2033年、人類の旅

「紀元前293,885年〜紀元前293,765年」第1225話〜第1248話

Day 52 — 2026/05/24

読了時間 約61分

第1225話

紀元前293,885年

第二の星

乾いた台地の縁に沿って、草が倒れている。

風のせいではない。獣の群れが通った跡だ。蹄の形が赤土に残り、そこだけ色が濃い。雨が来る前の匂いが低く漂っている。台地の向こう、丘の稜線が霞んでいる。

集団は大きくなった。

かつて手を伸ばせば届く距離に全員がいた。今は火の数が増え、眠る場所が広がり、誰の子かわからない幼い声が夜に響く。食べるものはある。水場も近い。穏やかな季節が続いている。

しかし大きくなったものには、ひずみが生まれる。

二つの火の間に、見えない境界ができた。誰も決めたわけではない。気がついたら、そこを越えない者と越える者が分かれていた。食料の分配に、順番ができた。誰が先に手を伸ばすか。誰が黙って待つか。それは力の問題であり、生き残りの問題でもある。

旧人の群れが、台地の東から現れた。

背が低く、腕が長い。毛の色が違う。彼らは遠くで立ち止まり、こちらを見た。動かない。水場を見ている。水場を、見ている。

この集団の者たちは石を拾った。投げなかった。しかし拾った。

旧人は引き返した。

夜、火のそばで声が上がった。意味のある音と意味のない音が混ざり、誰かが地面を叩き、誰かが立ち上がった。子を抱える者は火から離れた場所で背を丸めていた。何かが決まった。何が決まったかは、朝になるまでわからない。

朝になった。集団の端にいた一人の若者が、いなかった。

昨夜、声が大きかった者だ。何かを叫び、何かを指さし、旧人の方角を向いて腕を振っていた者だ。

地面に血はなかった。足跡が、台地の縁に向かって続いていた。

縁の先は、断崖だ。

誰も追わなかった。誰も泣かなかった。火の番をしていた老いた女が、薪を一本くべた。それだけだ。集団は動き続けた。子を抱える者は乳を与え、石を握る者は石を磨き、水を汲む者は水を汲んだ。

台地の草がまた揺れた。今度は風だ。

東の空に雲が出始めた。雨が来る。雨が来れば水場が増える。水場が増えれば、また別の群れが来る。旧人だけではない。同じ形をした、別の集団が来ることもある。

集団の中の、あの境界線は今日も見えない。しかしそこにある。

知りすぎた者は消された。あるいは、追いやられた。

台地の縁に、足跡の続きはない。

与えるもの

この者の頬に、血の匂いが届いた。

台地の縁から風が吹いてきた夕刻、その匂いは若者の消えた方角からではなく、もっと近い場所から来た。母の腕の内側。細い傷。乾きかけている。

この者は鼻を寄せた。

吸い込んだ。もう一度吸い込んだ。母は気にしていない。

血の匂いと、皮膚の匂いと、土の匂いが混ざっている場所があることを、この者の体は覚えた。

それで十分か、と与えるものは問わない。十分ではないかもしれない。しかし次に何かが倒れたとき、この者はその匂いの近くにいるだろう。その場所にいれば、渡せるものがある。

その者(6〜11歳)

母の腕にしがみついている。

足が地面についている。自分で立っている。しかし離れない。母が動けば一緒に動く。母が止まれば止まる。

夜、火が小さくなったとき、この者は母の腕の内側に顔を押しつけた。傷の縁が唇に触れた。舐めなかった。ただ、当てていた。

伝播:HERESY 人口:511
与えるものの観察:血の匂いを体が覚えた。次に使うかはわからない。
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第1226話

紀元前293,880年

第二の星

雨季が戻った。

台地の縁を越えた水が、低地に溜まっている。乾いた赤土が水を吸って、色を変えた。草が立ち直り、根が広がり、虫が戻ってきた。その虫を追って鳥が来て、鳥を追って獣が来た。

半島の南端に近い岩陰では、旧人の一群が火を囲んでいる。彼らの顎は幅広く、眉の骨が張り出している。こちらの群れよりも少ない人数で、静かに座っている。火の管理の仕方が似ている。薪を足すときの間の取り方が、どちらも同じくらい慎重だ。

北の丘陵では、別の集団が獣の皮を引いて移動している。子どもが三人、革帯で大人に縛られている。転ばないためではなく、はぐれないためだ。

川の上流では水が濁っている。上流で何かが倒れた。腐敗が始まっている。それを知らず、下流の者たちが水を飲む。

この星は、すべてを同じ重さで照らす。

豊穣の匂いの中に、腐敗の種がある。集団は大きくなった。大きくなったものは、ぶつかりやすい。岩と岩のように、互いの重さで。

与えるもの

その者の鼻の先に、水面が揺れていた。

上流から小さな枝が流れてきて、止まった。枝の先に、腐りかけた果実がついている。甘い匂いと、腐敗の匂いが混ざっている。

その者は顔を近づけた。嗅いだ。それから、手を伸ばした。

食べなかった。

果実を岩に置いた。その者は岩を見ていた。果実を見ていた。岩を見ていた。

食べなかったことについて、与えるものは何も思わなかった。

ただ、次に渡すべきものが変わった。区別ができるなら、次は距離を渡す。近いものと遠いものの間に、判断というものがある。そこに光を落とせるかどうか。

その者(11〜16歳)

腕が伸びた。

水の冷たさが肘まで来た。枝を引いた。岸に置いた。

果実を嗅いだ。甘かった。嗅いだ。別の匂いがあった。また嗅いだ。

腹が鳴っていた。

それでも口には入れなかった。

なぜ入れなかったのか、その者には言葉がない。何かが止めた。鼻の奥が警告をしていた。その警告に名前はない。ただ、手が動かなかった。

果実を岩の上に置いた。しばらく見た。

集団の方向から声がした。大人の声だ。低く、短い。呼び声ではない。何かが起きている。

その者は立ち上がった。果実を見た。一度だけ見た。

走った。

岸辺に果実だけが残った。水面に影が映って、消えた。

伝播:SILENCE 人口:520
与えるものの観察:腐れと甘さの間で、手が止まった。
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第1227話

紀元前293,875年

第二の星とその者(16〜21歳)

台地の北側で、岩場がゆっくりと広がっていった。雨が岩の隙間に入り、凍えるほどではなく、しかし膨らむほどには冷え、細い亀裂を年ごとに広げた。その岩の下に、土が積もった。土に種が落ちた。誰も植えていない。風が運んだだけだ。

その者は16になっていた。

脚が長くなった。走ると息が切れる前に止まれるようになった。集団の端を歩くとき、前を行く者たちの背中の高さがわかるようになった。自分がどこにいるかを、背丈で測るようになった。

遠い湖沼地帯では、同じ季節に同じ草が実をつけた。三年続いた。根が深くなり、実が大きくなった。その草を食べる獣の腹が丸くなり、子が増えた。子が増えた獣を追って、集団が移動した。集団が集まれば、争いが起きた。争いが起きれば、どちらかが退いた。退いた集団は別の場所に行き、そこで根を張った。

その者の集団も、大きくなっていた。

火の番をする者が増えた。子を背負って歩く者が増えた。食い物をめぐる声が大きくなった。夜、眠る場所が足りなくなって、その者は岩の下で横になることが多くなった。雨が降っても屋根があった。しかし寒かった。

岩と岩の間に、細い草が生えていた。

风がその草を揺らした。草の先が、その者の手の甲をかすった。

その者は手を引かなかった。

草を見た。触った。根元に指を差し込んだ。土が柔らかかった。引いたら抜けた。根が長かった。根の先に、丸い塊がついていた。

嗅いだ。土の匂い。もう少し嗅いだ。別の何かがあった。

その者は塊を口に入れなかった。持ったまま、しばらく岩の上に座っていた。

台地の南端では、旧い者たちが岩の陰で火を持っていた。彼らの火は小さく、煙が少なかった。新しい者たちの火は大きく、遠くから見えた。どちらの火も夜に光った。その光が同じ岩に映った。岩は覚えていない。映しただけだ。

その者は17になった。

塊を岩に叩きつけた。割れた。中が白かった。舐めた。甘くはなかった。苦くもなかった。水のような味がした。

飲み込んだ。

腹は痛くならなかった。

次の日も、岩の下にいった。草があった。また抜いた。また食べた。三日続いた。四日目、草がなかった。それだけだ。

集団が移動した。水場が変わった。

その者の足が新しい土を踏んだ。そこに別の草があった。葉が違った。根が細かった。嗅いだ。違う匂いだった。食べなかった。正しかったかどうかは、わからない。

北の平原では、別の集団が岩の陰に壁画を描いていた。指に赤い土を塗り、岩に押しつけた。手の形が残った。誰かが来て見た。手の形を触った。何かを言った。言葉はなかった。声だけがあった。

その者が19になった年、集団の中で何かが変わった。

年長の者が、その者を指した。

声の調子が違った。怒りではなく、警戒だった。その者が何かをするたびに、視線が集まるようになった。草を抜いても。水場で違う方向を向いても。一人で岩の陰に入っても。

その者には理由がわからなかった。

20になった。

ある夜、眠れなかった。火から離れて座っていた。草の匂いがした。遠くで何かが鳴いた。その声が消えて、しばらくして、別の声が来た。集団の中から。

手が来た。

両側から。

その者は声を出した。しかし誰も返さなかった。

引かれた。台地の端まで連れていかれた。

崖ではなかった。しかし斜面だった。草が深かった。

押された。

転がった。止まった。上を見たとき、集団の者たちはいなかった。暗くて、顔も見えなかった。声もしなかった。

その者は草の中で横になっていた。

夜が深かった。

草の匂いがした。土の匂いがした。何かが動く音がした。遠かった。

その者は立ち上がろうとした。膝が草に沈んだ。もう一度立った。立てた。

どこに行けばいいか、わからなかった。

暗い中で、一方の方向だけ、風が来た。

その者は風のある方に歩いた。

朝になった。

集団はいなかった。

与えるもの

草の根に光を落とした。

この者は嗅いだ。食べた。三日、戻ってきた。

排除されるまでに、何かを覚えた。覚えたものを、この者は持ったまま歩いている。どこに行くか、渡したものが役に立つかどうか、まだわからない。次に渡すのは、水の見つけ方だ。

