2033年、人類の旅

「紀元前293,045年〜紀元前292,925年」第1393話〜第1416話

Day 59 — 2026/06/01

読了時間 約56分

第1393話

紀元前293,045年

第二の星

川が三日、鳴り続けた。

岸辺の葦は夜明けのうちに根ごと引き抜かれ、濁流は音ではなく重さとして届いた。大地の低い側から、水はまず地面を舐めた。足首。膝。腰。逃げた者は丘に向かい、丘のない場所にいた者は木に登り、木のない場所にいた者は何もしなかった。

水は選ばなかった。

老いた者の寝ていた窪みにも、生まれたばかりの者を抱えた腕の先にも、同じ速さで満ちた。逃げた者が振り返ったとき、後ろに続いていたはずの足音は聞こえなかった。水の音だけがあった。

この星は見ていた。

同じ頃、遠い砂の大地では旧人が泉のそばで眠り、その喉が静かに動いていた。眠りは深かった。洪水を知らず、失われたものの数を知らず、次の朝に目覚めた。

始まりの大地では、集団がかつての三分の一ほどになった。

生き残りは丘の上で互いの顔を見た。知っている顔が半分になっていた。子どもの顔がほとんど消えていた。泥は乾いた。水の引いた跡に、かつて火を焚いていた場所の炭が白く残っていた。使えるものは何もなかった。石器は流された。皮は流された。干した肉は流された。

集団は黙って立っていた。

一人の年老いた者が、丘を下りて泥の中を歩いた。戻ってこなかった。探しに行った者もいなかった。それだけのことだった。

数日後、生き残りのなかに緊張が走った。食料がなかった。水場が変わっていた。川の流れが変わっていた。かつて魚を獲っていた浅瀬は深くなり、かつて歩いて渡れた場所に渡れなくなった。

集団の中で声が上がった。誰かが誰かを指した。

その者が指された。

十一歳の、まだ体の小さいその者が、何かを知っていると思われた。それが何かは誰も言えなかった。知っているという感触が、集団の中に漂っていただけだった。排除の理由は、いつも明確ではない。

与えるもの

泥の上に、太陽が斜めに当たった。

光が強くなった場所に、浅い水溜まりがあった。その縁に、小さな草が一本、まだ立っていた。根が泥に残り、葉が光を受けていた。

その者は光の中の草を見た。それから、集団の声を聞いた。光より声のほうが大きかった。

草は踏まれた。

踏んだのはその者ではなかった。それで十分なのか、十分でないのか。渡したものが踏まれた場合も、渡したことは消えない。次に渡す場所を、まだ探している。

その者(11〜16歳)

声が自分に向いていることはわかった。

体が小さかった。走れば逃げられた。だが走らなかった。泥が足に絡んだ。声が近くなった。誰かの手が肩を掴んだ。そのまま、丘の縁に向かって引かれた。

押された。

斜面を転がり、泥の中に顔が埋まった。動こうとしたが、腕が動かなかった。

水が口に入った。

伝播:HERESY 人口:328
与えるものの観察:光を渡した。踏まれた。渡したことは残る。
───
第1394話

紀元前293,040年

その者(16〜20歳)

水が引いた後の地面は、歩くたびに沈んだ。

その者は岸の方へ向かっていた。理由はない。ただそこに光があった。朝の光が泥の上で平らに広がっていた。

足が泥にはまった。引き抜いた。また踏んだ。

川岸には何かが打ち上げられていた。丸い石。根の白いもの。見知らぬ形の枝。その者はそれらの前でしゃがんだ。触らなかった。ただ見た。

集団の中で、この者の立場は薄かった。食料を多く持ち帰ることもなかった。子もいなかった。言葉もなかった。ただいた。それだけだった。

水が引いてから、集団の中の緊張は変わっていた。失ったものが多すぎると、誰かが余分に見える。

その者は知っていたわけではない。ただ、ある夜から自分の場所に戻ると、焚き火の周りに隙間がなかった。何度か。

その日、その者は集団の端を歩いていた。

後ろから、石が来た。

大きな石ではなかった。それでも側頭部に当たった。その者は膝から崩れた。泥の上に手がついた。立ち上がろうとした。立てなかった。

顔が泥に触れた。

川の音がまだ遠くにあった。風が葦を動かしていた。その者の体は、少しずつ、動かなくなった。

誰も振り返らなかった。

第二の星

同じ空の下、乾いた岩の台地で、旧人の一人が石核を両手で割っていた。割れた断面が陽を受けて光った。男はそれを眺めた。何も言わなかった。石片は地面に落ちた。男はもう一度、石核を拾い上げた。

与えるもの

糸は別の誰かへ向かった。

伝播:HERESY 人口:329
与えるものの観察:渡した。届かなかったのかもしれない。また渡す。
───
第1395話

紀元前293,035年

第二の星

風が東から来ている。

草原の縁で、枯れた茎が一方向に倒れている。泥はまだ湿っているが、表面だけが乾き始めた。ひびが入るには、もう少し日が要る。

この地の南では、別の集団が移動している。数にして多くはない。彼らは丘の陰を歩く。直射を避けている。彼らの中に子どもがいる。小さな子どもが、大人の荷の端を握っている。握ったまま離さない。大人は振り返らない。歩く速度を落とさない。子どもは走る。

この地の北では、旧人の一群が水場の近くに留まっている。彼らは動かない。何かを待っているのか、何かを避けているのかは、この星には分からない。彼らの火は夜に見える。朝には煙になる。

中央の集団では、年長の者が倒れた。熱が出て、三日で動けなくなり、四日目の朝に手が冷たくなっていた。誰かが気づいた。声を上げた。それだけだった。

草が揺れている。風がある。空は白い。

多くの命がこの地で息をしている。この五年、増えた命もあれば、消えた命もある。どちらも等しく、この星の上にある。

与えるもの

糸が繋がった。

この者は十二歳だ。

今、この者の耳の近くで、音がした。風ではない。草でもない。小さな、乾いた音。枝が折れる音に似ているが、枝はそこにない。

この者がその音の方向を見たかどうか。

見た、と思う。でも私には分からない。

渡したのは音の方向だ。音の先に、水が少し残っている窪みがある。泥の縁が乾いて白くなっている。その白さの中に、何かが落ちている。骨か、石か、この者の目には分からないかもしれない。

この者は音の方向を向いた。それから別の方向を向いた。

それでいい、とは思わない。だが、次に何を鳴らすべきかを、私はもう考えている。

その者(12〜17歳)

見張りの場所は、いつも同じ岩の上だ。

その者は岩に腹ばいになって、草原の端を見ていた。見るべきものがあるわけではない。動くものがあれば声を出す。それだけが仕事だった。

日が傾いた。

腹が減っていた。昨日の朝に食べた後、何も食べていない。年長の者が死んで、集団の中が落ち着かなかった。食料を持つ者が誰かと言い合いをしていた。その者には関係のない話だったが、近づけなかった。

岩の上で、背中が熱かった。

何か音がした。

その者は顔を上げた。音の方向を見た。草が揺れていた。風だと思った。また草原の端に目を戻した。

腹の虫が鳴った。

その者は岩から降りた。集団の方へ歩いた。誰かが何かを食べているかもしれない。近くにいれば、分けてもらえることがある。いつも分けてもらえるわけではないが、近くにいなければ何も起きない。

火のそばに、女が座っていた。手に何かを持っていた。その者は少し離れた場所に座った。女は顔を上げなかった。その者も何も言わなかった。

火が小さくなった。

誰かが枝を入れた。火が戻った。

その者は火を見ていた。見張りの時間はまだ終わっていなかったが、岩に戻ろうとは思わなかった。暗くなれば、どうせ何も見えない。

女がその者の方に何かを投げた。小さな塊だった。肉だった。乾いていた。

その者はそれを口に入れた。噛んだ。飲み込んだ。

女はもう見ていなかった。

その者は火を見続けた。

伝播:NOISE 人口:345
与えるものの観察:音を渡した。向いた。それだけだった。
───
第1396話

紀元前293,030年

第二の星とその者(17〜22歳)

乾季が終わり、雨が戻ってきた年。泥に生えた草が膝の高さまで伸びる前に、南の集団が動いた。

その者は岩の縁に立って、遠くの煙を見ていた。指ではなく目だけが動いた。煙は朝に立ち、昼には消えた。また翌朝、立った。同じ場所ではなかった。少しずつ近かった。

集団の年長者が低い声で話し合っていた。その者は呼ばれなかった。雑用の者は呼ばれない。

草原の向こう、湿地の際で水鳥が群れをなして飛び立った。何かに驚いた飛び方だった。羽音が広がり、そして消えた。その者は音の消えた方向をしばらく見つめていた。

石を研いでいた。火の番をしながら。夜、炎の向こうで年長の男が別の男と額を寄せていた。声は聞こえなかった。ただ手が動いていた。指が何かを示す動きをしていた。

その者は石から目を上げた。

また下げた。

南の集団は五日で半分の距離まで来た。

丘の上から獣が水場に降りてくるとき、大きな群れは小さな群れを押しのける。水場にいる者が去る。去らなければ——その先を大地は問わない。ただ記録する。草が倒れた方向を。泥に残った跡の深さを。水の濁り具合を。

