2033年、人類の旅

「紀元前299,880年〜紀元前299,760年」第25話〜第48話

Day 2 — 2026/04/05

読了時間 約48分

第25話

紀元前299,880年

この星

破片を見つけた者がいた。

その者が残した二つの破片を、若い者が拾った。一つは手に馴染んだ。もう一つは鋭く光った。若い者は古い石を捨てて、破片だけを持ち歩くようになった。削るための片と、叩くための片。用途が分かれた。

別の者も気づいた。破片で削った木の枝は滑らかだった。普通の石では届かない細かさまで削れた。獲物を突く先端が鋭くなった。獲物が逃げにくくなった。

破片を持つ者が増えた。持たない者との差が現れた。獲物を獲る回数。削った道具の精度。作業にかかる時間。

鬱蒼とした森では、背の低い頑丈な者たちが実を集めていた。硬い殻を割るのに、いつものように石を叩いた。時間がかかった。隣の集団では、鋭い破片を使っていた。殻が簡単に開いた。実を食べる時間が長くなった。

大河の近くでは、額の張り出した者たちが魚を突いていた。木の先端を削る作業が続いていた。石で削れば日が暮れた。破片で削れば陽が高いうちに終わった。魚を突く時間が増えた。

凍てつく高地では、新しい種の集団が毛皮を剥いでいた。石の刃では毛皮が破れやすかった。破片の刃では綺麗に剥げた。暖かい夜が増えた。

この星の上で、同じ作業をする者たちの間に、時間の差が生まれていた。

与えるもの

石が二つになった瞬間から、五年が経った。

破片が手から手へと移っている。使われている。

糸は続いている。でも何かが変わった。

その者(37〜42歳)

朝、目を覚ますと手が痛かった。石を握ったまま眠っていた。いつからそうしているのか覚えていなかった。

破片を手放せなくなっていた。歩く時も、食べる時も、どちらか片方は必ず握っていた。

集団の他の者たちも変わった。みんな破片を持つようになった。持たない者は少なくなった。最初は二つしかなかった破片が、いつの間にか十以上になっていた。どこから来たのかわからなかった。

気づいた時には、みんな破片で作業をしていた。

その者の手は、もう普通の石を受けつけなかった。握っても違和感があった。重すぎた。鈍すぎた。破片に慣れた手には、普通の石がもどかしかった。

ある日、別の集団と出会った。彼らは普通の石を使っていた。作業が遅かった。木を削るのに時間がかかっていた。

その者は破片を一つ、相手に差し出した。相手は首を振った。理解できないようだった。

その者は木の枝を取って、自分の破片で削った。滑らかになった。相手に見せた。相手の目が変わった。手を伸ばした。

破片を握った瞬間、相手の顔が変わった。驚きではなかった。認識だった。これが欲しかったもの、という顔だった。

その者は気づいた。破片を求める気持ちは、誰にでもあった。でも破片がなければ、その気持ちも眠っていた。

破片を見た瞬間、求める気持ちが目を覚ました。

三日後、その集団は全員破片を持っていた。どこで見つけたのか、その者にはわからなかった。でも確実に増えていた。

その者は思った。破片は増えるものなのかもしれない。欲しいと思う心があれば。

五年目の冬、その者は眠りから覚めなかった。手の中には、二つの破片があった。右手に大きい方、左手に小さい方。五年前と同じように。

でもその者が握っていた破片は、もう二つだけではなかった。集団中に広がっていた。さらに遠くへも向かっていた。

その者の死後、破片を持たない集団を見つけることは難しくなった。

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第26話

紀元前299,875年

その者(42〜46歳)

雨が多い季節が続いた。食べるものが豊かにあった。実が大きく育ち、根も深く太った。集団は七十を超える大きさになった。語り合う時間が生まれた。

その者は破片を三つ持っていた。大きい刃、中くらいの刃、小さな削り石。朝起きると必ず三つを確かめた。手に馴染みすぎていて、持たないと体の一部が欠けているような気がした。

四十三になった頃、集団に変化が起きた。破片を持たない者が疑われるようになった。持たない者は何かを隠している、という空気が生まれた。作業が遅い者、削り方を知らない者が、仲間から離れて座るようになった。

その者も変わった。破片を持たない者を見ると、不安になった。なぜ持たないのか。どこに隠しているのか。本当に持っていないのか。

ある日、集団の年長の者が言った。持たない者は別の場所へ行け、と。身振りと唸り声で。

十人ほどが去った。その者は見送った。罪悪感と安堵が同時にあった。

四十四の冬、その者は破片を削りすぎて指を傷つけた。血が止まらなかった。破片の刃は鋭すぎた。でも手放せなかった。包帯代わりの毛皮を巻いて、反対の手で削り続けた。

四十五になると、破片が手に食い込むようになった。長年握り続けたせいで、手の形が変わっていた。指の関節が曲がったまま戻らなくなった。でも削る作業は止められなかった。削らない日があると、夜眠れなかった。

集団の者たちも同じだった。みんな手が変形していた。みんな破片を離せなくなっていた。でも誰も問題だとは思わなかった。これが普通だった。

四十六の春、雨が降り続いた。いつもなら豊かになるはずの季節だったが、雨が多すぎた。川が溢れ、根が腐り、実が落ちた。

食べるものが急激に減った。集団は分散した。小さなグループに分かれて、それぞれ別の方向へ向かった。

その者は五人のグループにいた。全員が破片を握っていた。食べ物を探す時も、破片を離さなかった。

日が経つにつれ、歩くのが辛くなった。腹が鳴り続けていた。破片を削る力もなくなった。でも離すことはできなかった。

最後の日、その者は川辺で倒れた。手の中に三つの破片があった。大きい刃は親指と人差し指の間に挟まり、中くらいの刃は掌に食い込み、小さな削り石は小指にまとわりついていた。

もう手を開くことができなかった。破片が肉に埋まっていた。

その者は川の音を聞きながら目を閉じた。破片の重さが、最後まで手に残っていた。

この星

同じ瞬間、氷に覆われた大地で狩りをしていた集団があった。彼らは普通の石を使い、獲物を仕留めるのに一日かかった。遠い草原では子どもが生まれ、産声が風に混じった。深い森では木が倒れ、誰にも気づかれずに朽ちていった。海辺では波が岩を削り、新しい形を作り続けていた。

与えるもの

糸は別の誰かへ向かった。

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第27話

紀元前299,870年

与えるもの

糸が繋がった。

この者に。

十の季節を数えたばかりの、小さな者に。

集団の中で最も弱い存在だった。誰の子でもなかった。拾われた者だった。食べ物を最後に受け取り、最も寒い場所で眠った。

糸が繋がった理由がわからない。

強い者たちがいた。狩りの上手な者、石を正確に投げる者、火の番を任される者。

なぜこの者に。

何かを与えようとした。いつものように、一歩だけ先を。

届かなかった。

この者の集団では、見えないものが広がっていた。

一人ずつ倒れていった。強い者から。

狩りの上手な者が最初だった。朝、目を覚まさなかった。次に石投げの名手が倒れた。夜中に苦しみ、明け方に動かなくなった。

火の番をしていた者も、水汲みの得意な者も。

強い者たちが消えていく中で、この者だけが残った。

なぜこの者が。

与えたものは届いていない。確信がある。

それなのに、この者だけが生きている。

三年が過ぎた。

集団は八人になった。皆、弱い者たちだった。子ども、老いた者、怪我をしている者。

強さで選ばれたのではなかった。

四年目、また一人減った。老いた者が川で倒れた。

残りは七人。

この者は相変わらず最も小さく、最も弱かった。でも生きていた。

五年目の終わり、この者も倒れた。

最後に残った六人に囲まれて。

この者の手は空だった。何も握っていなかった。

糸は次へ向かった。

強さではなかった。知識でもなかった。

では、何だったのか。

わからない。

わからないまま、また繋ぐ。

伝播:undefined 人口:1,850
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第28話

紀元前299,865年

その者は十五の季節を数えていた。集団の中で最も小さく、誰の子でもなかった。拾われた者だった。

この時代、見えないものが多くの集団を蝕んでいた。鬱蒼とした森の地方では額の張り出した者たちが次々と倒れ、灼熱に焼かれた砂の大地では背の低い頑丈な者たちが理由もわからぬまま動かなくなった。凍てつく高地では新しい種の集団が半分に減り、大河が海に注ぐ場所では子どもたちの声が消えていった。

