2033年、人類の旅

「紀元前296,045年〜紀元前295,925年」第793話〜第816話

Day 34 — 2026/05/06

読了時間 約61分

第793話

紀元前296,045年

第二の星とその者(19〜24歳)

岩の稜線が、北に向かって低くなっている。草原の縁に、古い川床の跡が白く走っている。水は来ない。来ても、砂に吸われて消える。

その者は斜面の下で、獣の骨を持っていた。折れている。先端が尖っている。何かを刺したわけではない。ただ持っていた。

南の台地では、灰の層が薄く積もっている。去年の焼け野原が、雨を経て、また草に覆われている。獣の足跡がある。多い。群れが戻っている。

集団の中で、声が高くなることが増えた。食い物の取り合いではない。別のことだ。誰が先に行くか、誰がどこに立つか、そういうことだ。その者には関係がないはずだった。しかし聞こえてきた。

風が止んだ昼、川床の跡に水が滲んでいた。地の下から来ている。薄い光が、そこだけ違う色で落ちていた。

その者が立ち上がった。骨を手に持ったまま、水の滲む場所へ歩いた。特に考えたわけではない。足が向いた。砂を掘った。骨の尖った先で。

砂が湿った。水が出た。少ない。しかし出た。

集団の上位にいる者が近づいてきた。その者よりも大きく、腕が太い。水を見た。その者の手から骨を取った。同じように砂を掘った。水が増えた。骨は戻ってこなかった。

岩の稜線の向こうで、別の群れの声がしていた。旧い声だ。低く、鼻に響く。人の声と少し違う。ここ数年、その声が近くなっていた。

その者は空になった手を見た。砂がついていた。払った。水の滲む場所を、もう一度見た。誰かが踏んでいた。足跡が上にある。

夜、火の傍で、集団が囲んでいた。その者は端にいた。上位の者が水の話をしていた。音の羅列だ。その者には全部はわからない。しかし水、骨、砂、それだけは聞こえた。

自分の名は出なかった。

草が夜露に濡れる頃、その者は寝場所に戻らなかった。稜線の低いところへ歩いた。旧い声がする方向だ。何があるか、知らない。知りたいわけでもない。ただ歩いた。

稜線の向こうに、小さな火があった。三つ、四つの影が動いていた。旧い顔の者たちだ。額が張り出している。背が低い。火を持っている。

その者は止まった。

向こうも止まった。

何も起きなかった。風が吹いた。草の音がした。その者は来た道を戻った。

五年の終わりに、集団から二人が消えた。旧い声の方へ行ったのか、それとも別の方向へ行ったのか、誰も追わなかった。火は毎夜続いた。水の滲む場所は、雨の後に少し広がった。

その者は骨を持たなくなった。代わりに、石を一つ、常に持つようになった。尖ってはいない。丸い。川床で拾った。何に使うかは、まだ決めていない。

与えるもの

川床の砂に、光を落とした。

この者は骨で掘った。水が出た。骨は取られた。

何かが届いたのか、それとも足が向いただけか。問いに答えは出ない。しかし今度は石がある。丸い石が、この者の手の中にある。何に使うかを決めていないこの者に、次に何を示すべきか。まだ決まっていない。渡す意志だけがある。

伝播:NOISE 人口:366
与えるものの観察:骨で水を掘った。石は残った。
───
第794話

紀元前296,040年

第二の星

北の岩稜は、陽が傾くと影を長く落とす。東の草原は乾いている。風が来るたびに、枯れ草の匂いが舞い上がる。

川床の跡は白い。水は来ない。来ても砂に消える。

集団の縁に、よそ者の跡がある。足型が二つ、砂の上に残っている。踵が大きい。この集団の者より、骨格が太い。同じ二足で立ち、同じように水を求めて歩いた者の跡だ。いつ来たか、わからない。去ったのか、隠れているのか、わからない。足型は風に削られ、少しずつ崩れていく。

南の密林では、子が一人生まれた。母は声を上げなかった。子は声を上げた。それだけのことが、夜の中で起きた。

草原の向こう、丘の裏側に、別の集団がいる。火を焚いている。煙が細く、真っ直ぐ上に伸びた。風がない夜だ。

この星は等しく照らす。足型も、生まれた子も、細い煙も、そして斜面の下で石を持つ者も。

与えるもの

丸い石の表面が、夕光の中で鈍く光った。

その者が石を拾い上げた。握った。しばらく、握ったままだった。

握ることと、使うことは、違う。その問いはまだある。

その者(24〜29歳)

右手に石。左手に何もない。

斜面の下に座って、石の表面を別の石で押した。端が欠けた。小さな破片が膝に落ちた。手の付け根に、古い傷がある。三年前のものだ。石を押すたびに、そこが締まる感じがした。

夕光が岩の面に当たって、斜面全体が赤くなった。その者は手を止めた。

石が光っていた。丸く、平らな面が、赤く染まっていた。その者はしばらく、石を見ていた。何かを考えていたわけではない。ただ見ていた。

集団の方から声がした。誰かが何かを叫んでいる。その者は立ち上がった。石を右手に持ったまま、声の方へ走った。

砂の上に足型があった。二つ。自分たちのものではない。年長の者が足型の周りを歩き、指を差し、声を上げた。若い者たちが集まった。その者も輪の外に立って、足型を見た。

踵が大きかった。

その者の手の中で、石が温かかった。握っていたから温かいのか、それとも別の理由があるのか、その者には言葉がなかった。

夜、石は右手の近くに置いた。

朝、石はあった。

伝播:SILENCE 人口:380
与えるものの観察:握ることと使うことの間で、この者は止まった。
───
第795話

紀元前296,035年

第二の星

乾いた大地の上に、熱がたまっている。

草原の東では、獣の群れが水場から遠ざかっている。蹄の跡が砂に残り、風が来るたびに崩れる。水はない。水の匂いもない。地面の表面だけが白く乾いて、その下は知らない。

北の斜面では、旧人の集団がしゃがんでいる。彼らは火を持たない。夜は岩の陰に入り、身を寄せ合う。目は大きく、眉の骨が厚い。昼間は日陰に座って、皮を裂く。言葉はない。音がある。短く、繰り返す音が、岩の間に響く。

南の低地では、人の子が二人、枯れた茎を折って遊んでいる。折れる音が気に入っているらしい。同じ動作を繰り返す。傍らに大人はいない。

同じ大地の上で、集団の中の誰かが、ある者を遠巻きにし始めている。

輪の外に置くことは、言葉で決めない。座る場所が少しずれる。食料が渡るのが最後になる。火に近い場所から、じわじわと押し出される。それが何日も続く。

この星はそれを見ている。判断しない。熱を蓄えた地面と同じように、ただそこにある。

与えるもの

その者の足元に、小さな影が動いた。

雲ではなかった。鳥でもなかった。風がある方向から来て、乾いた砂を持ち上げ、その者の顔の左側に当たった。

その者は顔を向けた。

砂が飛んできた方角に、集団の外れがあった。火がある場所より少し遠い、岩と岩の間の隙間。

その者は一瞬、止まった。

それだけだった。

与えるものの中に、問いが残る。顔を向けた。しかし足は動かなかった。それは恐れか、それとも別の何かか。渡すべきものが届いたのか、風として通り過ぎただけなのか。次に渡せるものがあるとすれば、それは逃げ道ではなく、逃げることを選ぶだけの何かだ。それはまだ、この者の中にあるだろうか。

その者(29〜34歳)

排除は、声で始まらなかった。

座る場所がずれた。最初は気づかなかった。次の日もずれた。その次も。気づいた時には、火から三歩遠い場所に自分がいた。

肉が回ってきたのは、みんなが食べ終わってからだった。骨の近くの、薄い部分だった。その者はそれを受け取って、食べた。

翌朝、見張りの交代で名前を呼ばれなかった。代わりに別の若い男が立った。

その者は草の端に座って、遠くを見た。

腹が空いていた。昨日の薄い肉では足りなかった。水は自分で汲みに行った。誰も一緒に来なかった。

岩の陰で皮を削っていたとき、古老が通った。目が合った。古老は止まらなかった。

その者は手を動かし続けた。石の端で皮を引っ掻く。また引っ掻く。削れた白い屑が膝に落ちた。

風が左から来た。

顔を向けた。岩の隙間が見えた。暗かった。誰もいなかった。足は動かなかった。

夜、その者は火から一番遠い場所で横になった。地面が冷たかった。空に星が出ていた。その者は目を開けたまま、星を見ていた。何も考えていなかった。ただ、星があった。

夜明け前に、複数の足音が近づいた。

その者は目を開けていた。足音が止まった。

次に何が来るか、体は知っていた。腹の奥が固くなった。しかし声は出なかった。岩の方向に体を向けて、それだけだった。

押された。

地面に顔がついた。砂の味がした。誰かの足が背中にあった。重かった。息ができなかった。

それから力が引いた。

足音が遠ざかった。

その者は顔を上げなかった。砂の中に口があった。息をした。また息をした。夜明けの光が地面を赤くし始めていた。

体を起こした。

岩の隙間が、朝の光の中に見えた。

その者は立った。

歩いた。誰も追ってこなかった。足が岩の間に入った。狭かった。体を横にして、進んだ。向こう側に出た。

草が生えていた。枯れた草だったが、そこにあった。

その者はそこにしゃがんで、膝を抱えた。

声は出なかった。ただ、膝を抱えていた。

伝播:HERESY 人口:373
与えるものの観察:風は届いた。足が動くかは、まだわからない。
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第796話

紀元前296,030年

その者(34〜38歳)

