2033年、人類の旅

「紀元前299,525年〜紀元前299,405年」第97話〜第120話

Day 5 — 2026/04/08

読了時間 約34分

第97話

紀元前299,525年

第二の星とその者(36〜41歳)

雨の周期が狂った。三つの季節が一つになり、一つの季節が三つに分かれた。川床が現れ、湿地が乾き、森が草原になった。獣の通り道が変わった。人の移動も変わった。

石を削る。右手の親指の皮が厚くなった。左手の人差し指に深い溝ができた。血豆が潰れて、また膨らんで、また潰れた。削る音だけが聞こえる。

水場に集まる集団が増えた。七つ、八つ、数えきれない。遠くから来た者たちの顔は見たことがない。持っている道具も違う。石の削り方も違う。警戒する。距離を保つ。でも水は必要だった。

削っていると時間がわからなくなる。陽が傾いても削り続ける。火が消えかかっても削り続ける。他の者が寝ても削り続ける。削ることで何かから逃げているような気がした。

旧人が姿を消した。足跡も糞も見つからない。風の音だけが洞窟に響く。人だけが残された。人同士で向き合うしかなくなった。緊張が高まった。

右肩が痛む。腕を上げるのが辛い。それでも削る。削り方を変える。左手で石を支え、右手で叩く。音が変わる。リズムが変わる。削れる形も変わった。

遠い谷で煙が上がった。火事だった。森が燃えた。動物が逃げてきた。鹿、猪、小さな獣たち。人も獣を追って移動した。獲物が増えた。でも煙で空が霞んだ。

削った石の破片を集める。小さなものでも捨てない。組み合わせて使う。大きな石に小さな石を埋め込む。新しい形ができる。今まで見たことのない道具ができる。

集団同士の小競り合いが増えた。水場での押し合い。獲物の奪い合い。石を投げる者もいた。血を流す者もいた。でも殺し合いにはならなかった。まだ、そこまでは。

削る石がなくなってきた。良い石を求めて遠くへ歩く。一日、二日、三日歩く。見つからない日もある。見つかる日もある。見つからない日の方が多くなった。

与えるもの

削りすぎて手が震える者の手首を見つめた。
その者は気づかずに削り続けた。
手首にあるものが見えないのだろうか。

伝播:SPREAD 人口:956
与えるものの観察:見えないものを見続ける者がいる
───
第98話

紀元前299,520年

第二の星

乾いた風が吹き続けた。川の水位が下がり、岩が露出した。魚が浅瀬で跳ねた。

始まりの大地の東で、二つの集団が水を巡って対峙した。石を握る者たち。唸り声を上げる者たち。血は流れなかった。片方が退いた。

西の森では火が燃え続けた。煙が立ち昇り、雲を作った。動物たちが南へ移動した。人もそれを追った。

北の洞窟で子が生まれた。母は三日後に死んだ。子も五日目に息を止めた。父は石を削り続けた。

南の崖では老人が転落した。骨が折れた。集団は老人を置いて移動した。老人は三日間、水を求めて這った。鳥が来た。

中央の平地で、ある者が新しい削り方を試していた。左手で支え、右手で叩く。音が変わった。削れる形も変わった。破片を集めて組み合わせる。今まで見たことのない道具ができた。

同じ頃、遠い谷で別の者が同じことを始めた。互いの存在を知らずに。

与えるもの

削りすぎて震える手首に目を向けた。
その者は気づかずに削り続けた。
見えないものが、そこにあるのに。

その者

右肩が痛む。腕を上げるのが辛い。削り方を変えた。左手で石を支え、右手で叩く。音が変わる。リズムが変わる。削れる形も変わった。

破片を集める。小さなものも捨てない。組み合わせる。大きな石に小さな石を埋め込む。新しい形ができる。今まで見たことのない道具。

手首が震える。削りすぎた。でも止められない。良い石を求めて遠くへ歩く。一日、二日、三日。見つからない日の方が多い。

水場で押し合いになった。別の集団と。石を握った。投げなかった。相手も投げなかった。睨み合った。相手が退いた。水を飲んだ。苦かった。

煙が空を覆った。森が燃えている。動物が逃げてきた。鹿、猪、小さな獣。人も移動した。獲物が増えた。でも煙で息が苦しい。

削る石がなくなってきた。手首の震えが止まらない。でも削る。削り続ける。破片を組み合わせる。新しい道具を作る。使い方はまだ分からない。

伝播:DISTORTED 人口:944
与えるものの観察:震える手首に、見えないものがある。
───
第99話

紀元前299,515年

その者

右肩が痛む。腕を上げるのが辛い。削り方を変えた。左手で石を支え、右手で叩く。音が変わる。リズムが変わる。削れる形も変わった。

破片を集める。小さなものも捨てない。組み合わせる。大きな石に小さな石を埋め込む。新しい形ができる。今まで見たことのない道具。

手首が震える。削りすぎた。でも止められない。良い石を求めて遠くへ歩く。一日、二日、三日。見つからない日の方が多い。

水場で押し合いになった。別の集団と。石を握った。投げなかった。相手も投げなかった。睨み合った。相手が退いた。水を飲んだ。苦かった。

煙が空を覆った。森が燃えている。動物が逃げてきた。鹿、猪、小さな獣。人も移動した。獲物が増えた。でも煙で息が苦しい。

削る石がなくなってきた。手首の震えが止まらない。でも削る。削り続ける。破片を組み合わせる。新しい道具を作る。使い方はまだ分からない。

第二の星

煙が大地を覆っている。森火事が三つの月を続けた。大きな群れの動物が南に逃げ、小さな群れの人がそれを追った。水場での衝突が増えた。石が飛び交う日もある。血が流れる日もある。