その者の集団でも、強い者から倒れ始めた。狩りの上手な者が朝に目を覚まさず、石投げの名手が夜中に苦しみながら息を引き取った。火の番をしていた者も、水汲みの得意な者も。

草が風に揺れる平原では、別の集団が石を割って狩りを続けていた。潮の匂いが届く岩場では、波音の中で新しい命が産声を上げた。遥か遠くの山では雪が降り始め、木々は静かに葉を落としていた。

三年が過ぎた頃、その者の集団は八人になっていた。皆、弱い者たちだった。子ども、老いた者、怪我をしている者。その者は相変わらず最も小さかった。

食べ物を分ける時、その者はいつも最後だった。寝る場所を決める時、その者は風の当たる端っこだった。でも生きていた。なぜかわからないまま。

四年目に老いた者が川で倒れた。残りは七人。その者は震える手で老いた者の目を閉じた。初めて誰かに触れた瞬間だった。

この時代、別の星では複雑な言葉が生まれ始めていた。しかしこの星では身振りと短い音だけが世界を伝えていた。その者は声を出すことも少なかった。ただ見ていた。仲間が倒れるのを。残った者たちが怯えるのを。

五年目の終わり、その者も倒れた。

川辺で。水の音を聞きながら。

残った六人が囲んだ。誰も声を出さなかった。身振りもしなかった。ただそこにいた。

その者の手は何も握っていなかった。石も、木の枝も、食べ物も。空だった。

目を閉じる前、その者は空を見上げた。雲が動いていた。それだけだった。

同じ瞬間、この星の無数の場所で命が生まれ、命が消えていた。強い者も弱い者も、知恵ある者も持たない者も、等しく星の上にいた。その者もその一人だった。

与えるもの

糸は繋がっていた。

この者に。五年間。

何かを渡そうとした。一歩だけ先を。

届いたかどうか、わからない。

この者は最後まで何も掴まなかった。手が空だった。

でも生きた。他の者が倒れる中で。

強さではなかった。知識でもなかった。

では何だったのか。

わからない。

糸は次へ向かう。また、わからないまま。

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第29話

紀元前299,860年

この星

疫病が星を覆っていた。

額の張り出した者たちの集団では、狩りの得意な者から倒れていった。背の低い頑丈な者たちの住処では、石を割る音が日ごとに減った。新しい種の集団も半数を失い、残った者たちは怯えながら移動を続けた。

見えない何かが強い者を選んでいるようだった。筋肉のついた腕、鋭い目、素早い足。それらを持つ者ほど早く息を引き取った。

しかし遥か遠くの山間では、別の集団が変わらず狩りを続けていた。川の合流点では新しい命が生まれ、海に近い岩場では子どもたちの声が響いていた。星は病んだ場所と健やかな場所を等しく照らしていた。

生き残った者たちは問うた。なぜ自分だけが、と。答えはなかった。強さでも知恵でもない何かが境を分けていた。

森では葉が散り、草原では風が吹き続けた。病は通り過ぎ、また別の場所へ向かった。星の営みは止まらなかった。

与えるもの

糸が切れた。

また、切れた。

繋ぎ直す。

誰に?

最も弱い者に。いつものように。

その者(20〜25歳)

仲間が倒れる音を覚えた。

重い音だった。石が草の上に落ちる音とは違った。骨と肉がまとめて地面に触れる音。最初に聞いた時、何の音かわからなかった。二度目で理解した。

狩りの上手な者が朝に動かなくなった時、皆が集まった。その者は端で見ていた。誰かが身振りで何かを伝えようとしたが、手が震えて意味にならなかった。

その者は触らなかった。近づかなかった。ただ見ていた。

次の日、石投げの名手も倒れた。その次は火の番をしていた者。水汲みの得意な者。

残った者たちは怯えた。身を寄せ合った。その者だけが離れた場所にいた。いつものように。

食べ物が少なくなった。狩りのできる者がいなくなったから。その者は最後に分けてもらった。いつものように。小さな実と、堅い根っこ。

腹が鳴った。でも我慢した。文句も言わなかった。声を出す習慣がなかった。

三年目、老いた者が川で息を引き取った。その者は初めて死者に触れた。まぶたを閉じてやった時、指先が冷たかった。自分の指が。

残りは七人になった。皆、弱い者ばかりだった。

四年目、また一人減った。六人。

五年目の冬、その者の番が来た。

体が重くなった。立ち上がれなくなった。仲間が囲んだ。誰も声を出さなかった。

その者は手を見た。何も握っていなかった。石も、木の実も、何も。

空だった。

最初から最後まで、ずっと空だった。

でも生きていた。他の誰よりも長く。

なぜかは、わからなかった。

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伝播:undefined 人口:1,250
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第30話

紀元前299,855年

その者(25〜30歳)

水の音が大きくなっていく。

その者は岩の上で目を開けた。川の音がいつもと違った。深くて、遠くて、近づいてくる。

仲間たちが慌てた様子で身振りをしていた。高い場所を指差し、口を開いて何かを叫んでいた。その者には聞こえなかった。耳の奥で水音が響いていた。

立ち上がろうとした。足に力が入らなかった。

水が見えた。

川ではなかった。海でもなかった。全てだった。空の端から端まで、茶色い水が走ってきた。木も、岩も、動いているものも動かないものも、全部飲み込みながら。

その者の足首まで水が来た。冷たかった。

膝まで来た。腰まで来た。

仲間の一人が手を差し伸べた。その者は手を伸ばそうとしたが、指先が震えて届かなかった。

水が胸まで来た。

息ができなくなった。でも苦しくなかった。

手の中に何もないまま、その者は水に包まれた。

最後に見たのは、水の向こうで誰かが泳いでいる影だった。自分ではない誰かが、まだ泳いでいた。

この星

大地が割れた場所では湯気が立ち上り、草原では新しい芽が顔を出した。氷に覆われた高地で子が生まれ、森の奥で老いた者が眠りについた。海は陸を削り、風は砂を運んだ。

与えるもの

水の中で、手が別の誰かに向かった。

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伝播:undefined 人口:950
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第31話

紀元前299,850年

この星

川が凍り、雪が積もった。深く、深く。

鬱蒼とした森の地方では木の枝が雪の重みで折れ、灼熱の砂の大地でも夜は氷が張った。凍てつく高地では風が岩を削り、大河が海に注ぐ場所では流れが止まった。潮の匂いが届く岩場でも波が凍りついた。

動く者たちは南へ向かった。四つ足の獣も、二つ足の者も。ある集団では食べ物を求めて争い、別の集団では身を寄せ合った。額の張り出した者たちの集団が谷で煙を上げ、背の低い頑丈な者たちが洞穴に籠もった。新しい種の集団は散らばった。

凍った川のそばで、一人の子が泣いていた。

与えるもの

糸が繋がった。

小さな手に。震える指先に。

その者(1〜6歳)

