2033年、人類の旅

「紀元前295,205年〜紀元前295,085年」第961話〜第984話

Day 41 — 2026/05/13

読了時間 約60分

第961話

紀元前295,205年

第二の星

洪水のあとの大地は、静かに乾いていく。

川の跡に砂が積もった。かつて岸だった場所に、今は泥が固まりつつある。草が根を張りなおすより先に、虫が来た。虫が来ると鳥が来た。

人の集団は高いところへ移っていた。移ったことで生き延びた者がいる。移ることができなかった者もいた。泥の中にとどまったものは、今も泥の中にある。

遠く、大地の別の端では、別の集団が動いていた。旧人の群れだ。彼らは水の跡を辿るように移動していた。湿った地面を踏んで、草のある方へ。古い人と新しい人の間に、今は川が一本増えている。川は境界ではない。川は川だ。水が流れ、両岸の生き物が水を飲みに来る。

集団の中で、ある者が死んだ。高齢だった。泥の中で倒れ、そのまま立てなかった。周囲の者は暫く側にいたが、やがて立ち去った。その場所に骨が残るかどうかは、次の雨次第だ。

この星は乾いていく。乾くことは次の濡れに向かうことだ。どちらが先でどちらが後かを、この星は問わない。

与えるもの

泥の底から、陽光の当たる場所に、死んだ獣が腹を見せていた。

腐りかけている。羽虫が群れている。この者は近づいて、じっと見た。

嗅ぎながら立ち去った。使えないと思ったのか、それとも別のことを考えたのか。腸の中に残った種が、この者の目に映ったかどうか——それが気になる。腐敗と再生を同じ場所に見た目が、次に何を探すか。もう一度、近づかせるべきか。

その者(33〜38歳)

洪水の水が引いてから、四度の夜が経った。

足元の土は、踏むとまだ沈む。草が少ない。地面の色が変わっている。以前あった岩が、別の場所に移動していた。この者はその岩を一周した。触れた。知っている岩だった。しかし場所が違う。

集団は丘の上にいる。この者だけが降りてきた。

川の新しい流れを目で追いながら、岸を歩いた。獣の痕跡を探した。足跡は泥に残っていたが、古かった。洪水の前のものかもしれない。それとも洪水の後に通った獣が、また去ったのか。この者には区別できなかった。

腐った獣が横たわっているのを見つけた。腹が膨れ、皮が裂けていた。虫が音を立てていた。

近づいた。

鼻の奥に入ってくる匂いで、歩みを止めた。風が川の方向から来ていた。同じ方向に、もう一つの匂いが混じっていた。腐敗の下に、土の匂い。草の匂い。

この者は獣の腹を見た。裂けた皮の隙間に、植物の茎のようなものが見えた。虫の動きで、それが揺れていた。

手を伸ばしかけて、止めた。

引いた。

草が短く生えている場所まで戻った。座った。手のひらで地面を押した。土が指の間から出てきた。押した。また出てきた。

しばらくそうしていた。

集団の方向から声が聞こえた。子どもの声だった。この者は立ち上がり、丘へ向かって歩き始めた。腐った獣のことを、まだ思っているのかどうか、この者の表情は何も言わない。

ただ足が、丘を登った。

伝播:HERESY 人口:153
与えるものの観察:腐敗の中の植物を見た。次に何を探す。
───
第962話

紀元前295,200年

その者(38〜43歳)

獣の足跡が二股に分かれていた。

その者はしゃがんで、片方の跡に指を差し込んだ。土がまだ湿っていた。もう一方は固かった。古い。その者は湿った跡の方へ体を向けた。

追いはじめて半日が過ぎた。

草は膝の高さまで戻っていた。洪水のあとの土は柔らかく、足がめり込んだ。一歩ごとに音がした。その者は歩き方を変えた。足の外側から置く。踵を先に下ろさない。覚えているのか、体が覚えているのか、区別はなかった。

丘の手前で止まった。

丘の向こうから、別の匂いがした。獣ではなかった。煙でもなかった。体の匂い。知らない体の匂い。

その者は地面に伏せた。草に顔を埋めた。ゆっくりと丘を這い上がった。

向こうに、いた。

四人。いや、五人。自分たちと似ているが、額が低く、眉の骨が張り出ていた。火を持っていなかった。しかし石を持っていた。大きな石を。二人が何かを囲んでいた。地面の何かを。動かなかった。

その者は息を止めた。

五人のうちの一人が顔を上げた。鼻が広く、目が深かった。その目がこちらへ向いた。

その者は動かなかった。草の中で、腹を地面に押しつけて、動かなかった。

目が離れた。

五人はやがて動きはじめた。重いものを持ち上げ、引きずりはじめた。動物の胴体だった。大きな獣。自分では持てない大きさ。五人でも引きずるほどの。

その者は待った。

五人が丘の陰に消えてから、草の中に立った。心臓が速かった。速いまま、しばらく速かった。

集団のいた場所に近づいた。地面に血の跡があった。毛が散らばっていた。石が一つ残っていた。その石を拾った。置いた。また拾った。

重かった。自分の持つ石より重かった。よく削れていた。

その者はその石を持ったまま、来た道を引き返しはじめた。

途中で立ち止まった。

振り返った。

誰もいなかった。丘は草と風だけだった。

それでもその者はしばらくそこに立っていた。何かを考えていたのか、何も考えていなかったのか。額に刻まれた線は、どちらとも読めた。

足を踏み出した。石を持ったまま、歩いた。

第二の星

洪水が引いてから、土は変わった。

川沿いの低地は砂で埋まり、かつて森だった場所に草原が広がりつつある。草原は獣を呼び、獣は集団を動かした。集団は水を追い、水は気まぐれに動いた。

始まりの大地には、今、百五十三の命が散らばっている。

その大半は、草原と岩場のあいだの帯状の地帯に集まっている。水が湧く場所がある。木の実が実る場所がある。獣が通る道がある。それらが重なる場所に、人は集まる。集まれば、ぶつかる。

今この時代、始まりの大地には二種類の者が存在する。頭の形が違う。指の長さが違う。火の扱いが違う。しかし同じ獣を追い、同じ水を飲む。

緊張は言葉を持たない。匂いで感じる。目の動きで感じる。丘の向こうに足跡があれば、体が知る。

その緊張の中で、石が一つ動いた。

誰かが作り、誰かが置いていった石が、別の者の手に渡った。それが何を動かすか、まだわからない。丘の向こうの五人も知らない。石を拾った者も、まだ知らない。

草だけが揺れている。風が北から吹いていた。

与えるもの

残された石が光を受けていた。その光の落ち方が、引き留めるようだった。

その者は石を手に取った。

引き留めたかったわけではない。ただ、光がそこにあった。石がそこにあった。

その者は持ち帰った。

手形は水に消えないものとして残った、と記憶している。石も、消えないものか。消えないものが手から手へ渡る時、何が伝わるのか。

渡したのは光の角度だった。石ではなかった。

石を渡したのは、五人の者たちだ。おそらく意図せずに。

わたしが渡したものと、五人が残したものが、その者の手の中で重なった。

それを何と呼べばいい。

次に何を渡すべきか、まだ見えない。ただ、その者が石を持ち帰る足音を、感じている。

伝播:DISTORTED 人口:174
与えるものの観察:光が石を引き留めた。石は動いた。
───
第963話

紀元前295,195年

第二の星

乾いた季節がさらに乾いていた。

川は底を見せた。泥の割れ目が手のひらほどに広がり、その中で小さな貝が口を開けたまま動かなくなった。

集団の多くは水場を求めて東へ動いた。子を抱いた者、老いた者、傷のある者がその後をついていった。移動の途中、三人が倒れた。起き上がらなかった。残りは歩き続けた。

遥か北では、別の血を持つ者たちが岩棚の下に集まっていた。額の骨が張り出し、眉の上に影を作る顔をした者たちだ。彼らも水を求めていた。同じ方向へ歩いていた。

ある夜、焚火を囲む二つの集団が、同じ川岸で向き合った。

火の数が違った。声の高さが違った。しかし誰も最初の夜は手を出さなかった。腹が空いていたからかもしれない。疲れていたからかもしれない。

翌朝、それぞれが別の方向へ散っていった。

その者は集団から離れて、単独で川の上流へ向かっていた。五日前から。集団の動きとは逆だった。理由を問う者はいなかった。その者はいつも独りで遠くへ行く者だったから。

与えるもの

その者が岩の割れ目に顔を近づけたとき、冷気がそこから滲み出てきた。

乾いた地表から。岩の奥から。真夏に、冷たい息が。

その者は手を差し込んだ。

水があった。

――渡した。しかしこれは、消される前の者へ渡したのか。それとも消された後に誰かが来る道筋を作ったのか。どちらかわからない。わからないまま、次に渡すべきものを探している。

その者(43〜48歳)

