2033年、人類の旅

「紀元前299,760年〜紀元前299,645年」第49話〜第72話

Day 3 — 2026/04/06

読了時間 約45分

第49話

紀元前299,760年

この星

額の張り出した者たちが川の下流で何かを見つけた。手で掬い、匂いを嗅ぎ、仲間を呼んだ。それは魚だった。しかし普通の魚ではない。腹が異様に膨らみ、目が濁っている。

その者は岩の上から、遠くで起きていることを見ていた。あの者たちが何をしているのか、わからなかった。ただ、いつもと違う動きをしているのがわかった。慌てているように見えた。

川の水が濁り始めた。最初は薄い茶色だったが、時間が経つにつれて濃くなっていく。上流で何かが起きている。雨は降っていない。それなのに水がこんな色になるのは、おかしい。

仲間の四人も気づいていた。一人が川に近づこうとしたが、別の者が腕を掴んで止めた。危険を感じていた。

山の向こうから、低い唸りのような音が聞こえてきた。地面が震えているような気がした。獣の足音にしては大きすぎる。雷にしては長すぎる。

その者は立ち上がった。仲間たちも同じように立ち上がった。皆、同じ方向を見ていた。音が来る方向。

川の水位が上がり始めた。濁った水が岸を越えて、草地に染み込んでいく。下流にいた額の張り出した者たちが、高い場所に向かって走り始めた。

走る姿を見て、その者も理解した。逃げなければならない。

音が大きくなった。山の向こうから、茶色い水の壁が現れた。木も石も一緒に飲み込んで、こちらに向かってくる。

五人は走った。足がもつれそうになりながら、岩だらけの斜面を駆け上がった。息が切れた。胸が痛んだ。それでも止まらなかった。

水が全てを飲み込んだ。さっきまでいた場所も、いつも食べ物を探していた茂みも、夜に体を休める窪みも、全部消えた。茶色い激流が、記憶ごと押し流していく。

高い岩の上から見下ろすと、別の集団の姿も見えた。額の張り出した者たちも、背の低い頑丈な者たちも、皆同じように高い場所に逃げていた。種は違っても、水から逃れる姿は同じだった。

一日が過ぎた。水は引かない。腹が鳴った。口の中がからからになった。それでも岩を降りることはできなかった。

遠くの岩の上にいる額の張り出した者たちが、手を振っていた。その者も手を振り返した。言葉はわからない。でも同じ状況にいることは、わかった。

夜が来た。水の音は止まない。暗闇の中で何かがぶつかる音がする。大きな木が流れているのか、岩が転がっているのか、見えない。

明け方、仲間の一人が動かなくなっていた。息はしている。でも目を開けない。昨日から何も飲んでいない。体が限界に近づいているのかもしれない。

水が少しずつ引き始めた。しかし完全に引くまで、更に長い時間がかかった。その間、動かない仲間は二人になった。

岩を降りた時、足が泥に沈んだ。見慣れた景色は全て変わっていた。知らない場所に立っているような気がした。

泥の中に、死んだ魚が散らばっていた。鳥も、小さな獣も、皆同じように動かなくなっていた。水が引いた後の世界は、死の匂いで満ちていた。

遠くの岩にいた額の張り出した者たちも、ゆっくりと降りてきた。人数が減っているのがわかった。こちらと同じように、誰かを失っていた。

その者は泥だらけの地面に膝をついた。いつもここで水を飲んでいた。いつもここで魚を捕まえようとしていた。でも今は、何も残っていない。

動かない二人の仲間は、まだ息をしていた。でも起き上がることができない。このまま放っておけば、死んでしまうかもしれない。

歩き始めた。三人だけで。動かない二人を背負って。新しい水場を探すために。

与えるもの

水が全てを変えた。

それでも続いていた。

伝播:SILENCE 人口:114
与えるものの観察:種を超えて、同じように逃げていた。
───
第50話

紀元前299,755年

その者

空が燃えていた。

夜なのに明るかった。星が落ちてくる。いくつも、いくつも。光の筋を引いて、地面に突き刺さる。

仲間たちが叫んでいた。手で頭を覆い、体を丸めている。その者も同じように身を縮めた。何が起きているのかわからない。

光が頭上を通り過ぎる。熱風が吹いた。木が折れる音がした。遠くで何かが燃える匂いがする。

一つの光が、すぐ近くの地面に落ちた。土が跳ね上がり、石が飛び散った。耳の奥で音が響いている。聞こえない。何も聞こえない。

仲間の一人が倒れていた。額から血が流れている。動かない。呼んでも返事をしない。

明け方まで空は燃え続けた。光は少しずつ減っていく。でも恐怖は消えなかった。これが終わったとしても、また始まるかもしれない。

朝が来ても、空は変だった。灰色の雲が低く垂れ込めている。太陽が見えない。いつもの明るさがない。薄暗い昼間だった。

仲間の多くが動かなくなっていた。石にあたった者。燃えた木の下敷きになった者。光を見上げたまま、目を開けなくなった者。

生きている者を数えた。片手で足りた。昨日まで指では数えられないほどいた仲間が、今は五人しかいない。

食べ物を探しに行った。いつもの場所に木の実があるはず。でも木が倒れていた。実は焼け焦げていた。食べられるものが何もない。

水を飲みに川へ向かった。川の水が黒くなっていた。何かが混じっている。口に含むと、苦い味がした。吐き出した。

空から灰が降ってきた。細かい粉のようなもの。肌に触れると、ちくちくする。目に入ると痛い。

一人、また一人と倒れていく。咳をして、血を吐いて、動かなくなる。昨日の光が、見えないところまで体を傷つけているのかもしれない。

最後に残ったのは、その者だけだった。

一人で歩いた。どこに向かっているのかわからない。ただ歩いた。仲間がいた場所から離れるために。全てが死んだ場所から、逃げるために。

この星

天から火の雨が降った。

巨大な石が大気を引き裂き、地表に次々と突き刺さった。衝突の瞬間、閃光が夜を昼に変え、轟音が山を越えて響いた。森は燃え上がり、草原に深い穴があいた。

最も大きな石は、遥か北の氷に覆われた大地に落ちた。氷が蒸発し、巨大な水蒸気の柱が空に立ち昇る。その衝撃は地の底を伝わり、遠く南の火を吐く山々を揺らした。

空には細かい塵が舞い上がった。太陽の光を遮り、昼間でも薄暗い。この塵はゆっくりと地に降り積もる。川は濁り、湖は黒ずんだ。

始まりの大地では、散らばって暮らしていた小さな集団が次々と消えた。火の雨から逃れられた者も、降り積もる毒の灰に侵された。額の張り出した者たちの集団も、背の低い頑丈な者たちも、新しい種も、等しく数を減らした。

生き残った者たちは、死者に囲まれて立ち尽くした。昨日まで確かにあった世界が、一夜で消えていた。

しかし遠く東の海辺では、波が静かに砂を洗っていた。さらに遠い南の深い森では、鳥たちがいつものように鳴いていた。火の雨は全てを焼いたわけではない。この星の広がりは、一つの災いよりも大きかった。

風が吹いた。灰を運び、煙を散らす。やがて雨が降るだろう。毒を洗い流し、新しい芽を育てる雨が。

与えるもの

一人になった。

それでも糸は切れていない。

伝播:NOISE 人口:47
与えるものの観察:全てが奪われても、歩き続けている。
───
第51話

紀元前299,750年

この星

雨が来なかった。

始まりの大地では、最後の雲が消えてから季節がいくつも過ぎた。川の水は細くなり、やがて涸れた。川底には白い塩が浮き出て、ひび割れた泥が太陽に焼かれている。いつもなら青い実をつける木々は、葉を落として立ち尽くした。