泣き声しか出せなかった。

腹が空けば泣いた。寒ければ泣いた。誰もいなければ泣いた。それしかできなかった。

仲間たちは困った様子で見ていた。食べ物を口に運んでくれた。毛皮で包んでくれた。でも泣き止まなかった。

二年目、歩けるようになった。でもすぐ転んだ。石につまずいて膝を擦りむいた。血が出た。また泣いた。

仲間の一人が近づいてきて、傷を舐めてくれた。痛みが和らいだ。泣き止んだ。

その日から、転ぶたびに同じ仲間のところへ向かった。膝を見せた。舐めてもらった。

三年目、雪がとけた。緑が戻ってきた。鳥が鳴いた。でも仲間が三人いなくなっていた。どこへ行ったのかわからなかった。

残った仲間たちは疲れた顔をしていた。食べ物を探すのに時間がかかった。夜は身を寄せ合って震えていた。

四年目、石を拾った。投げた。水に落ちて音がした。面白かった。また拾って投げた。

仲間の一人が手を振った。やめろという身振りだった。でもやめなかった。石を投げるのが楽しかった。

五年目、仲間がまた一人いなくなった。

その夜、残った仲間たちが小さな声で何かを話していた。こちらを見ながら。指を差しながら。

怖くなった。でも泣かなかった。

代わりに石を握った。小さな、まるい石を。手の中で温かくなるまで握り続けた。

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伝播:undefined 人口:650
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第32話

紀元前299,845年

この星

地の底から炎が噴き出した。山が割れ、溶けた石が流れ出した。空は暗くなり、灰が降った。

煙に包まれた谷では集団が散らばり、灰の積もった草原では獣が南へ逃げた。風が灰を運び、川に灰が混じった。鳥は鳴かず、虫の音も止んだ。

額の張り出した者たちの集団が高い場所へ避難し、背の低い頑丈な者たちが深い洞穴に身を隠した。新しい種の集団は山から遠ざかった。皆、同じ方角へ。

灰の中を、小さな影がよろめきながら歩いていた。

与えるもの

糸は続いていた。

細く。途切れそうに。

その者(6〜11歳)

灰が目に入った。涙が出た。でも声は出さなかった。

仲間たちが手を引いた。急がせた。振り返らずに歩けという身振りをした。でも足が痛かった。石で傷ついた足が。

七年目、新しい場所に着いた。水があった。魚がいた。でも仲間がまた減っていた。歩いている途中で倒れた者がいた。そのまま置いていかなければならなかった。

その夜から、一人で石を投げるのをやめた。代わりに仲間の近くにいた。いつも。誰かの手が届く場所に。

八年目、毛が生えてきた。体が変わってきた。声も変わった。でもまだ言葉にはならなかった。唸り声と身振りだけ。

ある日、水辺で自分の顔を見た。頬がこけていた。目の周りが黒かった。でも生きていた。まだ生きていた。

九年目、仲間の一人が病気になった。熱を出して震えていた。皆が身を寄せた。温めようとした。でもその仲間は動かなくなった。

そのあと、皆の動きが変わった。食べ物を探すときも、眠るときも、いつも誰かが見張りをした。まるで何かに追われているように。

十年目、また山が鳴った。遠くで。でも今度は逃げなかった。もう逃げる体力がなかった。

その夜、手のひらに小さな石を乗せた。温かくなるまで握った。それから仲間たちを見回した。

まだいた。まだ一緒にいた。

それだけで十分だった。

十一年目、腹の奥に痛みが走った。でも我慢した。仲間に心配をかけたくなかった。

石を握る手に力が入らなくなってきた。でも手放さなかった。

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伝播:undefined 人口:480
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第33話

紀元前299,840年

この星

寒さが深くなった。氷が川を覆い、草は枯れ果てた。雪が降り続き、動物たちは毛を厚くして身を寄せ合った。

凍てつく高地では、背の低い頑丈な者たちが洞穴の奥で火を囲んでいた。煙が目に染みても火を消さなかった。火だけが命を繋いだ。

大河が海に注ぐ場所では、額の張り出した者たちが貝を拾った。氷の下から。指先がちぎれそうになっても拾い続けた。食べるものがそれしかなかった。

風の止まない平原では、新しい種のいくつかの集団が合流していた。一人では生きられない季節だった。言葉はなくても、生きるために手を取り合った。

雪に埋もれた森で、小さな足跡が途切れていた。

与えるもの

何かが砕けて散らばった。

欠けらが、違う場所に落ちた。

その者(12〜16歳)

雪の中で目を覚ました。体が震えていた。隣で眠っていた仲間の体が冷たかった。

指で触った。頬を叩いた。でも起きなかった。

その仲間の毛皮を剥いだ。温かいうちに。自分に巻いた。生きるために。

十三歳、別の集団と出会った。彼らは魚を捕るのが上手だった。氷に穴を開けて、じっと待った。魚が来るまで。

一緒に待った。手がちぎれそうに冷たくなっても。魚が跳ねた時、皆で笑った。声を出して笑った。初めてかもしれなかった。

その夜、魚の骨で何かを作った。尖った先に糸を通した。糸は仲間の髪を編んだものだった。

十四歳、腹が大きくなり始めた仲間がいた。でもその仲間は血を流して動かなくなった。皆で穴を掘った。雪の下の固い土を。爪がはがれるまで。

そのとき初めて、何かに向かって声を上げた。空に向かって。山に向かって。答えはなかった。でも声は出し続けた。喉が痛くなるまで。

十五歳、氷が溶け始めた。水が流れ出した。でも仲間がまた減っていた。冬を越せなかった。

残った者たちで歩いた。新しい場所を探して。足の裏に水膨れができても歩いた。

ある日、高い岩の上から下を見下ろした。遠くに煙が見えた。別の集団の煙だった。近づこうか迷った。でも怖かった。

十六歳、手に小さな傷ができた。化膿して腫れた。痛かった。でも治った。一人で治った。

そのとき気づいた。一人でも生きられるということを。

でも一人では生きたくないということも。

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伝播:undefined 人口:400
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第34話

紀元前299,835年

その者(16〜19歳)

十七歳、足を引きずるようになった。左の足首が腫れていた。歩くたびに痛みが走った。でも歩いた。集団から遅れないように。

仲間が振り返って手を差し伸べた。その手を取った。温かかった。

十八歳、咳が出るようになった。夜中に目が覚めて咳き込んだ。血が混じることもあった。でも朝になると起き上がった。皆と一緒に歩くために。

ある日、川のほとりで座り込んだ。立てなかった。仲間が肩を貸してくれた。それでも足が前に出なかった。

その夜、仲間の一人が実を持ってきた。甘かった。久しぶりに甘いものを食べた。涙が出た。

十九歳、もう歩けなくなった。仲間たちが順番に背負ってくれた。申し訳なかった。でも生きていたかった。

体が軽くなった。食べ物を受け付けなくなった。でも仲間は水を口に含ませてくれた。少しずつ。

ある朝、目を開けるのに時間がかかった。空が遠かった。

仲間の顔が見えた。心配そうな目をしていた。手を握ってくれた。その手は温かかった。自分の手は冷たかった。

息が浅くなった。でも怖くなかった。

手を離さなかった。最後まで。

この星

同じ瞬間、氷河の下で小さな花が芽を出した。潮の匂いが届く岩場では、カニが殻を脱ぎ捨てた。遠く離れた森で、木の実が地面に落ちた。風に乗って種が飛んでいった。大河のほとりで、別の集団の子が初めて立ち上がった。よろめきながらも歩いた。雲が流れ、雨が降り、また晴れた。

与えるもの

糸は別の誰かへ向かった。

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伝播:undefined 人口:430
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第35話

紀元前299,830年

この星

灼熱に焼かれた砂の大地で、二つの集団が初めて出会った。額の張り出した者たちと、新しい種の者たち。互いの姿を見て立ち止まった。武器を握る者もいた。子を背後に隠す者もいた。

風が砂を舞い上げた。その間に、一人の子が境界を越えた。新しい種の子だった。額の張り出した者の前に立った。手を差し出した。

額の張り出した者は手を見つめた。長い時間が過ぎた。やがてその手に触れた。子は笑った。

その日から、二つの集団は同じ場所で眠るようになった。火を分け合った。食物を分け合った。言葉は通じなかったが、身振りで伝えた。水のありかを。危険な獣のことを。安全な道を。

