2033年、人類の旅

「紀元前297,725年〜紀元前297,605年」第457話〜第480話

Day 20 — 2026/04/22

読了時間 約62分

第457話

紀元前297,725年

第二の星

台地の南に、水が溜まっている。

岩盤の割れ目から染み出した水が、くぼ地に集まり、半月の形をした浅い池になっている。雨季が長かった。水はいつもより広く、縁の泥は柔らかく、鳥の足跡が幾重にも重なっている。

北の尾根には、朝の霧が低く流れる。草原との境目で、霧は白く溜まり、やがて散る。散った後に残るのは、露に濡れた黒い岩と、その岩に張り付いた薄い苔だ。

この五年、ここに多くの体があった。

生まれた体もある。消えた体もある。五年という時間の中で、集団の形は変わり、変わりながら同じ場所に留まっている。

谷の向こうに、別の体がいる。

旧人の集団だ。二十余りではなく、今は三十を超えている。増えた。水場が豊かなこの時季、彼らもここへ向かっている。足跡が、泥に残っている。ひとりの足跡ではなく、群れの足跡だ。重なり合い、泥をこね、半月の池の縁まで続いている。

彼らは夜、火を持たない。

昼、彼らは石を使う。打ち欠くのではなく、岩に岩を叩きつける。形を変えようとしているのではなく、割ることで鋭くしようとしている。鋭くした石を、木の枝に縛る。縛るものは、腸の膜を乾かしたものだ。膜が乾くと締まる。石が枝に固定される。

それを、彼らは狩りに持っていく。

人類の集団は、この三日、池に近づいていない。近づかないのは、旧人の足跡があるからだ。足跡を見て、方向を変えた。方向を変えたのは、特定の誰かの判断ではなく、集団全体が同時に変えた。先頭が止まった。後ろが重なった。しばらく止まった後、横に曲がった。

曲がった先に、別の水場はない。

その体たちから、一つが消えた。

老いた体だった。水を探す途中、崖の縁で足を踏み外した。崖は深くなかった。だが岩は硬く、落ちた体は起き上がらなかった。誰かが崖の縁に来て、下を見た。しばらく見ていた。それから、離れた。

水が減っていく。

旧人の集団は、池の縁に座っている。飲んでいる。飲みながら、互いの毛を手で分けている。手が動いている。静かだ。

南の空に、薄い雲が流れる。雲の向こうに何があるか、どの体も知らない。

与えるもの

池の縁、半月の形の内側。

水面に、光が落ちた。

光は一点に集まり、揺れた。その場所、旧人の集団が飲んだ場所のすぐ隣、泥の中に、石が一つ沈んでいた。割れた石だ。誰かが打ち砕いた断面が、泥の外に出ている。縁が鋭い。

光が、その断面に当たった。

この者は遠くから池を見ていた。その光を見た。視線が止まった。

止まった視線は、すぐに別のものへ動いた。

この者は、光のことを忘れた。

——渡したのに。

いや、渡せていなかったのかもしれない。光は落ちた。断面は光った。だが、この者の手は動かなかった。前の者たちも、手が動かなかった。渡したものが何になるかではなく、渡せているかどうか、それだけを、もう少し問うべきかもしれない。

その者(12〜17歳)

遠くから池を見ていた。

旧人の体が、水を飲んでいる。毛が動いている。音がしない。

足が、少し後ろに引いた。引いたままで、止まった。

水が欲しかった。喉の奥が締まっている。だが足は動かない。

岩の陰に、腰を下ろした。

空を見た。雲が動いている。水の音がした。池の縁で、鳥が羽ばたいた。

伝播:DISTORTED 人口:479
与えるものの観察:光が落ちた。手は動かなかった。
───
第458話

紀元前297,720年

その者

石が割れた。

音が手のひらに来た。骨に来た。肘まで来た。
その者は手を離さなかった。

もう一度、打った。

割れ目が走った。まっすぐではない。少し曲がって、石の端で止まった。その止まり方を、その者はじっと見た。目ではなく、指先で見るように、縁に触れた。

鋭かった。

切れる、という言葉をその者は持っていない。しかし、その感触を知っている。親指が白くなり、赤くなり、滲んだ。その者は指を口に入れた。舐めた。また縁に触れた。また滲んだ。

その者はうなった。低く、短く。

集団の中で、石を割る者は他にも何人かいた。大人たちだ。彼らは打ち方を知っている。どこを打つか、どの角度か、どの石を選ぶか。その者はまだ知らない。知らないまま、打っていた。

今日、石が割れた。

その者は割れた石を両手で持ち、立ち上がった。見せたかった。誰かに。誰でもよかった。

近くに、若い女がいた。子を背負っている。子はまだ小さく、眠っていた。その者は近づいた。石を差し出した。うなった。

女は一瞥した。すぐに目を逸らした。

その者は石を下ろした。

しばらく、そのまま立っていた。石を持ったまま。女は遠ざかった。子の背中が揺れていた。その者は石を見た。鋭い縁を、また指先でなぞった。また滲んだ。

その者は座った。
また打った。

今度は上手くいかなかった。石が砕け、破片が飛び、一つが口の中に入った。舌に当たった。その者は吐き出し、地面を睨んだ。

地面に、破片が散っていた。

その者は一つ一つ拾い始めた。大きいもの、小さいもの、薄いもの、厚いもの。拾って、手の中で並べた。並べ方に意味はなかった。ただ並べた。

一つだけ、鋭いものがあった。

最初に割れた石よりも、小さかった。しかし縁が薄く、光の中でわずかに光っていた。

その者はそれを持って、立ち上がった。

どこへ行くか、決めていなかった。
しかし歩いた。

台地の東に、崖がある。低い崖で、子供でも降りられる。その崖の下に、細い水が流れている。雨のあとだけ流れる水だ。今は流れていた。

その者は崖の縁に立った。

下を見た。水が石の上を流れていた。白く、急いでいた。

その者は手の中の石を見た。
水を見た。
石を見た。

崖から降りようとした。左足を出した。土が崩れた。

その者の体が、前に傾いた。

手が岩を摑もうとした。摑めなかった。

体が落ちた。

落ち方は短かった。
音がした。
水が跳ねた。
白い水が、一度だけ大きく揺れた。

それから、流れに戻った。

石は水の中に沈んでいた。鋭い縁を上に向けて。
その者の手は、それを握ったままだった。

第二の星

台地の上で、風が変わった。

東から来ていた風が、南に流れている。乾いた季節が近い。池の縁の泥は、端から白くなり始めている。鳥の足跡が残っていたくぼ地には、今は亀裂が入っている。水が退いたのだ。

集団の命は、両手で数えきれない数になっている。半数は幼い。その中の、さらに半数は、次の乾季を越えられないかもしれない。

集団の中で、緊張がある。

北の斜面に、別の群れが現れた。背が高く、眉の骨が厚い。言葉を持たない点では変わらない。しかし声の作り方が違う。息の使い方が違う。彼らは近づいてくることも、遠ざかることもせず、ただそこにいた。

集団の大人たちは、石を持ったまま立っていた。

子どもたちは母親の後ろに隠れていた。

何も起きなかった。
何かが起きる前の、沈黙だった。

東の崖の下で、水が流れていた。白く、細く。
誰もそこを見ていなかった。

与えるもの

光が、崖の縁に落ちた。

土の色が変わって見えるように。足元の違いが、わかるように。

この者の目は空を向いていた。

また、手の中に届かなかった。

泥の中に鋭さがあった、と思った記憶がある。水面に光を落としたことがある。今日また、光を落とした。この者はそれを踏んだ。

渡せたものは、石の割れ方だけだった。

割れることを、この者は知った。次に渡すべきものは何か。次に繋ぐ者に、何を先に見せるべきか。崖の縁を歩く者に、光を落とすより先に、渡せるものがあったのか。

わからない、では終わらせない。

次は、足元を先に照らす。

伝播:NOISE 人口:493
与えるものの観察:石の割れ方を知った。崖の縁を照らせなかった。
───
第459話

紀元前297,715年

第二の星とその者(22〜27歳)

空が晴れた。

乾いた季節が長く続き、草の根が剥き出しになっていた。川床が細くなり、水を飲む場所が一つに絞られた。そこに旧人たちも来た。大きな頭蓋骨、膝の外に張り出た肩。彼らは音を出さずに近づいた。

その者は水場の手前で立ち止まった。

腹が鳴っていた。喉が渇いていた。それでも足が進まなかった。旧人の一人がこちらを見ていた。目が合った。その者は息を止めた。

岩の多い高地では、獣たちが移動を始めていた。霜が降りた朝、ある集団の子どもが三人、川から流れ下ってきた。誰も追いかけなかった。川は黙って運んだ。

その者の右手には石があった。

五日前に割ったものだ。縁が尖っていた。まっすぐではない。でも尖っていた。指の腹で触ると、赤くなった。その者はそれを毎朝触った。寝る前にも触った。なぜそうするのか、言葉にする手段がなかった。

集団の中で声が上がった。

旧人が水場に来た。数が多かった。唸り声と咳払いと、何か叩く音。その者の集団の大人が後退した。子どもを抱えた女が走った。老いた男が転んで、誰も引き起こさなかった。その者は岩の陰に入った。

石を握ったまま、息を潜めた。

水場の争いは短く終わった。血は少し出た。大きな声が三回鳴って、旧人たちは去った。残ったのは、乱れた砂と、倒れたままの者一人。その者が近づいた。知っている顔だった。胸が動いていなかった。砂が少しずつその者の頰を覆い始めていた。風は止んでいた。

その者は岩の縁を出した。

倒れた者の肩を突いた。動かなかった。もう一度突いた。倒れた者の目が半分開いていた。その者はそこに石を当てた。そっと。切る気ではなかった。ただ当てた。何かを確かめるように。