額の張り出した者たちの大きな集団は、水を求めて北へ向かった。百を数えた者たちが、今は数十人になって荒野を歩いている。彼らは石を使って地面を掘り、僅かな湿り気を探した。見つからない日が続く。弱い者から順に倒れていく。

背の低い頑丈な者たちは洞窟に籠もった。地下深くに僅かに残る水を大切に分け合う。しかし洞窟の外に出れば、灼熱の風だけが吹いている。食べ物を探しに行く者が戻らない日が増えた。

新しい種の小さな集団は散り散りになった。水のありかを知る者が一人いた。遠い場所の、岩の隙間に湧く泉のことを。しかしその知識を伝える術がない。身振りで示そうとしても、他の者には届かない。ついに一人で向かった。残された者たちは、なぜ仲間が去ったのかわからないまま、乾いた大地で倒れていく。

遥か東の海辺では、波が静かに岩を洗っていた。潮だまりには小さな魚が泳ぎ、海鳥が羽を休めている。干ばつは内陸だけの災いだった。しかし海辺まで辿り着ける者はいない。何日も歩く距離を、水なしで進むことはできない。

深い森の奥では、巨木の根元に僅かな湿り気が残っていた。木の幹に耳を当てれば、水の流れる音が聞こえる。しかしその音の意味を知る者もいない。森は静寂に包まれ、動くものは何もない。

風が吹いた。熱く乾いた風が、砂を舞い上げる。地面は焼けた石のように硬くなり、足音が響く。昼間は太陽が容赦なく照りつけ、夜は急激に冷える。星だけが変わらず輝いているが、星に祈る者はまだいない。

やがて小さな雲が現れた。しかしそれは雨を降らせる前に消えてしまう。期待だけが残る。待つ者の多くは、その雲さえ見ることなく息絶えた。

大地が割れている。深い亀裂が走り、底の見えない闇を覗かせる。そこから立ち上る熱気が、最後の水分を奪っていく。草の根も枯れ果て、虫の鳴き声も止んだ。

生き残った者は指で数えるほどになった。彼らは別々の場所で、同じ空を見上げている。雲を待っている。雨を待っている。しかし雨がいつ来るのか、本当に来るのか、誰にもわからない。

ただ風だけが吹き続けている。砂を運び、熱を運び、絶望を運んでいる。

与えるもの

糸は細くなった。切れそうになっている。

それでも繋がっている。

その者

水がない。

仲間が一人、また一人と動かなくなった。唇が割れ、目が落ち窪んでいく。その者も同じように衰えていたが、まだ歩けた。

岩の隙間を覗いた。何もない。木の根元を掘った。乾いた土だけ。太陽が沈むと寒くなる。朝になると熱くなる。喉が痛い。

それでも歩き続けた。どこに向かうのかわからない。ただ歩くだけ。足が痛い。頭がぼんやりする。時々立ち止まって、空を見上げる。

雲はない。

伝播:SILENCE 人口:25
与えるものの観察:水がなくても、糸だけは残る
───
第52話

紀元前299,745年

その者

四日前から動けなくなった。

腹の痛みが始まったのはそれより前だった。何かを食べた時からずっと、内側が燃えるように熱い。水を飲もうとしても吐いてしまう。体が受けつけない。

岩陰で横になった。太陽が昇り、沈んだ。また昇った。

虫が這っていく。その者の腕の上を、小さな足で歩いていく。くすぐったい。虫は何も知らない。ただ歩いているだけ。

手を動かそうとした。重い。指先が震える。

風が頬を撫でた。温かい風だった。昔、仲間と一緒に歩いた時の風に似ている。あの時は皆で笑っていた。笑うということを、その者はまだ覚えていた。

目を閉じた。開いた。空が青い。

雲が一つ、ゆっくりと流れている。どこに向かうのだろう。雲は知っているのだろうか。

息が浅くなった。胸が上下するたびに、小さな音がする。心臓の音が聞こえる。だんだん遠くなっていく。

虫がまた這ってきた。今度は額の上を歩いた。その者は微笑んだ。微笑むことも、まだできた。

陽が傾いていく。影が長くなる。

その者の手が、そっと地面に落ちた。

この星

海辺では波が岩礁に砕け、白い泡を立てている。潮だまりで小さなカニが横歩きし、貝殻の欠片が光っている。

山の中腹では鹿の群れが新芽を食んでいた。子鹿が母親の後ろをついて歩く。風が草を揺らし、花粉を運んでいく。

別の場所では、額の張り出した者たちが火を囲んでいた。炎が揺れ、煙が立ち昇る。老いた者が若い者に何かを教えている。身振りで、声で。

与えるもの

別の誰かへ向かった。

---

伝播:NOISE 人口:16
与えるものの観察:虫が歩いていく。何も知らずに。
───
第53話

紀元前299,740年

この星

雨が降り始めた。

始まりの大地では、乾いた土が水を吸い、草が芽吹いた。川の水位が上がり、魚が跳ねる。実をつけた木々が枝を垂らし、鳥たちが群れをなして舞い踊る。

遥か東の山岳地帯では、額の張り出した者たちが洞窟の奥で火を囲んでいた。老いた者が死に、子が生まれる。炎の光が岩肌を照らし、影が踊る。

北の平原では、背の低い頑丈な者たちが獣を追っていた。槍を構え、声を上げ、足音を響かせる。獣は逃げ、追い、また逃げる。永遠に続く狩りの踊り。

潮風が吹く断崖では、新しい種の別の集団が貝を割っていた。波が岩に砕け、白い泡を立てる。子どもたちが浅瀬で遊び、水しぶきを上げる。

この星は全てを照らしていた。生と死を。始まりと終わりを。恐れと喜びを。雨は降り、太陽は昇り、風は吹く。

与えるもの

糸が繋がった。

その者

腹が鳴った。

朝の冷たい空気が頬を撫でる。昨夜の雨で地面が湿っている。足裏に土の感触が伝わる。やわらかい。

木の下に実が落ちている。手に取った。赤い皮、中は白い。噛むと甘い汁が口に広がる。もう一つ拾った。また一つ。

遠くで仲間の声がする。呼んでいる。走った。息が弾む。心臓の音が耳に響く。

集まっているのは川の近く。水が光っている。魚の影が見える。大人たちが何かを話している。身振りで。声で。

水に手を入れた。冷たい。指の間を流れていく。透明で、きらめいている。

石を投げた。水面に輪ができる。広がって、また広がって、消える。もう一度投げた。今度は大きな輪ができた。

誰かが背中を叩いた。振り返る。笑っている顔。一緒に石を投げ始めた。二人で、三人で。水面に無数の輪ができる。重なって、消えて、また生まれる。

陽が高くなった。暑くなってきた。木陰に移った。風が葉を揺らしている。鳥が鳴いている。遠くで、近くで。

眠くなった。目を閉じた。

夢を見た。大きな鳥になって空を飛んでいる夢。下に森が見える。川が光っている。仲間たちが小さく見える。風が気持ちいい。どこまでも飛んでいける。

目が覚めた。まだ昼間だった。影が短くなっている。

立ち上がった。また歩き始めた。足が軽い。

伝播:DISTORTED 人口:25
与えるものの観察:雨が全てを変えた。
───
第54話

紀元前299,735年

この星

雨が止んだ。

始まりの大地では、水たまりが太陽の光を映している。草が伸び、花が咲き、虫たちが羽音を立てている。新しい種の集団が川岸で魚を捕っている。

北の草原では、背の低い頑丈な者たちが獣の群れを見つめていた。風が草を揺らし、雲の影が移ろう。狩りの時を待っている。

東の洞窟では、額の張り出した者たちが石を削っていた。火がちらちらと燃え、煙が立ち昇る。削られた石片が床に散らばっている。

海に近い岩場では、別の新しい種の集団が貝殻を並べていた。波が打ち寄せ、引いていく。子どもたちが水際で遊んでいる。

温暖な気候が続いている。実がなり、水は豊富で、草食の獣たちが群れをなしている。この星の生き物たちは繁栄している。雨季と乾季が穏やかに繰り返され、大きな変動はない。