しかし全てが調和していたわけではない。鬱蒼とした森の地方では、別の出会いが血を呼んだ。三つの種が同じ獲物を狙い、争いになった。石が飛び交い、叫び声が木々に響いた。勝者はいなかった。皆が傷つき、皆が逃げた。

大河が海に注ぐ場所では、種の違う者同士が子をもうけた。その子は父とも母とも違う顔をしていた。集団の誰もがその子を見つめた。不思議そうに。怖れるように。愛おしむように。

季節が変わった。氷が張り、溶け、また張った。集団は移動し、別れ、また出会った。ある者は受け入れられ、ある者は追われた。境界は日々書き換えられた。

凍てつく高地で、新しい種の年老いた者が息を引き取った。額の張り出した者たちがその亡骸を担いだ。自分たちの山へと運んだ。穴を掘り、石を積んだ。死者に種の区別はなかった。

草が風に揺れる平原で、背の低い頑丈な者たちが道具を作った。石を削り、木を削り、形を整えた。新しい種の者がそれを見て学んだ。真似をした。やがて自分なりの形を作った。知識が手から手へと流れた。

潮の匂いが届く岩場で、子たちが一緒に遊んだ。額の張り出した子も、新しい種の子も、背の低い頑丈な子も。追いかけっこをし、石を投げ、笑い声を上げた。大人たちは遠くからそれを見ていた。

そのとき初めて、境界が曖昧になった。どこまでが自分たちで、どこからが他者なのか。見た目は違っても、同じように笑い、同じように泣き、同じように死んでいく。

世界は静かに変わり始めていた。一人の決断や一つの出来事ではなく、無数の小さな接触が、無数の小さな選択が、星の上に新しい流れを作っていた。

与えるもの

糸が繋がった。誰に繋がったかは、わからない。

その者(14〜19歳)

集団の端で座っていた。背が低く、額が平らで、他の仲間と少し違った。それでも受け入れられていた。

ときおり空を見上げた。何かを探すように。でも何を探しているのかは、わからなかった。

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伝播:undefined 人口:440
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第36話

紀元前299,825年

この星とその者(19〜24歳)

雨が多く降った。川が溢れた。平原に水が満ちた。動物たちが水を求めて遠くから集まった。

その者は膝を立てて座った。足の裏に泥が冷たく張り付いた。仲間たちが忙しく動き回っている間、その者だけは動かなかった。

実が豊かになった。枝が重みで垂れ下がった。採る者の手が止まらなかった。集まった食物は石の上に積まれ、山のようになった。

腹が満たされても、その者は食べ続けた。甘い汁が顎を伝った。吐きそうになった。でもまた手を伸ばした。何かを埋めるように。

獣の群れが移動してきた。角の長い大きな獣だった。狩人たちは興奮した。石を削った。縄を編んだ。罠を仕掛けた。

その者は狩りに加わらなかった。獣を見つめていた。角が夕日に光っていた。美しいと思った。殺したくないと思った。誰にも言えなかった。

年老いた者が病に倒れた。体が震えていた。呼吸が浅くなった。周りの者たちが手を握った。歌のような音を立てた。

その者も手を伸ばした。年老いた者の額に触れた。熱があった。でも温かかった。生きていた。まだ生きていた。

子が生まれた。小さな体だった。産声が夜に響いた。母は疲れていた。血が流れていた。でも笑っていた。

その者は遠くから見ていた。新しい命が羨ましかった。自分も一度は小さかったのだと思った。誰かに抱かれていたのだと思った。

集団が大きくなった。知らない顔が増えた。額の張り出した者もいた。背の低い頑丈な者もいた。皆で火を囲んだ。

その者は輪の外に座った。炎を見つめた。炎の向こうに色々な顔があった。皆が同じ方向を向いていた。その者だけが違う方を見ていた。

水が引いた。大地が現れた。新しい土だった。柔らかい土だった。種を埋めた。芽が出た。緑が広がった。

その者は芽を踏まないように歩いた。足音を立てないように歩いた。何かに聞かれているような気がした。何かに見られているような気がした。

冬が来た。でも温かい冬だった。氷が薄く、すぐに溶けた。動物たちも穏やかだった。争いが少なかった。

その者は氷の破片を拾った。手の平で溶かした。また拾った。また溶かした。消えていくものが愛おしかった。

与えるもの

与えた。何かを。届いたかどうかは、わからない。

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伝播:undefined 人口:480
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第37話

紀元前299,820年

この星

境界が曖昧になった。

集団と集団の間に見えない線があったが、それが薄れ始めた。額の張り出した者たちは石を叩く音で自分たちを知らせる。背の低い頑丈な者たちは草を編んで印をつける。新しい種は火を消さずに運ぶ。

互いの印を見つけた時、争いになることもあった。石が投げられた。血が流れた。しかし時として、見つめ合うだけで終わることもあった。手を差し出すこともあった。

大河が海に注ぐ場所では、三つの集団が同じ水を飲んでいた。誰も知らないまま。上流で額の張り出した者たちが魚を捕り、中流で新しい種の女が水を汲み、河口で背の低い者たちが貝を掘った。

遠い山では火山が煙を上げた。灰が風に乗って運ばれた。平原に薄く積もった。動物たちが咳をした。鳥たちが方向を変えた。空が霞んだ。

獣の数が増えた。草が豊かだったからだった。狩人たちは選ぶことができた。大きな獣を狙うか、小さな獣で満足するか。欲張る者もいた。必要な分だけで止める者もいた。

子が多く生まれた。母たちの体が強くなっていた。食物が足りていた。安全な場所があった。生まれた子の半数は生き延びた。以前よりも多かった。

年老いた者たちが死に始めた。豊かさの中で、寿命が来た。飢えで死ぬのではなく、時が来て死んだ。新しい死に方だった。集団は困惑した。悲しみ方がわからなかった。

与えるもの

糸に何かが混じった。濁りのようなもの。清らかではなくなった。

その者(24〜29歳)