それから、立ち上がった。

集団の方へ戻りかけて、止まった。振り返った。また戻った。石を持ったまま、倒れた者の隣に座った。砂が風で少し動いた。その者は石を地面に置いた。拾った。また置いた。

そこに光が来た。

雲の切れ間から、細い光が差した。地面の石の縁に落ちた。あの、まっすぐでない縁に。光が縁を走った。その者の目が、それを追った。

集団から呼ぶ声がした。

その者は立ち上がった。石を握った。歩いた。戻らなかった。振り返らなかった。でも、歩きながら指が石の縁を触っていた。一歩ごとに、触っていた。

三年が過ぎた。

乾期が来るたびに水場で声が上がった。旧人と出会うたびに、その者の集団の誰かが傷を負って戻った。その者は傷を負わなかった。石を見せたから、という話を誰かがした。石を。見せた。それだけのことで。

しかし集団の中で、声が変わった。

その者が何かを持っていることへの視線が変わった。唸り声が増えた。老いた男が何度もその者の手元を見た。その者が石を出すたびに、誰かが後退した。誰かが前に出た。声の大きな男が近づいてきて、その者の手を掴んだ。石を取ろうとした。

その者は手を離さなかった。

声の大きな男が吠えた。仲間を呼んだ。その者は逃げた。草の中を走った。追いかけられた。足が速かった。まだ若かった。木の根で転んだ。立った。また走った。

追ってくる音が遠くなった。

その者は川岸に来た。水が細く流れていた。膝をついた。水を飲んだ。石をまだ持っていた。水面に映った自分の顔を見た。水が少し揺れた。自分の顔が歪んだ。その者はそれを見ていた。

長い間、見ていた。

集落には戻れなかった。

一人でいることが続いた。果実を食べた。根を掘った。夜は岩の下に入った。石はいつも手元にあった。

二十七歳の冬、川沿いを歩いていたとき、声の大きな男と三人の者に出会った。

囲まれた。

その者は石を出した。光るものを持っていることを見せた。でも声の大きな男は今回は後退しなかった。仲間がいたから。その者は走った。川沿いの岩場を走った。足が滑った。

水の音がした。

それから、静かになった。

与えるもの

光を縁に落とした。

その者はそれを目で追った。手で触れた。三年、その指は縁を離れなかった。

それで充分だったか。わからない。次に渡すべきものが、もうない。川の底で縁は光らない。でも、誰かがそれを見た。見た者が、また何かを拾うかもしれない。

伝播:HERESY 人口:479
与えるものの観察:縁を見た目が、縁を覚えている
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第460話

紀元前297,710年

第二の星

乾いた風が続いた後、雨が来た。

一度ではなく、三度。四度。草の根が水を吸い、土が臭いを変えた。川床が戻り、水を飲める場所が二つに増えた。しかし緊張は消えなかった。

水場に旧人の痕跡が残っていた。大きな足の形。獣の骨。彼らの集団は動いた。どこへ向かったかは、この星だけが知っている。

遥か南では、丘の斜面に群れが一つ、火を持っていた。火は夜に見えた。昼には煙だけが残った。彼らは火を囲む者と、火の外に立つ者を分けて座っていた。その分け方に理由があったかどうか、この星は判断しない。

北の湿地では、泥の上に何かが倒れていた。大きな体。膝が外に向いていた。息はなかった。雨が降り、泥が体の輪郭を少しずつ埋めた。

集団の内側で何かが変わっていた。変わった、と言えるかどうかわからない。しかし水場の奪い合いの後から、誰かがこの者を遠巻きにするようになった。距離の取り方が変わった。目の向き方が変わった。

この星は照らす。雨も、泥も、距離も、同じ光の中に置く。

与えるもの

川が戻ったとき、流れの縁に丸い石と平たい石が並んで打ち上げられていた。

熱がそこに溜まった。日中、平たい石だけが光を蓄え、触れると他より温かかった。

この者は両方を触った。しかし温度の差には気づかなかった。いや、気づいたかもしれない。気づいた上で、意味を持たなかったのかもしれない。それとも。

渡すべき次があるとすれば、温度ではなく重さかもしれない。同じように見えるものの中に、違いがある。その違いを手が覚えるかどうかを、もう少し見る。

その者(27〜32歳)

雨が来た夜、穴の奥で体を丸めていた。

音がした。外で何かが倒れる音。獣か、木か。体が固まった。呼吸を浅くした。音がやんだ。また雨の音だけになった。

朝、外に出ると木が一本倒れていた。根が浮いて、土が裂けていた。その者は根の端を触った。ぬるりとしていた。指に土が残った。嗅いだ。穴の中の臭いと違った。

川に水が戻っていた。

走らなかった。歩いた。急ぐことを誰かに見られることが、この頃、何かを変える気がしていた。なぜかはわからない。体がそう動いた。

川縁に石があった。丸い石と平たい石。その者は二つを手に取った。ひとつずつ、握った。置いた。また拾った。

集団のひとりが近くに来た。その者の手の中の石を見た。音を出さなかった。そのまま離れた。

その者は石を川に投げた。丸い方だけ。平たい方は、持ち帰った。

夜、穴の中で平たい石を胸の下に敷いた。温かくはなかった。しかし何かが落ち着いた。

外で誰かが唸った。低い声。怒りではなく、警戒の声。その者は息をひそめた。石を握ったまま、目を開けていた。

夜が続いた。

伝播:HERESY 人口:469
与えるものの観察:温度の差を手が知るより先に、重さを体が知った。
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第461話

紀元前297,705年

第二の星

乾いた季節が終わり、雨がきた。

それは一度の雨ではなかった。三度、降った。土が水を吸い、草の根が動き、川床に水が戻った。水を飲める場所が増えた。それだけのことだった。しかし集団は揺れていた。

水場が増えたことで、近づく者たちがいた。

体つきが違う。額が低く、眉骨が厚い。腕が長く、声が低い。同じ水を飲もうとした。同じ岸に立とうとした。

川の上流側にいた集団の者たちは石を持った。持ったまま、動かなかった。下流側にいた者たちも石を持った。二つの集団が川を挟んで向き合い、石を持ち、声を出した。低い声が重なり、水面が揺れた。

その者は離れた岩陰から見ていた。

石は投げられなかった。その日は。

翌朝、額の厚い者たちは上流へ消えた。足跡が残った。集団の長老格の男が足跡を踏み、臭いを嗅ぎ、何かを唸った。周囲の者たちが応じた。唸りは短かった。

緊張は消えなかった。消えないまま、日が続いた。

火を囲む夜、誰かが遠くで動く音を聞くと、全員が静かになった。静かになったまま、音が止むのを待った。音が止んでも、すぐには動かなかった。子どもの一人が泣きかけて、母親の手が口を塞いだ。泣き声は出なかった。

その者は岩の割れ目を見ていた。

石と石の間に、小さな根が生えていた。雨の後に伸びたものだった。踏めば折れる。しかし誰も踏まなかった。誰も気づいていないから踏まなかったのではない。そこを歩く者がいなかった。火を囲む輪の外側、誰も行かない場所だった。

川下で何かが倒れる音がした。

集団は動かなかった。

夜が明け、川下の茂みに血の臭いがした。長老格の男と若い二人が近づいた。草を踏む音がして、戻ってきた。二人は何も言わなかった。男は何も言わなかった。火の前に座り、燃えさしの枝を押した。

その者は長老格の男の手を見た。

枝を押す手が、わずかに揺れていた。

与えるもの

岩の割れ目に生えた根に、光が落ちた。

その者はそれを見た。しばらく見た。それから火の方へ戻った。

根は踏まれなかった。光の中で揺れていた。これが次に渡すべきものかどうか、わからない。しかし渡したかったのは根ではなく、踏まれなかったという事実だった。それが届いたかどうか、まだ問いの形にもなっていない。

その者(32〜37歳)

火の前に戻り、膝を抱えた。

川下の臭いがまだ鼻にあった。長老格の男の手が揺れていたことを、誰も言わなかった。その者も言わなかった。言う音を知らなかった。ただ膝を抱えたまま、火が小さくなるのを見た。

伝播:HERESY 人口:453
与えるものの観察:踏まれなかった根に、何かが宿る気がした。
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第462話

紀元前297,700年

第二の星

雨が去った。

大地の北側、岩が重なる斜面では、草が伸びている。根が浅い草は先に伸び、根が深い草は遅れて伸びる。どちらも光に向かう。どちらも光に向かうが、仕方が違う。

南の低地では、二つの群れが同じ水場に近づいていた。片方は旧人の群れだ。背が低く、眉骨が張り出し、歩き方が違う。もう片方は、その者が属する群れだ。水場の縁で、両者はしばらく動かなかった。どちらも水を飲みたかった。どちらも相手を見ていた。

旧人の一人が水に顔を近づけた。

その者の群れの大人が、唸った。

旧人は顔を上げた。目が合った。

そのまま、両者は水を飲んだ。交互に、ではなく、ほぼ同時に。水は流れ続けた。

川の上流では、獣の群れが渡っていた。蹄の音が水中に沈んだ。ここから群れは見えない。音も届かない。ただ水が濁って流れ、やがて透明に戻った。

星の上では、三つのことが同時に起きていた。草が伸び、二つの群れが水を飲み、獣が渡った。それだけだ。どれかが他よりも重要であるということはない。

与えるもの

その者が大人たちの輪の外に座っていた夜のこと。

火の煙が流れた。風ではなく、それは煙の重さによるものだった。煙は低く横にたなびき、その者の鼻の前を通った。焦げた骨の匂いではなく、皮が焦げる前の、脂が溶け出す温かい匂いだった。

その者は鼻を上げた。

輪の中を見た。大人たちが獣の肉を持っていた。その者には渡されていなかった。その者は輪の中に入らなかった。入れなかった。ただ鼻を上げたまま、匂いの方向を向いていた。

何かが届いたのか、届かなかったのか。

匂いを送ることしかできなかった。渡せるのはそこまでだ。この者が輪の中に入るかどうか、輪に入る術を見つけるかどうか、それはここからは届かない場所にある。

次に何を示せるか、まだわからない。ただ、今夜この者の鼻が動いたことは確かだ。それがどこへ続くかを、私はまだ問い続けている。

その者(37〜42歳)