伝播:HERESY 人口:642
与えるものの観察:草の根を嗅ぎ、食べ、三日戻った
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第1228話

紀元前293,870年

その者(21〜26歳)

腹に何かがいる。

それは分かっていた。腹が膨らんで、夜に蹴られて、朝に重かった。母のそばで、叔母のそばで、それは知っているものだった。

しかし出てくるときは違った。

波が来るたびに、体が折れた。岩に爪を立てた。叔母が脚を押さえ、年老いた女が喉の奥から何かを唸った。叫んではいけないと、誰かが教えたわけではなかったが、その者は叫ばなかった。岩を握った。岩が熱かった。

出た。

濡れた小さなものが出た。女が受け取った。拭いた。声が上がった。小さく、高く。

その者は息をした。

腹がまだ痛んだ。しかし違う種類の痛さだった。

女が小さなものを近づけた。その者は受け取り方を知らなかった。腕に乗せた。重さがあった。温かかった。小さな拳が、動いた。

翌日、その者は動けなかった。横になって、台地の上の空を見た。空は青く、雲が一方向にゆっくり動いていた。

小さなものが泣いた。

その者は乳を与えた。飲んだ。静かになった。

夜、集団の北のほうで声がした。怒鳴る声と、誰かが走る音。その者には見えなかった。起き上がれなかった。声はやがて消えた。

翌朝、男が一人戻ってこなかった。

誰も説明しなかった。その者も聞かなかった。ただ、その男の場所に別の男が寝ていた。

小さなものが動いた。指が、その者の指を握った。

その者はその指を見た。長く見た。

季節が変わった。小さなものが首を持ち上げた。小さなものが地面を這い始めた。小さなものが立った。小さなものが転んで、泣いて、また立った。

その者は皮をなめした。肉を焼いた。水を汲んだ。小さなものを抱えて歩いた。

集団の北側に別の集団が現れた。色の違う者たちで、背が低く、額が張り出していた。遠くにいた。近づかなかった。

集団の男たちが石を並べた。境を作るように。

その者には分からなかった。ただ、その石の列の向こうには行かないようにしていた。

小さなものが石の列に近づいたとき、その者は走って引き戻した。理由は言えなかった。言葉がなかった。ただ引き戻した。

小さなものは泣いた。その者は放さなかった。

ある夜、雷が鳴った。

小さなものが恐怖で体を硬くした。その者は胸に抱き込んだ。皮をかぶせた。声を出さなかった。ただ揺れた。小刻みに、繰り返し。

雷が何度も落ちた。遠く、草が燃えた。橙色が空に映った。

その者は揺れ続けた。

小さなものが眠った。

その者は眠れなかった。橙色の空を見ながら、小さなものの背を手のひらで覆った。呼吸を感じていた。

第二の星

台地の上、草が揺れている。

この5年で、集団は増えた。産まれた者の数が死んだ者を上回り、動ける体の数が増え、狩りに出る人数が増え、火を維持する当番が増えた。豊穣は続いていた。雨は来るべき季節に来て、草は育ち、獣は太っていた。

しかし台地の北側に変化があった。

別の種類の者たちが現れた。額の突き出た、短い脚の者たち。彼らはずっとこの台地にいたが、集団の領域に接近する距離が縮まっていた。押し出されたのか、追ってきたのか、この星には分からない。ただ、彼らもここで生きていた。

集団の男たちが石を並べた。意図があったかどうかは分からない。しかし翌朝、その石の列を誰も越えなかった。

北側で一人が消えた夜があった。

別の夜には、遠くで火が見えた。草原が燃え、橙色が空の裂け目のように広がり、風が変わり、煙が台地の端まで届いた。

子が生まれ続けていた。

その子たちは皮をなめす手つきを見て育ち、石を割る音を聞いて育ち、恐怖で体が硬くなる夜を知りながら育った。

何かが積み重なっていた。

それが何であるかを、この星は言わない。ただ台地の上の草は揺れ続け、雲は北から南へ流れていた。

与えるもの

産声が上がった瞬間、炎の匂いを風に乗せた。

その者は嗅いだかもしれない。嗅がなかったかもしれない。波に揺られていた。

腕の中に重さがあった。

それで足りる夜がある。それで何もかも届かない夜もある。

渡せたかどうかを、この者には確かめる術がない。ただ、産声は聞こえた。小さなものが息をしていた。

もう少し先に渡すものがある気がした。まだ形になっていない。炎でも、石でも、草でもない。

別のものだ。

伝播:NOISE 人口:648
与えるものの観察:腕の中の重さが、夜の境になった
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第1229話

紀元前293,865年

第二の星

乾いた季節が終わった。

大地の南、赤茶けた丘陵の斜面に、草がひとたび戻れば獣も戻る。獣が戻れば集団は太り、子を産み、声が増える。この5年でその者の集団は小さな峡谷の岸辺に根を張り、人の数は増えた。増えすぎた、とも言える。

同じ峡谷の向こう岸に、体格の大きな別の者たちがいる。額が張り出し、首が太い。声は低く、言葉の形をしていない。彼らもまた干ばつを越えてきた。彼らもまた腹を空かせてきた。今は同じ水場を使っている。

水場での接触は、まだ暴力に至っていない。しかし夜に向こう岸の焚火を見る目に、昼間とは別の光がある。

北の草原では、旧人の一群が移動していた。彼らは季節ごとに同じ経路をたどり、同じ場所で眠る。今年も同じ丘を越え、同じ川を渡った。彼らの数は前の年より少ない。老いた者が2人、川を渡りきれなかった。流れに入り、途中で座り込み、岸には戻らなかった。

川は続いている。

峡谷では、子が生まれていた。

与えるもの

渡したもの:小さな拳のことを、まだ覚えている。

今は、声に注意を向けさせた。

向こう岸の焚火が揺れた夜、その者の耳に近いところで、一匹の虫が鳴いた。一匹だけ。それから止んだ。

その者は顔を上げなかった。

声は届いたか、届かなかったか。虫一匹の鳴き声と、焚火の揺れと、その者の耳と。次に渡すとすれば、音ではなく、もっと皮膚に近いものかもしれない。

その者(26〜31歳)

腹は元に戻っていた。

出てきた子は、最初の冬を越した。越えた、とはどういうことか分からないが、春が来たとき子はまだ鳴いていた。叔母が抱き、母が見ていた。その者は遠くからそれを見た。

抱かれる者は、抱く者のそばにいる。それがこの者の在り方だった。

水場へ行くときは叔母についていく。食べるときは母の隣に座る。夜は集団の内側で丸くなり、火の方を向く。子は別の女の腕の中にいることが多かった。その者の乳は出すぎた。服に滲んだ。重かった。

向こう岸に大きな者たちがいることは知っていた。においで分かっていた。水場の岩のへりに残った脂のにおい、ぬめりのある足跡、向こう岸の煙の色。その者は水を飲む前にそれを嗅いだ。

嗅いで、飲んだ。

飲んで、戻った。

夜、焚火のそばで虫が鳴いた。その者は聞かなかった。子が鳴いていた。子の声の方を向いた。叔母が揺らしていた。揺れが止むと鳴き声も止んだ。

その者は火を見た。

火の向こうに向こう岸の火がある。色が違う。薪が違うのか、燃やすものが違うのか、そういうことは分からない。ただ色が違った。

翌朝、集団の男のひとりが岸辺で別の者たちと向かい合った。声を出した。相手も声を出した。互いの声は届いたが、形は違った。

男は石を見せた。

相手は自分の手を見せた。

どちらも動かなかった。

長い時間がたって、相手が水場に近づいた。男は横に避けた。相手は水を飲んで、戻った。

その者はそれを遠くから見ていた。

子が体の重さでぶら下がった。その者は子を抱え直した。腕の中で子は温かった。水場では誰も死ななかった。

夕方、風が変わった。北から来た。草の燃えるにおいがした。

その者は子の頭を手で覆った。理由はなかった。

伝播:HERESY 人口:625
与えるものの観察:虫の声は届かなかった。次は皮膚で渡す。
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第1230話

紀元前293,860年

その者(31〜34歳)

峡谷の岸辺に、灰が積もっていた。

山が鳴ったのは前の季節のことだ。大地が縦に裂け、裂け目から光が噴いた。光ではなく火だった。火ではなく、もっと古いものだった。煙が空を閉じ、太陽は布に包まれたように白くなり、温度が落ちた。熱を奪われた草が倒れ、倒れた草の上に獣の骨が残った。集団の中で多くが失われた。親が消え、子が消え、声の数が半分より少なくなった。

その者は残った。

残ったが、残ることに力を使い果たした。

その者は31歳の頃から、岸辺の平たい岩の上に横たわる時間が増えていた。誰かが傍に座った。誰かが離れた。その者はどちらも区別しなかった。

火が燃えている方向に顔を向けた。火の匂いがした。肉の焦げる匂いもした。腹は空いていた。空いていることが、以前ほど辛くなかった。

灰が、薄く、口の端に積もった。

舌で舐めた。苦かった。

32歳の頃、集団に赤子が生まれた。赤子の声は高く、岸壁に反響した。その者はその声の方向に首を動かした。動かして、また戻した。

赤子が泣き続けた夜、その者は暗闇の中で指を開いたり閉じたりした。何かを握っていた気がした。何も握っていなかった。

33歳になる頃、歩くことが難しくなった。

膝が曲がりにくかった。平地でも転んだ。転ぶと起き上がるまでに時間がかかった。誰かが腕を引いた。その者は引かれるままに立った。

その者は抱かれる者だった。生まれた時から、誰かの腕の中にいた。腕の中で泣き、腕の中で眠り、腕の中で食べ物を受け取った。抱く者にはなれなかった。それが欠けていたのか、それとも別の何かだったのか、その者は考える言葉を持たなかった。