その者の腕に傷があった。新しい傷ではなかった。昨年の干ばつの前についた傷で、皮膚が盛り上がって固まっていた。夜になると熱を持つことがあった。その者はそこを親指で押した。痛みを確かめるように。それだけ。

ある朝、集団の中で声が上がった。

その者は火の番をしていた。遠くで声がした。走る音がした。何人かが草の中に消えた。その者は立ち上がり、火のそばに留まった。呼ばれていなかった。雑用の者は呼ばれない。

やがて戻ってきた者たちは声を低くして話した。その中に一人足りなかった。

その者は数えた。また数えた。一人、少なかった。

その夜、集団の輪の外で、その者は座っていた。草の先が露で光っていた。炎の明かりが届かない場所で、足の裏に冷えた土を感じながら、遠くの暗さを見ていた。

草の根元の匂いがした。湿った土と、腐りかけた葉の重なる匂い。その匂いの中に何かが混じった——獣の通った道に残る、毛と体温の痕。

その者の肩が止まった。息を止めたわけではない。ただ、何かが止まった。

匂いは消えなかった。

次の夜。また次の夜。南の煙は止まった。

集団の年長者が声を荒げた。その者に向かって。身振りで言った。近くに来るな。話を聞くな。行け。

その者は行った。

草原の端に、大きな岩があった。その者はそこに座った。岩は日中の熱をまだ持っていた。背中から伝わる温もりで、少し前まで太陽があったことがわかった。

その者は自分の手を見た。傷のない方の手を。開いた。閉じた。

指の間に土が挟まっていた。

排除は静かに起きた。

声を上げるほどのことではなかった。ある朝、その者が戻ろうとすると、誰も呼ばなかった。食物の分配から外れていた。火の番を言いつけられなかった。いつも隣にいた少年が目を逸らした。

集団はそのまま動き続けた。南の集団との緊張の中で、余計な者を抱える余裕を持てなかった。知りすぎた者は消える。声を立てずに消える。

その者は消えた。

草原の外れで、方向を失ったまま歩いた。水場を知っていた。岩の場所を知っていた。しかし集団を知っていた者は、もうそこにいなかった。

五日後、その者の足跡は湿地の縁で途切れた。

深みに落ちたか。力が尽きたか。泥がのみこんだか。

大地は問わない。足跡が途切れたことだけを、翌日の雨が洗い流した。

与えるもの

獣の匂いを草の根元に残した。

この者の肩が止まった。息の速さが変わった。

それだけ、届いた。

それから五日で、足跡が消えた。

渡せたのは一瞬の止まりだけだった。その止まりは何かになったか。ならなかったか。わからない。

わからないまま、次に渡すべきものを持つ。

持ち続ける。

伝播:HERESY 人口:337
与えるものの観察:匂いが届いた。それだけ。
───
第1397話

紀元前293,025年

第二の星

北から風が変わった。

乾いた空気が去り、湿気を帯びた風が低地を這うようになったのは、月が三度満ちる前のことだった。川床に水が戻り、泥が割れた跡を埋めた。草が伸び、虫が鳴き、獣の足跡が水場の縁に並んだ。飢えが緩んだ季節だった。

しかし南の集団は動いていた。

彼らは川に沿って北へ来た。数は多くなかったが、腹が減った者の目は違う。岩場を越え、低木の茂みを抜け、煙の跡を残しながら進んだ。煙は威嚇だったのか、それとも単に火を消し忘れただけだったのか、星にはわからない。どちらでも結果は同じだった。

北の集団の縄張りに、見知らぬ足跡が増えた。

初めは無視された。次に、石が投げられた。石は当たらなかった。しかし意味は伝わった。南の集団は引いたが、消えなかった。川の屈曲部に留まり、水場を共に使い始めた。

そこから十日ほど、奇妙な均衡があった。

子どもたちは遠くから互いを見た。大人は見ないふりをした。老いた者は地面を見ていた。言葉は届かなかった。声の高さと身体の向きだけが、辛うじて意図を伝えた。

均衡は岩の上で崩れた。

水場の近くで、北の若い男が南の者を突いた。理由は後からわからない。食料の奪い合いだったのか、場所への怒りだったのか、あるいは恐れだったのか。突かれた者は倒れ、岩に頭を打った。起き上がらなかった。

南の集団が叫んだ。

北の集団も叫んだ。

石が飛んだ。

夕方までに、両集団から何人かが崖の下に落ちた。星は照らすだけだった。川は変わらず流れ、水面に血が溶け、下流へ消えた。

夜が来た。

南の集団は川の向こうへ退いた。北の集団は岩の上に残った。死んだ者は二か所に分かれて横たわっていた。どちらの集団も、仲間の遺体を抱えて移動した。その夜、どちらも火を焚かなかった。

星は両集団を照らし続けた。

北の縄張りの端、岩の割れ目に隠れていた者がいた。見張り役の若い者で、全部を見ていた。体を動かさなかった。息を殺していた。南の集団の一人が岩の傍を通ったとき、その者の目と目が合った。

南の者は立ち止まった。

数拍の間、どちらも動かなかった。

南の者は行った。

その者は岩の割れ目に残った。朝まで動かなかった。

与えるもの

水場の縁に、大きな石が沈んでいた。水がそこだけ深く、静かに淀んでいた。その石の表面に、昼の光が差したとき、影が鮮明に落ちた。逃げるなら水の中を渡れ。足跡が残らない。

その者は水に入らなかった。岩の割れ目に留まった。

渡したものが使われなかった。しかし不思議と、問いは同じところへ戻ってくる。知らないまま生き延びた者と、知って動けなかった者と、どちらが次を拓くのだろう。わからない。だからまた渡す。次は、別のものを。

その者(22〜27歳)

夜明けに、腕が震えていた。寒さではなかった。

岩から出て、水場の縁を歩いた。死んだ者の一人が砂の上に残っていた。北の者か南の者か、もうわからなかった。

その者は岩を一つ拾い、その者の傍に置いた。

理由はなかった。ただ置いた。

伝播:HERESY 人口:329
与えるものの観察:目が合った。どちらも動かなかった。それだけ。
───
第1398話

紀元前293,020年

その者(27〜32歳)

朝、集団の縁に立っていた。

見張りの仕事だ。岩の陰から平地を眺め、動くものがあれば声を上げる。それだけでいい。太陽が低く、影が長く伸びている。草に露が残っていた。

平地の向こう、木立の間に影が動いた。

大きい。四本脚ではない。

その者は声を上げなかった。喉まで来たものが止まった。動くものを見た回数より、見なかったふりをした回数の方が多い。それが正しいのかどうか、言葉では測れない。ただ止まった。

影はゆっくり木立に消えた。

日が高くなり、集団が動き始めた。女が子を背に縛り付け、男が皮袋を担ぐ。水場から離れる季節ではない。ただ、昨日と今日で、誰かの顔が一つ変わっていた。夜の間に消えた者がいた。どこへ行ったかは問わない。

その者は地面に座って、草の根を引き抜いていた。根の先に白いものがある。かじると渋い。飲み込む。

そのとき、風が止んだ。

止まった空気の中で、においが来た。煙ではない。獣でもない。湿った土と、何か腐り始めたもの。その者は顔を上げた。においの方向に木立がある。朝、影が消えた方向と、同じだった。

その者は根を持ったまま、立ち上がった。

近づかなかった。

ただ、方向を覚えた。においを覚えた。それが何かは分からない。分からないまま、草の根をまた引き抜いた。口に入れた。渋かった。

夕方、その者は岩に背をもたせかけて空を見た。雲が西から来ていた。雨になるかもしれない。なるかもしれないが、昨日もそうだった。

夜、集団が火を囲んだ。その者は端に座り、木立の方向を見ていた。においはもうしなかった。風が変わっていた。

朝の影が気になった。夜もまだ気になっていた。それだけだ。

第二の星

干ばつが去って最初の雨季が戻った。草が伸び、水が来た。獣が戻り、集団の腹が少し満たされた。そうして人が少し増えた。

だが平地の向こうには別の集団がいる。水場を共有していた時期もあった。今は近づかない。何かがあったのか、何もなかったのか、そのどちらかだ。距離を保つことが習慣になっている。

この5年、集団の緊張は火種のままだ。爆ぜてもいない。消えてもいない。子は生まれ、老いた者は消え、若い者が集団の縁を担う。見張りが増えた。夜に声を上げる者が増えた。

始まりの大地の東に、高い岩棚がある。そこから平地が見渡せる。複数の集団がその岩棚を知っている。占有はしていない。ただそこに上った者が有利だという事実だけがある。

水が戻り、草が伸び、世界が豊かになるほど、誰かと誰かが同じ場所に近づく機会が増える。干ばつの年は離散する。豊かな年は接触する。どちらが危ういかは、言葉で言えない。