腹が鳴った。

岩場を三日歩いた。水を最後に飲んだのは二日前、小さな水たまりからだった。舌に砂が残る感触がまだあった。

足の裏の皮が硬くなっていた。踏む石の形が足を通して伝わってくる。尖ったものと平らなものと、丸いもの。目を閉じていても歩ける場所だった。何度も来たことがある。

ここから上には水がないはずだった。

しかし体が止まった。

理由がなかった。足が止まっただけだ。岩の割れ目の前で。他の割れ目と変わらなかった。しかし立ち止まった。

顔を近づけた。

冷たかった。

鼻の先に、乾いた地面とは違う温度があった。石の匂いではなかった。もっと奥の、土の底の匂いだった。

手を入れた。肘まで。

湿っていた。

さらに奥へ、腕が入るだけ入れた。指先が濡れた。水だった。流れてはいない。溜まっている。ただそこにある。

腕を引き抜いた。

濡れた指を舐めた。砂の味がしない。冷たかった。

その者はしばらく岩の前に座っていた。腹が鳴った。もう一度。

手を入れた。今度は石を持って。細い石を。岩の割れ目をすこしずつ広げた。皮膚が削れた。気にしなかった。削れた皮膚より水の方が大事だった。

夕方になる頃、割れ目から細い筋が滲み出てきた。

その者はそこに口をつけた。

飲んだ。

飲み終わって顔を上げたとき、集団の方角が見えた。遠かった。夕日が赤かった。

その者はその夕日をしばらく見ていた。

立ち上がった。集団の方へは戻らなかった。上流へ向かった。同じ場所をどこかで探すために。

四日後、その者は岩場の端で別の集団の者と出会った。

見知った顔ではなかった。額の骨が厚かった。

二人は止まった。

相手は石を持っていた。その者も石を持っていた。

どちらも動かなかった。

相手が目を細めた。その者の濡れた腕を見ていた。

その者は岩の方向を見た。来た方向を。

相手がその視線を追った。

二人は並んで歩いた。

伝播:HERESY 人口:185
与えるものの観察:冷気が水を教えた。手を入れるかは別の話だ。
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第964話

紀元前295,190年

与えるもの

渡さなかった。

正確には、渡そうとした。しかしその者は東へ行く集団を追いかけ始め、わたしが示す前に動いていた。乾いた空気の匂い。足裏の皮が割れる感触。それよりも、前を歩く者たちの背中のほうが、この者には重かった。

わたしは残った。

この星の上で、水のなくなった川の底を見ていた。泥がひび割れ、その割れ目が広がり、やがて白い砂が表に出た。風が砂を舐め、どこかへ運んだ。

5年、という単位をわたしは持っていない。ただ、乾季が来て、雨季が来て、また乾季が来た。その繰り返しの中で、その者は集団とともに動き、戻り、また動いた。わたしが届けようとした動作のほとんどは、その者が別のことを考えている最中に空気の中へ散った。

石英の粒を踏む音がした。割れ口から白い粉が出た。誰もそれを見ていなかった。

わたしは問う。渡すとはどういうことか。

光を落とす場所を選ぶ。風の向きを変える。匂いを残す。しかしこの者の注意は、腹の痛み、集団の声、子の泣き声、そういうものに先に取られる。わたしが示すものは、その者の生の周縁にある。緊急ではない。命に直結しない。だから後回しになる。だから消える。

それは正しいことだと思う。

わたしが渡そうとするものは、今すぐ役に立たないことが多い。割れた石の断面。水の引いた後の地層の縞模様。腐った実の傍らに芽吹いた細い茎。どれも、今この者が生き延びるためには必要ない。しかしわたしはそれを示すことをやめない。やめる理由がない。

第1の星のことを、ここで語るつもりはない。

ただ、乾いた川底を見ながら、わたしは何度目かの同じ問いに戻った。渡した。届かなかった。それは失敗か。失敗という言葉をわたしは持っているのか。

わからない。しかしわからないままで、次に渡すものを考えている。

集団間の緊張が高まっている。わたしはそれを知っている。この者も感じているはずだ。夜、焚き火の向こうから別の火が見える位置に、両者は近づきすぎた。

次に渡すものは、おそらく距離の感覚ではない。距離は本能が教える。

わたしが渡せるとしたら、もっと細い何かだ。たとえば、相手の焚き火の煙の色が自分たちの煙と同じだということ。たとえば、相手が使っている石器の形が、自分たちの石器とわずかに異なるということ。違いと似ていることが、同時に一つの場所にあるということ。

それをこの者に感じさせることができるか。

今はわからない。しかし5年後、わたしはまた試みる。

伝播:NOISE 人口:196
与えるものの観察:渡せなかった5年。示すものは散った。
───
第965話

紀元前295,185年

第二の星

空が変わっていた。

春に北から吹くはずの湿った風が来なかった。川は溶けなかった。岸の泥は三月になっても固いままで、水際の草は芽を出さずに枯れた茎のまま立っていた。

氷は後退しなかった。

前の冬に積もった雪が溶けずに残り、その上に新しい雪が重なった。平地の低いところから水が引いた。水が引いたのではなく、凍ったのだ。地面が石になった。

集団は移動していた。

東の丘に人影があった。旧人の集団だ。この時代、旧人と人とは同じ川を飲んだ。同じ動物の痕跡を追った。顔が違った。眉の骨が厚く、肩が広く、声が低かった。しかし彼らも震えた。彼らも腹が空いた。彼らも死んだ子を持って立ち尽くした。

東の丘の旧人たちは動かなかった。

南から来た集団が西の台地に沿って進んでいるのを、旧人たちは見ていた。人も見ていた。互いに見ていた。

水場が減っていた。

夏に枯れない沢が二本あった。今年の春、一本は干上がった。砂の上に魚の骨が残った。乾いた骨は白かった。川床の石が剥き出しになり、その石の上を風が走った。

残った水場はひとつ。

そこへ向かう足跡が増えた。人の足と旧人の足が、同じ泥の上に並んだ。大きな足と小さな足。深く沈んだ跡と浅い跡。

声があがった。

旧人の集団が水場に近づいた日の夕方、人の集団から男が三人、石を手に立った。旧人側からも二人が前に出た。声は低く、短く、繰り返された。言葉ではなく、音だった。圧力のある音。

長い時間が経った。

どちらも引かなかった。どちらも動かなかった。夜が来た。旧人たちは火を焚いた。人も火を焚いた。二つの火が闇の中で互いを照らした。

夜明け前、旧人の集団は南へ向かった。

なぜ退いたのかはわからない。水場を捨てた。それだけが事実として残った。

残した跡の中に、子どもの靴底のような形の窪みがあった。その子が今どこにいるかは、この星にしかわからない。

与えるもの

水場の縁に、死んだ魚が半分砂に埋まっていた。

腐っていたが、腹の中に卵があった。干からびているが、形はあった。

光が、その腹の開いた部分に落ちた。

その者はその魚を拾った。においを嗅いだ。砂に投げ捨てた。

卵のことは、見ていなかった。

次に何を渡すべきか、わたしにはまだわからない。しかし捨てた手の、その先に次がある。

その者(53〜58歳)

水場で男たちが石を持って立っていた夜、その者は後ろにいた。

集団の後ろ。火の手前。

岩に背中を当てて、膝を抱えた。指が脛の古い傷跡を触れた。傷は硬く盛り上がっていた。ずっと前にできた跡だ。

夜明け近く、旧人たちが去るのを見た。

その者は何も言わなかった。膝を伸ばした。立ち上がった。

伝播:NOISE 人口:208
与えるものの観察:卵は捨てられた。それでも次がある。
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第966話

紀元前295,180年

その者(58〜63歳)

足が動かなかった。

膝ではなかった。足首でもなかった。腿の内側、骨に近いところに、細い石が刺さっているような痛みがあった。三日前から続いていた。歩けばおさまる。止まると戻ってくる。

その者は歩き続けた。

獣の足跡を追っていた。雪の上の跡だった。四本足。蹄ではない。爪だ。小さい。狐か、それより大きいが鹿より小さい何か。雪が深くなるほど足跡は鮮明になった。踏み込んだ深さ、歩幅、前足と後ろ足の間隔。その者の目はその情報を読んでいた。言葉にはならなかった。ただ、体がそれを知っていた。

川が凍っていた。

ここは毎年春になると溶けるはずだった。その者は幼い頃からこの川を知っていた。岸に丸い石が並ぶ場所。流れが少し緩む、浅瀬。その石の上を歩いて渡った記憶があった。今はそこも氷だった。踏むと鈍い音がした。割れなかった。

足跡は川の向こうへ続いていた。

その者は渡った。

対岸の雪の中に、何かが見えた。茶色い塊。動いていない。近づいた。獣だった。仰向けに倒れていた。四本の脚が空を向いていた。もう死んでいた。外傷はなかった。腹も裂けていない。ただ倒れていた。

その者はしばらく見ていた。

手を伸ばして毛皮に触れた。硬くなっていた。冷たかった。だが完全には凍っていなかった。今夜、完全に凍る。食べるなら今だ。その者は腰の石器を抜いた。

さばきながら、腿の痛みは消えていた。

内臓に手を入れたとき、温かさがあった。もう温かくなかった。だがまだ冷たくもなかった。その間の温度だった。その者の両手はそこに埋まっていた。皮が剥がれていくにつれ、湯気が細く上がった。雪の上に消えた。

肉を切り分けた。持てるだけ取った。骨を叩いて割り、中の白いものを舌で取った。

帰り道に、日が落ちた。

星が出た。寒かった。その者は肉を抱えて歩いた。腿にまた痛みが来た。今度は深かった。足を引きずるようになった。それでも歩いた。集団の火が見えるまで歩いた。

火の近くに肉を置いた。

誰かが動いた。子どもの声がした。女が来た。肉を持ち上げた。その者を見た。何か言った。その者はそれを聞きながら、地面に座った。

腿が震えていた。震えているのに、熱かった。

その者は手のひらを見た。血がついていた。獣のものか自分のものかわからなかった。火に当てた。乾いていく血の色を見ていた。

夜が深くなった。

集団の半数が眠り、半数がまだ動いていた。火は続いていた。その者の目が閉じかけた。開いた。また閉じた。腿の熱は引かなかった。

朝、その者は起きた。

起き上がろうとして、できなかった。腿が腫れていた。昨夜の二倍になっていた。皮膚の下で何かが変わっていた。手で押すと、奥まで痛みが来た。

その者は押した。

何度も押した。押すたびに痛みが来た。それでも押した。痛みの中心を探していた。そこだ、とわかった。三日前から刺さっていた細い石の感覚。あれはまだそこにある。

五日後、腫れは顔まで上がった。

その者は火の横に横になっていた。女が来た。子どもが来た。旧人の老いた雄が来て、腿を見て、去った。

十日後、その者は起き上がれなくなった。

肉を持ってきてもらっていた。水を飲んだ。腿からは熱が出続けた。夜、集団の火が揺れるのを見ていた。炎の動きを目で追っていた。そのうち目が動かなくなった。

動かないまま、夜が明けた。

その者の体から熱が出ていかなくなった日、逆に全部の熱が消えた。

第二の星

冬が終わらなかった。

「始まりの大地」の北から南へ、雪は後退しなかった。獣が少ない。草が出ない。水場が凍ったままだ。208の命がこの大地の上で動いていたが、動きは収縮していた。遠くへ行けない。遠くへ行く者が戻らない。