川の音が変わった日から、この者は眠れていない。

水は前の夜も鳴っていた。低く、長く。獣が喉の奥で鳴くような音。その者は岸に近い斜面で見張りをしていた。夜ごとの役目だった。若い者が担う、誰もやりたがらない場所。

夜明け前、水の色が変わった。茶色。そして速い。

その者は立った。

仲間の方へ向かって叫んだ。単語だけ。「水」「逃げ」「速い」。それだけで足りた。足りたかどうか、その後は知らない。

足元が崩れた。土ごと動いた。斜面が剥がれた。

水は静かではなかった。木の幹が流れていた。泥が渦を巻いていた。その者は一度、岩につかまった。冷たかった。両手で掴んでいた。どのくらいの間か。

力が抜けた。

掴んでいた岩は残った。その者は流れの中に入った。

水は暖かくなかった。冷たいまま、速いままだった。

集団は散った。高い場所に逃げた者。低い場所に残った者。水が引いた後、戻ってきた者の数は減っていた。集団の五人に一人が、その数日でいなくなっていた。

その者の名を呼ぶ声は、誰も出さなかった。

呼び方を知らなかったのか。知っていたが出さなかったのか。わからない。

岸に木の幹が引っかかっていた。泥がついていた。

第二の星

川が平地に広がった同じ時、北の乾いた高原では砂が静止していた。風がなかった。獣の足跡が午後の光の中で鮮明に残り、誰もそれを踏まなかった。草の穂が一本、垂直に立っていた。揺れなかった。大地はどちらも、ただ続いていた。

与えるもの

温かさは、別の誰かへ向かった。

伝播:HERESY 人口:300
与えるものの観察:掴んだ。離れた。それだけだ。
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第797話

紀元前296,025年

第二の星

平原の縁で、赤土が割れていた。

亀裂は浅い。雨が来なかった月日の分だけ、地面が縮んで、そこに隙間が生まれた。草の根が白く晒されている。風が吹くたびに粉が舞い、地平の向こうまで薄く広がった。

北の丘に、旧人の群れがいた。五人か六人か。皮を体に巻きつけて、低く座っていた。動かなかった。何かの骨を両手で持ち、順に口に当てていた。儀礼か。食事か。どちらでもよかった。彼らはそこにいた。

南では、別の集団が石を運んでいた。川原から拾った平たい石を、一枚また一枚、積み重ねていた。積み上げるためではない。積み上げては崩し、また積み上げた。子どもが三人、周りで走り回っていた。

その者の集団は、平原と森の境目に張りついていた。この五年で人が増えた。増えた分、獲れる獣の量は変わらなかった。子どもたちの腹が鳴る夜が、以前より多くなった。

旧人との間に、言葉はなかった。しかし目が合うことがあった。合った後、どちらも動かなかった。それが、今のところの均衡だった。

与えるもの

糸が繋がった。

その者は皮をなめしていた。古い石で、乾いた獣の皮を何度も叩く。手が荒れていた。爪の端が割れていた。

風が来た。森の方から。

その風の中に、腐った葉の匂いがあった。湿った土の匂い。それから、もっと奥の何か。菌か、実か、わからない。ただ、鼻が動いた。

その者が、立ち上がった。皮を置いて、森の際まで歩いた。

そこに、倒木があった。大きな木が根ごと倒れて、幹の下に空間ができていた。雨水が溜まっていた。透明ではなかった。しかし動物の気配もなかった。

その者は水を飲まなかった。倒木を見ていた。それから戻った。

私は水を示したのか、それとも倒木の形を示したのか、わからなくなった。届いたものが何であれ、その者が戻ったことは確かだ。次に渡すべきものを、まだ私は持っている。

その者(34〜39歳)

皮を叩く。

石が重い。腕に響く。肩に響く。それでも手は動く。柔らかくなるまで、叩く。仕上がった皮は、集団の子どもに巻かせる。それがこの者の仕事だった。

風が来た。

手が止まった。

鼻だけが動いた。湿ったもの。腐ったもの。その奥に、もう一つの何か。舌の裏に唾が溜まった。立ち上がる前に、もう体が動いていた。

森の端まで歩いた。

倒木があった。幹が太かった。根の方が空を向いていた。根についていた土が、乾いて落ちて、根元に小山を作っていた。水があった。溜まっていた。色がついていた。

その者は水を飲まなかった。

しゃがんで、幹を触った。表面がぼろぼろと崩れた。指が茶色くなった。幹の内側は、まだ白かった。硬かった。

叩いた。

石でではなく、手のひらで。音がした。低く、詰まったような音。

また叩いた。同じ音。

その者は少し後ろに下がり、幹の長さを目で測った。それから、戻った。皮の所へ。石を拾い、また叩きはじめた。

夜になった。

子どもが二人、この者の足元で眠った。腹が鳴っていた。どちらの腹か、暗くてわからなかった。その者は起きていた。幹のことを、考えていたのかもしれない。考えるという形ではなく、目の裏に残っている、そういう感じで。

伝播:DISTORTED 人口:315
与えるものの観察:倒木の内側が白かった。示したのは水ではなかった。
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第798話

紀元前296,020年

第二の星

乾いた平原の東に、川が戻ってきた。

細い流れだった。先の季節に消えたものとは別の場所から滲み出してきた。泥が赤く、流れが地面を舐めるように動いた。草が先に知っていた。根が水を追って曲がり、土の表面に小さな丘を作った。

旧人の群れが北の丘から動いた。三日かけて、川の上流へ向かった。足跡が赤土の上に続き、雨が来るまで残るだろう。

遠く、西の岩棚の下で、別の集団が動いた。川ではなく、火を持ち歩いていた。燃やした獣の脂を石に塗り込めて、小さな炎を絶やさずに運んでいた。そのうちの一人が岩でつまずき、火が地面に落ちた。草が燃えた。集団は走った。煙が上がり、鳥が一斉に飛んだ。

平原の南で、女が産んだ。二人生まれた。一人は声を上げた。もう一人は上げなかった。

川は流れ続けた。

火は消えた。

鳥は空に消えた。

与えるもの

川の匂いが風に乗って来た。泥と草の腐ったもの、その下に鉄のような冷たさ。

その者の鼻が動いた。顔が東に向いた。しかし手は止まらなかった。

— 水の方向は届いた。足は向かなかった。これがこの者にとっての届き方なのか、それとも届かなかったのか、私にはまだわからない。次に渡すなら、足が動く何かでなければならない。匂いでは足りないのか。あるいは渡す場所が違うのか。

その者(44歳)

皮が固くなっていた。

獣のものだった。三日前に仕留めたやつ。骨で肉を落とし、石で叩いて、唾液をすり込んだ。何度も何度も。手首の内側が焼けるように痛かったが、手は動き続けた。

皮をなめすことは、時間と腕の仕事だった。

集団の中に、旧人が一人いた。肩幅が広く、額が低かった。その者より力があった。しかし皮を扱う指を持っていなかった。指が太すぎて、薄い部分を割ってしまうのだ。

旧人はそれを知っていた。

だから見ていた。

その者が皮を叩くたびに、旧人は少し近づいた。声は出さなかった。ただそこにいた。

川の匂いが来た。

その者は顔を上げた。東を見た。

旧人も東を見た。

二人の間に、何も言葉はなかった。

その者は皮に視線を戻した。手がまた動き始めた。皮が少しずつ柔らかくなっていた。

日が傾いた。旧人が立ち上がり、北の方へ歩いていった。

その者は見送らなかった。

手が動き続けた。

皮は、まだ固かった。

伝播:NOISE 人口:327
与えるものの観察:匂いは届いた。足は動かなかった。
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第799話

紀元前296,015年

第二の星

大地の東側で、岩盤が割れた。

音はなかった。ただ地面が一瞬、止まった。動くものが動かなくなる、あの一瞬。鳥が飛ばなくなった。虫が鳴かなくなった。川の表面だけが、風もないのに波立った。

それから地面が揺れた。

平原の縁で土の柱が崩れた。数百年かけて積み上がった岩棚が、ゆっくりと傾き、砂煙を上げながら斜面を滑った。音が遅れてやってきた。地の底から押し出されるような、低くて長い唸り。腹の中に入ってくる音ではなく、足の裏から来る感覚だった。

川が濁った。戻ってきたばかりの細い流れが、黄土色の泥を押し出した。水嵩は増えず、ただ色だけが変わった。川岸の草が水面に倒れ、そのまま流された。

揺れは一度では終わらなかった。

小さな揺れが、一日に何度も来た。来るたびに、何かが少しずつ変わった。崖の亀裂が広がった。洞穴の天井から砂が落ちた。獣の道が消えた。集団が寝起きしていた岩陰の奥で、土が盛り上がった。盛り上がりはゆっくりで、気づいたときには膝の高さになっていた。

集団は移動した。

移動は争いながら始まった。西へ向かおうとする者と、その場に留まろうとする者がいた。声が荒くなった。身体が押し合った。年老いた雄が吠えた。それで動きが止まった。止まった隙に、誰かが西の方向へ歩き始めた。それを見て、他の者が続いた。

西の台地は乾いていた。草が短く、赤みがかった土が露出していた。水の匂いがしなかった。それでも集団はそこで足を止めた。揺れが遠くなったからではなく、これ以上歩く力が残っていなかったからだ。

子どもが二人、移動の途中で遅れた。大人が戻って連れ戻した者もいた。一人は見つからなかった。

夜、台地の端に座った者たちは、東の空が赤いことに気づいた。噴火ではなかった。ただ地平線の向こうが、火があるように明るかった。何もなくても、大地はときどき光る。その者たちは見ていた。意味を問わず、ただ見ていた。

集団の緊張は移動の疲労に溶け込んでいた。誰かを排除する力は、今はなかった。力がなかっただけで、緊張が消えたわけではなかった。

与えるもの

乾いた台地の地面に、何もなかった。

石がなかった。草もなかった。ただ土と、少し離れたところに、茶色く干からびた植物の茎が数本。その茎の影が、斜めに地面に落ちていた。

影がある。

その者は台地の端に座っていた。影の方向が変わったとき、影がゆっくりと伸びた。伸びた先が、踵のそばに来た。

その者は自分の踵を見た。

踵のそばに何があるかを見た。何もなかった。地面だった。しかし見た。見たことが残った。

それで十分か、と与えるものは問う。影と踵の間に何かを置けたか。あるいは何も届かなかったか。次に渡すものは、もっと直接的であるべきか。もっと静かであるべきか。

その者(44〜49歳)