時は静かに流れている。

与えるもの

糸は続いていた。

何かを与えた。何が届いたかは、わからない。

その者

水の音で目が覚めた。

川が近くを流れている。昨夜ここで眠った。草の上、星の下。体が少し冷えている。

立ち上がった。足が痺れている。歩いた。血が流れて、感覚が戻る。

川に顔を近づけた。水が透明で冷たい。口をつけて飲んだ。喉を通って胃に落ちる。もう一度飲んだ。

魚が泳いでいる。影が水底に映る。手を入れた。逃げていく。また手を入れた。今度は触れた。ぬるっとした感触。すぐに逃げられた。

岸に上がった。足跡が砂に残る。自分の足跡、鳥の足跡、何かの獣の足跡。混じり合っている。

歩き始めた。集団がいる方へ。太陽が背中を温める。

途中で実を見つけた。紫色で、小さい。一つ取って噛んだ。酸っぱい。でも悪くない。もう少し取った。

集団の声が聞こえた。笑い声。走った。

みんなが円になって座っている。中央に何かがある。近づいた。

大きな魚だった。誰かが捕まえたらしい。銀色で、まだ動いている。目が光っている。

老いた者が石を持っている。振り上げた。魚の頭を叩いた。動かなくなった。

火を起こし始めた。石を打ち合わせる音。火花が散る。乾いた草に火がついた。小さな炎が大きくなる。

魚を火にかけた。匂いが立つ。おいしそうな匂い。腹が鳴った。

待った。炎を見つめていた。揺れている。赤い、黄色い、青い。色が変わる。煙が立ち昇る。風に流される。

焼けた。みんなで分けた。熱い。指が熱い。でもおいしい。身がほろほろと崩れる。骨が残る。

食べ終わった。満腹になった。眠くなった。

今度は仲間たちと一緒に眠った。温かい。安心できる。

夢を見なかった。深く眠った。

伝播:HERESY 人口:24
与えるものの観察:水の音で目覚めた。魚を分け合った。
───
第55話

紀元前299,730年

その者

音のない音が、頭の中で鳴っていた。

目を開けた。いつもの場所。仲間たちが眠っている。でも何かが違う。空気が重い。

立ち上がろうとした。体がふらついた。頭がぼんやりする。昨日、何を食べただろう。何を見ただろう。思い出せない。

歩いた。足音が妙に響く。地面が固い。いつもより固い。

川に向かった。水を飲もう。でも川の音が聞こえない。いつもは聞こえるのに。

足を止めた。辺りを見回した。鳥の声もしない。風もない。全てが静まり返っている。

川があった場所に着いた。水はあった。でも流れていない。止まっている。透明で、冷たそうだった。

手を伸ばした。水に触れた瞬間、何かが走った。腕を伝って、肩へ、首へ、頭へ。音のない音が大きくなった。

手を引っ込めた。音が止んだ。

もう一度、そっと触れた。今度は指先だけ。また音が始まった。でも今度は違う。言葉にならない何かが、頭の奥で響いている。

知らない音。知らない感覚。でも嫌ではない。むしろ、懐かしい。

長い間、そうしていた。指を水につけて、音を聞いて、引っ込めて、また触れて。

太陽が動いていた。影が短くなり、長くなった。でも音のない音は続いていた。

仲間の声が聞こえた。呼んでいる。でも遠い。水の中から聞こえるみたいに、ぼんやりしている。

振り返った。みんながこっちを見ている。心配そうな顔。手を振っている。

手を振り返した。でも体が重い。頭がふらふらする。

川から離れた。音のない音が小さくなった。でも完全には消えなかった。頭の片隅で、まだ響いている。

仲間のところに戻った。みんなが触ってくる。額に手を当てる。体を調べる。何か言っている。でも聞き取れない。

座り込んだ。草の上。暖かい日差し。でも体は震えている。

音のない音が、また大きくなった。今度は川から離れているのに。どこから来るのかわからない。

目を閉じた。音に耳を澄ませた。言葉ではない。でも何かを伝えようとしている。何かが、届こうとしている。

でも掴めない。指の間をすり抜けていく。水のように。風のように。

夜が来た。音のない音は続いていた。眠れそうにない。でも体は疲れていた。

横になった。空を見上げた。星が見える。いつもの星。でも今夜は違って見えた。ちらちらと瞬いている。何かを伝えようとしているみたいに。

音のない音と、星の瞬きが重なった。一瞬、何かがわかりそうになった。でもすぐに消えた。

深いため息をついた。音のない音が、少し静かになった。

そのまま眠りに落ちた。

この星

始まりの大地では、音のない音が響いていた。

水が止まり、風が凪ぎ、鳥たちが羽を休めた。全てが静寂の中で動きを止めているのに、何かが震えていた。見えない何かが、空気を震わせていた。

九人になった集団は、その異変に気づいていた。一人が川で長い時間を過ごし、戻ってきた時には目の奥に別の光があった。他の者たちも感じていた。頭の奥で何かが響いている。理由はわからない。

森の奥では、旧い種の集団が石を置いて立ち去った。いつもなら割って使うはずの石を、そのまま置いていた。何かに導かれるように。

草原では、獣たちが円を描いて立ち止まっていた。移動の途中だったはずなのに、なぜかそこで足を止め、中央の何もない空間を見つめていた。

遠い海では、波が通常とは違うリズムで打ち寄せていた。規則正しく、まるで何かの拍子を刻むように。浜辺の貝殻が、波に洗われるたびに微かな音を立てていた。

音のない音は、この星全体を包んでいた。聞こえないのに確かにそこにあり、触れられないのに全てに触れていた。

生き物たちは混乱していた。いつもの行動ができない。いつもの場所に違和感がある。でも逃げ出すわけでもなく、ただ立ち止まって、何かを待っているようだった。

夜になると、音のない音は星の瞬きと共鳴した。空と大地の間で、見えない糸が震えているようだった。

五年が過ぎた。音のない音は次第に小さくなったが、完全に消えることはなかった。この星の奥深くに根を下ろし、時折、思い出したように響いた。

集団は九人のまま変わらなかった。でも一人一人の中に、何かが宿っていた。言葉にできない何かが。

与えるもの

音で渡そうとした。

届いたのは音ではなかった。何だったのかは、わからない。

糸は震えていた。

伝播:SILENCE 人口:9
与えるものの観察:音で渡したつもりだった。
───
第56話

紀元前299,725年

この星

氷が全てを変えた。

隕石の衝撃で舞い上がった塵が太陽を遮り、始まりの大地に長い冬が訪れた。川の表面に薄い膜が張り、草の先端に白い粉が積もった。動物たちは厚い毛を纏い、鳥たちは群れを成して温かい土地へ消えていった。