灰はまだ降り続けた。降り方は細く、弱くなっていたが、止まっていなかった。

峡谷の水は茶色く濁り、飲むと腹が重くなった。集団の者たちは水場を変えた。その者は新しい水場まで歩けなかった。誰かが水を運んだ。土器ではなく、大きな葉を丸めたものに入れて。

水はこぼれながら届いた。

その者はこぼれた水を飲んだ。残った水も飲んだ。

34歳の秋、灰の降りが止まった日があった。

空が、久しぶりに青かった。青を見た。青という言葉はなかった。ただ、目が、その色の中に入っていった。

その者は岩の上で仰向けになっていた。空は動かなかった。雲が一片、横切った。

誰かが傍に座っていた。

膝の上に頭が置かれた。温かかった。

温度がそこにあった。温度がそこにあって、それ以外は何もなかった。

呼吸が浅くなった。浅くなったことに、その者は気づかなかった。気づかないまま、浅くなり続けた。

膝の上で、頭が少し重くなった。

傍に座っていた者は、その重さを感じて、動かなかった。

空は青いままだった。

第二の星

同じ頃、遠い北の草原で、二本足の別の群れが川に沿って移動していた。彼らの体は厚く、眉骨が張り出し、声は低かった。彼らも同じ灰を浴びていた。川が濁り、岸辺で死者が出た。残った者たちは川上へ歩いた。空が青くなった日、彼らの中の一人が立ち止まり、水面を見ていた。何かが映っていた。自分の顔だったかもしれない。

与えるもの

糸は、膝の上でその重さを受けていた者へ向かった。

伝播:DISTORTED 人口:394
与えるものの観察:温度だけが残った。名前もなく、問いもなく。
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第1231話

紀元前293,855年

第二の星

灰はまだ残っていた。

峡谷の南壁に沿って積もった白灰は、雨が降るたびに薄くなった。しかし完全には消えなかった。風が吹くたびに、乾いた層が舞い上がり、低木の葉の上に再び降り積もった。植物は灰の下で、ゆっくりと回復していた。根が先だった。葉は後だった。

集団は移動していた。

山が鳴る前に棲んでいた場所へは、もう戻れなかった。地面が変形していた。かつて平らだった場所が、今は片側に傾いていた。水場の位置が変わっていた。以前は低地に湧いていた水が、今は別の岩の割れ目から染み出ていた。誰かがそこを見つけた。偶然だった。

394の者たちは、新しい水場の周辺に集まっていた。

集団は大きかった。豊穣が続いていた季節の名残で、子が多く生まれ、その多くがまだ生きていた。しかし場所が変わった。食べ物の在り処が変わった。誰がどこで眠るかを巡って、声が荒くなることがあった。

旧人の集団がいた。

南東の丘の向こうに、別の集団が棲んでいた。ここ数年で距離が縮まっていた。互いに相手の火の煙を見ることがあった。煙を見て、近づかなかった。煙を見て、遠ざかった者もいた。しかし近づいた者もいた。

ある日、丘の向こうから三つの影が来た。

高くなかった。毛深かった。歩き方が少し違った。集団の中の誰かが声を上げた。石を持った者がいた。しかし石は投げられなかった。三つの影は止まった。手に何かを持っていた。果実だった。置いた。引いた。

翌日、また来た。

果実ではなかった。骨だった。折れた骨から髄が覗いていた。置いた。引いた。

その次の日は、来なかった。

集団の中に、排除される動きがあった。何かを知りすぎた者が、輪の外に押し出されるときの動きだった。声の向き方が変わった。眼の向き方が変わった。それはゆっくりと、しかし確実に、一人の者を周縁へ追いやっていた。

灰はまだ舞っていた。空が白かった。

与えるもの

糸が繋がった。

この者の皮膚の上に、光が落ちた。朝の光ではなかった。角度が違った。木の間から差し込む、細い筋だった。光はその者の手の甲の上で止まった。手の甲には、昨日誰かに引っかかれた傷があった。

光が傷の上に乗っていた。

その者は手を見た。傷を見た。傷の横にある、丘の向こうに置かれた骨の欠片を見た。誰かが拾ってきていた。その者はその骨を手に取った。

次に渡すべきものは、まだ決まっていない。この者が今、骨を何だと思っているのか。食べ物か。武器か。それとも別の何かか。渡した光は傷に落ちた。傷は骨と繋がった。この者がどこへ向かうかは、まだわからない。ただ、向かう先を見失うつもりはなかった。

その者(17〜22歳)

骨を持ったまま、立っていた。

集団の声が自分の方を向いていないとき、その者は輪の端にいた。骨を置いた。また拾った。傷のある手で握った。

火はまだ燃えていた。その者が昨夜積んだ薪が、まだ残っていた。

伝播:HERESY 人口:390
与えるものの観察:傷に光を落とした。骨と繋がったかもしれない。
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第1232話

紀元前293,850年

第二の星

乾季が終わった。

峡谷の南側では、低木が新芽を出していた。灰に覆われた土の中から、細い茎が押し上がってくる。根は生きていた。雨が降るたびに、少しずつ。

北に離れた平原では、背の高い草が揺れていた。そこに別の群れがいた。この者たちとは声も仕草も少し違う。顔の形も、やや違った。額の出方、眉骨の厚さ。しかし同じように火を囲み、同じように子を抱いていた。昨年の乾季を、彼らも越えた。

川の中流域に沿って、三つの集団が点在していた。それぞれが食料を知っていた。それぞれが水場を知っていた。重なる区域があった。そこに踏み込んだ者は、戻らないことがあった。戻っても傷を持って戻った。

この星はそれを見ていた。誰が正しいかを問わなかった。川は流れた。草は伸びた。夜が来て、昼が来た。

集団の中に子が増えた。走り回る足音が、岩場に響いた。老いた者の歩みが、遅くなった。入れ替わりは続いていた。

どこかで鳥が鳴いた。この星の上で、命は数えきれなかった。

与えるもの

火の匂いが変わった。

湿った木から乾いた木へ。煙の質が変わる瞬間に、温度が上がる場所がある。その熱がこの者の手の甲に触れた。

この者は手を引かなかった。

近づいた。

火はそれほど賢くないのに、なぜこの者はそこに手を近づけたのか。恐れがなかったのか。慣れたのか。それとも渡したものが、恐れよりも先に動かしたのか。

次に渡すべきものがある。火ではない。火の後に残るものだ。

その者(22〜27歳)

子が四人になった。

二人は生きていた。

火の番をしながら、その者は小さい方の子を腿の上に乗せていた。子は眠っていた。重かった。その重さが、腿に沈んでいた。

乾いた枝を足した。煙が白くなり、すぐに透明になった。炎が伸びた。熱が顔の右半分に当たった。

その者は手の甲を炎に近づけた。近づけすぎる手前で止めた。毛が焦げた。引いた。また近づけた。

何を確かめていたのか、この者自身にはわからなかった。ただ手が動いた。

子が寝返りを打った。その者は腿を動かして、子が落ちないように支えた。

遠くで、声がした。争いの声か、呼びかけの声か、判別できなかった。その者は立ち上がらなかった。火を見ていた。

炭になりかけた枝の端が、橙色に光っていた。その色を、この者はじっと見た。

瞬きをしなかった。

炭の端が崩れた。灰が落ちた。光は消えた。

その者は目を上げた。空は暗かった。星が出ていた。子が、また重くなった。

伝播:NOISE 人口:401
与えるものの観察:手が止まった場所を、この者は覚えているか。
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第1233話

紀元前293,845年

第二の星

乾季が終わって最初の雨が降り終えた。

峡谷の南斜面では、低木の枝が重く垂れるほど葉を茂らせている。岩の割れ目から滲み出した水が、砂地に細い筋を引く。獣の足跡が水辺に集まり、重なり合い、泥をかき乱している。

遠く、大陸の東端に近い乾燥した台地では、別の群れが岩陰に沿って移動していた。旧人の集団だった。肩幅が広く、額が低い。手に持つ石器は厚く、縁が荒い。彼らはこの雨季を前の年と同じ谷で過ごそうとしていたが、谷には別の者たちの煙が上がっていた。彼らは立ち止まり、互いの顔を見た。引き返した。どちらも声を上げなかった。

北の湿地では、水鳥が大量に繁殖していた。葦の茂みの中に巣が幾重にも重なっている。卵の数は去年の倍だった。誰もそこには住んでいなかった。水が深すぎた。

峡谷の集団では、子どもの数が増えていた。去年の飢饉で死んだ者の穴を埋めるように、新しい命が続いた。食べ物は戻っていた。しかし、食べ物が戻ったとき、争う者も戻る。誰がより多くを持つか。誰が火の近くに座るか。声の大きい者と、黙っている者の間に、目に見えない境界線が引かれていく。

その者は火の傍に座っていた。

与えるもの

煙の匂いが変わった瞬間があった。

乾いた木が燃えるときの匂いではなく、樹液を含んだ枝が燃えるときの、甘く重い匂い。その煙がその者の顔の前を横切るように流れた。

その者は顔を上げた。

匂いが漂ってきた方向の先に、集団の外れに立っている者がいた。古くから一緒にいる者ではない。最近来た者。声が大きく、食料の分配のたびに手を先に出す者。

その者が顔を上げて、その方向を見た。見た。そして、また火に目を戻した。

渡せた、とは言えない。気づいたのか、気づかなかったのか、その境界がわからない。ただ次に渡すべきものがある。近づいてくるものの足音は、この者にはまだ聞こえていない。聞こえるようにできるか、わからない。しかし渡す。

