川の向こうに雌がいたことを、その者はまだ覚えていた。干し肉の感触を手のひらに。しかし今朝は、それより先に北の匂いがあった。
北の風は煙を運んでいた。
大地の東端、二手に分かれた川の片方が細くなり始めていた。乾季がそれを急いでいた。草の青は獣道の際にだけ残り、岩棚の下に火種を持つ集団が眠っていた。北の丘の向こうにも煙があった。一本ではなかった。
その者は川岸に腹ばいになって水を飲んだ。上流から草の茎が一本流れてきた。根が付いたまま。根の先に土の塊がついていた。
誰かが上流で動いたということだった。
岩棚の集団は昨夜から落ち着かなかった。年老いた雄が北を向いたまま動かず、若い雌たちが子を胸に抱えて岩の奥へ入った。その者は火の近くにいた。頼まれたわけではなかった。ただそこにいた。
第二の星から見れば、大地の東端に二つの火があった。
一つは岩棚の下、もう一つは丘の向こう。距離は、歩いて半日よりも短かった。
その者は三日目に北の丘まで行った。一人ではなかった。二人、年の近い雄が後ろについてきた。丘の手前で、その者は止まった。
草の焦げる匂いがした。
丘の向こうに集団がいた。旧人とは骨格が違った。額が高く、顎が引いていた。石を積んで囲いを作っていた。子供の声がした。
その者は動かなかった。
後ろの二人が退こうとした。その者は退かなかった。ただ立っていた。
夕刻、岩棚の集団が動いた。年老いた雄が何かを叫んだ。若い雄の何人かが石を持った。その者は火の側にいた。石を持たなかった。
年老いた雄が向かった。その者も後についた。
丘を越えた先に、別の集団がいた。向こうも石を持っていた。
両者の間に草地があった。誰も踏み込まなかった。
その者の側の年老いた雄が唸り声を上げた。向こうの集団の雄も唸り返した。
夜になった。両者とも動かなかった。
明け方、その者の隣に立っていた年老いた雄が前に出た。手に何も持たなかった。その者も前に出た。
第二の星から、その草地が見えた。
夜露が残っていた。二つの集団が向き合っていた。どちらも動かなかった。
その者が一歩踏み込んだとき、地面にかすかな振動があった。上流の獣の群れが移動していた。向こうの集団の一人がそちらを向いた。その者もそちらを向いた。同じものを見ていた。
それだけだった。
しかし誰かがそれを見ていた。
岩棚の集団の中に、眼の鋭い者がいた。年老いた雄の次に力のある者だった。その者が草地に踏み込んだのを見ていた。一人で、手に何も持たずに。
その日から何かが変わった。
小さな変化だった。目に見えなかった。しかしその者に肉が回る量が変わった。良い場所が回されなくなった。狩りの列から外されることが増えた。
その者はそれを言葉にできなかった。ただ、朝に目が覚めると胸の内側が重かった。
五年目の春、集団は南へ移動した。川が干上がり、獣が消えていた。移動の列でその者は後ろにいた。荷は多かった。先の者たちが止まっても、その者には声がかからなかった。
ある夜、火から遠い場所で眠った。
次の朝、一人で起きた。列は先に行っていた。
その者は立って歩いた。列を追った。
日が高くなったころ、列が見えた。しかしその者が近づいても、誰も振り返らなかった。
その者は列の端について歩いた。
夕刻、水場を見つけた。列が止まった。その者は水場の縁で水を飲んだ。誰かが石を投げた。水の中に落ちた。遠くから笑い声がした。
その者は顔を上げなかった。水を飲み続けた。