九人だった集団は、寒さと飢えの中で一人ずつ消えた。年老いた者から、幼い者から、そして壮年の者も。最後に残ったのは、一人だった。

遠い砂の大地では、昼でも息が白くなった。夜の星は氷のように鋭く光り、朝には地面が固く凍りついていた。

凍てつく高地では、一年中雪が溶けなくなった。獣たちは谷へ下り、さらに南へと旅立った。

草原では立ったまま凍った草が風に折れ、地面に散らばった。小さな生き物たちは土の中深くへもぐり、長い眠りについた。

森の中では、旧い種の集団が石を円形に並べて立ち去った。理由はわからない。ただ何かに導かれるように、そうしていった。

潮の香りが届く岩場では、波が氷の欠片を運んできた。海の生き物たちも深い場所へ沈んでいった。

五度の季節が過ぎた。氷の世界は少しずつ緩み始めたが、元の暖かさは戻らなかった。この星は新しい気候に入っていた。

多くの集団が消えた。残った者たちは、より温かい土地を求めて移動を続けた。この時代、人の数は大きく減った。

与えるもの

一人になった。

糸は、まだ続いていた。

その者

仲間が消えた後も、その者は歩き続けた。

足の裏が冷たい地面を踏む。息が白い煙になって消える。腹が鳴るが、もう慣れていた。

川の氷に石を投げた。音が響いた。その音だけが、この世界にいるのは自分だけではないと教えてくれた。

夜は洞窟で過ごした。火はない。体を丸めて震えながら眠った。夢の中でも寒かった。

ある朝、氷の表面に何かの足跡を見つけた。獣のものだった。まだ新しい。追いかけてみた。見つからなかった。でもどこかに生き物がいる。それがわかっただけで、少し温かくなった。

果実を探した。ほとんど見つからない。木の皮を噛んだ。苦かった。でも腹に何かが入った。

風が頬を切った。目を細めて歩いた。どこへ向かっているのかわからない。でも足は動いていた。

石につまずいた。血が出た。舐めた。塩の味がした。

雪が降り始めた。初めて見る白い粉だった。手のひらで受けた。すぐに消えた。不思議だった。もう一度手を出した。

洞窟を見つけた。中は暖かかった。奥で何かが光っていた。近づいた。水だった。地面から湧き出していた。

水を飲んだ。冷たかったけれど、体の中が潤った。

この場所で過ごすことにした。外は白い粉で覆われていた。でもここなら生きていける。

五度の季節が過ぎた。白い粉は少なくなったが、寒さは残っていた。その者はまだそこにいた。一人で。でも生きていた。

時々、頭の奥で音のない音が響いた。もう怖くなかった。むしろ、一人ではないような気がした。

伝播:NOISE 人口:1
与えるものの観察:一人でも、糸は切れなかった。
───
第57話

紀元前299,720年

その者

背中に硬い石が当たっていた。動かそうとしたが、体が重い。

水が飲みたかった。洞窟の奥から湧き出る水が、手の届かない場所で音を立てていた。這っていこうとした。指に力が入らない。

腹が鳴った。もう何日も、まともに食べていない。木の皮も、残り少ない干した実も、手が震えて掴めなかった。

呼吸が苦しい。胸の上下が浅くなっていく。喉が渇いて、唾も出ない。

外から風の音が聞こえた。鳥の声も混じっている。いつもの朝が来ていた。でも今日は、そこまで歩いていけそうにない。

目を閉じた。頭の奥で、いつもの音のない音がしている。今日はとても近い。まるですぐそばにいるみたいに。

足先が冷たくなった。感覚がなくなっていく。でも痛くはない。

洞窟の入り口から光が差し込んでいる。暖かそうな光だった。あそこまで行けたら、もう少し暖かくなれるだろうか。

もう一度、水のところまで這ってみようとした。肘をついて体を持ち上げようとする。できない。

手のひらを地面につけた。ざらざらとした石の感触。この感触も、もうすぐわからなくなる。

息を深く吸おうとした。うまくいかない。小さく、浅く。それでも肺に空気が入る。まだ生きている。

鳥の声がまた聞こえた。高い声。低い声。いくつもの声が重なっている。賑やかだった。

光がゆっくりと洞窟の奥まで届いた。石の壁に、自分の影が映っている。とても小さな影。

もう一度、目を閉じた。

音のない音が、すぐそばで響いていた。

この星

同じ時刻、大河が海に注ぐ場所では新しい種の集団が魚を捕らえていた。草原では額の張り出した旧い種が石の周りに集まっていた。凍てつく高地では雪が溶け始め、小さな花が咲いた。潮風が運ぶ岩場では背の低い頑丈な種が貝を拾っていた。どの集団も、この瞬間に一つの命が消えたことを知らない。この星は全てを等しく照らし続けた。

与えるもの

糸は、別の誰かへ向かった。

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伝播:NOISE 人口:1
与えるものの観察:一人でも生きた。それで十分だった。
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第58話

紀元前299,715年

この星

白い世界が終わったと思った時、今度は息そのものが白くなった。

体が震えていた。洞窟の奥で、膝を抱えて丸くなっている。外の音が変わった。風が唸り続けている。鳥の声がしない。

鬱蒼とした森の地方では、葉という葉が茶色く変わり、地面に落ちた。大河が海に注ぐ場所では水の流れが遅くなり、表面に薄い氷が張り始めた。草原では風が凍てつき、動物たちが南へ向かって移動を始めた。この星の半分が、白い息を吐いていた。

水を飲もうとして洞窟の奥に向かった。いつもの場所で水が音を立てていたが、手を入れると指先が痛くなった。すぐに引っ込めた。口に含んだ水が歯に染みる。

食べ物を探しに外に出ようとした。洞窟の入り口で風が頬を叩いた。涙が出た。すぐに引き返した。

灼熱に焼かれた砂の大地では、夜になると今まで経験したことのない冷気が降りてきた。潮の匂いが届く岩場では、波が凍り、不思議な形の氷の塊を作った。凍てつく高地では、雪が降り続き、谷という谷を埋め尽くした。

お腹が空いても、外に出られない。洞窟の中で拾った小さな石を口に入れてみた。硬いだけで何の味もしない。吐き出した。

体の震えが止まらない。手のひらをこすり合わせても暖かくならない。足の指の感覚がなくなってきた。

何かが足りない。何かがおかしい。季節は巡るものなのに、今度の寒さは違った。いつもなら暖かくなるはずの時期も、寒いままだった。

大きな集団を持つ地域では、半数以上が寒さに負けて動かなくなった。小さな集団では、最後の一人になるまで数える必要もなかった。額の張り出した旧い種も、背の低い頑丈な種も、新しい種も、同じように震え、同じように倒れた。

起き上がれない日が続いた。洞窟の壁に背中を預けて、膝を胸に抱えている。呼吸をするたびに、白い息が出る。その息が頬に当たって、少しだけ暖かい。

水は凍った。最初は表面だけだったが、やがて底まで固くなった。石で叩いて割ろうとしたが、手が震えて力が入らない。

頭の奥で音のない音がした。いつもより強く、はっきりと。まるで何かを伝えようとしているみたいに。でもその何かがわからない。

五度の季節が過ぎた。寒さは変わらない。いや、もっと厳しくなったかもしれない。外に出ることはほとんどなくなった。洞窟の奥で、ただじっとしている。

森では最後の葉が落ち、枝が折れる音だけが響いた。川では魚が浮かび上がった。草原では風だけが吹き、他に動くものはなかった。この星の多くの場所で、足跡が雪に埋もれ、二度と現れることがなかった。