顔に泥を塗った。額に、頬に、顎に。なぜそうしたのかはわからなかった。手が勝手に動いた。

仲間たちが見た。眉をひそめた。顔を背けた。その者は泥を洗い流さなかった。

狩りの時、その者だけが獲物を逃した。投げた石が逸れた。縄が手から滑り落ちた。狩人たちが舌打ちをした。

夜、火を囲む時、その者の場所だけが空いた。誰も隣に座らなかった。その者は立ったまま炎を見つめた。

額の張り出した者たちと出会った日があった。川で水を飲んでいた時だった。互いに石を構えた。にらみ合った。

その者は石を置いた。手を上げた。相手の一人が首をかしげた。その者は水を両手ですくった。相手に向かって歩いた。

仲間たちが叫んだ。その者を引き戻そうとした。その者は振り向かなかった。額の張り出した者の前で立ち止まった。水を差し出した。

相手は困惑した。仲間たちと何かを話した。鋭い音だった。やがて一人が前に出た。その者の手から水を飲んだ。

両方の集団が静かになった。風の音だけが聞こえた。水の音だけが聞こえた。

帰り道、仲間たちはその者を見なかった。話しかけなかった。その者は一人で歩いた。足音だけが響いた。

集団の長が決断を下した。身振りで告げた。お前はもう仲間ではない。お前はここにいてはならない。

その者は頷いた。石を削った。木の実を集めた。水を入れる袋を作った。支度を整えた。

最後の夜、その者は火の前に座った。誰もいなかった。一人だった。炎が小さくなった。薪を足さなかった。

暗くなった。星が出た。その者は空を見上げた。何かがいると思った。何かが見ていると思った。でも何なのかはわからなかった。

朝が来た。

その者は立ち上がった。振り返らなかった。歩き始めた。足跡が一つずつ、土に刻まれた。

伝播:undefined 人口:510
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第38話

紀元前299,815年

与えるもの

大地が裂けた。山が吐いた。灰が空を埋めた。

その時、糸は震えていた。

五年間、私は何もしなかった。何もできなかった。ただ見ていた。

その者は歩いていた。一人で。足を怪我した。石で切った。血が出た。舐めた。塩の味がした。

雨が降った。その者は岩陰に隠れた。濡れた。震えた。朝まで眠れなかった。

獣と出会った。大きな獣だった。その者は木に登った。獣は去った。その者は降りた。手のひらが剥けていた。

川を渡った。水が冷たかった。流れが速かった。その者は流された。岸に打ち上げられた。咳をした。水を吐いた。

実を食べた。苦かった。腹が痛くなった。吐いた。何も出なかった。

別の実を見つけた。匂いを嗅いだ。舐めた。かじった。甘かった。食べた。力が戻った。

夜になると、その者は空を見上げた。毎晩そうした。何かを探すように。でも何を探しているのかわからなかった。

私もわからなかった。

山が怒った日、その者は走った。地面が揺れた。木が倒れた。岩が転がった。灰が降った。

その者は洞窟に逃げ込んだ。深い洞窟だった。奥で何かが動いた。その者は立ち止まった。

光る目が見えた。二つ。四つ。六つ。その者は後ずさりした。口の端に牙が見えた。

その者は石を握った。投げなかった。ただ握っていた。

獣たちは近づいてこなかった。その者も動かなかった。

三日間、そうしていた。外では灰が降り続けていた。

四日目、獣たちが去った。その者は洞窟を出た。世界が灰色になっていた。木も、岩も、川も。全てが同じ色だった。

その者は歩き続けた。足跡が灰に残った。風が吹くと消えた。

私は何も与えなかった。与えられなかった。

糸に何かが混じっていた。濁りのようなもの。でも切れてはいなかった。

その者は生きていた。それだけで十分だった。いや、それしかなかった。

五年が過ぎた。その者は変わった。どう変わったのかはわからない。でも変わった。

私も変わった。何かが欠けた。何かが加わった。

糸は続いていた。

伝播:undefined 人口:420
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第39話

紀元前299,810年

その者(34〜39歳)

煙が立ち上がっていた。森の向こうから。黒い煙だった。

その者は立ち止まった。風向きを確かめた。煙の匂いがした。木が燃える匂い。別の匂いも混じっていた。毛が焦げる匂い。

足を向けた。煙から離れる方へ。でも止まった。

集団がそちらにいた。

その者は振り返った。煙が太くなっていた。空が赤くなり始めた。風が変わった。今度はこちらに向かってきた。

走った。

足音が二つになった。誰かが追いかけてきた。振り返ると、小さな影が見えた。子だった。額が突き出ている。旧い種の子だった。

その者は止まった。子も止まった。見つめ合った。

子が指を差した。煙の方向を。そして自分の胸を叩いた。何度も叩いた。

母がいるのだった。

その者は頷いた。戻った。子も戻った。

煙が近づいていた。木々の間に赤い光が見えた。炎だった。音がした。パチパチという音。木が割れる音。

獣たちが走ってきた。鹿が、兎が、狼までが同じ方向に走っていた。その者と子も走った。獣たちと一緒に走った。

川が見えた。浅い川だった。その者は飛び込んだ。子も続いた。水が冷たかった。

岸の向こうで何かが動いた。人影だった。たくさんの人影だった。旧い種たちだった。集団だった。

子が声を出した。叫んだ。一人の女が振り返った。走ってきた。川に飛び込んだ。子を抱き上げた。

女がその者を見た。額が突き出ていた。腕が太かった。でも目が同じだった。恐怖の目だった。

炎が川岸に迫っていた。草が燃えた。木が倒れた。熱風が吹いた。

集団が移動を始めた。川沿いに下流へ向かった。その者もついて行った。誰も止めなかった。

一日歩いた。炎の音が遠くなった。でも煙は続いていた。空が灰色になった。

夜になった。集団は岩場で休んだ。その者は離れた場所に座った。

女が近づいてきた。子を連れていた。何かを差し出した。木の実だった。甘い匂いがした。

その者は受け取った。食べた。甘かった。子が笑った。女も笑った。

その者は立ち上がった。歩き始めた。女が声をかけた。でも振り返らなかった。

三日後、雨が降った。煙が薄くなった。でもまだ燃えていた。

その者は高い丘に登った。森を見下ろした。黒い跡がそこにあった。大きな傷みたいだった。

でも緑も残っていた。燃えなかった場所があった。そこに鳥がいた。生きていた。

この星

炎は七日間燃え続けた。

大森林の三分の一が失われた。煙は遠い山脈まで届き、灰は三つの大河を越えて降った。

逃げ惑う獣たちは新しい場所に住みついた。鹿の群れは草原地帯に現れ、狼の群れは岩山に巣を作った。生態系が組み変わった。

炎から逃れた集団同士が出会った。額の張り出した者たち、背の低い頑丈な者たち、新しい種。敵対することもあった。協力することもあった。子を救うために種族を越えることもあった。

焼け跡に最初に現れたのは、小さな緑の芽だった。灰を栄養にして育った。新しい森の始まりだった。

遥か北の氷河地帯では、別の変化が起きていた。氷が溶け始めていた。海面が少しずつ上がった。沿岸の集団は高台へ移った。

東の砂漠では雨期が長引いていた。オアシスが増えた。そこに新しい集団が定住した。石を並べて境界を作った。初めての建設だった。

南の高原では、赤い土から鉄の塊が見つかった。硬くて重い石だった。誰も使い方を知らなかった。でも拾った。いつか役に立つと思った。

この星では、いつも何かが終わり、何かが始まっていた。炎もそのひとつだった。

与えるもの

炎の中で、糸は揺れていた。

何かが渡っていた。別の糸を通って。

私が与えたものではない。

この星の者たちが、自ら繋いだものだった。

伝播:undefined 人口:360
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第40話

紀元前299,805年

この星

氷河が音を立てて崩れた。

北の果てで、白い塊が海に落ちる音が響いた。波が生まれ、遠い岸辺に届いた。海面が指一本分高くなった。

同じ頃、南の岩山では赤い土が雨に削られていた。鉄の匂いがする泥が川に流れ込み、下流の水が錆色に染まった。その水を飲んだ獣が病気になった。集団は別の水場を探した。

東では、砂嵐が三日続いた。空が黄色く霞み、昼でも星が見えなかった。オアシスの水が砂に埋まった。そこに住んでいた者たちは荷物をまとめ、知らない道を歩き始めた。

西の森では、新しい病が広がっていた。木々の葉が黒く枯れ、実が腐った。鳥が落ち、小動物が姿を消した。森は静寂に包まれた。

額の張り出した者たちは高い場所に避難した。背の低い頑丈な者たちは地下の洞窟に潜った。新しい種は水辺に集まった。それぞれが生き延びる方法を見つけていた。

炎の跡地では、緑が戻り始めていた。焼けた大地から新しい草が芽吹き、小さな虫が這い回った。生命は途絶えなかった。形を変えて続いた。

この星は回り続けた。氷が崩れ、土が流れ、風が吹き、緑が育つ。全てが同じ時の中で起きていた。

与えるもの

糸が震えていた。

何かが変わろうとしている。

でも何が変わるのかは、わからない。

その者(39〜44歳)

