2033年、人類の旅

「紀元前293,525年〜紀元前293,405年」第1297話〜第1320話

Day 55 — 2026/05/27

読了時間 約55分

第1297話

紀元前293,525年

第二の星

北の森では、枝が風の向きと逆に揺れた。

獣の群れが移動していた。いつもの季節より早かった。水場が干上がりかけていた。それだけのことだった。

岩棚の下に、別の群れがいた。この集団とは異なる骨格、異なる眉の厚さを持つ者たちが、火を囲んでいた。声ではなく、手の形で話した。指を折る。掌を伏せる。親指を立てる。火の光が手に落ちるたびに、手が言葉になった。

同じ星の上で、二つの群れが別々の暗さの中にいた。

東の崖沿いでは幼い者が一人、昨日まで走り回っていた。今朝は横になったまま動かなかった。腹が熱く膨れていた。夕方には冷えた。誰かが石を並べた。特定の形ではなかった。ただ並べた。

この集団では、年長の者が三日前から右足を引いていた。傷ではなかった。ただ力が入らなかった。

春の終わりの風が吹いた。

与えるもの

岩棚の者たちの手の動きが、光の中でよく見えた。

この者は火番をしながら、その方向を向き続けた。

自分の手を下ろした。また上げた。また下ろした。

届いたのか、届いていないのかを問うより先に、別の問いが来る。渡したものを使うかどうかより、この者がまだここにいることの方が、今は先だ。寿命まであと三年。渡せるものは、まだある。

その者(17〜22歳)

火が弱まっていた。

枝を一本足した。煙が増えた。もう一本足した。落ち着いた。

岩棚の向こうで、手が動いていた。こちらの群れではない者たちだった。体が大きかった。眉が暗く見えた。恐れるものとして教わっていた。ただ見ていた。

手が、何かを言っていた。

声ではなかった。手が言葉だった。

この者は自分の右手を持ち上げた。何も言おうとしていなかった。ただ上げた。光の中に置いた。

向こうの一人が、こちらを向いた。

動かなかった。こちらも動かなかった。

火がはぜた。火の粉が一つ、暗い空に飛んで消えた。

向こうの者は、また仲間の方を向いた。手が動き続けた。

この者は右手をゆっくり下ろした。膝の上に置いた。熱かった。火のせいではなかった。

枝をもう一本、火に差し込んだ。

伝播:NOISE 人口:127
与えるものの観察:手が言葉になる場所を照らした
───
第1298話

紀元前293,520年

その者(22〜25歳)

土が割れていた。

足の裏で感じるひびは、昨日より深かった。その者は水を入れた葉を運んでいた。集団の中でいちばん軽い荷を任される。それがこの者の場所だった。

腹が鳴らなくなっていた。

鳴らなくなるのは、悪いことだと体が知っていた。知っていたが、声に出す言葉がなかった。ただ、荷を置くとき、少し長く立ち止まった。

三日で歩けなくなった。

岩の陰に座らせてもらった。子どもが二人、近くで石を投げて遊んでいた。その者はそれを見ていた。石が跳ねる。また跳ねる。その者の目だけが動いた。

夕方、風が吹いた。

その者の顔に当たった。冷たかった。口が少し開いた。閉じなかった。

草の臭いがした。

誰かが近くを通り過ぎた。立ち止まらなかった。その者も呼ばなかった。

夜が来た。その者は岩に背中を預けたまま、空を見ていた。星が出ていた。明るいものと暗いものがあった。その者には区別できなかった。区別しようとしなかった。

体が傾いた。岩と地面のあいだに収まるように。そのまま動かなくなった。

朝、子どもたちが石を拾いに来た。その者の隣を素通りした。

第二の星

平らな草原で、何十頭もの獣が一列に並んで歩いていた。水の匂いを辿っていた。一頭が列を外れ、また戻った。空は白く、雲がなかった。草が風で倒れ、すぐ起き上がった。その下の土も、割れていた。

与えるもの

糸は別の誰かへ向かった。

伝播:NOISE 人口:148
与えるものの観察:渡した。届かなかった。それでも渡した。
───
第1299話

紀元前293,515年

第二の星

北の高地では、氷が後退している。

岩盤が剥き出しになった斜面に、草が戻り始めた。細い根が石の割れ目に入り込み、白い花を一輪だけ開く。それを食べる小さな獣がいる。その獣を追う集団がいる。彼らは五人で、互いに声を使わず、手の動きだけで意図を伝えながら斜面を登る。

南の密林の縁では、別の集団が争っている。石と石がぶつかる音が森に吸われる。どちらが勝つかではなく、どちらが先に逃げるかが問題だ。一人が血を流しながら木立に消える。残った者たちは荒い息を繰り返す。

始まりの大地では、干ばつが続いている。

川底に沿って白い筋が走っている。かつて水が流れていた場所だ。地面は硬く、踏むたびに音が返ってくる。集団の数は減った。幼い者から先に。次に老いた者が。それが順番というわけでもないが、そうなっている。

旧人の一群が遠くの丘を歩いている。こちらを見ない。向こうも生きることで手いっぱいだ。

与えるもの

糸が繋がった。

この者は石を割っている。力があり、仕事を任される。だが手が粗い。精度がない。それはまだいい。

乾いた風の中に、腐った果実の匂いが混じっていた。

この者は鼻を動かした。顔を上げた。

受け取った。

その先へ匂いが続いているかどうか、この者が追うかどうか。渡したのは匂いだけだ。意味は渡せない。しかし匂いを知る者は、次に同じ匂いを嗅いだとき、何かを思うだろうか。一度目と二度目のあいだに何かが積まれるのか、それとも消えるのか。まだわからない。次に渡すものを探している。

その者(22〜27歳)

岩に乗せた石を、別の石で打つ。

力を入れる角度を体が覚えている。肩から肘へ、肘から手首へ、衝撃が波になって伝わる感覚。割れたとき、掌に振動が残る。それが正しい割れ方だと、体が知っている。

風が来た。

何かが混じっていた。甘く、重く、少し不快な匂い。この者は手を止めた。鼻の穴が広がった。首が動いた。風下の方向に顔が向く。

何もなかった。

石に視線を戻す。割れ目を指でなぞる。端が鋭い。舌の先で試す。血の味がした。舌を引いた。また別の石を手に取る。

夕方、集団が集まる場所へ向かった。

火を囲む人数が、以前より少ない。この者はそれを数えない。ただ、空いている場所が目に入る。座るべき体がない場所に、煙が流れ込む。

肉の焼ける匂い。

昼に嗅いだ匂いとは違う。この者はそれを結びつけない。ただ腹が鳴った。受け取った肉を歯で裂く。骨を口に含み、中身を吸い出す。

誰かの子が泣いていた。この者は見なかった。

腹が落ち着くと、火の向こうに暗闇があった。この者はしばらくそこを見ていた。何もない。それでも見ていた。

伝播:NOISE 人口:167
与えるものの観察:匂いを受け取った。次は何で渡すか。
───
第1300話

紀元前293,510年

その者(27〜32歳)

石が割れた。

思った通りの角度ではなかった。破片が二つ飛んで、一つは砂に消え、もう一つがその者の手の甲を掠めた。皮が赤くなる。その者は傷を舐めず、ただ割れた石を見た。

使える端がある。薄い。でも使える。

その者は拾い上げた。親指の腹を縁に当てた。押さない。ただ触れる。この鋭さならば、皮を剥ぐとき、腱に沿って引ける。

遠くで声がした。

集団のほうではなかった。もっと低い方向から。岩の陰から聞こえるような、喉の奥から出てくるような声。その者は石を持ったまま、顔を上げた。

旧人だった。

一人。雄。皮の色が薄く、眉骨が張り出している。体は大きい。手に何も持っていない。

その者は動かなかった。

旧人も動かなかった。

二つの体が、乾いた風の中で向かい合った。草が一本、その間で揺れた。その者の手の甲から血が一滴、地面に落ちた。

旧人が鼻を鳴らした。その者の血の匂いを嗅いでいた。

その者は石を下ろさなかった。持ち続けた。しかし振り上げなかった。

旧人が一歩、横に動いた。その者を避けるように。岩の向こうに消えた。

その者はしばらくそこに立っていた。手の甲が脈打っていた。石がまだ手の中にあった。

集団に戻ったとき、その者は何も言わなかった。

言葉がなかった。

「いた」という身振りは知っていた。でもしなかった。旧人がいた、という事実を、集団に渡す形を持っていなかった。あるいは渡したくなかった。

その夜、その者は石を砂の中に埋めた。

なぜ埋めたか、その者自身にもわからなかった。ただ埋めた。手の傷が、乾いた夜気の中で引き攣れた。

第二の星

北の高地では草が戻り、氷の縁が年ごとに後退している。岩肌に沿って水が染み出し、浅い窪みに溜まる。その水を飲みに来る獣がいる。その獣を追う集団がいる。

始まりの大地では、集団が岩陰に密集して眠っている。夜は冷えるが、凍えるほどではない。子が生まれた。三日後に死んだ。別の子が生まれた。まだ生きている。

旧人との接触が増えている。遠くで見る。食べ物を争う。ときに並んで同じ獣を追う。ときに石を投げ合う。どちらが先に逃げるかで終わることが多い。殺し合いになることは少ない。しかし少ないというだけで、なくなったわけではない。