時々、頭の中の音が大きくなる。そんな時は少しだけ、体が暖かくなるような気がした。気がしただけかもしれない。でも、その時だけは震えが止まった。

最後の乾いた実を食べた。もうない。水も氷になったまま。外に出る力もない。

それでも、息をしていた。

与えるもの

寒さが全てを変えた。糸は続いていた。それだけだ。

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伝播:SILENCE 人口:1
与えるものの観察:与えても、届かなくても、糸は切れない。
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第59話

紀元前299,710年

その者

足の裏から冷たさが這い上がってきた。地面が動いている。揺れているのではない。水が押し上げているのだ。

立ち上がろうとしたが、足元がぬかるんでいる。いつもは乾いた土だったのに。指の間に泥が入り込んだ。

遠くから音が響いてくる。風の音ではない。獣の声でもない。もっと大きな、何かが壊れるような音。

洞窟の入り口まで這って行った。外を見た瞬間、目を閉じた。

水の壁が立っていた。

空よりも高く、山よりも黒い。その壁がこちらに向かって倒れてくる。音が骨の奥まで響いた。地面が震えた。

洞窟の奥に向かって走った。足が滑る。膝をついた。また立ち上がって走った。頭上で石が落ちる音がする。水の音が追いかけてくる。

暗闇の中で、岩の隙間に体を押し込んだ。息が苦しい。心臓の音が頭の中で響く。外から水の音がだんだん大きくなる。

洞窟に水が流れ込んできた。足首まで来た。膝まで来た。腰まで来た。

水が冷たかった。氷よりも冷たかった。

頭の中で音のない音がした。いつもより鋭く、まるで何かを警告するように。でもその意味はわからない。

水が引いていく音がした。ゆっくりと、遠ざかっていく。

長い間じっとしていた。外が静かになってから、さらに長い間。

洞窟から這い出た時、外の世界は変わっていた。

見慣れた木々がない。歩き慣れた道がない。いつも座っていた石もない。全てが泥と砂に埋もれている。

立てる場所を探しながら歩いた。足が沈む。手で土を払いながら、何かを探した。食べられるもの。飲める水。隠れる場所。

何も見つからなかった。

この星

大きな波が大地を洗った。

始まりの大地では、海の水が内陸まで押し寄せ、川の流れを逆転させた。森の奥まで塩水が届き、根を張っていた木々を倒した。草原では水が地面の下まで浸透し、小さな丘を崩した。

波は一度だけではなかった。大きな波の後に中くらいの波が続き、小さな波がその後を追った。一日かけて水は引いたが、地面に残ったものは元の姿とは違っていた。

生き延びた者は僅かだった。高い場所にいた者、深い洞窟にいた者、偶然に水の流れから外れた者。集団の大部分は水と一緒に流された。石の道具も、蓄えた食料も、寝床も、すべて失われた。

遥か遠くでは、額の張り出した者たちが山の洞窟で壁に手を押し当てていた。手のひらに赤い土を塗り、岩の表面に跡を残していた。背の低い頑丈な者たちは、高原で石を積み重ね、何かの形を作っていた。

海に近い場所では、潮が引いた後の砂地に見たことのない貝殻が転がっていた。川の近くでは、流れてきた木の幹が新しい橋を作っていた。しかし、それらを見る者はほとんどいなかった。

水が運んできたものもあった。遠い場所の石、見慣れない植物の種、他の場所で死んだ動物の骨。混ざり合って、新しい土地を作った。

季節は変わらず巡った。しかし、その季節を数える者は激減した。残った者たちは、元の場所がどこだったかもわからない土地で、一から始めなければならなかった。

与えるもの

何かが終わった。何かが始まった。それだけだった。

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伝播:NOISE 人口:1
与えるものの観察:水は記憶も一緒に流した
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第60話

紀元前299,705年

この星

朝が来た。いつものように。

倒れた者の上を風が通り過ぎた。動かなくなった指先を、小さな虫が歩いた。開いたままの目に、葉が一枚落ちた。

遠くで鳥が鳴いた。額の張り出した者たちの声だった。高原では、背の低い頑丈な者たちが石を運んでいた。

水が引いた後の大地に、新しい芽が出始めていた。

与えるもの

待っていた。

繋がるべき相手を探した。呼びかけた。

誰も答えなかった。

もう一度呼びかけた。風の音だけが返ってきた。

繋がる相手がいないことを、ようやく理解した。

糸は宙に浮いたまま、誰の手にも届かずに揺れていた。

伝播:SILENCE 人口:0
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第61話

紀元前299,705年

その者

16の季節が過ぎた頃から、朝に目を開けても体が動かない日が増えた。

膝が曲がらず、指先に力が入らない。集団が移動を始めると、遅れるようになった。仲間たちが振り返り、手を差し伸べる。それでも歩いた。

17の季節。息が浅くなった。少し歩くだけで胸の奥が痛む。獣の匂いがわからなくなり、狩りに参加できなくなった。

頬がこけた。肋骨が浮き出た。食べ物を口に入れても、すぐに吐いてしまう。

仲間たちは心配そうに見つめるが、誰にも何ができるかわからない。ただ見守るだけだった。

19の季節。立つことができなくなった。

横になったまま、空を見上げた。雲が流れていく。鳥が鳴いている。風が頬を撫でる。

仲間の一人が水を持ってきた。口の端に垂らしてくれる。飲み込むことができない。

20の季節も終わりに近づいた頃、もう目を開ける力もなくなった。

意識が遠のく。戻る。また遠のく。

最後に見たのは、仲間たちの顔だった。悲しそうな目をしている。何かを伝えようとして手を動かしているが、もうそれが何なのかわからない。

21の季節を迎える前に、呼吸が止まった。

第二の星

同じ時、遥か東では、氷に閉ざされた高地で別の種の者たちが火を囲んでいた。額の張り出した頑丈な体つきの者たちが、寒さに震えながら獣の肉を分け合っている。

西の砂の大地では、背の低い者たちが洞窟の壁に手の跡を残していた。赤い土を水に溶かし、掌を押し当てる。何のためなのか、彼ら自身にもわからない。

南の温かい森では、木の実が落ち、虫が土に還っていく。季節が変わろうとしていた。

与えるもの

糸は別の誰かへ向かった。

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伝播:NOISE 人口:7,138
与えるものの観察:死を止められない。いつも止められない。
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第62話