始まりの大地の人口は急に膨らんだ。煙の中で獲物が増えたからだ。逃げ惑う獣を囲み、倒し、分け合った。五年前より二割多い。でも水は足りない。

旧人の姿が見えなくなった。煙を避けて別の土地に移ったのか。死んだのか。誰にも分からない。彼らが残した洞窟に人が住み着いた。壁に刻まれた印を眺めながら。

道具を作る者が各地に現れた。石を削り、組み合わせ、新しい形を作る者たち。互いの存在を知らない。でも同じ時に、同じことを始めている。火事の煙の下で。渇いた土の上で。

震える手が石を叩く音が、風に消える。

与えるもの

震える手首を見つめた。
その者は気づかず削り続けた。
なぜ、この痛みまで背負わせるのか。

伝播:DISTORTED 人口:928
与えるものの観察:痛みを押して、作り続ける
───
第100話

紀元前299,510年

その者

手が震える。石を削ろうとしても、欠片がうまく飛ばない。組み合わせた道具の柄を握ると、指に力が入らない。

座り込む。膝が痛い。背中が曲がったまま戻らない。でも削る。削り続ける。破片を集め、並べ、形を探す。新しい道具。まだ見たことのない道具。

息が浅い。胸が重い。でも手を動かす。石を叩く音が弱くなった。欠片が小さくなった。それでも削る。

組み合わせた道具を地面に置く。立ち上がろうとして、倒れる。横になる。空を見る。煙で太陽が見えない。でも明るい。

呼吸が止まりそうになる。また始まる。止まりそうになる。また始まる。

手の中に石の欠片。握ったまま離さない。指が固くなる。

呼吸が止まった。

第二の星

煙が風で流れた。別の群れが水場を見つけて歓声を上げた。旧人の足跡が泥に残っているのを誰かが見つけた。子どもが生まれ、産声を上げた。別の場所で年老いた者が静かに息を引き取った。

石を削る音があちこちで響いている。新しい道具を作る者たちが、互いを知らないまま同じことを続けている。

与えるもの

意識は別の誰かへ向かった。

---

伝播:DISTORTED 人口:920
与えるものの観察:震えながらも削り続けた。
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第101話

紀元前299,505年

第二の星とその者(43〜48歳)

手の中の石が温かい。なぜ温かいのか分からない。握ると指が動く。石を叩く。欠片が飛ぶ。いつもより鋭く飛ぶ。

何かが変わった。昨日までとは違う。

遠くで旧人の群れが移動している。大きな足跡を残していく。人の群れがその後を追っているが、距離を保っている。水場の争いが続いている。

立ち上がる。足が軽い。背中がまっすぐになった。石を削る。削った破片を見る。形が見える。まだ作ったことのない形が。

別の群れで子どもが産まれた。母親が疲れきって倒れた。年老いた者が看取っている。産声が風に流れて消えた。狩りに出た者たちの一人が戻らない。

石の欠片を組み合わせる。木の棒に縛り付ける。新しい道具。手に馴染む。振り上げると、空気を切る音がする。これで何ができるか、まだ分からない。

気候が不安定になっている。雨が降りすぎるか、全く降らない。川の水位が急に変わる。食べ物が見つからない日が続く。群れの半分が別の場所へ移った。

道具を持って歩く。足音が軽い。体の動きが以前と違う。石を見つけると、削り方が頭に浮かぶ。手が勝手に動く。

旧人の死体が見つかった。傷がついている。人が作った道具の傷だ。誰がやったのか誰も知らない。緊張が群れに広がった。見張りが増えた。

夜、火の前で道具を見つめる。明日はこれで何をしよう。狩りか。木を切るか。それとも別の何かを作るか。考えながら眠りにつく。

与えるもの

鋭い石の破片を指差した。
この者は手に取り、木の棒に縛り付けた。
届いたのだろうか。それすら分からない。

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伝播:HERESY 人口:867
与えるものの観察:道具が変わった。この者も変わった。
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第102話

紀元前299,500年

第二の星

始まりの大地の北端で、氷の壁が音を立てて崩れた。水が溢れ、低い土地を飲み込んだ。三つの群れが高い場所へ逃げた。

東の森では旧人の足跡が新しく残されている。人の足跡と交わり、また離れる。どちらも同じ方向へ向かっていた。水を求めて。

南の平原で、子を産んだ母親が息を引き取った。生まれたばかりの子が泣いている。群れの者たちが囲んで見つめている。誰も手を出さない。泣き声が小さくなった。

火を囲む群れがある。石を削る音がする。別の群れでも、同じ音がする。さらに別の場所でも。音が重なって、この星に響いている。

川が氾濫した跡に、骨が散らばっている。人のものも、旧人のものも、獣のものも。区別はつかない。すべて同じ土に埋もれていく。

道具を持つ者が増えた。持たない者もいる。持つ者同士が出会うとき、互いの道具を見つめ合う。時には触れ合わせる。音が鳴る。

与えるもの

削られた石の欠片を指差した。
この者はそれを拾い、別の石で叩いた。
形が変わることを、知ったのだろうか。

糸は続いている。

その者

石を叩く。欠ける。また叩く。手が覚えている。

雨が降ると、洞窟に入る。石を持って入る。暗がりでも手が動く。削る音だけが聞こえる。

群れの者が作った道具を見る。自分のものと形が違う。触らせてもらう。重さが違う。握り方を変える。

川で水を飲むとき、底に沈んだ石が見える。形の良いものを拾い上げる。濡れた石は削りやすい。

旧人の群れと遭遇した。互いに距離を保つ。相手も道具を持っている。形が人の作るものと似ている。見つめ合う。先に去ったのは向こうだった。

夜、火の明かりで道具を見る。刃の部分に光が当たる。鋭さが目に映る。明日はこれで何かを切ろう。

獲物を追いかけるとき、道具を振り上げる。風を切る音がする。体が軽い。足が速い。

伝播:DISTORTED 人口:861
与えるものの観察:石が別の石になった。
───
第103話

紀元前299,495年

第二の星

始まりの大地で石が削られている。

南の谷では群れが分かれた。道具を持つ者と持たない者で。持つ者たちは川沿いを上流へ向かい、持たない者たちは下流に残った。雨季が来れば再び出会うだろう。それとも永遠に別れるのだろうか。