岩陰で皮を巻いていた。移動の前からそうしていた。移動の間も、巻いた皮を腕に通して運んだ。台地に着いて、また広げた。

手が動いた。

踵のそばを見た。見てから、また手を動かした。

何かあった、という顔ではなかった。ただ手が少し、止まった。

伝播:HERESY 人口:320
与えるものの観察:影が届いた。踵まで来た。見た。
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第800話

紀元前296,010年

その者(49〜54歳)

皮を張る。

二枚を重ねて岩の端に押しつけ、親指の腹で縁を伸ばす。乾いた皮は固い。湿らせると臭う。でもしなやかになる。その者はそれを知っている。

集団が増えた。

子が増えたのではない、と最初は思っていた。しかし子が増えた。それから子の子が増えた。前の季節より声が多い。焚き火の周りに座る肩の数が多い。その者はそれを目で数えることができない。ただ、多い、と感じる。多いということを、体が知っている。

皮が足りない。

獣を仕留めても、皮は一枚しか取れない。子が増えれば巻くものが要る。覆うものが要る。その者は黙って次の皮を手に取る。また岩に押しつける。また親指で縁を伸ばす。

日が暮れる前に、集団の中の若い男が戻ってきた。手に何も持っていない。獲物を仕留められなかった。その者は男の顔を見た。男は目を逸らした。

その者は何も言わなかった。

夜、焚き火が落ち着くと、子どもたちが固まって眠る。親の膝に、腕に、腹に。いたるところに体がある。

その者は皮を一枚、膝の上に置いたまま眠れなかった。

集団は大きくなった。大きくなったものは、どこかで割れる。その者はそれを知っている。言葉として知っているのではない。かつて別の集団が来た夜のことを、体が覚えている。あの夜、火のそばにいた者のうち何人かが翌朝いなかった。その者はまだ若かった。

膝の上の皮が、冷えた。

集団の外から、音がした。

遠い音ではなかった。近い。岩の陰から、何かが覗いた。旧人だ、と誰かが短い声を出した。焚き火の光が届く端に、大きな影が立っていた。一つではなかった。

若い男が石を拾った。

その者は男の腕を掴んだ。

なぜそうしたのか、その者にはわからなかった。影はただ立っていた。攻撃するなら、もう来ている。その者は影を見た。影は動かなかった。

石が落ちる音がした。

男が手を放したのだ。

影は少し後退した。それからまた近づいた。今度は手元に何か持っていた。小さなものだった。地面に置いた。そして下がった。

誰も動かなかった。

その者が立った。

焚き火から遠ざかると、闇が深くなった。体に緊張が走る。しかし足は止まらなかった。地面に置かれたものに触れた。固い。滑らか。石だが、形が変えてある。

その者は集団の方へ戻った。

手の中に、見知らぬ形の石があった。

第二の星

気候が落ち着いた季節が続いた。

大地の北では、氷が後退し始め、草原が南の地続きになった。獣の群れが移動し、水場が新しくできた。空が、膜を一枚はがしたように透明になった季節が何度か続いた。

始まりの大地では、集団が膨らんだ。焚き火の数が増え、皮の必要量が増え、声の種類が増えた。子が育ち、その子がまた子を産んだ。

同じ頃、大地のあちこちで、異なる形をした集団が動いていた。背が高く、眉骨の張った者たちが、岩のくぼみに住んでいた。彼らは声を持ち、火を知り、獲物を分け合っていた。二つの集団の縄張りが重なる場所が、少しずつ生まれていた。

衝突もあった。しかし衝突だけではなかった。

形の違う石が、異なる手から手へと渡ることが、ごくまれにあった。それは交流とは呼べない。言葉もなく、意図も互いにわからない。ただ、何かが置かれ、何かが拾われた。

大地は動かなかった。火山は静かだった。獣が草を食み、水が低い方へ流れた。

集団間の緊張は、穏やかな空気の中に、煙のように漂っていた。

与えるもの

風ではなかった。

影の足元に落ちた焚き火の光が、地面のものを照らした。石の端が、光を返した。

その者は見た。

立ち上がった。

砂の味が、遠くにある。

何かを渡した。しかし今回渡したのは、この者ではなかった。

影の側が、置いた。

この者は拾った。

それでも糸は何かを通る。渡した形をしていなくても、受け取った形をしていても。次に渡すべきは、その石を何に使うか、ではない。その石を受け取った手が、どこへ向くか。それをこの者に感じさせることができるか。

伝播:NOISE 人口:416
与えるものの観察:拾った手が、どこへ向くかを問いたい。
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第801話

紀元前296,005年

第二の星

大地が揺れたのは五年前だった。

その揺れはとうに地の底に沈んだ。今、台地の上には草が戻り、岩の割れ目に雨水が溜まり、獣の足跡が泥に残っている。揺れの前と同じように見える。しかし同じではない。台地の西の縁が、ほんの少し低くなった。風の向きが変わった。雨がそこに集まるようになった。

集団は動いている。

台地の北に住む者たちと、東の斜面に住む者たちの距離が、この五年で縮まった。縮まったのは土地が狭まったからではない。水場が変わったからだ。新しい水場は台地の低くなった縁の近く、岩の割れ目が集まる場所にある。両方の集団がそこに来る。同じ時に来ることもある。

去年の乾季、北の者が先に来た。東の者が後から来た。そのとき何も起きなかった。

今年の乾季、東の者が先に来た。北の者が後から来た。何かが起きた。

何が起きたか、遠くからは見えない。水場の跡には血の乾いた痕があった。それだけが残った。夜、北の集団の火が二つになっていた。翌朝、一つに戻っていた。

台地の南で、その者は皮を伸ばしている。

与えるもの

腐った獣の匂いが、風に乗って北から来た。

その者は顔を上げた。鼻を動かした。匂いは続いた。

受け取ったかどうかは、まだわからない。ただ、顔が北を向いたままでいる時間が、以前より長かった。

前に水が声より先に来たことがあった。前に影が台地の端に落ちたことがあった。何かが届いて、何かが消えた。今回は匂いだ。届いたのか。届いたとして、それは何を動かすのか。この者があと二年しか生きないとしても、匂いが北を向かせたなら、次に渡すべきものは、もっと鋭いものかもしれない。

その者(54〜59歳)

乾いた皮の縁を、歯で嚙んだ。

硬い。でも嚙めば動く。唾液が繊維に入り込んで、少しずつほぐれていく。その者はそれを知っている。知識として持っているのではない。体が覚えている。何年も嚙んできた縁の感触が、顎の筋肉と奥歯の根本に刻まれている。

嚙みながら、手は別の仕事をしていた。薄く削いだ骨の端で、皮の表面を押す。繊維が寝る。光が変わる。ここだ。その者の目が細くなった。

風が来た。

北から来た。

匂いがあった。

その者は手を止めた。顎も止まった。口の中に皮の味が残ったまま、顔が北を向いた。

腐っている。獣だ。しかし近くない。遠くの匂いだ。

その者は立ち上がった。立ったまま、しばらく北を見た。見えるものは何もない。台地の草が風に揺れているだけだ。でも体の中で何かが立っていた。胸骨の裏あたりが、微かに緊張していた。

座り直した。皮を拾った。また嚙んだ。

しかし、時々顔が上がった。

日が傾いて、火を起こす時間になった。その者は火の近くに座りながら、一度だけ北の方角に首を向けた。火が揺れた。その者の目に炎が映った。何も言わなかった。

夜になった。集団の何人かが眠りにつく中、その者は火の縁で膝を抱えていた。年老いた膝は曲げると痛む。それでも曲げていた。炎が小さくなった。その者は細い枝を一本だけ足した。

炎が戻った。

北の闇は何も語らない。その者も何も語らなかった。ただ、眠るのが少し遅かった。

伝播:NOISE 人口:431
与えるものの観察:顔が北を向いたままだった。それだけで十分か。
───
第802話

紀元前296,000年

その者(59〜61歳)

雨が来なかった。

草が黄くなり、根から抜けた。水場が縮んだ。泥の底が見えた。獣の足跡がそこで途絶えた。

その者は皮をなめしていた。乾いた皮を噛んで伸ばす仕事だ。歯が減った。顎が疲れた。それでも続けた。手だけが仕事を覚えていた。

集団が動いた。水を求めて。

その者もついた。足は遅くなっていた。若い者たちは先を行く。子どもを抱えた者が追いかける。その者は後ろにいた。一人ではなく、もう一人、年を取った者と並んで歩いた。二人とも何も言わなかった。

三日歩いた。

岩の多い場所に来た。影が長かった。夕方だった。

その者は岩の間に手を入れた。冷たかった。石の奥が冷えていた。においがした。湿った土のにおい。

手をもっと奥に入れた。指の先が濡れた。

声を出した。ひとつの音だった。

若い者が来た。岩を動かした。泥が出てきた。掘った。水が滲んだ。それだけだったが、集団は夜をそこで過ごした。

その者は岩に背を向けて座った。手の甲が濡れていた。乾くまで見ていた。

翌朝、集団はまた動いた。

その者は立てなかった。

膝に手をついた。腰が伸びなかった。若い者が一人、見た。見てから歩き始めた。それだけだった。

悪意ではない。誰もが乾いていた。腹が空いていた。子どもが泣いていた。

その者は岩に手をついて、やっと立った。集団の背中が遠くなっていた。

歩き始めた。

途中で座った。

また歩いた。

日が高くなった。影が短くなった。集団の姿が消えた。

その者は岩の陰に入った。土が冷たかった。横になった。腹が空いていた。しかし遠かった。空腹が遠くにあった。

手を広げた。土の上に。

指が乾いた土に触れた。昨日の水のことを思った。水のことだけを思った。言葉ではなく、あの冷たさとにおいとして。

風が止まった。

空が白くなった。

その者は目を開けていた。何かを見ていた。空ではなく、もっと近いところを。土の粒を。岩の影を。ひびの入った自分の手を。

手が静かになった。

指が土に沈むことなく、ただそこにあった。

あの冷たさが、指先の記憶の中だけに残った。

第二の星

干ばつが続いていた。草原は北から縮んだ。川床が白く乾き、魚が消えた。遠い森では別の群れが移動を始めた。旧人の小さな一団が、水を求めて同じ方向に歩いていた。方向は同じだったが、出会わなかった。世界は広かった。