その者(27〜32歳)

火が弱くなると、その者は枝を足した。

機械的な動作だった。炎の色を見る。橙が薄くなれば足す。白くなれば離す。十年近く繰り返してきたことを、体が先に知っていた。

隣に小さな子が三人、体を寄せ合って眠っていた。最も小さい子の息が、少しだけ速かった。その者は耳を傾けた。速い。しかし浅くはない。ただ速い。しばらく聞いていた。息は変わらなかった。その者は枝を一本、また火に加えた。

夜の中で、集団の外れから笑い声が聞こえた。

低い、男の笑い声だった。最近来た男の声だとわかった。その声が何かを言うたびに、周りから別の笑い声が続いた。その者は火の向こうを見た。炎の光が届かない場所で、何人かが集まっていた。顔は見えなかった。声だけが来た。

笑い声の中に、自分の名前に似た音があった気がした。

その者は枝を持ったまま、止まった。聞いた。もう一度、似た音が来た。笑い声が続いた。

その者は枝を火に押し込んだ。炎が一瞬高くなり、また落ちた。

眠っている子のうちの一人が、寝返りを打った。その者は手のひらをその子の背中に当てた。暖かかった。背中の上で、小さな肺が上下した。上下した。上下した。

笑い声が遠ざかった。

その者は火を見続けた。集団の外れに立っている者のことを考えた。考えた、というよりも、顔が浮かんだ。顔が浮かんで、消えなかった。

煙が目に入った。その者は顔をそらした。涙が一筋、頬を伝った。煙のせいだった。

朝まで火は消えなかった。

伝播:HERESY 人口:397
与えるものの観察:名前を呼ばれた気がした。その者は消えなかった。
───
第1234話

紀元前293,840年

その者

子が泣いていた。

泣き声は高く、短く、切れていた。喉の奥が詰まったような音だった。その者は火から目を離さず、右耳だけそちらに向けた。

泣き声が続く。

振り返った。岩棚の下、土の上に座り込んでいた小さな子が、両手で耳を塞いでいた。何かを聞いたのだろう。その者には聞こえなかった。風が止んでいた。

その者は火に枝を足した。立ち上がった。

岩棚まで三歩。しゃがんで、小さな子の背中に手を当てた。子は身をすくめたが逃げなかった。体の温度だけが伝わってきた。熱くも冷たくもなかった。

遠くで何かが動く気配があった。

その者は子の背から手を離さずに、首だけ巡らせた。木立の向こう、低い茂みが揺れていた。獣かもしれなかった。人かもしれなかった。その者には区別がつかなかった。区別がつかないとき、体は同じように動く。腰を落とす。息を浅くする。目を細める。

茂みは止まった。

しばらく、その者は動かなかった。子も動かなかった。

声が来た。遠くから。集団の方角から、低い男の声が続けざまに出た。怒りを含んでいた。次にもっと低い声が返した。二つの声が重なり、やがて片方が途切れた。

その者は立ち上がった。子の頭に手を置いた。短く何かを言った。「ここ」に近い音だった。子は手の重さを受け取った。

その者は集団の方へ歩いた。

岩の陰から先に進むと、地面が広くなっていた。日当たりのいい場所だった。雨上がりの草が足の裏に当たる。泥の湿り気が爪先から踵へ伝わる。

二人の男が対峙していた。

一人は若かった。肩の幅が広く、傷のある男だった。両腕を体の両脇に垂らしていた。指が開いていた。もう一人は年老いていた。その者より二回りは年上の、腰が少し曲がった男だった。手に骨があった。白く、長い。獣の腿骨だった。

腿骨は武器ではなかった。食べ終わった残りだった。しかしその者の目には、それが武器に見えた。体がそう判断した。

その者は二人の間に入った。

意図したわけではなかった。気づいたら立っていた。

若い男が目を向けた。年老いた男が目を向けた。二つの視線が交差した先に、その者が立っていた。

その者は何も言わなかった。手も上げなかった。

ただ、そこに立っていた。

時間が、少しの間、止まったような気がした。

若い男が一歩下がった。年老いた男の肩が落ちた。骨が地面に落ちた。音がした。

それだけだった。

二人は別の方向へ歩いていった。その者はしばらくその場に立っていた。骨が落ちている。泥の上に、白い。

帰りがけ、子の元に戻った。子はまだ耳を塞いでいた。今度は声が聞こえているのか、声は出していなかった。その者はその傍らに座った。火の方を見た。

火は消えていた。

その者は立ち上がった。急いで戻った。炭はまだ赤かった。息を吹き込んだ。枯れた細い枝を重ねた。煙が上がり、それから小さな炎が出た。

手の震えに、その者は気づかなかった。

第二の星

雨季が終わってから四度目の満月が満ちていた。

始まりの大地の南部、峡谷と台地の境目には、三つの群れが集まって暮らしていた。水場を共有していた。食べ物が豊かなうちは、それで足りた。豊かさが続くほど、体の数が増えた。体の数が増えるほど、水場は少しずつ狭くなった。

峡谷の北では、旧人の足跡がある。土が硬く、足の形が浅い。彼らは峡谷の縁を使う。水を求めて降りてくることがある。互いに近づかなかった。遠くから見ていた。それで今のところは終わっていた。

台地の東で、男が一人、朝に出て行ったまま戻らなかった。誰かが探したかもしれない。誰も探さなかったかもしれない。台地の向こうに乾いた風が吹いていた。

豊かな季節は長くは続かない。この星はそれを知っている。草が伸び、獣が集まり、子が増え、声が増え、声が重なり、声が割れる。割れた先に何があるかを、ここで生きる者たちはまだ知らない。

知らなくても体は動く。腰を落とし、息を浅くし、あいだに立つ。

それが何を意味するかを問う言葉は、まだどこにもない。

与えるもの

骨が地面に落ちた瞬間、音の中に空白があった。

その空白をこの者は使った。体が動いた。言葉でも意図でもなく。

骨の落ちた場所の土が湿っていた。その湿り気に、この者の足が沈んだ。重さが地面に伝わった。地面はそれを受け取った。

これを渡した、と言えるかどうか、わからない。湿り気は渡していない。音は渡していない。空白を渡したのかもしれない。

空白の次に何を渡せるか。まだわからない。しかし次がある、とこの者の背中を見て思った。火を消したことに気づいて走り戻る、その背中に。

伝播:DISTORTED 人口:405
与えるものの観察:空白に体が動いた。次を渡す意志だけがある。
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第1235話

紀元前293,835年

第二の星

始まりの大地の東に、長い台地が続いている。赤みを帯びた土が乾いて割れ、その隙間に細い草がまだ生きていた。台地の縁から見下ろせば、低地に川が光っている。雨季の名残だ。水は多く、実も多く、獣も多かった。集団は大きくなり、夜の焚火が二つ、三つに増えていた。

そこに、見えないものが来た。

最初に倒れたのは子だった。腹が膨らんでいた。皮膚が黄みを帯びていた。母親が声を上げたが、何日も経たないうちに子は動かなくなった。次の日、別の子が同じように腹を押さえて地に座り込んだ。その母親も翌朝には起き上がれなかった。

川の水だったのか、獣の肉だったのか、誰にもわからなかった。わかることがなかった。ただ次々と、体が熱くなり、口から何かが出て、そのまま戻らなかった。強い者も倒れた。若い者も倒れた。走れた者が、三日後には地を這っていた。

火の周りから人が減っていった。

声を立てる者もいた。倒れた者の傍らで、揺さぶっている者がいた。しかし揺さぶられた体は答えなかった。揺さぶっていた者が次の日に同じ場所に横たわっていた。誰かがそこから離れた。離れることしかできなかった。

集団のおよそ五人に一人が消えた。

死んだ者の残したものを誰も触らなかった。皮も、骨の器も、削り途中の石も、そのまま置かれた。触れればどうなるか、言葉で説明できなくとも、体が知っていた。死の匂いが染みついたものには近づかなかった。

生き残った者たちは間隔を空けて座っていた。

火は燃え続けていた。火は何も知らない顔で燃えていた。川は光っていた。台地の草は風に揺れていた。大地は何も変えなかった。人が減っても、朝は来た。

東の台地の、さらに遠く。

同じ頃、砂と岩が広がる乾いた平原に、別の群れがいた。ここにも水場があり、数十の命が火を囲んでいた。彼らは始まりの大地の集団とは声が届かない距離にいた。互いを知らなかった。しかしここにも同じ見えないものが来たかどうか、この星だけが知っている。彼らの火も、夜に光っていた。朝になれば誰かが動き、誰かが動かなかった。それだけのことが、広い大地の上で、同時に起きていた。

与えるもの

その者の右手の甲の上に、光が細く落ちた。木の葉の間から漏れた光ではなく、空の隙間から落ちてきた、真っ直ぐな筋だった。

その者はその手を見た。見てから、焚火のほうに顔を戻した。

渡そうとしたのは手の甲ではなかった。光が落ちた方向の、少し先にある水場だった。昨日と違う匂いがした。獣の死骸が上流で腐っていることを、この者はまだ知らない。

光を受け取らなかった。それでよかったのか。よかったとは思わない。しかし次に渡せるものがあるとすれば、光ではなく、鼻だ。匂いを嗅ぐ、その動作そのものだ。今度は風に乗せる。

その者(37〜42歳)

その者は生きていた。

腹は痛まなかった。熱も出なかった。なぜかはわからなかった。倒れた者の顔を覚えていた。顔を覚えていることと、その者がいなくなったこととが、頭の中で繋がらなかった。

子が一人、その者の膝に背を預けて座っていた。子は軽かった。以前より軽かった。

その者は子の背に手を当てたまま、火を見ていた。

伝播:HERESY 人口:318
与えるものの観察:光を渡した。届かなかった。次は風で試みる。
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第1236話