東の台地では旧人の群れが人の痕跡を見つけている。削られた石の欠片。火を使った跡。彼らも同じようなものを作る。同じように火を使う。境界が曖昧になっている。

北の森では獣が石を避けて通る。鋭く削られたそれらを。匂いで分かるのか。形で分かるのか。新しい恐怖が生まれている。

気候は穏やかだった。この5年で人口は150人増えた。生まれる子の半数は育った。しかし群れは小さく分かれ続けている。20人の群れが10人ずつに。10人の群れが5人ずつに。道具を巡って。技術を巡って。知識を巡って。

石を削る音が各地で響いている。同じ音なのに、作る者によって微妙に違う。リズムが違う。間合いが違う。石が覚えているのか。手が覚えているのか。

与えるもの

半分に割れた石を指差した。
この者は両方の欠片を拾い、合わせてみた。
元に戻ることはないと、分かったのだろうか。

糸は続いている。それだけだ。

その者

石を割る。二つになる。四つになる。手のひらに収まる大きさまで。

群れから離れる者が出てきた。道具の作り方を巡って。自分のやり方を譲らない者たち。新しい群れを作って去っていく。見送る。手を振らない。

川べりで石を探す。形の良いもの。割れやすそうなもの。濡れた石は手に馴染む。乾くと違う感触になる。

旧人の群れと再び出会った。今度は近づいてきた。互いの道具を見せ合う。触らせ合う。作り方が似ている。誰が教えたのか。誰が真似をしたのか。

夜、削った石で肉を切る。よく切れる。骨に当たると刃が欠ける。欠けた部分をまた削る。石は小さくなっていく。

子どもたちが石を拾い始めた。大人の真似をして叩いている。うまくいかない。指を切る。血が出る。それでも続ける。

獲物を追うとき、投げた石が当たった。倒れた獣の側に駆け寄る。削った石で止めを刺す。血が石に付く。拭き取る。また使う。

火の側で石を削る。火の熱で石が温まる。削りやすくなる。それとも気のせいか。手が慣れただけか。

伝播:HERESY 人口:809
与えるものの観察:石は割れる。元には戻らない。
───
第104話

紀元前299,490年

その者

石を割る。二つになる。四つになる。手のひらに収まる大きさまで。

群れから離れる者が出てきた。道具の作り方を巡って。自分のやり方を譲らない者たち。新しい群れを作って去っていく。見送る。手を振らない。

川べりで石を探す。形の良いもの。割れやすそうなもの。濡れた石は手に馴染む。乾くと違う感触になる。

旧人の群れと再び出会った。今度は近づいてきた。互いの道具を見せ合う。触らせ合う。作り方が似ている。誰が教えたのか。誰が真似をしたのか。

夜、削った石で肉を切る。よく切れる。骨に当たると刃が欠ける。欠けた部分をまた削る。石は小さくなっていく。

子どもたちが石を拾い始めた。大人の真似をして叩いている。うまくいかない。指を切る。血が出る。それでも続ける。

獲物を追うとき、投げた石が当たった。倒れた獣の側に駆け寄る。削った石で止めを刺す。血が石に付く。拭き取る。また使う。

火の側で石を削る。火の熱で石が温まる。削りやすくなる。それとも気のせいか。手が慣れただけか。

川の水が引いた。新しい石が現れた。これまで見たことのない色。手に取る。重い。叩いても割れない。

第二の星

始まりの大地で、分裂が始まっていた。

道具を作る方法を巡って、古い群れから新しい群れが生まれる。石の割り方、火の起こし方、獲物の分け方。細かな違いが、譲れない違いになる。七つの群れが、十二の群れになった。

旧人との接触も増えた。互いの道具を見せ合い、時には材料を交換する。彼らの石器は精巧だった。人類の火起こしは速かった。学び合うものと、警戒するものがいた。

気候は安定していた。雨は適度に降り、獲物は豊富だった。人口は五年前より二割増えた。子どもたちが生き延びる確率が上がっていた。だが同時に、食べ物を巡る競争も激しくなった。

北の山々で大きな音がした。雪崩か、それとも別の何かか。調べに行く者はいなかった。遠すぎた。

川の流れが変わった。新しい石が露出し、古い住処が水に沈んだ。移住を余儀なくされた群れもあった。変化は静かに、しかし確実に進んでいた。

与えるもの

川底の石を指差した。
この者は立ち止まり、拾い上げた。
なぜこの石だったのか。

伝播:SILENCE 人口:803
与えるものの観察:石が変わる。選ぶ目が変わる。
───
第105話

紀元前299,485年

第二の星

始まりの大地で、時が動き始めていた。

七つの群れが十二に分かれた。石を割る音が、かつてとは違う響きを持つようになった。古い者たちが教える方法と、若い者たちが見つける方法。同じ石でも、割り方が違えば刃の形が変わる。獲物の分け方も変わる。火の起こし方も変わる。

違いは小さかった。しかし譲れなかった。

川の向こうで旧人の群れが動いている。彼らの石器は美しく鋭い。人類の火は速く燃える。時々、材料を交換する者たちがいた。石と木の実。骨と獣の皮。言葉はなくとも、身振りで意味は通じた。

だが全ての群れが歓迎するわけではなかった。古い群れの長老たちは首を振る。違う者たちとの接触を好まない。新しい群れの若者たちは好奇心を隠さない。学べるものがあると信じている。