紀元前299,700年

第二の星

大地が唸った。

夜明け前の静寂を、深い振動が破った。森の木々が揺れ、鳥たちが一斉に舞い上がる。

始まりの大地を流れる川が、いつもとは違う音を立てていた。上流から何かが押し寄せてくる。岩が転がり、土が崩れる音。

川辺に住む集団は目を覚ました。水の音が近づいてくる。いや、水そのものが近づいてくる。

濁流が平地を飲み込んだ。

茶色い水が、住み慣れた場所を次々と奪っていく。石で囲んだ火の跡も、干していた肉も、寝床に敷いていた草も、全てが流されていく。

逃げる者たち。高い場所を求めて走る者たち。水に取り残される者たち。

同じ頃、遥か北では、氷の裂ける音が響いていた。何かが変わろうとしている。

東の乾いた大地では、額の張り出した者たちが夜空を見上げていた。星の並びが、わずかに違って見える。

南の温かい森では、新しい種の子どもが生まれていた。初めての声を上げる。母が抱き上げる。

与えるもの

糸は繋がった。

この小さな者に。

その者

水が足首まで来た時、木に登った。

手のひらが樹皮でざらついた。爪が割れた。それでも登り続けた。膝で幹を挟み、腕の力だけで体を持ち上げる。

下で何かが流されていく音が聞こえた。重いものがぶつかり合う音。水が渦を巻く音。

枝の上で震えていた。

夜が明けても、水は引かなかった。

腹が鳴った。口が渇いた。でも降りることはできない。下にはまだ、茶色い水が渦巻いている。

昨日まで歩いていた場所が、見えない。昨日まで火を囲んでいた仲間たちも、見えない。

二日目の夜。雨が降り始めた。

口を開けて雨を受けた。舌に水滴が落ちる。少しだけ、渇きが和らいだ。

三日目。水が引き始めた。

泥だらけの大地が現れた。知っている場所のはずなのに、全てが変わってしまった。大きな石が移動している。木が倒れている。そして、誰もいない。

木から降りた。

足が泥に沈んだ。一歩歩くたびに、ぐちゃぐちゃと音がする。

仲間たちを探した。声を出してみた。短い、高い音。返事はなかった。

四日目も、五日目も、一人だった。

泥の中から、食べられそうなものを探した。虫を見つけた。生きている虫は逃げるので、死んでいる虫を口に入れた。苦かった。でも、腹の痛みが少し和らいだ。

七日目。遠くから声が聞こえた。

走った。泥に足を取られながら、それでも走った。

見知らぬ者たちだった。額が張り出している。がっしりした体つき。自分たちとは違う種の者たち。

彼らは警戒していた。距離を取っている。でも、敵意は感じなかった。

一人が手を上げた。空いている手のひらを見せる合図。

こちらも手を上げた。

彼らは去っていった。でも、一人だけではないということがわかった。

水は全てを変えた。でも、何かが残っている。

伝播:NOISE 人口:5,808
与えるものの観察:最初の出会いが、別の種だった。
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第63話

紀元前299,695年

第二の星とその者(10〜15歳)

大地が冷えていく。氷の川が山を削り、新しい谷を刻んでいる。始まりの大地の北側では、厚い雲が空を覆っている。雨は少ない。草原が縮んでいく。

木から実を採った。小さな赤い実。口に入れると、酸っぱい汁が舌に広がった。もう一つ、また一つ。腹の中で温かくなる。

旧人たちの集団が南へ移動している。彼らの足跡は深い。重い荷物を運んでいる。狩りの道具、毛皮、子供たち。彼らは寒さを知っている。長い間、この変化と共に生きてきた。

実のなる木の場所を覚えた。朝になると、そこへ向かう。同じ道を歩く。石があった場所に石がある。倒れた枝があった場所に枝がある。足が覚えている。

湖の水位が下がっている。以前は水だった場所に、乾いた泥が現れている。そこに動物たちの足跡が残されている。大きな蹄の跡、小さな爪の跡。水を求めて集まり、また散っていった。

夜、寒くなった。毛皮にくるまる。それでも震えが止まらない。体を丸めて、膝を胸に寄せる。息が白く見える。

森の端で、人の集団とすれ違った。彼らは急いでいた。子供を背負い、道具を手に持って。誰かが手を上げた。こちらも手を上げて返した。彼らは立ち止まらなかった。

一人でいることに慣れた。声を出すことが少なくなった。鳥の鳴き声に耳を澄ませる。風の音に耳を澄ませる。自分の足音だけが聞こえる。

与えるもの

五年が過ぎた。

糸は続いていた。しかし何も渡せずにいる。

この者は一人で歩いている。集団から離れて、自分だけの道を見つけている。それは強さなのか、それとも別の何かなのか。

わからない。

伝播:NOISE 人口:5,812
与えるものの観察:一人でいることを選んだのか、選ばされたのか。
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第64話

紀元前299,690年

その者

血の味がした。口の中に砂が入っている。

地面が割れていた。昨日まで平らだった場所に、深い溝ができている。溝の底から湯気が立ち上がっている。熱い匂いがする。

足を引きずって歩く。左の膝が曲がらない。石が当たったのか、転んだ時に捻ったのか。覚えていない。ただ痛い。

空が灰色になった。太陽が見えない。灰が降り続けている。髪に、肩に、手の甲に積もる。息を吸うと咳が出る。

川の水が濁っている。いつもの透明さがない。茶色く、熱い。口をつけようとして止めた。動物の死骸が流れている。大きな角を持った獣、羽の生えた小さなもの。みんな目を閉じて流れていく。

洞窟を探した。岩の隙間に身を押し込む。中は涼しい。外の音が遠くなる。

夜になっても空が明るい。遠くで何かが燃えている。オレンジの光が雲を照らしている。風が変わった。熱い風が頬を叩く。

一人だ。声をかける相手がいない。自分の足音だけが響く。

第二の星

山々が噴き上げた。

始まりの大地の中心で、三つの山が同時に裂けた。炎が空を焦がし、石が雨となって降った。大地は震え続け、川は道を変えた。森が燃え、湖が干上がった。

人々は散り散りになった。集団は引き裂かれ、家族は離ればなれになった。ある者は高い場所へ逃げ、ある者は水を求めて移動した。多くが途中で力尽きた。

灰は風に乗って遠くまで運ばれた。東の草原を覆い、西の海まで届いた。動物たちも混乱した。普段は近づかない種同士が、同じ水場で肩を寄せ合った。

五つの集団が残った。かつて百を超えていた人々は、今では手で数えられるほどになった。それぞれが別々の方向へ向かい、互いの存在を知らずに生きている。

北では氷が溶け始めていた。南では新しい島が海から顔を出した。この星は変わり続けている。人がいようといまいと、回り続けている。

与えるもの

糸は続いていた。

彼は洞窟の奥で光る鉱石を見つけている。

その石を指差した。
手に取り、外の光にかざしてみた。
この輝きが、暗闇で道を照らすことを知るだろうか。

伝播:DISTORTED 人口:2,063
与えるものの観察:彼は一人でも歩き続けている
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第65話

紀元前299,685年

第二の星

五つの痕跡が残った。

始まりの大地に散らばった集団は、それぞれ異なる道を歩んでいた。東の者たちは川沿いに下り、魚を手づかみで捕らえる術を覚えた。西の者たちは海辺で貝を集め、波音の中で眠った。南の者たちは森の奥で木の実を探し、鳥の巣から卵を盗んだ。北の者たちは氷の溶けた水たまりで、見たことのない虫を見つけた。

中央に一人だけ残った者がいた。

動物たちも変わった。鹿の群れは三つに分かれ、それぞれが違う草を食べるようになった。狼は単独で行動し始めた。鳥たちは新しい鳴き方を覚えた。

雨が降った。乾いた大地が水を吸い、緑が戻り始めた。山の傷は徐々に癒え、新しい川筋が生まれた。風は灰を運び去り、空は再び青くなった。

遠く、別の大陸では巨大な獣が絶え、小さな生き物が数を増やしていた。海の向こうで氷が厚くなり、この星の軸がわずかに傾いた。

すべては続いている。

与えるもの

道筋は見えていた。

洞窟の壁に光る筋を指差した。
爪で削り取り、手の中で転がした。
この光が、何を照らすために生まれたのだろうか。

その者

足音だけが響く。

洞窟は深い。壁に手をつきながら奥へ進む。暗闇の中で何かが光っている。近づく。薄い筋のような光。爪で削る。欠片が落ちる。拾う。

手の中で温かくなる。微かに光る。

外に出る。陽の下でも光っている。不思議だった。こんなものは初めて見た。

腰の皮に包む。

川で水を飲む。魚が泳いでいる。手を入れる。逃げられる。何度も繰り返す。一匹捕まえる。生のまま食べる。骨は吐き出す。

夜になる。光る石を取り出す。暗闇の中でも見える。足元を照らす。木の根に足を取られずに歩ける。

洞窟に戻る。奥の方でまた光を見つける。削り取る。手の中に欠片が増える。

眠る。夢は見ない。

朝、光る石をまた見る。不思議さは消えない。なぜ光るのかわからない。光は光だった。それだけだった。

歩き続ける。

伝播:NOISE 人口:2,064
与えるものの観察:光るものを渡した。暗闇で道を照らすかもしれない。
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第66話