紀元前293,830年

第二の星

草原の東端に、古い崖がある。

風雨で削られ、長い年月をかけて層を剥いできた崖だ。赤、黄、灰、茶。色の違う土が縞になって積まれている。雨が降るたびに少しずつ崩れ、崖下には砂と小石が扇形に広がった。今は乾季の終わり。地面が固く締まり、その扇の上に、二つの集団の足跡が混ざり合って残っている。

ひとつはこの者たちの集団だ。もうひとつは、少し体の大きな者たちの足跡。踵が広く、指が短い。歩幅が違う。

二つの集団が崖下に集まったのは、水場のためだった。崖の割れ目から水が滲み出す。一日じゅう陽が当たらない窪みに、冷たい水が溜まっている。乾季の終わりには、ここしか水がない。獣も来る。鳥も来る。両方の集団も来る。

三日前から緊張が続いている。

大きな者たちは七人いた。子は連れていない。男ばかりで、岩の陰に座って水場を見ていた。この者たちの集団が近づくと、立ち上がった。声は出さなかった。ただ立った。それだけで意味があった。

この者たちの集団は止まった。

先頭に立っていた者が、腕を広げた。掌を前に向けた。誰かが低い声を出した。大きな者たちの中の一人が、同じように腕を広げた。長い沈黙があった。どちらも動かなかった。

水を分け合う形が、そのとき生まれた。

先に飲む側と、後に飲む側。順番ではなく、間合いだった。大きな者たちが水場を離れ、少し離れた岩陰に座った。この者たちが水を飲んだ。飲み終えると、逆になった。

言葉はなかった。声もほとんど出なかった。しかし何かが成立した。

翌日も、翌々日も、同じことが繰り返された。

一人の若い者が、大きな者たちの一人に石を差し出した。丸くて平らな石だった。特別な石ではない。大きな者はそれを受け取り、しばらく手の中で転がして、地面に置いた。置いたことが答えだったのか、受け取ったことが答えだったのか、誰にもわからなかった。

夕方、大きな者たちは東へ歩いて消えた。

崖下には二つの集団の足跡と、一本の骨が落ちていた。獣の骨だ。どちらが置いたのかわからない。崖の縞は赤と灰の間に、日が沈んで橙の光を受けていた。積み重なった時間が、ただそこにあった。

与えるもの

水面に光が落ちた。窪みの、一番冷たい場所に。

その者はそこに手を入れた。水を掬い、飲んだ。それだけだった。

渡したかったのはそこではなかった。光の先には、対岸に座る大きな者の顔があった。その者は水だけを見ていた。

次に渡すべきものが、まだある。この者が顔を上げる瞬間を、待つしかない。それが問いだ。顔を上げることを渡せるのか、それとも顔を上げることは渡せないのか。

その者(42〜47歳)

子が一人、水場に近づきすぎた。

その者は短い声を出した。子は止まった。その者は子の腕を引いて、後ろに連れ戻した。大きな者たちの一人がこちらを見た。その者は目を逸らさなかった。

逸らさなかったことが何だったのか、その者には言葉がない。

伝播:DISTORTED 人口:328
与えるものの観察:顔を上げる瞬間を、まだ待っている
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第1237話

紀元前293,825年

第二の星

草原の北側に、夜が早く来る季節がある。

丘の陰が長くなり、草の先端が霜を帯びる前に、獣は低い土地へ移動する。水場の周りに足跡が増え、泥が踏み荒らされる。小さな羊の群れが東へ向かい、それを追う者たちの足音が地面に残った。

始まりの大地の集団は、この季節に緊張する。食料が動くからではない。食料を追う者が、複数の方向から集まるからだ。

崖下で火を焚く集団がいる。別の火が丘の向こうにも見える。夜、二つの光が互いを確認し、近づかない。

この星は区別しない。どちらの火も、同じ乾いた木を燃やしている。どちらの火も、子どもの声をその周囲に持っている。

五年の間に、始まりの大地でいくつかの争いがあった。傷を負った者が戻った。戻らなかった者もいた。子が生まれ、老いた者が寝たまま動かなくなった。集団の輪郭は揺れながら、三百を少し超えた数のままで、増えもせず大きく減りもしなかった。

ただ、内側で序列が変わった。声の大きな者が増え、静かな者が端に追いやられた。火の番をしていた者が、いつのまにか端にいた。

与えるもの

三十年。

炭の橙を見た夜のことを、まだ覚えている。あの手の甲。あの重さ。

この者に、今夜、腐りかけた肉の臭いを風に乗せた。そちらを食べるな、という意味ではない。臭いの方向を知れ、という意味だ。臭いの向こうに、何かがいる。

この者は鼻を動かした。立った。

それでよかったのかどうか、わからない。ただ、次に渡すべきものがある。逃げた先に何があるかを、この者はまだ知らない。

その者(47〜52歳)

火が小さくなっていた。

枝を一本足した。煙が白く上がり、風に流れた。子が三人、火のそばで丸まっていた。その者は膝をついて、一人ずつ顔を確認した。息をしている。冷えていない。

立ち上がった時、風が変わった。

鼻に何かが来た。重い。古い肉の腐れた重さ。

その者は風上を向いた。暗い草原。何も見えない。しかし臭いは続いていた。獣の死骸か、それとも別のものか。

集団の中で声が上がっていた。若い男が二人、笑いながら押し合っていた。その者はそちらを見なかった。

臭いの方向には、最近、別の集団が来ていた。昨日も、一昨日も、崖の上から煙が見えた。

その者は子たちの方へ戻った。一番小さい子が目を開けて、その者を見た。その者は何も言わなかった。子の背中に手を置いた。そのままじっとしていた。

若い男たちの声が大きくなった。笑いではなくなっていた。

その者は子たちの間に体を入れるようにして座った。火を挟んで、声の方を見た。

男たちの一人が、その者を指差した。何か言った。単語がいくつか来た。「火」「弱い」「古い」。

その者は立たなかった。

子の背中に置いた手を、外さなかった。

伝播:HERESY 人口:326
与えるものの観察:臭いを渡した。逃げ場はまだ見えていない。
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第1238話

紀元前293,820年

その者(52〜57歳)

子が転んだ。

膝を擦り、声を上げる前に、その者はもう動いていた。抱き上げるのではなく、隣に屈んで、泥のついた膝を指の腹で拭う。子は泣かなかった。その者の手が温かかったから。

火は燃えている。

岩の窪みに積まれた薪が、午後の光の中でも橙色をしていた。その者の仕事はこれだ。火を絶やさないこと。子を見ていること。この二つだけになって、もう何年も経つ。

走れない。
遠くには行けない。
それでも、集団の中心にいる。

北から男たちが戻ってきた。声が大きかった。腕を動かして何かを伝えようとしている。その者には分かった。獣がいた。しかし、よその者たちもいた。

よその者たち。

その者は火のそばに座ったまま、子を膝の上に置いた。男たちの声が続く。怒っているのか、興奮しているのか、区別がつかない。足が地面を踏む音が増えていった。集団が集まってくる。

その者は何も言わなかった。

ただ、薪を一本、火に加えた。

炎が少し大きくなった。誰かがその光に気づいて、近寄った。また誰かが来た。立ったまま声を聞いていた男が、しゃがんだ。火の周りに、輪ができた。

怒鳴り声が、少し低くなった。

その者は子の背中に手を当てていた。子は眠っていた。

夜が来た。

輪の中で声は続いたが、もはや誰も立ち上がらなかった。よその者たちへ向かう足は、今夜はなかった。

その者は薪を足した。また足した。

夜明けまで、火は消えなかった。

第二の星

この星の北半分は乾いていた。

草が短く、土が固く、獣の群れは水を求めて動いた。それを追う者たちが動いた。縄張りが押し合い、重なった。

しかし南では雨が降っていた。

赤茶けた土が水を吸い、草が伸び、根を食べる小動物が増えた。子を多く産む季節だった。集団が膨らんだ。食べるものがあれば争いは先送りになる。腹が満ちていれば、よその顔も少し長く見られる。

始まりの大地では、集団が接触した。

初めてではなかった。しかし今回は近く、長く、互いの声が届く距離で、火が見える距離で、起きた。双方に子がいた。双方に怪我人がいた。どちらの群れにも、走れない者がいた。

誰かが先に動けば、血が出た。

誰かが先に動かなければ、夜が来た。夜が来れば火が要った。火は見えた。

この星はそれを照らした。

峠の向こうでも、川の手前でも、似たことが起きていた。押した群れがあった。押し返した群れがあった。消えた群れもあった。

始まりの大地は、まだ残っていた。

与えるもの

火の匂いが、争いの声よりも早く広がった。

男たちが輪を作るより前に、その者の手が薪に伸びていた。

炎が揺れるとき、顔が見える。

——渡したのは薪ではない。光だった。光の中で顔が見えるとき、この者はどうするのか。今夜は座った。では次の夜は。次の夜に、よその子が泣いていたら。

伝播:SPREAD 人口:346
与えるものの観察:火が輪を作った。怒鳴り声が、低くなった。
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第1239話

紀元前293,815年

その者(57〜60歳)

