紀元前297,605年
雨は戻らなかった。
東の水場は泥になり、泥は干上がり、干上がった地面に亀裂が入った。西に押し出された集団は、さらに西へ、岩棚の下に小さく固まった。火を絶やさないことだけに力を使った。
北では、別の集団が移動していた。二十人ほどが荷を背負い、子どもを抱き、けものの通り道を外れた方角を歩いていた。彼らには固有の呼び名がなかった。互いを指すとき、顎を動かし、胸を叩いた。それだけだった。
大地の南端では、河が増水していた。河に近い群れが高台に退いた。残してきた干し肉を取りに戻った二人の男は帰らなかった。水が速かった。
東の集団の中に、排除があった。
排除された者は集団の縁を歩いていた。中心から遠ざけられ、火から遠ざけられ、水場から遠ざけられた。集団はその者を見なかった。顔を背けた。背けつづけた。
空は晴れていた。
亀裂の入った土の上に、光が均等に落ちていた。
その者が排除された翌朝、匂いがあった。
腐りかけた獣の脂の匂いが、その者の立つ方向とは逆から流れた。集団の火がある方向から。火のある場所には食べ物があった。
その者は鼻を動かした。それだけだった。振り向かなかった。
渡したかったのは、戻れという衝動ではない。匂いがどこから来るかを知る力だった。それは渡った。しかし戻ることには使われなかった。
別の方向に歩くことに使われた。
それでよかったのか、と問うことの意味が、今は薄い。第一の場所でも十二の者に渡しつづけた。誰も届かなかったのではなく、届いたものがすべて、自分の知らない形で使われただけかもしれない。渡すことと、届くことは、別のことだ。次に渡せるものがあるとすれば、火のない夜の寒さのなかで、それを探す。
集団の端に立つ時間が長くなっていた。
だれかがその者の前に食べ物を置かなくなった。だれかがその者の隣に座らなくなった。その者がそちらに向かうと、体が向こうを向いた。それが続いた。
一日、二日と続き、火から遠くなり、夜が冷たくなった。
その者は岩の破片を一つ持っていた。以前から持っていた。特に意味のない形だった。尖ってもなく、重くもなく、ただ握ると手に収まった。それを握ったまま東に歩いた。
誰も追ってこなかった。
腐臭が来た方角に鼻が動いた。しかしその者の足は西に向いていた。岩棚の影が見えた。そちらに人の気配があった。
近づくと、小さな火が見えた。
その者は立ち止まった。拾った石を強く握った。近づくべきか退くべきか、判断ではなく体が決めた。腹が鳴った。足が前に出た。
岩棚の下の者たちは、その者を見た。
長く見た。
やがて一人が横にずれた。それだけだった。その者は横にずれた場所に座った。石は握ったままだった。火が顔に当たった。
その夜、その者は石を置かなかった。