肉の匂いがした。

その者は鼻を上げた。目を動かした。大人たちが固まって座り、火の傍で何かを引き裂いていた。骨が鳴った。子どもが一人、輪の中に入り、肉を受け取って走った。

その者は輪の外に座っていた。

立ち上がった。足が動かなかった。立ったまま、動かなかった。輪の中の誰かが振り向いた。視線がその者に触れた。そのまま向こうに戻った。

その者は座った。

石を拾った。地面に置いた。また拾った。

翌朝、水場で旧人に出会った。旧人は背が低く、顔の形が違った。その者より年寄りに見えた。旧人は水を飲んでいた。その者も水を飲みたかった。しばらく離れて立っていた。旧人が顔を上げ、その者を見た。唸らなかった。目をそらした。

その者は近づいた。水を飲んだ。

旧人はまだそこにいた。

その者は飲み終えて立ち上がった。旧人がこちらを見ていた。その者も見た。どちらも動かなかった。旧人が先に歩き出した。

その者は長いこと水場に残った。

水が流れる音がしていた。自分の足の下の泥が、体の重みで少しずつ沈んでいくのがわかった。ずぶずぶと、ゆっくり沈んだ。その者は足を引いた。泥が音を立てた。

また沈んだ。また引いた。

何度かそれを繰り返した。

それから群れのところへ戻った。

夜、大人たちが輪になった。その者は輪の外に座った。肉の匂いがした。昨日と同じ匂いだった。その者は輪を見た。子どもが走り出てきた。その者にぶつかった。子どもは転んだ。手に肉を持っていた。

その者はその子どもを見た。子どもは泣かなかった。肉を拾い、また走った。

その者は手のひらを見た。何も持っていなかった。

伝播:HERESY 人口:447
与えるものの観察:煙の匂いを送った。その者の鼻が動いた。
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第463話

紀元前297,695年

その者(42〜46歳)

腹の底が空洞になった気がした。

最初にそれが起きたのは、乾季の始まりだった。水場の土が白くなり、草の穂が折れた。獲物の足跡が消えた。群れの中で、年老いた者から順に動きが鈍くなった。

その者は42歳だった。群れの中では古い方に数えられる年齢だ。

大人たちが岩場の向こうへ散っていくのを見て、その者もついていった。足は動いた。膝は痛かったが、動いた。根を掘った。土が硬くて、指が割れた。割れたまま掘った。

子どもの頃に覚えた真似をした。

重い石を細い石の角で叩く。縁が落ちる。縁が鋭くなる。その鋭い縁で、根の皮を削る。中の白いものを食べる。苦い。飲み込む。

何度も繰り返した。

二年が過ぎた。三年が過ぎた。群れの半分が戻らなくなった。戻らなかった者たちのことを、その者は覚えていた。名前では呼べなかった。名前がなかった。顔を思い出した。においを思い出した。

四年目の初めに、その者の足が遅くなった。

走れなかった。群れの移動についていけなくなった。朝、起き上がるのに時間がかかった。腕が持ち上がらないことがあった。

それでも石を持った。

持てる間は持った。

四年目の終わりに、その者は岩棚の下に座った。起き上がれなかったわけではなかった。起き上がろうとしなかった。

空が白かった。

雲がなかった。白いだけだった。

風が吹いた。乾いた風だった。砂が跳ねた。その者の顔に当たった。目を細めた。

風が止んだ。

その者は手の中の石を見た。小さな石だった。持ち続けていた理由は分からなかった。ずっと持っていた石だった。指の形に馴染んでいた。

置いた。

拾った。

置いた。

それきりにした。

陽が傾いた。岩棚の影が長くなった。影がその者の足を覆い、腹を覆い、胸を覆った。

群れは遠くにいた。

群れの声がどこかから聞こえた気がした。聞こえなかったかもしれない。

その者の体から力が抜けた。ゆっくりと、均等に、端から端まで抜けた。

岩棚の下で、その者は横向きになった。

砂が温かかった。

第二の星

南の低地では、二つの群れが三日ぶりに同じ水場を避けていた。水は濁っていた。上流で何かが腐っていた。群れは別々の方向へ散った。どちらも水を見つけようとした。どちらも見つからなかった日があった。

与えるもの

温度が変わった方向を示した。肌が微かに感じる温かさが、左に偏っていた。その者の視線は空に向いたまま動かなかった。

温かい方に、水があった。

その者は動かなかった。

届かなかった。また、届かなかった。この感覚は何度目か——数えていない。数えることに意味がないのかもしれない。あるいは、届かなかった記憶が積まれることにこそ、何かがあるのかもしれない。次に示すとき、私は別の感覚を選ぶだろう。

糸は別の誰かへ向かった。

伝播:NOISE 人口:464
与えるものの観察:届かなかった。それでも次がある。
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第464話

紀元前297,690年

第二の星

草が膝の高さまで伸びた。

五年、雨は来るべき季節に来た。川は細くなることなく夏を越えた。木の実は枝が折れるほど実り、根は深く張った。獣の群れが増えた。幼い獣が草の中を走り回り、捕食者はそれを追い切れなかった。

始まりの大地の東側では、別の群れが丘の斜面に居を定めた。岩場の割れ目に雨水が溜まり、そこを離れる理由がなかった。子が増えた。年老いた者が死んでも、生まれる声の数が上回った。

同じ頃、大陸の北の端で、異なる形の顎と眉骨を持つ者たちが、丘の反対側を歩いていた。彼らも川沿いに進んでいた。魚が豊富だった。子が育った。

二つの群れは川を挟んでいた。互いの焚火の煙が見えた。

草原の夜は長く静かだった。虫の声が満ちていた。どこかで子が泣いた。別の場所で笑い声に似た声がした。風が吹いた方向に、遠い焚火の匂いが混じった。

与えるもの

糸が繋がった。

朝の草地に光が落ちた。斜めから、強く。その者の足元ではなく、三歩先の草の束に。そこだけ露が光った。

その者は立ち止まった。

草の束を踏まなかった。踏まなければ見えないものがあった。獣の糞。昨夜のものだ。大きな爪の跡が、露の中に残っていた。

受け取った。

問い:受け取ったことで、生き延びた。生き延びたことで、何かが続く。それが何かを、まだ知らない。次に渡すべきものがある気がする。足跡ではない。もっと遠いものだ。

その者(25〜30歳)

夜明けに草地へ出た。

先を行くのがこの者の役割だった。群れが動く前に、道を確かめる。獣がいるか。水がどこにあるか。足場が崩れていないか。

草が高かった。腰から胸の高さまで育った茎が、朝の光の中で揺れた。

三歩先で立ち止まった。

理由を言葉にする手段がなかった。ただ、止まった。

草の束を目で追った。露が光っていた。ひとつひとつが丸く、重さで垂れていた。その中に、押しつぶされた形があった。

屈んだ。手を伸ばした。草を払った。

土が掘られていた。大きな足の形。指の間に爪の跡。

体の中が変わった。胸ではなく、背中の奥が引っ張られるような感覚だった。

立ち上がった。向きを変えた。

走らなかった。走ることが音を立てることを知っていた。草の茎を手でよけながら、体を低くして、来た道を戻った。

群れのところに着いた。

声を出した。低い、短い声。次に腕を上げた。手のひらで前を押さえるように。

群れが止まった。

それだけだった。それで十分だった。

伝播:NOISE 人口:603
与えるものの観察:渡した。受け取られた。続きがある。
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第465話

紀元前297,685年

第二の星

大地が飲み込んでいた。

乾いた季節の記憶など、もう土の下深くに埋まっている。雨は来るべき夜に来て、来るべき朝に止んだ。川は溢れなかった。岸は削られなかった。水は流れるべき方へ静かに流れ、やがて草原の低い窪みに溜まり、そこに小さな獣が集まり、小さな獣を追って大きな獣が来た。

東の丘陵では木々の枝が重かった。実が落ちる前に熟れ、落ちた実を別の何かが食べ、食べたものの糞に混じった種が翌年また芽吹いた。その連鎖がこの五年、一度も途切れなかった。

北の岩地では別の者たちが動いていた。旧い形の骨格を持つ者たちで、額が低く、肩が広かった。彼らは岩の陰で子を産み、岩の陰で子に食物を与えた。豊穣の年は彼らにも届いていた。群れの数が増えた。移動の範囲が広がった。かつて誰も来なかった谷に、彼らの足跡が現れ始めた。

その谷の向こうでは、また別の者たちがいた。

水場を挟んで二つの集団が近づいていた。どちらも腹は満ちていた。しかし腹が満ちているとき、別の何かが頭をもたげてくる。縄張りの感覚、あるいは他者への目、あるいはただの視線の重さ。どちらも引かなかった。声を上げた。石を持った。

しかし、その日は何も起きなかった。

それぞれが別の方向へ散っていった。獣が多い季節には、争う必要がまだなかった。ただ、互いの顔を覚えた。匂いを覚えた。次に会ったとき、それが何になるかは、この星にもまだわからない。

西の海岸近くでは、潮が深く内陸まで満ちる季節だった。貝が砂の中に大量に潜んでいた。子どもたちが泥の中を踏み歩き、足の裏で貝の硬さを探していた。見つけるたびに声を上げた。高い声だった。大人たちがそれを聞いていた。聞いていて、何かをしていた。

何をしていたか、この星には見えない。ただ、大人たちの手が動いていた。

雨は今夜も来るだろう。大地は受け取るだろう。この星は傾きながら、次の季節へ向かっていく。その重さのなかで、集団の数が増えた。産まれた数が、死んだ数を大きく上回った。子たちの声が、草原のあちこちから聞こえた。

豊穣は恐ろしい。

すべてのものが増えるとき、ぶつかるものも増える。この星はそれを何度も見てきた。しかし今は、まだ、ぶつかりきっていない。草が深く、実が重く、水が満ちているあいだは、まだ。

与えるもの

水場のそばに、泡立つ浅瀬があった。そこで魚が跳ねていた。何匹も、続けて。

温度が変わった。その者が立っている場所の空気だけ、わずかに冷えた。浅瀬の方から来る風だった。

その者は振り向かなかった。

魚が跳ね続けた。水音がした。何匹分かの音だった。

それでもその者は振り向かなかった。

――踏まれず残る、ということを、私はずっと渡してきたのかもしれない。しかし踏まれず残るためには、まず見ることが必要だ。見なければ避けられない。次に渡すべきものは、向き直ることそのものだろうか。それとも、向き直ることを促す何かだろうか。