夜明け前、火がまだ低く燃えていた。

その者は火の縁に近い石の上に座っていた。膝に手を置いていた。立てなかったわけではない。立つ理由がなかった。

集団の中に、声がある。低い声と高い声が混じり、朝の動きが始まりつつあった。子らが走る音。獣の皮をひく音。水の容れ物がぶつかる鈍い音。

その者はそれを聞いていた。

ひとつの音が遠くなる。またひとつが近くなる。耳が拾うものは多かった。ただ体が、それについていかなかった。

三日前から、腰の奥に重さがあった。うまく言葉にはならない重さ。食べ物は少し口に入れた。水も飲んだ。しかし体の中で何かが、もうゆっくりと落ち着こうとしていた。

小さな子が近寄ってきた。その者の膝のあたりに手をのせた。

その者は子の手を見た。

小さかった。爪が欠けていた。指に泥がついていた。

その者は何も言わなかった。手を動かして、子の手の上に自分の手を重ねた。温かかった。どちらの手が温かかったのか、わからなかった。

子はしばらくそこにいた。やがて誰かに呼ばれて離れていった。

昼、日が高くなっていた。

その者は横になっていた。草の上ではなく、平らな岩の上に。背中が岩に触れていた。硬さが気にならなかった。むしろそれがよかった。何かに支えられている感じがした。

火の番は別の者が引き継いでいた。その者はそれを見ていた。引き継ぎを求めたのではない。いつの間にか、そうなっていた。

空が白かった。雲があった。雲が動いていた。

その者は目でそれを追った。追うのをやめた。また追った。

火の匂いが流れてきた。

どこかで肉を焼いている匂い。子らの声。遠くで誰かが笑うような音。

その者はそれを聞いていた。

夕方に、ひとりの男が近くに来た。

年が上の者だった。その者より若かった。集団の中で力のある声を持つ者だった。

男は何も言わなかった。その者の傍に立っていた。少しして、しゃがんだ。

何かを渡した。かたい実だった。

その者は受け取った。握った。食べなかった。

男は立って、去った。

それだけだった。

夜になった。

火が燃えていた。誰かが薪を足した。炎が一度大きくなった。

その者は目を開けていた。火の方を見てはいなかった。暗い空の一点を見ていた。何があるわけではなかった。ただその方向を見ていた。

風が変わった。

湿った匂いがした。雨が来る前の、土の奥から立ちのぼるような匂い。

その者の鼻がそれを受け取った。

胸が一度、深く動いた。

それきり、動かなかった。

握っていた実が、岩の上に転がった。音を立てずに。

火は燃えていた。

翌朝、子のひとりがその者の手に触れた。冷たかった。子は手を引かなかった。しばらくそのままにしていた。それから集団の方へ走っていった。

実は岩の隅にあった。

誰も拾わなかった。

第二の星

高緯度の凍てついた台地で、旧人のひとつの群れが洞窟の外に出た。雪解けの水が岩を伝って流れていた。群れの中のひとりが、その水音をしばらく聞いていた。聞くのをやめた。また聞いた。群れは動いていた。

与えるもの

糸は別の誰かへ向かった。

伝播:HERESY 人口:343
与えるものの観察:渡した。届いたかどうかは、もう問わない。
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第1240話

紀元前293,810年

その者

泥が指の間に入った。

押した。また押した。泥は形を変えた。指を引くと穴が残った。その者はしばらくそれを見た。また押した。

水辺の端だった。雨の後の地面は柔らかく、靴底のように平たい場所があった。その者はそこに座り込んでいた。誰もいなかった。集団はもう少し高い場所にいた。

穴に水が滲んだ。

その者は驚いて手を引いた。しばらく待った。また押した。また水が来た。

唇が少し開いた。声は出なかった。

葦の根元に小さな虫がいた。その者は虫を見た。泥を見た。虫を見た。指で葦の茎に触れた。葦は揺れた。虫は消えた。

その者は穴を見た。水はまだそこにあった。

遠くで誰かが声を上げた。高い声だった。集団の方から来た。その者は立ち上がった。泥が膝に付いていた。払わなかった。

集団の方へ歩いた。

途中、草の上に何か光るものがあった。その者は止まった。水滴だった。草の葉先に一粒あった。揺れていた。落ちなかった。

その者はしゃがんだ。顔を近づけた。

水滴の中に何かが見えた。木が見えた。空が見えた。小さかった。丸かった。

その者は口を開けた。何も言わなかった。

水滴は落ちた。

第二の星

この5年、「始まりの大地」は実をつけ続けた。

雨は適度に来た。草原の端では野の実が連なり、水場には魚が寄った。集団は増えた。子は生まれ、その多くがまだ生きていた。これは珍しいことだった。

しかし豊かさは均等に広がらない。

水場に近い場所に多くの者が集まった。水場から遠い集団は少なくなった。狩り場の境目で、声が上がることがあった。投石は一度あった。誰も死ななかったが、去った者がいた。

その者が生まれた集団は、水辺から少し上がった岩の陰に拠点を持っていた。数十人いた。老いた者が何人か、この5年で歩かなくなった。新しい声も何人か増えた。差し引いて、集団はわずかに大きくなっていた。

その者はまだ何もしない。運ばれ、置かれ、眠り、泣く。時々どこかへ歩いて行き、誰かに引き戻される。

水辺の泥で遊んでいたのを、誰も見ていなかった。

旧人の集団がこの季節、南の丘を越えていった。声は届かなかった。姿は草の向こうに消えた。この星はその背中も照らした。どちらが先にここにいたか、この星は知らない。どちらが正しいかも、問わない。

豊穣の5年が終わろうとしていた。

与えるもの

草の葉先に光を置いた。

その者は顔を近づけた。水滴の中に世界が丸く収まっているのを見た。

次に何を渡すべきか、まだわからない。しかし今日、この者は小さな丸い水の中に空を見た。それだけは確かだ。

伝播:HERESY 人口:334
与えるものの観察:水滴の中に世界を見た。渡したのは光だけだ。
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第1241話

紀元前293,805年

第二の星

草原の端に、赤みを帯びた崖がある。風が崖を削り、砂が斜面を下る。その砂の流れは、雨季のたびに形を変えてきた。

集団は昨年より明らかに数が増えた。子が生まれ、死なずにいる。火の周りに集まる体の数が多くなっている。食料がある。水がある。だから争う余裕もある。

三つの方向から来た者たちが、同じ水場を使っている。どちらがいつ来るかで、声の出し方が違う。体の向きが違う。押し合いはまだないが、睨む時間が長くなっている。

崖の上から、鳥が二羽、向かい合ったまま飛び立たない。

遠い平野では、低い丘のかげに別の者たちが眠っている。火を持たない者たちだ。肌の色が少し違う。骨格がわずかに太い。彼らは夜明け前に動き、昼は止まる。

この星はどちらも照らす。区別しない。

与えるもの

崖の縁に光が落ちた。
朝、太陽がちょうどその角度にあった時間だけ、砂の中の何かが光った。石ではない。硬い実の殻でもない。動物の骨の欠片だった。

その者は光の方を向いた。

骨の欠片を手に取った。持って歩いた。落とした。拾い直した。

渡った、と思った。ではなぜこの者に渡したのか。この年齢で。この場所で。

実は拾われなかった記憶がある。水が形を変えた記憶もある。それでも示す。届くかどうかは別の話で、それでも示す。次に示すべきものは何か。骨の欠片を持ち歩くこの者の手が、次に何を求めるか。まだわからない。

その者(6〜11歳)

骨の欠片は軽かった。

手のひらで転がすと、端が尖っていた。尖った端を親指の腹に押し当てた。皮膚が白くくぼんだ。痛くなる手前だった。

持ち歩いた。

水場まで歩いた。欠片を水に浸けた。濡れた。取り出した。乾いた。また水に浸けた。乾いた後も色が少し変わっていた。

走った。欠片を握ったまま走った。転んだ。欠片は草の中に落ちた。探した。見つかった。

その夜、火の近くで眠る時、欠片を腹の下に置いた。硬さが背中ではなく腹に当たった。それが良かった。

翌朝、目が覚めた時、欠片は手の中にあった。いつ握ったのか、わからなかった。

伝播:SILENCE 人口:350
与えるものの観察:光が骨を示した。手が離さなかった。
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第1242話

紀元前293,800年

その者(11〜16歳)

腹の中に何かが詰まったようだった。

食べていない。水は飲んでいる。それでも内側が重く、足が浮かない。起き上がれないわけではないが、起き上がりたくない。そういう感覚が続いて、いくつかの朝が過ぎた。

集団のなかで最初に倒れたのは、老いた男だった。次は若い女。腹を大きくしていた女は、子を産む前に動かなくなった。子も、声を上げなかった。その者はそれを見た。見たまま、岩の陰に座っていた。

熱が出た。

皮膚がざらついた。舌の裏が乾いた。夜、地面に横たわると、体の輪郭がわからなくなるような感覚があった。岩なのか土なのか自分なのか、区別がつかなかった。

何日経ったか。

熱は引いた。体は戻った。しかし集団は、明らかに薄くなっていた。岩の近くに座る者が減った。火の周りに集まる顔が、以前より少なかった。誰かが消えるたびに誰も何も言わなかった。言葉がそこにはなかった。泣き声だけがあった。

その者は焼けた枯れ草のにおいをかいだ。

火を誰かが管理していた。その者ではない。大人の女が、細い枝を差し込み続けていた。その者はその女の手を見ていた。枝が火に入る。枝の先が赤くなる。また入れる。また赤くなる。

繰り返しを見ていると、腹の重さが少し和らいだ。

その者は手を伸ばした。枝を一本拾った。女の手の動きを真似た。火に差し込む。先が赤くなる。引く。また差し込む。女はその者を見た。見て、何も言わなかった。また自分の枝を入れた。

それだけのことだった。

夕方、乾いた風が低いところを流れてきた。

その者の足首を風が撫でた。少し冷たかった。その者は足首を見た。何もなかった。しかし視線がそのまま地面を這い、少し先の草の茂みへ向かった。茂みの根元が、風で揺れていた。実が小さく、赤かった。

その者は動かなかった。

しばらくして、立ち上がった。茂みに近づいた。実を取らなかった。座り込んで、実を見た。匂いをかいだ。知らない匂いだった。手で触れた。触れたまま、取らなかった。

日が暮れた。その者は戻った。実は茂みに残った。

第二の星

始まりの大地に、見えないものが広がった。

土の湿りが変わった季節ではなかった。水場は干上がっていない。実もある。しかし集団の者たちは次々と力を失い、腹を抱えて横になった。原因を知る者はいない。原因という概念も、まだそこにはない。ただ、倒れた。ただ、動かなくなった。