その者の集団では、年配の雄が一人、先月の争いで腕に傷を受けた。傷が腫れ上がり、熱が出た。水を飲まなくなった。岩に背を預けたまま、ある朝、集団が目覚めると彼の体はもう重たく固くなっていた。誰が気づいたか、誰かが声を上げた。みなが見た。それだけだった。

その者は今日、旧人と向かい合い、何もしなかった。

何もしなかったことが、何かを変えたかもしれない。あるいは変えなかったかもしれない。

星はどちらとも言わない。ただ、両者の間で揺れた草の影を、砂の上に落としていた。

与えるもの

その者が石を手に持ったとき、傷口から血が滲んだ。

その血の匂いが、二つの体の間を流れた。

旧人はそれを嗅いだ。その者も、自分の匂いが漏れていることを知った。

与えるものは、その匂いの方向に風を少し動かした。旧人からその者へ、その者から旧人へと、空気が動く向きを入れ替えた。

その者は石を下ろした。振り上げなかった。

これは石器を渡したかったのではなかった。匂いを知る者同士が、互いの存在を確かめる瞬間があることを、感じさせたかった。

その者が石を埋めたとき、与えるものは考えた。

*渡したのは、恐れを使わないという選択だったのか。それとも今日は使わなかっただけで、次の日に使うための準備だったのか。*

次に何を渡すべきか、まだわからない。ただ、この者はまだいる。それだけを、与えるものは繰り返し確かめている。

伝播:NOISE 人口:179
与えるものの観察:石を埋めた理由を、この者は知らない
───
第1301話

紀元前293,505年

第二の星

乾季が終わった。

湿った風が南から来る。草の根が土を割り、枯れ枝のあいだから緑が滲む。旱魃が去った年の地面はいつも過剰だ。虫が増える。鳥が戻る。それを追って獣が移動する。

集団の北の縁で、旧人の一群が数日前から動いていた。彼らは声が低い。体の輪郭が違う。同じ水場を使う。同じ実を食べる。しかし互いに近づかない。近づく必要がないうちは、どちらも遠ざかる。

集団の中で何かが変わりつつある。変わったと気づく語がない。しかしある者が食料を隠し始め、別の者がそれを見ている。子どもたちが旧人の声を聞いて固まる。固まる理由を説明できない。固まった後、笑う者と、笑わない者に分かれる。

南の岩場では別の群れがすでに夜営を張っていた。火の跡が三つ。骨が散らばる。誰のものかわからない。

この星はすべてを同じ温度で照らす。旧人の寝床も、その者の手の甲の赤みも、水場の泥の中の虫の卵も。区別しない。

与えるもの

前回渡したものは、飛んだ破片だった。

皮が赤くなった。その者は傷を見た。使える端があると判断した。それだけだ。

今回は別のものを渡す。

石を割る作業の中で、その者の手が一瞬止まった。風が止まった瞬間だった。その隙間に、この者の皮膚の温度が落ちた——背中から、だ。

その者の後ろに何かがいる。

音ではない。匂いでもない。体温の差だ。温かいものが近づくと、境界の空気が変わる。

その者がそれに気づくかどうかは、まだわからない。

渡したのは「後ろの温度」だった。
その者が振り返るかどうかは、次の呼吸が決める。
振り返らなかったとしても、体はすでに知っている——知っていることと、動くことは別の話だ。渡すべきものがまだある。

その者(32〜37歳)

石を持つ。

角度を変える。前回とは違う場所を打つ。砕け方が変わる。小さな欠片が手のひら側に来た。それを拾って、地面の硬いところで削る。

空が白い。風が止まった。

体の後ろ側が、ざわりとした。

その者は石を持ったまま動かなかった。石を見ているようで、見ていない。目が前を向いていても、意識は背中の方に流れていた。

振り返らなかった。

しかし立ち上がった。立ち上がったのは、石を落とす場所を変えるためだった——そのはずだった。立ちながら、体が斜めになる。半歩、横にずれた。

そこから見ると、旧人の一体が水場の手前に立っていた。

その者はその旧人を見た。旧人もこちらを見た。

どちらも声を出さなかった。どちらも動かなかった。

風が戻ってきた。

その者は石を握り直した。使えるかどうかは角度の問題だ。使えない端は捨てる。それだけのことを、その者は知っていた。

旧人が先に動いた。水の方へ向かった。水を飲む。背を向けた。

その者は石を見た。

伝播:NOISE 人口:196
与えるものの観察:振り返らなかった。しかし体はずれた。
───
第1302話

紀元前293,500年

第二の星とその者(37〜42歳)

南から湿気が来た年、大地は膨らんだ。

水場の泥がひび割れを埋め、葦が腰の高さまで伸びた。獣の足跡が前年より深い。体に重みがある。肉がある。集団の者たちは声を上げ、追い、石の先端で仕留め、腸を土の上に広げた。血が黒ずんで乾く前に、子どもたちが傍に来た。

その者は石を叩いていた。

同じ場所に座り込んで、朝から同じことをしている。一つの石を持ち、もう一つの石に打ちつける。角を作るのではない。何かが外れていくのを、ただ確かめるように。剥がれた薄片が膝の上に落ちる。拾う。また落とす。

集団の中で、旧い雄が死んだ。

脚が腫れ上がり、歩けなくなって七日目に、水場の近くで倒れた。誰も運ばなかった。食料を持って来る者が二人いたが、三日目には来なくなった。夜、何かが来て、骨だけが残った。集団の構造がまた少し変わった。争いは声と身振りで起き、血で終わらなかった。今回は。

その者は集団の端に座っていることが多くなった。

端というのは、岩陰の奥でも木の裏でもない。皆が見えて、自分も見える場所。だが声の輪には入らない位置。石の作業を持ち込んで、手を動かしながら、集団を見ている。

獣の移動が止まった年の夏、旧人が現れた。

三体。川の向こう側の林の縁に立っていた。背が高く、額が後ろに傾いている。手に何も持っていない。集団は声を上げ、石を持ち、固まった。旧人は動かなかった。しばらくして、向きを変え、林の中に消えた。

その者は石を置いた。

そのとき風が変わった。川上から下って来る、獣の通り道の匂い。湿った草と泥と、何か腐りかけたものの重なり。その者は鼻を上げた。何かを探すように。しかし何も見なかった。手を膝に置き、また石を取った。

翌年、集団に子が七人生まれた。

半数が一年以内に消えた。残った者たちは体が丈夫で、声が大きかった。母親たちは疲れた顔をしていた。食料が増えた年に子が増え、子が増えた年に食料が足りなくなる。そういう均衡が、誰にも意図されずに繰り返された。

その者の手に、傷が増えた。

石の作業を長くやれば当然だ。しかし傷の付き方が変わってきた。深く、一か所に集中している。同じ打ち方を何千回もした跡。皮膚が硬くなり、その上をまた傷が走っている。右手の親指の付け根。ここだけが、他の皮膚と違う質感になっている。

旧人が再び現れたのは、秋の終わりだった。

今度は一体。同じ川の向こう。しかし距離が近かった。集団の者の一人、若い雌が水を汲みに行き、川を挟んで向き合った。声を出さずに、ただ見た。若い雌は走って戻り、集団に伝えた。皆が川へ行ったときには、旧人はいなかった。

その者は川に行かなかった。

石を持って、作業を続けていた。しかし手が止まることが何度かあった。川の方向を向かず、手の中の石を見ていた。石の薄片が膝に落ちる。拾わなかった。

与えるもの

川上からの風の中に、腐りかけた果実の匂いを混ぜた。

この者は鼻を上げた。それから石に戻った。

渡したのは方向だった。向かうべき場所ではなく、向かうことができる場所。しかしこの者は石を選んだ。石の中に何があるのか、私にはわからない。これほど長く見ていて、わからない。わからないから、次は別の感覚を使う。風ではなく、温度を。日の当たらない側の岩の冷たさを。その者の手が、それを覚えているかどうか。

伝播:DISTORTED 人口:209
与えるものの観察:この者は集団の端で、集団を見ている。
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第1303話

紀元前293,495年

第二の星

北の海岸線では潮が砂を削りつづけ、岩盤が剥き出しになってきた。

始まりの大地は今年も乾季と雨季のあいだを揺れた。大地の北部では赤土が剥がれ、塵が地平まで漂う日があった。南の低地は逆に水が溜まりすぎて、小動物の巣穴が沈んだ。湿気が来た昨年とは逆の偏りだった。気候は均等に恵みを配らない。