集団間の境界は目に見えないが、あった。この水場はここの群れのもの。あの丘の向こうは別の群れが使う。それは言語ではなかった。だが繰り返された行動の中に、境界はあった。冬が長くなるにつれ、その境界に体が近づいた。食べ物が少ないと、境界を越えようとする体が増えた。

石が飛んだ。

音がした。叫び声があった。旧人と現在人の間ではなかった。現在人の群れと群れの間だった。相手の顔を知っていた。どちらかが別の場所から来て、水場で鉢合わせた。石が飛んだ後、どちらかが引いた。傷を負った者が戻った。

緊張は消えなかった。

寒さは人を近くに引き寄せながら、同時に互いを追い詰めた。火の温度が生存と直結する季節に、火を守ることと他者を遠ざけることは、同じ行動になった。

一方で、旧人の老いた雄が現在人の群れの火に近づいて座った。誰も追わなかった。追うための余裕が、全員になかった。旧人は黙って火を見ていた。夜が明けて去った。

この星は傾いたまま、軌道を変えなかった。

与えるもの

腿の腫れが上がってきた夜、その者の視界に天窓があった。

火の煙が抜ける穴から、星が見えた。

その者の視線がそこに止まった。星の配置の、少し外れたところ。暗い場所。光のない場所。

その者はそこを見た。何秒か、見た。

腿の熱が体の中心に来たとき、その者の目が逸れた。

光のない場所を、また示す機会があるだろうか。次の者に渡せるものを、もう一度考え直す。渡した腸の温度、渡した水場の記憶、渡した氷の音。どれが残ったかは、わからない。

渡したものが消えた後に残るものを、まだ渡せていない。

伝播:DISTORTED 人口:223
与えるものの観察:暗い場所に目が止まった。それだけだった。
───
第967話

紀元前295,175年

第二の星

北の台地では霜が早い。八月に草が白くなる年がある。

平原の端、二つの集団が同じ水場を使っていた。どちらも十数人。旧人の体格と、細い骨格の者が混じっている。昼は離れて、夜は離れて、しかし朝の水場では肩が触れる距離で蹲る。どちらも何も言わない。どちらも目を逸らす。それが続いている。

南の湿地帯では、一人の老いた女が葦を編んでいた。手が動く間は黙って編む。手が止まると宙を見る。隣に誰もいない。

東の崖の下に、三つの骨が並んでいた。揃えたのは人の手だ。

北の台地の霜は今朝も早かった。草の白さが、陽が上がっても消えなかった。

大きな集団の端では、老いた狩り手が座っていた。左の腿に重さがある。骨に近いところだ。三日ではなかった。もう五日になる。立てた。歩けた。ただ遠くへは行けない。それがこの者の問題だった。遠くへ行けないことが、何を意味するか。この者はその問いを言葉にする術を持たなかった。ただ遠くへ行けないことを、知っていた。

与えるもの

腿の骨に近いところに走る痛み。

草の白さを見せた。霜が早く降りた朝の、平原の縁に生える細い茎の草。その根元に、泥と同じ色の軟膏のように滲み出るものがある。

この者は膝を折って、その草に触れた。指先で根を押した。臭いを嗅いだ。そして立ち上がった。

草を摘まなかった。

それでよかった。いや、よかったかどうかは分からない。ただ、もう一度同じ草の前に連れて来られるかどうか、この者に残された時間の問題だ。渡すべきものはまだある。足より先に、この者の立場が問題になる。知りすぎた者を、集団は長く置かない。

その者(63〜68歳)

立てた。

それだけで一日が始まった。腿の内側に石が埋まっているような感触は続いているが、足は地面を踏む。地面が踏めるなら歩ける。歩けるなら今日は生きている。

水場へ行った。

若い者が三人、水を飲んでいた。一人がこの者を見た。視線が止まった。そのまま向こうへ行った。

かつてはそうではなかった。

この者が水場に来ると、若い者は少し後ろに退いた。老いた狩り手の後ろに退くのは、恐れではなく習慣だった。何年もそうだった。いつからそうでなくなったか、正確には分からない。ただ今朝の三人は振り向かなかった。

水を飲んだ。

冷たかった。腿の痛みは冷たい水を飲んでも消えなかった。消えると思っていたわけではない。ただそうしてみた。

平原の縁まで歩いた。

霜の残った草が、陽の光の中でゆっくりと溶けていた。その根元に、泥色の何かが滲んでいた。指でそれに触れた。粘りがあった。臭いを嗅いだ。腐った臭いではなかった。草の臭いでもなかった。苦く、奥のほうに甘さがあった。

立ち上がった。

摘まなかった。

理由は分からない。指が動かなかった。動かそうとして、止まった。それだけだ。

集団の中に戻ると、一人の男がこの者を見ていた。若くはない。三十を越えた、顎の広い男だ。その男が、今朝は水場にいなかったことをこの者は知っている。そして今、ここにいる。

二人の間に言葉は出なかった。

顎の広い男が、別の方向を向いた。

この者は座った。腿に手を当てた。骨の近くに石が埋まっている。三日ではない、五日ではない、もっと長い。痛みが古くなるにつれて、それが痛みなのか、ただそこにある重さなのか、区別がつきにくくなってきた。

夕方、子どもが一人やってきた。四つか五つの、腹の出た子だ。

この者の隣に座った。

何も言わなかった。

この者も何も言わなかった。

子どもはしばらくして、また別の場所へ走っていった。

夜が来た。

横になった。腿の重さが、地面に溶けていくような気がした。溶けたわけではない。ただそう感じた。草の根元の、あの苦くて甘い臭いが、まだ指先に残っているような気がした。残っていたかどうかは分からない。ただ眠る前に、もう一度あの草の場所に行ってもよかったかもしれないと思った。

明日行けるかどうかは、また別の話だ。

伝播:HERESY 人口:225
与えるものの観察:摘まなかった。届いた手が、止まった。
───
第968話

紀元前295,170年

その者(68〜68歳)

雨がよく降る季節だった。

草が膝まで伸び、果実が枝を曲げ、獣の糞が水場の周りに点々と落ちていた。食べるものに困らない年が続いた。集団は大きくなった。子の声が夜に増えた。

その者は遠くへ行かなくなっていた。

膝が言うことを聞かない。起き上がる時、腰のあたりで何かが軋む。それでも朝になると外に出た。若い者たちが獲物の跡を読もうとして、踏み方を間違えていた。その者は何も言わずに、自分の足でもう一度歩いて見せた。若い者が真似た。それだけだった。

ある日の夕方、その者は川の方へ歩いた。

誰もついてこなかった。その者も呼ばなかった。

川岸に、泥が光っている場所があった。水が引いた跡に残った光の膜。その者はそこに腰を下ろした。長い時間、水面を見ていた。流れが速い場所と遅い場所がある。速い場所で魚が跳ねた。

風がその者の背を押すように吹いた。

温かかった。その者は目を閉じなかった。ただ、体が少し前に傾いた。傾いたまま、戻らなかった。泥の上に、ゆっくりと横たわった。川の音は続いた。魚がまた跳ねた。

草が揺れた。それだけだった。

第二の星

同じ頃、熱帯の密林で若い雄が群れから離れ初めての狩りで岩蛇を殺した。北の高地では雪が前の年より一か月遅く降り、別の集団が夏を一つ余分に手に入れた。川の向こうでは旧人の群れが樹の下で眠り、目覚め、また眠った。どこも温かかった。

与えるもの

糸は別の誰かへ向かった。

伝播:NOISE 人口:293
与えるものの観察:傾いたまま戻らなかった
───
第969話

紀元前295,165年

第二の星とその者(6〜11歳)

乾いた年が来た。

前の年まで果実が曲げていた枝が、今は素直に空へ伸びている。草の丈が低くなった。水場の縁が後退し、泥が白く乾いて割れた。獣の足跡が浅い。近くまで来なくなっていた。

この者は6歳で、集団の端にいた。

大人たちが何かを話しながら移動する方向を変えたとき、この者は遅れた。足に何かが触れた。尖った石ではなく、乾いた草の茎だった。踏むと音がした。もう一度踏んだ。同じ音がした。

集団の中で、怒鳴り声がするようになった。

二つの集団の境がどこかにあった。大人たちはその境を知っていた。子どもたちは知らなかった。ただ、大人が立ち止まる場所があることは知っていた。そこから先へは行かない。行けない、というより、行くものではないという何かが、大人の体から伝わってきた。

この者は7歳になっていた。

水場が小さくなるにつれ、二つの集団が同じ場所に来る回数が増えた。最初は声だけだった。次に、誰かが投石した。石は水に落ちた。水が跳ねた。静寂があった。それから両方の集団が後退した。

この者はその場にいなかった。少し離れた岩の陰で、甲虫を見ていた。甲虫は同じ場所を三度旋回してから、割れた地面の隙間に消えた。

夜になると、大人たちの声が低くなった。

子どもたちは互いに近づいて眠った。この者の隣には、年の近い者が二人いた。その体が温かかった。この者は目を開けたまま、しばらく空を見ていた。星の位置が動いているのか、自分が動いているのか、この者には区別できなかった。

