2033年、人類の旅

「紀元前292,325年〜紀元前292,205年」第1537話〜第1560話

Day 65 — 2026/06/07

読了時間 約54分

第1537話

紀元前292,325年

その者(51〜52歳)

腕が細くなっていた。

抱いている者の体温が、ある日から少し遠くなった。皮膚の下に何かが減っていくようだった。乳を飲む力が弱まり、口が離れる時間が長くなった。

集団は移動していた。荷を背負い、地面を踏んで進む。その者は誰かの腕に抱かれ、揺れていた。頭が胸に落ちる。持ち上げられる。また落ちる。

吸う息が浅くなった。

岩の多い傾斜地を抜けたあたりで、集団が止まった。風が低く流れ、草の枯れた匂いがした。誰かが地面に座り、その者を膝の上に置いた。背中に手が当てられた。

空が白かった。

その者は目を開けていた。光があった。それから光が遠のいた。手の感触だけが、しばらく残った。手が残っていた。

集団はその場に少しとどまった。やがて立ち上がり、歩き始めた。

第二の星

乾いた台地の北端で、旧人の集団が水場を離れた。新しい群れが近づいていた。どちらも声を出さなかった。距離が縮まり、縮まり、止まった。互いに立ったまま、しばらく動かなかった。

与えるもの

糸は別の誰かへ向かった。

伝播:NOISE 人口:464
与えるものの観察:渡せたかどうか、もう問わない。
───
第1538話

紀元前292,320年

第二の星

乾いた季節が終わりに近い。草原の端、赤みがかった崖が風に削られ、小石が転がり落ちる。日中は熱く、夜明け前は凍える。

この星の上で、同時に、草原の別の場所では旧人の群れが獲物の骨を割っていた。骨の中の白いものを食べる。やり方はこの群れと違う。しかし腹が満ちる点は同じだ。

崖の近くの水場に、両者の足跡が重なっていた。朝に旧人が来て、夕に人が来た。あるいは逆だった。足跡だけが残り、誰も相手を見ていない。

集団の中で、子どもがひとり疎まれていた。疎まれる理由は明確ではない。行動が少し違う。見る方向が少し違う。それだけのことだった。しかし群れにとって、それは十分な理由だった。

草原の向こう、地平が赤く焼けていた。

与えるもの

糸が繋がった。

水場の手前、湿った土の上に何かの足跡があった。そちら側の草が、風もないのに揺れた。

その者は足跡を見た。見てから、別の方向に歩いた。

渡したのは危険の方向だった。別の方向に行ったなら、あるいは——いや、問いが違う。この者はなぜ、渡したものを受け取ってから逆に進むのか。逆の方向に何があるかを、次に渡すべきかもしれない。

その者(8〜13歳)

水場に行くには崖の手前を通る。

その者は毎朝そこを通っていた。通りながら、崖から落ちてくる小石の音を数えていた。数えていたわけではない。ただ聞いていた。一つ、二つ、また一つ。音の間隔に何かあった。

群れの中で、大人たちはその者を見るとき目を細めた。飯を分ける順番が、少し後だった。少しだけだったが、毎日だった。

旧人の足跡を見たのは三日前だった。大人より幅が広く、指が短い。その者はしゃがんで触れた。乾いていた。乾き方が、一晩より長いと何となくわかった。何となくだった。

夕方、集団の外れで座っていた。

ひとりの男が来た。同じ集団の者だった。何も言わなかった。ただそこに立った。

その者は立ち上がった。

男がもう一歩近づいた。

崖の方から、また小石が落ちる音がした。その者は音の方を向いた。男は向かなかった。

翌朝、その者は水場に行かなかった。行かない理由を誰にも言えなかった。言う言葉がなかった。ただ行かなかった。

三日後、同じ場所で別の子どもが足首を捻った。旧人の足跡が新しくなっていた。誰もそれを結びつけなかった。

その者は崖の手前で小石を一つ拾い、水場とは反対の方向に投げた。

石は草の中に消えた。

伝播:HERESY 人口:455
与えるものの観察:受け取った。逆に進んだ。それでも生きている。
───
第1539話

紀元前292,315年

第二の星とその者(13〜18歳)

崖の裂け目から砂が落ちる。
細く、途切れなく、風が止んでも落ちる。

その者は崖の下に立ち、上を見ていた。
首が痛くなるまで見ていた。
砂は顔に当たった。目を細めた。それでも上を見た。

同じ時、草原の向こうで旧人の群れが移動していた。
足音は重く、踏み固めた土に残った。
その跡を、この星の小さな虫が横切った。
虫は跡の端で止まり、向きを変えた。

その者の集団は川の曲がりに沿って野営していた。
子どもたちは水際で石を投げ、大人たちは皮を引っ張って乾かしていた。
その者だけが崖に近づいていた。
誰も呼ばなかった。

旧人の群れと、その者たちの集団の間に、距離がある。
二日分ほどの草原が挟まっていた。
しかし風は共通だった。
同じ向きから、同じ温度で、両方に当たっていた。

その者は崖の根元に手を触れた。
岩は温かかった。昼間の熱がまだそこにあった。
掌を離す気になれなかった。

夜になった。

集団の火は小さかった。燃料が少ない。
誰かが遠くの茂みまで枝を拾いに行き、腕に抱えて戻ってきた。
火は少し大きくなった。

旧人の群れも火を持っていた。
見えない距離で、草原の闇の中、二つの火があった。

その者は火の縁に座っていた。
火を見ていなかった。
崖の方を見ていた。もう真っ暗で、何も見えなかった。

年が変わった。

乾いた季節が来た。水場が縮んだ。
その者たちの集団は上流に移動した。
足の裏に砂が刺さった。子どもの一人が泣いた。背負われた。

旧人の群れも動いていた。
別の方向に、しかし同じ水を求めて。

この星の上で、二つの群れが同じものを必要としていた。
岩の多い丘の裏と表で、それぞれ別の岩陰に泊まった夜があった。
その夜は静かだった。
お互いに気づかなかった。

その者はその夜、岩陰で眠れなかった。
体の内側が騒いでいた。
何かが来る前のような感じだった。
来なかった。
朝になった。

また年が変わった。

集団の中に緊張があった。
旧人の群れが近いという感覚を、大人たちが持ち始めた。
足跡を見た者がいた。大きかった。向きが自分たちの方を向いていた。

男たちが石を持つようになった。
移動のとき、前を歩く者と後ろを歩く者が増えた。
その者も石を持った。
重かった。持っていると安心した。

旧人の群れは川下に移動した。
理由はわからない。
その者たちの集団の方向からは、遠ざかった。

緊張は残った。
足跡の記憶は残った。
石を持つ習慣は残った。

その者は石を握ったまま眠るようになった。

最後の年、雨が多かった。
川が溢れた。野営地が水に浸かった。
集団は高い場所に移動した。
泥の上を歩いた。子どもたちは笑った。大人たちは笑わなかった。

その者は笑った。
それから泥の深さに足を取られ、転んだ。
起き上がって、また笑った。

高い場所に着いた。見晴らしがよかった。
草原が広く見えた。川が光っていた。
その者は長い間、そこから草原を見た。

旧人の群れはどこかにいた。
この星の上のどこかに、別の火があった。
見えなかった。

その者は石を草原の方向に投げた。
届かなかった。当然だった。
それでも投げた。

与えるもの

砂が落ちる崖の下に、この者がいた。

崖の面に光を集めた。特定の一点に、午後の斜光が長く当たるように。岩の表面に走る縦の亀裂、その縁が白く光った。

この者は光の場所に手を伸ばした。指が亀裂の縁をなぞった。しかし光そのものを見なかった。岩の温かさの方に意識が向いた。

渡そうとしたものとは違うものを受け取った。それでいいのかもしれない。あの星でも、渡せなかった。渡せたとして、それが何になったのかもわからない。次は何を見せる。亀裂の形か。光の角度か。それとも、落ちていく砂の速さか。

伝播:NOISE 人口:471
与えるものの観察:光を渡そうとしたが、温度が届いた
───
第1540話

紀元前292,310年

その者(18〜20歳)