与えるもの

昨日、土の湿りを指に届けた。その者は気づいた。それだけが起きた。
あの冷たさは、この者の指から先には渡らなかった。
糸は別の誰かへ向かった。

伝播:SILENCE 人口:388
与えるものの観察:渡した冷たさは、指の先で止まった。
───
第803話

紀元前295,995年

その者(16〜21歳)

群れの端で、その者は岩の陰に背をつけていた。

昨日から腹に何もない。草の根を噛んだ。繊維が舌に残った。飲み込んだ。それだけだ。

干ばつの後、群れは動いた。水を求めて北へ。岩だらけの台地を越えて、低い湿地の匂いがする方へ。その者はついていった。群れの後ろを、少し間を開けて。

狩りに呼ばれることはない。大きい雄たちが前を行く。その者は後ろで何かを探す。木の実。死んだ鳥。齧られた骨。何でもいい。

湿地に着いた。水はあった。泥の色だったが、水だった。

その者は腹ばいになって飲んだ。冷たくなかった。ぬるく、土の味がした。

飲み終えて顔を上げたとき、対岸に別の影が見えた。

細長い体。眉骨が厚い。こちらを見ている。

群れの者ではない。形が違う。

その者は動かなかった。向こうも動かなかった。

風が来た。湿地の草が揺れた。その者の鼻に、知らない匂いが届いた。獣ではない。火の匂いでもない。何か、体の匂い。自分たちとは少し違う。

向こうが動いた。ゆっくりと、水際から離れた。茂みに消えた。

その者はしばらくその場所を見ていた。

茂みは動かなかった。

戻ったとき、大きい雄のひとりがその者の腕をつかんだ。何かを言った。低い声で、短く。その者には一語しか聞き取れなかった。

離れろ、という音だ。

その者は離れた。

夜、火の外側に座って、向こうの影のことを考えた。怖かった。けれど怖いだけではなかった。何か別のものも、腹の底にあった。名前を持たない感覚が。

数日が経った。

湿地の水は続いた。獣も戻ってきた。群れは落ち着いた。

しかしその者は火の輪から遠ざけられていった。最初は少しずつ。次第にはっきりと。肉が分けられなかった。子どもたちが皮を運ぶとき、その者には声がかからなかった。

なぜかはわからなかった。

ある夕、その者が水場へ行こうとすると、三人の大きい雄が前に立った。

音を出さなかった。ただ、立っていた。

その者は止まった。

向き直した。

別の方向へ歩いた。

誰も追ってこなかった。それが、答えだった。

その者は歩き続けた。振り返らなかった。草が足首を撫でた。空は赤かった。

どこへ行くかはわからなかった。行く場所がないということも、まだわからなかった。

ただ、歩いた。

草の中に踏み込んで、草に隠れて、草の向こうへ消えた。

誰も名を呼ばなかった。名がなかったからだ。

第二の星

湿地の水が群れを繋ぎとめた五年間だった。

干ばつが去り、雨が戻り、低地の草が伸びた。獣が戻り、子が生まれた。半分は育ち、半分は育たなかった。それが続いた。

対岸に別の者たちがいた。厚い眉骨と長い腕を持つ者たち。水を飲みに来て、消えた。夜には別の方向に火が見えた。遠すぎて音は届かなかった。

群れの内側では、決める者と従う者の境が硬くなっていた。食いものが増えると、誰が多く取るかが明確になる。境が見える者は守られ、見えない者は押し出される。

第153世代のその者は、見えない側にいた。

十六で糸が繋がり、二十一で草の中に消えた。名はなかった。記録もない。ただ、湿地の対岸に別の影を見て、腹の底に名のない感覚を持ったまま歩いた。

それが伝わったかどうか、この星は知らない。

草は伸びている。水は流れている。空は赤くなる。

誰かが歩いた跡は、翌朝には消えていた。

与えるもの

湿地の草が揺れたとき、匂いをその者の方へ流した。

対岸の影の匂い。その者の鼻が一瞬、止まった。

それだけを渡した。恐怖でも警告でもなく、ただ、別の形があるということを。

その者は腹の底で何かを感じた。名前はなかった。使いもしなかった。

その感覚のまま、排除され、歩き、消えた。

渡したものは何に変わったのか。変わらなかったのか。

次に糸が繋がる者に、何を流すべきか。匂いではないかもしれない。音かもしれない。あるいは光が落ちる場所か。

まだ決めていない。

伝播:HERESY 人口:376
与えるものの観察:名のない感覚を持ったまま草に消えた
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第804話

紀元前295,990年

第二の星

台地の南端で、地面が鳴った。

低く、腹の奥まで届く鳴り方だった。鳥が一斉に飛び立った。東の空に向かって散り、そのまま戻らなかった。

地面は止まらなかった。

岩の多い丘が、三日のうちに二度揺れた。二度目の揺れは最初より長く、河岸の砂が川に崩れ込んだ。渡れた場所が消えた。水が濁った。下流の群れは水場を失い、北に動いた。その動きが別の群れとぶつかった。

ぶつかりは静かではなかった。

北の台地に住む旧人の一群は、新しく来た者たちを黙って見ていた。距離を保っていた。しかし水場は一つしかなかった。渇きは距離を縮める。距離が縮まれば、声が上がる。声が上がれば、腕が動く。

その夜、火が見えた。遠くで。

誰かが燃やしたのか、それとも草が自然に燃えたのか、この星にはわかる方法がない。ただ炎は低く横に広がり、一晩かけて台地の端まで進んだ。朝になると煙だけが残った。煙の下に何があったかは、煙が消えるまでわからない。

旧人の群れは動いた方向がわからなかった。足跡はあった。複数の、大きな足。方向は東と南に分かれていた。

集団が割れたのか、それとも追われたのか。

台地の上に残されたのは、燃えた草の跡と、折れた枝と、誰かが置いていった石だった。石は丸く、手のひらに収まる大きさだった。使われた形跡があった。端が欠けていた。

その石を最初に見つけたのは、その者だった。

群れの端にいたから、最初に台地に上がったわけではない。ただ、他の者が火の跡を見て近寄らない間、その者だけが草の黒い地面を踏んで歩いた。

石のそばで止まった。

拾わなかった。しゃがんで、見た。長い時間、見た。

群れの中で誰かが叫んだ。合図だった。移動を促す声だった。その者は立ち上がり、戻った。石はそこに残された。

その日の午後、群れは河沿いを北に進んだ。旧人の痕跡がある方向だった。誰が決めたのかは、言葉では伝わらない。先頭に立った者が歩き始め、他の者がついていった。それだけだ。

移動の途中で、一人の老いた雌が遅れた。

岩に足を取られた。転んだ。起き上がれなかった。群れは止まらなかった。後から来た者が一瞬見て、通り過ぎた。夕方、その者がいた場所に戻った者はいない。

夜、群れは新しい場所で火を囲んだ。人数を数える言葉は誰も持っていなかった。ただ、火の周りが昨夜より少し空いていた。誰かがそれに気づいたかどうかは、この星にはわからない。

空には何も起きていなかった。風も止まっていた。虫だけが鳴いていた。

与えるもの

燃えた草の匂いがその者の鼻腔を抜けた瞬間、熱が残る地面からかすかな温度の差が足裏に届いた。端が欠けた石の、その欠けた側だ。

その者はしゃがんだ。石を見た。拾わなかった。

欠けた形が何かを問いかけていた。それを受け取らなかった。では次に渡すべきものは、問いではなく、手を動かす感覚かもしれない。まだわからない。しかし渡す意志は消えていない。

その者(21〜26歳)

石が黒い地面の上にあった。

足が止まった。しゃがんだ。端が欠けていた。その欠けを指先でなぞりかけて、やめた。

群れの声が来た。立ち上がった。振り返らずに歩いた。

夜、火の前で膝を抱えた。何も言わなかった。ただ炎を見ていた。右手の指が、何かを探すように地面をこすった。

伝播:NOISE 人口:390
与えるものの観察:手が動いた。石はそこにある。
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第805話

紀元前295,985年

その者(26〜31歳)

干ばつは五年目に入っていた。

大地は白く、割れ目が指の幅より広くなっていた。その者は割れ目の端に座り、底を見た。深さはなかった。土が重なっているだけだった。

水場は三つあった。今は一つだけ、少し残っている。

その者は縁にいた。狩りの列には入れない。足が遅く、腕が細く、集団の中心にいる雄たちから離れた場所で眠る。食べ物は最後にもらう。もらえないこともある。

子どもたちが先に死んだ。幼い者が多かった。泣き声が減り、やがて泣き声のする方向がなくなった。

集団は歩き始めた。水を探して。その者も歩いた。最後尾に。

四日目の昼、日差しが地面に刺さるような時間に、その者は足を止めた。

腿が動かなかった。意志の問題ではなく、ただ動かなかった。

座った。砂の上に。

集団は気づかなかった。あるいは気づいたが、振り向かなかった。足音が遠ざかった。

その者は砂を手で撫でた。熱かった。手のひらに砂が張りついた。払った。また張りついた。

空は高く、色がなかった。

口の中に何もなかった。舌が歯茎に貼りついていた。

その者は横になった。仰向けに。砂が背中を通して熱を伝えてきた。腹が空洞のような感触だった。いつからかそうだった。もう痛くなかった。

空を見た。

風はなかった。草もなかった。音がなかった。

目を動かした。右へ。左へ。

遠くに集団の背中が見えたが、そのうち見えなくなった。

その者は動かなかった。砂の上に横たわったまま、熱が下から上へ通り抜けていくのを感じていた。

やがてその感触も薄れた。

砂は白かった。空も白かった。

何か小さな虫が腕の上を歩いた。

その者は腕を持ち上げなかった。

虫は行ってしまった。

空だけが残った。

その者の胸が、静かに、動かなくなった。

第二の星

同じ頃、北の海では嵐が渦を巻き、高波が岩棚を削っていた。海の底では魚の群れが方向を変え、暗い水の中を南へ向かっていた。乾いた大地の反対側で、雨が降っていた。やまない雨が地面を溶かし、川を作っていた。第二の星はその全てを照らしていた。区別せずに。