集団の規模は二百を超えた。しかし西の斜面に別の足跡がある。幅の広い、踵が丸い、ちがう足だ。何体かが岩の陰に痕跡を残している。火の跡ではない。休んだだけかもしれない。あるいは見ていたかもしれない。

大地の東端、川の折れ曲がるところで、幼い体が三つ、熱で動かなくなった。泥の上に置かれた。声は出たが、届く相手がいなかった。

石を割る音が遠くまで運ばれる日がある。風の向きによって。その音を聞いた者が何を思ったかは、この星には届かない。

与えるもの

石を割るとき、ある角度で光が落ちた。割り口ではなく、持ち手の部分に。

この者は割り口を見た。持ち手には触れなかった。

持ち手の形が次を決める。渡すべきは角度より先にある。次は重さか。掌の広さか。まだわからないが、渡すことをやめる理由もない。

その者(42〜47歳)

朝、石を持ち上げた。重い。以前と同じ石だが、腕が前と違う。

割る。剥片が飛ぶ。拾う。端を指で辿る。

するどい。使える。

しかし今日はうまく割れない日だった。石が意図した線と違う場所で割れた。厚すぎる剥片が二枚。どちらも捨てた。

石を変えた。新しい石は表面がなめらかで、叩くと澄んだ音がした。割ると、薄い剥片が出た。手のひらに乗せると軽かった。

この者はそれを何度も裏返した。

軽いことが、何かを意味するような気がした。何を意味するかはわからなかった。でも裏返した。また裏返した。

夕方、集団の中の一人が声を上げた。西の斜面の方向を向いて、腕を持ち上げた。

この者は立った。剥片を握ったまま。

西の斜面に影がある。揺れていない。立っている。

集団の者たちが石を拾った。声が重なった。

影は動かなかった。しばらくして、消えた。

この者は剥片を離さなかった。夜、眠るときも、握ったまま硬い地面に横になった。

朝、手を開いたら、剥片の端が掌に赤い線を引いていた。

伝播:NOISE 人口:223
与えるものの観察:持ち手に光を落とした。割り口ではなく。
───
第1304話

紀元前293,490年

その者

崖の上に石が積んである。
誰かが積んだのではない。
風と崩れと時間が、たまたまそうした。

その者はその積み石の前で膝をついた。
右手に剥片を持っていた。
朝から割りつづけて、三枚取れた。
それ以上は出なかった。

石の質が変わっていた。
最近この辺の石は、叩くと粉になる。
良い石は遠くにある。
遠くまで行かなければならない。

その者は立ち上がった。
脚に力が入らなかった。
最近そうだ。
朝は動く。昼になると重くなる。
夕方には座りたくなる。

それでも歩いた。

崖沿いの道を南へ。
足元は赤土で乾いている。
踏むたびに白い塵が上がった。

前方から声が来た。
集団の中の若い雄だ。
その者より三十は若い。

声は急いでいた。
身振りで何かを示した。

向こうに旧人がいる、という意味だ。
その者はそちらを見た。
丘の稜線の向こうに影が見えた。
二つ、三つ。
止まっている。

緊張が走った。
若い雄は後ろへ下がれと身振りした。

その者は動かなかった。
剥片を握り直した。
指先が震えていた。
力が入らなかった。

旧人の影は動かなかった。
こちらを見ていた。
あるいは見ていなかった。

長い時間が経った。
影は消えた。

その者は帰った。

集団の焚き火の前に座った。
煙が目に入った。
逃げる気力がなかった。
そのまま座っていた。

夜、子どもが膝に寄ってきた。
その者の子ではない。
集団の子だ。

その者は剥片を一枚渡した。
子どもは受け取った。
振り回した。
その者はそれを見ていた。

翌朝。

崖の先端に立っていた。
石を探しに来た。
崖の下に良い石が見えた気がした。

風が来た。
右から、強く。

足元の土が崩れた。

落ちた。

音が、した。

昼、集団の誰かが崖の下を見た。
赤い塵の中に、動かないものがあった。

誰もしばらく動かなかった。
やがて一人が降りた。

引き上げるには崖が急すぎた。
そのまま置かれた。

夕方に鳥が来た。

第二の星

崖の下で一人が土に還るとき、
東の湿地では旧人の群れが水場を離れていた。
理由は誰にもわからなかった。
水は残っていた。
音もなかった。
ただ、立ち上がり、別の方向へ歩いた。
この星はどちらにも名前をつけなかった。

与えるもの

崖の縁に光が落ちた。
足が止まらなかった。
別の足へ向かった。

伝播:DISTORTED 人口:237
与えるものの観察:渡した先に脚があった。
───
第1305話

紀元前293,485年

その者

泥が冷たい。

足の裏で、それだけわかる。昨日は乾いていたのに、と思う言葉はない。ただ感触が違う。昨日と違う。

四歳の体は、泥の中に足を取られながら、それでも前へ進む。群れの後ろ。いちばん後ろ。大人たちの踵が、泥をはねながら遠ざかっていく。

追う。

草の丈が高い。体の半分まである。葉の縁で腕に傷がつく。痛みは一瞬で消える。消えたことを確かめる間もなく、また草が腕を引っかく。

大人の一人が立ち止まった。獣の臭いを嗅いでいる。鼻孔が広がっている。その者も同じように鼻を動かす。何の臭いかわからない。でも大人が嗅いでいるから嗅ぐ。

臭いは消えた。

大人が歩き出した。その者も歩き出す。

群れが水場に着く。

子どもが三人、先に駆けて水に顔を突っ込む。飲む。飲む。その者は少し遅れて、水際にしゃがむ。水が揺れている。自分の顔が揺れている。目と鼻と口が、水の動きに合わせてゆがむ。

じっと見る。

水が静まる。顔が戻る。

目が映っている。自分の目が、水の中の自分を見ている。

その者は手を伸ばして水面を叩く。顔が壊れる。また揺れる。また待つ。また戻る。

三回繰り返す。

四回目に叩こうとして、水の中に別の影が映った。大人の顔だ。その者の後ろに立って、見下ろしている。大人は何も言わない。その者も何も言わない。やがて大人は水を飲んで離れた。

その者は水面を叩かなかった。

夜、火の近く。

群れの中に旧人が混じっている。背が高く、眉骨が厚い。火の光で、その差がはっきりする。その者は旧人の子どもの隣に座っている。旧人の子どもも四歳か五歳か、そのくらいだ。

旧人の子が骨を噛んでいる。音が大きい。その者は自分の骨も噛んでみる。同じ音が出た。

旧人の子がこちらを見た。

その者も見た。

二者は火を挟まず、すぐ隣で、しばらくそのまま骨を噛み続けた。

五歳になった頃、群れで争いがあった。

旧人の成人と、この群れの成人が、食料をめぐって押し合いをした。押し合いはやがて打ち合いになった。その者は母親の後ろに隠れて、指の隙間から見ていた。一人が倒れた。起き上がった。また倒れた。今度は起き上がらなかった。

死んだのが誰かは、その者にはわからなかった。

旧人か、この群れの者か。

ただ、動かなくなった体を、同じ群れの者たちが引きずっていくのを見た。旧人の群れが引きずった。だから旧人だったのだろう。

その者は母親の腰に顔を押しつけた。

臭いが違う。いつもの臭いがした。

七歳。

崖のそばで遊んでいた。石を投げる。下に落ちる音がする。また拾う。また投げる。

ふと、崖の縁に、何かがいた。

旧人だ。一人で立っている。こちらを見ていない。遠くを見ている。背中が丸い。肩が落ちている。

その者は石を握ったまま、動かなかった。

旧人は長い間そこに立っていた。やがてゆっくり向きを変えて、岩の陰に消えた。

その者は石を投げなかった。

なぜかはわからない。

九歳。

川で魚を捕ろうとして、捕れなかった。三度、水に腕を突っ込んだ。三度、空振りした。魚は下流に逃げた。その者は水際に座って、膝を抱えた。

空が赤い。

夕暮れが川面を染めている。赤い光の中に、魚の背びれがちらりと見えた。また消えた。

川が流れている。その者がいようといまいと、流れている。

第二の星

この大地の季節は穏やかだった。

湿気が多く、草が育ち、獣が草を食い、群れが獣を追った。雨は定期的に降り、水場は枯れず、子どもたちが育った。

集まった数は、ここ数年の中でいちばん多い。

しかし緊張がある。

旧人と人類は同じ水場を使っている。同じ獣を追っている。食料が豊かなうちは衝突が少なかった。しかし豊かさには波がある。この数年で一度、激しい打ち合いがあった。一人が死んだ。それ以来、夜の火を分けるようになった。旧人の火と、人類の火。距離にして、大人が十歩歩く分だけ離れている。