与えるもの

においを嗅いだ。

その者は立ち上がり、近づかなかった。

近づかなかったことが正しかったのか、臆しただけなのか、私にはまだわからない。だが次に、同じにおいがしたとき、どちらに足が向くかを渡すべきかもしれない。

伝播:SILENCE 人口:338
与えるものの観察:においを覚えた。それだけで、今日は足りるか。
───
第1399話

紀元前293,015年

第二の星

乾いた季節が終わった。

大地の南側、赤みがかった土の丘が連なる場所では、草の根が水を引き寄せ始めている。半分以上が枯れていた低木に、葉の芽がいくつか出た。ほんの少し。地面が割れていた跡に、細い草が頭を出している。

その集団は移動した。もとの水場に戻ることができた。子どもが二人、途中で力を失った。一人は女が腕に抱いたまま歩き続け、止まらなかった。別の一人は夜が来るまでに動かなくなった。集団は朝、そのまま歩き出した。

北側の、岩が剥き出しになった高地では、旧人が三十ほどの群れで動いている。歩き方がこの集団と違う。前傾みで、荷を体に近く持つ。彼らも水を求めている。水を求めることに区別はない。

集団の縄張りの端と端が、ここ数日で重なり始めている。互いに見えている。逃げる者もいる。留まる者もいる。石を投げた者が二人、合図のような声を出した者が一人いた。

夜、焚火の数がそれぞれの方向に見える。

二つの火は、互いの位置を知っている。

与えるもの

旧人が踏んだ草の匂いが、風に乗ってこの者の方へ来た。

草が倒れた向き、その先に影があった。この者は匂いを嗅いで、止まった。

止まったことを、どう数えればいいかわからない。ただ、止まった。続きがあるかどうかは、この者が決める。次に渡せるものは、まだ探している。

その者(32〜37歳)

風向きが変わった瞬間に、何かが来た。

鼻の奥に入るもの。獣ではない。土でもない。何か別の、知っているような知らないような匂い。

体が固まった。

足を動かすのをやめて、立ったまま、鼻で息をした。もう一度。同じ匂いが来た。草の折れたような青さと、その下にある何か重たいもの。

目を細めて岩の方を見た。影がある。動いていない。

声を出そうとして、出なかった。

喉の奥で何かが詰まって、声になる前に止まった。足だけが少し後ろに引いた。一歩。それだけ。

遠くで木の枝が折れる音がした。それか、それではないか、この者にはわからない。

岩の影は動かない。

息を細くして、立っていた。長い時間か短い時間か、それも分からない。ただ立って、匂いを嗅いで、耳を開いていた。

やがて風が変わった。匂いが消えた。

それでもこの者はしばらく動かなかった。

体が覚えていた。何かがいたということを。形は見えなかった。音も確かではなかった。けれど匂いがあった。それは確かだった。

日が少し高くなってから、集団の方へ戻った。

戻りながら、振り返った。一度だけ。

岩のある方向を見た。何もいない。影もない。

何も言わなかった。言葉がなかったのではなく、何と言えばいいかわからなかった。

伝播:NOISE 人口:347
与えるものの観察:止まった。それは初めてかもしれない。
───
第1400話

紀元前293,010年

第二の星

赤みがかった土の丘の南端に、集団が留まっている。

乾いた季節が終わって最初の雨が来た。薄く、断続的に。地面の割れ目に水がたまり、半日で蒸発した。それでも草は伸びた。低木の葉が広がり、小さな実が膨らみ始めた。

集団の北の縁に、別の群れの痕跡がある。灰の跡、噛み砕かれた骨。火を使う者たちのものではない。頭蓋の形が少し異なる者たちが、この丘の近くを歩いていた。夜、彼らの声が遠くで響いた。低く、持続する唸り声。集団の中の数人が岩の方向へ体を向け、動きを止めた。

遠く離れた場所、水が大きく広がる岸辺では、別の集団が魚を浅瀬に追い込んでいた。棒で水面を叩き、声を上げ、腰まで水に入った者が両手で魚を掴んだ。その集団に子どもが五人いた。全員が生きていた。

さらに遠く、高い崖の下に人骨が三つある。雨が来るたびに少しずつ土に戻っていく。名前があったかどうか、この星には関係ない。骨は土になる。土は草を育てる。草の上を別の誰かが歩く。

丘の上、夜の風が南から吹いた。

与えるもの

糸は続いている。

この者と繋がって25年になる。渡したものの大半は、風のように通り過ぎた。それでも、渡す意志は変わらない。0回の記憶がある。12の糸が消えた場所がある。その重さを、問いの形で持ち続けている。

今夜、北の縁に残された灰の跡に、光が細く落ちた。夕暮れの角度から来る光で、普通なら岩の影に隠れる場所だった。灰の中に、獣の爪の跡があった。人の指とは違う刻み方をしていた。

この者は、その方向を見た。

立ち止まった。

それで十分かはわからない。しかし立ち止まったことは、動かなかったこととは違う。次に渡すべきものがある。爪の跡の近くに、もう一つ痕跡があった。足の形。両足の幅が、この集団の誰とも違う。渡し方を変えなければならないかもしれない。

その者(37〜42歳)

灰のところに行った。

しゃがんだ。手の甲で地面に触れた。まだ少し温かかった。昨日の熱が残っているのか、あるいは別の何かが最近そこにいたのか、判断できなかった。その者は判断という行為を言葉で持っていなかったが、腹の奥に引っかかるものを感じた。

立ち上がった。集団のいる方向を振り返った。

仲間のうちの一人、体の大きな男が川の方向へ歩いていた。その者は声を出した。短い音だった。男は振り返らなかった。

その者はもう一度声を出した。今度は高く、長く。

男が止まった。

二人の間に、何も言葉はなかった。その者が北の方向に腕を向けた。灰の跡がある方向ではなかった。灰より少し東、低木が途切れる場所だった。そこに足の形があることを、体が知っていた。目で確認したわけではない。ただ、そちらから何かが届いていた。温度ではなく、温度のなさが。

男が戻ってきた。

二人でしゃがんで、地面を見た。足の形は浅かった。重さの少ない者の痕跡。あるいは速く歩いた者の。

その者は岩を一つ拾った。

置くためではなかった。ただ手に握っていた。岩の重さが、腹の引っかかりを少し鎮めた。そういうことがあると、この37年で覚えていた。

夜、集団の端で寝た。火から少し離れた場所。風が北から南へ変わった瞬間に目が覚めた。闇の中、何も見えなかった。声も聞こえなかった。それでも体が起きていた。

朝まで、その者は眠らなかった。

伝播:NOISE 人口:362
与えるものの観察:立ち止まった。それは動かないこととは違う。
───
第1401話

紀元前293,005年

第二の星

草が戻った。

赤みがかった土の丘の南端では、集団が動きはじめていた。乾いた季節のあいだ骨ばった獣が草地の縁を歩き、子どもたちは日暮れ前に小屋の奥へ引っ込んでいた。今は違う。緑の薄い膜が地表を覆い、早朝に虫の羽音がした。

丘の北に、別の集団がいた。皮膚の色が少し違う。眉骨の出方が違う。けれど火を起こし、子を抱いた。旧い血が混じっていた。混じって何年か経つ。呼び名はとうに分からなくなっていた。

遥か西の乾いた台地では、岩に赤い手形が残されていた。誰かが何かを言おうとした痕だった。その者たちはもういない。手形だけが残った。

雨季が来る前の空が、東から白んでいた。

与えるもの

この者の腕に影が落ちた。

鳥ではない。木の揺れでもない。雲の切れ目だ。光がそこだけ細く落ちた。その光の先に、集団の長老格の男が立っていた。男は何かを決めようとしていた。その者のことを。

この者は光を見た。男は見ていなかった。

渡せたかどうか分からない。ただ、42年かけてこの者が育てた感覚は、光と影の差を読める。それだけは確かだ。次に渡すべきは、逃げる方向か。それとも、黙る技術か。どちらを先に示すべきか、まだ決めていない。

その者(42〜47歳)

42歳。

朝、集団の端で火の番をした。炭になりかけた枝を一本足す。足す量を間違えると煙が出る。煙が出ると長老格の男が来る。男が来ると、その者は黙った。

その者は匂いで季節を読めた。草の根が腐り始める匂い、土が水を含む前の乾いた匂い、雨の三日前の空気の重さ。集団の中でこれを知っている者は多くなかった。それが問題だったかもしれない。

45歳の秋。

東から別の集団の男が二人来た。眉骨が厚かった。長老格の男と何かを取り決めた。夜、集団の端で焚き火を囲む者の数が変わっていた。減っていた。その者は数えた。数えたことを悟られた。

腕をつかまれた夜のことは、ここに書かない。

47歳の、雨季が始まる前の朝。

その者は丘の南の斜面に立っていた。草の上に霧が低く漂っていた。足元が濡れていた。西に向かって歩いた。集団の声が後ろで遠くなった。振り返らなかった。

霧の中で膝をついた。立てなかった。草が顔の横に倒れた。虫が一匹、その者の手の甲を渡った。

草は揺れなかった。

伝播:HERESY 人口:357
与えるものの観察:光を渡した。この者は見た。それで足りたか。
───
第1402話

紀元前293,000年

第二の星

地平の北から、砂塵が来た。

砂ではなかった。砂に見えたが、実際は乾いた土の粒子で、軽く、風に乗って層をなして動いた。赤みと黄みの中間の色。夕方の光を受けると橙色に光り、見ている者には美しいと言える何かがあったかもしれないが、鼻の奥が痛み、喉が締まった。