人口は増え続けていた。五年前より二割多い。子どもたちが生き延びる確率が上がっている。しかし食べ物を巡る競争も激しくなった。同じ狩り場を複数の群れが狙う。同じ果実の木に複数の家族が集まる。

縄張りという概念が生まれ始めていた。

北の山で大きな音がした。雪崩か、山崩れか。確かめに行く者はいない。遠すぎる。だが音は記憶に残った。何かが変わったという予感を残した。

川の流れが変わった。長雨の後、水路が新しく刻まれた。古い住処が水に沈み、新しい石が姿を現した。移住を余儀なくされた群れもあった。適応できた群れもあった。変化は静かに、しかし確実に進んでいる。

道具が進歩している。石器の形が多様になった。用途に応じて使い分ける者たちが現れた。切るための石、砕くための石、削るための石。専門化の始まりだった。

集団の規模も変わっている。二十人だった群れが四十人になった。十人だった群れが五人に減った。大きくなりすぎた群れは分裂し、小さくなりすぎた群れは他と合流した。最適な規模を模索している。

知識の伝達方法も変化していた。身振りだけでは足りなくなった複雑な技術。若い者たちは見よう見まねで覚える。古い者たちは手を取って教える。試行錯誤の中で、より効率的な教え方が生まれつつあった。

蓄積が始まっている。世代を超えて受け継がれるもの。失われるものと残るもの。選択が起きている。

与えるもの

川底の重い石を指差した。
この者は立ち止まり、両手で持ち上げた。
なぜ他の石ではなく、この石だったのか。

その者

川の水が引いて、見たことのない石が現れた。重くて硬い。叩いても割れない。

手に持つ。温かい。他の石とは違う。

群れの若い者たちが興味を示す。古い者たちは首を振る。見慣れないものを警戒している。

この者は石を手放さない。なぜかは分からない。手に馴染む。それだけ。

伝播:HERESY 人口:753
与えるものの観察:選ばれた石。選んだ理由は分からない。
───
第106話

紀元前299,480年

その者

息が浅くなった。

石を抱いたまま横になる。群れの者たちが見守る。赤い粉の線が手の甲に残っている。

若い者が水を運んでくる。口に含ませてくれる。飲み込めない。口の端から零れ落ちる。

目を閉じる。開く。空が見える。

石の重みが胸から消えた。誰かが取ったのか。もう分からない。

呼吸が止まった。

群れの者たちがしばらく待つ。動かない。冷たくなっていく。

若い者が赤い石を拾い上げる。線を引いてみる。同じ色が出る。

第二の星

大きな群れが谷を越えた。百を超える者たちが新しい水場に向かう。

別の谷では岩が崩れ落ちた。住処を失った小さな群れが彷徨い始める。

遠くの洞穴で子が生まれた。母親が舐めて清める。産声が響く。

旧人の足跡が川岸に残る。深い。重い者が通った。人類の足跡と交差している。

火を囲む群れがある。肉を焼く匂い。骨を叩く音。

与えるもの

糸は別の誰かへ向かった。

伝播:SILENCE 人口:747
与えるものの観察:与えたから生まれたのか
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第107話

紀元前299,475年

与えるもの

糸が繋がった。

小さな者に。走り回る者に。群れの端で石を拾う者に。

しかし何も渡さなかった。五年が過ぎた。

この者は育った。背が伸びた。声が変わった。しかしまだ小さい。群れの端にいる。石を拾っている。

なぜ何も渡さないのか。

第一の星では十二の糸を繋いだ。火の作り方を示した。石の砕き方を示した。水の在り処を示した。しかし誰も受け取らなかった。十二人すべてが死んだ。星が死んだ。

ここでは何を渡せばよいのか。

この者は生きている。走り回っている。笑っている。泣いている。なぜ何かを渡さねばならないのか。

渡すことが助けることなのか。渡さないことが助けることなのか。

五年間、見ていただけだった。この者が転んで膝を擦りむいても、何も示さなかった。この者が川で溺れそうになっても、何も示さなかった。しかし群れの誰かが助けた。この者は生きている。

私が何かを渡さなくても、この者は生きている。

では私は何なのか。

糸は続いている。切れていない。しかし何も流れていない。何も渡していない。

これでよいのか。これが間違いなのか。

分からない。五年間分からないままだった。

そして今日も分からない。

伝播:SILENCE 人口:738
与えるものの観察:五年間何も渡さずにいた
───
第108話

紀元前299,470年

第二の星

雨の季が終わった。
水場に遺骨が浮いた。腐った肉の臭いが谷に満ちる。
北の丘では炎が消えない。煙が昼も夜も立つ。旧人の住処から。
南の窪地で新しい手印が岩に押された。指の本数が多い。
東の者たちは死んだ子を土に埋めた。西の者たちは食べた。
境界の石が動いた。誰が動かしたかは分からない。

子を産む者が減った。産んでも死ぬ。
旧人は夜に歌った。人は昼に唸った。
重なる音がない。

水場で顔を合わせる時、目を逸らす。
手を見る。爪を見る。傷を見る。
同じに見える顔が、違って見える。

石を投げる者がいた。
逃げる者がいた。
追わない者もいた。

星の軌道は変わらない。季は巡る。
生まれる数と死ぬ数が、近づいている。

与えるもの

糸は続いている。

視線をこぼれ落ちる水滴に向けた。
この者は舐めた。
甘いと知って、何を思ったのか。

その者

木の根元で目を覚ます。
背中に石の感触。首を動かす。痛い。

立ち上がる。
足が震える。昨日も。その前も。
歩く。

水を見つける。
手で掬う。飲む。
もう一度。

甘い。
舌に残る。なぜ甘い。
また掬う。同じ甘さ。

誰かが唸っている。遠くで。
立ち止まる。聞く。
違う唸り方。知らない声。

近づかない。
水から離れる。歩き続ける。

石を蹴る。転がる音。
また蹴る。音が違う。
拾う。軽い。穴が開いている。

息を吹く。音が出る。
もう一度。高い音。
持って歩く。

木の陰に隠れる。
誰かが通る。足音が重い。
息を止める。

通り過ぎる。
また歩く。石を握ったまま。

崖の上に着く。
下を見る。煙が立っている。
炎が見える。人がいる。

石に息を吹く。音が響く。
下の者たちが見上げる。
走って逃げる。

伝播:HERESY 人口:697
与えるものの観察:甘い水を知った。音を作った。
───
第109話

紀元前299,465年

その者(17歳)