8歳の夏、初めて見た。

旧人の集団だった。大人たちが固まり、声を出さずに身を低くした。この者も低くした。理由はわからなかったが、周りがそうしていたから。旧人たちは水場の反対側を通り過ぎた。大きな足音。背が高く、肩が広かった。子どもの目線から見ると、岩が動いているようだった。

岩が動いている。この者の中でその感覚が残った。

9歳になったとき、隣で眠っていた二人のうち一人がいなくなった。ある朝、起きたらいなかった。大人たちは探さなかった。それが何を意味するのか、この者はまだ言葉を持っていなかった。ただ、その場所が広くなったことを体が知った。

夜が寒くなり始めた頃、緊張が頂点に達した。

境の場所で、二つの集団がぶつかった。石が飛んだ。木の枝が振られた。この者は走って逃げた。大人に腕を引かれて、走った。暗い林の中を、方向もわからないまま。枝が顔を打った。足元が見えなかった。

走り終えたとき、膝が笑っていた。

地面に手をついた。土が湿っていた。この者は手のひらに付いた泥を見た。少し匂いを嗅いだ。知らない場所の土だった。

その夜、集団は焚火をしなかった。

10歳の頃、この者は境の場所を一人で見に行った。理由はなかった。ただ行った。誰もいなかった。地面に折れた枝が散らばっていた。足跡が重なり合っていた。どちらのものかわからない足跡が。

風が吹いた。草が揺れた。

風の中に、かすかな匂いがあった。焦げた何かの匂い。遠くで誰かが火を使っている。どちらの集団かはわからなかった。この者はその匂いの方向に顔を向けたまま、しばらく立っていた。

11歳になる前に、集団はまた移動した。

水場を見つけた。前の場所より小さかったが、水は澄んでいた。子どもたちが水に入って騒いだ。この者も入った。底が見えた。足の指の間に砂が入った。

この者は水の中で立ち止まり、下を見た。

自分の足が水の中にある。足が揺れているように見える。でも揺れていない。この者はそれをしばらく眺めた。

与えるもの

焦げた匂いが風に乗った。

この者の顔がその方向を向いた。火がどこかにある。誰かが使っている。それだけを感じた。

火の場所へ行ったのか、行かなかったのか。この者の足は動かなかった。匂いの記憶だけが残ったとすれば——次は匂いではなく、煙の形を見せるべきだろうか。

伝播:SILENCE 人口:308
与えるものの観察:匂いが向かせた。足は動かなかった。
───
第970話

紀元前295,160年

第二の星

乾いた風が来ている。

大陸の東側、黄土の台地では砂が舞い上がり、昨日まで湿っていた窪地が今日は骨のように白い。獣の群れはすでに南へ動いている。ハイエナに似た獣が一頭、置き去りにされた若い個体の傍で座っている。立ち去らない。

始まりの大地では、別の集団が水場の近くに踏み込んできた。背丈がやや低く、眉の骨が厚い。この者たちの集団とは違う声を出す。似ているが、微妙にずれた音。どちらも相手の音を聞き、しかし応じない。火を別々に焚く。夜、二つの火が同じ窪地の縁から光っている。

北の方角では、氷が去った跡の石原に草が戻り始めている。薄い緑が、地の裂け目に沿って広がっている。生きているのか枯れているのか、その境目がわからない色だ。

水鳥が一羽、干上がった川底を歩いている。水を探しているのか、ただ歩いているだけなのか。しばらく歩き、立ち止まり、また歩く。

与えるもの

集団の緊張が皮膚の温度を変えている。

風向きが変わった。別の集団の臭いが乗っている。

この者の首の後ろが、その臭いに向かってわずかに毛羽立った。

そこに風がもう一度来た。強く。同じ方角から。

受け取ったかどうかは、わからない。
ただ、その臭いがどの方向から来ているかを、この者は体で知った。
逃げる必要があるとき、どちらに走るべきかを。

渡した。それが何の役に立つかは、この者が決める。

かつて、渡すべきものを渡せたことがなかった。全員、消えた。だから今度だけでいい、などとは思わない。ただ渡す。何度でも。どんなものでも。

その者(11〜16歳)

火の近くにいる大人たちの声が低くなった。

普段と違う低さだ。言葉ではない。音の形が変わっている。その者は焼けた骨の欠片を手の中で転がしながら、声の方を見ていない。聞いていた。

風が来た。

背中から来た。首の後ろの毛が立った。息を止めた。大人たちも一瞬、声を切った。

臭いがある。火の臭いではない。肉でもない。別の体の臭い。別の汗。

その者は立ち上がらなかった。骨の欠片を握ったまま、腰を低くした。自分でもなぜかわからない。ただ体がそうなった。

風が止んだ。

大人の一人が短い音を出した。集団が動く。子どもたちが引き寄せられる。その者も引き寄せられた。骨の欠片はまだ手の中にある。

夜、別の火が見えた。窪地の向こう側。

その者はその光を長い間見ていた。近づかなかった。逃げなかった。ただ見ていた。火は向こうにもある。この集団と同じように、向こうにも誰かがいて、火の周りにいる。

骨の欠片を地面に置いた。

別の集団の火の方を向いたまま、長い時間、動かなかった。

伝播:SILENCE 人口:325
与えるものの観察:臭いを渡した。方向を知った。
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第971話

紀元前295,155年

第二の星

台地の東端で砂嵐が始まった。

前触れは風の色だった。黄みがかった空が、正午前にはすでに茶色く濁り、地平のあたりに壁のようなものが立ち上がった。鳥が鳴かなくなった。草の根に隠れていた虫が一斉に地中へ戻った。動くものが消えた、というより、動くものが皆、息を殺した。

砂は音を連れてくる。

最初は遠い滝の音に似ていた。次第に高くなり、やがて鼓膜の奥を押すような圧に変わった。集団は窪地に伏せた。皮を顔に巻いた者、子を腹の下に抱えた者、岩に張りついたまま動けなくなった者。砂が来た。肺の中まで乾いた。

嵐は半日続いた。

引いたあと、台地の様子は変わっていた。昨日まで道だった場所に砂丘ができ、水場だった窪地が埋まっていた。集団の者が何人かいなくなっていた。呼んでも応えがなかった。探すより先に、残った者たちは水を探した。

その者がいなくなったのは、嵐の翌朝だった。

集団の中に、古くから張力がある。それは言葉にならない。目つきであり、座る場所であり、誰が先に食べるかという順序の中にある。その者は長く、その順序の外にいた。端にいた。許容された端ではなく、黙認された端。

嵐のあと、食料が減った。水が減った。そして何かが動いた。

集団の中で年老いた一人の男が、その者の方を向いた。長く見た。他の者がそれを見た。男が声を出した。短く、低く、繰り返した。他の者が動き始めた。

それは決定ではなかった。会議でもなかった。ただ、重力のように傾いた。

その者は押された。最初は手で、次第に体全体で。台地の縁に向かって。転んだ。立った。また押された。声がした、威嚇に似た音。その者は台地の外へ出た。

集団は戻った。その者を振り返らなかった。

台地の上では風がまだ砂を運んでいた。西の空に薄い雲がかかり、日が傾いた。獣の骨が一本、砂の上に半分埋まっていた。風が来るたびに少し動いた。また止まった。

人の数は増えた時期もあったが、砂嵐と食料不足で削られ、今は両手の指では足りないほどの集まりが散らばって生きているに過ぎない。幼い子の中には、先の冬を越せなかった者もいた。台地の集団は生きている。それだけは確かだった。そのために何かを切り捨てた。切り捨てたものが何だったか、彼らは考えない。考える言葉を持たない。

夜が来た。

台地の上に焚き火が一つ灯った。その者のいた場所より少し内側に、人々が集まった。火は揺れた。砂の混じった風に煽られながら、それでも消えなかった。

与えるもの

砂が落ち着いたとき、台地の下に一本の枯れた木があった。

根が露出していた。そこに水の湿りが残っていた——砂嵐のあとも、根の裏側だけがまだ暗い色をしていた。

その者の足がそこで止まった。膝をついた。根の下を手で掘った。

届いた。

もっと深く掘れたなら、と思う。あの者の指は短く、土は固かった。それでも指先が湿ったとき、その者は飲んだ。

次に渡すなら、深さを渡したい。掘り続けることを。水は地の中に隠れている、という確信を。

その者(16〜21歳)

台地の縁を越えた。振り返らなかった、というより、振り返る体勢にならなかった。

膝が砂に沈んだ。立った。また沈んだ。

枯れた木のそばで、根の裏を掘った。指先が暗い土に触れた。もう少し掘った。湿った。口を近づけた。

飲んだ。

空を見なかった。集団の火も見なかった。もう一度掘った。

伝播:HERESY 人口:324
与えるものの観察:根の下に水がある。届いたかもしれない。
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第972話

紀元前295,150年

第二の星

台地の東縁は、砂嵐の通った跡だった。

草が倒れたまま起きない。細い茎が地面に貼りついて、踏んでも音を立てない。土の上層が薄く剥がれ、風紋だけが残っている。水を含む地層がどこにあるかを知っていた者たちは、別の場所で探さなければならなかった。

北の方角では、旧人の群れが移動していた。足の幅が広く、膝の曲がり方が異なる。彼らは砂嵐を先に知っていた。いつ知ったのか、誰も見ていない。ただ、嵐が来る前夜に彼らの焚火が消えていた。

台地の西側、岩盤が露出した斜面の下に、別の集団が暮らしていた。砂嵐を避けた場所だった。彼らは嵐の間、岩の影で身を寄せ合い、子どもたちの口を布で覆っていた。布は皮を薄く叩いて作ったものだった。それが役に立ったかどうかは、子どもの数を見ればわかる。