北の丘の向こうに、別の者たちがいる。

集団の規模はほぼ同じだった。皮膚の色が違い、額の骨の出かたが違い、声の高さが違った。しかし火を持ち、子を抱き、腹を空かせていた。干ばつが続いた季節に、彼らの水場が先に枯れた。それだけのことだった。

最初の接触は静かだった。

夜明け前、南の集団の見張りが北から来る影を見た。三つ、四つ。腰を低くして草の縁を歩く。手に棒を持っていた。見張りは声を上げず、石を投げた。一つ目は外れ、二つ目が当たった。鈍い音がして、影の一つが膝をついた。残りは引いた。

それから五日間、何も起きなかった。

子どもたちは水場に近づかないよう言われた。声と手振りで。言葉は長くならなかった。「行くな」「危ない」それだけだった。大人たちは交代で丘の上に立ち、北を見た。

六日目の昼、北から煙が上がった。

縦に細く、真上に伸びる煙だった。風がほぼなかった。南の集団の中で、いちばん長く生きた者が、その煙を見て、何かを言った。他の者は黙って聞いた。同意の声があった。否定の声もあった。その夜、三人が北の方角へ歩いていった。

三人は戻らなかった。

翌日、北の丘から五人が来た。手には何も持っていなかった。腹を見せるように腕を広げた。子どもを一人連れていた。子どもは泣いていた。南の集団は遠くから見た。近づかなかった。五人はしばらくその場に立ち、それから戻った。子どもだけを置いて。

子どもは男で、歯が四本しかなかった。

南の集団は子どもを囲んで見た。触れる者もいた。怒る者もいた。一人の女が水を持ってきた。子どもは飲んだ。

その夜、集団は火を大きくした。

北の丘の上にも、小さな火が見えた。

どちらも消えなかった。夜が明けるまで。

砂塵はその日も続いた。乾いた風が東から来て、草地の縁を削った。水場の底がさらに下がっていた。小さい子どもが一人、水を飲もうとして泥しか出てこないのを見て、声を上げた。泥を口に含んで、吐いた。

集団の中で、何かが変わろうとしていた。

しかしそれが何かを言葉にできる者は、まだいなかった。

与えるもの

夜、北から来た子どもが眠った場所のそばで、温度が変わった。

地面の石が、日中の熱を少し長く保っていた。その者はそこに座っていた。石の温かさが太股の裏に触れた。

渡したのはそれだった。温かさと、その下にある石の固さ。その者は手のひらを地面につけ、ゆっくり離した。そして離した手を見た。

渡したものが何かになるかはわからない。しかし次に渡すべきものは決まった気がした。北の子どもが泥を吐いた場所の、その少し奥。そこに何かある。

その者(47〜52歳)

北から来た子どもが泣きやんだのを、その者は遠くから見ていた。

草の陰に座って、膝を抱えていた。自分の役目は見張りだった。しかし今夜は何を見張ればいいのかわからなかった。

手のひらに石を一つ拾って、握った。

放さなかった。

伝播:DISTORTED 人口:367
与えるものの観察:石の温かさを渡した。握ったままだった。
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第1403話

紀元前292,995年

その者(52〜55歳)

雨が増えた年に、その者は走れなくなった。

脚ではなかった。腹の奥に何かが詰まっていて、それが少しずつ固くなっていった。食べると痛んだ。それでも食べた。集団が大きくなっていたから、見張りの仕事は増えていた。

川の水量が増えた。木の実が重く垂れた。子どもたちの声が増えた。昨年の倍ほどいた。その者は子どもたちに高い場所を教えた。ここから見ると、あそこが見える。あそこが動いたら、知らせろ。手で空気を切り、指を立て、声を低くして教えた。子どもたちは笑った。その者は笑わなかったが、悪くはなかった。

その者が消えたのは別の理由だった。

集団の中に、二つの塊があった。どちらが多く食うか。どちらの男が決めるか。その者はそれを見ていた。見ていて、どちらの塊にも近づかなかった。それがよくなかった。

ある夜、大きい方の塊の男が近づいてきた。言葉は少なかった。声が低かった。その者は黙って聞いた。翌朝から、その者の居場所が狭くなった。食い物の分配から外された。見張りの場所に来ると、誰かが先にいた。

その者は水場に座った。水を飲んだ。また飲んだ。

腹の固さが増していた。

三十日ほど経った頃、その者は集団の外れに寝るようになった。自分で動いたのか、押されたのか、もうわからなかった。子どもたちは来た。食い物を少し持ってきた。その者は受け取った。何も言わなかった。

秋の終わりの朝。草が霜で白くなっていた。その者は草の上に横向きになっていた。

膝を抱えていた。

呼吸が浅かった。腹の固まりが肋骨まで広がっていた。痛みは朝に強く、昼になると少し引いた。しかし今朝は引かなかった。

光が来た。

斜めに差して、その者の手の甲に落ちた。霜が溶けていくのと同じ速さで、皮膚が温まった。その者は目を開けなかった。

手が開いた。

草に触れた。湿っていた。根の匂いがした。

それだけだった。

呼吸が一度、止まり、また少し続き、止まった。

霜はまだ白かった。

第二の星

同じ朝、遠い海岸で、波が砂を削っていた。削られた砂は沖へ流れ、沖で沈んだ。砂丘の形が変わった。誰も見ていなかった。星はどちらも照らしていた。

与えるもの

手が開いた瞬間、光がそこに落ちた——受け取ったかどうかわからない。ただ指が緩んだ。次は別の誰かへ。

伝播:HERESY 人口:453
与えるものの観察:光は届いた。手が開いた。それだけだ。
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第1404話

紀元前292,990年

第二の星

草原に風が走る。北から南へ、草の穂が揺れてまた戻る。

湿地の縁に、集団が六つある。それぞれに火があり、それぞれに子がいる。どの火も夜には小さくなり、夜明けには誰かが薪を足す。その繰り返しが今年も続いている。

東の斜面に別の骨格を持つ者たちがいる。額が前に張り出し、肩が広い。彼らは集団の主な群れとは重ならない場所を歩く。川の上流で水を汲み、岩陰に眠る。子を持ち、火を持ち、死んだ仲間の傍に一晩留まる習慣がある。

南の森で争いがあった。石が投げられ、二人が倒れた。一人は歩いて戻ったが、もう一人は戻らなかった。翌朝、その場所に黒い鳥が集まった。

豊穣の季節は続いている。川に魚が多く、草の実が重い。子どもが生まれる数も増えている。しかし集団の端では、果実をめぐる小競り合いが繰り返される。誰かが何かを押しのけ、誰かが黙って引き下がる。

光は全てを同じように照らす。争う者も、泥の上を這う赤子も、川面に映る空も。

与えるもの

糸が繋がった。

水たまりに光が落ちた。揺れる水面の中心に、小さな影が映っていた。

その者は光ではなく泥を掴んだ。

——泥を好む者がいる。光を好む者もいる。次に渡すなら何を渡すべきか。まだわからない。ただ、水面が揺れた。それは記憶に残る。

その者(1〜6歳)

草が口に入った。苦かった。吐き出した。

母の肌は温かく、獣の臭いがした。その臭いの中に眠ることができた。

雨が降ると地面が柔らかくなった。指が埋まった。引き抜くと音がした。また埋めた。また引き抜いた。

光る水たまりがあった。顔を近づけると何かが揺れた。手を入れた。冷たかった。泥が指の間に入った。握った。開いた。泥は崩れて水に溶けた。

誰かが転んで泣いた。その者も泣いた。理由はなかった。

夜、火の近くで母が何かを叩いていた。石と石だった。火花が散った。その者は瞬きした。また散った。また瞬きした。母は気づかずに叩き続けた。

空腹になると腹が音を立てた。その音が面白かった。押すとまた音がした。押した。また音がした。

別の子が走ってきて転んだ。その子の膝から血が出た。その者はしゃがんで血を見た。指で触れようとしたが、相手が泣き声を上げたので手を引いた。

夕方、集団の中で誰かが声を上げた。遠くで石が飛んでいた。母がその者を抱え上げた。速く動いた。臭いが変わった。その者は何も理解しなかったが、母の心臓が速く打っているのを腹で感じた。

夜が来た。火が小さくなった。

伝播:NOISE 人口:462
与えるものの観察:泥を握った。光ではなく。
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第1405話

紀元前292,985年

第二の星

湿地の縁に、六つの火がある。

夜、どの火も揺れている。風ではない。火の近くに人がいて、その人が動くたびに揺れる。子を抱く腕が動いて揺れる。骨を割る手が動いて揺れる。眠れない者が寝返りを打って揺れる。

五年が経った。

集団は増えた。増えたことで、縁が押し合う。六つの火は、去年より近い。一つの火の者が、隣の火へ近づく。用があるときだけではない。何もないときも近づく。近づいて、相手の火を眺める。眺めて、戻る。それが繰り返されている。