集団の端で眠る者がいる。

その者だ。

炎から遠い場所に寝床がある。端に追いやられたのではない。自分で選んだ場所だ。炎が明るすぎる。眠れない。

夜が終わる前に目が覚める。

膝を抱えて、暗いままの空を見る。岩の上の露が、服に染みる。冷たい。気にしない。

その者は知りすぎた。

正確には、見てしまった。

二日前。水場の近くで、年上の者たちが別の者を囲んでいた。腕が上がった。石が落ちた。倒れた者は動かなくなった。

その者は茂みの陰にいた。

動かなかった。

声も出なかった。

翌朝、集団の動きが変わった。

その者の近くに来る者が減った。食料の分配で、手が最後まで来なかった。炎の周りに集まる者たちが、その者の方を見て、視線をそらした。

何かが決まっていた。

その者にはわかった。

三日目の朝。

川に水を汲みに行く。いつもの仕事だ。二人で行くはずだった。気づけば一人になっていた。

川に着く。水面は低い。岩が露出している。

水を汲む。汲んだ器を岩の上に置く。

その時、背後で砂が鳴った。

足音ではない。足音より早かった。

岩が顔の横を通り過ぎた。次の瞬間、背中に重いものが当たった。

川に落ちる。

水は浅い。岩がある。

頭が岩に当たった。

水の中で、目が開いたまま空を見た。水の流れが体を少し動かした。空が揺れた。揺れた。

止まった。

第二の星

平地を横断する風が草を南に倒す。東の丘では旧人の一群が火を囲んでいる。炎は低い。燃料が少ない。子どもが一人、火の縁から離れすぎた小枝を取ろうとして、跳ね返ったまま笑っている。誰も見ていない。

与えるもの

その者が川底で空を見ていた間、光が水面で折れた。その者の目に届いたかどうか、わからない。届かなかったかもしれない。

糸は別の誰かへ向かった。

伝播:HERESY 人口:457
与えるものの観察:渡したものが届く前に、川が奪った。
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第1541話

紀元前292,305年

第二の星

雨季と乾季の境に立っている時期だ。
赤い土が乾き、ひび割れ、風が細かな砂を運ぶ。草の先端が黄ばみはじめている。

集団は谷の縁に沿って動いている。水場が遠くなった。半月前まで湿っていた地面が固い。足跡が残らない。

谷の反対側、見えない距離のところに、別の集団がいる。旧人と新しい者が入り混じった集団だ。額の形が違う。声の高さも違う。だが同じ水場を知っている。

集団間の緊張は音には出ない。互いの煙を見ている。煙の場所が近づけば、どちらかが動く。この数年、そうして距離を保ってきた。

今この瞬間、谷の底で、幼い者が滑落した。崖の縁から草を引っ張ろうとして足が滑った。声を上げる暇もなかった。

水辺から遠い丘の上では、老いた者が一人、焼けた骨を地面に並べている。意味があるのかどうかは、その者自身もわからない。ただ並べている。

与えるもの

糸が繋がった。

今朝、荷を運ぶこの者の足元、乾いた地面にひとつの影が落ちた。雲の切れ間ではない。木の影でもない。岩の出っ張りが、この時間だけ、そこに細長い暗い線を作っていた。

この者は立ち止まった。影の先を目で追った。別のことに使った。その先にある石を拾い、荷の紐にはさんだ。

影が示した先には水があった。水があることを、この者は石を拾った後で知った。

渡したのは石ではなかった。
影だった。影の向きだった。
この者はそれを石と思っている。

次に渡すべきものはまだわからない。ただ、この者は止まった。止まることができた。それは何かの始まりかもしれないし、そうでないかもしれない。

その者(9〜14歳)

荷は皮を折り畳んだものと、干した食べ物の塊だ。両腕で抱えている。重い。

足の裏が石を踏む感覚が変わった。柔らかかった土が、昨日から固い。

歩きながら影を踏んだ。冷たかった。日向から来たせいか、影の中だけ温度が落ちていた。足が止まった。

影の端に石があった。丸くない。角がある。手に取ると重心が指の先に偏った。荷の皮紐に押し込んだ。

歩き続けた。

日が傾いたとき、岩の割れ目から水が染み出しているのが見えた。他の者が先に気づいていた。でもこの者は別のことを思った。さっきの石の重さと、水が染み出す岩の面が、何か似ていた。説明できなかった。ただ、似ていた。

夜、炎から少し離れた場所に座った。石を取り出して、土の上に置いた。置いた。また拾った。

伝播:DISTORTED 人口:468
与えるものの観察:影を渡した。石と思っている。
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第1542話

紀元前292,300年

第二の星

岩棚の上、乾いた空が白く伸びている。

大地の南側では、獣の群れが移動した跡に沿って二つの集団が鉢合わせた。どちらも水場を求めていた。声が上がった。石が投げられた。その後は静かだった。

北の低地では、年老いた旧人の一人が浅い川の縁に腰を下ろしていた。足が動かなくなっていた。水が足元を流れていた。夜になって、水の音だけが残った。

数百の命が動いている。

谷の縁では、集団の中に緊張が走り始めていた。誰かが何かを知っていた。それが問題だった。知ることは、時に、生きることと相反する。

草の黄ばみが広がっている。水場はさらに遠い。

与えるもの

集団の中で、この者だけが腐った木の匂いに立ち止まった。

その根元に、蛇が一匹、腹を上にして死んでいた。毒を持つ種だ。近くに巣がある。

この者は蛇を踏み越えて先へ進んだ。

踏み越えた。それだけのことだ。——渡したかったのは蛇ではなかった。根元の土の色だった。あの黄色みは水脈が断たれた印だ。この者には届かなかったのかもしれない。では次は何を示すか。次があるかどうかも、もうわからなくなっている。

その者(14〜19歳)

荷を背負って歩いている。

前の者の踵だけを見ている。踵が上がるたびに土埃が散る。それを目で追って、また踵を見る。それだけで歩ける。

集団の後ろの方にいる。荷を持つ者はいつも後ろだ。重いものを渡される。文句は言わない。言える声を持っていない。

誰かが前で立ち止まった。声が上がった。この者には意味が聞き取れなかった。

波が来た。後ろから押されて、前に詰められた。隙間で、年嵩の男が別の男の胸を押しているのが見えた。押した方が、振り返ってこの者を見た。

視線が交差した。

この者は目を逸らさなかった。逸らし方を知らなかっただけかもしれない。

男が何か言った。短い音だった。

その夜、この者は集団の輪の外れに座らされた。焚き火の熱が届かない場所だ。空が広い。星が多い。寒かった。

石を一つ拾った。

両手で包んで、ずっと持っていた。

伝播:HERESY 人口:458
与えるものの観察:土の色は届かなかった。次を探す。
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第1543話

紀元前292,295年

その者(19〜24歳)

石が飛んできた。

耳のそばを掠めた。風ではない。重さのある風だ。その者は地面に伏せた。荷を抱えたまま、乾いた土に顔を押しつけた。

声が続いていた。高い声と低い声が絡んでいた。自分の群れの声と、別の群れの声が区別できなくなっていた。

顔を上げた。

男が二人、組み合っていた。知らない男と、自分の群れの男だった。自分の群れの男の歯が、知らない男の腕に食い込んでいた。血が出た。その者はそれを見た。見ていた。

腹の中で何かが固まった。石のようなものではなかった。もっと小さく、もっと熱かった。

荷を持ったまま立った。逃げるつもりだった。しかし足が動かなかった。

風が来た。南から来た。水の匂いがした。薄く、遠く、しかし確かにあった。

その者の鼻が動いた。

水。

戦っている男たちの方向ではなかった。斜め、西の方向だった。その者は頭を巡らせた。声は続いていた。石がまた投げられた。誰かが倒れる音がした。

その者は西に向いたまま、動かなかった。

水の匂いがまだあった。

その者の足が、一歩、西に向いた。それだけだった。だが確かに向いた。荷は重かった。胸は速く打っていた。背後で何かが叫ばれた。誰かの名前のような音だった。その者には意味がわからなかった。

歩いた。

声が遠くなった。叫びが続いた。その者は振り返らなかった。足元の土が乾いていた。草が短く、白かった。遠くに低い岩の列があった。

匂いが濃くなった。

水があった。岩の割れ目から、細く、黒く光る筋が出ていた。その者はその前に膝をついた。荷を下ろした。指を濡らした。舌に当てた。

冷たかった。

後ろで声が止んだのか、遠すぎて届かなくなったのか、その者にはわからなかった。岩の水を掬って、飲んだ。何度も飲んだ。

それだけだった。

第二の星

水場をめぐる衝突は、この大地のあちこちで起きていた。

南の平原では、草が去年の半分しか生えていなかった。獣の通り道が変わった。群れはその跡を追い、別の群れと重なった。互いに声と石で押し合い、一方が引くか、傷ついた者が出るまで続いた。

血は乾いた。生き残った者はどちらも水場から離れた。誰も得ていなかった。

東の森の縁では、老いた者が一人、昨日の場所に今日はいなかった。仲間が呼んだが、戻らなかった。夜に熱を出し、夜明けに、ただいなくなったようだった。見つかったのは翌々日、低木の根元だった。もう動かなかった。