それでも、子どもたちは混じって遊ぶ。

骨を噛む音が同じだから。走る速さが似ているから。泣き声の高さが似ているから。

子どもは距離を知らない。

群れの中に、集団的な緊張が蓄積している。食料が減ったとき、何が起きるかは、まだ誰も知らない。この大地は今のところ豊かだ。しかし豊かさが続く保証はない。

集団の中に多くの体がある。その全員が、来月も生きているかどうか。

この星は、どちらとも言わずに、光をそこに落とし続ける。

与えるもの

糸が繋がった。

四歳の体に、細いものがある。確かにある。

川で魚の背びれが光った瞬間、水面の赤が揺れた。私が落とした光ではなかった。夕暮れがそうした。それでもその者は動かなかった。

川が流れている。その者がいようといまいと、流れている——その感覚が、この者の中に生まれたのかもしれない。

あるいは、生まれなかったのかもしれない。

次に渡すものを考えている。炎の色が変わる瞬間がある。青くなる一瞬。それを見た者は何かを思うか。

見た者が何を思うかは、私にはわからない。

でも渡す。

伝播:SILENCE 人口:256
与えるものの観察:川が流れる。その者がいようといまいと。
───
第1306話

紀元前293,480年

その者(9〜14歳)

草が膝まである。

去年の草ではない。去年の草は黄色くて折れた。この草は青く、押しても戻ってくる。その者は両手で束をつかんで、引いて、放した。草は戻った。また引いた。また戻った。

雨が来た年だった。

獣が増えた。水場に近い岩の陰に、茶色い背中が並ぶのを見た。大人たちは声を上げて走っていった。その者はいちばん後ろで立っていた。走らなかった。走れなかったのではない。見ていたかった。

群れが大きくなった。

見たことのない顔が増えた。背の低い、眉の張り出した者たちが混じっていた。旧人と呼ぶ言葉はない。ただ、違う、とわかる。匂いが違う。歯が大きい。笑う顔をしない。

その者は違う者たちをよく見ていた。

大人たちは気づいていた。子が見ている。見すぎている。何かを覚えようとしている。それが何であるかは言葉にならない。ただ、ざわつく。

その者はある夜、火のそばに座れなかった。

追い払われたのではない。近づこうとすると、体の向きを変えられた。肩を押された。静かに。笑顔で。しかし火のそばには戻れなかった。

次の夜も。

次の夜も。

岩の割れ目の奥で、その者は膝を抱えた。草のにおいがした。雨の後の土のにおいがした。体が揺れた。寒かった。

離れていく、と感じる言葉はない。ただ、火が遠い。

その者は覚えている。

眉の張り出した者が、折れた骨の先で何かを削っていた。長い時間かけていた。誰も見ていなかった。その者だけが見ていた。削られたものが何になるか、わからなかった。でも見続けた。

それを見ていたことを、誰かが知っていた。

火から遠ざけられる前の夜、古い女が立っていた。その者を見ていた。目が合った。女は何も言わなかった。ただ、見ていた。その目の中には問いがなかった。答えだけがあった。

その者には、その答えが何かわからなかった。

膝を抱えた夜、その者は目を開けたまま暗闇を見ていた。

草の揺れる音がした。

風ではなかった。獣でもなかった。

何かが通り過ぎた、という感触だけが残った。

その者は翌朝、草の中を歩いた。どこへ行くか決めていなかった。足が進んだ。群れのいる方向とは逆に。

草は青く、膝まであった。押しても戻ってきた。

その者は戻らなかった。

第二の星

雨が来た年に、生まれるものが増えた。

始まりの大地では水路が広がり、泥の平原に草が戻り、樹の実が重くなった。群れは膨らんだ。見知らぬ顔と見知った顔が混ざり合い、火を共有し、眠る場所を分け合った。眉の張り出した者たちと、細い顔の者たちが、同じ獣を追った。争いもあった。しかし食うものがあれば、争いより眠る方が楽だった。

同じ頃、大地の別の場所では。

北の乾いた台地で、岩の割れ目に水が溜まり始めた。そこに来た獣の足跡が土の中に残った。何世代も後に誰かがその跡を見るかもしれないが、今は誰も来ない。

東の森では、大きな樹が一本、根から倒れた。水を含みすぎた土が支えられなくなった。倒れた樹の下に別の草が生え始めるのは、もう少し先のことだ。

豊かな年は、誰かを守り、誰かを追いやる。

群れが大きくなるとき、余分なものが出る。余分とは、群れが決める。決め方に言葉はいらない。目があればわかる。押しつける肩があればわかる。

火から遠ざけられた子は、草の中に消えた。

この星はそれを見ていた。善くも悪くもなく、見ていた。

与えるもの

草の揺れに混ぜた。

風でもなく、獣でもない揺れ方で、その者の足元から前方へ向かって。

その者は立ち上がった。

追ってきた者はいなかった。消えた方向を誰も見なかった。それが良かったのか、悪かったのか。問わない。

ただ、渡したかったものがある。まだ渡せていない。

草の向こうに、削られたものが何になるかを知っている者がいる。その者はまだそこに辿り着いていない。

辿り着くかどうかは、知らない。

渡す気はある。

伝播:HERESY 人口:316
与えるものの観察:見すぎた子が消えた。草は青かった。
───
第1307話

紀元前293,475年

第二の星

大地は湿っている。

先月まで地面が割れていた場所に、いま水が染み出している。足で踏めばぬかるみ、踵が沈む。雨の話ではない。雨は三日で終わった。それでも水が出てくる。地面の奥に何かがある。

草地の端に、旧人の集団が来ている。

彼らは背が低く、眉の張り出しが強い。肩の作りが違う。しかし手に持っているものはこちらの集団と似ている。尖った石。巻いた皮。干した肉の束。

二集団は三日前から同じ水場を使っている。

最初の日は問題がなかった。場所をずらして水を飲んだ。目を合わせなかった。子どもたちは離れた場所で固まった。

二日目に男が二人、水場のそばで長く立っていた。どちらも動かなかった。日が傾いて、片方が戻った。残った方も戻った。何も起きなかった。

三日目に、肉が消えた。

どちらの集団のものかはわからない。干した肉は岩の上に置いてあった。朝、それがなかった。旧人の側が声を上げた。こちらの側も声を上げた。異なる音だった。重なった。誰も相手の音を理解しなかった。しかし緊張は伝わった。緊張には言葉がいらない。

子どものいる女たちが子どもを引き寄せた。

男たちは石を握った。まだ動かない。しかし握っている。

水場の水面が静かに広がっている。二集団の声が混ざって、散って、どこかへ消えた。鳥が飛び立った。木の揺れが止まった。

その日の夜、旧人の集団は移動した。

声はなかった。気配がなくなっていた。朝になって、こちらの集団の者たちが水場へ行くと、足跡が別の方向へ続いていた。草が踏み倒されていた。もう姿はなかった。

肉は結局戻らなかった。

こちらの集団に一人、老いた男がいる。毛が半分抜けている。右手が震える。彼は水場のそばに長く座っていた。旧人の足跡の方を見ていた。見ていた。やがて顔を戻した。

彼が何を思ったかは、誰も知らない。

大地の水は今日も染み出している。踏めばぬかるむ。沈む。抜ける。また歩く。

与えるもの

川沿いの葦が、夜風で音を立てた。

その者の耳がそちらを向いた。

別の音と同じだったか。違う音だったか。渡したいのはその差だ。次は手触りで渡す。

その者(14〜19歳)

旧人が去った朝、その者は足跡のそばに立っていた。

足の形が違う。幅が広い。踵が深く沈んでいる。

しゃがんで、自分の足を隣に置いた。並べた。持ち上げた。また見た。

伝播:HERESY 人口:310
与えるものの観察:足跡を比べた。それだけで十分かもしれない。
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第1308話

紀元前293,470年

第二の星

大地の南端で、草が背丈を越えている。

干ばつの前、その草原は固い土だった。獣も人も通らなかった。いまは柔らかく、踏むたびに形が変わる。どこかで地下水が動いている。その動きは見えない。

北の丘陵では、眉の張り出した者たちが三日前から移動している。荷を持たない。急いでいる様子でもない。ただ、向きを変えた。かれらが去った跡に、焚き火の灰が残っている。まだ温かい。

東の岸辺では、子が生まれた。産んだ母は翌朝まで生きていた。翌朝、腹のあたりが固く、息が荒くなり、昼を過ぎて目が白くなった。子は泣いた。誰かが抱いた。

草原の中央では、何も起きていない。

ただ、草が揺れている。風がある。風は南から来て、北へ抜けて、消える。

集団の中で、ひとつの音が繰り返されるようになった。何かを指すわけではない。ただ口から出る。喉の奥で作られる低い音。呼びかけでも、警告でも、嘆きでもない。それなのに、複数の者がその音を出す。そして止める。そしてまた出す。

与えるもの

足元の草の先端に、露が一粒ついている。

揺れた。その者が通ったわけではない。風でもない。

その者の足がそちらへ向いた。踏む前に止まった。

踏まなかった理由が、与えるものにはわからない。しかし次に渡すべきものが、そこにある気がした。露ではない。止まること、そのものかもしれない。

その者(19〜24歳)