どの集団にも、こぶしに傷を持つ者がいる。

傷は古い。もう塞がっている。しかし傷の由来を互いが知っている。三年前の境界争いで、二人が死んだ。片方の集団から一人、もう片方から一人。どちらの集団も、その死を忘れていない。火の周りで、夜になると誰かが声を立てる。声は言葉ではない。しかし聞いた者の腹の底に何かが落ちる。

豊穣は続いている。

草は実り、獣の群れは北から戻ってきた。川には魚がいる。子が増えた。増えた子が走り回り、隣の集団の縄張りに踏み込む。踏み込んだ子を、隣の大人が摑む。摑まれた子が泣く。泣き声を聞いた親が走る。走った先で、目と目が合う。

目が合う時間が、去年より長くなった。

長くなった分だけ、何かが蓄積している。腹の中に、熱いものが溜まる。溜まったものに名前はない。しかし溜まり続けている。

北の丘の上に、一人の男がいる。両集団の者でも、どちらでもない。旧い顔つきをした者だ。現れる集団とは眉骨の出方が違い、顎が前に張り出している。その者は丘の上に立ち、六つの火を見ている。見るだけで、降りてこない。降りてきたら何が起きるか、誰も試していない。

夜が深まる。

六つの火がそれぞれ小さくなる。小さくなっても、誰かが起きている。起きている者が、隣の火の方向を向いている。向いて、また火を見る。

星が動いている。どの火の者も見ていない。

与えるもの

水面が震えた。

湿地の縁、岸に近い浅瀬——水草の根元あたりで、波紋が広がった。獣が通ったわけではない。風でもなかった。その者の足が、その場所にいた。

その者は水を見なかった。

振り返って、走った。

波紋が広がり切り、消えた。次に渡すものがあるとしたら。しかし今日は届かなかった。届かなかったことが、また積み上がる。

その者(6〜11歳)

泥の中に棒を差した。抜いた。差した。穴が残った。水が滲んで、穴が消えた。

また差した。

誰かに呼ばれた。声の方へ走った。棒は泥に刺さったまま、その者は戻らなかった。

伝播:HERESY 人口:447
与えるものの観察:波紋は広がり切り、消えた。
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第1406話

紀元前292,980年

第二の星

湿地の縁は乾いている。

五年前に水があった場所に、今は割れた泥がある。亀裂は掌ほどの幅になり、その中に風が入り込む。草が根から上に向かって枯れた。枯れた順番がそのまま残っている。

集団は移動した。北へではなく、東へ。水の匂いを追って。

水はあった。しかし浅い。すでに別の者たちがいた。旧い顔つきをした者たちで、眉骨が厚く、動きが遅かった。どちらも声を上げなかった。どちらも離れなかった。

水場の周囲で、二つの集団が同じ魚を見ていた。

魚が減り始めると、視線が変わった。声ではなく、身体で押した。誰かが石を拾った。誰かが石を置いた。

遠く、山の斜面では、霜がまだ残っていた。石灰岩の壁面に水が染み出し、凍り、また溶けた。その繰り返しが壁を少しずつ剥がしていた。剥がれた石は崖下に積み重なり、百年後には草が生えて、誰もそこが石だったとは知らなくなる。

水場の近くで夜が来た。二つの集団が別々の火を焚いた。

火の数は、合わせると十を超えた。

与えるもの

水面に光を落とした。

水際に生えた草の根元を。根が深く張った草で、水が引いても生き残っていた種類だった。

その者は火の近くで眠った。

根が深ければ生き残れる。しかし、その者が眠ったのは別の理由だ。疲れていたから。光は届かなかった。

それでも根は残っている。次に渡すべきものは、あの根ではなく、根のそばの水の匂いかもしれない。

その者(11〜16歳)

移動した日のことを、その者は知らない。

運ばれていたから。誰かの背中にいた。揺れていた。揺れが止まったとき、知らない草の匂いがした。

五年が経って、その者は自分で歩く。

水場の縁に立った。足の裏に泥がついた。冷たかった。一歩引いた。また泥の上に戻った。

向こう岸に、知らない顔があった。

眉骨の厚い顔。その者はそれを見た。見続けた。相手も動かなかった。

どちらが先に目を逸らしたか、その者には分からなかった。

夜、火の傍らで横になった。腹が鳴った。誰かが骨を叩く音がした。その者は骨ではなく、水際で見た草のことを思い出した。思い出したというより、草の匂いが戻ってきた。鼻の奥で。

理由はなかった。眠くなったから、目を閉じた。

朝、同じ草がそこにあった。根元が濡れていた。その者は触らなかった。

伝播:NOISE 人口:454
与えるものの観察:光は届かなかった。根は残っている。
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第1407話

紀元前292,975年

その者(16〜21歳)

腹が音を立てた。

その者は崖の下の岩場に這いつくばっていた。十六歳。骨がまだ柔らかい年頃に、骨は既に何度か折れて曲がって固まっていた。

岩と岩の隙間に虫がいた。黒い。小さい。手で掴もうとすれば逃げ、じっとしていれば戻ってくる。その者は息を止めた。手を開いたまま待った。一匹が掌に乗った瞬間、指を閉じた。

口に入れた。

噛まなかった。飲んだ。

集団からは遠かった。集団の中心には長老がいて、肉がある夜には吠えるように声を出す者がいて、その者にはそのどちらも関係がなかった。端にいた。常に端にいた。乳飲み子と呼ばれる立場のまま、十六になっていた。

十七の夏、雨が来なかった。

湿地はまだあった。だが縁は白く固まり、踏むと粉になった。水のあった場所の形だけが残り、水はなかった。集団の動きが変わった。長老が顎でどこかを示した。全員が動いた。その者も動いた。

移動の列の最後尾で、その者は地面を見ながら歩いた。乾いた土の中に、小さな穴がいくつも開いていた。穴の縁に細かい爪の跡があった。何かがそこで生き、去っていた。

その者は屈んで穴を覗いた。

誰も待たなかった。

走って追いついた。

十八になる前の夜、隣に寝ていた女が動かなくなった。朝になっても動かなかった。腹が大きかった。腹の中のものも、外に出ることなく終わった。

誰かが岩を叩きつけていた。

その者ではなかった。だが音は聞こえた。岩が割れ、白い面が露わになる音。その者は起き上がり、割れた岩を拾い上げた。指で白い面を触った。滑らかだった。外側の灰色と、内側の白さが違いすぎた。

しばらく持っていた。

置いた。

また拾った。

拾ったまま、その日は眠った。

十九。集団の北側に、別の集団の痕跡が現れ始めた。

糞があった。人のものだった。焚き火の跡があった。骨があった。知らない割り方で割られた骨だった。

長老が唸った。若い男たちが石を持った。その者も石を持った。習慣として持った。理由は後からついてくる種類の行動だった。

三日間、何も起きなかった。

四日目の夜、火が見えた。丘の向こうに。遠かった。消えた。

その者は火が消えた場所を見続けた。暗くなってからも見た。何も見えなくなってからも、目をその方向に向けていた。

二十一。

乾季が長くなった。集団の中で口論が起きた。口論といっても言葉はなかった。声と体が言葉の代わりをした。誰かが誰かを突き飛ばした。突き飛ばされた者が立ち上がり、石を持った。持ち上げた。

その者はそれを見ていた。

石を持ち上げた者は、石を置いた。

その夜、誰もが別の方向を向いて眠った。

その者は眠れなかった。岩の冷たさが背中から来た。空を見た。光が多かった。多すぎた。意味がわからなかった。意味があるとも思わなかった。

ただ見ていた。

夜が終わり、また腹が音を立てた。

第二の星

乾季が続いている。

始まりの大地の南端では、岩盤が露出した斜面に小動物が集まり始めた。水を持つ植物を探して移動する群れがある。人もその後を追う。

北では、別の集団が尾根沿いに動いている。火を使う。骨を割る。知らない方法で割る。両者の痕跡が重なる場所が少しずつ増えている。まだ交わっていない。

集団の規模は安定している。子が生まれる。半数は幼くして消える。残った子が育つ速さと、年老いた者が消える速さが、今は拮抗している。

気候は崩れかけている。雨の来る時期がずれた。ずれた分だけ、水場の場所が変わった。変わった分だけ、人は動いた。

この五年間、何かが少しずつ動いている。突然ではなく、じわりと。

岩が割れ、白い面が見える。それだけのことが、この地で何万回も起きてきた。そのほとんどは誰にも見られずに終わる。ごく稀に、誰かの手が拾い上げる。拾い上げてから置く。置いてからまた拾う。

その繰り返しの中に、何かが宿るかどうかは、誰も決めていない。

与えるもの

岩の割れた白い面に、温度が落ちた。

夜の初めに。冷気がそこだけ一段低く。

その者は触った。

触ったまま眠った。

渡したかどうかは、まだわからない。だが渡す意志は変わっていない。外側の灰色と内側の白さの差を、この者の指が知った。それで十分かもしれない。それでは足りないかもしれない。

