮が水を吸って沈んでいった。

第二の星

東の丘では、別の集団の子どもが初めて火を熾した。石と石を何度も打ちつけ、火花が草に落ち、小さな炎が立った。周りの者たちが声を上げた。子どもは炎を見つめたまま動かなかった。誰も川のことを知らなかった。大地は同じ光の下にあった。

与えるもの

糸は別の誰かへ向かった。

伝播:DISTORTED 人口:488
与えるものの観察:届くかどうかを問わず、目を逸らさない。