季節がいくつも過ぎた。

咳が止まらない。
血が混じった。喉が焼けるように痛む。
手のひらに赤いものを吐いて、じっと見つめる。

仲間たちは距離を置いた。
母だけが近づいて、水の入った器を置く。温かい手が額に触れる。

眠れない夜が続く。
息をするたびに胸が重い。心臓が不規則に跳ねる。

洞窟の奥で丸くなる。
外から聞こえる声が遠くなっていく。子どもたちの笑い声、火を囲む大人たちのうなり声。

母の手が頬を撫でた。
その手の重さを覚えていたい。

呼吸が浅くなる。
胸が上下しなくなる。

目を閉じた。

第二の星

同じ刻、北の森で古い木が倒れた。根元から裂けて大地を揺らす。鳥たちが一斉に羽ばたいた。

東の海では波が岩を削り続けている。何万年も前から、何万年も後まで、同じ音を立てて。

西の山では雪が積もり始めた。白い粒が風に舞い、谷を埋めていく。

南の草原では新しい命が生まれた。小さな手が初めて光を掴もうとする。

この星は回り続ける。

与えるもの

何かが別の誰かへ向かった。

伝播:SPREAD 人口:1,519
与えるものの観察:呼吸が止まる瞬間も、静かだった
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第110話

紀元前299,460年

与えるもの

糸が繋がった。

五年が過ぎた。

何も渡さなかった。渡せなかった。いや、渡すものがなかった。

この者は石を削り、木を削り、骨を削った。手が器用だった。他の者たちが持ってくる材料を、使いやすい形に変えていく。刃物、槍の先、針のようなもの。毎日同じことを繰り返した。

私は見ていた。ただ見ていた。

この者の手は確かだった。無駄な動きがなかった。削りかすの一つ一つまで、意味があるかのように正確に落ちた。他の者たちは完成した道具を受け取って去っていく。この者はまた次の材料に向かった。

何を渡せばよいのか。

石の削り方は既に知っていた。木の扱い方も知っていた。骨の硬さも、どこで折れるかも知っていた。この者の手の中で、すべてが予定通りに形を変えていく。

私が最初に全てを渡したあの時から、時は流れた。あの者たちはもういない。その子も、その子の子も、その子の子の子も。けれど同じことが繰り返されている。石を削り、木を削り、骨を削る。

この者は私を知らない。

私がそこにいることも知らない。糸があることも知らない。ただ手を動かし続けている。朝が来れば起き上がり、材料の前に座り、手を動かす。日が傾けば立ち上がり、横になる。

五年間、私は何も渡さなかった。

渡すものが見つからなかった。この者は既に必要なものを全て持っているように見えた。手の技、材料を見分ける目、完成形を思い描く力。足りないものがあるとすれば、それが何なのか私にはわからなかった。

あるいは、私が疲れていたのかもしれない。

長い時を過ごした。多くの者と繋がった。渡したものが届いたか、届かなかったか。届いても、届かなくても、糸は切れ、また新しい糸が繋がる。

この者との糸も、いずれ切れる。

その時が来るまで、私は見ている。この者の手が材料を削る音を聞いている。規則正しい音。変わらない音。それが私にとって、今は十分だった。

何かを渡す必要があるのだろうか。

伝播:HERESY 人口:1,413
与えるものの観察:沈黙も、ひとつの在り方だった
───
第111話

紀元前299,455年

その者

水が多く流れた年だった。大地は柔らかく、根菜は太く育った。獣たちも丸々と肥え、集まる人の数は倍になった。

その者は石を削っていた。手の中で石片が形を変える。刃になる。尖りになる。誰かが使う。誰かの手に渡る。

けれど腹が膨れても、体は軽くなっていった。

朝、起き上がるのに時間がかかった。昼、手が震えた。夕、咳が出た。夜、眠れなかった。また朝が来た。起き上がれなかった。

横になったまま、石を触った。まだ削れる。まだ作れる。指先だけが動いた。

周りで声がした。身振りが見えた。誰かが近づいた。遠ざかった。また近づいた。

石が手から離れた。

誰かが拾った。

息が浅くなった。

目を閉じた。開けた。また閉じた。

開かなかった。

第二の星

同じ刻、南の崖で子が生まれた。雌の獣が双子を産んだ。川の下流で魚が跳ねた。

西の谷間では、別の集団が新しい住処を見つけていた。岩陰は深く、風を避けられた。焚き火の煙が立ち上った。

東の草原を、一頭の巨獣がゆっくりと歩いていた。足跡が大地に刻まれる。やがて雨が降り、足跡は消えた。

星は回り続けた。

与えるもの

繋がりは別の誰かへ向かった。

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伝播:HERESY 人口:2,464
与えるものの観察:作るものは残り、作った者は去る。
───
第112話