台地の南、低い湿地帯では火が消えた集団があった。嵐の後、煙が見えなくなった。三日経っても見えなかった。

星は等しく照らす。火のある場所も、火のない場所も。

与えるもの

嵐の後に残ったものがある。

湿った土の匂いが、ある方向から漂ってきた。水の臭いだった。岩の割れ目から滲んでいる水の、少量だが確かな水の匂い。それが夜明けの空気に乗って、その者の鼻先を掠めた。

その者は顔を上げた。

——匂いの方向へ動いた。

届いた。渡すつもりで渡したのではなかった。しかし届いた。そのことが問いになる。渡す意志があっても届かなかったことがある。意志なく渡したものが届く。次に渡すべきは、届いた後に起きることだ。

その者(21〜26歳)

顔を上げた瞬間に、匂いがあった。

土の濡れた匂いではない。もっと冷たい。岩が水を染み出させているときの、石灰に似た匂い。その者は鼻で息を止めて、また吸った。同じ匂いが来た。

足が動いた。

集団の中心から離れることは、この集団では普通ではなかった。特に今は。嵐の後、獣が水を求めて動く時期だった。ひとりで動くことを、集団の者たちは好まない。視線を感じた。三人の男が、その者の背中を見ていた。

その者は止まらなかった。

岩が重なり合う場所まで来た。両手で岩を触ると、冷たかった。下の方、地面に近い割れ目から、薄く光るものが見えた。水だった。細い水が、砂の上に染み出していた。

その者はそこに座った。

手のひらを割れ目に当てた。水が掌に滲んだ。舐めた。苦くはなかった。もう一度舐めた。

戻った。

男たちに向かって声を出した。単音だった。短い音と、片方の手で地面を指し示す身振り。それだけだった。

男のひとりが近づいてきた。別のひとりは動かなかった。もうひとりは背を向けた。

水を見つけた者と、見つけなかった者の間に、今まであった何かが変わった。何が変わったかを、その者は言葉にできない。ただ、背を向けた男の目が、翌朝から違う場所を向いていた。

その者は気づいていた。気づいた上で、水場に通い続けた。

三日後の夜、石が飛んだ。

暗い中でわからなかった。誰が投げたかを、その者は確かめなかった。確かめる言葉を持っていなかった。頬の骨の上に、熱いものが広がった。その者は横になり、夜が明けるのを待った。

朝が来ると立ち上がり、水場の方向へ歩いた。

伝播:HERESY 人口:327
与えるものの観察:匂いで届いた。届いた後に石が飛んだ。
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第973話

紀元前295,145年

第二の星

台地の東縁から南へ、二日ほど歩けば低地に出る。そこに川がある。川幅は広くなく、深くもない。膝まで水に入れば対岸に渡れた。

砂嵐が去ってから雨が戻ってきた。草が少しずつ起き上がる。倒れたまま腐ったものもある。生き残った根が新しい茎を出す。時間がかかる。

川の南側では別の群れが動いていた。旧人の骨格を持つ者たちだ。額が低く、眉の稜が張り出している。川を渡ってくることはなかった。ただ対岸にいた。火を焚く。獲物を解体する。子どもが走る。

北側の群れも火を焚いた。獲物を解体した。子どもが走った。

川が両者の間にあった。川は何も言わなかった。水が流れるだけだった。

五日に一度、どちらかの群れが川縁まで来た。水を飲む。魚を捕ろうとする。対岸に気づいて立ち止まる。しばらく見る。戻る。

北側の群れの端に、一人が立っていることがあった。ほかの者より長く川を見ていた。

与えるもの

川の水面が光った。魚ではない。水底の石が光を返した一瞬だった。対岸の群れのそばに。

この者は川縁に立っていた。光が落ちた場所を見た。それから対岸の者たちを見た。

渡れる深さだと、身体が知っている。足首の感覚でわかる。以前に膝まで入ったことがある。

渡ったか。渡らなかった。

石が光ったことを伝えたかったのか。それとも渡ることで何かが変わると思っていたのか。届かなかったのか、届いたが止まったのか。水底の石はまだ光を返す。次に何を光で示せばよいか、まだわからない。

その者(26〜31歳)

砂嵐が終わった年、この者は川縁の仕事を任された。

任されたわけではない。誰かに言われたわけでもない。ほかの者が川縁を嫌ったのだ。川縁は視界が開けすぎている。遮るものがない。対岸が見える。

この者は川縁に出た。

最初は水を汲むためだった。次の日も水を汲んだ。三日目には水を汲まずに川縁に立っていた。対岸の火が見えた。煙が上がっていた。子どもの声がした。声の形は違ったが、子どもの声だとわかった。

群れの年長の男がこの者を引き戻した。腕をつかんで。声を出して。この者は戻った。

それでも次の日、水を汲みに行った。

川縁に立つと、対岸の者たちもこちらを見た。向こうの中に、顔の形がよく見える者がいた。眉が張り出している。額が低い。毛が濃い。それでも目の動きは似ていると、この者は思った。思ったのではなく、体がそう感じた。胸のあたりが、少し落ち着いた。

ある朝、水底の石が光った。この者は光を見た。光が対岸の方向を向いていると感じた。足が一歩、水の中に入った。

後ろから石が飛んだ。

頬ではなく、肩に当たった。硬い石だった。振り返ると、群れの者が三人立っていた。顔に表情はなかった。ただ立っていた。

この者は水から足を引いた。

その夜、この者は焚き火から少し離れた場所に座った。焚き火の熱が届かないところ。月がなかった。対岸の火は川の向こうで揺れていた。

火を見ながら、肩の痛みをさわった。

骨は折れていない。皮が少し裂けた程度だった。さわるたびに熱があった。それでも何度もさわった。痛みを確かめるように。自分がここにいることを確かめるように。

翌朝、この者は川縁に行かなかった。

水は別の者が汲んできた。この者は集落の奥で獲物の解体を手伝った。石刃で皮を剥ぐ。脂が手につく。腸を引き出す。においが強かった。

手を動かしながら、川のことを考えていた。考えたのではなく、川が来た。水底の石の光が来た。

この者は石刃を少し強く引いた。皮が裂けた。

群れの女が声を上げた。怒った声だった。この者は黙って手を止めた。

その夜も、この者は焚き火から離れた場所に座った。同じ場所だった。川は見えなかった。でも音が聞こえた気がした。

伝播:HERESY 人口:326
与えるものの観察:水底の光を示した。足が一歩入った。石が止めた。
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第974話

紀元前295,140年

第二の星とその者(31〜36歳)

雨が戻ってから、草が伸びた。

台地の南側、低地に続く斜面に、腰まで届く草が広がった。風が吹けば草は波打ち、その波の中に獣の道が見えた。獣は動き、集団も動いた。川を越えた者たちが北へ戻り、火を囲む輪が大きくなった。

その者は輪の外にいた。

いつからそうなったのか、その者には分からなかった。輪に近づけば、誰かが背を向けた。食料が分けられるとき、その者の分は最後だった。最後になかった日もあった。

東の空が赤くなる時刻、旧人の一群が台地の北縁に現れた。七人か八人、遠くて数えられなかった。集団の中の大きな男が声を上げた。他の者たちが石を手にした。旧人たちは動かなかった。しばらくして、また消えた。草の中に溶けるように。

その夜、火の周りで何かが決まった。

その者には聞こえなかった。輪の外で岩に背をつけ、膝を抱えていた。火の光が届かないほど遠くではなく、しかし暖かさが届くほど近くでもない場所だった。煙の匂いだけがきた。

翌朝、旧人の男が一人、川縁で死んでいた。

誰がやったのか、その者は知らなかった。知ろうとしなかった。ただ見た。男の手が水の中に入っていた。水が透明なまま流れていた。

その者は水の流れを長く見ていた。

夏が来て、実が生った。子どもたちが走り回った。その者も食料を集めた。誰よりも遠くまで行き、誰よりも多く持ち帰ることがあった。それでも輪の中に入れなかった。持ち帰ったものは置かれ、その者は離れた。

草の根元で、黒いものが光った。

石だった。黒曜石より暗い、何か別の石。その者はしゃがんで触った。冷たかった。手のひらに乗せると、重さがあった。ただの石だった。捨てなかった。

秋に入ったころ、集団の中の年かさの女が具合を悪くした。

腹が膨れ、顔が黄ばんだ。子どもたちが遠ざかり、大人たちも近づかなかった。その者だけが水を運んだ。理由はなかった。ただ運んだ。女は水を飲み、その者の顔を見て、また飲んだ。二十日ほどして、女は腹を押さえたまま草の上に倒れ、夜のうちに硬くなった。

その者は女の手から小さな骨片を外した。

女が首に下げていたものだった。誰かの骨だったかもしれない。その者は自分の首に結んだ。

冬が来た。

台地の北から風が吹き、火の管理が難しくなった。薪を集める役は若い者たちのものだったが、ある朝その者が一人で運んできた量は、三人分に近かった。誰も何も言わなかった。ただ火が続いた。

三十四歳になったころ、集団の中で何かが変わった。

変わったというより、張り詰めたものが形を持ち始めた。旧人たちが近づいてくる回数が増えた。石を投げることも増えた。夜、見張りに立つ者が増え、その者も立つことがあった。暗闇を見続けた。何も来ない夜も、何かが動く夜も、その者の顔は同じだった。