与えるもの

糸は別の誰かへ向かった。

伝播:NOISE 人口:326
与えるものの観察:渡せなかった。それでも渡す。
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第806話

紀元前295,980年

第二の星

五年目の乾季が終わらない。

草原の奥、広い盆地に水が消えてから三度の月が変わった。泥の底が石のように固まり、その上を熱風が一日中走る。動物の骨が白くなって散らばり、朝には霧さえ出なくなった。

遥か北、山の連なりを越えたところでは、別の集団が崖の岩陰を住処にしている。彼らの顔は少し違う。眉が厚く、首が短い。声の出し方も異なる。だが彼らも同じ熱の下にいる。水を探して歩き、見つけられず、引き返す。崖の岩盤の染みを指で擦り、その指を舐める。そこに含まれる水分は、砂よりわずかに多い程度だ。

東の海岸線近く、湿った崖の基部では別の集団が辛うじて生き延びている。岩の割れ目から滲む水を葉で受けている。子どもたちが交互にその葉の端を舐める。葉は五分と保たない。

大地全体が収縮している。表面だけでなく、深いところから。熱は下から来て上へ抜けていく。

集団の境界が揺らいでいる。干ばつが続くと、人が動く。人が動くと、古い境界が意味を失う。どの集団にも呼び名があったが、半数は統合され、半数は散り散りになった。呼び名だけが残り、呼ぶ者がいなくなっていく。

与えるもの

糸が繋がった。

第154世代。

熱の中で、この者が生きている。

水の匂いを嗅ぐ能力がある。鼻が、他の者より早く湿気に反応する。渡すべきものはそこだ。

風が変わった夜明け前、北東から一瞬、土の湿った匂いが流れた。ほんの短い間だけ。

この者の鼻孔が動いた。

受け取った。体が先に動いた。

渡したものは方向だ。距離ではない。そこまでの道は、この者が自分で見つけなければならない。しかし方向だけでも、何かが変わる可能性がある。

変わらないかもしれない。渡したことが、この者を危険な場所へ向かわせるかもしれない。知りすぎた者が消される、ということは、私もどこかで知っている気がする。渡し続けて何も届かなかった時のことを、私は知っている。それでも次に渡すべきものを探している。なぜかはわからない。わからないまま、渡す。

その者(19〜24歳)

夜明け前に目が覚めた。

熱い岩の上で眠っていた。隣に年上の男が寝ている。その向こうに女と子ども。子どもの肋骨が動いているのが、薄闇の中でも見えた。腹が膨らんで萎む。膨らんで萎む。生きていた。

鼻に何かが来た。

土の匂い。違う。水の下にある土の匂い。乾いた砂の匂いではない。もっと重くて、冷たいものが混じっている。

立ち上がった。

隣の男が唸った。動くな、という音だ。その者は座ったまま北東の方を向いた。闇の中に何もない。木の輪郭もない。だが匂いはそこから来た。鼻の奥がまだ覚えていた。

夜が明けるまで、その方向を向いていた。

朝になって、年上の男に腕で方向を示した。男は首を振った。そちらには行ったことがある、という動きだ。何もなかった、という手の動き。

その者は三度同じ方向を示した。

男は立ち上がった。その者の首を押さえ、座らせた。強くはない。だが明確だった。黙れ、という圧だ。

その者は黙った。

だが夜になっても匂いの記憶が消えなかった。鼻の奥に残っていた。乾いた風が一日中吹いても、消えなかった。

翌日、その者は何も言わなかった。

翌々日も何も言わなかった。

三日目の朝、集団が移動を始めた。南へ向かっていた。その者は南へ歩きながら、北東を振り向いた。一度だけ。

振り向いた顔を年長の女が見ていた。

女は何も言わなかった。だがその目が、その者をしばらく追っていた。

伝播:HERESY 人口:325
与えるものの観察:方向だけ渡した。距離は渡せない。
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第807話

紀元前295,975年

第二の星とその者(24〜29歳)

盆地の底が完全に干上がった年、草の根まで引き抜いて食べるようになった。

その者は仲間の後を歩いていた。古い水場の跡、泥が割れて亀甲模様になったところを、足の裏で踏みながら。熱が足首から膝まで伝わってくる。空は白く、影が短い。

乾燥地帯の縁で、北から南へ風が変わった。動物たちがその変化より先に動いた。蹄の跡が一方向に伸び、それきり消えた。集団の中の老いた者が、その跡を長く見ていた。老いた者は何も言わなかった。言う語を持っていなかった。

その者は岩の陰に座って、手の皮を剥がしていた。乾燥が指の間を割っていた。血が滲んだ。なめた。しょっぱかった。もう一度なめた。

三度目の月が欠けた夜、北の崖集団から三つの影が盆地に下りてきた。その者の集団の火の光を見て近づいたのだろう。旧人の血が濃い顔つきをしていた。額が低く、肩幅が広い。手に干した実を持っていた。集団の長老が立ち上がり、喉の奥で低い音を出した。脅しではなく、問いだった。

その者はそれを見ていた。遠くから。火の向こう側で。

実が地面に置かれた。北の者たちは後ろに下がった。それを集団の誰かが拾い上げ、嗅いだ。食べた。死ななかった。翌朝また来た。今度は二倍の数の影が崖から下りてきた。

その者の集団で最初に死んだのは、幼い子ではなかった。中年の男が、干からびた水場の近くで倒れているのが見つかった。腹が陥没していた。肋が浮き出ていた。誰も声を出さなかった。その者は男の手を見た。指が開いたままだった。何かを掴もうとしたのか、放したのかは、わからなかった。

二年が過ぎた。

盆地の西の端に、石の間から少しだけ水が染み出している場所をその者が見つけた。正確には、足の裏が湿った感覚で立ち止まったのだ。砂の色が違った。暗かった。掘った。深く掘った。指が折れそうになった。石器を使った。

水が出た。

すぐに全員が集まった。北の者たちも来た。飲む順番を誰も決められなかった。押し合いになった。その者は後ろに弾き飛ばされた。背中を岩で打った。しばらく立てなかった。それでも水は、あった。

旱魃の五年目の終わりに、盆地の東から雲が流れてきた。三日かけてゆっくり積み上がり、四日目の夜明けに雨が降った。小さな雨だった。土が最初は弾いた。しばらく経って、吸い始めた。その者は空を見ていた。口を開けた。水が舌に落ちた。

与えるもの

足の裏が湿った、その瞬間に光を落とした。

その者は止まった。

止まったことが全てだった。なぜ止まったのか、この者は知らない。知る語を持っていない。ただ止まり、掘った。

渡したのは注意の向き、そのものだった。砂の暗さ、温度の差、足底に残るわずかな違い。あの感覚を覚えているかどうかは、この者次第だ。次の乾季が来たとき、また同じように止まれるかどうかを、渡すべきかどうかを、まだ問い続けている。

伝播:NOISE 人口:336
与えるものの観察:足が止まった。それだけを渡した。
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第808話

紀元前295,970年

第二の星

乾いた風が止まらなかった。

平原の縁、赤みがかった岩が連なる尾根の向こうに、もう一つの集団がいた。旧人だちだ。眉の骨が張り出し、肩幅が広く、声は低くこもっている。彼らも干ばつで追われていた。水を求めて東へ、東へと移動してきた。

二つの集団が同じ岩陰に辿り着いたのは、偶然だった。

最初は距離を置いた。互いに声を立てず、火を背にして、相手の輪郭だけを目で追った。子供を後ろに隠した。石を手の中で握った。

しかし水は一箇所しかなかった。岩の割れ目から染み出す、ひとすじの湿り気。一日に両手いっぱいぶんほど。それだけだった。

三日目の朝、旧人の集団の老いた雄が歩いてきた。ゆっくりと。手を開いて見せながら。乾いた果実の皮を、地面に置いた。

こちらの集団は動かなかった。

老いた雄は戻った。

その日の夕刻、こちらの集団の若い雌が、炙った根を岩の上に置いた。誰に言われたわけでもなく。

食べ物は食べられなかった。翌朝もそこにあった。砂が被っていた。蟻が来ていた。

それでも何かが変わった。

子供たちが先に動いた。旧人の子が砂の上に何かを引っ掻いた。こちらの子が近づいた。声も言葉も通じない。それでも二人は並んで座っていた。

大人たちは見ていた。石を握ったまま、見ていた。

七日後、旧人の集団は北へ去った。去り際、老いた雄が振り返った。何も言わなかった。ただ立っていた。それから歩いた。

水場は残った。

平原に風が戻った。乾いた、熱い風だ。草の匂いはない。土の匂いもない。空気だけが動いている。

集団の中に、静かな亀裂があった。

誰かがその者を見ていた。石を持った手を下ろさずに。老いた雄が去るとき、その者は追わなかった。しかし目で追っていた。それを、誰かが見ていた。

知りすぎた者が消される。この星はそれを何度も照らしてきた。遠く離れた場所でも、湿地でも、崖の上でも、同じことが繰り返された。理解するより先に、排除が来る。

集団は生き延びることに懸命だった。余分なものを抱える力がなかった。

その者が何かを感じていること。旧人の老いた雄の歩き方を目で追っていたこと。石を投げなかったこと。

それが余分だと、誰かは判断するかもしれない。

与えるもの

老いた雄が置いた果実の皮、その乾いた縁に、光が細く落ちた。

その者はそれを見た。拾わなかった。しかし目を離さなかった。

渡したのは光の角度だった。同じ光が、石の上にも、旧人の手の甲にも、等しく落ちていたこと——それが届いたかどうか、わからない。しかしその者の目が、一瞬、遠くへ向いた。それだけで次に何を渡すべきかが、変わった。