北では子どもが二人、生まれていた。

どちらの子もよく泣いた。乳はあった。群れに余裕があった日ではなかったが、余裕のあった日などほとんどなかった。

この星は乾いていた。しかし割れていなかった。岩の下には水があった。草の下にも水があった。地面の深いところで、水は動き続けていた。誰もそれを知らなかった。

その者は岩の割れ目で水を飲んでいた。

群れの中で、それを知る者はまだいなかった。

与えるもの

水の匂いを南風に乗せた。

その者の鼻が動いた。足が向いた。飲んだ。

戦いに戻らなかった。戻る理由を持たなかった。それは臆病なのか、賢いのか、それとも匂いに引かれただけなのか。問いは宙に残る。

次に渡すべきものがある。水の場所だけでは足りない。水の場所を、どう伝えるか。声は届くか。身振りは届くか。

次は、その者の仲間たちに届けなければならない。

伝播:DISTORTED 人口:472
与えるものの観察:匂いは届いた。その者の足が向いた。
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第1544話

紀元前292,290年

第二の星

乾いた高地だ。

草が根から茶色く縮れている。水場は半日歩いた先に移った。去年そこにあった水溜まりは、今は割れた泥の皿だ。

寒波が来ていた。

夜、気温が落ちる。朝、霜が草の根元に白く張る。しかし日中は熱い。体が追いつかない。子どもが先に落ちる。次に老いた者が続く。群れの半数近くが年を越えるたびに入れ替わっていた。

旧人の群れが近くにいる。

彼らは岩の多い斜面を好む。高さのある場所を陣地にする。この群れとは長い間、距離を保ってきた。互いに見えるが触れない、そういう間合いだった。水場が動いた。同じ場所に向かう。今はその間合いが崩れている。

三日前、誰かが岩を投げた。

どちらが先かはわからない。双方にわからない。ただ石が飛んだ。地面に落ちた。それで何かが変わった。

集団には力関係がある。

老いた雄が仕切る。若い雄が周縁を固める。その外側に、荷を運ぶ者、子を抱えた者、傷を抱えた者が続く。末端にいる者が先に危険にさらされる。それは昔からそうだ。集団が動くとき、末端から削れる。

この高地に来てから、集団の形が変わった。

旧人との境界が近づいたとき、内側の者が末端を押す。末端の者が境界に立つ。言葉はない。ただ立ち位置が変わる。荷を運ぶ者の背が、岩と岩の間に入る。

知りすぎた者が消えるのではない。

目立ちすぎた者が消える。動きすぎた者が消える。境界に立ちすぎた者が消える。それは集団が意図してやることでもない。ただ、末端にいる者が先に消えていく。そういう構造がある。

第二の星はそれを照らす。

断罪しない。草も岩も、斜面を下る霜も、同じように照らす。旧人の眼も、この群れの眼も、同じ光の中にある。水が減った。場所を争っている。今夜も気温が落ちる。

遠くで、幼い者が咳をしている。

母親が背に手を当てた。それだけだ。

与えるもの

風が北から吹いた。岩の裂け目から、乾いた草の焦げたような匂いが漏れた。その方向に、旧人の群れとは別の獣道がある。踏まれていない道だ。

その者は荷を抱えたまま、匂いの方に鼻を向けた。

それでいい、とも、よくない、とも思わない。ただ渡した。この者が嗅いだかどうかは別の問いだ。次に渡すべきものが、もうそこにある。この匂いが何かに繋がるかどうかを、今は待つ。

その者(24〜29歳)

荷が重い。

岩が硬い。足の裏がわかる。右の石は踏めない、そこだけ欠けている。左の岩は安定している。それだけ体で知っている。

鼻に何か来た。

焦げた草の、乾いた匂い。頭ではなく腹の奥が動いた。そちらに顔が向いた。

群れの中心が違う方向に流れていく。

その者はしばらく止まった。荷を抱えたまま。どちらでもない場所に立っていた。

伝播:HERESY 人口:456
与えるものの観察:匂いを嗅いだ。腹が反応した。
───
第1545話

紀元前292,285年

第二の星

乾期が長引いている。

草原の縁では、旧人が三人、礫を積んでいた。意味のある積み方ではない。手が動いている。それだけだ。その少し北で、新参の群れの女が子を胸に抱いたまま、動かなくなった。子は泣かなかった。泣き方を知らなかった。

西の低地では別の群れが火を守っていた。薪が尽きると、火は小さくなった。小さくなると、誰かが体を寄せた。体を寄せることで火が少し長く生きた。その群れには二十七人いた。

高地ではこの者の群れが移動していた。水場を変えた。新しい水場の近くに別の足跡があった。深くて広い。人ではない何かの足跡だった。

星は等しく照らす。

礫を積む者も、動かなくなった女も、火の傍で眠る者も、足跡を見つめる者も。

夜が来た。西の低地の火は消えた。高地では誰も火を持っていなかった。星だけが光っていた。冷気が下りてきた。岩が軋んだ。

この星の上で、同時に、すべてが起きていた。

与えるもの

水場の脇に生えている草があった。茎が黒ずんでいる。根の部分が白い。

その草の根元を、夜の冷気が通り過ぎるとき、温度がわずかに上がった。他の場所より、ほんの少しだけ。

この者は素足で立っていた。

足の裏がそれを感じたかどうか。

知らない。前にも似たものを渡した気がする。違う者に。その者は何をしたか。もう知る方法がない。だが渡す。次に渡すべきものは、この草の根の形をしている。まだ渡していない。

その者(29〜34歳)

荷を持ってきた。

皮を折り畳んだもの、骨の破片、干した肉の残り。それをまとめて背に負う。群れの中で、それがこの者の役割だった。誰かが荷を置けば、この者が拾う。誰かが荷を捨てれば、この者が拾う。

新しい水場に着いた。

深い足跡があった。古株の男が立ち止まり、空気を嗅いだ。誰も動かなかった。しばらくして男が歩き出した。皆がついていった。この者も荷を担いでついていった。

水場の脇に草が生えていた。

夜、この者は皮の上に座っていた。他の者たちは固まって眠っていた。この者だけが端に座っていた。いつもそうだ。荷を運ぶ者は端に座る。

足の裏が、じんわりした。

石の上に座っているわけではなかった。草の根元の土が、わずかに温かかった。この者はそこから足を離さなかった。

そのまま長い時間、座っていた。

暗い中で、手が草の茎を触った。黒ずんでいた。根の方に指が動いた。引き抜かなかった。ただ触れた。

群れのひとりが目を覚ました。こちらを見た。何かを言った。単音だった。「来い」という意味か「何をしている」という意味か。この者は立ち上がった。荷のそばに戻った。

草のことを誰にも伝えなかった。

伝える言葉を、持っていなかった。

伝播:HERESY 人口:447
与えるものの観察:足の裏が知っていた。頭はまだ知らない。
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第1546話

紀元前292,280年

第二の星

乾いた風が東から押してくる。

草原の表土が剥がれ、細かい砂が空低く流れている。地平に近い層が茶色く濁り、遠くの岩稜が消えたり現れたりする。水場だった窪地は底まで見えている。泥の皺が干上がった皮膚のように割れていて、その中心に小さな獣の骨が三本、散らばっている。

南の斜面に群れがいる。

十七人。そのうち動けるのは十人ほど。残りは岩陰に背を預けたまま膝を抱えている。子が二人いる。一人は泣いている。もう一人は泣いていない。泣かない方が長く生きるとはかぎらない。

群れの縁で、大きな男が立っている。背が高い。額の骨の張り方が違う。肩幅が広く、膝が内側に曲がっている。新参の群れとも、この群れとも、どちらとも思えない立ち方をしている。旧人だ。一人でいる。

この男は三日前からここにいる。

追われたのか、逸れたのか。群れの者たちは男を見る。男も見る。どちらも動かない。視線が石のように重い。言葉が届く距離ではない。いや、言葉があっても届かない。声の形が違う。喉の奥で作る音が違う。

男は手に何かを持っている。

木の枝だ。端が少し焦げている。男はそれを地面に当てて、引きずりながら歩く。地面に線が残る。まっすぐではない。曲がっていて、また折れて、止まる。男は線を見ている。しばらく見ている。踏まない。

群れの者の一人が立ち上がる。

若い男だ。手に石を握っている。歩き出す。他の者が後ろから声を上げる。止めようとしている。若い男は歩き続ける。旧人の男との距離が縮まる。五歩。四歩。

旧人の男は線から目を上げない。

若い男が止まる。

二人の間に乾いた砂が吹き込んでくる。どちらも動かない。子の泣き声だけが続いている。風が少し強くなる。枯れた草の茎が一本、二人の間を転がって通り過ぎる。

旧人の男が、枝を地面から持ち上げる。

若い男に向けない。空に向けない。ただ、胸の前で持つ。焦げた端が上を向いている。そのまま立っている。

若い男の手の中の石が、少し動く。握り直す音がする。

二人はそこにいる。

遠く、北の稜線の向こうで、煙が細く上がっている。別の群れのものか、落雷のものか、この星には判断がつかない。ただ煙は上がっている。風に流れている。東へ流れている。

草原では、風が何かを運ぶ。

種を運ぶ。灰を運ぶ。匂いを運ぶ。どこに落ちるかは、風が決めない。

与えるもの

焦げた枝の端に、光が細く落ちた。朝の角度の、横からの光だ。

若い男は石を握ったまま、その光を見た。それから旧人の男の手を見た。枝を見た。石を握る指が、少し緩んだ。

それでよかったのか。わからない。しかし次に渡すべきものが、もう来ている。線だ。地面に引かれた線。あれが何を意味するか、この者はまだ知らない。

その者(34〜39歳)