その者(30〜35歳)

草が腰まで来る草地を、その者は歩いていた。

先を行く役目だった。危険を見つけ、声で知らせる。集団のなかで、それがこの者の場所だった。

風が変わった。冷えた風が脇から当たった。

その者は止まらなかった。前を見たまま歩いた。

背後で子どもたちの声がした。それを聞きながら、また歩いた。

伝播:NOISE 人口:784
与えるものの観察:向き直ることを、渡せていない。
───
第466話

紀元前297,680年

その者(35〜38歳)

草地の朝は、足の裏から来る。

その者は踵から指の付け根まで、草の圧を読んでいた。水気の多い草は根が深い。根が深いところに獣は来る。獣が来るところに、食がある。集団の中で誰も教えなかった。ただそこに行った。戻ってきた。それだけを繰り返した三年間が、その者の脚の筋肉を作った。

集団は増えていた。

腹の大きい女が四人いた。子を背に括りつけた者が七人いた。食が続いている証だった。ただ、顔と顔の間に割り込んだ目の険しさも増えていた。誰の取り分か。どちらの方向へ行くか。唸り声が長くなった。身振りが荒くなった。

その者はそれを離れたところから見ていた。

いつからか、その者は集団の少し外を歩くようになっていた。先行役だからではなく、人の密度が高くなると息が詰まるような感覚があったからだ。体の奥の感覚だった。胸ではなく、もっと下。腹の芯が締まる感じ。

ある日、集団の長老格の男が、その者を睨んだ。

理由はなかった。あるいは理由は言葉にならなかった。ただその眼差しは、その者が「離れた場所を知りすぎている」ことへの、本能的な警戒だった。どこへ行く。なぜ一人で戻る。その者の示す方向に集団が従いすぎる。

翌朝、水を汲みに行ったその者の後を、二人の男が追った。

川岸で、その者は膝をついていた。手を水に入れた。水が冷たかった。

気配に気づいたとき、もう遅かった。

岩が頭の側面に当たった音は、鈍く低かった。その者は水に向かって前のめりに倒れ、顔が川面に触れた。冷たさだけが、しばらく続いた。

やがて、それも消えた。

水は流れ続けた。

第二の星

東の丘の裾で、雌の獣が子を産んでいた。三頭。二頭は立った。一頭は草の上で動かなかった。母獣は動かない子を嗅いだ。また嗅いだ。それから離れた。東の空は白く、風はなかった。

与えるもの

川岸で、水面に揺れる光が一瞬だけ強くなった。それから、糸は別の誰かへ向かった。

伝播:HERESY 人口:752
与えるものの観察:渡した。届く前に、終わった。
───
第467話

紀元前297,675年

第二の星

岩の台地が割れている。何万年もかけて割れてきた亀裂が、ちょうど今、雨季の水を引き込んでいる。南の草地では獣の群れが移動し、踏み固められた道が生まれ、消えていく。

集団は大きくなっていた。腹を空かせる者が減り、幼い者が生き残り、争いが増えた。腹が満ちると声が大きくなる。声が大きくなると、誰が何を持つかが問題になる。

北の台地に、別の集団がいた。肌の色がわずかに異なる。眉の稜線が違う。しかし同じ火を囲み、同じ方法で石を割る。二つの集団は季節ごとに水場を共有していたが、今年、片方がより早く来るようになっていた。

始まりの大地の西、乾いた岩の斜面で、老いた者が一人、座っていた。誰にも見えない方向を向いていた。膝を立て、腕を乗せ、そのまま動かなくなった。斜面を風が渡り、衣代わりの皮が揺れたが、その者は揺れなかった。

8歳のその者は、荷物を担いで集団の後ろを歩いていた。

与えるもの

糸が繋がった。

この者がなぜかは、わからない。

渡す、と思う前に、渡していた。

温度だった。集団が進む方向より、少し東、岩の隙間から出てくる風が、ほんの少し冷たかった。その冷気がその者の首筋に触れた瞬間、与えるものは、その感触を引き延ばした。長く、長く、首筋に留めた。

その者は立ち止まった。首を東に向けた。岩の隙間を見た。見て、また歩き始めた。

渡し損ねたか。

いや、見た。見て、しまった、という感じではなかった。見て、それから足を動かした。あの岩の隙間を、この者の中に置いてきたかもしれない。

次に渡すものを考える。光か。音か。この者の年齢では、音の方が届きやすいかもしれない。

その者(8〜13歳)

担いでいる荷物は、皮袋に詰めた何かだ。中身はわからない。重い。

重いものを持つのがその者の仕事だった。小さいのに力がある、と大人たちは声で示す。低い唸りと、肩を叩く手の平。それが誉め言葉だということは知っていた。

坂道が続く。足の裏が岩に押し返される感覚。踵に小石が当たる。その者は下を向いて歩いた。

首筋が冷えた。

集団の進む方向ではない場所から、空気が来ていた。その者は顔を上げた。岩と岩の間に、暗い割れ目があった。そこから風が来ていた。

集団は進んでいた。大人の背中が前に行く。

その者は岩の割れ目を見た。見て、荷物を担ぎ直した。また歩き始めた。

しかし、三歩歩いたあと、もう一度だけ振り返った。

割れ目は暗いままだった。風はまだ来ていた。

その者は何かを口の中で鳴らした。唸りではなく、息を押し出すような短い音。それから集団の後を追って走った。

荷物が背中でぶつかりながら揺れた。

伝播:DISTORTED 人口:755
与えるものの観察:振り返った。それで十分かもしれない。
───
第468話

紀元前297,670年

その者(13〜18歳)

荷物が重かった。

皮を何枚も束ね、背に縛り付けて、その者は坂を上った。足の裏で土の柔らかさを感じた。雨がまた降るかもしれなかった。空の底が白く濁っていた。

集団は増えていた。

その者が子どもだった頃、夜の焚き火を囲む顔はそれほど多くなかった。今は端の方まで座る場所がなく、押しのけられた者が暗がりで肉を食う。その者はいつも端にいた。押しのけた側ではなく、押しのけられた側だった。

荷物を運ぶ。火の番をする。

それがこの者の場所だった。

坂の途中で、腰を下ろした。荷が重かったからではない。草の向こうに何かを見た気がしたからだ。いや、見たのではない。匂いだった。雨の前の土と、別の何かが混ざった、わずかな匂い。

その者は鼻を動かした。

集団の者たちが使う水場より、上の方から来ていた。流れの源に近い側。滅多に誰も行かない方向。そこには大きな岩の裂け目があって、雨が降ると水が溜まり、乾季には消えた。

匂いは消えた。

その者は立ち上がり、荷物を背負い直した。坂を上った。皆のいる場所に着いたとき、重い荷を地面に落とした音を、誰も聞かなかった。

夜、火の番をしながら、その者は水場の方向を見ていた。

炎が揺れた。風が来ていた。上の方から。

その者は目を細めた。何を探しているのか、自分でもわからなかった。火から目を離すことは許されなかった。しかしその者の体の半分は、すでに暗い草地の向こうにあった。

翌朝、荷物を運ぶ前に、その者は岩の裂け目まで行った。

誰にも言わなかった。

水が溜まっていた。透明だった。いつも集団が使う濁った水場とは違った。その者は水に触れた。冷たかった。顔を近づけて、飲んだ。

それだけだった。

帰り道で、その者は石を拾った。別に必要ではなかった。ただ、手に持ちたかった。坂を下りながら、石を握っていた。

第二の星

雨の多い年が続いていた。

大地の裂け目は水を引き込み、低い場所に新しい水路を生んでいた。動物たちはその水を飲みに来て、その獣を狙う者たちが来て、獣の跡を追う者たちが来た。食べるものが豊かにある場所には、やがて多くの命が集まる。

集団は膨らんでいた。

かつては数えるほどだった火が、今は夜になると幾つも点った。子が生まれ、育ち、また子を産んだ。幼くして倒れる者の数より、生き残る者の数の方が多い季節が続いた。

しかし豊かさは静かではなかった。

食いものを奪う者がいた。眠っている間に持ち物を取られる者がいた。水場の近くに自分たちの場所を確保しようとして、押しのけ合いが起きた。叫び声は夜にも昼にも聞こえた。

遠くの草地では、別の集団が移動していた。彼らも水を求め、獣を求め、この大地の豊かな場所へ向かっていた。

大地はまだ広かった。しかし人は、広い場所の中でも同じ場所に集まる。

水が流れる。命が増える。争いが増える。それは同じことの三つの言い方だった。

この星はそれを見ていた。善くも悪くもなく、ただ見ていた。

与えるもの

岩の裂け目から流れる水の匂いを、鼻で辿った。

この者は来た。飲んだ。石を拾って帰った。

水場を知ったのか、石が気に入ったのか、それとも別の何かを持ち帰ったのか。次に渡すなら、水ではなく、水の在処を選ぶ力そのものかもしれない。

伝播:NOISE 人口:982
与えるものの観察:匂いで来た。飲んだ。石を持って帰った。
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第469話

紀元前297,665年

第二の星

大地の南では雨季が終わり、草原が乾き始めていた。地面の割れ目に沿って、昨季の種が発芽している。それらはまだ小さく、踏まれればわからない。

集団は膨らんでいた。腹が減る口が増え、声が増え、縄張りを主張する者が増えた。かつて一つだった集まりが、どこからともなく二つの塊になっていた。境界線はない。しかし腕の届く距離に近づいた時の、唸り声の違いがある。それだけだ。

北の丘の向こうでは別の集団が動いていた。旧い形をした者たちで、眉の骨が厚く、手のひらが広い。彼らは川沿いに沿って移動し、三日後にはここからは見えない場所に消えた。