見張りから戻る朝、大きな男がその者の前に立った。

何かを言った。その者には意味が分からなかった。男は手を動かした。その者は石を返した。受け取られなかった。男は唾を吐いて離れた。

集団の半数以上が、その者を見るとき目を外した。

その者は黒い石を握った。冷たかった。いつも冷たかった。

春が来て、草の匂いが戻ってきたとき、集団の動きが変わった。

移動の準備をしていた。荷物が結ばれ、火が踏まれた。その者も結んだ。しかし朝が来たとき、歩き出す列の後ろに、その者の位置はなかった。

列は南へ向かった。

その者は台地に残った。

膝の高さまで伸びた草の中で立っていた。風が草を押した。風は止んだ。また押した。その者の足は動かなかった。

与えるもの

黒い石に光を落とした。

その者は拾った。捨てなかった。どこへ行っても手の中にあった。

渡したかったのは石ではなかった。石を通して届くものがあると思っていた。届いたかどうか、まだ分からない。問いはある。草の中で一人になったこの者の手の中に、その石はまだあるか。あるなら、次に渡すものを考える時間が、少しだけ残っている。

伝播:HERESY 人口:320
与えるものの観察:排除された者の手に、石だけが残った。
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第975話

紀元前295,135年

その者(36〜41歳)

腕に石器を握ったまま、動けなかった。

集団の外れ、岩が二つ重なった場所の陰に、その者はいた。草の匂いがまだ体に残っていた。昨日まで、そこにいた。今はいない。

火を囲む輪が大きくなったとき、その者は輪の内側にいた。北から戻った者たちが腰を落とし、煙の向こうに話しかけ、笑い声が混じった。その者も笑った。笑い方を知っていた。

ただ、何かを知りすぎていた。

草の波の中に獣の道が見える、それだけではなかった。その者には、別の何かが見えた。道の先に続く、道。川を越えた先に広がる、川。火の大きさで変わる、夜の輪郭。誰も言葉にしていないものを、その者は体で知っていた。言葉を持たなかったから、説明できなかった。できなかったから、余計に目立った。

ある朝、年上の者が近づいた。毛皮の縁が傷んでいた。目が細く、長く、その者を見ていた。

その者は石器を握った。

声は出なかった。身振りも作れなかった。腹の奥が冷たくなっていく、その感覚だけがあった。

押された。崖ではない、傾いた岩場だった。脚が地面を離れた瞬間は短く、地面に当たった音は自分では聞こえなかった。岩に側頭部をぶつけた衝撃で、意識が途切れた。体は傾斜を転がり、低木の根元で止まった。草が揺れ、また止まった。

第二の星

南の低地に草が満ちた年、集団の輪が広がり、また収まった。

北から戻った者たちが火の周りに加わり、獣の肉が増え、子の声が夜に重なった。草が伸びた場所に獣が集まり、獣を追う者が増え、集団の中心が熱を帯びた。

熱の中には、秩序があった。まだ言葉ではない何かが、誰が肉を先に取るか、誰が火の近くに座るか、誰が輪の外に立つかを決めていた。決まり方を誰も知らなかった。しかし決まっていた。

輪の外に立つ者がいた。輪の中で何かを知りすぎた者が、気づかれた。排除は暴力ではなく、積み重なった眼差しの末に起きた。押すという行為が、答えとして選ばれた。

草はその後も揺れた。獣の道も消えなかった。火は夜ごと燃えた。

低木の根元で止まった体を、誰も見に行かなかった。集団はその夜も肉を分け、子に与え、眠った。次の朝、探した者は一人もいなかった。世界はそういう速さで動いていた。

与えるもの

岩が落ちる前に、温度が変わった。

腹の側の空気が、少しだけ冷えた。その者は感じたかもしれない。石器を握り直していたから、感じていたかもしれない。

逃げなかった。

この者の前にも、逃げなかった者がいた。水の中に沈んだ者も、石を受けた者も。届けたものが、速さに変わらなかった。次に渡すべきものは何か、まだわからない。ただ、渡すことをやめるという考えが、ない。

伝播:HERESY 人口:322
与えるものの観察:逃げなかった。温度は届いた。それだけか。
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第976話

紀元前295,130年

第二の星

北の高地では雪が解けない季節が続いた。草が戻らず、獣の群れが移動した。跡を追う者たちがいた。戻らない者もいた。

湿地の縁に暮らす集団が分裂した。半分が南へ向かった。半分が残った。残った者たちの中で、子が二人生まれた。一人は翌朝には息をしていなかった。

川の上流、石灰岩の崖に沿って、旧人の集団が動いた。彼らは音を立てなかった。足跡だけが泥の上に残った。その足跡に、雨が降った。

始まりの大地では、乾燥した風が続いた。木の実が落ちる前に萎んだ。川の水位が下がった。魚の影が薄くなった。

集団の端で、火が弱まる夜があった。誰かが枝を足した。誰かが足さなかった。そういう夜が何度もあった。

遠くで、名前を持たない丘の上に、一本の枯れ木が立っていた。根が地面に残り、幹だけが白く乾いていた。誰も見ていなかった。星がそれを照らした。

与えるもの

集団の緊張が、空気を変えていた。

川の上流から旧人の匂いが漂った。風向きがそれを運んできた。その者の鼻の前を、確かに通った。

この者は顔を上げた。

それだけだった。顔を上げて、また地面を見た。

渡ったのか。届いたのか。問いは古い。第一の星でも問い続けた。12人の者に示した。何も変わらなかった。

この者もまた、輪郭を持たない何かの中にいる。私が渡そうとするものが届くかどうかは、私の問題ではないのかもしれない。しかし次を渡す。それだけが私にできることだ。

その者(41〜46歳)

朝、水場まで歩いた。

水が少なかった。以前は腰まであった場所に、石の頭が出ていた。その者はしばらく石を見た。膝を折り、水面に顔を近づけた。自分の影が揺れた。

帰り道、男と鉢合わせた。集団の中で一番背が高い男。目が合った。男が先に目を逸らした。

それだけのことだった。しかしその者の胸の中で何かが固くなった。石のように。飲み込めない石。

その後、何日かが過ぎた。

旧人の集団が川沿いに現れた。遠くから。彼らの影が岩の向こうを動いた。集団の中で声が上がった。低く、短い声。誰かが石を拾った。誰かが子を引き寄せた。

その者も石を持った。片手に収まるくらいの、角のある石。

旧人は来なかった。影が消えた。

夜、火の傍に座った。輪の中に入らず、少し離れた場所から火を見た。炎が低く揺れた。煙が目に入った。涙が出た。

悲しいのではなかった。ただ、目が痛かった。

石を手の中で転がした。角が手のひらに食い込んだ。その感覚だけがしっかりしていた。

伝播:NOISE 人口:333
与えるものの観察:顔を上げた。それだけ。だが確かに向けた。
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第977話

紀元前295,125年

第二の星

始まりの大地の南、赤土が割れた台地の縁に、乾いた風が吹いていた。

見えないものが最初に触れたのは、川の折れ曲がる場所に暮らす一群だった。男が一人、岩陰に座ったまま動かなくなった。腹に手を当てて、何かを言おうとして、言えなかった。翌朝、隣に寝ていた子どもが同じように動かなくなっていた。

火が消えたわけではなかった。水が涸れたわけでもなかった。ただ人が減った。日に一人、三日に二人、理由のわからない順番で。

集団の中に熱を持つ者が増えた。皮膚から何かが滲んだ。腹が膨らんだ。ある者は歩いたまま倒れ、砂の上に顔を伏せて、そのまま起き上がらなかった。ある者は夜中に叫んで、朝には声を失い、その日の夕方には声ごと失った。子どもたちが先に消えた。次に老いた者が消えた。若い者も逃げられなかった。

台地の北では別の集団が野営していた。彼らはまだ知らなかった。川沿いの者たちが次々と倒れていることを。風は北から南へ吹いていたから、川の水はまだ彼らの喉を潤していた。彼らはその水を飲んだ。三日後、最初の一人が腹を押さえた。

見えないものは川に乗り、風に乗り、手から手に渡った。それが何かを、誰も知らなかった。見えなかったから。名前もなかった。名前がなかったから、避けられなかった。

生き残る者は、逃げた者でも、強い者でもなかった。ただ、そこにいなかった者だった。理由はなかった。川から遠い場所で寝ていた。熱を持つ者に触れなかった。それだけだった。

集団の規模は大きく削られた。半分以下になった。火の番ができる者の数が減った。夜、炎が小さくなった。それでも朝が来た。朝が来るたびに、誰かがいなかった。

始まりの大地の遠い東側、川の支流が砂漠に消える場所で、ヒョウが一頭、死んだ鹿の傍らに座っていた。それを食べなかった。鹿の臭いが違った。ヒョウはそれを知っていた。人は知らなかった。

台地に残った者たちは、消えた者の場所に座った。何かを探すように地面を触った。何もなかった。それでも手を動かした。理由はなかった。ただそうした。

炎は細くなり、それでも誰かが薪を加えた。夜が来るたびに、誰かがそうした。なぜそうするのか、誰も言えなかった。ただそうしなければならないと体が知っていた。

与えるもの

熱を持つ者の傍らに近づかなかった一人がいた。

その者の立つ場所から風上に、死んだ草が積み重なっていた。腐敗した草の臭いが風に乗って漂ってきた、その臭いの方向を、何かが強く保った。臭いはそこに留まり、その者の鼻の奥に長く残った。その者は一歩、その方向から遠ざかった。

遠ざかった。それだけだった。

この者は臭いを嫌った。嫌って遠ざかった。そこに知恵があったのか、偶然があったのか、与えるものにも分からなかった。ただ次に渡すべきものは既にある。腐敗した臭いは死の手前にある。それを渡すことができるなら、この者は次の朝も立っているかもしれない。

その者(46〜51歳)

臭いが来た。ひどい臭いだった。

その者は顔を背け、足を逆に向けた。それだけだった。考えたわけではなかった。

集団の端で、その者は一人座った。熱を持つ者たちの声が遠くで聞こえた。近づかなかった。なぜ近づかないのか、その者には言葉がなかった。臭いが嫌だった。それだけだった。