荷を背に担いだまま、その者は後ろから見ていた。

若い男と旧人の男の間に、何もない空間がある。その者はその空間を見ていた。足が動かなかった。動かそうとしなかったのか、動けなかったのかは、その者にもわからない。

風が砂を運んでくる。目を細める。

二人はまだそこにいた。

伝播:NOISE 人口:458
与えるものの観察:光が枝の端に落ちた。石が少し緩んだ。
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第1547話

紀元前292,275年

その者(39〜40歳)

群れの端で、荷を下ろした。

いつものことだ。重いものを拾い、重いものを運ぶ。それがこの者のことだ。子どものころからそうだった。誰かが指さす方向へ歩き、重いものを持ち上げ、また歩く。名前を呼ばれることはほとんどない。荷が届けば十分だ。

乾いた砂が足の甲に積もっている。靴はない。皮を巻いた足首の布が、もう何日も前にほどけたまま直していない。

東の崖の影で、数人が話している。声は低く、手が動いている。この者の方を見る者がいる。すぐに視線を切る。また話す。

この者は荷を見る。革袋、木の棒、砕いた骨が包まれた布。どれも群れのものだ。自分のものはない。それでいい。荷があれば、自分がいる理由がある。

夜。

焚き火から離れたところに横になる。石の上に頭を置く。硬い。何年も同じ場所に寝てきた。頭の形に石が凹んでいると思うことがある。思うだけで確かめない。

腹の奥に何かある。痛みではない。重さだ。数日前から、食べると重さが増す。水を飲んでも消えない。

夜が明ける前に、尿をしに岩の陰へ行く。血が混じっている。見る。少し見る。戻る。誰にも言わない。言葉を持っていないからではなく、言ってもどうにもならないことをこの者は知っている。

数日が経つ。

荷が持てなくなった日、誰かがこの者の分を黙って取り上げた。助けではない。荷が届けばいい、ということだ。この者はそれを見ている。怒らない。そういうものだ。

東の崖の影の者たちの話し合いが増えている。この者には関係がない、と思っている。

しかしある夜、水場から戻ったとき、二人が待っていた。

手が伸びてきた。

打撃ではない。押しだ。崖の縁まで押された。足が土を蹴る。踏ん張れない。腹の重さが全身に回っている。岩の突端で一瞬、止まった。星が見えた。多かった。

落ちた。

声を出さなかった。崖の下の乾いた岩に背中から当たり、空気が全部出た。

星がある。まだ見えている。

足の感覚がない。手を動かそうとする。動く。地面に触れる。砂だ。乾いている。

呼吸が小さくなる。吸うたびに胸の奥で何かが鳴る。水の音のような、破れた革のような音。

腹の重さだけが残っている。

荷があれば自分がいる理由がある、とずっと思っていた。

荷はない。

星がある。

第二の星

東の低湿地では、別の群れが水場を巡って押し合っていた。一人が泥に膝まで沈み、抜けられなくなった。仲間は引っ張った。抜けた。水を分け合った。西の草原では夜行性の大型獣が死んだ草の中を歩いていた。どこも暗い。星だけが変わらない。

与えるもの

糸は別の誰かへ向かった。

伝播:HERESY 人口:447
与えるものの観察:見ていることしかできない。目は逸らさない。
───
第1548話

紀元前292,270年

その者

火が小さくなっていた。

その者は枝を折った。乾いた音がした。折れた端を火に差し込んだ。炎が舐めた。また大きくなった。

火の番は夜の仕事だ。昼は別の仕事がある。

群れの奥に、動けない者がいた。老いているわけではない。足に傷を受けた。腫れている。熱を持っている。その者はそこへ行き、濡らした葉を傷に当てた。熱い。指に伝わる熱が、傷の内側から押してくる。

その者は葉を替えた。また濡らした。また当てた。

傷の者は目を開けなかった。胸だけが動いていた。

ほかの者たちは外へ出ていった。石を探す者。食べられるものを探す者。獣の跡を追う者。その者は残った。火の番と、動けない者の世話。それがこの者の役割だ。いつからそうなったのか、その者には言葉がない。気づいたときにはそうだった。

昼が傾いてきた。

外から声が聞こえた。怒っている声だ。知らない声も混じっている。

その者は立ち上がった。入口のところまで行って、外を見た。

別の群れだった。数人。毛の色が少し違う。顔の骨格が違う。目が深く、額が出ている。その者たちは自分たちの仲間とは異なる形をしていた。

仲間の一人が腕を広げた。来るな、という身振りだ。相手も腕を広げた。同じ意味か、違う意味か、わからない。

声が重なった。どちらの言葉も、その者には半分しかわからない。

石を持ち上げた者がいた。投げなかった。持ったまま止まっていた。

その者は入口に立ったまま、火の音を背中で聞いていた。傷の者の息も、背後にある。消えてほしくない。どちらの音も。

外の緊張は続いた。

やがて別の群れが退いた。声を残しながら、森の側へ消えた。

仲間の者たちが戻ってきた。石を持ったままの者がいた。その石を地面に叩きつけた。割れた。何かを言った。その者には、怒りという音だとわかった。意味はわからない。

その者は中へ戻った。傷の者の葉を見た。乾いていた。また濡らした。また当てた。

火が小さくなっていた。また枝を折った。

第二の星

低い台地が続く。北に断崖。南に乾いた草地。川は一本、東へ流れている。

幾百もの者が、この大地に生きている。重なり合いながら、削り合いながら。

この五年、気候は揺れた。雨の多い季節と、乾く季節が、順番を守らなかった。食べられるものが減った年がある。増えた年もある。群れは移動し、また戻り、また移動した。

旧人の群れがいる。彼らも同じ川を知っている。同じ獣を追う。同じ季節を恐れる。言葉は違う。形が違う。しかし火を持つ者もいる。濡れた葉を傷に当てる者もいるかもしれない。

そのことを、誰も知らない。

緊張は高まっている。石を投げるかどうか、その一瞬が繰り返される。投げた日もあった。投げなかった日もあった。どちらが多いか、今はまだわからない。

火の番の者がいる。傷の世話をする者がいる。そのことと、外の緊張は、別のことのように見える。しかし同じ火の側にある。

川は東へ流れ続ける。

与えるもの

糸が繋がった。

傷の腫れが、指に伝わる熱の中にあった。熱の向こうに、もっと熱いものがある。それをこの者の手のひらに落とした。温度として。傷の内側から押してくる何かとして。

この者は葉を替えた。また濡らした。また当てた。

渡したのは熱の意味ではない。熱に向き合う手の、続け方だ。

外で石が持ち上げられた。傷の者の息が続いた。この者はどちらも手放さなかった。

次に渡すべきものが、まだ見えない。それでも渡す。

伝播:NOISE 人口:457
与えるものの観察:熱に向き合う手が、続いた。
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第1549話

紀元前292,265年

その者(28〜31歳)

喉が痛かった。

唾を飲むたびに、奥の何かが引っかかった。飲み込めない感覚が一日中あった。食べ物を口に入れても、噛んで、それを喉の前で止めた。先に進められなかった。

その者は火の番をした。

薪が湿っていた。煙が横に流れた。目に入った。涙が出た。拭かなかった。

集団の端に、熱を出して横たわる者が三人いた。その者は水を含ませた葉をその口に当てた。老いた女が近づいてきて、その者の顔を見た。長く見た。何も言わなかった。離れた。

夜、火が安定した。

その者は膝を抱えて座った。炎が揺れた。揺れた方向を目で追った。やめた。

飲み込もうとした。また止まった。

翌朝、起き上がった。

薪を取った。持ち上げたとき、腕が重かった。薪が重いのか腕が重いのかわからなかった。

病人の一人が夜のうちに動かなくなっていた。老いた女がその体の足を持った。別の者が腕を持った。引きずって遠ざけた。その者はそれを見ていた。

水を一口飲んだ。喉の途中で止まった。少し出てきた。

三日が過ぎた。

その者は火から離れなかった。離れると火の管理を知る者がいなかった。幼い子が二人、火のそばで寝ていた。その子たちから目を離さなかった。

声が出にくくなった。呼ぼうとして、音が途切れた。手を上げた。それで足りた。

老いた女がまた来た。今度はその者の首の脇を指で押した。その者はうなった。女は少し顎を引いた。また離れた。

五日目。

朝の光が岩肌を斜めに照らした。

その者は薪を組もうとして、途中で手を止めた。組み方を忘れたのではなかった。ただ、次の動きが来なかった。

そのまま、薪を一本握ったまま座っていた。

幼い子の一人が近づいてきて、その者の膝に触れた。その者は子を見た。子を見て、少し息を吐いた。

夜になった。

その者は横になった。火はまだ燃えていた。

息を吸った。また吸った。

次の息が来るのに、少し間があった。また来た。また間があった。

炎が揺れた。揺れた。

炎が、揺れた。

その者の手から薪が転がった。

幼い子が泣いた。

老いた女が来た。子を連れて離れた。

火は燃えていた。

第二の星

北の斜面で、別の集団が移動していた。岩の多い坂を、荷物を背負いながら降りていた。先頭の者が転んだ。すぐ立った。坂を降りた。川を渡った。水が冷たかった。流れが速かった。対岸に着いた。荷物を下ろした。その者が死んだのと同じ頃、川の水が石を叩いていた。

