紀元前295,445年
台地の縁から、煙が見えた。
一筋ではない。三筋か四筋か、数えるより先に風が散らした。丘の斜面に住む集団のものだ。彼らの火は夜も消えない。この者たちの集団がかつて火を絶やして夜を過ごした季節があった。あの暗さと、丘の火の明るさは、すでに異なるものになっていた。
台地の下、葦の群れが揺れている。水は高い。雨季の終わりかけに降り込んだ雨が低地に残り、地面は黒く湿っている。水鳥が数を増やし、卵を産んでいる。人が近づくと羽を広げて鳴き、浮かび上がる。その羽音は遠くまで届く。
豊かさが続いている。
木の実は実り、獣は群れ、子どもは生まれた。この五年で、集団の人数は増えた。増えた分だけ、口が増えた。水場の近くで座る場所を争う者が出た。皮を巡って声を荒げる者が出た。長老格の者が割って入り、しばらく静かになり、また始まった。
丘の集団との間に、なにかが生まれていた。
最初は遠かった。丘の稜線に人影が立ち、こちらを見ていた。それだけだった。次に、低地で鉢合わせた。双方、立ち止まり、しばらくして離れた。血は流れなかった。その次に、低地の水場で、向こうの集団の若い者が石を置いていった。なぜ置いたのか、この者たちには分からなかった。石は翌朝もそこにあった。誰かが蹴り、誰かが拾い、また誰かが元の場所に戻した。
それからは動きが速かった。
丘の集団のなかに、体の大きな者がいた。額が広く、顎が突き出ていた。歩き方が違う。声の出し方が違う。この者たちの集団の誰とも、似ていなかった。その者は低地の水場に現れ、水を飲み、去った。恐れる者もいた。近づこうとする者もいた。子どもたちは遠くから見ていた。
この者の集団の中で、ある声が大きくなった。
丘の集団と混ざることへの拒絶。彼らは違う、という感覚。言葉にはなっていない。身振りと目の動きと、喉の奥から出る低い音で、それは伝わった。集団の中で何かが決まりつつあった。誰が決めたわけでもない。ただ、雰囲気が傾いていた。
その傾きの中で、この者は異質だった。
丘の集団の者が水場に来ると、この者は逃げなかった。見ていた。相手も見た。それだけだった。しかしそれが、集団の誰かには見えていた。
夜、火のそばで、年長の者が何かを言った。この者の方を向いて言った。何を言ったのか、この者には全部は分からなかった。ただ、自分に向けられた言葉だということは、分かった。
水場の端に、折れた葦の茎があった。切り口が斜めで、内側が白く乾いていた。
風がそこに吹いた。茎が転がり、この者の足もとに触れた。
この者は拾った。匂いを嗅いだ。折れた端を指でなぞった。それから置いた。
渡した。けれど何に使うかは、まだ分からない。使わないかもしれない。しかしこの者の指が切り口に触れた。その一瞬は起きた。起きたことは消えない。次に渡すべきものは、この者が排除される前か、後か。前ならまだ間に合う。後なら、誰に渡す。
折れた葦を拾った。
白い切り口を、もう一度だけ見た。縦に筋が入っている。自分の手のひらの線と、少し似ていた。
置いた。
年長者の声がまだ耳に残っていた。意味は半分しか分からなかった。残り半分が、胸の中で重かった。火は燃えていた。この者は火の番をした。