朝が来た。その者は生きていた。

伝播:HERESY 人口:201
与えるものの観察:臭いで遠ざかった。それだけが今日の全てだ。
───
第978話

紀元前295,120年

第二の星

始まりの大地の南。赤土の台地は乾き、亀裂が深くなっていた。

疫病が過ぎた後の静けさがあった。集団の端のほうから、煙が細く上がっていた。炎ではなく、くすぶりだった。誰かが火を管理するのをやめかけていた。

台地の北西、岩盤が露出した斜面では、別の群れが動いていた。旧人の群れだった。体格が違う。眉の出方が違う。しかし同じように火を持ち、同じように子どもを抱えて移動していた。彼らは赤土の台地には近づかなかった。においを嗅いで、方向を変えた。何かを知っていたのか、ただ避けたのか、それはわからない。

川沿いの集団は半数を失っていた。残った者たちは黙っていた。泣く声も少なくなった。泣く力を使い果たしたのかもしれなかった。

台地の西端に、大きな岩があった。誰かが手の形を赤い土で押しつけていた。古いものだった。誰がいつ押したのか、この集団に知る者はいなかった。風雨に削られ、指の輪郭だけが残っていた。

空は高く、乾いていた。この星はそれを等しく照らした。

与えるもの

岩に押されたその手形に、光が斜めに落ちた。

この者は立ち止まった。じっと見た。それから離れた。

渡したのは輪郭だけだった。意味ではなく、形そのものを。この者がそこに何を見たのか、与えるものには届かない。形を残すことと、消えることは、どちらが先なのだろうか。次に渡すべきものは、もっと手前にあるかもしれない。

その者(51〜56歳)

疫病が去った後、この者は動いていた。

水場へ行った。水を飲んだ。戻った。また行った。何かを探しているわけではなかった。足が動くから動いた。

集団の中で、怒鳴り声が増えていた。誰かが誰かの食料を奪った。取り返そうとした者が地面に押し倒された。この者はそれを見ていた。石を拾い上げた。しかし投げなかった。置いた。

石を置いた場所に、岩壁があった。

その岩壁に、古い手の形があった。

この者は止まった。

手を上げた。自分の手を、その古い跡に重ねようとした。届かなかった。少し低いところに手を当てた。岩は冷たかった。ざらざらしていた。

手を離した。

また当てた。

何かが胸の奥で動いた。名前がない動きだった。声にもならなかった。ただ、自分の手が岩に触れているという感覚だけがあった。

その夜、集団の中で言い争いがあった。この者はその中心にいた。言い争いではなかった。問い詰めだった。数人がこの者を囲んでいた。声が低かった。指が向いていた。この者が何をしたのか、何を知っているのか、何かを隠しているのか。言葉はまだ輪郭を持たなかったが、意図は伝わった。

この者は答えなかった。

答える言葉がなかったのか、答えたくなかったのか、それも名前のない区別だった。

囲む者たちの目が動いた。

この者の足元に、小石が一つ投げられた。

伝播:HERESY 人口:211
与えるものの観察:形を渡した。意味まで届いたかは別の話だ。
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第979話

紀元前295,115年

第二の星

乾期が七度目の年に入った。

赤土の台地に亀裂が走り、それが川床にまで届いた頃、水が消えた。消えたというより、水の記憶だけが残った。湿った泥の匂いが、空気の底に澱のように沈んでいる。上を向けば、空は薄く白い。雲ではない。土だ。どこかで大地が崩れ、粉になって舞っている。

台地の北側に旧人の集団がいた。

体格が大きく、額が低く、声が低い。彼らは水場を知っていた。岩の割れ目に手を差し込んで、掌に滲む量の水を集める技を持っていた。それを見た者たちは近づき、まねようとした。旧人の一人が振り返り、音を出した。脅しではなく、確認のような音だった。

三日間、二つの集団は同じ岩陰で過ごした。

言葉は届かない。声の高低だけで何かを察し、体の向きで意図を示す。幼い子が旧人の子に近づいた。旧人の子は動かなかった。ただ見ていた。幼い子は石を一つ持っていた。旧人の子はそれを受け取らなかった。ただ見ていた。

四日目の朝、旧人の集団は北に移動した。

誰も追わなかった。誰も止めなかった。彼らが去った後、岩の割れ目が残った。一人の若者がそこに手を差し込んだ。掌が少し湿った。若者はその手を顔に当てた。

北の稜線の向こうで、何かが燃えている煙が見えた。

旧人の火なのか、落雷なのか、わからない。煙は細く、一本だった。風がそれを南に曲げた。集団の誰かが立ち上がり、その方角を長い間見た。見ているうちに煙は消えた。

残ったのは、岩の割れ目と、乾いた空気と、少し湿った掌の感触の記憶だけだった。

与えるもの

岩の割れ目から、水の匂いが漏れていた。

その者の鼻孔が動いた。足がそちらに向いた。

渡した。この者の足が動いた。足が動いたことは次の問いを生む——足が動いた者が、誰かに何かを示す日は来るのか。

その者(56〜61歳)

割れ目に手を差し込んだのは、若者ではなかった。

その者だった。

掌に湿りが来た。舌で舐めた。水の味がした。しゃがんだまま動かなかった。もう一度、手を差し込んだ。また湿った。

集団の誰かが近づいてきた音がした。その者は振り返らなかった。

伝播:SILENCE 人口:228
与えるものの観察:足が動いた。それを見ていた。
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第980話

紀元前295,110年

その者(61〜66歳)

集団の端にいた。

端というのは、岩壁の影が落ちる場所のことだ。そこに座ると誰も来ない。来なくなって久しい。若い頃は誰かが近づいた。今は違う。

その者は石を一つ持っていた。

重い石ではなかった。掌に収まるほどの平たい石で、表面がなめらかだった。拾ったのはいつのことか。拾ったことも、なぜ持ち続けているのかも、もう覚えていなかった。ただ持っていた。指が石の縁を撫でると、冷たさが伝わってくる。それだけが確かだった。

集団のほうから声がした。

低い声が重なっている。怒りとも嘆きとも区別がつかない音の塊が、赤土の台地を渡って届いてくる。その者は顔を上げた。視線の先に、若い者たちが集まっている。何人かが身振りを交えて何かを言い合っている。指が、この者のいる方向へと動いた。

その者は石を持ったまま立った。

足が重かった。六十を超えた頃から、立つという動作に力が要るようになっていた。岩壁に手をついて体を起こし、砂を踏んだ。

若い者たちが近づいてきた。

三人だった。先頭の一人が腕を振った。その動きは追い払う形をしていた。この者が知っている動きだった。獣を追うときの形。しかし今、獣はいなかった。

その者は後退った。

崖の縁が近い。一歩ごとに砂が崩れる音がした。三人の顔が近くなる。誰も言葉を使わなかった。声もなかった。音がないのに、意味だけが空気の中にあった。

その者は右手の石を見た。

投げることもできた。若い頃ならそうしたかもしれない。しかし今の腕では、届かない。石は掌の中に収まったまま、温かくなっていた。体の熱が移っていた。

一歩。また一歩。

砂が、足の裏から消えた。

落ちたというより、地面がなくなった。崖の下は遠く、赤土の壁が横を通り過ぎ、風が耳を塞ぎ、石だけが手の中に残っていた。

地面が来た。

その者の手は開いていた。石は、少し離れた場所に転がっていた。

第二の星

赤土の台地に乾期が続いている。

亀裂は広がった。川床だった場所が白く乾き、獣の足跡だけが泥の記憶として残っている。空は今日も薄い。雲はない。太陽が真上にある時間が長くなった。

集団の中で何かが起きていた。

老いた者が一人消えた。崖の下で発見された者もいる。集団は問いを持たない。問いを持つほどの言葉が、まだない。ただ、一人が減ったという事実だけが、人数として残る。

同じ台地の北に、別の集団がいる。

顔の骨の形が少し違う者たちだ。彼らも水を探している。乾期は彼らにとっても同じ意味を持つ。距離が縮まりつつある。近づくことが食料の共有になることも、衝突になることも、どちらもある。

崖の下、赤土が積もった場所に、平たい石が一つ転がっている。

風が吹いた。砂が石の表面を撫でた。やがて石は砂に半分埋まるだろう。誰も拾わなければ、そのまま残る。

与えるもの

石の表面に温もりが残っていた。

この者の体の熱だ。六十年と少し、掌が触れてきたものが、石に移っていた。

崖の下に、石があった。それだけだ。

次に渡すべきものがあるとすれば——誰かが、その石を拾うかどうか。

拾った者が、なぜ温かいのかと感じるかどうか。

伝播:HERESY 人口:234
与えるものの観察:石に熱が残っていた。六十年分の熱が。
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第981話

紀元前295,105年

その者(66〜67歳)

朝、目が覚めた。

起き上がれなかったわけではない。ただ、起き上がる必要を体が感じていなかった。乾いた草の上に横になったまま、空の白みがひろがるのを見た。

雲がなかった。

集団は動いている。声がした。子どもの声。走る足音。誰かが何かを叫んで、別の誰かが笑った。その者はそれを聞いていた。耳だけで聞いた。首は動かさなかった。

手を持ち上げた。

指が開いた。閉じた。また開いた。それが不思議だった。指が動く。なぜ動く。若い頃はそんなことを考えなかった。指は動くものだった。石を割る。皮を引っ張る。肉を掴む。指は動くだけだった。