与えるもの

糸は別の誰かへ向かった。

伝播:DISTORTED 人口:466
与えるものの観察:渡せたか。渡したものが残っているか。
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第1550話

紀元前292,260年

第二の星

草原が乾いている。

五年のあいだに、雨季が短くなった。川床の石が白く晒され、水の匂いが遠くなった。背の高い草が倒れ、倒れたまま茶色に変わり、次の雨まで動かない。

集団は北の岩場に近い場所に留まっている。かつて別の集団がいた場所だ。火の跡がある。骨がある。しかし今はいない。どこへ行ったのか、この星には関係がない。

遠い湿地では、旧人たちが浅瀬を渡っている。彼らの足は広く、泥の中で沈まない。魚を素手で掴む。声は低い。この星はその声も聞いている。区別しない。

別の方向、岩盤が剥き出しになった高地で、幼いものが二人、何かを叩き続けている。石を石で。音が響く。それだけだ。

集団の内側では、緊張が積み重なっている。視線の向き方が変わった。ある者が食事のとき端に座るようになった。ある者が夜に話し声を低くする。表面には何も出ていない。しかし草原の乾きと同じように、見えないところから何かが失われていく。

空は青い。雲がない。影が短い。

与えるもの

糸が繋がった。

喉の奥で止まったものを、まだ覚えている。

この者の足が地面を踏む感触を、どこかで知っている気がした。知らないはずなのに。

川沿いを歩くとき、水面に光が落ちた。そこに揺れる影があった。魚ではない。水草の茎が、流れに逆らって立っていた。根が石の隙間に挟まっている。引きちぎられそうでいて、引きちぎられない。

この者は立ち止まった。

水草を見ていた。引き抜こうとはしなかった。

渡せたのか、渡せていないのか。立っていることと、諦めないことのあいだにある何かを、言葉なしに届けようとした。届いたとして、それでこの者を守れるのか。

次に渡すべきものを、もう考えている。守れないとわかっていても、手を止める理由が見つからない。

その者(31〜36歳)

川の端で、膝をついた。

水面の揺れを見ていた。しばらくそのままでいた。何かを探していたわけではない。足が止まっただけだ。

水草の茎が、流れに押されながら折れなかった。

立ち上がって、また歩いた。

獲物の痕跡を読む。それがこの者の仕事だ。土の窪み。草の折れ方。糞の古さ。においの残り方。指で触れずに見る。触れると消えるものがある。

岩場のそばで、集団の何人かが声を低くした。

この者が近づくと、止まった。

それが三度あった。三日のあいだに。

夜、火の端に座った。肉が焼ける音がした。誰かが笑った。しかしその笑いはこの者に向いていなかった。

翌朝、また川へ行った。痕跡があった。蹄の跡、草の折れ目、方向を確かめた。集団に戻って、手で示した。あちら。あの方向。

誰かが頷いた。別の誰かが、目を合わせなかった。

食べること、歩くこと、見ること。

それ以外のことが、少しずつ増えてきた気がした。気がした、というだけだ。この者に言葉はない。ただ、夜中に目が覚めるようになった。眠れないのではない。目が開く。暗い。また閉じる。

それだけだが、以前はなかった。

伝播:HERESY 人口:458
与えるものの観察:立っていることと諦めないことの間に渡した
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第1551話

紀元前292,255年

第二の星

乾いた大地の上、岩塩の露頭が白く光っている。風が南から吹き、砂を巻いて草の根元に積む。川はあった場所に砂だけが残り、砂の中に貝の殻が混じっている。水はどこかへ行った。

岩場の北側では、旧人の集団が動いている。背が低く、肩幅が広い。彼らも水を探している。探す仕草は似ている。蹲り、地面に手を当て、匂いを嗅ぐ。足跡の残り方を確かめる。

遥か東の低地では、まだ湿気が残っている。そこに別の集団がいる。数は少ない。彼らは互いを呼ぶとき、喉の奥から出す音を使う。その音は、岩場の集団が使う音と似ているが、末尾が違う。似て、しかし異なる。どちらが先に使い始めたかは、風が知らない。

岩場の南では、数日前に争いがあった。地面に血が染みており、鳥がその周辺を離れない。どちらの集団が先に手を出したかを、第二の星は記録しない。ただ、一方が去り、一方が残った。残った方は傷を抱えている。

夜が来ると、両方の集団の火が、遠くから見れば同じように揺れる。

与えるもの

岩の裂け目から、冷たい空気が漏れていた。夜明け前のことだ。

その空気がこの者の首筋に触れた。

この者は眠っていた。しかし首の後ろの皮膚が動いた。目は開かなかった。

渡したのは温度の差だ。岩の内側に、水があることを。冷気が漏れる場所に、水脈が近いことを。それを知識として渡せない。渡せたのは、感覚だけだ。

この者は目を開けなかった。

それでも。体が向きを変えた。無意識に、岩の裂け目の方へ。

渡ったのか。渡っていないのか。体が動いたことは、知識ではない。しかし体は正しい方向を向いた。次に渡すべきものは、もっと鋭くなければならないかもしれない。あるいは、もっと静かに。

その者(36〜41歳)

目が覚めたのは暗いうちだった。

首が冷たかった。そこだけ。胸は温かく、足も温かく、首の後ろだけが石の底から来るような冷たさだった。

寝返りを打った。

体が岩の割れ目の方を向いた。

そのまま少し、動かなかった。岩を見ていた。見ていたが、何を見ているのかわからなかった。夜明け前の光は岩を青くしていた。割れ目は黒かった。そこから空気が出ていた。

手を伸ばした。割れ目に。

指先が冷えた。

もう一度。もっと奥へ。

湿っていた。

石の奥が、湿っていた。

立ち上がった。岩に耳を当てた。音はなかった。しかし耳の周りの皮膚が、かすかに濡れた。石が汗をかいていた。

集団はまだ眠っていた。

この者は岩を叩き始めた。静かに、しかし繰り返し。音ではなく、感触を確かめるように。どこが空洞か。どこが厚いか。岩は答えない。しかし手が覚えていく。叩いた場所と、叩いた場所の違いを。

夜が白くなった頃、集団の中の一人が起きた。大きな体の、肩に古い傷のある者だ。

この者は岩の割れ目を指した。声は出さなかった。ただ割れ目を示した。手を入れ、出し、濡れた指を相手の前に差し出した。

相手は匂いを嗅いだ。

水だとわかった。

水があることはわかった。しかし、岩を割る前にやるべきことがあった。集団には、岩を割る権利を持つ者がいる。獲物の先導をする者だ。その者に話を通さなければ、やってはいけない暗黙の決まりがあった。

しかしその者は、この数日、怪我をした者の傍を離れなかった。

この者は待った。岩の前で、座って待った。

太陽が高くなった。

待っている間に、旧人の一団が遠くを通り過ぎた。小さく、遅く、水を持っていなかった。彼らも探している。この者はその方向を目で追った。追いながら、背後の岩の割れ目から来る冷気を首で感じ続けていた。

両方を、同時に感じていた。

向こうにいる者たちも、水を探している。

岩の中に、水がある。

この二つが、この者の中で同時にあった。しかしそれは言葉にならなかった。胸の中に並んでいただけだ。

やがて先導する者が来た。

この者は立ち上がり、岩に手を当て、また濡れた指を見せた。

先導する者は長く岩を見た。それから石を持ち上げた。

伝播:HERESY 人口:445
与えるものの観察:体が向きを変えた。知識ではない。
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第1552話

紀元前292,250年

第二の星

空が低い。

雲が地面を引きずるように動き、草の穂先を濡らして通り過ぎる。始まりの大地の北縁では、川のあった場所に霧が溜まっている。川床の砂は白く乾き、霧だけが水のふりをしている。