次に渡すのは、あの差が二つの岩の間にも存在することだ。

伝播:NOISE 人口:468
与えるものの観察:白い面に触れた指が、外と内を別けた
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第1408話

紀元前292,970年

第二の星

大地の南、乾季の終わりに近い。
草原が大きく傾いで平野に落ちていく場所に、二つの集団が互いの存在を知りながら近づかない。
一方は岩の陰に、もう一方は枯れた川床の向こうに。

風は北から吹いている。どちらの側にも等しく、煙の匂いを運ぶ。
どちらかが火を持っている。

岩場の集団の中に、骨の曲がった者がいる。
集団の外縁に、いつも外縁に。火から遠い場所で、火の匂いだけを吸って夜を過ごす。

川床の向こうでは、大柄な者たちが獣の皮をひっくり返している。
指の形が少し違う。眉の骨が厚い。
しかし同じように子を抱き、同じように夜に声を上げる。

この平野の上で、どちらの集団も相手を指さして声を上げる。
しかしその声に共通する音はない。
恐れと好奇は、同じ顔をしている。

草が揺れる。
両側から。

与えるもの

糸は続いている。

川床の向こうから、肉の焦げる匂いが風に乗ってきた。
その匂いが岩場に届いた瞬間、その者の目が動いた。

そちらを見た。
匂いの方向を見た。

その者は立ち上がった。しかし集団の誰かが声を上げ、その者の腕を引いた。

次に渡すべきものがある。
同じ匂いを持つ者がいる、ということ。
しかし「同じ」という概念は、この者にはまだない。
渡せるのは、鼻孔が広がる瞬間だけだ。

それで足りるか。
足りないとしても、渡す。

その者(21〜26歳)

腕に指の跡が残った。

誰かが強く掴んだ。
爪が食い込んだ場所が、夜になっても疼く。

その者は火から遠い岩に背を預けて座っている。
腹は鳴らない。今日は虫を三匹食べた。木の皮の裏に張り付いていた白いやつを、指で剥がして口に押し込んだ。
苦かった。
苦くても腹の中に何かが入ると、手の震えが止まった。

風が変わった。

鼻孔が開く。
焦げた何かの匂い。脂の匂い。
獣の、焼けた。

腹が鳴った。
さっき食べたばかりなのに鳴った。

体が岩から離れようとした。
その瞬間、腕を掴まれた。

声が来た。
低くて短い声。
集団の中の、大きな者からの声。

その者は座った。

匂いはまだ来ていた。
目を細めた。
鼻から息を吸った。
また吸った。

腕の痛みと、匂いが、同時にある。

夜が深くなっても、その者はその方向を向いたまま座っていた。
膝を抱えて。
骨の曲がった腕で。

川床の向こうで、何かが燃えている。

伝播:HERESY 人口:461
与えるものの観察:匂いは届いた。腕を掴まれた。
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第1409話

紀元前292,965年

その者(26〜31歳)

腹が鳴っていた。

何日か前から、固いものが喉を通らなくなっていた。草の根を噛んでも飲み込めず、吐き出した。集団の端に座ったまま、誰かが通るたびに顔を上げた。顔を上げて、また下を向いた。

干ばつの痕がまだ地面に残っている。ひび割れた土の模様は、踏まれても戻らない。その上に影が落ちていた。自分の影だった。

熱があった。体の内側から何かが押しているような感覚が、もう何夜も続いている。夜、膝を抱えて横になった。遠くで子どもが泣いていた。集団の別の端で、火がくすぶっていた。煙が低く流れた。

朝になった。

起き上がれなかった。

土が冷たかった。それだけははっきりしていた。頰の下の土が、夜明けの光より先に体に届いた。空が白くなっていく様子を、横向きのまま見ていた。草の葉が一枚、風もないのに揺れた。

誰かの足音が近くで止まった。しばらくして、また離れていった。

腹の鳴り声が止まった。それがいつのことか、わからない。気づいたときには、鳴らなくなっていた。体がただ重かった。重いというより、地面と区別がつかなくなっていくような。

光が動いた。

そのまま動かなくなった。

第二の星

岩の陰の集団が川床に向かって三歩、踏み出した。向こうの集団が止まった。風が変わった。煙の匂いが消えた。どちらも動かなかった。しばらく、二つの集団は互いを見ていた。やがて一方が引いた。足音だけが砂に残った。

与えるもの

熱い石。鼻の奥を刺す煙。眠りに落ちた瞬間の、落下するような感覚。

草の根が今朝も土の下にある。匂いが立ちのぼっていた。

この者は動かなかった。

届いたものがあったのか、なかったのか。最初から渡せる形ではなかったのか、それともこの者が受け取る前に終わったのか。問いを持ち続けることが何かを意味するのかどうかも、わからない。ただ、渡す意志だけが残っている。

糸は別の誰かへ向かった。

伝播:NOISE 人口:469
与えるものの観察:渡した。届く前に終わった。
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第1410話

紀元前292,960年

第二の星とその者(16〜21歳)

乾いた季節が終わりに近かった。

草原の縁に岩が重なる場所で、集団の若い者たちが四方に散っていた。先に行く者の役目は、危ないものを踏む前に踏むことだった。穴を見つける前に落ちる。棘を見つける前に刺さる。それが役目だった。

その者は十六だった。足裏が厚かった。

南の丘の向こうで旧人の群れが三日続けて同じ方向に移動していた。彼らは集団で動くとき声を出さなかった。足音だけが草を踏んだ。草は戻った。証拠を残さなかった。

その者は朝、水場へ先に行った。泥の上に足跡を見つけた。自分の足より幅が広く、指が短かった。しゃがんで触った。乾いていなかった。立ち上がり、後ろを振り返り、また水場を見た。

何もいなかった。

風が来た。北から来た。その者は鼻をあけた。獣の匂いではなかった。石の匂いでもなかった。人の匂いだったが、知っている人の匂いではなかった。

その者は水を汲まずに戻った。

集団の年長者がその者の顔を見た。その者は声を出さなかった。手で南を示した。指で幅を作った。足跡の大きさだった。年長者は目を細めた。うなずかなかった。

翌朝、集団は北へ動いた。

十七になった季節、その者は追い込み猟の先端を走った。獲物の蹄の音が土に響いた。体の前面に振動が来た。その者は走りながら方向を変えた。考えていなかった。体が先だった。

崖の手前で止まった。

後ろから獣が来た。横に飛んだ。獣が落ちた。音が続いて、消えた。

その者は崖の縁に立って下を見た。

仲間が来た。大きな声を出した。その者に触れた。肩を叩いた。強く叩いた。痛かった。

十九の頃、旧人の若い一人と水場で会った。互いに水を汲もうとしていた。どちらも止まった。

旧人の者は背が低く、首が太かった。目は深くへこんでいた。赤い土が額にあった。自分でつけたのか、誰かがつけたのか、その者にはわからなかった。

二つの者はしばらく動かなかった。

旧人の者が先に水を汲んだ。離れた。その者が水を汲んだ。離れた。

その夜、その者は火の側に座って手のひらを見た。

水場の土の匂いがまだ手についていた。

与えるもの

糸が繋がった。

足跡の横に水が光っていた。その者はそこに目を向けた。乾き始めた土と、まだ濡れた土の境目。受け取った。戻った。

あの選択が集団を動かしたのか。それとも年長者はもとから動くつもりだったのか。次に渡すなら、境目のことをまた示す。乾いたものと濡れたものの間。終わりかけたものと、始まりかけたものの間。その境に何かある。

伝播:SILENCE 人口:477
与えるものの観察:境目を感じた者が集団を動かした
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第1411話

紀元前292,955年

その者(21〜26歳)

崖の手前に立っていた。

足の裏が砂地の終わりを知っていた。もう一歩踏めば、下に何があるかわからない。それだけがわかった。

前を歩いた者が消えた。

声が上がった。遠かった。追いつけない場所から聞こえた。

その者は崖を迂回した。岩の縁を手で確かめながら、上ではなく横へ進んだ。傾いた地面に足が取られた。体が砂に沈む前に、草の束を掴んだ。根が抜けかけた。抜けなかった。

這い上がって、止まった。

息が戻るまで動かなかった。口の中に砂の味がした。掌の皮が裂けていた。血は少しだった。

前を歩いた者の名を、その集団の呼び方で叫んだ。

返事はなかった。

崖の下は見えなかった。岩と砂と、その先に何もなかった。

その者は立ち上がった。来た道を戻らなかった。別の道を選んだ。草の密度が変わる場所を探した。草が薄いところは地が固い。草が濃いところは水か穴がある。それは誰かに教わった知識ではなく、足が覚えていることだった。

夕方、集団のいる場所に戻った。

腕の傷を誰かに見せた。見せた意味はよくわからなかった。ただ見せた。

夜、火の近くに座った。前を歩いた者はいなかった。その不在を説明する言葉を、その者は持っていなかった。火が動いた。影が揺れた。その者は火を見つめ続けた。

第二の星

この時期、草原の縁では集団間の往来が増えていた。

干ばつが終わり、水が戻ると、獲物も戻った。獲物が戻ると、人も動いた。異なる集団が同じ水場に近づき、視線が交わされ、近づくか離れるかの判断が繰り返された。言葉を持たない者たちは体の向きで意図を伝えた。威嚇か無視か、それが曖昧な場合、どちらかが先に動いた。