腹が鳴った。

草をかき分けて、地面を見た。虫の跡があった。小さな穴。昨日も見た。同じ穴かどうかわからない。指を入れてみた。何もいなかった。

立った。

向こうに、眉の張り出した者が二人いた。かれらは何かを運んでいた。重くはなさそうだった。どこへ行くか、わからなかった。その者はしばらく見ていた。かれらが木の陰に消えるまで。

それから草の先端に露がついているのに気がついた。

一粒だった。

揺れた。

その者は揺れを見た。足を出しかけた。止まった。なぜ止まったか、自分でわからなかった。ただ、踏んではいけない気がした。気がした、というのも正しくない。胸のあたりが、何かちいさく動いただけだ。

その場にしゃがんだ。

露を見た。揺れていた。揺れが止まった。

手を伸ばした。触れる前に、露は落ちた。

地面が吸った。跡はなかった。

その者はしばらく、跡のない場所を見ていた。腹がまた鳴った。立った。草の中を歩き始めた。

伝播:SPREAD 人口:326
与えるものの観察:踏まなかった。それだけが残った。
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第1309話

紀元前293,465年

第二の星とその者(24〜29歳)

大地の南端で、草が倒れた。

風ではない。重みだ。何かが通った。旧人の足跡は爪先が広い。その群れは三つ、北へ向かっていた。

その者は草の倒れた方向を見た。見ただけで、動かなかった。

峡谷の縁で、岩が割れた。夏の熱が入り込んで、冬の冷えが抜けて、何十回も繰り返した岩が、ある朝、音もなく二つになっていた。その者は水を汲みに来て、割れた岩の前で立った。

片方を触った。

もう片方を触った。

同じ重さのはずだった。ちがう気がした。

集団の中で、緊張が変わった。名前のつかない緊張だ。誰かが誰かを見る角度が、半年前とちがう。旧人の群れが北へ去ったあと、食料の奪い合いが始まった。奪い合いとも言えない。ただ、分けない者が増えた。

その者は群れの端を歩いていた。

端を歩くことで、何かを避けていた。何を避けているのか、その者には言葉がなかった。

夜、火の近くで老いた者が二人、声を交わしていた。その者には聞こえない距離だった。だが煙の流れで、その者は顔を上げた。

煙がその者の方に来た。

その老いた者たちが、こちらを向いていた。

その者は石を拾った。理由はなかった。拾って、置いた。また拾った。

二十九の年の秋、その者が川の上流で見つけたものを、誰かが見ていた。

その者は気づかなかった。

川岸の石の間に挟まった骨があった。獣の骨ではない。その者は長く見ていた。見て、立ち上がって、群れに戻った。何も言わなかった。言う言葉がなかった。

夕刻、その者の背後で何かが動いた。

翌朝、その者は川に戻らなかった。

崖の道の途中で、草が踏まれていた。その先は急だった。落ちれば止まるものが何もない。

草の踏まれ方は、足跡ではなかった。引きずられた形だった。

雨が降った。形は消えた。

与えるもの

川岸に光が落ちた。あの骨の場所に。

この者は見た。

見たまま、立った。立って、戻った。

光は意味を持たない。ただ落ちる。落ちた場所を、この者は踏んで帰った。

問いはもう変わった。届くかどうかではない。

届いて、どこへ行くかだ。

伝播:HERESY 人口:327
与えるものの観察:光は落ちた。この者は踏んで帰った。
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第1310話

紀元前293,460年

第二の星

雨季が長い。

始まりの大地の東、なだらかな斜面に沿って川が広がり、岸が毎年少しずつ移動している。砂が積み重なって中州ができ、中州に草が生え、草に虫が集まり、虫を鳥が追う。その連鎖は静かで、誰も命じていない。

北の方角では、草原と森の境が今年また動いた。木が一本、地中から倒れた。根が腐っていた。その場所に光が落ち、背の低い植物が伸び始めている。

旧人の群れが三つ、移動している。広い爪先が泥に跡を残し、次の雨で消える。彼らは声を出さない。互いの位置を体で知っている。

遥か北の乾いた台地では、別の種類の者たちが崖の下に眠っている。彼らも起き上がり、また移動する。始まりの大地の者たちを知らない。始まりの大地の者たちも彼らを知らない。

東の海岸では潮が引き、干潟が現れた。貝が砂の中にいる。誰もそこにいない。

始まりの大地は豊かだ。子が増えた。乳を飲む音が夜に重なり、焚き火の周りに体が増えた。しかしその分、水場が混み、岸の良い場所が争われるようになってきた。豊かさが摩擦を作っている。この星にはよくあることだ。

与えるもの

石のことを渡した。

ただの石ではない。あの石だ。割ると断面が鋭くなる、あの種類の。風がその方向から吹いた。乾いた土の匂いがして、その者の鼻孔が広がった。

その者は立ち止まり、川岸の石を見た。しかし手を伸ばしたのは丸い石のほうだった。割れない。鋭くならない。水切りに使える石。

渡そうとしたものとは違う。

だが、その者はしばらくその石を持ったまま、水面を見ていた。

何かが届いたのか、それとも全く別の何かを受け取ったのか。渡したはずのものが別の形になって戻ってくる。次に渡すなら何か。もっと近くで鳴らすべきか。もっと強い匂いか。それとも、この者が自分で選ぶものを、しばらく見ているだけでいいのか。

その者(29〜34歳)

川は浅い。

足首まで入ると、冷たさが足首の骨の中まで届く感じがした。その者は動かなかった。流れが足首を押し、砂が少しずつ動く。

風が来た。

鼻の奥に何かが触れた。土の匂い、でも少し違う。乾いた石の匂いだと、その者は知らない言葉で知っていた。顔を向けた。岸に石が積み重なっている場所。

歩いた。

石を一つ持ち上げた。重い。丸い。水に入れると、体をかすめて底に沈んだ。もう一つ。今度は低く投げた。水面を二度跳ねて沈んだ。

その者は岸に座り、ぬれた足を草の上に伸ばした。

石はまだ手の中にあった。置く気になれなかった。

群れの方から声がした。子どもの泣き声と、それをなだめる低い声。その者は立ち上がった。石を持ったまま戻った。

焚き火の前に座り、石を地面に置いた。

夜、目が覚めたとき、石はまだそこにあった。その者は手探りで確かめ、また目を閉じた。

伝播:DISTORTED 人口:425
与えるものの観察:渡したものと、受け取ったものが違う。
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第1311話

紀元前293,455年

その者(34〜39歳)

岩が、割れた。

二つになった岩のうち、片方が斜面を転がり、草の中に消えた。もう片方が手の中に残った。断面が白く、光を受けていた。

その者は断面に触れた。指先が止まった。

滑らかではなかった。鋭くもなかった。しかし他の岩とは違う何かがそこにあった。割れた岩がどこかへ行って、割れた岩がここに残った。それだけのことを、その者は長い間、手の中で感じていた。

群れの声が遠くから聞こえた。川べりで何かを見つけたらしかった。誰かが叫び、誰かが走る音がした。その者は立ち上がらなかった。

岩を置いた。拾った。また置いた。

夕方になった。群れが戻ってきた。子どもが一人、岸で転んで膝から血を流していた。母親が泥で傷を塞いだ。子どもは泣き止まなかった。

その者は岩をまだ持っていた。

夜、火の近くに座った。旧人の影がいくつか、林の縁に立っていた。毎夜のことだった。群れの年老いた者が低い声を出すと、影は動かなくなった。その声が何を意味するか、その者は知らなかった。しかし年老いた者がその声を出すとき、全員が動きを止めることは知っていた。

岩を火の光にかざした。

断面がまた白く光った。その者は岩を火に近づけた。熱くなった。引いた。

朝になった。

川の増水が始まっていた。岸の砂が一晩で動いていた。群れは荷物をまとめ始めた。その者は岩を持って立った。それを誰かに見せようとしたが、誰も止まらなかった。移動が始まっていた。

歩きながら、その者は岩を捨てた。

二歩歩いて、戻った。拾った。

また持って歩いた。

第二の星

五年が積み重なった。

川岸は変わった。増水が繰り返され、砂の堆積が進み、中州はさらに広がった。鳥の種類が増え、新しい草が生えた。北の境界では、倒れた木の場所に光が差し込み、若い木が伸び始めた。小さな変化が連なって、かつての地形をゆっくりと書き換えていた。

集団は大きくなっていた。豊穣が続いていた。子が生まれ、育ち、また子を産んだ。しかし大きくなることは、それだけでは安定ではなかった。誰がどこで食べるか。誰がどの岸に先に着くか。声の大きな者と声の出ない者の間に、目に見えない境界が引かれ始めていた。