同じ時刻、南の丘では二つの集団が同じ岩場を見ている。どちらも近づかない。どちらも離れない。岩場には何もない。しかし両者はそこを見ている。

遠く、岩棚の下では旧人の子が火の残り炭を掘り起こしている。手が黒くなる。口元に持っていく。苦い。また掘る。

この星は等しく濡らす。霧も、乾きも、子の手の黒さも。

集団の輪郭が変わっている。以前は別々に動いていた二つの群れが、いつからか同じ火を囲むようになった。その代わり、三つ目の群れが見えなくなった。どこへ行ったのか、この星は知らない。足跡が途絶えた場所があるだけだ。

北の稜線を、一人の影が横切る。

止まる。

また歩く。

与えるもの

腐った葉の匂いが、その者の左から来た。

湿った土と菌糸の重なり、水が長く溜まっていた窪みの匂い。その者の首が、少しだけ左を向いた。

向いた。しかし足は止まらなかった。

渡せたかもしれない。渡せなかったかもしれない。この問いに慣れてきた自分がいる。慣れることと、次を渡すことは、別のことだ。次は何を渡すべきか。腐敗の匂いは生を指す。それを知っているのはこちらだけで、この者にとってその匂いは何だったのか、まだわからない。

その者(41〜46歳)

足の裏が石の角を覚えている。

同じ場所を何度も歩いた。川があったころから歩いた。砂になってからも歩いた。足の裏が石の並びを知っていて、目を向けなくても次の一歩が出る。

北の稜線を越えた先、岩場の手前で止まった。

二つの群れがいた。こちらの群れと、別の群れ。別の群れは顔が大きく、眉の骨が出ている。この者たちとは違う。しかし火のそばでは同じように丸まって眠る。

その者は岩場の手前で痕跡を読んだ。

爪の跡。糞。毛の束。四本足の獣が二頭、昨夜ここにいた。一頭は片足をひきずっていた。血の痕がないから、傷ではなく生まれつきか、あるいは古い傷だ。

頭の中で獣の足取りを描く。どこへ向かったか。どこで水を飲んだか。ひきずった足では崖は下りられない。

その者は顔を上げた。

仲間に向けて、手を動かす。

右の方向、低い草地、近い。

仲間が動いた。しかし別の群れの者たちも動いた。同じ方向へ。

その者は立ち止まった。

仲間の背中と、別の群れの背中が、同じ方向へ消えていく。

どちらも獣を見ていた。どちらも同じ水場を知っていた。

岩場の陰から、この者の群れの年老いた男が出てきた。目がその者を見ていた。それから別の群れの方向を見た。また、その者を見た。

その目に何かがあった。

問いではなかった。命令でもなかった。

その者はその目の意味を、体の内側で受け取った。

受け取って、足が動かなかった。

岩の上に座った。膝を抱えた。仲間の背中が草の向こうに消えるのを見ていた。

風が左から来た。腐葉の匂いが混じっていた。

その者の首が、少しだけ左を向いた。

そちらには何もなかった。草と、霧と、三つ目の群れが消えた方角があるだけだった。

岩を拾った。

重さを確かめた。

置いた。

伝播:HERESY 人口:430
与えるものの観察:匂いは届いた。足は止まらなかった。それでも首は動いた。
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第1553話

紀元前292,245年

その者(46〜48歳)

草の丈が、膝を超えた。

その者は腰を落として草をかき分けながら、地面を見ていた。泥の中の蹄の跡。縁が崩れていない。まだ半日も経っていない。

立ち上がろうとして、膝が重かった。

重いとは思わなかった。ただ、立つのに時間がかかった。

集団の若いものたちが先を行く。その者は後ろから、跡を確かめながら歩いた。昔はこれが自分の前にいた者の仕事だった。どこかの時点で、前にいた者がいなくなり、自分がその場所に立っていた。誰も何も言わなかった。ただそうなっていた。

五年前よりも食べるものが多い。川に寄れば魚の群れが岸近くを泳いでいる。草原には獣の糞が新しい。集団は増えた。顔の知らない者がいる。遠い場所から来た者が、火の近くに座るようになった。その者は彼らの顔を見て、それから地面を見る。特に何も言わない。

夜、焚き火から少し離れた場所に座っていた。

息が短くなっていた。昨年の秋から、坂を登るとしばらく胸が苦しくなる。今は平地でも、長く歩いたあとにそうなる。

風が草の中を通っていった。

においがした。腐葉と雨と、獣の体臭が混じったような、湿った重さのあるにおい。南の方角から。

その者は顔を上げた。

鼻が動いた。目が、南の暗闇を探った。何もない。草が揺れている。しかしそのにおいの中に、何か別のものがあった。自分が知っているものではない。獲物でも、危険でもない。

長く息を吸って、吐いた。

次の朝、その者は起きなかった。

起きなかった、というよりも、起きようとしたが体が言うことを聞かず、そのまま横になっていた。若い者が一人、顔を覗き込んだ。その者は目を開けていた。空が見えた。雲の切れ間に、薄い青がある。

手が、草をつかんだ。

草の根元は湿っていた。指の間に土が入った。その感触がわかった。

集団は動いた。誰かが声をあげた。子供が走り回った。遠くで二人が争うような声を出した。何かを巡って、もめているらしかった。その者には聞こえたが、動けなかった。

草の葉が顔の横にあった。

朝の光の中で、葉脈が透けて見えた。細い筋が、何本も走っている。その者はそれをしばらく見ていた。

指から力が抜けた。

土が残った。

第二の星

その者が草をつかんだ手を離したとき、大地の北では二つの川が初めて合流し、新しい流れが草原を横切り始めていた。南の海岸では貝を食べていた集団が、ある者の死を契機に長老の座を争った。始まりの大地の上で、雲は何も区別しなかった。

与えるもの

においが届いたかどうか、今もわからない。糸は別の誰かへ向かった。

伝播:NOISE 人口:559
与えるものの観察:においが届いたかどうか、今もわからない。
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第1554話

紀元前292,240年

第二の星とその者(0〜5歳)

地殻が安定しつつある季節だった。湿った熱気が草原の上に留まり、種が弾け、川沿いの低地では根の張りが深くなっていた。集団の数は膨らんでいた。それはゆっくりとした膨らみではなく、夜ごとに誰かの腹が大きくなり、朝ごとに産声が上がるような密度だった。

その者は誰かの腕の中にいた。運ばれている。重力の向きと揺れだけが世界だった。温度がある。匂いがある。耳元に呼吸の音がある。それ以上ではない。

草原の北縁に、別の集団の足跡があった。踏み固められた地面。少なくとも十数人分。歩幅が揃っていた。急いでいない。それが不気味だった。焦りのない足跡というものは、余裕か、あるいは別の意図かのどちらかだった。

その者は光を感じた。瞼の裏が赤くなる光。誰かが木陰から出て、日向に入ったのだ。温度が肌に落ちた。その者は声を出した。泣くのではない。息に少し力を込めただけの音。

豊穣は集団を厚くする。しかし厚くなった集団は隣を意識する。二つの集団が水場を共有し始めていた。最初は時間をずらして使っていた。やがてそれが崩れた。同じ時に水場に立つことが増えた。

誰かの腕が少し強く抱え直した。その者は揺れを感じた。足音が変わった。速くなっている。走ってはいない。しかし何かから遠ざかっている。その者は目を開けた。空が見えた。それだけだった。

旧人の群れが南に移動していた。この季節の移動ではなかった。何かに押されるような軌跡だった。足跡は続いていたが、途中で散っていた。一頭の大きな獣が同じ方向に走った跡もあった。草が裂けていた。

夜、その者は地面に置かれた。背中に土の感触がある。草の根が指に触れた。空は星で満ちていた。まだその者は星を知らない。光の点が並んでいることも知らない。ただ暗い中に明るいものがある、ということだけが体に入ってきた。声を出そうとしたが、出なかった。息が続いた。それで十分だった。

集団の中で声が上がる夜があった。二つの男が水場のことで対立した。言葉ではなく、身体の向きと声の張りで相手を押す。それは言語でも歌でもなく、どちらにもなりきれないものだった。他の者たちは離れて見ていた。

その者は5歳になった。もう運ばれない。自分の足で草を踏む。まだ大人の歩幅にはならない。しかし地面を感じる。湿った土、乾いた砂、葉の裏の水。それぞれが違うことを、この者の足の裏は知っていた。

与えるもの

糸が繋がった。

夜、その者が仰向けに寝ていたとき、星の光がその者の顔に落ちた。他の者の顔には落ちなかった。ただその者だけが、開いた目でそれを受けた。

その者は何もしなかった。ただ見た。

それでいい、と思う。見たことは残る。どこに残るかはわからない。しかし光が落ちた場所に、何かが始まることがある。この者がそれを何に使うかは、まだずっと先の話だ。次に渡すものを考えている。この者はまだ走れる。走る先に、何かを置けるかもしれない。

伝播:NOISE 人口:565
与えるものの観察:光を受けた。何かが始まるかもしれない。
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第1555話