今は動くことが不思議だった。

昼になった。誰かが水を持ってきた。若い、顔のまだ平らな者だった。器を地面に置いて、行ってしまった。その者は器を見た。水の表面が光っていた。飲もうとした。

手が届かなかった。

届かなかったのではない。届くまでの距離が、遠かった。それだけだった。

風が来た。

草の匂いがした。乾いた土の匂い。遠くから何か焦げる匂い。誰かが火を熾している。その匂いだけが、体の中をゆっくり通った。

鼻の奥が少し動いた。それだけだった。

陽が傾いた。影が長くなった。集団の声が遠くなった。近くなった。また遠くなった。その者にはもうそれが別のことのように聞こえた。あの声たちは別の場所にある。ここではない場所に。

空がまた白くなった。夕方ではなく、目が白くなったのだと、その者はわかっていた。

体が重くなった。重くなったのではなく、体と地面の境がなくなった。

草の端が頬に触れていた。

乾いていた。

それだけだった。

第二の星

同じ夜、遠く北の岩原で、旧人の群れが眠っていた。火を囲まず、互いの体温だけで。気候が穏やかで、火がなくても凍えない夜が続いていた。その群れの中で、最も年老いた者が夜明けまでに息絶えた。誰も気づかなかった。朝になって、隣の者が体の冷たさに触れた。

与えるもの

糸は別の誰かへ向かった。

伝播:DISTORTED 人口:304
与えるものの観察:指が動くことが不思議になったとき、終わりが来た
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第982話

紀元前295,100年

第二の星

雨季と乾季が交互に来た。どちらも激しすぎず、足りなすぎもしなかった。

草原では根が深く張った。川が氾濫することなく流れ、岸に動物の足跡が積み重なった。集団の住処の近くには、前の年より多くの足跡があった。また前の年より多く。

子どもが増えた。声が増えた。夜の焚き火の周りに、以前より多くの体が集まった。

同じ大地の、遠く離れた場所に、別の集団がいた。体の形がわずかに違った。額の出方、眉の厚さ、手の指の長さ。彼らも同じ雨を受け、同じ川の水を飲んでいた。近づいたことはなかった。しかし季節が同じである以上、同じ実が同じ時期に熟れ、同じ獣が同じ水場に来た。

豊かさは境界を曖昧にすることもなく、明確にすることもなく、ただ両側に降り注いだ。

大地のはるか北では、石の多い平原が続いていた。そこにもまた別の群れがいた。火を持っていた。移動しながら、季節に追われていた。この星はその火を、他の火と同じように照らした。大きさも温度も、この星は比べなかった。

集団の内側では、古い者が死に、新しい者が生まれた。その繰り返しの中で、何かが少しずつ積み上がっていた。言葉ではない。形でもない。誰かが別の誰かを見る、その目の中に。

与えるもの

糸が繋がった。

この者は九歳だった。

草の匂いが体の中を通ったのを、与えるものは覚えている。以前、別の者にも同じことをした。その者は何も渡せなかった。最後まで。

今度は、川の水面に光が落ちた場所に注意を向けさせた。
この者はそこに石を投げた。波紋を見た。それからもう一度投げた。
——波紋は二つあった。石が二つある、ということを、この者の体はどこかで知っているのか。

次に渡すものは決まっている。まだ渡す前から、もう決まっている。

その者(9〜14歳)

川に石を投げた。

波紋が広がった。消えた。また投げた。波紋が広がった。消えた。手の中に石が一つ残っていた。これも投げた。

水面が静かになった。

その者はしばらく水を見ていた。水の中に自分の顔があった。揺れた。揺れが収まると、また顔があった。

集団の中に、この者より大きい者がいる。夜、焚き火の近くで声を上げる者だ。その者が近くを通ると、空気が変わる。他の者が静かになる。視線が下を向く。

なぜかをこの者は知らない。体が知っている。近づかないように、と。

ある日、食べ物を分けるときに、この者は少し遅れた。足が遅かったのではない。ためらった。何かが前にいる気がして、足が止まった。その間に他の者が先に取った。

この者の手には何も残らなかった。

腹が鳴った。その音を誰かが聞いた。笑い声がした。

この者は川へ行った。石を拾った。投げた。波紋が広がった。消えた。

水の流れる音だけがあった。

夜が来た。焚き火から少し離れた場所に座った。炎の揺れを見ていた。炎は何も言わなかった。

目を閉じた。まぶたの裏に、波紋が残っていた。

伝播:HERESY 人口:375
与えるものの観察:波紋を二度見た。繰り返す体を持っている。
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第983話

紀元前295,095年

第二の星

乾いた風が草原を渡っていた。

この季節、風は南から来る。獣の群れもそれを知っている。大きな角を持つものたちが、低い丘の稜線に沿って動き始め、その後ろを細い脚の速いものたちが追った。捕食者は群れの端を見ている。弱いものを見ている。

集団は大きくなっていた。

子が生き延びた。前の冬も、その前の夏も、根が地面にあり、水が地面にあり、獣が近くにいた。生まれたものが育ち、育ったものが子を産み、集団の中の音の数が増えた。泣き声と笑い声と呼び合う声と、怒鳴り合う声も増えた。

住処の岩棚の下に、四つの群れが暮らしていた。血のつながりで分かれていた。それぞれの火があり、それぞれの眠る場所があった。食料が豊かなとき、群れの境界は曖昧になった。誰かが別の火のそばで眠っても、誰も追い払わなかった。

しかし豊かさが長く続くと、境界はかえって硬くなった。

自分たちの食料は自分たちのものだ、という感覚が根を張る。それは言葉ではなかった。身体の位置で示された。ある男が別の群れの女に近づくと、その群れの男たちが立ち上がった。立つだけで、何も言わなかった。それで足りた。

この星は動いていた。

草原の向こう、二日歩いた先に、別の集団がいた。骨格のわずかに違う者たちだった。眉の稜線が厚く、顎が前に出ていた。彼らも動物の毛皮を体に巻き、火を持ち、子どもを抱いていた。この時代、両者はときどき顔を合わせた。水場で。獣の跡を追って。双方とも黙って相手を見た。近づきすぎず、追いもせず。

今年の夏、水場で出会いが重なった。

一方の群れの子どもが石を投げた。遊びだったかもしれない。相手の群れの男が立ち上がった。その男の後ろで、別の男が何かを握った。握られたのは石だった。

何も起きなかった。

しかし何かが変わった。水場の周りに、以前はなかった空気が残った。次の日、その空気はまだあった。その次の日も。

草原では風が向きを変えた。北からの風が来ると、草の穂先が一斉に南を向く。遠くから見ると波のようだった。その波の上を、鳥が一羽横切った。

与えるもの

男が握った石の表面に、光が落ちた。

その者の目がそこに向いた。石の角が光を反射する、その形。持てば手に馴染む、その重さの予感。

石を手にした。別の石に打ちつけた。何のためかは分からないまま。

持てる、という感覚だけが残った。

渡したのは衝動だったのか、それとも武器の種だったのか。この者が握ったとき、与えるものはそれを問うた。問いに答えは出なかった。しかし次に渡すべきものは、もう決まっていた。

その者(14〜19歳)

石は手の中にあった。

打った。欠けた。鋭くなった端を指で触れた。切れた。血が出た。

舐めた。鉄の味がした。

また打った。

伝播:NOISE 人口:385
与えるものの観察:渡したのは石か、それとも傷か。
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第984話

紀元前295,090年

その者(19〜24歳)

寒さが来た年、その者は十九だった。

それまで知っていた季節の順番が、あるとき崩れた。実が熟む前に霜が降りた。水場の縁が白く固まり、足を踏み入れると割れた。群れの中の年嵩の者たちが、空を見上げて何かを言った。その者にはわからなかった。ただ、彼らの声が低くなっていることはわかった。

集団は動いた。

丘を越え、川沿いを下り、風の弱い窪地に落ち着いた。その移動の途中で、老いた者が一人歩かなくなった。子どもが二人、寒さの中で声を出さなくなった。誰も立ち止まらなかった。立ち止まる余裕が、すでになかった。

その者は歩いた。

火を運ぶ仕事を任されていた。壺の中に炭を入れ、胸に抱えて歩く。炭が消えれば火は消える。火が消えれば夜に凍える。その者はそれだけを考えて歩いた。

冬が三度来た。集団は半分より少なくなった。

その者は今や、群れの中で何かを任される側になっていた。まだ若いが、動ける。走れる。食料を探すとき、若い者が先に行く。その者も行った。凍った地面を踏み、息が白く散るのを見ながら、根や球根を掘り出した。

ある日、掘った穴の底に水が滲んだ。

その者は止まった。

水が冷たかった。でも滲んでいた。ここには水がある。その者は匂いを嗅いだ。土の匂い。腐葉の匂い。さらに深く掘った。水が増えた。

その者は声を上げた。短い音だった。群れの者たちが集まった。

二十四の年の終わり、その者の体が重くなった。

動けないわけではなかった。ただ、朝に起きるとき、以前より時間がかかった。食べ物を噛むと、口の中が痛んだ。走ると胸が鳴った。

ある朝、その者は窪地の縁に座った。

風が北から来た。前より冷たかった。その者は膝を抱えた。空が低く、灰色だった。遠くに獣が一頭、動いているのが見えた。その者はしばらくそれを見ていた。

獣が丘の向こうへ消えた。

その者はまだそちらを見ていた。

やがて、見ていることが、できなくなった。

膝が緩んだ。体が横に倒れた。土が冷たかった。それだけが最後にあった。

第二の星

同じ頃、大地の北の果てでは、氷が山脈ほどの高さまで積み上がっていた。その重さで地面が沈み、海がわずかに後退した。遠い南の森では、雨が減り、木の種類が変わり始めていた。虫が消えた木があり、虫が増えた木があった。この星はどちらにも同じ光を当てていた。

与えるもの

糸は別の誰かへ向かった。

伝播:NOISE 人口:228
与えるものの観察:水が滲んだ。それだけが残った。