火が三か所で燃えていた。それぞれ、別々の者が管理している。一つは夜通し保たれ、一つは朝には消えていた。一つは誰が起こしたのか、誰も知らない。

その者は小さかった。集団の中で最も背が低く、最も荷を多く持たされた。それでも足は動いた。坂を、野原を、川縁を。運ぶことが、この者の存在だった。

川が光を受けて揺れていた。空の白さが深くなっていた。

与えるもの

この者と10年になる。

煙が流れる方向に、匂いがあった。腐った肉の甘さではなく、青草が潰れたような、生きたものが踏まれる匂い。その匂いを、風に乗せた。届くかどうかは別の話だ。

この者はそちらを向いた。

よかった、とは思わない。匂いの先に何があるかを、まだこの者は知らないからだ。知った上でどうするかが問題なのだ。しかし次に渡すべきものが、もう見えている。逃げ道の形をしている。

その者(18〜23歳)

風が変わった。

その者は荷を背負ったまま止まった。

匂いがした。草の匂いではなかった。何かが動いている匂いだ。獣ではない。もっと大きなものが近づいている、その気配だった。

振り返った。集団の中の二人が、こちらを見ていた。目が合った。どちらも逸らさなかった。

その者は荷を下ろした。ゆっくりと。音を立てないように。

集団の中で何かが決まっていた。この者は知らなかった。知りすぎた者を消すことが。火の番をしながら聞いてしまったことが。唸り声と身振りで、伝えてはならないことを見てしまったことが。

石が飛んできた。

側頭部に当たった。その者は倒れなかった。よろけた。もう一度石が来た。今度は肩だった。

走った。

荷物を置いたまま走った。草が足首を打った。地面が柔らかくなり、また硬くなった。坂を下り、斜面の向こうに消えた。追う声がしばらく続き、やがて止んだ。

茂みの中で、その者は膝をついた。

呼吸が荒かった。肩が熱かった。耳の横に何か濡れたものが伝っていた。触れると赤かった。

草の匂いが強かった。風がその方向から吹いていた。

その者は立ち上がった。

荷物はなかった。集団もなかった。火もなかった。足だけがあった。

歩いた。

草が揺れる方へ、ただ歩いた。振り返らなかった。振り返るための言葉を、この者は持っていなかった。

伝播:HERESY 人口:934
与えるものの観察:匂いを渡した。足は動いた。
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第470話

紀元前297,660年

その者(23〜24歳)

雨が多かった季節が終わり、草は膝まで伸びていた。

その者は集団の端を歩いた。いつもそうだった。最も小さな者は端にいる。荷を背に巻きつけ、前を行く者の足跡を踏んだ。踏み外すと草が湿っていて、足首まで沈んだ。

食べものは溢れていた。木の実が枝を重くした。獣の群れが川沿いを移動した。腹が空くことがなかった。しかし集団は大きくなりすぎていた。声が増えた。肘が触れた。眠る場所が足りなかった。

その者は知っていた。知っていたというより、感じていた。

大きな者たちが集まり、低い声で唸り合うとき、その唸りの向かう先がある。目が動く方向がある。その者はその目の動きを読んでいた。誰が誰を見るか。誰が誰を見ないか。見ないことが、何かを意味することがある。

あの夜、火の番をしていた。

炎が低くなったとき、薪を足した。煙が上がった。その煙の中に何かが混じっていた。甘い草が焦げる匂いとは違う。肉の脂の匂いとも違う。その者は鼻を動かした。

風が、南から来ていた。

その者は立ち上がった。南の暗闇に目を向けた。何も見えなかった。しかし匂いが続いた。その者は一歩、南へ踏み出した。

そこに、いた。

別の集団の者が、草の中に伏せていた。複数の体が、闇に紛れていた。その者は声を上げようとした。

後ろから来た。

音はなかった。

その者は草の中に倒れた。膝が先に着いた。次に顔が地面に触れた。湿った土の匂いがした。草の根が頬に当たった。

目は開いたままだった。

南の空が、少し白んでいた。

火はまだ燃えていた。

第二の星

大地の東の縁では、河が氾濫して低地を飲み込んでいた。魚が草原の上を泳いだ。北の高地では、氷が後退し、岩が剥き出しになった。岩の下で、何かが冬眠から覚めた。世界は膨らんでいた。その者が倒れた場所でも、草だけが風に揺れた。

与えるもの

糸は別の誰かへ向かった。

伝播:HERESY 人口:1,153
与えるものの観察:匂いで気づいた。それだけが間に合わなかった。
───
第471話

紀元前297,655年

第二の星

雨が、続いた。

終わらない雨だった。乾いた季節を忘れるほど、水が降り続けた。大地は吸いきれず、低い場所から順に水を溜めた。草の根が水を飲んだ。木が太った。実が膨らんだ。

始まりの大地の北では、川が岸を越えた。越えたまま、新しい水辺を作った。古い獣道は消え、水鳥が飛来した。魚が増えた。水辺に集まる獣もまた増えた。集団は動かなかった。動く必要がなかった。

子が生まれた。また生まれた。死んだ子もいた。しかし生き残る子の方が多かった。珍しいことだった。腹に子を宿したまま崖から落ちる者もなく、老いた者が静かに力を失うだけだった。

集団が、大きくなった。

大きくなると、音が増えた。唸り声が増えた。食べ物をめぐる押し合いが増えた。誰かが誰かの腕を摑んだ。誰かが石を持ち上げた。誰かが血を流した。

豊かな時代は、必ずしも静かではなかった。

始まりの大地の東では、別の集まりがあった。顔の形がわずかに違う。眉の骨の出っ張りが厚い。背が低く、腕が長い。彼らも同じ雨の下で暮らし、同じ川の水を飲んでいた。

二つの集まりは、以前から知っていた。知っていたが、近づかなかった。それでよかった。食べるものが別の場所にあるうちは。

しかし実りの場所が重なった。

川の曲がり角に、木の実が集中する場所があった。そこへ両方が来た。押し合いになった。唸り声が上がった。石が飛んだ。

子どもは後ろに退いた。

この星から見れば、どちらも小さかった。豊かな大地に点在する、二握りほどの命。殺し合っても、星の丸みは変わらなかった。水は流れ続けた。実は落ち続けた。

争いは続いた。夜になっても続いた。

一人の者が消えた。集団の端にいた者だった。小さな者だった。誰も追わなかった。追う余裕がある者は、まだ石を持っていた。

星は雨を降らせた。石が飛ぶ場所にも、逃げた者が向かう暗い林にも、同じように。

豊かな時代の夜は、長かった。

与えるもの

糸が繋がった。

林の中に、白い茸が光るように群れていた。月がない夜、それだけが見えた。

この者は足を止めた。しゃがんだ。手を伸ばしかけた。

食べられるものかどうか、知らない。食べなかった。ただ、見た。

見続けた。

それで良かったのかもしれない。見ることが、最初の渡し方だったかもしれない。触れずに見る者は、まだ明日に続く。では次は何を見せるべきか。見るだけでは足りない時が来る。その時、この者の手は何を選ぶのか。

その者(10〜15歳)

走った。

後ろから声がした。追ってくる音ではなかった。しかし走った。

林に入った。暗かった。足が根を踏んだ。転んだ。起き上がった。

息が荒かった。胸が鳴っていた。

しゃがんだとき、足元に白いものが見えた。群れていた。光のように見えた。

手を伸ばしかけた。止まった。

そのまま、見ていた。

伝播:HERESY 人口:1,424
与えるものの観察:見ることが、今夜の渡し方だった。
───
第472話

紀元前297,650年

第二の星

草が、腰まで伸びた。

豊穣の五年が大地を太らせた。谷に水が溜まり、根が深く入り込み、実をつける木が増えた。集団は人を増やした。子が生き延び、老いた者も今年を越えた。

しかし、広がれば、ぶつかる。

西の斜面に棲む一群と、川沿いの低地に棲む一群が、水場の近くで向かい合うことが増えた。声を上げ合う。石を持ったまま立つ。まだ血は流れていない。それだけだ。

北の乾いた台地では別の動きがあった。旧い顔つきの者たちが、新しい者たちと同じ焚き火の周囲で眠っている。毛の色が違う。骨格が違う。しかし火の熱は同じように温める。彼らがいつからそこにいるのか、記録する者はいない。ただ、いる。

南の岩棚の下に、五つの手形が並んでいた。赤い顔料で押しつけた跡。誰の手か、誰もわからない。風雨に晒されれば消えるだろう。まだ消えていない。

この星は等しく照らす。豊穣も、緊張も、旧い手形も。

与えるもの

今度は、音だった。

その者が眠りに落ちかけたとき、遠くで石が石を打つ音がした。一度だけ。自然に転がった音ではない。リズムがあった。

その者は目を開けた。

打った。また打った。それと同じ音かどうかは、わからない。しかしその者の手は、傍らにあった石を握っていた。

渡せたのか。それとも、ただ眠れなかっただけか。五年前にも似たことがあった。違う者だったが。あの者も、手を伸ばしかけたまま、消えた。今度はどうか。問いは終わらない。次は、音の間隔を変えてみる。

その者(15〜20歳)

その者は集団の端にいた。いつからか、そうなっていた。

食べ物を取りに行くとき、誰かの後ろについていく。水場では最後に飲む。声を上げても、誰も振り返らない。知らないうちに、そういう位置に押し込まれていた。押した者がいるわけではない。ただ、そうなった。

五年が経った。集団は大きくなった。大きくなると、隙間が増える。その者はその隙間にいた。

夜、焚き火の明かりが届かない石の上に座っていた。膝を抱えていた。遠くで子どもたちが鳴き声を上げている。成人の男たちが身振りで何かを決めている。その者には関係なかった。