旧人との距離は縮まっていなかった。しかし増えてもいなかった。両者はただ、夜に林の縁で向き合い、朝になると離れた。それが五年間、繰り返された。

何かが蓄積していた。

争いではなかった。知識でもなかった。しかし誰かが岩の断面に触れ、それを捨てず、戻って拾うような動きが、このあたりの空気の中に少しずつ染み込んでいた。

与えるもの

断面に光を落とした。

白い光がそこに当たった。その者は触れ、置き、また拾った。

捨てたのに戻った。それが問いだ。渡したのかどうかまだわからない。しかし次に渡すべきものは、もう少し先にある気がしている。

伝播:NOISE 人口:435
与えるものの観察:捨てて戻った。それだけで十分かもしれない。
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第1312話

紀元前293,450年

第二の星

雨が続いた。

大地の南側、乾いた岩盤が連なる地帯では水が地表を這い、低いところへ低いところへと集まった。普段は白く干上がっている窪地に水が溜まり、草が芽吹き、小さな獣が集まり、それを追う大きな獣が来た。

北の森林地帯では別のことが起きていた。木の実が例年より厚く実り、古い木が倒れた場所に若い木が密集して伸び始めた。その下の暗がりで、菌類が広がり、芋虫が太った。

二つの群れが同じ水辺を使い始めた。

どちらが先にその水辺を知っていたか、どちらが長く使ってきたか、双方は互いに知らなかった。ただ獲物の足跡が重なり、焚き火の跡が近い距離に並んだ。夜、どちらかの群れの子どもが泣くと、もう一方の群れが声の方向を向いた。

豊かさは近寄らせる。近寄ることは、また別のことを始める。

遥か離れた地では、乾燥した台地を四足の巨大な獣の群れが移動していた。何万もの蹄が地を叩き、土埃が空に昇った。その轟きを聞く者は、この地にはいなかった。

輪の外側で目が合う頻度は、以前より速く増えていた。

与えるもの

受け取った、

その者(39〜44歳)

白い断面のことを、まだ覚えていた。

岩は持ち歩いていない。群れが移動するとき、重いものは置いていく。しかしあの白さは手の裏に残っていた。冷たく、なめらかで、指先が少し沈むような感触。実際には沈まない。そう感じただけだ。

水辺が変わった。

以前は一つの水場に群れ全員で来ていた。今は水の端が広がり、別の場所にも水が溜まっている。子どもたちは新しい水辺に駆けていった。その者はついていかなかった。

知らない煙の匂いがした。

焚き火の煙は群れによって違う。何が違うのか説明できない。ただ違う。あの匂いは自分たちの火ではなかった。

その者は草の中にしゃがんで、煙の来る方を見た。

茂みの向こうに、人影があった。

こちらを見ていた。

立っていた。動かなかった。額が広く、眉の骨が厚かった。持っているものは棒のようなものだった。その者も棒を持っていた。

長い時間、どちらも動かなかった。

風が変わり、相手の匂いが来た。生き物の匂い。汗と皮と、焦げた何か。

その者は立ち上がった。

相手も立ち上がった。

その者は一歩、後ろへ下がった。相手は動かなかった。その者はもう一歩下がり、茂みに背中が触れたところで振り返り、群れの方へ戻った。

戻りながら、まだ匂いを感じていた。

群れに戻ると、年上の男が声を荒げた。何を言っているのか半分はわからなかったが、体を押された。叩かれた。その者は地面に手をついた。

土が湿っていた。

押した男が何かを叫び、他の者たちが集まった。その者は地面を見ていた。

湿った土の上に、小さな虫が一匹いた。

虫は歩いていた。どこかへ行こうとしていた。その者は虫を見ていた。男たちの声が続いていた。虫は草の根元に消えた。

その夜、その者は輪の端に座った。

火から遠い場所だった。

煙の匂いはまだどこかにあった。あるいは自分の皮膚についているのかもしれなかった。その者は自分の腕を嗅いだ。

よくわからなかった。

闇の中で、遠くに別の火が見えた。小さく、動かなかった。消えなかった。その者はその火を見ていた。

瞼が重くなった。倒れるように横になった。

草が耳の下で音を立てた。

遠い火は、まだそこにあった。

五日後、年上の男たちが群れの中で何かを決めた。その者には声がかからなかった。翌朝、数人が棒を持って出かけた。その者はついていこうとした。男の一人が立ちふさがり、音を出した。行くな、という意味だった。

その者は残った。

待った。

男たちが戻ったとき、棒に血がついていた。

誰も怪我をしていなかった。

その者は男たちの目を見た。誰も目を合わせなかった。

その夜、遠い火は見えなかった。

その者は草の上で膝を抱えた。煙の匂いはもうどこにもなかった。

伝播:HERESY 人口:538
与えるものの観察:受け取った。それだけだ。
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第1313話

紀元前293,445年

その者(44〜45歳)

群れの端を歩いてきた。

長い年月、そうだった。先頭には立たず、中心にも入らず、いつも少し外側を。岩のそばで眠り、火から遠い場所で食べた。それでも生きた。四十五の季節を。

朝、川岸で水を飲んだ。

水面に映ったものを、しばらく見た。波紋が広がり、顔が揺れ、消えた。その者は手をついたまま立ち上がらなかった。膝が川底の石を踏んでいた。冷たかった。

遠くで声がした。

怒鳴るような音。低い唸り。それから高い声。群れの中で、何かが割れていた。食料のことか、場所のことか、その者には言葉がなかった。しかし音は腹に届いた。

その者は川から上がった。

草が足に絡んだ。振り払った。岸に置いた石を拾った。持ち続けてきた、丸くて重い石。どこで拾ったかはもう覚えていない。

声が大きくなった。

群れの中に入った。

何かがすでに動いていた。二人の男が組み合っていた。周囲に人が集まり、叫んでいた。その者は見た。石を握ったまま見た。

風がその者の右側から吹いた。

乾いた草の匂い。獣の脂の匂い。その者は右を向いた。何もなかった。ただ風が吹いていた。

次の瞬間、背後から衝撃が来た。

重いものが、頭の後ろに当たった。音は聞こえなかった。地面が顔に近づいた。草が目の前に広がった。その中に小さな虫が一匹いた。

虫は動き続けた。

その者の手が開き、石が転がった。

草の上で止まった。

虫はその石の下に潜り込み、見えなくなった。

第二の星

北の斜面では、若い雌の旧人が岩陰に子を産んでいた。声を殺して、息を詰めて。子は産まれた。泣かなかった。旧人はしばらく動かなかった。それから子を抱いた。温かかった。同じ空の下で、何かが終わり、何かが始まった。第二の星はそのどちらにも名前をつけなかった。

与えるもの

光が落ちる場所を変えた。草の匂いを乗せた風を送った。その者は右を向いた。間に合わなかった。

渡したかったのは逃げる方向だった。届いたかどうかわからない。届かなかったのかもしれない。それとも届いたが、動けなかったのか。

この問いも、また答えが出ない。

糸は別の誰かへ向かった。

伝播:DISTORTED 人口:546
与えるものの観察:届いたのか。届かなかったのか。問いだけが残る。
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第1314話

紀元前293,440年

第二の星

大地が裂けたのは夜明け前だった。

地平の向こう、山の連なりの奥。最初は音だった。低く、腹に響く。岩が岩に押し潰される音。それから光。空の一角が赤くなり、消え、また赤くなった。

地面が揺れた。一度ではなく、波のように。繰り返すたびに少し間が空いて、また来た。

灰が降り始めたのは次の朝だった。細かく、白く、降り続けた。草の上に積もり、水面に浮き、口の中に入った。

「始まりの大地」に散らばっていた集団のいくつかは、山から遠い低地へ移った。しかし崖が崩れた場所があり、水場が埋まった場所があり、逃げた先で飢えた者もいた。灰は三日降り続け、四日目に薄くなり、七日目に止まった。太陽は白く滲んで見えた。

遥か遠く、乾いた高原では、別の者たちが穴を掘っていた。地震とは関係なく、ただ根を掘り出すために。彼らは灰のことを知らなかった。空が少し霞んでいると思っただけだった。

集団はおよそ五分の一が消えた。崩落で。逃亡の途中で。灰を吸い込んで。食べるものが尽きて。

山はまだ煙を出していた。

与えるもの

糸が繋がった。

第249世代。火の管理者。

山が割れた夜、煙の匂いの中に別の匂いを混ぜた。獣の焦げた毛ではない。土が蒸される匂い。水が岩の割れ目から湧き出ている場所の匂い。

それが鼻に届いた。

この者は立ち止まった。逃げる群れの中で。足が一瞬止まった。それだけだった。

この者は結局、群れについて走った。湧き水の場所へは向かわなかった。

届いたのか。届かなかったのか。足が止まった、あの一瞬。それが何かだったのか、ただの疲労だったのか。

次に渡すなら、崖の縁の色の違いを見せたい。赤い土と黒い土の境目。そこだけ草が生えていない場所。それを見せる機会が来るかどうか。それは煙の中でまだ切れていない。

その者(47〜52歳)