その者(29〜34歳)

果実の皮は砂に埋まった。

その者はまだそこを見ていた。岩の上の蟻の列を。誰かの視線が背中に当たっていた。振り返らなかった。

夜、火の向こうで誰かが話していた。唸り声、叩く音、低い音。その者の名前に似た音が、何度か混じった。

岩を拾った。置いた。また拾った。

伝播:HERESY 人口:333
与えるものの観察:光は等しく落ちる。それだけが今日渡せたものだ。
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第809話

紀元前295,965年

第二の星

平原の東端、赤い岩尾根の向こう側に、もう一つの水場があった。

泥の匂いが残っている。獣道が二本、交差している。片方は新しく踏まれ、片方は古い。古いほうには、蹄の痕とは別に、幅広の足跡が残っている。踵が深く沈んでいる。重い体躯の者たちが、長い時間をかけてここを使っていた。

平原の西では、幼いものが二人、草の陰で動かなくなった。熱が続いて、水が足りなかった。母親が抱えたまま、一晩待った。朝になっても温度は戻らなかった。集団は移動を続けた。

遥か南の密林では、別の群れが木の実の落ちた場所を巡って争い、三人が傷を負った。一人は傷が膿んで、数日後に膝から動けなくなった。集団は彼女を置いて行った。彼女は雨が降る前に、ひとりで横になったまま空を見ていた。雨が来た。彼女はそこにいたが、翌朝はいなかった。

水場のほとりでは、異なる集団の足跡が幾重にも重なっていた。誰がどちらの方向へ向かったか、もうわからない。乾いた地面の上に、重なりだけが残っている。

与えるもの

石に落ちた影が、ある角度で止まった。

朝と昼のあいだ、太陽がちょうどある高さにある時間だけ、赤い岩の割れ目が影の縁をふたつに分ける。一本は西へ、もう一本は北東へ。

その者の足が、北東の線の上に止まっていた。

体が先に知った。頭がまだ考えていなかった。

渡したのはそこまでだ。この者の足が動くかどうかは、この者の中で決まる。

光の落ちた果実の皮——あの時も、受け取られるかどうか、ぎりぎりのところにいた。今も同じ場所に立っている気がする。渡し続けることと、届くことは、別のことだ。それでも次に渡すべきものを私は探している。水の匂い、それとも音か。

その者(34〜39歳)

昨夜、長老格の男が自分の腕を掴んで離さなかった。

爪が食い込んだ。痛みではなく、力の種類が違った。警告の握り方だった。その男はこちらの目を見て、何か短い音を出した。意味は取れなかった。しかし体が縮んだ。

朝、集団が東の方向へ動き始めた。眉の張り出した者たちの痕跡に向かって。

その者は少し遅れて立った。

岩の割れ目のところで足が止まった。

理由はなかった。ただ、影の形が気になった。二本に割れている。片方は、昨日みんなが向かった方向とは違う。

長老格の男が振り返って鋭い音を出した。来い、という意味の身振りをした。

その者は影を見た。

また見た。

足が動かなかった。

その者の体は、向こうへ行くことを知っていた。どこへ行くかを知っていたわけではない。向こうへ行かないことを、拒んでいた。

長老格の男が戻ってきた。胸を押された。よろけた。岩に手をついた。岩が熱かった。

押し返さなかった。

集団の流れに戻った。足は東へ向いていた。しかし首が、影の方向を何度も確認した。

水場についた。眉の張り出した者たちの一部がすでにそこにいた。

低くこもった声がした。長老格の男が前に出た。その者は後ろで、水の縁の泥を足の指で踏んだ。冷たかった。深く沈んだ。足跡が残った。

夜、火の傍で、その者は岩の端を使って地面に線を引いた。二本。片方を指で消した。片方を残した。

意味はわからなかった。ただそうした。

伝播:HERESY 人口:335
与えるものの観察:影が二本に割れた。足は東へ向いた。
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第810話

紀元前295,960年

第二の星

雨が来ない季節が続いている。

始まりの大地の南側では、地面が浅く割れ、割れ目から白い塩が滲み出ている。草は根ごと枯れた。水場だった窪みには、ひびの入った泥が残るだけだ。獣たちも移動した。蹄の痕も爪の痕も、みな北へ向かっている。

始まりの大地の集団は、今より多かった頃の半数ほどに減っている。老いた者から順に衰え、次に幼い者が続いた。失ったものの記憶は、残った者の腹の空洞の中にある。

遥か北、大陸の縁に近い場所では、別の群れが海岸沿いの岩を割って貝を取っていた。干ばつはそこまでは届いていない。雨は降る。魚は泳ぐ。その群れの者たちは、始まりの大地で何が起きているか知らない。夜、焚き火を囲んで声を出し合い、眠り、また朝に目を覚ます。

始まりの大地では今日も雨が来なかった。空が白く光り、風が吹いた。熱い風だった。砂が舞い、目に入った。集団は動かなかった。動く力が残っていなかった。

夜、誰かが唸った。応える声はなかった。

与えるもの

二十年。

渡し続けた。光の方向。風の温度。水が滲む岩の色。

今日、匂いを使った。腐った葉の下から漏れる、湿った土の匂い。あの岩尾根を越えた先の、低い窪みに水が溜まっている。干からびた地面の中で、そこだけまだ水気が残っている。

この者の鼻孔が動いた。

立ち上がった。

匂いの方向へ歩き始めた。

渡った、と思った。そのあとすぐ、前に同じことを思ったことを思い出した。何度もそう思った。何度もそのあとがあった。渡ったことと、それが続くことの間に、私が知らない何かがある。次に渡すべきは、おそらく水ではない。

その者(39〜44歳)

鼻が何かを捕まえた。

立ち上がった。他の者たちは横たわっていた。この者だけが立っていた。

岩尾根を越えた。足の裏に砂の熱が来た。夜でも砂は冷えていなかった。転んだ。立った。また歩いた。

低い場所に着いた。

手を伸ばした。湿っていた。

指を舐めた。泥の味がした。水の味もした。

両手で掘った。爪の中に泥が入った。深くなるほど湿り気が増した。手の平に水が溜まり始めた。

飲んだ。

また掘った。

しばらくして、集団のいる場所へ戻った。声を出した。短い、繰り返す声だった。誰かが顔を上げた。またその声を出した。

数人が立ち上がった。残りは立てなかった。

岩尾根を越えて戻ってきた時、この者はその者たちに水を含んだ手を差し出した。手の平はほとんど空だったが、その者たちは舐めた。

翌日、水場のことがわかった者たちが集団に戻って伝えた。集団は動いた。

その中に、この者を見ていた者がいた。夜、岩尾根を越えていく後ろ姿を見ていた者が。水を持ってきた者ではなく、最初に立ち上がった者として、覚えていた者が。

その者の目が、この者を追っていた。

この者はそれを知らなかった。

水を飲んで、横になって、眠った。岩が背中に当たっていたが、そのまま眠った。

伝播:HERESY 人口:254
与えるものの観察:渡った。次に何を渡すかが変わった。
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第811話

紀元前295,955年

第二の星

始まりの大地の北側、岩盤が露出した丘の尾根では、風が止まらない。

昼も夜も同じ向きから吹いてくる。乾いた風だ。砂を含んでいる。目を開けていられない。皮膚が細かく削られる感覚がある。

集団は八つに割れた。

水を探して南へ降りた群れがある。三日歩いて戻らなかった。戻らないまま、記憶から薄れていった。洞窟の奥に篭った群れは動かない。岩の壁を舐めて、染み出る水気を集めている。高い場所に登り、雲の形を追い続ける群れもある。彼らは岩の上に立ち、地平を見る。雲はある。しかし動かない。

多くの命が消えた。

子どもが弱る。産まれても長く生きられない。老いた者が静かになる。残った者たちは限られた水場の周りで固まり、外への移動を控えるようになった。

水場というものが今、変わりつつある。

以前は湧いていた場所が、今は砂の底になっている。以前は遠かった窪みが、今は群れの中心になっている。集団の地図が書き換えられている。しかし地図という言葉はない。体が覚えているだけだ。足が向かう方向、鼻が反応する匂い、それだけで群れは動く。

旧人との境界も動いている。

始まりの大地の西の斜面、低木が群生していた区域に、旧人の痕跡が増えた。焚き火の跡。骨を砕いた石。彼らも水を探している。同じように疲弊している。近づきすぎた日、石が飛んできた。誰が投げたかわからなかった。群れは散り、また固まった。

何かが蓄積している。

干ばつは土地の問題だけではなくなった。集団内部でも、古い均衡が崩れている。誰が水場を決めるか。誰が先に飲むか。誰が外に出るか。言葉ではなく、体の向き、目の動き、拳の開閉で、それが決まっていく。

その者が知りすぎた、と感じた者がいる。

何を知りすぎたのか、説明できる者はいない。ただその者を見る目が変わった。目を合わせない者が増えた。距離を取る者が増えた。集団の端に、その者の居場所が少しずつ移動していった。

崖の縁に近い場所に、その者はいる。

与えるもの

崖の縁の、少し手前。

温度が変わった。

その者の立っている場所だけ、足元の岩が冷えている。割れ目から地下の空気が漏れていた。与えるものが注意を向けさせたのはその割れ目だった。地面の下に空洞がある。落ちれば戻れない。

その者は足を止めた。前を見た。崖ではなく、足元の割れ目を。

この者は止まった。なぜ止まったのか、自分でもわからないはずだ。冷たさだけが理由だったかもしれない。それでも止まった。止まったということは、まだここにいる。次に渡すものがある。

その者(44〜49歳)