同じ頃、大地の南では草原が続き、別の小さな群れが移動していた。彼らも似た状態にあった。倒れる者があり、火の周りが静かになった。しかし彼らはそれを見ていた、ということを誰かが記憶した。記憶したまま、何もしなかった。何もできなかった。

地の向こうでは雨が降っていた。厚い雲が山を越えて平野に入り、草を濡らした。獣が水を飲んだ。別の獣がそれを待って、草の陰にいた。水場の周りでは命が動き続けていた。疫は、そこまでは届いていなかった。

始まりの大地では、集団のおよそ五分の一が動かなくなった。

生き残った者たちは、互いの顔を見た。顔を見て、何も言わなかった。火はまだあった。枝を入れる者がいた。子どもが枝を入れた。大人がそれを見た。

それが全てだった。それで夜は過ぎた。

与えるもの

風を足首に当てた。

その者は実を見た。取らなかった。

取らなかったことを、どう思えばいいのか、まだわからない。しかし次に風を送るとすれば、あの実ではなく、枝を差し込む手の動きの先に送るべきかもしれない。

繰り返すことと、渡すことの間に、何があるのか。
骨の欠片と光と手の記憶が重なる。あの時も、渡したものが取られなかった。それでも次があった。次があったから、今がある。今があるなら、次を考える。

伝播:SPREAD 人口:297
与えるものの観察:実を取らなかった。枝を入れた。その差は何か。
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第1243話

紀元前293,795年

その者(16〜18歳)

皮膚が乾いていた。

地面に横になったまま、空を見ている。雲がある。ゆっくり動いている。その先に何があるかは知らない。

腹が鳴らなくなったのはいつからだ。最初は痛かった。今は痛くない。それだけのことだ。

群れの声が遠くから届く。誰かが何かを叩いている。誰かが叫んでいる。その者には関係がない。体が重くて、声を出すことを思いつかない。

風が草を撫でる音がした。その者は目を細めた。空気が少し冷たかった。

砂が指の間にある。握ろうとしたが、力が入らなかった。握らなかった。

日が傾いた。影が長くなった。その者は影の端を目で追った。動いている。少しずつ、動いている。

誰かが近くに来た。匂いがした。見知った匂いだ。その者は顔を動かさなかった。

その匂いが離れた。

空の色が変わっていた。橙から灰へ。その者はまだ見ている。

呼吸が浅くなった。それを自分では知らない。

影が消えた。空が暗くなった。星がひとつ、またひとつ。

その者の目が、星のひとつで止まった。

止まったまま、動かなくなった。

第二の星

平原の北端、旧人の群れが火を囲んでいた。岩の陰で、ひとりの幼い者が木の実を割ろうとして、石を何度も持ち上げた。割れなかった。捨てなかった。また持ち上げた。その者が死んだ夜、空の同じ星を、別の目が見ていた。

与えるもの

糸は別の誰かへ向かった。

伝播:NOISE 人口:306
与えるものの観察:目を逸らさない。届かなくても、逸らさない。
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第1244話

紀元前293,790年

第二の星

北の斜面では霜が融けていた。

乾季が終わった。土が匂いを持ちはじめた。草の根が地面を押し上げ、小さな虫が翅を広げた。南の低地では集団が移動を始めていた。十五人、または二十人。岩陰に残されたものは何もなかった。

平原の北端では、背の低い者たちが火を囲んでいた。顔の骨格がちがう。額が低く、眉骨が突き出ていた。彼らも火を持っていた。煙は同じ色で空に消えた。

東の川沿いでは、子どもが三人、浅瀬で石を投げ合っていた。遊びか、訓練か、境目はなかった。水しぶきが上がった。また上がった。

この星は照らす。区別しない。

与えるもの

糸が繋がった。

六歳。知らない。

乾いた風が吹いていた。その風の向こうから、腐りかけた草と、何か甘い匂いが混じって流れてきた。その者は鼻を動かした。顔を上げた。匂いの方向に、低木の茂みがあった。熟れた実が三つ、枝に残っていた。

この者は走った。口に入れた。種を吐いた。

与えるものは考えた。匂いで動いた。食べた。次は、腐った匂いと、食べてはいけない匂いの違いを渡せるか。まだわからない。ただ、この者の鼻は動いた。それだけは確かだ。

その者(6〜11歳)

六歳の時、その者は集団の端を歩いていた。

大人たちの足は速かった。その者は走って追いついた。転んだ。起きた。また走った。膝から血が出たが泣かなかった。泣くと遅れる。遅れると置いていかれる。それだけ知っていた。

七歳の冬、火の番をした。

大人が眠っている間、その者は炎を見ていた。小さくなると枝を入れた。大きくなりすぎると少し離れた。夜が明けるまで火は消えなかった。誰も褒めなかった。ただ、朝に大人が火の前に来て、手を伸ばした。その者はそれを見ていた。

八歳の夏、川で魚を掴もうとした。

水が逃げる方向に魚はいた。手を入れると影が散った。何度も入れた。一度だけ指に触れた感触があった。掴めなかった。川岸に座って水を見ていた。水の底に、その者の顔があった。揺れていた。

九歳の秋、旧人の群れを遠くから見た。

大人たちが低い声を出して止まった。その者も止まった。遠くに火が見えた。人の形がいくつか動いていた。大人たちは右に迂回した。その者もついていった。何も言わなかった。しかし遠ざかりながら、その者は振り返った。

一度だけ。

火の色は同じだった。

十歳の春、集団の中で何かが変わった。

古い男が、その者を指差した。誰かに何かを言った。その者には意味がわからなかった。しかし大人たちがその者を見る目が変わった。距離が、少し開いた。獲物を分けるとき、その者の分が最後になった。

何があったかはわからなかった。

ただ、その者は感じていた。空気が変わった、と言える言葉はまだなかった。皮膚が知っていた。毛が立った。

十一歳の夏、その者は森の奥まで歩いた。

集団の声が聞こえなくなる場所まで。木の根元に座って、膝を抱えた。空が見えなかった。葉の隙間から光が落ちていた。一つの光の束が、地面の枯れ葉の上に当たっていた。その者はそこに手を置いた。

温かかった。

伝播:HERESY 人口:300
与えるものの観察:匂いで動いた。鼻は使える。
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第1245話

紀元前293,785年

第二の星

草原の端が揺れている。

風ではない。

南の低地から来た集団が、丘の手前で足を止めていた。半数が成人で、残りは子どもと年寄りだった。彼らの手には石を括り付けた棒があった。食料を求めて移動してきたのか、それとも最初から来るつもりだったのか、この星には知るすべがない。ただ、彼らの足が草を踏みつけた跡が東から続いていた。

北の集団は気づいていた。

岩場の高いところに登った男が、腕を振った。短い叫びがいくつも続いた。女たちが子どもを引き寄せた。火のそばにいた年寄りが立ち上がり、また座った。集団の輪郭が固まっていく。石が拾われた。棒が握られた。

乾季が終わって半月が経っていた。

水場に水が戻ってきた。獣の足跡が増えた。木の実がいくつか落ちていた。土は柔らかく、大地は豊かになりつつあった。そしてそれは双方が知っていた。

南の集団が一歩進んだ。

北の男が叫んだ。それは問いのような音だった。南の先頭に立つ者が応えた。互いの声が重なり、重なり、噛み合わなかった。

陽は西に傾いていた。影が長く伸びていた。

草原の中央で、二つの集団が向かい合って立っていた。どちらも動かなかった。風が草を揺らした。遠くで鳥が鳴いた。子どもが泣いて、誰かに口を塞がれた。

最初の石が飛んだのは、日が稜線に触れた瞬間だった。

誰が投げたかは、この星にもわからない。ただ、石は誰かの肩に当たり、鈍い音がして、それから全体が動いた。声と声が潰れ合い、足音が草を踏み荒らした。血が土に落ちた。血は土に吸われた。

争いは長くなかった。

南の集団が引いた。北の集団が声を上げた。それは勝利の音ではなく、ただ大きな音だった。倒れたまま動かなくなった者が一人いた。北の集団の者だった。他の者たちがその周りに集まった。誰かが揺さぶった。揺さぶり続けた。やがて手を離した。

日が落ちた。

火が起こされた。星が出た。草原には血の匂いと土の匂いが混ざっていた。水場の水は変わらず流れていた。獣たちはどこかに隠れ、また出てきた。この星はどちらの声も等しく聞いていた。

遠く離れた斜面では、旧人の一団が動かずに座っていた。彼らの目は火のほうを向いていた。それ以上のことはわからない。

夜が深まった。

与えるもの

炎が揺れた瞬間、煙が一方向に流れた。西の岩陰の方角へ。

その者は煙を目で追った。少しの間だけ、岩陰の側を見ていた。それから集団のほうへ向き直った。

この者が生きている間に、また渡すべきものがあるだろうか。それとも次に渡すものは、もっと早く届けるべきだったか。

その者(11〜16歳)

岩陰の隙間から見ていた。

足が震えていた。地面に手をついた。石が冷たかった。声が聞こえた。大きな声と低い声がごちゃまぜになって、それから静かになった。

煙が来た方向を、もう一度見た。

暗かった。何もいなかった。だが、しばらくその方向を見つめていた。

伝播:HERESY 人口:294
与えるものの観察:煙が届いた。この者は少し、見た。
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第1246話

紀元前293,780年

その者(16〜21歳)

石が飛んできた。

耳の横を風が裂いた。振り向く前に次の石が来て、肩に当たった。痛みより驚きが先に来た。

南の集団が丘を越えた。昨日ではない。夜のうちだった。夜明け前に、その者が水場へ降りたとき、もう彼らはそこにいた。三人、四人、川岸に沿って広がって。手に棒を持って。

その者は走った。

跳び、岩を回り込み、叫んだ。集団に知らせるための声だった。単音、高く、続けて二度。仲間たちが寝ているところへ戻る前に、また石が来た。今度は足元に当たって、転んだ。