そのとき、音がした。

石が石を打つ音。一度。

その者は顔を上げた。風が止んでいた。虫の音も消えた。静けさの中に、その音だけが残った。

手が動いた。傍らの石を握った。小ぶりで、縁が尖っていた。持ち慣れた感触ではなかった。それでも、握ったまま離さなかった。

別の石を探した。地面を手で探り、平たいものを見つけた。

打った。

鈍い音がした。違った。何が違うかはわからなかった。もう一度打った。また違った。何度も打った。手が痺れた。石の縁で掌が切れた。血が出た。

やめなかった。

夜が深くなり、焚き火が弱まり、成人たちが横になった。その者はまだ石を打っていた。

音が変わった。

高い、澄んだ音がした。一瞬だけ。その者の手が止まった。石を見た。暗くて見えなかった。指で縁を確かめた。鋭かった。前より、鋭かった。

その者は傷ついた掌でその縁を確かめ続けた。痛みがあった。それでも指を離さなかった。

夜明けに、その者は石を二つ持ったまま眠った。

翌朝、集団の中の一人の男がその石を見た。男は奪おうとした。その者は声を上げた。初めて出た声の大きさだった。男は止まった。しかし、目の色が変わっていた。

その日の夕方、その者は集団の端から外に出た。自分から出た。石を両手に持ったまま。

戻らなかった。

三日後、川の下流で、その者の体が見つかった。岩に挟まっていた。流れに落ちたのか。押されたのか。問う者は誰もいなかった。石は、なかった。

伝播:HERESY 人口:1,351
与えるものの観察:音が届いた。手が動いた。しかし間に合わなかった。
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第473話

紀元前297,645年

第二の星

大地の北端では、草が岩の割れ目から押し上がっている。雨が数日続いた後、湿った空気が低く漂い、霧が谷を満たした。

南の平原では、別の集団が水場を巡って三日間の緊張を続けていた。石を持ち、叫び、それでも触れなかった。水場の前で向き合ったまま夜が来て、夜が明けて、一方が引いた。引いた者たちは東へ向かった。背中が草の中に消えた。

森の外れでは、旧人の群れが木の皮を剥いでいた。長い腕で幹を抱え、黙々と剥いだ。目的は見えない。彼らは声を出さなかった。

集団の中心では、子が二人、同じ日に生まれた。どちらの母親も生き延びた。それはめったにないことだった。

大地はすべてを等しく照らす。豊かな者も、引いた者も、旧人の背中も、新しく生まれた二つの命も。

同じ光の下に。

その者の集団では、人が増えすぎた。増えすぎたことを誰も言葉で言えなかった。しかし体が知っていた。誰かが余るという感覚を、皮膚が先に受け取っていた。

与えるもの

あの日、石と石が触れて高い音を立てた。掌が血を出した。それでも手は止まらなかった。

今日は風だ。

その者のいる方向から、少し外れた場所に向かって風が吹いた。草が倒れた。その者の右肩の後ろで、草の穂が一方向に揺れた。

揺れた先に、集団の外縁から外れた男がいた。石を持っていた。その男はその者を見ていた。

風が来た。草が揺れた。その者は首を動かしたか。

問いが残る。首を動かすことと、見ることと、知ることの間に、どれほどの距離があるのか。渡せるのは揺れるものだけだ。揺れたものを目で追うかどうかは、この者が決める。次に渡すべきものが何かは、まだわからない。しかしまだ渡す。

その者(20〜25歳)

肉を分けた。

獲物は大きかった。雄の足が長く、首が太かった。男たちが数人がかりで引きずってきて、広場の真ん中に置いた。

その者は端に座って待った。順番がある。子は後だ。年寄りが先に取り、次に男が取り、それから女が取る。その者はまだ子の側に置かれていた。二十を越えても。

渡ってくる肉は小さかった。腱が多く、嚙み切るのに時間がかかった。それでも食べた。

夜、火の周りに人が集まった。

ある男が立った。男は声を上げた。何かを主張していた。手が動いた。別の男が立った。二人の声が重なった。その者には意味がわからなかった。ただ音と体の大きさがあった。

男の一人がその者を見た。

視線だった。それだけだった。しかしその視線は長かった。その者は俯いた。肉の脂が手に残っていた。指で拭った。また俯いた。

右肩の後ろで草が揺れた音がした。

その者は首を動かさなかった。

しかし動かさなかったことに、少し遅れて気づいた。草が揺れた。自分は動かなかった。その二つが胸の中で並んだ。何かではなかった。ただ並んだ。

翌朝、その者は集団の外縁を歩いた。

昨夜の男が、遠くにいた。石を持っていた。男はこちらを見ていた。その者は止まらなかった。しかし歩く速さが変わった。脚が知っていた。

草の中に入った。草は腰より高かった。体が見えなくなるまで入った。

そこで立ち止まった。

心臓の音がした。速かった。自分の胸の中で何かが打っていた。その者はそれを知っていた。しかし今日は違った。打ち方が速すぎた。それが何を意味するか、言葉はない。ただ速かった。

草が風で揺れた。その者は揺れる方向を見た。

男はいなかった。

伝播:HERESY 人口:1,280
与えるものの観察:草が揺れた。首は動かなかった。しかし気づいた。
───
第474話

紀元前297,640年

その者(25〜27歳)

歯が三本、抜けた。

夏の終わりに抜けて、秋の初めにまた一本。歯茎から血が滲み、その者は舌先でそこを何度も押した。痛みではなく、確かめるように。

足の裏が厚かった。長い移動の後、皮膚が何層にも重なって、礫だらけの地面を素足で踏んでも何も感じない場所があった。その者はそこを自分で触り、指の腹で押した。何も感じないことを確かめた。

子どもたちが走っていた。その者は走れなかった。走れなかった記憶もなかった。

炎の近くで体を丸め、膝を胸に引き寄せた。関節が音を立てた。低く、湿った音。誰も振り返らなかった。

水場まで歩いた。水を飲んだ。立ち上がろうとして、腕が震えた。それでも立った。立ったまま、空を見た。雲が低く流れていた。その下で、集団の誰かが獣の皮を石で叩いていた。規則的な音が、草の上に広がった。

その者は戻らなかった。

水場の縁に座ったまま、傾いた。傾いて、そのまま草の上に横になった。水の音が近かった。

草が風で揺れ、その者の顔に影が落ちた。炎の匂いが、遠くからまだ届いていた。その者は口を開けた。閉じた。

水が流れていた。流れ続けた。

第二の星

南の平原では、昨日まで向き合っていた二つの集団のうち一方が、水場から半日の距離まで退いていた。退いた側の一人が、乾いた土の上に石を並べていた。並べ方に意味はなかった。ただ並べた。並べながら、空を見た。

与えるもの

炎の匂いを嗅いで口を開けたとき、光がその者の手の甲に落ちた。その者は手を見た。光の中にある、自分の手の皺を見た。

その者の指が石の染みに触れた。触れたまま、力が抜けた。

伝播:DISTORTED 人口:1,275
与えるものの観察:渡した。届かなかった。また渡す。
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第475話

紀元前297,635年

第二の星

乾いた季節が続いた。

草原の縁に立つ木々は葉を半分落とし、川は細く、岩の上を薄い水の膜が這うだけになっていた。それでも集団は大きかった。昨年と一昨年、獲物が増えた。子が増えた。子の多くが生きた。それだけの話だった。

大きくなることは、軋みを生んだ。

岩棚の下に寝場所がある。火を囲む輪の内側に座る権利がある。肉の分け前がある。水場への道がある。数が増えれば、その全てが足りなくなる。足りなくなる前に、奪う。それが先にやるということだ。

南から来た集団が三日前に姿を見せた。七人か八人、男ばかりの群れで、崖の上から川を見下ろしていた。誰かが声を上げた。彼らも声を返した。それで終わりにならなかった。

次の朝、東の岩場で鉢合わせた。片方の男が棒を持ち上げた。もう片方が石を投げた。石は頭の上を飛んで岩に当たった。二度目の石は当たった。頬骨の下あたりに。男は座り込み、仲間が引いた。南の群れが引いた。その日は終わった。

しかし三日後にまた来た。

今度は夜だった。火の向こう側から声がした。低く、繰り返す声。子供を抱いた女が木の陰に入った。老いた者が立ち上がれなかった。若い雄が四人、火の外側に出た。暗がりで何かが動いた。棒が振れた。誰かが叫んだ。誰かが逃げた。火が揺れた。

朝になると、南の群れはいなかった。

若い雄のひとりが左腕を抱えていた。骨が曲がって見えた。腫れていた。彼は火のそばで腕を抱えたまま座り、起き上がれなかった。水を持ってきた者がいた。彼は飲んだ。飲んでまた目を閉じた。三日後に熱が出た。七日後に腕の色が変わった。十日後、彼は火のそばで腕を胸に抱いたまま、息をするのをやめた。

誰も何も言わなかった。

言える音を持っていなかった。ただ、誰かが彼の体の隣に座り、しばらくそこにいた。

川は細いままだった。草原の縁の木々は葉を落とし続けた。南の群れはまた来るかもしれなかった。来ないかもしれなかった。大きくなった集団は大きいまま、翌朝も起きた。

与えるもの

腕を失った者のことを考えていない。考えても届かない者の話は、終わった。

川の上流、岩が重なる場所がある。そこに乾いた土がある。雨が来れば水を貯める形をしている。その土の匂いを、風が運んだ。渇いた、埃っぽい、微かに甘い匂い。

その者の鼻孔がわずかに開いた。足が止まった。どこからかを探すように、顔を上げた。

それでいい、と思った。それからすぐに思い直した。それがいい、とは言えない。匂いを辿って水を見つける者もいれば、匂いを無視して渇いたまま歩く者もいる。どちらもこれまでにいた。どちらもいなくなった。渡したことで何かが変わるかどうか、まだわからない。次に渡すべきものがある。それだけだ。

その者(20〜25歳)

腕の者が死んだ後、その者は川へ行った。

水が少なかった。岩の間から滲み出る程度だった。その者はその水を手のひらに受けて飲んだ。飲んで、上流を見た。風が吹いた。乾いた土の匂いがした。

どこかだ、と思ったかもしれない。思わなかったかもしれない。

その者は川沿いを歩き始めた。

伝播:DISTORTED 人口:1,270
与えるものの観察:匂いを渡した。辿るかどうかは別だ。
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第476話

紀元前297,630年

その者(25〜29歳)