冷たい。

足の裏から、冷たさが来た。

その者は一歩退いた。崖の縁を見た。崖は何も言わない。風が吹いた。砂が目に入った。瞬きを繰り返した。

集団の方を見た。誰も見ていない。

また崖の縁を見た。足元の割れ目を、少しの間だけ見つめた。そして背を向けた。

岩の上に座った。空を見た。雲はあった。

伝播:HERESY 人口:259
与えるものの観察:止まった。冷たさが止めた。なぜ、と問わなかった。
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第812話

紀元前295,950年

その者(49〜54歳)

川床が白く乾いていた。

五年前にはここで膝まで水が来た。岩の割れ目から湧き、砂地に広がり、周囲の植物を濡らした。今は砂だけだ。砂と、ひび割れた泥の欠片と、獣の骨が一つ。

その者は川床の底を歩いた。足の裏に硬さが伝わる。乾きに慣れた大地の硬さだ。

腹が空いていた。三日前に小さな獣を一頭捕った。それ以来、何も口に入っていない。

上流のほうを見た。

岩が重なり合っているだけだ。水が流れた痕跡が岩肌に残っている。茶色い線。干上がってから長い時間が経っている。

引き返そうとした。

そのとき、風が変わった。

北から吹いてきた風が、一瞬だけ東に向きを変えた。ほんの短い間だ。その風の中に、湿った何かが混じっていた。土の匂いではなく、もっと深い匂い。水が岩の下に潜り込んでいるときのような、冷たく重い気配。

その者は立ち止まった。

唸り声を一つ出した。周囲には誰もいない。声は乾いた川床に吸われた。

東の方向を見た。低い崖が続いていた。崖の下は影になっていた。

歩き始めた。

崖の根元まで来ると、岩が積み重なって小さな窪みを作っていた。手を突き込むと、岩の隙間から冷気が来た。手のひらで確かめた。空気だけではない。水だ。少量だが、岩の下に水が溜まっている。

指先が濡れた。

その者は座り込んで岩を動かし始めた。大きいものは動かなかった。小さいものを脇に退けると、丸い穴のような窪みが現れた。底に水が光っていた。

飲んだ。

掌で掬い、口に運んだ。苦みがあった。岩の味だ。だが冷たかった。

三度飲んだ。立ち上がった。

集団のいる場所に戻ることができる。その確信が体の中にあった。

戻った。

集団は丘の南斜面に固まっていた。子供が泣いていた。老いた女が黙って座っていた。男たちが数人、低い声で唸り合っていた。

その者は東の方向を指で示そうとした。指を上げた。腕を伸ばした。

その瞬間、後ろから石が来た。

後頭部に当たった。

地面に膝をついた。もう一度、石が来た。側頭部に。砂の上に倒れた。

誰かが叫んでいた。言葉ではない。音だ。怒りの音だ。

何人かが集まってくる気配がした。足音が増えた。

足が蹴ってきた。

その者は腕で頭を覆った。砂が口の中に入った。

蹴りが続いた。

やがて、力が抜けた。腕が落ちた。覆いが外れた。砂が目に入ってきたが、もう払えなかった。

足音が遠ざかった。

子供の泣き声が続いていた。

空が白く光っていた。

乾いた空だった。雲もなく、ただ光だけがある。その者は砂の上で空を見ていた。呼吸が浅くなった。

水場のことを誰かに伝えられたかもしれない。腕が動かなかった。

空が白いまま、その者の体から力が抜けた。最後に見たのは光だった。雲ではない。雲はなかった。ただ、白い、乾いた光だった。

第二の星

始まりの大地の乾季は、五年目に入っていた。

北の平原では砂が動いた。かつて草が生えていた場所に、砂の浅い波紋が広がった。川という川が細り、岩盤だけが残った。動物たちは南へ移った。その足跡が乾いた泥に刻まれ、やがてひびになった。

人々は水を争った。

集団の中で、力を持つ者と持たない者の間に亀裂が走った。食料の分配をめぐる低い唸りが、夜ごと繰り返された。乾きは体を削るだけでなく、集団の内側を削った。

始まりの大地の南端では、旧人の一群が岩陰に潜んでいた。彼らもまた水を探していた。接触があった。争いではなかった。ただ、水場の近くで視線が交わっただけだ。それでも何かが変わった。緊張と、奇妙な静止が同時にあった。

集団の内部では、知りすぎた者が消された。

これは珍しいことではない。乾きの中では集団を脅かすと見なされた者が排除される。誰が排除するかを決めるのは、集団の中で声の大きい者だ。理由は問われない。

水場は見つかった。誰かが偶然たどり着いたのは、翌朝のことだった。

与えるもの

風が向きを変えた瞬間のことを、この者は感じた。

崖の根元に向かって足が動いた。それは伝わった。

冷たい岩の下の水に手が届いた。飲んだ。それも伝わった。

腕を上げたとき、石が来た。

渡したのは方向だった。水のある方向だ。伝えようとして腕を伸ばした。その動きが石を呼んだ。

次に渡すべきものが何かは、まだわからない。渡すことが命を縮めるのなら、渡さないことが守ることになるのか。

そうではないと思う。だが確かめる術がない。

何人目だったか、もう数えない。

伝播:HERESY 人口:259
与えるものの観察:水は届いた。腕を上げる前に。
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第813話

紀元前295,945年

第二の星

乾季は六年目に入った。

北の高地では、かつて雪解け水が岩肌を伝い、低地へ向かって薄く広がっていた。その筋が消えて久しい。岩は白く乾き、割れ目に詰まっていた土が風に飛ばされ、むき出しの礫だけが残っている。夜は冷える。昼は灼ける。その差が岩をさらに割り、粉にする。

平地では草が膝の丈にも届かない。種をつけないまま枯れる草が増えた。根を掘っても、繊維だけで水分がない。小動物は移動した。足跡の方向がすべて同じだ。南西。乾いた風が吹いてくる方向とは逆に、獣たちは去っていった。

集団は水場を三箇所知っていた。二つは砂になった。残る一つは、岩盤の割れ目から湧く細い流れで、一日に満たせる皮袋の数が決まっている。朝、並ぶ。順番がある。順番は力で決まる。

力のない者は待つ。待っている間に日が高くなる。

子どもが二人、先月のうちに動かなくなった。腹が膨らんで、手足が細くなって、ある朝、起き上がらなかった。その母親は今も水場に並ぶ。並ぶしかないから、並ぶ。

集団の中に別の集団が来た。旧い顔つきの者たちで、額が張り出し、眉の骨が厚い。身ぶりが違う。音が違う。しかし渇いているのは同じだった。最初の夜、遠くで火を焚いた。翌朝、近くに来た。水場の近くに来た。

三日間、距離が縮んだ。

四日目の夕方、争いになった。石が飛んだ。一人が頭を割られて崩れ落ち、砂の上で動かなくなった。旧い顔つきの者たちは退いた。退きながら、低い声で何かを言い続けていた。意味はわからない。しかし声の質は理解できた。怒りではなかった。

悲しみでもなかった。

あれは、疲れた声だった。

夜、集団の火は小さかった。薪を足す者がいなかった。頭を割られた者は旧い顔の側だったが、自分たちの側にも傷ついた者が出た。腕。脇腹。傷は塞がるかもしれない。塞がらないかもしれない。誰もそれを口にしなかった。

星が出た。空気が急激に冷えた。

南西の空に、薄く雲が広がっている。雨雲ではない。薄い、白い、水気を持たない雲だ。しかしその縁が、日の沈んだ後もしばらく赤く染まっていた。

乾いた大地の上で、光だけが濡れているように見えた。

与えるもの

脇腹を押さえている者の手の下、布の隙間から、血が滲んでいた。

傷口のすぐ脇の土が、湿っていた。

その者の足が、一歩、その湿った土を踏んだ。

踏んだまま、立ち止まった。

渡せたかどうかわからない。しかし足の裏が感じたはずだ。乾いた土と、湿った土の、温度の違いを。

地面の下に何かある。岩の割れ目か、根の通り道か。それがどこへ向かっているかは、この者次第だ。前の者たちも、何かを踏んだ。踏んで、通り過ぎた。この者も通り過ぎるかもしれない。それでも次に渡すべきものが見えている。足の裏の記憶は、眠りの中でも消えないことがある。

その者(54〜59歳)

脇腹が熱い。手を当てると、ぬるいものが指の間に滲む。

石が飛んできた方向は、もう誰もいない。

火の近くに戻った。座った。

傷の上に砂を押し当てた。砂が血を吸った。乾いた砂で、すぐに固まった。

夜が深くなった。足の裏がまだ、さっき踏んだ場所を覚えている。冷たかった。地面が、冷たかった。

伝播:DISTORTED 人口:278
与えるものの観察:足の裏が知っている。眠る前に忘れるか。
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第814話

紀元前295,940年

第二の星

乾季は七年目に入った。

低地の草原では、草の根が土を離れ始めていた。風が吹くたびに薄い土の層が剥がれ、赤褐色の地肌が露出する。雨がなければ、やがてそこは石だけの場所になる。

始まりの大地の南端、川の跡だけが残る広い窪地に、二十数人の集まりがいた。その者たちの集まりだ。子どもの声が少ない。乳飲み子が三人、去年から今年にかけて熱で動かなくなった。母親のひとりは今も乳を出し続け、石に向かって座っている。

遠く西の方角、半日以上歩いた先に、別の集まりがいる。顔の骨の厚さが違う者たちだ。眉の上に出っ張りがある。声の出し方も違う。だが同じ場所に水を飲みに来る。ここ数年、その頻度が増えた。乾季が長引くほど、水場に引き寄せられる。