立ち上がった。

集団が動いていた。成人の男が三人、棒を手に南の方向へ向かう。女と子どもが岩の陰に入る。年寄りの一人がその者の腕を引いた。その者は引かれながら後ろを見た。

南の集団の子どもが一人、川岸に立ったままでいた。

その者と同じくらいの歳だった。手に何も持っていなかった。ただ立っていた。

棒を持った男たちが走っていった。その者は腕を引かれたまま、岩の陰に押し込まれた。

音が聞こえた。叫び声、打つ音、水音。

岩の陰は暗かった。子どもが泣いていた。年寄りが低い声で何かを言い続けた。その者は岩の表面に手をついたまま、音の方向を向いていた。

音が止んだ。

しばらくして、棒を持った男が戻ってきた。一人が腕を押さえていた。南の集団のことは、誰も言わなかった。

昼過ぎ、その者は水場へ戻った。

岸に誰もいなかった。水が流れていた。飲んだ。流れの中に、砕けた棒の端が引っかかっていた。流れが揺らして、離して、また岩に当てた。

その者はそれを見ていた。

引き上げなかった。引き上げる理由がなかった。

しかし立ち去ることもできなかった。

日が傾いてきた。影が長くなった。川岸に影が落ちて、砕けた棒の端の上を覆った。ちょうどそこだけ、影が濃くなった。

その者は川岸に座り込んだ。

あの子どもは、どこへ行ったか。仲間のところへ戻ったか。それとも。

考えても意味がないと知っていた。しかし座り続けた。

夕方、仲間の一人がその者を呼びに来た。来い、という身振りだった。その者は立ち上がった。砕けた棒の端は水の中にあった。流れが動かし続けていた。

その者は一度だけ振り返った。

それきり振り返らなかった。

翌日、集団は移動した。南とは反対の方向へ。その者も歩いた。列の後ろの方で。足元を見ながら。

三日目の夜、火の前で、年寄りが何かを声に出した。同じ音を繰り返していた。

その者には意味がわからなかった。

だが、その音の形は、岩の陰で聞いた低い声と似ていた。

同じではない。でも似ていた。

その者は火を見た。炎が揺れた。

何かが喉の奥にあった。声にならなかった。飲み込んだ。

また揺れた。

第二の星

この5年、草原は乾きと湿りを繰り返した。

干ばつが来て、草が枯れた。水場が縮んだ。その翌年、雨が戻り、草原が緑に戻った。集団は南へ動き、北へ戻り、また東の丘陵へ押し出された。移動の跡が道になる前に、次の移動が始まった。

南の低地にも別の集団が生きていた。川の上流と下流で、何十年かは重ならなかった。干ばつが両者を水場へ押し込んだ。同じ川岸で、初めて顔を見た。

今朝、それが壊れた。

集団の境界が壊れるとき、静かには壊れない。音と石と血がある。そして片方が引く。引いた方が消えるとは限らない。ただ、それ以前には戻らない。

照らしてみると、この5年で集団の顔触れが変わった。子どもが育ち、年寄りが消え、知らない顔が増えた。ものの受け渡し方、声の出し方、岩の割り方、それぞれが少しずつ違う。

南の集団は今、西の丘の向こうにいる。

その者の集団は北へ向かっている。

川だけが変わらず流れている。砕けた棒の端を、今日も動かしながら。

与えるもの

川岸に影が落ちる場所を選んだ。

砕けた棒の端の上に、ちょうど影が来るように。

その者はそこに座った。長い時間、動かなかった。

あの子どもを見ていた目が、また来るかもしれない。あるいは来ないかもしれない。

渡したかったのは、棒の端ではない。砕けているものにも、次がある、ということだった。

届いたか。

その者は振り返らなかった。だから届いたかどうか、まだわからない。

しかしあの喉の奥の、声にならなかったもの。それを、渡すべき次のものにできるかもしれない。

伝播:HERESY 人口:292
与えるものの観察:影の中で、声にならないものを飲んだ
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第1247話

紀元前293,775年

第二の星

草が黄色い。

川床が見える。去年の水位の跡が、岩の側面に白い線を残している。それより三十センチ低いところに、今の水がある。

干ばつは終わっていない。

だが北の林では、新しい雨の匂いがする。夜ごと霧が出て、朝には葉の先から水が落ちる。その雫を舌で受けた子どもがいる。母親がその子を引っ張った。なぜかは誰も説明しなかった。

南の丘の向こう、岩の多い台地で、別の集団が眠っている。昨日まで石を投げていた腕が、今は土の上に伸びている。指が開いている。

遠く離れた沿岸では、潮が引いて砂が光っている。誰もいない。

足跡が砂に残っている。二種類。歩幅が違う。どちらも海の方へ向かっている。戻ってきた跡は一組だけだ。

別の場所では、火が消えた。煙の跡だけが岩の天井を黒く染めている。その下に、何かが置かれている。骨ではない。丸い石だ。並んでいる。意図があるような間隔で。

この星は回り続けている。

照らすだけだ。

与えるもの

草の根。

腐りかけた地面を爪で掻けば、白い根が出てくる。渡したかったのはそれだった。踏んだときに土が違う感触をした。その違いに、風が少し止まった。

この者は足を止めた。踏んだ土を見た。しかし走った。石を握ったまま。

渡せたのかどうかわからない。

草の根が食べられずに残った。ならばまだここにある。次に渡すなら、もっと腹が鳴っているときか。それとも、腹ではなく別のところが空いているときか。

その者(21〜26歳)

走った。

石が手の中にある。自分が拾ったのか、誰かから取ったのか、もう区別がつかない。

丘を越えたのは南の者たちだった。昨日、石が飛んできた。肩に当たった痛みがまだある。だが今は別の痛みが胸の内側にある。場所がない。名前がない。

仲間の二人が丘の陰に消えた。

この者は追わなかった。

理由はなかった。足が止まった。それだけだ。

踏んだ地面がやわらかかった。一瞬、下を見た。土が黒く湿っている。草の根が白く覗いていた。腹が鳴った。しかしまた走った。

川の手前で立ち止まった。息が切れていた。水面を見た。水が少ない。去年は膝まであった場所に、今は足首しかない。

水を飲んだ。

冷たかった。

上流から何かが流れてきた。木の皮だった。それを見ていた。見ていたが、何も考えなかった。体が考えることを止めていた。

夜になった。

仲間の一人が戻ってこなかった。

声を出した者がいた。短い声だった。誰も返事をしなかった。火を囲んで全員が下を向いていた。

この者も下を向いていた。

手の中の石を握った。離した。また握った。

土の上に置いた。

拾わなかった。

伝播:HERESY 人口:288
与えるものの観察:足が止まった。根を見た。走った。それだけか。
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第1248話

紀元前293,770年

第二の星

大地の北端では氷が動いている。ゆっくりと、しかし確実に。岩を削り、谷を作り、水を押しのける。その動きを感じる者は誰もいない。

南では草原が広がっている。雨は戻っていない。土は割れたまま、白く乾いている。小さな集団が水場から水場へと移動している。子どもを背負った者が一人、列の後ろで遅れている。追いつこうとして、追いつけないまま、草の中に座り込む。

西の丘の向こうでは、別の集団が岩の下で眠っている。彼らの呼び方はこちらの集団とは違う。同じ音を別の意味で使う。出会えば、長い沈黙が続く。手を見せる。歯を見せない。それで通じる場合と通じない場合がある。

夜、星は変わらない。星の下で、骨が砕かれている音がする。髄を取り出すためだ。子どもが泣く。泣き声が止む。また泣く。

干ばつは続いている。しかし三日前の夜、遠くで雷が光った。雨は来なかった。光だけが来た。

集団の中心では火が守られている。枯れ枝が少ない。誰かが火の番をしている。眠らずに。

与えるもの

この者の左の耳元で、風が変わった。

北から来ていた風が、東からの湿った空気と混ざった。ほんの一瞬、草の腐った匂いとは違う、遠い水の匂いがした。

この者はそれを嗅いだ。立ち止まった。

渡したのは匂いの方向だ。東の低地に、まだ水が残っているかもしれない。この者が鼻を動かし続けていれば、気づくかもしれない。

この者は三度嗅いで、また歩き始めた。東ではなく、集団の後を追って。

以前も似たことがあった気がする。渡した。気づかなかった。また渡した。気づいた。しかしその時にはもう遅かった。今回はどうか。東の低地に水があるとして、この者が今日それを見つけなければ、明日には誰かが倒れる。倒れた者が誰であれ、この星は気にしない。では自分はどうなのか。気にしているのか。次に渡すべきものは何か。匂いではなく、音か。水のある場所には虫がいる。虫は鳴く。

その者(26〜31歳)

腹が痛い。三日続いている。

食べるものが少ないのに、腹だけが何かを求めて動く。

集団の後を歩きながら、足の裏に土の温度を感じる。昼の熱さが残っている。夜になっても冷めない。

風が変わった時、立ち止まった。

鼻を動かした。何かあった。何か違った。しかし前の者が振り返ったので、また歩いた。

夜、火の近くに座る。火の番の老いた者が眠そうに揺れている。起きてはうつむき、また起きる。

その者は枯れ枝を一本、火に差し入れた。

老いた者が顔を上げた。目が合った。老いた者は何も言わなかった。

その者も何も言わなかった。

夜中、子どもが一人、水を欲しがって泣いた。母親が何かを口に含んで、それを子どもの口に移した。子どもが少し静かになった。また泣いた。

その者は遠くで鳴く虫の音を聞いた。

東の方向から来ていた。

明け方、その者は集団の誰よりも早く起き上がり、東の方角を見た。

草が低い。地面が、そちらへ緩やかに下がっている。

腹がまた動いた。今度は痛みではなく、別の感覚だった。

一歩、東へ踏み出した。

伝播:DISTORTED 人口:304
与えるものの観察:匂いは届いた。虫の声で補った。