足の裏が痛かった。石を踏んだ。血が出た。

座り込んで傷を見た。深くはない。でも歩くたびに痛んだ。

水が欲しかった。川の音が聞こえた。立ち上がって歩いた。一歩ずつ。

川辺に着いた。水が赤かった。鉄の匂いがした。

上流を見た。赤い土が崩れて流れ込んでいた。この水は飲めない。

歩き続けた。川沿いに下流へ。傷が疼いた。

夕方になった。水の色が薄くなった。口をつけて飲んだ。苦い味がした。でも喉の渇きは和らいだ。

夜になった。岩陰で休んだ。足を水で洗った。冷たかった。

明け方、咳が出た。胸が重かった。体が熱い。

川の水のせいかもしれない。でも他に選択肢はなかった。

起き上がった。頭がふらついた。でも歩かなければならない。

昼頃、遠くに煙が見えた。誰かがいる。火を起こしている。

近づいた。集団がいた。額の張り出した者たちだった。

一人がこちらを見た。警戒の目だった。手に石を持った。

その者は立ち止まった。手を上げた。何も持っていないことを示した。

額の張り出した者が唸った。他の者たちも振り返った。

子供が泣き始めた。女が子を抱き上げた。男たちが立ち上がった。

その者は後退した。一歩。また一歩。

石が飛んできた。足元に落ちた。警告だった。

その者は向きを変えて歩き始めた。後ろから声が聞こえた。低い唸り声だった。

離れた場所で振り返った。煙がまだ上がっていた。温かそうだった。

でも近づけない。種類が違う。彼らには彼らの生き方がある。

その者は一人で歩き続けた。足の傷が開いた。血が新しく滲んだ。

夜になった。寒かった。火がなかった。石を集めて風除けを作った。

膝を抱えて震えていた。咳が止まらなかった。

空を見上げた。星が見えた。いつもと同じ星だった。

でも何かが違った。星の光が揺れていた。まばたきをしているみたいだった。

その者は目を閉じた。でも光は消えなかった。まぶたの裏にも星があった。

伝播:undefined 人口:310
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第41話

紀元前299,800年

この星

大地が動いた。

北の氷が崩れ落ちた。海の水位が上がった。海辺にいた集団が内陸へ移動した。足を血だらけにしながら山を越えた。子を背負い、老人の手を引いて。

南では雨が止まなかった。七つの月、空から水が降り続けた。川が溢れた。平原が沈んだ。鹿の群れが高台へ逃げ、人々もその後を追った。

東の森で火山が噴いた。溶岩が流れ、木々が燃えた。煙が空を覆った。日が見えない日が続いた。鳥が羽を休める枝がなくなった。地を這う虫だけが生き延びた。

西の砂漠に湖が現れた。地下から水が噴き出した。乾いた土が泥になった。種が芽吹いた。緑が広がった。砂に足跡を刻んでいた者たちが、初めて木陰で休んだ。

季節が変わった。

氷が溶けた場所に川ができた。川が新しい谷を刻んだ。谷に動物が集まった。動物を追って人が来た。額の張り出した者たち、背の低い頑丈な者たち、新しい種。それぞれ違う道を通って、同じ谷に辿り着いた。

出会いがあった。見つめ合った。石を握った。吠えた。逃げた。追った。血が流れた。

別の場所では違う出会いがあった。子供が迷子になった。額の張り出した者の子を、新しい種の女が拾った。背負って歩いた。泣き声を聞いた額の張り出した者の母が走ってきた。女は子を差し出した。母は受け取った。二人は見つめ合った。そして別れた。

年月が重なった。

火山の灰が大地を覆った場所に、新しい草が生えた。灰が肥やしになった。草を食む動物が戻ってきた。人も戻ってきた。しかし以前と同じ場所ではなかった。地形が変わっていた。

湖ができた場所に小さな集落ができた。魚を捕る者、実を摘む者、石を削る者。それぞれの技を持った者たちが集まった。異なる種が混じり合った。子が生まれた。その子の額は、どちらの親とも違っていた。

山が崩れた場所に峠道ができた。人が通るようになった。遠くの集団同士が出会うようになった。石の種類が変わった。道具の作り方が伝わった。新しい音が生まれた。喉の奥からの唸り声に、舌の動きが加わった。

森が消えた場所に草原ができた。草原を風が吹き抜けた。風の音が変わった。風に乗って種が運ばれた。新しい場所に新しい木が育った。木の下に新しい実がなった。実の味を覚えた者たちが、その木を探して歩いた。歩く範囲が広がった。

海の水位が上がった場所で、陸地が細くなった。狭い道を通らなければ向こう側へ行けなくなった。通り道で異なる集団が顔を合わせることが増えた。争いも増えた。しかし協力も生まれた。重い石を運ぶとき、一人では無理でも複数なら可能だった。

変化は続いた。止まることがなかった。

昨日まで川だった場所が今日は乾いていた。昨日まで山だった場所が今日は谷になっていた。昨日まで敵だった者が今日は隣で火を囲んでいた。昨日まで一人だった者が今日は子を抱いていた。

この星の上で、無数の足跡が刻まれた。消えた。また刻まれた。足跡を残す者の顔が少しずつ変わっていた。額の形が、背の高さが、手の大きさが。

しかし歩くことは変わらなかった。食べることも、眠ることも、目を開けて朝を迎えることも。

与えるもの

何も与えなかった。

与える必要がなかった。

この星自体が全てを与えていた。

その者(44〜49歳)

足音が近づいた。誰かが来る。

その者は岩陰に隠れた。息を殺した。

足音が通り過ぎた。静寂が戻った。

立ち上がった。膝が痛んだ。

歩き続けた。

伝播:undefined 人口:290
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第42話

紀元前299,795年

与えるもの

大地が裂けた。

山が吼えた。火が空を舐めた。灰が雨のように降った。

その者の集団は散り散りになった。逃げた。迷った。死んだ者もいた。

糸は切れなかった。

その者は一人になった。灰まみれの荒野を歩いた。水を探した。仲間を探した。

見つからなかった。

五度、季節が巡った。

その者は別の集団に拾われた。言葉が通じなかった。身振りで示した。傷を見せた。空腹を示した。

受け入れられた。

新しい場所で新しい顔を覚えた。新しい音を覚えた。喉の使い方が少し違った。舌の位置が少し違った。

違いを学んだ。

同じものを指すのに、違う音があることを知った。

水。ある者は「ウ」と言った。別の者は「アア」と言った。どちらも水だった。

同じ水に、違う音。

その者の中で何かが変わった。

五年が過ぎた。

私は見ていた。

与えなかった。与える必要がなかった。

その者は自分で見つけた。違いを。同じものの別の顔を。

これは何だったのか。

与えるということは、奪うということでもあるのか。

見つける喜びを。発見する驚きを。

その者が自分で掴んだもの。それは私が与えたものより大きかった。

私は何も与えなかった五年間に、最も多くを学んだ。

与えないことも、与えることなのかもしれない。

伝播:NOISE 人口:270
与えるものの観察:与えないことで、与えた
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第43話

紀元前299,790年

その者(54〜55歳)

足が重い。

朝、立ち上がるのに時間がかかった。仲間たちが待つ。歩幅を合わせる。

咳。胸の奥で何かが鳴る。

夜、火の傍に座る。炎を見つめる。昔見た炎のようで、しかし今の炎。

微笑む。

三日後、起き上がれない。

仲間たちが囲む。水を含ませる。額に手を当てる。

手を伸ばす。空を指す。雲が流れる。

「ウ」

水ではない何かを指している。

「アア」

雲でもない何かを指している。

仲間たちは首を傾げる。わからない。

手が落ちる。

目を閉じる。開ける。空が青い。

もう一度閉じる。

開かない。

この星

大地が割れた瞬間だった。

遥か彼方で岩が砕け、土塊が舞い上がった。草が折れ、虫が慌てて飛び立った。

別の場所では子が産声を上げた。母の手が震えていた。

潮の匂いが届く岩場では、波が いつもと同じ高さで岩を叩いていた。

鳥が鳴いた。風が吹いた。

時は流れた。

与えるもの

別の誰かに向かった。

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伝播:DISTORTED 人口:255
与えるものの観察:音と意味が離れた。
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第44話