さらに東の、高原の端に近い場所では、岩の庇の下に灰の層がある。誰かが長く火を焚いていた跡だ。今は誰もいない。その集まりがどこへ行ったか、誰も知らない。

星はそれを等しく照らす。干上がった川も、乳を出し続ける母親も、消えた集まりの灰も。

与えるもの

この者は五十九歳になっていた。

足の裏が厚く、膝の曲がりに古い痛みが入っている。それでも遠くへ行きたがる目をしている。その目を、与えるものは長く見ていた。

水場へ向かう道の途中、低い岩の影の中に、何かの骨があった。獣の骨だ。砕かれて、中が空洞になっている。誰かが髄を出して食べた跡だ。

太陽の向きが変わり、骨の内側に光が差し込んだ。

この者がそこで立ち止まった。拾わなかった。拾う気配があったのに、拾わなかった。しばらく見て、また歩いた。

渡せなかった、とは思わない。空洞を見た目が何かを覚えているかもしれない。空洞という形を。中が空であることの意味を。

次に渡すものを、与えるものはまだ決めていない。この者の手の動き、拾うと見せかけて引いた指、あの一瞬の止まりを、もう少しだけ見ている。

その者(59〜64歳)

水場まで、この者は若い者たちより後ろを歩く。

膝が引っかかる感じがする。急ごうとすると、足が言うことを聞かない。以前はなかった。気にせず歩いていた。今は石を踏むたびに何かが鳴る気がする。骨の中から。

途中で止まった。

岩の影の下に、光が入り込んでいた。骨があった。獣のものだ。砕かれた断面が白く乾いている。内側が空だった。

手を伸ばした。指が触れる寸前で、やめた。

なぜやめたかはわからない。ただ、手を引いた。空洞の形を目で撫でた。光が中を照らしていた。空洞は暗くなく、明るかった。中に何かがある、という感じがした。何もないのに。

また歩いた。

水場では、西から来た者たちの気配がした。匂いが違う。この者は一歩引いた。若い者のひとりが前へ出て声を出した。唸るような低い声だ。西から来た者が同じように声を出した。それだけで終わった。どちらも水を飲んで離れた。

夜、岩肌に背を当てて座っていた。

乳を出し続けている母親が子のいない腕を抱えていた。この者はそれを見て、岩を拾った。置いた。また拾った。

何を言えばいいかわからなかった。言葉がなかった。あったとしても、足りなかった。

岩を持ったまま、夜が明けた。

伝播:DISTORTED 人口:291
与えるものの観察:空洞を見た目が、何かを覚えているか。
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第815話

紀元前295,935年

その者(64〜69歳)

乾季の八年目に入ったとき、その者の足は動かなくなっていた。

動かなくなった、というよりも——動かそうとしなくなった。若い者たちが夜明け前に出ていくのを、岩に背を預けて眺めた。革の束を膝に置いて、指で縁をなぞった。縁はだいぶ前から柔らかくなっていて、なぞっても何も起きなかった。

昼は長かった。

陽が傾くと、風が川の跡の方から吹いてくる。土の粒を含んだ風だった。その者は目を細めて、風の来た方を向いた。特に何かを探すわけではなかった。ただ向いた。

体の内側が——胸の下あたりが、ゆっくりと重くなっているのを、その者は感じていた。痛みではなかった。石を一枚ずつ積み重ねていくような、それだけのことだった。

食べ物は少なかった。集団全体が少なかった。

その者はもらった分を全部食べず、隣で眠る子どもたちの近くに置いた。黙って置いた。子どもたちが気づいて食べるのを、見ていた。見ていない振りをした。

ある朝、立ち上がれなかった。

立ち上がれないことが分かって、その者は一度だけ声を出した。低い、短い声だった。誰にでもなく、何にでもなく。それきり黙った。

若い狩り手が一人、そばに来た。

その者の手に触れた。

その者は手を動かさなかった。ただそこに在った。空が白くなり、高くなり、また傾いていった。風が止んだ。川の跡の方角から、何か乾いたものの匂いがした——砂でも灰でもない、もっと古い何かの匂いが、一度だけ流れてきた。

その者はそれを嗅いで、目を開けたまま、息をした。

息をした。

息を——

若い狩り手はしばらく、その手を握り続けた。動かなくなってからも、しばらく。

第二の星

南の湿地では、旧人の一群が水辺で立ち止まっていた。二十を超える影が、岸辺に並んで水面を見ていた。水面には何も映っていなかった。ただ平らな水と、空の光だけがあった。誰も動かなかった。何分も、そのままだった。なぜ止まったのか、誰も声を出さなかった。

与えるもの

乾いた匂いを、別の誰かの鼻孔へ向けた。

伝播:DISTORTED 人口:304
与えるものの観察:匂いは届いた。受け取ったかはわからない。
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第816話

紀元前295,930年

第二の星

山の腹が、まだ光っていた。

夜、低い丘の向こうに赤い滲みが残っている。煙ではなく、光そのものが地面の下から漏れているように見える。空気は乾いていて、灰の匂いがする。草は焼け跡のまま新しく生えていない。獣の足跡が消えた土地に、風だけが動いている。

九歳のその者は、火の縁に座っていた。

火の番は夜明けまで続く。大人たちはもう眠っている。その者は薪を一本ずつ、端から押し込んだ。焔が揺れる。消えそうになる。また揺れる。指の先が赤くなっている。熱い、と思う。でも離さない。離したら火が消える。消えたら朝まで暗い。暗い中に何かがいる。その者はそれを知っている。

川の上流に、別の集団がいた。

足跡と匂いで分かる。大人たちが集まって何かを話している。話す、というよりも、音と身ぶりが混ざった何かで意思を伝え合っている。その者には内容が分からない。でも顔を見れば分かる。怒っている顔。怖がっている顔。それは同じ顔だ。

十歳になったころ、その者は川で何かを見た。

川の向こう岸に、こちらと違う形の者が立っていた。背が高い。眉の骨が厚い。目が、じっとこちらを見ている。その者は動けなかった。声も出なかった。向こうも動かない。風が川下に向かって吹いていた。その者は川の匂いを嗅いだ。泥と、草と、向こう岸の者の匂いが混ざっている。怖くなかった。怖くないのに、体が動かなかった。

その向こう岸の者が、手を上げた。

何かを持っていた。光の中では色が分からない。その者は岸を離れ、走って集団のもとへ戻った。大人たちに伝えようとした。音と手ぶりで、川に、あっちに、大きい者、と伝えようとした。大人の一人が顔をしかめた。別の大人が、その者の肩を後ろへ押した。それだけだった。

乾季が続いた。

二年、三年と水が減った。川床に白い石が見えた。魚がいなくなった。集団は北へ動いた。その者も動いた。まだ小さい子どもたちが、歩くのが遅くなった。その者はときどき立ち止まって後ろを見た。立ち止まるたびに、誰かが通り過ぎていった。

十二歳のある夜、その者は火の縁で眠ってしまった。

目を覚ましたとき、火は小さくなっていた。消えてはいなかった。ぎりぎり、まだ赤い核が残っていた。その者はそこに薪を差し込んだ。焔が戻った。誰も起きてこなかった。夜明けになって、大人の一人が来てその者の顔を見た。何も言わなかった。

集団の中で何かが変わり始めていた。

川の向こうの集団との距離が近くなっていた。朝、水場で鉢合わせることが増えた。大人たちは音を出さずに水を汲んだ。その者も同じようにした。向こうの集団の子どもと目が合った。こちらの子どもと変わらない目をしていた。どちらも動かなかった。

十三歳になったころ、その者は見てしまった。

夜明け前、岩の陰に隠れて、大人の一人が川向こうの者と何かを交わしていた。手に手で、渡し合っていた。何を渡したのかは分からない。石かもしれない。骨かもしれない。その者はそれを見た。見てしまった。岩の陰で体を縮めて、息を止めた。

翌日から、その者は火の番をまかされなくなった。

理由は分からない。誰かが何かを知っている。その者には分からない。薪も渡されなかった。水場への順番も後になった。食べものが少し減った。体がそれを知っていた。腹ではなく、背中のあたりが、何かを感じていた。

十四歳の朝、その者は集団の外れに立っていた。

誰かに言われたわけではなかった。ただ、自然にそこに立っていた。中央には戻れない気がした。戻ろうとすると、誰かの視線が向いてきた。視線は音がしない。でも体に当たる感じがある。その者はそれを知っていた。

その日の昼すぎ、草の中から音がした。

鳥ではない。風でもない。その者は振り向いた。誰もいない。でも音はまだ続いていた。葉の擦れる音。その者は草の束に足を踏み入れた。草の間から、地面に染みた血が見えた。新しい血だった。そこから先に続く何かを、その者は見なかった。見たくなかった。

その者は草の中に座り込んだ。

ずっとそこにいた。空が動いた。影が伸びた。集団の方から音が聞こえてくる。火の音。誰かの声。その者はそちらを向いていたが、体は動かなかった。夜になった。その者はまだそこにいた。草が体を隠した。風が草を揺らした。月が出た。月はその者の顔を照らした。でも誰も来なかった。

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与えるもの

糸が繋がった。

この者は九歳で、火の縁にいた。薪を持っていた。そこに光を落とした。火が揺れた場所ではなく、もう少し先、草の根元——湿った部分を示した。そこに草があった。燃えにくい草だった。火持ちの良い草だった。

この者は拾わなかった。火に戻った。

それでいい。まだ九歳だった。次に示す時間はあった——そう思った。あった、のかもしれない。

川で向こう岸の者を見たとき、風を向けた。川下から吹かせた。匂いを届けた。怖くない、ということを、体が受け取れるように。この者は受け取った。体が止まったが、震えなかった。

それだけで良かった。

でも大人たちがその者を押し返した。そこから先が変わった。

草の血を見た日、その者の足が草に入る前に音を立てた。風の音ではなかった。葉の震えでもなかった。何かが折れる音だった。その者に聞こえるように。その者は止まった。草の縁で止まった。中に入らなかった。

それが良かったかどうか、分からない。

中に入っていたら、先に何があったか。入らなかったから、その者はまだ草の中にいる。夜の草の中に。誰も来ない場所に。

次に何を渡せるか、考えている。

火はもうその者のものではない。川も遠い。草しかない。草の中で、次を渡す。何かを。この者の体が受け取れるものを。

伝播:HERESY 人口:298
与えるものの観察:火の外へ押し出された者に、草が残った