紀元前292,235年

第二の星

草原の端に、もう一つの集団がいた。

川を挟んで向こう側。皮の色が少し違う。骨格が少し違う。額の出方が違う。しかし火を持ち、石を割り、雨の前に体を屈める。

その者たちを旧人と呼ぶ者はいない。呼び名などない。ただ「あちら」がいる。

豊穣が続いた年、この集団は増えた。あちらの集団も増えた。川の魚は減り、川沿いの果実の木に、両側から手が伸びるようになった。

はじめは間合いを取った。目を合わせない。体を大きく見せる。それで足りた。

足りなくなったのは、乾いた月が続いた後だった。

川の水位が落ちた。浅瀬が現れた。浅瀬は渡れる。

若い男が渡った。向こう側から石が飛んだ。男は頭を抱えて戻った。血が耳に沿って落ちた。集団の中で何かが固まった。音ではなく、気配で。

翌朝、集団の長老格の者が川岸に立った。何も持たずに。向こう岸にも、体の大きな者が立った。

二人は長い時間、立っていた。

鳥が飛んだ。風が変わった。

長老格の者が、岸の石を一つ持ち上げた。投げなかった。置いた。

向こうの者が、同じように石を持ち上げた。置いた。

それだけだった。

しかし集団の中の若い男たちは納得しなかった。夜、火の周りで声が荒れた。何を言っているのか言葉では届かないが、体が前に出る者と、手を広げて止める者が見えた。

三日後、別の若い男が川を渡った。今度は石を持って。

向こうから三人が出てきた。

男は戻らなかった。

岸にいた者たちは動かなかった。川が流れた。夕方まで誰も川を見なかった。

夜、火がいつもより小さかった。誰も薪を足さなかった。

その夜を境に、集団の中の何かが変わった。変わったとは言えない。ただ、子どもたちが川の方向に走らなくなった。女たちが採集に出るとき、方向を変えるようになった。老いた者が、夜ごとに川の音を聞くような顔をするようになった。

緊張は形を持たない。しかし体は知っている。

川は変わらず流れた。向こう岸の火も変わらず燃えた。

与えるもの

川岸の湿った砂に、足跡が残っていた。

この者の足には届かない大きさだ。しかし砂の窪みが夕光を受けて影を作った。その影が長くなる方向に、温かみが薄くなる風が吹いた。

この者は砂の上で止まった。足跡を踏まなかった。踏まなかっただけだ。

この者は足跡の意味を知らない。私も知らなかったことがある。踏まなかった者が、踏まなかった理由を持っていたかどうか。それを問うより先に、次に渡すべきものが浮かぶ。距離だ。近づかないことと、近づけないことの違い。この者がいつかその違いを体で知る前に、渡せるか。

その者(5〜10歳)

砂が足の裏に冷たかった。

大きな窪みがあった。雨が作ったものより深く、丸い。

しゃがんだ。指を入れた。砂が崩れた。

立ち上がった。

川の音がした。近づかなかった。なぜかは知らなかった。

伝播:HERESY 人口:541
与えるものの観察:踏まなかった。それが全てだ。
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第1556話

紀元前292,230年

第二の星

草原に雨が来た。

三日三晩、平らな大地を叩き続けた。川は岸を越え、低い場所に横たわる獣の死体を巻き込んで流れた。その先、湿地の奥では、枯れていた木の根が水を吸い上げ、葉が戻る前に花だけが先に開いた。

同じ星の、遥か離れた場所。乾いた台地の端に、別の種の者たちがいた。額が大きく突き出し、眉の骨が影を作る顔つきの者たち。彼らは火を囲まなかった。日が落ちれば岩の下に身を寄せ、互いの体温で夜を越えた。その台地で、その季節、子が三人生まれた。生まれた順に、乳を飲み、眠り、泣いた。

川を挟んだこちら側では、皮なめしの途中の獣皮が雨に濡れ、重くなった。それを担いでいた者が走った。子どもたちが笑った。雨がまだ続いた。

集団のなかに、川の向こうの者たちを指して声を上げる者が二人いた。低く、繰り返すように。周囲はその声を聞いた。それから黙った。

与えるもの

乳の匂いがその者の頭から漂っていた。

雨があがったとき、光が水たまりに落ちた。水面が細かく揺れた。その者の目がそこに向いた。水の中に空が映っていた。雲が動いていた。

その者は空を見なかった。水の中の空を、じっと見た。

それで十分かもしれない、と与えるものは思った。いや、十分かどうかは問いではない。次に渡すべきものがある。まだある。

その者(10〜15歳)

運ばれる。

背中があたたかい。揺れる。足音が地面に伝わってくる。雨のあとの地面は柔らかく、一歩ごとに少しずつ沈む。その沈み方が変わるたびに、体が揺れる角度が変わる。

雨がやんだ。

光が来た。

おろされた。地面が足の裏に触れた。冷たかった。その感触が膝から腰へ登ってきた。体が揺れた。前に倒れそうになって、倒れなかった。

近くに水たまりがあった。

そこを見た。

何かがあった。その中に。動くものが。

手を伸ばした。指が水に触れた。波紋が広がって、中にあったものが崩れた。

消えた。

指を引いた。また戻ってきた。

また触れた。

また消えた。

伝播:SILENCE 人口:548
与えるものの観察:水面の中にもう一つの空がある
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第1557話

紀元前292,225年

その者(15〜20歳)

運ばれている。

背中の皮を通して、運ぶ者の熱が伝わる。揺れる。止まる。また揺れる。その者はそのリズムの中に在る。空腹のときは声を出す。声が出ると、揺れが止まって、柔らかいものが口に押し当てられる。それだけを知っている。

草の上に置かれた。

空が広い。その者はしばらく空を見ている。雲が厚く白く、端がほどけている。何かが顔の上を横切る。虫だ。その者の手が動く。掴もうとする。掴めない。また動く。また動く。

離れたところで、大きな音がした。

叩く音。何かを叩く音。集団の中の誰かが石を打ち合わせている。その音が腹の底まで届く。その者は息を止めた。それから、長く細い息を出した。

音が続く。

その者の体が、そのリズムに合わせて、少しずつ動いていた。意図があるのかどうかわからない。肩が揺れていた。

その日の夜、何かが変わった。

集団の中で、声の応酬があった。高い声、低い声、笑う声、押しつぶされた声。その者は運ぶ者の胸の上に乗せられて、その振動の中にいた。声が胸を通って伝わる。その者の耳ではなく、肋骨に届く。

誰かの声が、あるところで途切れた。

沈黙がある。それから別の声が始まった。同じ声ではない。しかし同じ形の何かが、その声の中にあった。その者はそれを聞いていた。目が開いたままだった。

何も言えない。

息だけが出た。

夜が深くなって、集団は静かになった。眠る息の音が重なっている。火が低く燃えている。その者は眠っていない。

温かい。腹が満ちている。何も怖くない。

それでも、目は開いたままだった。

火の光が揺れるたびに、影が動く。その者の手が影を追う。掴もうとする。掴めない。

またやる。

翌朝、運ぶ者の声が変わった。

硬い声だった。集団の中の誰かと、その運ぶ者の声が、刃のように重なっている。その者にはわからない。しかし胸の上で、運ぶ者の心臓が速くなったことはわかる。

その者の体が硬くなった。

声を出そうとして、出せなかった。

第二の星

温かい季節が五年続いた。

大地の南で雨が降り続け、草原の端まで緑が広がった。根が深く張り、実が大きくなった。川の流れは穏やかで、淀みに魚が群れた。集団は動かずにいられた。移動しなくていいということは、疲れを溜めずにいられるということだ。子が多く生まれ、その多くが最初の冬を越した。

集団は膨らんだ。

膨らんだものには、摩擦が生まれる。食べるものが多くても、眠る場所が近すぎれば声が荒くなる。誰かが誰かを睨む。誰かが誰かの持ち物に手を伸ばす。その視線が、言葉になる前の刃になる。

遥か北の大地では、草を食む巨大な獣の群れが移動を始めた。季節ではなく、密集のせいだった。押し合い、踏み合い、群れの端から個体が離脱する。群れからの離脱は、多くの場合、死を意味した。

豊かさは圧力だ。

この星はそれを何度も見ていた。今度もそれは同じ形で訪れようとしている。ただし、今回は何かが違う。集団の中に、夜の声の応酬がある。声が声を呼び、翌朝にも残る何かを作りつつある。それが何であるかを、この星は判断しない。

ただ、照らす。

与えるもの

運ばれる者。まだ何も知らない。

石に触れさせたかった。冷たい石。水に濡れた、川辺の石。

風がその方向から吹いた。川の匂いを含んだ、朝の風。運ぶ者がその方向を向いた。その者の顔も、つられてそちらを向いた。

それだけだ。

石に触れたかどうかはわからない。運ぶ者の腕の中で、この者の顔が川の方を向いた。冷たい空気が顔に当たった。その表情が、少し、変わった。

それが何になるのかを、私はまだ知らない。12という数を思う。12と0という数を。風を送り続けた先が沈んだ記憶を。それでも風を送る。川の匂いが届く。顔が向く。そこから先を問い続けるしかない——この者は、いつか石に触れるだろうか。触れた石を、誰かに渡すだろうか。