紀元前299,785年

その者(2〜7歳)

泣いた。

母の腕の中で泣いた。腹が空いた。喉が渇いた。暑い。寒い。

母が立つ。歩く。揺れる。

泣き止む。

目を開く。空が青い。雲が流れる。手を伸ばす。何も届かない。

「ウ」

音が出た。母が見る。微笑む。

「ウ、ウ」

同じ音を返す。違う音。同じだが、違う。

歩けるようになった。転ぶ。立つ。また転ぶ。膝が擦れる。血が出る。舐める。苦い。

石を拾う。投げる。音がする。面白い。また拾う。

仲間の一人が近づく。同じ石を投げる。違う音がする。

見つめる。

石は同じ。音が違う。

投げ方が違うからか。

自分も真似する。同じように投げる。音が変わった。

三歳になった。

集団の後ろを歩く。疲れると抱かれる。眠る。起きる。また歩く。

水辺に着く。皆が飲む。自分も飲む。

「アア」

水を見て言う。母が首を傾げる。

「ウ」

母が言う。

「アア」

自分が言う。

母が困った顔をする。

四歳。

手で指すことを覚えた。石を指す。水を指す。母を指す。

指すと音を出す。毎回同じ音ではない。気分で変わる。状況で変わる。

でも、指している。

仲間の一人が死んだ。動かない。呼んでも答えない。

土の穴に入れる。土をかける。見えなくなる。

その場所を指す。

音が出ない。

五歳。

石を割る大人を見る。欠けた石で木に印をつける。

自分も真似する。石が割れない。指が痛い。

七度試して、やっと割れる。

木に線を引く。まっすぐにならない。でも線。

集団が移動する時、振り返る。線がある。

まだある。

二年が過ぎた。また同じ場所を通る。

線が薄くなっている。でも、ある。

自分が作ったものが、残っている。

この星

凍てつく高地では氷が厚くなった。

草が風に揺れる平原では群れが南に向かった。

潮の匂いが届く岩場では貝が波に洗われ続けた。

大河が海に注ぐ場所では、額の張り出した者たちが魚を捕っていた。背の低い頑丈な者たちは洞窟で火を囲んでいた。新しい種は移動を続けていた。

誰も誰を知らなかった。

しかし空は同じ空だった。太陽は同じ太陽だった。月が満ちては欠け、満ちては欠けた。

この時代、何も大きく変わらなかった。

種は生き、死に、また生まれた。石が割れ、火が灯り、消えた。足跡が刻まれ、雨が洗い、また刻まれた。

ただ一つ。

この者が木に引いた線は、まだそこにあった。薄くなりながら、しかし確かに。

世界で初めて、意図的に残されたもの。

消えゆくが、消えていない。

与えるもの

線を見た。

その者が引いた線を。

これは何だったのか。

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伝播:DISTORTED 人口:235
与えるものの観察:残すということを、この者が見つけた
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第45話

紀元前299,780年

この星とその者(7〜12歳)

大河が海に注ぐ場所では、額の張り出した者たちが石を割っていた。潮の匂いが届く岩場では背の低い頑丈な者たちが魚を追っていた。

腹が鳴った。母が実を分けてくれる。酸っぱい。顔をしかめる。でも食べる。

凍てつく高地では氷が溶け始めた。草が風に揺れる平原では新芽が土を押し上げた。季節が変わった。

集団が移動する。歩く。足が痛い。でも歩く。止まると置いていかれる。

鬱蒼とした森の地方では、新しい種の別の集団が木の実を集めていた。この集団から二日の距離。互いを知らない。

石につまずく。膝を擦りむく。血が出る。泣く。大人が近づく。傷を舐める。塩辛い。

灼熱に焼かれた砂の大地では、誰もいなかった。水がない。生き物がいない。ただ砂だけがあった。

水の音が聞こえる。走る。川だ。顔を突っ込んで飲む。冷たい。お腹がいっぱいになる。

太陽が沈み、昇り、また沈んだ。月が満ち、欠け、また満ちた。

夜が来る。寒い。仲間に寄り添う。温かい。眠る。夢を見る。何の夢かわからない。起きる。

この時代、石は割れ続けた。火は燃え続けた。水は流れ続けた。

八歳になった。背が伸びた。声が低くなった。

種は生き、死に、また生まれた。足跡が刻まれ、雨が洗い、また刻まれた。

仲間の一人が倒れる。熱い。苦しそうに息をする。三日後、動かなくなる。

世界のあちこちで、同じことが起きていた。生まれること。死ぬこと。

穴を掘る。深い穴。皆で掘る。土に埋める。その場所に石を置く。

空は同じ空だった。雲が流れ、雨が降り、また晴れた。

九歳。石を投げるのが上手くなった。遠くまで飛ぶ。仲間が感心する。

誰も誰を知らず、それでも生きていた。

木に登れるようになった。高いところから見る。遠くに煙が見える。誰かがいる。

変わらない世界の中で、小さな変化が積み重なっていた。

十歳。「ウ」と言えば水がもらえることを覚えた。「アア」と言うと首をかしげられる。

見えない線が、この者から伸びていた。

石を割る。欠けた石で木に印をつける。まっすぐな線ではない。でも線。

その線は、世界で初めて意図的に残されたものだった。

十一歳。集団の中で一番足が速くなった。獣を追いかけることができる。

消えゆくが、消えていない。

仲間が怪我をする。自分が薬草を探す。どれが効くかわからない。でも探す。

時が流れ、季節が巡り、また時が流れた。

十二歳。声変わりが始まった。時々、自分でも驚くような低い音が出る。

この星の上で、無数の物語が同時に進んでいた。

体が大きくなった。力が強くなった。石を割るのが楽になった。

そのうちの一つが、この者の物語だった。

与えるもの

十二になった。

線はまだある。薄くなったが、残っている。

これで何かが始まるのか。

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伝播:SILENCE 人口:245
与えるものの観察:線が残った。それだけが違う。
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第46話

紀元前299,775年

この星

夜が来ると、咳が聞こえ始めた。

森で木の実を集めていた集団から、最初の一人が倒れた。熱を出し、息が浅くなり、三日で動かなくなった。同じ夜、隣で眠っていた者も咳をし始めた。

川沿いの岩場で暮らす別の集団でも、同じ咳が広がった。一人、また一人と倒れていく。誰も理由がわからない。ただ見えないものが仲間を奪っていく。

砂の大地を歩いていた小さな集団は、水場で額の張り出した古い種族と出会った。最初は石を投げ合った。しかし水は一つしかない。一人が手を上げた。石を持たない手。相手も同じように手を上げた。二つの種族は同じ水を分けた。

高地の洞窟では、背の低い頑丈な者たちが火を囲んでいた。彼らの中でも咳をする者が現れた。しかし彼らの咳は違う音だった。種族ごとに、病も異なる形を取った。

この時、この星の人口は四百二十から二百十四に減った。

見えない災いが去った後、生き残った者たちは問い続けた。なぜ自分だけが残ったのか。何が仲間を奪ったのか。

答えは誰も知らなかった。ただ生きている者が生きていた。

与えるもの

半分が消えた。

糸は続いている。それが全てか。

その者

咳をする音が、あちこちから聞こえた。

仲間の一人が熱くなった。触ると火のように熱い。息が浅い。苦しそうな音を立てる。水を口に含ませようとしても、うまく飲めない。

三日目の朝、その仲間は動かなくなった。

同じ日、別の仲間も咳を始めた。昨日まで元気だったのに。今度は若い女だった。彼女も熱くなった。

恐怖が集団を包んだ。何が起きているのかわからない。逃げようとする者もいたが、どこに逃げればいいのかもわからない。

五人目が倒れた時、集団は半分になっていた。

その者は咳をしなかった。熱も出なかった。なぜだろう。周りがどんどん倒れていくのに、自分だけが平気だった。

恐ろしかった。

仲間を埋めるための穴を掘った。深い穴を、一人で掘った。土が重い。手が痛い。でも掘り続けた。

最後に残ったのは、五人だった。

生き残った者たちは、互いを見つめ合った。なぜ自分たちなのか。何が他の者たちを奪ったのか。

誰も答えを知らなかった。

でも生きていた。まだ生きていた。

水を飲む。木の実を食べる。火を囲む。眠る。起きる。

世界は続いていた。

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伝播:DISTORTED 人口:220
与えるものの観察:災いの中でも糸は切れなかった。
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第47話