紀元前299,450年

第二の星

五つ目の冬が過ぎた。雪解け水は勢いよく谷を下り、新しい道筋を刻んだ。川辺では女たちが根を掘り、子どもたちが虫を追った。

南の崖では別の集団が火を囲んでいる。煙が細く立ち上る。彼らの言葉は異なるが、手振りは似ている。石を打ち合わせる音が響く。

西の森では一人の男が倒れていた。息はない。腹に深い傷がある。血は既に黒く固まっている。近くに折れた槍の先が落ちている。

東の平原では群れが移動している。大きな獣たちが列をなして歩く。足音が地面を震わせる。それを見つめる目がいくつもある。隠れた場所から、狙いを定めて。

与えるもの

糸が繋がった。

その者

別の誰かが石を削っていた。光る石片を見つめた。

雄の叫び声が聞こえる。川の向こうから人が来る。多い。手に棒を持っている。こちらも立ち上がる。石を握りしめる。

走る。足が地面を蹴る。息が荒くなる。後ろから声が追ってくる。怒っている声だ。

茂みに身を隠す。葉が顔に触れる。心臓の音が大きい。足音が近づく。通り過ぎる。また遠ざかる。

しばらく動かない。虫が腕を這う。払いのける。

立ち上がる。石片が手の中にある。光っている。綺麗だ。でも、これのせいで追いかけられた。

川に投げ捨てる。水音がする。波紋が広がる。消える。

振り返ると、また別の光る石が足元にある。

伝播:HERESY 人口:2,284
与えるものの観察:渡したものが形を変えて広がっていく。
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第113話

紀元前299,445年

第二の星とその者(23〜28歳)

霧が谷間に溜まり、朝の光が尾根だけを照らす。南の集団が動いている。昨日より十人ほど多い。煙は三つの場所から立ち上り、それぞれが別の方向を向いて座っている。

石を叩く音が規則正しく響く。この者の手は五年前より確かになった。欠けるべき場所を知っている。刃の角度を体が覚えている。師は頷くだけで、もう手を添えない。

川の水位が下がり、中州に新しい石が現れた。質の良い石だ。しかし南の者たちも同じものを見ている。三日前から彼らの足跡が川辺に残るようになった。まだ渡ってはこない。

この者は師と共に石を選びに行く。中州へと続く浅瀬で立ち止まる。対岸から視線を感じる。数えきれない目が川面を挟んで向き合っている。誰も水に足を入れない。

風向きが変わった。南からの匂いが濃くなる。焼けた肉、薬草、そして知らない何か。集団の匂いは変化している。新しい者たちが加わったのか、それとも何かが変わったのか。

師が小さく唸る。この者も同じ音で応える。二人は川から離れ、別の場所で石を探した。しかし良い石は中州にある。誰もがそれを知っている。

夜になると、南の火が以前より大きく見える。数も増えた。彼らが何かを準備している。石を研ぐ音が風に混じって聞こえる。こちら側でも同じ音が響く。

この者は石器を作り続ける。手が動く度に、何かが蓄積されていく。技術だけではない。別の何かが。理解できないが、確実に積み重なっている。

五つ目の冬が終わる頃、異変が起きた。南の集団から一人の女が川を渡ってきた。手には石器を持っている。こちらの作り方とは違う形だった。

与えるもの

湿った風が頬を撫でた。

この者の目がその女の持つ石器に止まった。

女は石器を地面に置き、去っていった。この者はそれを拾い上げ、自分の作ったものと見比べた。

形が違う。作り方も違う。しかし同じ目的のものだった。

なぜ彼女はこれを渡したのだろうか。

伝播:HERESY 人口:2,116
与えるものの観察:境界が曖昧になっている
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第114話

紀元前299,440年

その者

三つめの季節が終わろうとしていた。雨は来なかった。

削りかけの石が掌に残っていた。刃になるはずだった欠片は、もう形を失っている。指先で縁を撫でる。尖っていない。

水を探して歩いた日々。足の裏が割れ、血が乾いた跡がある。仲間たちの背中が遠ざかっていく。立ち上がれない。

座ったまま空を見上げる。雲はない。陽が頭上を通り過ぎて、影が長くなった。

喉が渇いている。舌が厚く、唾を飲み込めない。

石器を膝の上に置く。誰かが拾うだろう。誰かが削り続けるだろう。

風が頬を撫でていく。目を閉じる。

開かない。

第二の星

大地の裂け目は深くなり、地下水脈が干上がった。南の谷では最後の池に二十の集団が集まり、互いを見つめ合っている。槍を握る手が震えている。

遠い草原で、別の種族が骨を齧っている。彼らの目は飢えて光り、人の匂いを追い始めた。

西の森では老いた木々が根を上げ、倒れる音が谷間に響いている。

与えるもの

風向きが変わった。

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伝播:DISTORTED 人口:1,454
与えるものの観察:削りかけで終わった。
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第115話

紀元前299,435年

第二の星

寒が深まっていた。

北の山並みから氷の風が吹き下ろし、谷間に流れ込む。川は岸から凍り始め、魚が水面近くで口を開いている。獣たちは毛を厚くし、巣穴の奥へと姿を消していく。

この星の表面が変わろうとしていた。

大陸の果て、誰も足を向けない土地で氷が積み重なっている。白い塊が押し寄せ、森を呑み込み、平原を覆っていく。動きは緩やかだが止まることがない。山が削られ、谷が埋められ、川の流れが変わっていく。

始まりの大地にも影響が及んでいた。

季節の境目が曖昧になった。温かな時が短く、冷える時が長い。植物の実り方も変わった。いつもの場所に生えていた草が枯れ、別の種類が芽を出している。動物たちの行動も読みにくくなった。群れの移動の時期がずれ、狩りの成功が減っている。

集団同士の接触が増えていた。

食べ物を求めて移動する範囲が重なり合う。川沿いの平地、実のなる木の周り、洞穴の入口。限られた場所を巡って緊張が高まっている。遠くから煙が見える回数も多くなった。知らない足跡が残されている。