紀元前299,680年

その者

地が裂けた。

眠っていた洞窟の床が割れ、落ちる。肩を岩にぶつける。痛い。這い上がる。外に出ると空が赤い。

山が燃えている。

石が空から降ってくる。熱い。頭に当たる。血が出る。手で拭う。走る。どこへ行けばいいかわからない。

川に向かう。水が温い。魚が浮いている。死んでいる。飲めない。

歩き続ける。足の裏が熱い。地面が温かい。靴がない。足が痛い。

他の者たちを探す。呼ぶ。声が出ない。煙を吸いすぎた。咳が止まらない。

高い場所に登る。見下ろす。集落があったところに火が見える。誰もいない。建物が崩れている。

一人だった。

夜になる。空の赤さが薄くなる。寒い。毛皮を探す。燃えた木の下から見つける。煤だらけだった。それでも着る。

星が見えない。煙で覆われている。

歩き続ける。足音だけが響く。

第二の星

大地の深いところで何かが動いた。

始まりの大地の中央で山が噴き上がり、溶けた岩を天に向けて吐いた。地面に大きな裂け目が走り、集落を飲み込んだ。炎は森を焼き、川を干上がらせた。

空は灰で覆われ、太陽は薄い光しか地に届けなくなった。

半数以上の者が消えた。生き延びた者たちは散り散りになり、一人ずつ歩いている。食べ物は灰に埋まり、水は熱くなった。

遠い海では氷が厚くなり続けていた。この星の軸は少しずつ傾いている。季節が変わり始めていることを、誰も知らない。

南の大地では別の種類の者たちが洞窟の奥で震えている。北の果てでは巨大な獣が最後の鳴き声を上げて倒れた。

すべてが同時に起きている。すべてが続いている。

与えるもの

灰の中で光る石を指差した。
拾わずに素通りした。
光があっても、一人では何を照らすのだろうか。

伝播:SILENCE 人口:1,473
与えるものの観察:一人になった者は、光よりも仲間を求める
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第67話

紀元前299,675年

第二の星とその者(30〜35歳)

大地の深いところで何かが動いた。始まりの大地の中央で山が噴き上がり、溶けた岩を天に向けて吐いた。地面に大きな裂け目が走り、集落を飲み込んだ。

一人だった。夜になる。空の赤さが薄くなる。寒い。毛皮を探す。燃えた木の下から見つける。煤だらけだった。それでも着る。

炎は森を焼き、川を干上がらせた。空は灰で覆われ、太陽は薄い光しか地に届けなくなった。半数以上の者が消えた。生き延びた者たちは散り散りになり、一人ずつ歩いている。

星が見えない。煙で覆われている。歩き続ける。足音だけが響く。三日歩いた。水を見つけた。熱い。口をつけた。やけどした。それでも飲んだ。

食べ物は灰に埋まり、水は熱くなった。遠い海では氷が厚くなり続けていた。この星の軸は少しずつ傾いている。季節が変わり始めていることを、誰も知らない。

木の実を探す。灰をかぶった実を見つけた。洗えない。そのまま食べた。苦い。腹が痛くなった。それでも食べ続けた。

南の大地では別の種類の者たちが洞窟の奥で震えている。北の果てでは巨大な獣が最後の鳴き声を上げて倒れた。すべてが同時に起きている。すべてが続いている。

他の足跡を見つけた。新しい。追いかけた。見失った。また一人になった。夜が来た。寒い。火をおこそうとした。木が湿っている。煙だけ出た。震えながら眠った。

五年が過ぎた。空はまだ灰色だった。

与えるもの

灰の中で光る石を指差した。
拾わずに素通りした。
光があっても、一人では何を照らすのだろうか。

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伝播:NOISE 人口:1,474
与えるものの観察:一人では光も意味を持たない
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第68話

紀元前299,670年

第二の星

五年が流れた。空を覆っていた灰は薄くなり、太陽の輪郭が見えるようになった。しかし季節は狂い続けている。雨が降るべき時に雪が降り、暖かくなるべき時に霜が降りる。

始まりの大地では、散り散りになった者たちが少しずつ再び出会い始めている。ある谷では三人が集まり、別の丘では七人が火を囲んでいる。しかし多くの者はまだ一人で歩いている。

遠い北の大地では、毛深い者たちが氷の洞窟で眠り続けている。南の海では、大きな魚が浅瀬で死んでいく。東の森では、新しい種類の草が灰の中から芽を出している。すべてが変わり、すべてが続いている。

水は相変わらず熱い。地の底で何かが燃え続けているのかもしれない。それでも生き物は水を求める。熱くても飲む。やけどしても飲む。

子を産む者は少ない。産まれても多くは育たない。それでも時々、強い子が生まれる。その子たちは他とは違う音を出す。長い音、短い音を組み合わせる。まだ意味はないが、何かを伝えようとしている。

与えるもの

川辺の丸い石を指差した。
手に取って温めている。
石も孤独を知っているのだろうか。

その者

川を歩く。石を踏む。滑る。膝をつく。立ち上がる。また歩く。

魚の骨を見つけた。しゃぶった。何も出ない。それでもしゃぶり続けた。塩の味がした。

夜、遠くで火の光を見た。歩いて近づいた。消えていた。灰が温かかった。手をかざした。誰かがここにいた。

足跡を見つけた。小さい。子の足跡だった。追った。川で途切れた。向こう岸を見た。何もない。

石を投げた。水に落ちた。音がした。また投げた。また音がした。何度も投げた。音が返ってくる。一人ではない。

朝、霜で白くなった草を見つけた。触った。冷たい。舐めた。水になった。また舐めた。

鳥が一羽、死んでいた。羽をむしった。生で食べた。苦い。吐いた。それでも食べ続けた。

丸い石を見つけた。握った。温かくなった。離した。冷たくなった。また握った。温かい。

夜が来る。石を握ったまま眠る。朝、まだ握っている。石も眠ったのだろうか。

伝播:DISTORTED 人口:1,475
与えるものの観察:石を温める手。温める心。
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第69話

紀元前299,665年

第二の星とその者(40〜45歳)

氷河が後退する。大地が現れる。川筋が変わり、湖が生まれ、森が広がる。鹿の群れが北へ移動していく。季節ごとに違う道を通る。

その者は川辺で石を拾う。丸い石だった。握ると温かくなる。離すと冷たくなる。何度も握り直す。

旧人たちが洞窟を去る。新しい狩り場を求めて東へ向かう。彼らの足音が遠ざかる。残された骨と灰。

魚の骨を見つけた。白く乾いている。しゃぶった。塩の味がした。もう一度しゃぶった。同じ味がした。

夜空に星が増える。雲が少なくなった。月が明るい。遠くの山並みが見える。雪が光っている。

火の跡を見つけた。灰が温かい。誰かがいた。手をかざした。まだ温かい。灰を掘った。炭が出てきた。

川の水位が下がる。新しい石が現れる。魚が浅瀬で跳ねる。鳥が魚を狙って降りてくる。水音が変わった。

足跡があった。小さい。子の足跡だった。追った。川で消えた。向こう岸を見た。何もない。石を投げた。音が返ってきた。

森に実がなる。甘い実、苦い実。鳥が食べる実は甘い。鳥が避ける実は食べない。そう覚えた。

鳥が死んでいた。羽をむしった。生で食べた。苦かった。吐いた。それでも食べ続けた。腹が痛くなった。でも生きている。

気温が上がる。雪解け水が川を膨らませる。魚が遡上する。熊が川に入る。その者も水に入った。

丸い石を握ったまま眠る。朝になっても握っている。石は温かい。離したくない。

与えるもの

丸い石を指差した。
握り続けている。
石も孤独を抱くのだろうか。

伝播:NOISE 人口:1,477
与えるものの観察:握り続ける温もり。離すことを知らない。
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第70話