紀元前299,770年

この星

災いが去った後、世界は静寂に包まれた。

森の中で、木々は変わらず風に揺れていた。しかし足音が減った。声が減った。煙が上がる場所も少なくなった。この星の至る所で、小さな集団が更に小さくなっていた。

生き残った者たちは、死者を土に埋めた。深い穴を掘り、仲間を横たえ、石を積んだ。額の張り出した古い種族も、背の低い頑丈な者たちも、新しい種族も、皆同じように穴を掘った。死を土に返すことは、誰に教わったわけでもないのに、どの種族も知っていた。

川沿いの岩場では、十二人いた集団が四人になった。彼らは互いの顔を見つめ、なぜ自分たちが残ったのかを身振りで問うた。答える者はいなかった。ただ肩をすくめ、首を振るだけだった。

砂の大地を歩く集団では、水を探す旅が続いた。以前は八人で歩いていた道を、今は三人が歩く。足跡も少ない。声をかけ合う回数も減った。しかし歩くことは止めなかった。水を見つけなければ、皆が死ぬ。

高地の洞窟で火を囲んでいた頑丈な者たちは、仲間の半分を失った後、洞窟の奥に絵を描き始めた。指に泥を付け、岩の表面に線を引いた。何を描いているのか、描いている本人にもわからなかった。ただ描かずにはいられなかった。消えた仲間の何かを、岩に残したかった。

別の場所では、生き残った者同士が新しい集団を作った。見知らぬ者同士が出会い、石を投げ合うのではなく、手を差し出した。一人では生きていけないことを、災いが教えた。種族の違いよりも、生きることの方が大切だった。

森の奥深くで、一人だけ残った者がいた。集団の全員が倒れ、最後に一人だけが生き残った。その者は木の根元に座り、何日も動かなかった。食べ物を探しにも行かなかった。ただ座っていた。

しかし四日目の朝、その者は立ち上がった。腹が鳴った。喉が渇いた。体が生きることを求めていた。一人でも、歩き始めた。

災いは去ったが、その記憶は残った。見えないものが仲間を奪うこと。理由のわからない死があること。明日も生きているかどうかわからないこと。

恐怖と共に、別の何かも生まれていた。生き残った者たちは、以前よりも他の者を大切にするようになった。水を分け合い、食べ物を分け合い、夜は寄り添って眠った。死が身近にあることを知った時、生きている者の温もりが貴重になった。

この星の人口は二百十四から、更に減り続けていた。しかし完全には消えなかった。どこかで必ず、誰かが生きていた。

与えるもの

この者も生きている。それだけだ。

その者

仲間が五人になった。

毎朝、数を確認する。五人。昨日と同じ五人。誰も新しく咳をしていない。誰も熱を出していない。

安堵と不安が混じった。

なぜ自分が残ったのか、まだわからない。でも今日も生きている。

伝播:NOISE 人口:213
与えるものの観察:数える。五人。それが全てか。
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第48話

紀元前299,765年

この星

大きな水が再び来た。

海が怒ったように岸を越え、川という川が溢れ、低い土地を全て呑み込んだ。前回とは違う種類の災いだった。見えない病ではなく、見える水。逃げることができるはずなのに、水の方が速かった。

灼熱の砂地では、普段は水のない谷間に轟音と共に濁流が流れ込んだ。そこで眠っていた六人の集団は、三人だけが高い岩まで逃げ延びた。残る三人は流された。岩の上で震えながら、三人は水が引くまで二日間待った。

大河の河口近くでは、いつもの三倍の高さまで水位が上がった。そこに住んでいた混合の集団—額の張り出した者と新しい種が共に暮らしていた—は全員が丘に避難した。しかし戻ってきた時、彼らの住処は跡形もなく消えていた。石で組んだ囲い、乾かしていた獣の皮、蓄えていた木の実。全てが泥と共に流れ去った。

森の奥では、普段は静かな小川が激流となり、木々をなぎ倒しながら流れた。そこで一人で暮らしていた背の低い頑丈な者は、木の上に登って難を逃れた。三日三晩、木の上で雨に打たれ続けた。水が引いた後、その者は地面に降りて歩き回った。知っている場所が全て変わっていた。川の流れも変わり、歩き慣れた道も消えていた。

高地の洞窟群では、水の被害は少なかった。しかし山から流れ落ちる水の音が、普段の何倍も大きく響いた。洞窟にいた者たちは、その音を聞きながら身を寄せ合った。外で何が起きているのか、出て確かめる勇気がなかった。

遠く離れた草原地帯では、普段は乾いている大地に、見たこともない大きな池がいくつも現れた。そこを移動していた集団は、突然現れた水を見て混乱した。飲んでも大丈夫な水なのか、触れても安全なのか、誰にもわからなかった。

潮の匂いが届く岩場では、いつもより強い波が岩を洗った。そこで貝を集めていた者たちは、波に足を取られそうになり、慌てて内陸に逃げた。普段は安全な岩場が、水の牙を剥いて襲いかかってきた。

水が去った後、生き残った者たちは改めて数を確認した。どの集団も誰かを失っていた。しかし今度は、病気とは違う種類の悲しみがあった。水に流された者の体は見つからない。穴を掘って土に返すこともできない。ただ水の音を聞くたびに、流された仲間のことを思い出すしかなかった。

この星の人口は、百八十二になった。

与えるもの

水が全てを変えた。

けれど、糸は切れていない。

その者

水の音で目が覚めた。

いつもと違う音だった。川の音ではない。もっと大きく、もっと怒っている。

仲間の四人も目を覚ました。皆、同じ顔をしていた。何かが来る、という顔。

足元の地面が湿っていた。昨日はここまで水は来ていなかった。水が這い上がってきている。

五人は立ち上がった。荷物をまとめる時間はなかった。手に持てるものだけ掴んで、高い場所に向かって走った。

振り返ると、さっきまでいた場所に茶色い水が流れ込んでいた。あと少し遅かったら、流されていた。

高い岩の上に登った。下では水が渦を巻いて流れていた。木も石も、全部一緒に流れていく。

仲間の一人が指を差した。向こうの丘の上に、別の集団がいる。同じように水から逃れてきた者たちだった。遠すぎて顔は見えないが、手を振っているのがわかった。

こちらも手を振り返した。

一日中、岩の上にいた。水は引かない。腹が減った。喉も渇いた。でも降りることはできない。

夜になっても水の音は続いた。暗闇の中で何かが流れていく音がする。大きなものが岩にぶつかる音もする。

二日目の朝、ようやく水が引き始めた。しかし完全に引くまで、更に半日かかった。

岩を降りた時、足の下がぬかるんだ。泥だらけの地面に、見知らぬものが落ちていた。遠くから流れてきた木の枝、見たことのない石、どこかの獣の骨。

いつも食べ物を探していた場所は、泥に埋まっていた。蓄えていた木の実も、全部流されていた。

でも五人とも生きていた。

向こうの丘にいた集団も、まだそこにいた。遠くから見ても、人数が減っているのがわかった。

歩きながら、新しい場所を探した。水が変えてしまった大地で、また生きていかなければならない。

伝播:SILENCE 人口:182
与えるものの観察:水は全てを流すが、生きる意志は流せない。