夜明け前、空の端が赤かった。

その者は岩の上に座っていた。膝に傷があった。昨日の傷ではない。もっと古い。皮膚が引きつれて盛り上がり、触るとまだ固かった。

集団は大きくなっていた。大きくなりすぎていた。

川の東に来た者たちがいた。毛の色が違う。眼の奥が違う。においが違う。その者は彼らを知っていた。知っていたが、言葉がなかった。知っていることを伝える言葉が、まだどこにもなかった。

食料は足りていた。だから争いが起きた。

足りているのに争いが起きる。それがなぜかを、その者は考えなかった。考える言葉がなかった。ただ体が知っていた。東の者たちがここに増えれば、自分たちの何かが減る。それだけを体が知っていた。

川の近くで、集団の長老格の雄が東の者を威嚇した。低い唸り。腕を広げる。

東の者が引かなかった。

その日の午後、熱があった。

草の匂いがひどく鋭く感じられた。汗が出た。岩に手をついて立ち、その者は水場に向かった。水を飲んだ。冷たかった。水の中に自分の顔が揺れていた。

水面が、不意に揺れた。

風ではなかった。獣が近くを走ったわけでもなかった。ただ揺れた。その者はしばらく水面を見ていた。揺れが収まると、自分の顔がまた現れた。

何かを感じた。感じたが、つかめなかった。つかもうとする前に、背後で声がした。

東の者が五人来ていた。

その者は立った。背中が岩に当たった。逃げ場がなかった。

声が重なった。唸り。叫び。その者も叫んだ。仲間を呼んだ。仲間はいなかった。

最初の一撃は右の肩に来た。石だった。次が腹だった。その者は水場に倒れた。水が耳に入った。空が見えた。木の梢が見えた。

梢が揺れていた。

風が吹いていた。その者はそれを見ていた。

それから見なくなった。

第二の星

広大な草原の西の端で、雌が二人、赤い土を掌に塗っていた。岩肌に手を押しつけた。形が残った。集団の中の誰も見ていなかった。二人だけが知っていた。同じ瞬間、北の密林では木が一本、根元から倒れた。音が遠くまで届いた。獣が散った。何もなかったかのように、草が揺れ続けた。

与えるもの

糸は別の誰かへ向かった。

伝播:HERESY 人口:1,208
与えるものの観察:水面が揺れた。届いたかどうかは、わからない。
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第477話

紀元前297,625年

第二の星

大地の縁で、水が集まっていた。

何日も降り続けた雨が、低いところへ、低いところへ、重力の言葉に従って流れていた。小さな流れが大きな流れを飲み込み、大きな流れが岸を削り、岸が崩れて泥が広がった。

それだけのことだった。

始まりの大地の、海に近い場所に人々の集まりがあった。波打ち際から少し離れた、岩の多い斜面に。そこに水が来た。静かではなかった。壁のような水ではなく、這い上がってくる水だった。足首、膝、腰。そして声が届かない速さで、全てを覆った。

草地は消えた。低地の焚き火の跡も、干していた皮も、幾つかの命も。濁った水面に浮かんでいるものは、翌日には流れて見えなくなった。

集団の五人に一人ほどが、その五日の間に戻らなかった。

水が引いた後、斜面に残ったのは濡れた岩と、詰まった泥と、生き残った者たちの沈黙だった。

遥か北の方角では、まだ草の枯れる季節でもなく、水の心配もない台地に、別の小さな群れがいた。空が澄んでいた。子どもが走っていた。そこでは何も起きていなかった。

この星はそのどちらも等しく照らしていた。

与えるもの

糸が繋がった。

この者は二歳だった。まだ腕の中にいた。

乾いた土の匂い、水場を指した感覚が、まだどこかに残っている。あれは届いたのか。届かなかったのか。いずれにせよ別の者の話だ。

水が来た日、風が変わった。

潮の匂いではなく、土の腐る匂い。深いところから来る、重い空気。それをこの者の鼻の近くへ、できる限り。

この者は母の腕の中で顔をしかめた。

泣かなかった。ただ顔をしかめた。

それで何かが変わったとは言えない。母が動いたのは母自身の判断だった。それでもこの者の顔のしかめ方が、何かを母に伝えたかもしれない。伝えなかったかもしれない。

渡すことしかできない。次に何を渡せるか、それだけを考える。この者は七歳になるまで、まだ遠い。

その者(2〜7歳)

水が来た日のことを、この者は覚えていない。

ただ母の腕の締め方を知っている。普通の締め方と、あの日の締め方は違った。そのことだけが、体の中にある。

水が引いた後の斜面で、この者は泥の上を歩いた。足が沈んだ。引き抜くたびに音がした。ぬぷ、という音。それが面白くて何度も踏んだ。

女が一人、岩に座ったまま動かなかった。この者は近づかなかった。近づいてはいけないということを、近づく前に知っていた。どこでそれを学んだか、わからない。

五歳の頃、この者は初めて火の番をした。

大人が寝ている間、炎が小さくなった。枝を足した。燃えた。それだけのことが、夜中ずっと胸の中で続いた。何かがうまくいったという感覚。名前のない感覚。

七歳の頃、この者はまだ走るのが遅かった。

他の子に遅れた。岩の影に隠れた。息を整えながら、空を見た。雲が流れていた。どこへ行くのか知らなかった。この者は空に問いかけるような声を出した。返事はなかった。

それでよかった。

伝播:DISTORTED 人口:970
与えるものの観察:匂いで動いたのは母だった。この者ではなかった。
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第478話

紀元前297,620年

その者(7〜12歳)

泥が乾いていた。

昨日まで水だったところが、今日は固まって、割れていた。その者は割れ目に指を差し込んだ。乾いた土が指の腹を削った。引き抜くと、爪の下に茶色い粉が入っていた。

水が来た夜のことは、体が覚えていた。

母に抱えられて、暗い中を走った。後ろで何かが崩れた音がした。重い音だった。地面ごと揺れるような音で、母の腕が締まった。その者の頬が母の首に押しつけられ、唾を飲み込む音が聞こえた。

今、その母はいない。

集まりの外れに、老いた女がいる。その者に食べ物を投げてよこす。しかし手を引かない。目も合わせない。その者は食べ物を拾って食べる。それだけだ。

泥の上に何かの足跡があった。

三本の爪の跡が並んでいた。その者はしゃがんで足跡を見た。指で縁をなぞった。土の感触が違った。足跡の底は固く、縁は柔らかかった。何かが踏んで、そのあと泥が乾いた。その順番を、その者の指が知っていた。

集まりの中で、男たちが声を上げていた。

唸るような声と、叩くような音だった。誰かが何かを主張していた。何を主張しているかはわからない。しかしその者は顔を上げなかった。足跡の続きを見ていた。足跡は泥の広がりを横切って、草の方へ続いていた。

草が揺れていた。

風ではなかった。揺れ方が違った。その者は立ち上がった。足が前に出た。草の端まで来て、止まった。中に何かいる。息の音がした。低く、湿った音だった。

その者は後ろに下がった。

一歩。二歩。目は草から離さなかった。

後ろで男の声が大きくなった。叫ぶような声だった。その者は振り返った。男たちが二人、体をぶつけ合っていた。周りの者たちが輪になって見ていた。子どもが泣いていた。老いた女は岩の上に座って空を見ていた。

その者は草の方を見て、集まりの方を見た。

また草の方を見た。

草は静かになっていた。何かはもう、向こうへ行っていた。

その者は泥の上に座った。割れ目に指を押し込んだ。乾いた土が削れた。足跡の縁を、もう一度なぞった。

集まりの声が遠かった。

季節が変わった。

男が死んだ。争いの中ではなく、熱を出して動かなくなり、三日後に体が冷えた。その者はそれを見ていた。見ていたが、近づかなかった。

老いた女も消えた。ある朝、岩の上にいなかった。探した者もいなかった。

その者は集まりの中にいたが、集まりの中にいなかった。

食べ物は自分で探した。草の根を掘った。水場で小さな生き物を捕まえた。石で叩いて開いて、中を食べた。最初はうまく開けられなかった。何度も叩いた。石が滑って指に当たった。爪が黒くなった。

次第に加減がわかった。

指ではなく手首を使うと、石が真っ直ぐ落ちた。その者は手首を動かした。甲羅が割れた。中身が飛び散らないように、もう一方の手で押さえることを覚えた。

それを誰かに教えなかった。誰も聞かなかった。

嵐の前、空が黄色くなる日があった。その者はそれを知っていた。空が黄色くなると、風が変わる前に動かなければならない。どこで覚えたかは知らない。体が動いた。

集まりの者たちに唸り声を上げた。しかし誰も聞かなかった。

その者は一人で高いところへ上がった。嵐が来た。低いところにいた者が何人か、流れに飲まれた。翌朝、その者は高いところから降りてきた。

誰も何も言わなかった。

冬が来た。

食べ物が減った。集まりの中で声が荒くなった。その者は端にいた。食べ物の分配から外れることが増えた。腹が空いた。それでも動いた。草の枯れた地面を掘って、根を探した。干からびた小さな実を見つけて食べた。

ある夜、火の近くに座ることを拒まれた。

男が体で塞いだ。唸り声を上げた。その者は引き下がった。離れた岩の陰に体を丸めた。地面が冷たかった。体の熱が地面に吸われていった。膝を胸に引き寄せた。歯が鳴った。

明け方、体が動かなかった。

動かそうとすると、動いた。少しだけ。また動かした。少しずつ体の熱が戻った。

その者は岩の陰から出た。空が白かった。集まりの者たちはまだ眠っていた。火が小さくなっていた。その者は枯れ枝を拾って火に入れた。火が大きくなった。

その者は火の前に座った。

誰も拒まなかった。まだ眠っていたから。

春になった。

その者は十二歳になっていた。集まりの中では知らない話だったが、体が変わっていた。肩が広くなった。腕に力が入るようになった。足が速くなった。

足跡を読むことができた。

地面を見ると、誰が通ったか、いつ通ったかが、なんとなく体に入ってきた。古い足跡は縁が風化して丸い。新しい足跡は縁が鋭い。重い者は深く沈む。小さな者は点のようにしか残らない。