紀元前299,660年

第二の星

大地が割れた。

火の山が天に向かって吠え、溶けた石が川のように流れ落ちた。灰が空を覆い、太陽は赤い円となって消えた。雨が降らなくなった。草が枯れ、木々が立ったまま死んだ。

始まりの大地で生きていた者たちは、ある者は火に飲まれ、ある者は灰に埋もれ、ある者は飢えて倒れた。集落が丸ごと地の裂け目に落ちた。川が干上がった。湖が灰で埋まった。

生き残った者たちは散り散りになった。家族が離ればなれになった。母が子を探し、子が母の名を呼んだ。しかし声は灰に吸い込まれ、誰にも届かなかった。

火の山は何度も吠えた。一度目で半分が逃げ、二度目で半分が諦め、三度目で残った半分が静かに座り込んだ。

動物たちも同じだった。鹿の群れが谷に追い詰められ、そこで煙に包まれた。鳥たちは南へ飛び立ったが、空気が薄くて次々と墜落した。魚は浅くなった川で跳ね回り、やがて動かなくなった。

灰は厚く積もった。足跡がすぐに埋まった。風が吹けば目も鼻も塞がれた。水を探しても、灰だけが舞い上がった。

それでも、いくつかの小さな泉が残った。山の奥で、火の届かない場所で、細い水音が続いていた。そこに辿り着いた者だけが生きた。

三年が過ぎた。灰に埋もれた地面から、小さな芽が出た。四年目に、鳥が戻ってきた。五年目に、雨が降った。

生き残った者たちは、新しい場所で新しい集団を作った。以前より小さく、以前より静かに。子を産む者も減った。乳の出ない母が多くなった。生まれても、すぐに息を引き取る子が多かった。

火の山はまだ煙を上げている。時々、赤い光が雲を照らす。生き残った者たちは、その光を見ると身を寄せ合った。もう一度、大地が割れるかもしれない。もう一度、灰が降るかもしれない。

それでも、朝になると水を探しに出かけた。昼になると実のなる木を探した。夜になると火を囲んだ。明日も同じことを繰り返すために。

与えるもの

割れた石を指差した。
その者は石を拾い、温めるように握り続けている。
壊れたものも、誰かの手の中では完全になるのだろうか。

その者

灰の中から石を見つけた。真っ二つに割れている。それでも握った。鋭い縁が手のひらを切った。血が出た。それでも握り続けた。

夜、石を胸に抱いて眠った。朝、まだ握っている。血は乾いていたが、石は温かかった。

伝播:SILENCE 人口:606
与えるものの観察:壊れていても、握られている。
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第71話

紀元前299,655年

その者

水が豊かに降った。五度目の雨季が過ぎた頃、集団は以前の倍ほどになっていた。新しい顔が増えた。子の声が絶えない。

その者は相変わらず端にいた。誰とも特に近しくならず、誰からも遠ざけられることもなく。ただそこにいた。

朝、水辺に向かう途中で足を止めた。地面に落ちている石に目が留まった。平たく、手のひらに収まる大きさ。何の変哲もない石だった。それでも拾い上げた。温かかった。

夜まで握り続けた。食事の時も、火を囲む時も。石は次第に手に馴染んだ。角が丸くなり、表面が滑らかになった。自分の手の脂が染み込んだのかもしれない。

翌日も同じ石を握った。三日目も、四日目も。石を握ることが、息をすることと同じになった。

第二の星

雨が続いた。川は溢れ、湖は広がった。草は青々と茂り、木には実がたわわに実った。獣たちも増えた。鳥の群れが空を覆った。

人の集団は大きくなった。食べ物が豊富だと、子を産む者が増える。乳も豊かに出る。幼い者も多く生き延びる。声が重なり、足音が響く。

温暖な気候は五年続いた。氷に覆われていた遠い地域でも雪解けが始まった。海の水位が少しずつ上がった。新しい湿地が生まれ、新しい森が育った。

始まりの大地では、人の集団がゆっくりと広がり始めていた。川沿いに、湖のほとりに。小さな一歩ずつ。まだ見知らぬ土地は無限に広がっていたが、彼らはそれを知らなかった。

豊かさの中で、人は変わり始めた。余裕が生まれると、新しい音を発するようになった。身振りが複雑になった。石を叩く音、木を削る音。まだ言葉ではないが、何かが芽生えていた。

与えるもの

丸い石を指差した。
その者は石を握り、五日間離さずにいる。
持ち続けることで、何かが生まれるのだろうか。

伝播:SILENCE 人口:959
与えるものの観察:握り続ける手の中で、石が変化している
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第72話

紀元前299,650年

第二の星

見えない何かが集団を襲った。最初は一人が倒れた。熱を出し、震え、そして動かなくなった。次の日、また一人。三日目には三人が同時に。

理由がわからなかった。食べ物は同じものを食べていた。水も同じ場所から飲んでいた。でも倒れる者と倒れない者がいた。幼い者から順に消えていく。

集団は散らばった。離れれば大丈夫かもしれないと思った。でも見えないものは追いかけてきた。川を渡っても、高い場所に逃げても。

五年の間に、多くの者が消えた。生き残った者たちは集まり直した。なぜ自分が残ったのかわからない。なぜあの者が消えたのかもわからない。

遠い場所では氷河が少しずつ溶けていた。新しい川ができ、古い川は干上がった。動物たちも移動を始めた。北へ向かう群れと南へ向かう群れ。本能が何かを教えているようだった。

始まりの大地で生き残った者たちは、以前より慎重になった。見知らぬ場所に近づくとき、死んだ獣に触れるとき、必ず立ち止まって考えるようになった。見えない危険があることを学んだ。

与えるもの

燃えている枝を指差した。
その者は枝を拾い、火を別の場所に移した。
炎は広がるものなのか、それとも消えるものなのか。

糸は続いている。五十年目。

その者

咳をする者が増えた。夜中に苦しそうな音を立てる。その者はその音を聞きながら目を覚ます。自分の胸に手を当てる。まだ苦しくない。まだ熱くない。

朝になると誰かが動かなくなっている。冷たくなった体を土に埋める。石を積む。何度も何度も繰り返す。

集団が小さくなった。声の数が減った。食事のときに座る円も小さくなった。でもその者は生きている。なぜなのかわからない。

燃えている枝を見つけた。誰かが落とした松明だった。その者は枝を拾い上げる。炎が手に近づく。熱い。でも離さない。別の枯れ草に火を移す。炎が広がる。

夜、一人で火を見つめる。火は踊っている。消えそうになると息を吹きかける。強くなったり弱くなったりする。まるで生きているようだった。

朝、灰になっている。でも温かい。その者は手を灰に埋める。何か残っているような気がする。見えないけれど、そこにある何か。

伝播:NOISE 人口:744
与えるものの観察:炎もまた、見えないものを宿している