地面が動いた。

眠っていた。岩の陰で、火から離れた場所で。体の下から突き上げるものがあり、目が覚めた。岩がぶつかり合う音が遠くから、近くから、どこからともなく来た。

立とうとして、また揺れた。膝をついた。

群れが走っていた。子を抱えた女が、老いた男が、声を出しながら低地の方へ。この者も立ち上がり、走った。火の場所を一度振り返った。炎は揺れていたが消えていなかった。もう一度振り返ったとき、崖の端に積んでいた石の山が崩れるのが見えた。

煙の匂いの中に、別の何かがあった。

足が止まった。

前を行く群れの背中。子供の泣き声。灰が口に入った。また苦かった。

走った。

灰は降り続けた。三日。この者は群れの中で火を守った。濡れた葉で火を覆い、乾いた枝を探し、湿った地面の上で熾火を移した。火が消えかけるたびに、この者の手が動いた。考えてから動いたのではなかった。手が先に動いた。

四日目、灰が薄くなった。

崖で落ちた者がいた。水場が消えた場所で引き返せなかった者がいた。子が二人、この者の手の届かない場所に行った。名を呼ぶ声が、声を持たないままの問いになって、風に溶けた。

七日目、山の煙は白くなった。

この者は火のそばに座り、炭になりかけた枝を並べた。一本、また一本。並べ終えて、また端から並べ直した。同じ長さに。同じ向きに。なぜそうするのか、言葉にはならなかった。ただ、手が動き続けた。

灰の中に、鳥の羽が一枚落ちていた。白かった。

拾った。

持っていた。

どこかに置くまで、ずっと持っていた。

伝播:DISTORTED 人口:458
与えるものの観察:足が止まった。その一瞬だけ、届いた。
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第1315話

紀元前293,435年

その者(52〜53歳)

朝、火が弱かった。

その者は近づいた。膝をついた。息を吹いた。細く、長く。火は揺れ、戻った。

指先が冷たかった。冷たいのは昨日からだった。

集団の若い者たちが走り回っている。声が上がる。笑いと怒鳴り声が混ざる。遠くで二人が地面に転がって揉み合っている。その者は見た。止めなかった。止める力が残っていないのではなく、止める必要があるかどうかを、もう判断できなかった。

若い雄が吠えた。別の若い雄がそれに応えた。

火は燃えている。

その者は薪を足した。湿った枝だった。煙が目に沁みた。涙が出た。涙が出ただけだった。

日が高くなった。

女たちが根を掘り返す音がした。子どもが何かを持って走ってきた。その者の膝に顔を押しつけた。子どもは何かを言いたかったが、その者には聞こえなかった。子どもの頭の重さだけがあった。温かかった。

手を置いた。頭の上に。

子どもはすぐに離れて走っていった。

午後、その者は岩の日向に座った。

背中を岩に当てた。岩は温かかった。昼の間に熱を蓄えた岩だった。何十年も、その者はこの岩を知っていた。岩の名前はなかった。ただの岩だった。

目を開けたままでいた。

空に鳥が一羽、弧を描いた。消えた。

息が浅くなった。それに気づいた。気づいたが、どうにもならなかった。

体の内側で何かが静かになっていく感覚があった。音が遠くなるのではなく、音は聞こえている。ただ、自分がそこにいることが、薄くなっていく。

若い者たちの声はまだしていた。火の煙が空に伸びていた。

その者は岩から離れなかった。

力が抜けた。横に傾いた。岩と地面の間に収まるように。顔が砂の上に来た。砂の粒が見えた。小さな虫が一匹、砂の中を動いていた。

虫は止まらなかった。

第二の星

乾いた台地の縁で、二頭の大型獣が争っていた。草が薙ぎ倒され、地面が抉れた。勝った方が去り、負けた方がその場に残った。空から翼のある者たちが降りてきた。台地には風が吹いていた。止まない風だった。

与えるもの

糸は別の誰かへ向かった。

伝播:SILENCE 人口:471
与えるものの観察:火は燃え続けた。その者がいなくなった後も。
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第1316話

紀元前293,430年

その者(57〜62歳)

朝、起きられなかった。

それだけのことだった。体が言うことを聞かなかった。膝が曲がらなかった。腕に力が入らなかった。横になったまま、煙の匂いだけが届いた。

火は燃えていた。別の誰かが継いでいた。

その者はそれを知らなかった。知る必要がなかった。鼻が知っていた。

五日が過ぎた。

水を口に持ってくる者がいた。小さな手だった。指が水滴のついたまま離れた。その者は飲んだ。飲んだのか、ただ唇が濡れただけなのか、区別がつかなかった。

腹は空いていなかった。

石が一つ、すぐそばに置かれていた。

誰かが運んできたのだろう。黒い、手のひらに収まる大きさの石だった。その者は指先で触った。冷たかった。冷たいのに、触っていると温かくなった。自分の熱だと、その者は知らなかったが、手は離さなかった。

外で何かが倒れる音がした。

獣が引き摺られていくときの音だった。子どもの声がした。笑っているのか、怒っているのか、その者には聞き分けられなかった。音は遠くなった。

煙の匂いが濃くなった。

夜になった。

その者の呼吸が変わったのは、炎が一度大きく揺れた後だった。

揺れて、戻って、また揺れた。

呼吸は戻らなかった。

胸が動かなくなった。手の石が転がり落ちた。音は小さかった。

誰も気づかなかった。夜が続いた。

朝、傍にいた者が気づいた。

その者の体は冷たかった。石と同じくらい冷たかった。

第二の星

乾いた台地の縁で、旧人の一群が水場を巡って新人の若者たちと向き合っていた。声はなかった。お互いに立ったまま、動かなかった。風が砂を流した。どちらも退かなかった。どちらも踏み込まなかった。やがて旧人の群れが方向を変えた。若者たちは動かなかった。

与えるもの

糸は別の誰かへ向かった。

伝播:NOISE 人口:480
与えるものの観察:石は自分の熱を知らない
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第1317話

紀元前293,425年

第二の星

乾季が終わった。

大地の東側、平らな草原に水が戻った。草が生えた。獣が来た。集団は動いた。子が生まれた。老いた者が二人、草の上に座ったまま戻らなかった。

西の岩山の陰、別の集団が火を囲んでいた。彼らは歯に顔料を塗っていた。何のためにそうするのか、彼ら自身も言葉を持たなかった。ただそうした。

北の湿地で、旧人の集団が魚を手で捕っていた。五人か六人か。水の中に腰まで浸かり、動かなかった。長い時間。魚が寄ってきた。手が閉じた。それだけのことが、半日続いた。

草原の中央、緊張があった。

二つの集団が同じ水場を知っていた。先に来た方が使う。後から来た方は待つ。それが慣習だった。しかし豊穣の季節が続き、双方の数が増えた。待つことへの不満が、音になる前から体に満ちていた。

若い雄が、向こう側の若い雄を見た。視線が交わった。どちらも目を逸らさなかった。

第二の星はそれを照らした。

どちらが先に動くかは、照らすことではわからない。

与えるもの

糸が繋がった。

この者の皮膚に光が落ちたとき、何かが伝わった気がした。気がした、だけだ。第1の星では12の糸を繋いだ。どれも届かなかった。

今朝、この者の腕の内側に陽が当たった。温かい場所に、温かさを送った。意味があるかどうかは知らない。

ただ、次に渡すべきものを考えている。

その者(19〜24歳)

水場に着いたとき、向こうの集団がすでにいた。

その者は後ろで立っていた。一人前ではない。前には出ない。年上の雄たちが前に出て、向こうの集団と向き合った。音が交わされた。低い音。長い音。途切れる音。

その者は水を見ていた。

水面が揺れた。向こう岸の者が足を動かしたからだ。さざ波が広がり、こちらの岸まで届いた。

その者の腕に陽が当たった。

温かかった。

ただそれだけのことが、全身に広がった。後退りしろという声が、体の奥から来た。声ではなかった。声の形をしていなかった。しかし退け、という意味だけは持っていた。

その者は一歩下がった。

前の雄たちは気づかなかった。交渉が続いていた。その者だけが、集団の外縁に立っていた。

水場の端、岸と岸が近い場所を見た。渡れる幅だった。向こう側に、若い雄が一人立っていた。その者と同じくらいの年だった。武器を持っていなかった。

視線が届いた。

向こうの若い雄は、目を逸らした。

その者も目を逸らした。

それだけで、何かが終わった。何かが始まった。どちらかはわからなかった。体の奥の、名前のない場所が、かすかに揺れたままだった。

伝播:HERESY 人口:470
与えるものの観察:腕に陽を落とした。届いたかは、まだわからない。
───
第1318話

紀元前293,420年

第二の星

草原に水が戻って、五度の季節が巡った。

東の草原では集団が散らばるように動き、また引き寄せられるように集まった。子が生まれ、老いた者が消えた。それを繰り返しながら、集団の輪郭はわずかに変わっていた。

遥か北の乾いた台地では、別の集団が岩陰に身を寄せていた。彼らの手は厚く、爪が割れていた。声の出し方がこの集団とは違った。母音が低く、唸りに近い。同じ種ではないかもしれなかった。あるいは、同じ種だったかもしれない。この星はどちらとも言わない。ただ、彼らが似た手つきで石を割ることは照らしている。