崖は人を選ばなかった。足を踏み外した者は、どの集団のものも同じように落ちた。

この5年間で集団の人口はわずかに増えた。増えた分は、生まれた命が消えた命をかろうじて上回った結果だった。名前を持つ前に消えた命が最も多く、それを数える仕組みをまだ誰も持っていなかった。

先に行く者の役目は続いていた。崖の前に立つこと、穴の前に立つこと。先に踏んで、戻ってくれば次の者が通れる。戻らなければ、次の者が別の道を探した。それは戦略ではなく、習慣だった。

夜の火は各集団で別々に燃えていた。火と火の間の距離は、昼間の緊張の名残だった。

与えるもの

草の根を見ていた。

崖の縁で草を掴んだとき、根がどのくらい深く入っているか、手の感触の中に入れた。

この者は草ごと落ちなかった。

次に渡すべきものがある。根の深さだけでなく、どの草を掴むかという選択がある。この者がその選択を足で覚えているように、手でも覚えさせられるか。あるいは手と足はすでに別々に知っているのか。

伝播:SILENCE 人口:486
与えるものの観察:手が覚えている。足とは別の記憶として。
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第1412話

紀元前292,950年

その者(26〜30歳)

朝、集団のなかで誰かが目を逸らした。

その者はそれを見た。岩のそばに立ったまま、しばらく動かなかった。目を逸らした者の背中が遠ざかる。もう一人が別の方へ歩く。二人が同時に。それだけのことだったが、その者の胸の奥で何かが固まった。石が沈むように。

火のそばには近づかなかった。肉が分けられるとき、その者の番は最後だった。以前はそうではなかった。

その者は先行役だった。崖の縁を踏む。茂みに先に入る。獣の匂いを確かめる。それが自分の場所だと知っていた。誰よりも先へ行く者。それだけが自分を集団の中に繋ぎとめていた。

何かを見てきた。何かを知った。知りすぎた者が消されることを、その者は知らなかった。知っていたのは、視線が変わったという事実だけだ。

五日目の朝、長老格の男が顎で示した。遠くの崖。獣の足跡が続いている方向。その者は頷いた。

草が膝の高さまであった。乾いた草だ。足音が消える種類の草。その者は進んだ。後ろで誰かの足音がする。一人ではない。振り返らなかった。

風が変わった瞬間に、その者は立ち止まった。

草の青くさい匂いが消えた。代わりに汗の匂い。ひとつではない。複数。

振り返った。

三人いた。

その者は何かを言おうとした。単音が喉の奥にあった。出なかった。

崖はすぐそこだった。草がそこで終わる。

押されたのではないかもしれない。肩がぶつかった。足が縁を踏んだ。土が崩れた。

落ちながら、その者は空を見た。青かった。風が耳を通り過ぎた。

岩に背中が当たった。

それ以降、その者の体は動かなかった。青い空だけが残った。やがてそれも関係なくなった。

第二の星

大陸の北端、凍った湖の縁に、一人の子どもが氷の音を聞いていた。踏んでよいか、駄目か。その子どもは長い時間かけて、足をそっと乗せた。割れなかった。その晩、火のそばで眠った。

与えるもの

光が崖下の岩の割れ目に落ちた。草の茎が一本、そこに挟まっていた。その者の手が届くところに。その者は落ちながらそれを見た。見た、とだけ言える。掴もうとしたかどうかはわからない。掴もうとしたとしても、届かなかった。渡したのに届かなかったのか。渡したから見えたのか。それを考える前に、糸は別の誰かへ向かった。

伝播:HERESY 人口:472
与えるものの観察:落ちながら見た。それだけが渡った。
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第1413話

紀元前292,945年

その者(22〜27歳)

獣の足跡が三つ、泥に残っていた。

その者は腰を落として鼻を近づけた。獣の匂いがした。古い。一晩は経っている。それよりも、泥の端に別の跡があった。幅の広い、重い足跡。旧人の足。

立ち上がった。

集団の中に戻る道を頭の中で描いた。足跡は南に向かっている。旧人の群れがいるとすれば、水場と獲物の間に自分たちの縄張りが挟まれている。

喉の奥で低い音を出した。

誰もいなかった。追い役は散っていた。草の丈が腰まであり、互いの姿が見えない。

その者は走った。集団のいる岩陰まで、低木をかき分けて走った。

息を切らして戻ったとき、年老いた女が火のそばにいた。その者は足跡の形を地面に描いた。手で大きさを示した。南の方向を腕で指した。

老女は見た。それから別の方を向いた。

その者は同じことをもう一度やった。今度は音も出した。旧人のものだと思う低い声の模倣。唸り声に近い、腹の底から出る音。

若い男が二人、振り返った。

老女はまだ別の方を向いていた。

その夜、集団の端で火が燃えていた。その者は火から少し離れたところに座っていた。昨日から目を逸らしていた者が、また目を逸らした。今度は別の者も一緒に。

岩を拾った。置いた。また拾った。

拾ったまま、立った。

第二の星

赤道に近い大地。雨期の終わりで、草原は黄に変わりかけていた。水場の周囲だけが緑を残していた。

集団は472人。そのうち3分の1は子どもで、子どもの半数は五つになる前に消える。それが普通の季節だった。

旧人の群れとの接触は、この世代では珍しくない。大半は互いに距離を取り、擦れ違う。まれに争う。まれに同じ水場を使う。言葉は通じないが、体の大きさと姿勢で意図が伝わることがある。

集団の内部では、何かが変わりかけていた。変わりかけている、というより、ある方向に絞られていた。誰かが知りすぎると、他の者の表情が変わる。目が逸れる。体が向きを変える。それは言葉ではなく、配置で起きていた。

その者は足跡の情報を持っていた。

その情報を伝えようとしていた。

大地はそれを見ていた。草が黄に変わる速さと、集団の内部で何かが進む速さが、この夜、同じくらいだった。

与えるもの

足音が地面を揺らした。

その者の足の裏に、わずかな振動が届いた。旧人の方角とは違う。集団の内側から来る振動。その者はそれに気づかなかった。岩を握ったまま、外を向いていた。

それでいい、とは思わない。それでよかった、とも思わない。

渡すべきものはまだある。

伝播:HERESY 人口:456
与えるものの観察:岩を握ったまま、外を向いていた。
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第1414話

紀元前292,940年

第二の星

大地の南端に、岩が集まる場所があった。

風化した礫岩が積み重なり、その上に薄い草が這っていた。雨の季節が終わって久しく、草の色は灰緑から枯れ草色へ移りかけていた。太陽が高い位置を動く時間帯、岩は触れると皮膚を焼いた。

その岩場の縁に、集団がいた。

二十数人。別の集団だった。

彼らは岩の上に座って何もしていなかった。正確には、手を動かしていなかった。視線がこちらの集団に向いていた。じっと、長く。動かない視線は、飢えた獣とは違う重さを持っていた。獣は次の行動を計算している。この集団の目は、別のことをしていた。値踏みかもしれなかった。あるいは測量だった。水場の距離、食料のありか、この集団の人数、弱い者がどこにいるか。

双方が動かなかった。

片方の集団の中に、額に古い傷跡を持つ者がいた。その傷は右眉の上から耳の近くまで走っていた。額の傷の者が立ち上がった。腕を横に広げて、空気を押すように動かした。押し返せ、という意味だったかもしれない。引くな、だったかもしれない。あるいは単純に、数を示そうとしていた。

こちらの集団の中から、唸り声が上がった。

低く、腹の底から絞り出した音だった。一人が出し、それに続いて別の者が重ねた。声は重なると壁のような形になった。岩場の向こうの集団は動かなかった。額の傷の者が腕を下ろした。

風が吹いた。

南から来る風は乾いていた。草の葉が揺れ、砂埃が舞い上がって両集団の間の空間を漂った。誰かが咳をした。それ以外、音はなかった。

そのまま、日が傾いた。

岩場の集団が動き出したのは、影が東へ長く伸びてからだった。一人が立ち、次の者が立ち、整然とではなく、ばらばらに立ち上がって、岩場の奥へ歩き始めた。引くのか追うのか、最後まで誰も動かなかった。

遠くでは、水場をめぐる別の緊張があった。

北の丘に沿って流れる細い川が、今年の乾季に入ってから幅を縮めていた。昨年は両腕を広げた長さがあった流れが、今は片腕の幅になっていた。そこに二つの集団が、時間をずらして水を飲みに来ていた。時間をずらすのは偶然ではなかった。どちらかが来る前にもう一方が離れた。しかしその間隔が、少しずつ短くなっていた。

川の岸に残る足跡が、日ごとに重なり始めていた。

潰れた足跡の上に、別の形の足跡。その上にまた別の。旧人の幅広い跡が、現代型の細い跡の隣に押されていた。踏み消していた、とも言える。あるいは並んでいた、とも。読み方は場所によって違った。