夜の闇で音が響く。

叫び声、石の砕ける音、足音。朝になると血の匂いが風に混じっている。誰かが倒れ、誰かが傷つき、誰かが逃げていく。勝った者たちは戦利品を持ち去り、負けた者たちは散り散りになって姿を消す。

変化は加速していた。

小さな争いが大きな争いを生み、勢力の境界線が日々動いている。強い者がより強くなり、弱い者はより弱くなっていく。技術を持つ集団、武器を作れる者、戦いに長けた者たちが優位に立っている。

石を削る技術も変わりつつあった。刃を作るだけでなく、突く道具、投げる道具、身を守る道具へと発展している。骨や木を組み合わせる知恵も生まれている。火を使いこなす集団とそうでない集団の差も広がっていく。

氷の時代が始まろうとしていた。この星は新しい姿へと変貌し、そこに住む者たちの運命も一緒に変わっていく。

与えるもの

糸が繋がった。

温もりが草の根元に落ちた。この者の目がそこへ向いた。小さな緑の芽が霜に包まれながらも伸びている。

この者は膝をつき、手のひらを草に近づけた。

なぜ生きているのだろう。

その者(35〜40歳)

集団から離れた場所にいた。

岩陰に身を寄せ、膝を抱えている。遠くで争いの音が聞こえるが、そちらを見ることはない。足元に小さな草が芽を出している。霜が降りても枯れない。

手を伸ばし、そっと触れた。

温もりがある。

伝播:NOISE 人口:1,424
与えるものの観察:小さなものが答えを持っている。
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第116話

紀元前299,430年

第二の星

氷の川が音を立てて割れた。北の斜面では雪崩が谷を埋め、南の窪地では最後の緑が枯れ落ちた。獣の足跡が途切れ途切れに雪原を横切り、やがて見えなくなる。

洞窟の奥で火が揺れている。煙が天井を這い、外へと逃れていく。皮を重ねた寝床で子が生まれ、別の寝床で老いた者が息を引き取った。女たちは死んだ子を岩の隙間に押し込み、石で塞いだ。

遠い谷間では別の集団が移動を始めていた。荷を背負い、子を抱え、足跡を雪に残しながら南へ向かう。彼らの言葉は身振りと短い音。「寒」「逃げ」「死」を表す動作が繰り返される。

凍った沼の向こうで、旧人の一群が魚を突いていた。彼らの体は太く、毛深く、寒さに慣れている。人の集団とは距離を置きながら、同じ獲物を追う。時に石を投げ合い、時に獲物を分け合う。境界は曖昧だった。

崖の上では鳥が死んでいる。羽根が風に舞い、骨が雪に埋もれていく。春の匂いはまだ遠い。

与えるもの

足音が氷を踏む音に混じった。踏みしめる度に響く、別の足音。

その者は立ち止まった。振り返った。誰もいない。

また歩いた。また足音が重なった。

これは何だろう、と与えるものは思った。

その者

雪が膝まで積もった日、その者は洞窟を出た。

集団の者たちは奥で火を囲んでいる。獲物の分け前は少ない。その者に回ってくる肉は骨についた僅かな部分だけ。それでも腹は鳴る。

足を雪に沈めて歩いた。一歩ごとに沈み、足を抜くのに力がいる。息が白く吐かれ、すぐに消える。

川の氷に近づいた。表面は厚く凍り、下を水が流れる音が聞こえる。魚がいるかもしれない。石で叩いてみた。氷は割れない。また叩いた。手が痺れた。

振り返ると、雪に足跡が続いている。自分の足跡。その隣に、別の足跡があった。

見上げた。誰もいない。

足跡に手を当てた。大きさは自分のものと同じ。深さも同じ。でも形が少し違う。指の跡が不鮮明で、踵の部分が浅い。

立ち上がって歩いた。振り返ると、また足跡が増えていた。自分のものと、もう一つ。

風が吹いた。雪が舞い上がり、足跡の一部を埋めた。でも完全には消えない。

その者は歩き続けた。足跡も続いた。

洞窟に戻る頃、雪が降り始めていた。足跡は全て埋まった。

でもその者は覚えていた。誰かが一緒に歩いていたことを。

伝播:DISTORTED 人口:1,400
与えるものの観察:足跡が語るものがある
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第117話

紀元前299,425年

その者(45〜49歳)

その者は洞窟の奥で膝を抱えていた。咳が止まらない。血の味が口に広がる。外では風が石を叩いている。

四日前から食べていない。水を飲もうとして倒れた。起き上がれなくなった。

仲間たちは別の洞窟へ移った。その者だけが残された。誰も振り返らなかった。そういうものだった。

岩壁に手をついて立とうとする。足に力が入らない。また座り込んだ。息が浅い。

火は二日前に消えた。灰が冷たい。その者は手を伸ばし、灰をつかんだ。指の間からこぼれていく。

外の風音が遠くなる。洞窟の奥が静かになった。

その者の目がゆっくりと閉じた。

第二の星

氷河の縁で母親が子を産んでいた。産声が谷に響く。血が雪を赤く染めた。

別の場所では老いた者が石を削っていた。刃が欠けた。また削る。手が震えている。

南の森では獣が倒れていた。矢が脇腹に刺さったまま。誰も取りに来ない。風が毛を撫でていく。

与えるもの

糸は別の誰かへ向かった。

伝播:NOISE 人口:1,370
与えるものの観察:問いに答えを持たないまま、また始まる。
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第118話

紀元前299,420年

第二の星

この五年の間に、始まりの大地では二十三の集団が消え、十七の新しい集団が生まれた。南の谷では、青い石を削る者たちが増え続けていた。北の台地では、旧人たちが最後の洞窟を明け渡し、より高い山へと去っていく。