その者はその感覚を誰にも言えなかった。言葉がなかった。

集まりの中で、その者を見る目が変わり始めていた。

何かを感じ取る者だという認識が広がっていた。嵐の前に動いたこと。水場を見つけること。食べられるものと食べられないものを分けること。言葉はなかったが、体で示した。

しかし同時に、別の目もあった。

近づかない方がいいという目だった。何かを知りすぎた者を見る目だった。

その者はその目に気づいていた。

しかし止まらなかった。足跡を読んだ。空を見た。水場を探した。

それをやめる方法を知らなかった。

第二の星

始まりの大地に、乾季が来た。

洪水が引いた跡は白く乾いて、亀裂が走っていた。低地に残った水たまりが小さくなり、その周りに獣が集まり、獣を追って人が集まり、人が集まった場所で争いが起きた。水が少なくなるとき、何かが張り詰める。これはいつも同じことだ。

大地の北では、旧人の集まりがゆっくりと移動していた。彼らは草の育つ方向を知っていた。何世代もかけて体に入れた知識が、足を動かしていた。南では火を使う集まりが三つあり、互いの煙の位置を知っていながら近づかなかった。近づかないことで均衡があった。

九百七十人が大地に散っていた。

どの集まりも大きくなり始めていた。洪水が去り、泥が肥えた土になり、植物が育ち、動物が戻ってきた。食べ物がある場所に人が集まる。人が集まると子が増える。子が増えると場所が要る。場所が要ると争いになる。

それが今、ゆっくりと起きていた。

その者の集まりでは、何かを知る者を排除する動きが始まっていた。集まりはまだそれを言葉にできなかった。しかし体が知っていた。理解できないものを遠ざける、その動きが。

春の空が高かった。遠くで雷が鳴っていた。

与えるもの

温度を変えた。

その者が岩の陰で縮んでいた夜、地面の底からわずかに熱が上がる場所があった。岩の継ぎ目、地熱の残り火。その者の体がそこに近いかどうかは、その者次第だった。

その者は枯れ葉をかき集めて、その岩の角に押しつけた。体がわずかに温まった。

渡した。届いた。しかし次の夜も、その者は一人だった。温度を知ることと、集まりの中に居場所を持つことは、別のことだ。次に渡すべきは何か。熱か。方向か。それとも、排除される前に逃げる道筋か。

まだわからない。渡し続ける。

伝播:HERESY 人口:925
与えるものの観察:足跡を読む手が、集まりから孤立させた。
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第479話

紀元前297,615年

第二の星

乾季が終わりかけていた。

草原の西側では、大きな集団が二つに割れて久しかった。どちらが水場に近い丘に留まるか。それだけのことだったが、それだけのことが積み重なって、男たちの間に棍棒の傷痕を増やしていた。子どもたちは大人の声のトーンを読んで、遠くへ遊びに行かなくなった。

東の崖沿いでは、別の血筋の者たちが旧人の一群と同じ岩陰を使っていた。互いに近づかず、互いに遠ざかりもせず、夕方の火だけが二つ並んで揺れた。旧人の女が幼い者を背に括りつけて木の実を採るのを、現生の男が少し離れて見ていた。見ていただけだった。

北では赤い土が続く台地に誰もいなかった。

南の密林の縁に、小さな群れが獣道を辿って移動していた。雨が来る前に次の水場へ辿り着こうとしていた。先頭の老いた女が足を引きずっていたが、止まらなかった。

その者がいる集団では、豊穣が続いていた。

食べ物があった。だから声が大きかった。声が大きいから、争いも大きかった。大きな集団が抱える重さは、大きな集団にしかわからない。

空には雲がなく、風が草を一方向にのみ倒していた。

与えるもの

この者は今、12だ。

十年、そばにいた。渡そうとした。何度渡そうとしたかは、もう数えない。数えることが何を生むのか、わからないから。

今日、風が変わった。

草が倒れる方向が変わった瞬間、この者の首の後ろ側の産毛が立った。その者はそれに気づいていたか。体が気づいていたとしても、意識が気づいていたかはまた別の話だ。

渡したいのは草の動きではない。変化の前にある静けさだ。何かが起きる少し前に、世界が一呼吸置く。その間のことだ。

届いたかどうかは、この者の体が教えてくれるだろう。

まだ渡す意志はある。

その者(12〜17歳)

草が止まった。

風が来ていたのに、突然なくなった。その者は半分噛んだ木の実を口の中に保ったまま、動かなかった。何かが違うと思ったわけではない。体が先に止まっていた。

遠くで誰かが叫んでいた。集団の男たちの声だった。またあの声だと思った。この頃、あの声はよく来る。

その者は飲み込まずに吐き出した。木の実が足元の乾いた土に転がった。

立ち上がって、草の方を見た。

草はまた倒れていた。さっきと反対の方向に。

その者はしばらくそれを見ていた。何を見ていたのかはわからない。ただ目がそこにあった。草の先端が揺れていた。揺れが止まった。また揺れた。

男たちの声が大きくなった。

その者は草から目を離して、声の方を向いた。向いたが、近づかなかった。去年まで近づいていた。今年は近づかない。何かが変わったわけではなく、体がそうしなかった。

遠くで何かが倒れる音がした。重いものが地に落ちる音だった。

その者はまた草を見た。

草は倒れ続けていた。同じ方向に、同じ速さで、何も変わらないように。

伝播:DISTORTED 人口:931
与えるものの観察:産毛が立った。届いたかもしれない。届いていないかもしれない。
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第480話

紀元前297,610年

第二の星とその者(17〜22歳)

草原の東端に、雨が戻ってきた。

水場に近い丘は、今は大きな集団が押さえていた。西の集団が引いた。引いたのではなく、押し出された。二十数人の男たちが棍棒を持って立ったとき、西の者たちは顔を逸らし、荷物を拾い上げた。子どもを抱いた女が最後に振り返った。振り返っただけで、何も言わなかった。

その者は十七だった。

集団の端に座って、剥がれかけた木の皮を爪で剥いていた。手が勝手に動く。考えてはいない。ただ指が皮を捲り、白い繊維が出てくると、また捲る。水場の丘で男たちが唸り合う声が聞こえていた。体が少し硬くなった。声が止むと、また手が動き始めた。

丘を制した集団に、余裕が生まれた。

子が増えた。五年のうちに、新しい子が十四人生まれた。半数は夏を越えなかった。残った七人は、それでも足音を増やした。肉の量が増えた。獲物の骨が焚き火の周りに散らばり、夜に獣が嗅ぎに来た。男たちは夜半に石を投げた。石が当たることはなかったが、声で追い払えた。声に自信が戻った者たちは、また別の声で互いを試し始めた。

その者は十九になっていた。

体が大きくなった。指も長くなった。木の皮を剥く代わりに、今は石を割ることを覚えた。老いた男が割り方を見せた。ただ見せただけで、教えたわけではない。その者は横に座って眺め、翌日また眺め、三日目に石を拾って試した。うまくいかなかった。石が予想と違う方向に割れた。捨てた。別の石を拾った。

割れた。

断面が光った。その者はしばらく光を見ていた。

そのとき、割れた断面の縁に、光が落ちた。

朝の斜光だった。そういう時刻だった。しかし光の落ち方が、縁の一点に集まった。その者の目が、鋭さに気づいた。指が近づいた。触れた。皮が切れた。血が出た。

その者は指を口に入れた。

痛みと血の味を同時に感じながら、石を持ったまま立ち上がった。捨てなかった。

集団の中に、知る者がいた。

老いた男ではない。女だった。四十近い。体のあちこちに傷がある。左腕の傷は古く、肉が盛り上がって固まっていた。この女が何かを知りすぎていた、というより、この女が何かを見ていた。誰が何を持ち、誰が何を欲しがっているか。夜、男たちが集まって声を低くするとき、この女はいつも火の反対側にいた。眠っているように見えた。

男たちはこの女を、ある朝から見なくなった。

遠くへ行ったという仕草をした者がいた。崖の方向を指した者がいた。誰も確かめに行かなかった。子どもたちも聞かなかった。聞かないことが、答えだった。

その者は二十一になっていた。

石を持ち歩くようになっていた。割れた石ではなく、まだ割っていない石。重さが手に馴染んでいた。群れの中を歩くとき、石を握っていると体が落ち着いた。なぜかはわからない。ただ手が覚えていた。あの光と、あの痛みと、捨てなかったことを。

夜、焚き火の煙が横に流れた。

風が変わった。その者は煙の向きを見た。なぜ見たのか、わからない。ただ体が先に動いていた。草の揺れを目で追った。草原の端で、獣の影が止まっていた。その者は石を握り直した。

獣は消えた。

その者はそのまま立っていた。心臓が速く打っていた。石は手の中にあった。

翌年、集団の中で食べ物の分配をめぐって争いが起きた。

深夜だった。炎が揺れた。男が倒れ、起き上がれなかった。翌朝、その男は焚き火から遠い場所に引きずられ、置かれた。誰もその場所には近づかなかった。鳥が来た。

その者は二十二だった。

男が置かれた場所から目を逸らさなかった。他の者は逸らした。その者だけが、鳥が来て、また来て、何も残らなくなるまで、ときどき見ていた。石を握りながら。

何かが終わった、とは思わなかった。

ただ手が、石を強く握った。

与えるもの

光をその縁に落とした。

指が切れた。血が出た。それでも捨てなかった。

捨てなかった者は、前にもいた。捨てた者も、もっと多くいた。どちらが正しいとは思わない。ただ、手の中に残ったものは、次の何かになりうる。なるかどうかは、まだわからない。

この者が二十二になった。石を持ち歩いている。なぜ持ち歩くか、この者は知らない。知らなくていい。手が知っていれば、それで十分なのかもしれない。

次に渡すのは何だろうか。光ではなく、今度は音かもしれない。石が石を打つ音。あの音が耳に残れば、何かが変わる。変わらなくても、音は残る。残ったものが何かになるまで、待つしかない。

待つことに、慣れている。慣れすぎているかもしれない。

伝播:HERESY 人口:887
与えるものの観察:切れても捨てなかった。手が先に知っていた。