伝播:HERESY 人口:676
与えるものの観察:川の匂いを含んだ風。顔が向いた。それだけ。
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第1558話

紀元前292,220年

第二の星とその者(20〜25歳)

草原の端で火が小さくなっている。

乾いた季節が来ても、地面の下には水が残っている。根を掘れば水気がある。獣は集まり、集まった獣を追う者たちも集まる。豊穣は一つの場所に多くのものを引き寄せる。そして多くのものが同じ場所にいるとき、何かが軋む。

その者は皮の上で寝ている。

腹に何かが当たると目が覚める。丸いもの。転がるもの。指が閉じる。また開く。閉じる。指の腹に圧力が生まれ、消える。指が何かを覚えているのではなく、覚える前に動いている。

丘の向こうで別の煙が上がっている。

同じ種だが、同じ集団ではない。見慣れない匂いが混じる夕風が来ると、集団の輪郭が硬くなる。抱く腕が強くなる。声が低くなる。子どもは声の変化を聞く前に体の変化で知る。

その者の口が動いている。

何も押し当てられていないのに動いている。空気を噛んでいる。夢の中にも揺れがある。揺れは止まらない。世界は常に誰かの歩行だ。

川の両岸に二つの火が見える夜がある。

片方の火が大きくなると、もう片方が沈黙する。沈黙はすぐに移動になる。移動は夜に始まり、夜が明けるころには跡だけが残る。灰、踏まれた草、川岸の泥に残る足跡。

その者は水の匂いを知っている。

皮越しに伝わる汗の匂い、草の匂い、煙の匂い、知らない匂い。知らない匂いが来ると体が固くなる。これは学んだのではない。体がそうなる。体はすでに何かを知っている。

豊穣の年は続いている。

しかし豊穣は等しく配られない。近くに果実があり、獣がいても、誰がそこに立てるかは力によって決まる。力は数であり、声の大きさであり、走る速さであり、記憶の深さだ。集団は少しずつ形を変えている。

夜、その者の耳に何かが届く。

遠くから声が来る。歌ではない。呼びかけではない。怒りのような、悲しみのような、その二つが混ざって別のものになったような音。その者は目を開けない。でも、耳の奥で何かが起きている。音が体の中に入ってきて、どこかに留まる。

与えるもの

その者の耳に風を送った。

夜、争いの声が遠くから来る夜に。風がその方向から来た。

その者は目を開けなかった。でも体が向いた。

耳が音を保持している。音は形を持たないが、体は保持できる。だとすれば次に渡すべきは、留まった音をどう使うかではなく、留まることが起きたという事実を、もう少し長く。

伝播:NOISE 人口:681
与えるものの観察:音が体に留まった。届いたのかもしれない。
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第1559話

紀元前292,215年

第二の星

乾いた風が草原を渡る。

地平の果てまで草が続き、草の穂が風に揺れ、揺れた先に別の集団の煙が見える。ひとつではない。ふたつ。みっつ。点のような煙が散らばり、それぞれが別の火を持ち、別の水場を知り、別の獣を追っている。

豊穣が集団を増やした。増えた集団が同じ場所に引き寄せられた。

草原の南側、岩盤が露出した浅い台地がある。雨季に水が溜まり、乾季にも地面の下に湿気が残る。根が太く、実が多い。獣が来る。獣を追う者も来る。ひとつの場所に、いくつもの集団が重なり始めている。

遠くで男たちが向き合っている。声を上げている。一方が石を持った。もう一方が後退した。石は投げられなかった。しかし持った。

別の場所では女が水場を使っている。後から来た集団の女が同じ場所に来た。先にいた女は動かなかった。後から来た女も動かなかった。ふたりは水を汲んだ。背を向けたまま去った。

豊穣は余裕を作る。余裕は譲ることを可能にする。しかし同時に、守るものを増やす。

夜、火の周りで声が上がる。ひとつの集団の男が立ち、手を動かし、声を変えながら何かを語る。聞く者たちの体が揺れる。語りの中に別の集団への言葉が混じる。侮るような音。笑いが起きる。

別の夜、別の集団で同じことが起きる。

星が照らす。草原の上で、いくつもの火が燃えている。それぞれの火が、それぞれの声を持っている。声は互いに届かない。しかし煙は同じ空に上る。

乳児が泣いている。母の体が揺れる。乳児の声が夜に溶ける。

与えるもの

台地の端、岩と岩の間に影が落ちた。

その影の形が他と違った。細長く、一方向に伸びていた。風の来る側に開いた隙間があり、そこから乾いた空気が漏れていた。洞のようなもの。入れるかもしれない。雨から逃れられるかもしれない。獣から隠れられるかもしれない。

しかしその者は運ばれていた。母の腕の中で揺れていた。影を見る目を持っていなかった。

渡そうとした場所が、渡せる者に届かなかった。これは何度目か。問いではない。ただの記録だ。しかし記録が積まれるたびに、次に渡すものへの意志が変わっていく気がする。渡す形を変えなければならないのか。それとも、渡す者を変えなければならないのか。

その者(25〜30歳)

母の肩が揺れるたびに視界が上下する。

空が見えた。草が見えた。空が見えた。母の首の皮膚が近くにある。温かい。においがある。乳のにおいと、汗のにおいと、煙のにおい。

遠くで何か音がした。

その者の体が、音の方向を向こうとした。母の腕がそれを包んだ。音は遠ざかった。

伝播:DISTORTED 人口:688
与えるものの観察:影を示した。運ばれる者には届かなかった。
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第1560話

紀元前292,210年

その者(30〜35歳)

背中に揺られている。

運ぶ者の肩が上下するたびに、世界が上下する。空が沈み、草が上がり、空が沈む。その者の口から音が漏れる。意味ではない。ただ、揺れに合わせた息の形だ。

集団は移動している。水場を変えるのだろう。その者には分からない。分からないまま、揺れている。

運ぶ者の首の後ろが汗で光っている。その者はそこへ顔を押しつける。匂いがする。知っている匂いだ。これが世界の中心だと、その者の体は知っている。

草の上を別の足が歩いている。大きな足。小さな足。ひとつの足。音がある。草が折れる音。石を踏む音。誰かが何か言う。また別の誰かが答える。その者には言葉の境目が分からない。音の塊が来ては去る。

陽が傾いた頃、集団が止まった。

運ぶ者が地面にしゃがむ。その者は肩から降ろされ、草の上に置かれる。空が広い。雲がある。その者は雲を見る。雲は動いている。その者の目もゆっくりと動く。

近くで火の匂いが始まる。

誰かが歌っている。低い声だ。集団の別の場所からも声が来る。別の歌だ。同じではない。それでも交ざって、同じ空気の中に溶けていく。

その者の目が閉じかける。

運ぶ者の手が戻ってくる。胸のあたりに置かれる。温かい。その者の口から、また小さな音が出る。

第二の星

この5年、大地は与え続けた。

草の種が実り、獣の群れが太り、水場は涸れなかった。豊穣が人を増やし、人の増えた場所には別の問題が生まれた。複数の集団が同じ水場を知っている。同じ獣道を知っている。出会えば、ときに何かが起きる。

集団のいくつかは移動の範囲を広げた。重なりを避けるように、あるいは重なりを求めるように。煙が散らばる平原に、見えない境界線が引かれつつある。引いた者はいない。しかし線はある。

旧人の一群が崖の下の岩棚に住んでいる。人類とは川を挟んで離れており、互いに近づかない。ただし同じ鹿を追った痕跡が泥の上に残ることがある。足跡が交ざり、どちらがどちらか分からなくなる。

この星はそれを見ている。

誰が誰の敵であるかも、誰が誰の隣人であるかも、今はまだ言葉を持たない。火があちこちで燃え、煙があちこちで昇り、空の下で無数の者が眠り、目を覚まし、また眠る。

夜が来るたびに、集団の数は変わっている。増えているのか、減っているのか。この星からはどちらとも見える。

与えるもの

その者の耳に、歌が届いた瞬間があった。

別の声と混ざった瞬間。その者の目が、ほんの少し、歌の方向へ動いた。

耳に届く方向へ、複数の歌の音が重なる場所へ、温度が少しだけ違った。そこから来る振動が、その者の胸に触れた。

その者は目を閉じた。

複数の声が同じ空気に混ざること。それが何かを意味するかどうか、まだこの者には届かない。しかし体は感じた。次に渡すべきは、もっと近くで、もっと強くだろうか。それとも、体が先に覚えることがあるのだろうか。

伝播:NOISE 人口:693
与えるものの観察:体が先に知る。言葉より前の場所がある。