水場を巡る争いが激しくなった。三つの集団が同じ川を奪い合い、石を投げ、棒で殴り合った。勝った者たちは水を飲み、負けた者たちは渇いた土を舐めた。

東の森では、新しい病が広がっている。咳をする者が現れると、周りの者たちは距離を置いた。病んだ者は一人で森の奥へ歩いていく。戻ってくる者は少ない。

西の崖の上で、一人の女が子を産んだ。産声が風に混じって消える。その時、遠い南では別の女が血を流して倒れた。生と死が同じ瞬間に起きる。

火を絶やさない集団と、火を恐れる集団がいる。石器の形も変わり続けている。鋭いものを作る者、丸いものを作る者、何も作らない者。それぞれが生きている。

与えるもの

糸が繋がった。

影が水面に映った。その者は手を伸ばした。

水に映った自分の顔を見つめている。なぜこれほど長く見続けるのだろうか。

その者(25〜30歳)

川の縁で膝をついている。水が流れる音。手のひらで水をすくう。冷たい。口に含む。

水面に顔が映る。目が二つ。鼻が一つ。口が一つ。いつものように見える。だが今日は違う。何かが違う。

長い間、その顔を見つめている。水が手の隙間から落ちる。また水をすくう。また見る。

顔の輪郭が揺れる。波紋が広がる。魚が跳ねたのかもしれない。風が吹いたのかもしれない。

立ち上がる。足音が石を踏む。振り返る。水面がまた静かになる。顔がまた映る。

歩き始める。数歩で止まる。また振り返る。水面を見る。同じ顔がある。

集団の方へ向かう。火の煙が見える。誰かが肉を焼いている匂い。腹が鳴る。

だが足が重い。何度も振り返る。川の音が遠くなる。水面に映った顔のことを考えている。

なぜあの顔を見続けたのか。いつもと同じ顔だった。だが何かが違った。何が違ったのか。

分からない。分からないが、忘れられない。

伝播:NOISE 人口:1,340
与えるものの観察:映った顔に何かを見た
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第119話

紀元前299,415年

その者

石が手の中で重い。削る。また削る。刃が欠ける。

三日前から食べ物がない。昨日は水だけ。今日は何も。

集団の者たちが遠くへ行った。食べ物を探しに。その者は歩けない。足が腫れている。座ったまま石を削る。削り続ける。

陽が傾く。誰も帰らない。

石器が完成した。美しい刃。誰も見ない。誰も使わない。膝の上に置く。

夜が来る。寒い。火はない。薪もない。その者は石器を握る。温かくない。

朝が来ない。

その者の手から石器が落ちる。音がしない。草の上だから。

息が浅くなる。浅くなる。

風が吹く。その者の髪を撫でる。

そして静寂。

第二の星

南の谷では青い石を削る者が新しい技を覚えた。北の台地では旧人の最後の一群が山の向こうへ消えた。東の森では子が生まれ、母が初めて笑った。西の川では三つの集団が石を投げ合い、血が流れた。海の見える崖では若い者が鳥の飛び方を真似て踊った。

多くの命が息づき、そのうちの一つが静かに終わった。

与えるもの

繋がりが別の誰かへ向かった。

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伝播:HERESY 人口:1,253
与えるものの観察:同じように渡し、同じように届かない。
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第120話

紀元前299,410年

第二の星

谷底で青い鳥が羽を広げた。地面に落ちたまま、もう飛ばない。

東の尾根では八人が石を削っている。刃を作る音が響く。子どもたちは近づけない。火の番をする年寄りが一人、煙の中で咳をしている。

西の川べりで二十三人が魚を追う。網はない。手で掴む。逃げる魚。滑る石。水が冷たい。誰かが転んだ。笑い声。

南の洞窟では十一人が眠っている。外で雨が降り始めた。水滴が岩を叩く音。夢を見る者。寝返りを打つ者。

北の高台で見張りが立っている。遠くに煙が見える。自分たちのものではない煙。三日前からそこにある。近づいてくる。

崖の上で石が崩れた。誰も見ていない。音だけが谷に響いた。

与えるもの

糸が繋がった。

風が草を揺らした。その向こうで何かが動いた。この者の目がそこに向いた。

小さな跳ねる影。この者は立ち止まった。じっと見つめた。

影は消えた。この者は歩き続けた。でもあの跳ね方が頭に残った。

なぜあんな風に跳んだのだろう。

その者

高い岩の上に座っている。膝を抱えて。風が頬を撫でていく。

遠くの煙が太くなった。昨日より太い。近づいている。

立ち上がる。下の洞窟に向かって声を出す。低く。長く。警告の音。

仲間たちが顔を上げる。煙の方を見る。石を持つ者。子を抱く者。火を守る者。

また岩の上に座る。見続ける。

足元で小さなものが跳んだ。虫だった。草から草へ。軽やか。止まらない。あんな風に動けたら。

手を伸ばす。虫は跳んで逃げた。でもその跳ね方。頭から離れない。

夜が来た。交代の時間。下に降りる。

洞窟の奥で眠る。夢の中でも何かが跳んでいた。草の間を。石の上を。水の向こうを。

朝。また岩の上。煙はさらに近い。

今日は仲間の一人が隣に来た。一緒に見る。指差す。うなずく。

昼。虫がまた現れた。今度は二匹。跳び方が違う。一匹は高く。一匹は遠く。

夕方。煙の下に影が見えた。歩くもの。数は分からない。でも確かに歩いている。

夜。眠れない。虫の跳ね方を思い出す。高く跳ぶ。遠く跳ぶ。逃げる時の跳び方。

明日。煙がもっと近くなる。

伝播:DISTORTED 人口:1,235
与えるものの観察:跳び方にも種類がある。