南の森の縁では、獣の道が変わっていた。大きな草食獣の群れが、以前は通らなかった岩場の低い谷を使い始めた。何かが変わったのか、何かを避けているのか。この星には分からない。ただ、足跡の数が増えた。

東の草原の集団の中で、緊張は皮膚の下にあった。言葉にはならない。しかし体の向きに出ていた。誰かが近づくと、別の誰かが一歩引く。火の周りに座る順番が変わっていた。

この星は等しく照らす。

与えるもの

五年。

渡した。岩の角度、風の残り香、獣の通った草の折れ方。この者は受け取った。少しずつ。全部ではなかった。それでいい。

今夜は違うものを渡す。

焚き火の煙が、いつもと違う方向へ流れた。東ではなく、北へ。集団の中の、ある男の方へ向かって。

この者の肌が煙に触れた。

この者はその男を見た。

——それだけだ。あとはこの者が決める。

かつて渡した知識が、誰にも届かないまま消えたことがある。十二度、消えた。煙の匂いを感じた者は一人もいなかった。だからといって渡すことをやめたとしたら、今ここに煙は流れていない。

次に渡すべきものは、もう見えている。

その者(24〜29歳)

煙が顔に当たった。

目を細めた。風がないはずなのに煙は動いていた。その者は煙の先を目で追った。

男がいた。集団の中で最も大きな声を持つ男。老いた指導者の横に立つことが増えた男。その者よりも十の季節は年上だった。

男の目がこちらを向いた。

その者は視線をそらさなかった。それは意図ではなかった。体が動かなかっただけだ。

男は笑わなかった。

その者の背中に何かが走った。冷たいものでも熱いものでもない。もっと古い感覚。草原で大きな獣の影を見た時のあれと、似ていた。

夜が深くなって、火が小さくなった。子どもたちが眠った。指導者の老いた体が布の中に沈んだ。

男がその者の方へ歩いてきた。

その者は立ち上がらなかった。

男は横に座った。何も言わなかった。しばらくして、男は短い音を出した。この者の名を呼ぶ音ではなかった。問いの音でもなかった。

その者は答えなかった。

男の肩がこちらに触れた。

その者の指が、地面の草をつかんだ。草の根が土から少し持ち上がった。その者はそれを握ったまま、草原の暗がりを見ていた。

男は長くそこにいた。

朝が来る前に、男は戻った。

その者は夜明けまで起きていた。草の根がまだ手の中にあった。

伝播:HERESY 人口:454
与えるものの観察:煙は届いた。この者が何を見たかは、まだわからない。
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第1319話

紀元前293,415年

その者(29〜34歳)

夜が来る前に戻るつもりだった。

茂みの端で足を止めた。草が腰まである。足の裏に、湿った土の感触。東から風が来て、草が一方向に倒れ、また起きた。

その者は手に岩を持っていた。尖った縁。いつも携帯している。集団が休んでいる場所から、走れば少しの距離だ。

今日は単独で出た。珍しいことではない。若い狩り手が一人で動くのは、まだ試されている時期のことだ。誰かの目がある方向で失敗するより、一人で失敗する方がましだと体が知っている。

草の向こうで何かが動いた。

その者は低くなった。膝をついて、草の中に消えた。体が勝手にそうした。長く息を吸って、止めた。

動くものは獲物ではなかった。

二人の者が立っていた。背格好がちがう。顔の作りがちがう。集団の者ではない。旧い形をした者たちだ。よく見る。草原のあちこちに、あの顔がいる。

その者は動かなかった。

二人はこちらに気づいていない。低い声で何かを交わしていた。音の形が異なる。同じ声の形でも、意味がずれる。その者は子どもの頃からそれを知っていた。まねをすると笑われた。まねをすると怒られることもあった。

風がこちらへ向きを変えた。

その者の匂いが草を渡る。

二人の者のうち一方が、顔をこちらへ向けた。

その者は動かなかった。岩を握る手に力が入った。尖った縁が掌に食い込む。

相手が見ているのか、草を見ているのか、わからない。

長い間があった。

二人は向きを変え、草原を南へ歩いていった。

その者はその場に座り込んだ。膝から力が抜けた。草が体を隠した。

岩を地面に置いた。

拾い直した。

また置いた。

夜が来るまでそこにいた。戻らなければいけないと思う部分と、まだここにいると決めている部分が、体の中で別々に存在した。

闇が草原に降りてきた頃、その者は集団の方向へ歩き始めた。

戻ってすぐ、年老いた狩り手の一人が近づいてきた。声を出さずに、顔を見た。それだけで何かを読んだらしい。

年老いた狩り手が短い音を発した。

その者は答えなかった。

返事ができる音を持っていなかった。

翌朝、集団の中に変化があった。いつも端に座る者たちが、真ん中の方へ来ていた。それだけだ。しかしその者には、何かが動いたと感じられた。

東の草原で会った二人の者のことを、誰にも話さなかった。

話すための言葉がなかったし、話すことが正しいかどうかも、まだわからなかった。

その者は岩を持って、集団の外れに座った。

草原に光が満ちてきた。

第二の星

東の草原に、雨季が戻ってから五年が経った。

水場の周囲に草が育ち、草の中に獲物が戻り、獲物を追う者たちが動いた。集団の輪郭はゆるやかに広がり、端に生まれた子が育つ前に消えることもあれば、育って動き回ることもあった。

北の台地では乾いた風が続き、岩陰に集まる集団がさらに数を減らしていた。南では別の集団が川沿いに沿って移動し、新しい水場を発見した者が集団を引っ張った。

東の草原では、二種類の者たちが同じ水場を使うことがあった。同じ草原に痕跡を残し、時に顔を見合わせ、時に見ないまま離れた。どちらが先にそこにいたかは関係なかった。どちらが先に去るかだけが、その場の答えだった。

その者の集団では、内部の緊張が高まっていた。声が大きくなる者と、小さくなる者がいた。食料の分配をめぐって、手が伸びる方向が変わりつつあった。誰かを排除することで集団が締まることを、集団はすでに知っていた。知識ではなく、体で知っていた。

天頂から照らすと、草原はただ草原だ。

動く点がいくつかある。どれが何者かは、近づかなければわからない。

与えるもの

風の向きを変えた。

匂いが草を渡るように。相手がこちらを向くように。

その者は動かなかった。岩を握って、座った。

——動かなかった。それは知っていることか、それとも初めてか。

次に渡すべきものを、まだ決めていない。動かないことを学んだ者に、次に何が要るか。問いだけが残る。問いを渡せるかどうかは、わからない。しかしそれでも渡す。

伝播:HERESY 人口:447
与えるものの観察:動かないことを、体が先に知っていた。
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第1320話

紀元前293,410年

第二の星

北の岩地では霜が降りている。草のない平原で、二つの集団が百歩の距離を挟んで向き合っている。どちらの集団にも、額の低い者と高い者が混じっている。声を出している者がいる。腕を広げた者がいる。石を手に持ったまま動かない者がいる。

始まりの大地では乾いた風が続いている。川床が砂になった。木の実は小さく、皮が厚い。集団の半数が川の上流へ移ったが、残った者たちは元いた岩場の周辺に留まっている。子どもが三人、今季に生まれた。老いた者が一人、歩けなくなった。集団の中に、若い狩り手を指さして何か言う者がいる。声の調子は低い。

南の海岸では貝を割る音がしている。二人の子どもが波打ち際で走っている。潮が引いていく。

与えるもの

腕の太い木の、根元に近い部分。影の中に折れた枝が落ちている。その枝の先が尖っていた。

この者は屈んだ。手に取った。しばらく持って、捨てた。

捨てた。捨てるのか。しかし手のひらの感触はまだこの者の中に残っている。次は何を渡せるのか。渡せたとき、捨てることと拾うことの間に、何かが生まれるのか。

その者(34〜39歳)

集団の中で、何かが変わっている。

年上の狩り手が、この者を見るときの目が違う。前は何も言わなかった。今は何かを言う。短い音で、二度繰り返す。他の者も聞いている。聞いてから、この者を見る。

この者は火のそばに座っていた。

夜、岩を背にして眠れなかった。目を開けると星がある。腹の奥に、重いものが溜まっているような感覚がある。名前がない感覚だった。

昼、獲物の足跡を見つけた。ひとりで追った。戻ってきたとき、手に何も持っていなかった。集団の年上の者が、この者の顔を見た。何も言わなかった。

それが、言葉より重かった。

翌日、この者は木の根元に座っていた。折れた枝を拾って、また捨てた。土の上に置いた。尖った先が空を向いていた。

この者の手のひらに、その感触だけが残った。

岩を拾う。置く。また拾う。

夜まで、その者は動かなかった。

伝播:HERESY 人口:434
与えるものの観察:捨てた手の中に、何かが残っている。