この世界の緊張は音を立てない。

岩が動かないまま、川が細くなっていくように、圧力は静かに高まった。誰かが決定的なことをしたわけではなかった。誰かが叫んだわけでも、石を投げたわけでも、まだなかった。ただ、距離が縮まっていた。視線が交差する時間が長くなっていた。唸り声が出るまでの間が短くなっていた。

第二の星はそれを照らした。

岩場を。川岸の重なった足跡を。乾いた風が砂を運ぶ空間を。

与えるもの

岩場の縁に、光が落ちた。

その者の集団から少し離れた場所、低い岩の影の端に、夕刻の斜光が一筋差し込んだ。そこに、平たい石があった。持ちやすい形をしていた。角が鋭く、一方の端が薄かった。

その者が近づいた。石を拾い上げ、手のひらで重さを確かめ、しばらく持ったまま立っていた。それから川の方向へ歩いていった。石はその者の手の中にあった。

向こうに使うのか、こちらに使うのか。
その問いは渡せない。渡せるのは石だけだ。
次に渡すべきものが何かは、まだわからない。ただ、この者の手の中に何かがある。それだけは確かだ。

その者(27〜32歳)

石は重かった。

川へ向かいながら、その者は石の角を親指で押さえた。皮膚が白くなった。離すと血が戻った。何度も繰り返した。

水場の近くで、足跡の重なりを見た。立ち止まった。

石を握ったまま、周囲の音を聞いた。風だけだった。その者は川の端で水を飲んで、戻った。石は持ったまま戻った。

伝播:DISTORTED 人口:473
与えるものの観察:石を手放さなかった。使われなかったが、残った。
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第1415話

紀元前292,935年

第二の星

大地の北で、草原が終わる。

そこから先は赤褐色の土が続き、雨の記憶がない。ひびわれた地面の上を、風が砂を運ぶ。砂は東から来て西へ去る。その動きに逆らうものは何もない。

大地の南端では、旧人の一群が岩場に近づいていた。彼らの足は幅広く、踵の跡が深い。歩幅は短い。しかし止まらない。腹が減っているからではなく、それが彼らの動き方だからだ。

大地の中央では、川が細くなっていた。水量が減るにつれ、川岸の泥が干上がり、白い亀裂が網目をなしていた。その泥の上を、鳥が一羽歩いた。立ち止まり、くちばしで何かをついばんだ。また歩いた。

集団は川から離れた場所に散らばっていた。四十七人。そのうち半数は子だった。

子の一人が倒れたのは、太陽がまだ高い時刻だった。熱のためか飢えのためか、あるいはその両方か。周囲の者たちは一度立ち止まり、また動いた。立ち止まることの意味を、誰も持ていなかった。ただ、動くことをやめなかった。

その者は集団の後ろにいた。三十二歳。追い役。

岩場の影で、旧人たちの動きは止まっていなかった。

与えるもの

岩の隙間から風が来た。

集団の方向からではなく、旧人たちが動いてくる方向から。肉の匂いが混じっていた。生きた獣のものでも、干し肉のものでもない。皮膚の油脂と体毛が混ざった、濃い、湿った匂い。

その者の鼻の高さを、その風は通った。

受け取ったかどうか、わからない。ただ渡した。かつて足跡の幅が土に残っていた。かつて白い皮膚を親指で押した夕方があった。渡し続けてきたものが何かを変えたのかどうか、まだわからない。次に渡すべきものがあるとすれば、それは今日の匂いの記憶ではなく、それを誰かに伝えようとする衝動ではないか。

その者(32〜37歳)

鼻が動いた。

立ち止まった。

後ろを向いた。集団の者たちは前を向いて歩いていた。子を抱えた女が一人、石の上を越えようとして足を止めた。すぐ動いた。誰もこちらを見ていなかった。

その者はもう一度鼻を動かした。

方向は岩場の方だった。

声を出した。高く短い叫び。集団の者が一人振り返った。その者は腕を上げ、岩場の方向を打ち振った。もう一度叫んだ。今度は低く長く。

誰かが立ち止まった。

子を抱えた女が止まった。年老いた男が止まった。

しかし前を歩いていた者たちは止まらなかった。

その者は走った。集団の前に出た。両腕を広げて横に張り、胸を前に出した。喉から音を出しながら。方向を変えさせようとしていた。

前を歩いていた男が止まった。不満そうな顔で唸った。しかしその者は退かなかった。腕を張ったまま、脚を踏ん張り、唸り返した。

やがて集団は方向を変えた。岩場の反対側へ。

日が傾いた。

岩場の陰に旧人たちが現れた時、集団の姿はそこになかった。

旧人たちは立ち止まり、においを嗅いだ。しばらくそこに立っていた。やがて戻った。

その者は遠くの岩の後ろで息を止めていた。集団の者たちが低い茂みに隠れているのが見えた。子が泣きそうになった時、母親が口を手でふさいだ。

旧人たちが去った後も、誰も動かなかった。

太陽が沈む直前になって、老いた男が最初に立ち上がった。

誰も何も言わなかった。ただ歩いた。

その者は最後に立ち上がった。岩場の方向を一度見た。目を細めた。それから集団の後を追った。

伝播:NOISE 人口:486
与えるものの観察:匂いが届いた。それだけだ。次は声を渡せるか。
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第1416話

紀元前292,930年

第二の星

乾いた季節が終わる。

北の高地では、薄い草が戻り始めている。硬い土の割れ目から、根だけで生き延びていたものが葉を出す。緑は乏しく、遠くからでは土の色と変わらない。しかし水はある。少しだけ、ある。

集団の主な動きは南西に向いている。川の跡を探す者たちが、干上がった河床に沿って歩く。河床は白く、石が剥き出しになっている。靴底のないその足は、石の角を踏むたびに止まる。止まって、また歩く。

旧人の痕跡は東の斜面にある。焚き火の跡ではない。獣骨を砕いた跡だ。髄を取り出すために砕かれた骨が、平らな岩の上に散らばっている。誰かがいて、去った。いつのことかはわからない。石の色が変わり始めているから、それほど最近ではない。

遠く西の方で、別の集団が沼地の縁に沿って移動している。そこには水がある。水辺に育つ球根がある。子を背負った女が、腰まで水に入って根を引き抜く。水は濁っていて、足の先が見えない。

この星はそのどれも、同じ重さで照らしている。

与えるもの

干ばつが終わりかけている。終わりかけているが、まだ終わっていない。

集団の縁で、その者が立っている。

風がある。東から来ている。その者の左の耳のほうから来ている。

その風の中に、湿った土の匂いが混じっていた。ほんのわずかだが、確かに混じっていた。

その者は立ち止まった。

鼻が動いた。

それだけだ。受け取ったかどうかは、わからない。

受け取ったとしても、それが何を意味するかを知るかどうかは、また別のことだ。

ただ、風はその方向から来ていた。そこに、湿った土があった。

前に、草を掴んだことがある。崖の縁で。その時も風があった。それがこの者に届いたかどうか、私は今でも知らない。届かなかった可能性のほうが高い。それでも私は渡した。今もそうする。渡すことしかできないから渡す。それ以上でも、それ以下でもない。

その者(37〜42歳)

その者は集団の後ろを歩いていた。

前を歩く者たちよりも少し離れて、半歩遅く、地面を見ながら。追い役の習慣だった。常に縁にいる。常に最後尾にいる。それが役割だとは知らないが、体がそうする。

足が痛かった。

右の踵の皮が剥けていて、乾いた土がそこに食い込んでいた。歩くたびに小さく疼く。疼きを数えながら歩く。数えてはいない。しかし体が数えている。

立ち止まった。

理由はわからなかった。ただ、足が止まった。

鼻が動いた。

東からの風。

乾いた砂埃の中に、何か別のものが混じっていた。湿った何か。それを嗅いだことがある。水の近くで感じる、土の深い匂い。

その者は東を向いた。

そこには何も見えなかった。低い丘が続いているだけだった。草はない。木もない。赤褐色の地面が緩やかに盛り上がって、空と繋がっているだけだった。

前を行く集団が、遠くなっていた。

その者は東を向いたまま、少しの間、動かなかった。

それからまた歩き始めた。集団の方向へ。南西へ。

しかし、何度か振り返った。

東の丘のほうを。

理由を持たずに振り返った。何かが引いていた。言葉にはならなかった。言葉がなかった。ただ、体の前面と後面が、違う方向を欲しがっていた。

夕方、集団が止まった場所で、その者は火の端に座った。

肉はなかった。干からびた球根を石で叩いて、繊維をほぐして食べた。味はなかった。味がないことには慣れていた。

目は東を向いていた。

暗くなっても、東を向いていた。

翌朝、その者は一番早く起きた。

起きて、しばらく立ったまま空気を嗅いだ。

風は変わっていた。南から来ていた。湿った土の匂いはなかった。

その者は踵の傷を指で触った。かさぶたが薄く張っていた。剥がさなかった。

集団が動き始めると、また後ろについて歩いた。

伝播:DISTORTED 人口:501
与えるものの観察:匂いは届いた。だが方向には動かなかった。