紀元前295,805年
北半球の大部分は乾いている。内陸の高地では、雨が来ない月が続き、草が茶色く折れて地表に張りつく。獣は水を求めて移動した。移動した先で別の獣と出会い、縄張りが壊れ、また移動した。
始まりの大地では、集団が二つのまま同じ水場を使い続けていた。五年が経った。互いの顔を知っていた。名前は持たなかったが、形と動きで識別していた。がっしりした眉の者、首の長い女、いつも後ろにいる男。そういう記憶が積み重なっていた。
北の集団と南の集団という区別は、彼ら自身にはなかった。あるのは、「われわれ」と「他の何か」だった。その境界は揺れていた。共食いをしたことがあった。子を交換したこともあった。石を投げたこともあった。どれも記憶の中で同じ重さで並んでいた。
遠く南では、別の群れが沿岸の崖に沿って移動していた。崖の下には波が打ち、魚が浅瀬で跳ねた。彼らはそれを見ていたが、まだ水の中に入らなかった。岸に落ちた死んだ魚だけを拾った。
風がこちらから吹いてきた。
その方向に、煙に近い匂いがあった。焦げているのではない。乾いた草の、皮膚に触れる前に消える匂いだ。
この者の鼻が動いた。
渡した。
この者は立ち止まった。それだけだ、ではない。立ち止まって、集団の中の誰かを見た。その誰かを見て、また匂いの方向を向いた。そして動かなかった。
何かを整理しようとしていた。匂いと、人と、距離と。その三つが、この者の中でまだ繋がっていない。
次に渡すべきものは何か。繋がりそうで繋がらないこの者に、何が残るか。手放す前に、伝わらないまま終わった12の記憶が、ここで重なる。重ならせないために、また目を向ける。
匂いがした。
歩いていた足が止まった。鼻の奥で何かが引っかかった。草の匂いではない。焦げでもない。何か、知っている匂いに似ていて、違う。
集団の中の一人を見た。年上の男だった。石を腰に挟んで歩いていた。その男も止まっていた。
その男の目が、匂いの方向に向いていた。
二人で、同じ方向を向いていた。
言葉にならなかった。「あれ」という音を出しかけて、出さなかった。
男が歩き出した。匂いの方向ではなく、水場に向かって。
この者は動かなかった。
草が膝の高さで揺れていた。風がまだそちらから来ていた。匂いはもう薄くなっていた。
手の中に石があった。いつ拾ったか覚えていない。
水場の方では、声がした。集団の別の集団が来ていた。石を構える音がした。叫び声。鈍い音。また叫び声。
この者は草の中に伏せた。
土の匂いがした。草の根が顔に当たった。心臓が速く打っていた。
叫び声が一つ、途絶えた。
伏せたまま、長い時間が経った。
やがて音が消えた。
立ち上がれなかった。立ち上がることの意味がわからなかった。石を握ったまま、草の中に留まっていた。
空が暗くなり始めていた。